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かなり難しくなってしまいました。m(_ _)m
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# 四十華厳 40巻 般若([[8世紀]]-[[9世紀]])訳 (大正蔵 10-661-851) 前2本の入法界品にあたる。
 
== 歴史的背景 ==
===教学===
華厳経は少なくとも十地品、入法界品、性起品などはインドで成立し独立経典として流布していた。華厳経が集大成され大部なものとなったのは4世紀半ばごろ中央アジアではないかと考えられている。中国には5世紀、晋の時代に仏駄跋陀羅が「六十華厳」を訳し、さらに唐の時代になると実叉難陀により「八十華厳」が訳された。
時代的にも地域的にも広範なので、様々な変容がある。中心になるのは、この世界の[[実相]]は個別具体的な'''事'''が、相互に関係しあって成立しており、無限に[[縁起]]しあっている。この実相を4つの[[法界]]に分け、仏のさとった実相のすがたを'''事々無礙法界'''といい、個々の現象の事法は重々無尽で相似関係にあるとする。また、'''華厳'''では仏の側から見るので、'''三性説'''もまた[[唯識]]とは異なり、仏から順に'''[[円成実性]]'''、'''[[依他起性]]'''、'''[[遍計所執性]]'''と説かれる。
 
華厳宗の初祖は[[杜順]](557-640)と言われるが神秘的なベールに覆われた人物であまり理論的な貢献はしていない。二祖・[[智儼]](602-668)は「華厳孔目抄」「華厳五十要問答」「華厳一乗十玄門」などを著し華厳宗の思想を整備し、さらに三祖・賢首大師・[[法蔵]](647-712)は「華厳金獅子章」、「華厳探玄記」「[[華厳五教章]]」などを著し、思想的に体系化した。第四祖は[[澄観]]、五祖は[[宗密]]である。
[[教相判釈]]は論者ごとに様々あるが、[[天台宗]]系のそれでは、華厳経は仏のさとったままの言葉を記したもので、[[凡夫]]には理解しがたいものとする。これはもちろん全ての経典は釈尊の教えそのものであると信じた[[智顗]](ちぎ)(538-597、天台智者大師)が、分かり易い言葉で一乗成仏を説く[[法華経]]を最高の境地と判断した上での解釈である。
===教学===
時代的にも地域的にも広範なので、様々な変容がある。
=== 重々無尽の縁起 ===
時代的にも地域的にも広範な華厳思想で、様々な変容がある。中心になるのは、この世界の[[実相]]は個別具体的な''''''が、相互に関係しあって成立しており、い([[相即相入]])無限に重なりあっているという考え方([[重々無尽の縁起]])でっている。この実相を4つの[[見方・'''四法界]]'''に分け、仏る。我々さとった実相通常すがたものの見方を'''事法界'''、[[自性]]・[[空]]の見方である'''理法界'''といい個々無自性・空世界と具体的個物や現象が妨げあわず共存する'''理無礙界'''、そして最後に重々「理」すなわち「尽で相似関係自性・空」も消え去り、ただ事物と事物が融通無碍共存す'''事々無礙法界'''いう見方に到達する。また、'''華厳'''では仏の側から見るので、'''[[三性説''']]もまた[[唯識]]とは異なり逆に、仏の側から順に'''[[円成実性]]'''、'''[[依他起性]]'''、'''[[遍計所執性]]'''と説かれる。
=== 性起説 ===
[[仏性]]についての考え方では天台宗が[[性具説]]を説き凡夫が次第に修行によって仏性に目覚めて行くと説くのに対し、華厳宗では[[性起説]]を説き、もともと衆生には円満な仏性が備わっているとする。[[鎌田茂雄]]はこの考え方が[[道元]]の仏性観、修行観(修証一味)に影響していると指摘している。
=== 華厳経の位置づけ ===
[[天台宗]]の[[教相判釈]](経典の内容を分析し、成立の順序や内容の高低を判定する)・[[五時八教の教判]]([[天台大師智顗]]による)では、華厳経は最初に説かれ、仏のさとったままの言葉を記したもので、[[凡夫]]には理解しがたいものとしている。華厳宗では[[賢首大師法蔵]]が[[華厳五教章]]のなかで[[五教十宗判]]の教相判釈を行い、華厳経および華厳宗を最高の教え([[別教一乗]])と位置づけている。
== 参考文献 ==
*江部鴨村「口語全訳華厳経」国書刊行会
*鎌田茂雄、上山春平「無限の世界観・華厳」角川ソフィア文庫
*鎌田茂雄「華厳の思想」講談社文庫
*竹村牧男「華厳とは何か」春秋社
*玉城康四郎「華厳入門」春秋社
 
==関連項目==