「ソールズベリー大聖堂」の版間の差分

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== 歴史 ==
 
大聖堂は[[1220年]]に建造を開始し、[[1258年]]に大聖堂の[[身廊]]や[[翼廊]]、聖歌隊席などの主体部分が完成した。[[チャプター・ハウス]]と[[回廊]]は、1263年から1284年の間に工事が行われた。[[1265年]]に大聖堂の西ファサードができ、1330年に[[尖塔]]が完成した。全長123メートルの尖塔は後で建てられ、これはイギリスで最長の尖塔である<ref>https://books.google.co.jp/books?id=hPm_YD4t1lEC&pg=PA230&dq=salisbury+cathedral+spire&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwiL75jhp-vPAhXFLmMKHdWtB_oQ6AEIODAF#v=onepage&q=salisbury%20cathedral%20spire&f=false</ref><ref>{{Cite book|和書 |author = [[中島智章]] |year = 2015 |title = 世界で一番美しい天井装飾 |publisher = [[エクスナレッジ (出版社)|エクスナレッジ]] |page = 106 |isbn = 978-4-7678-2002-6}}</ref>。
 
ソールズベリー大聖堂は、短期間で完成したために、全体の様式が統一された。大聖堂は、当初の計画通りに建造されたイギリスでは数少ない大聖堂であり、しかも長い歴史の中で改築による変化も少なかった。{{仮リンク|パーベック大理石|en|Purbeck Marble|Purbeck Marble}}を多く用いることによって、色彩の効果を大いに高めている。中世イングランドの大規模な[[ゴシック建築]]である。
 
低い採光塔に代わり、[[1330年]]ごろ完成された交差部大塔を除いて、一貫して建てられた。様式は[[初期イギリス式]] [[Early English]]でよくまとめられている傑作である。1220年から65年の45年という短い工期で、新しい敷地に新築されたものであり、当時のイギリス人の大聖堂に対する構想を自由に表現したものであるとされている。
 
=== 大聖堂の修復 ===
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大聖堂の時計{{enlink|Salisbury cathedral clock}}は[[1386年]]から現在まで稼働しており、世界で最も古い現役の時計として知られている。オリジナルの部品も多く残っている<ref name="Salisbury">{{cite web | title=Oldest Working Clock, Frequently Asked Questions, Salisbury Cathedral|url=http://www.salisburycathedral.org.uk/visitor.faqs.php?id=23|accessdate=2008-04-04}}</ref>。
 
== 建築的特徴 ==
[[内陣]]はこの上なく長大であり、大小2つの突出した交差した廊下を持つ。これは[[クリュニー第3教会堂]]のようである。
 
「内陣の東壁もその背後に続く低い奥内陣の東壁も窓のある垂直の壁面に終わり、壁体はすべて直交しているが、堅い印象を与えない。特に東端部の外観は変化に富んでおり、順次高まり、水平に広がる建物の上に大塔が立ち上がって、全体に、酢直方校の軸を与える。[[側廊]]の外側に小さな鐘塔を配置しているので、西正面は背後の建物との結びつきが弱く、ややまとまりがなく広がったという印象を与える。中央扉口は一つなのに大小の破風を頂く3連のアーケードのポーチを設けた点はやや非論理的だが、このような傾向は、3連窓のある中央部分以外の壁面を堂内の壁面構成とは無関係に4層とした点にもうかがえる。しかし三角形の破風にキリスト、それより下の4層のアーケードの中に天使から高位聖職者に至る彫像を階層に応じて配置した壁面構成には、雄大ではないがフランスのレイヨナン・ゴシックのような構造の論理的表現にとらわれないイギリスの建築家の自由な考え方がよくうかがえる。」[1]
 
[[外陣]]の幅は23m、[[身廊]]の天井高さは25mである。
 
東端部の奥内陣(1220~25)は3廊等高のヴォールトを架けた広間であるが、そのヴォールトを支えるピアはとても細いパーベック大理石の円柱を組み合わせたものである。このような軽やかしさはほかの建築では似た例がない特徴的なものである。
 
== 参考文献 ==
[1]彰国社刊 『西洋建築史図集 三訂版』 日本建築学会編 p.160
 
 
== ギャラリー ==