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{{Infobox Film|
| 作品名 = 蜘蛛巣城
| 原題 = Throne of Blood
| 画像 =Throne of Blood logo.jpg
| 画像サイズ =240px
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| 制作費 =
| 興行収入 =
| 配給収入 = 1億9800万円
| 前作 =
| 次作 =
}}
『'''蜘蛛巣城'''』(くものすじょう)は、[[1957年]]
== あらすじ ==
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嵐の夜、浅茅は死産し、国丸、則安、義照を擁した乾の軍勢が攻め込んできたという報が入る。無策の家臣たちに苛立った武時は、轟く雷鳴を聞いて森の老婆のことを思い出し、一人蜘蛛手の森へ馬を走らせる。現れた老婆は「蜘蛛手の森が城に寄せて来ぬ限り、お前様は戦に敗れることはない」と予言する。蜘蛛巣城を包囲され動揺する将兵に、武時は老婆の予言を語って聞かせ、士気を高めるが、野鳥の群れが城に飛び込むなど不穏な夜が明けた翌日、浅茅は発狂し、手を「血が取れぬ」と洗い続ける。そして寄せてくる蜘蛛手の森に恐慌をきたす兵士たち。持ち場に戻れと怒鳴る武時めがけて、味方達の中から無数の矢が放たれる。
== キャスト ==
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* 幻の武者C:[[中村伸郎]]<small>(特別出演)</small>
==
* 監督:黒澤明
* 製作:[[黒澤明]]、[[本木荘二郎]]
* 脚本:[[小国英雄]]、[[橋本忍]]、[[菊島隆三]]、黒澤明
* 原作:[[ウィリアム・シェイクスピア]](『[[マクベス (シェイクスピア)|マクベス]]』より)※クレジット無し
* 撮影:[[中井朝一]]
* 美術:[[村木与四郎]]
* 録音:[[矢野口文雄]]
* 照明:[[岸田九一郎]]
* 美術監修:[[江崎孝坪]]
* 音楽:[[佐藤勝]]
* 監督助手:[[野長瀬三摩地]]
* 特殊技術:東宝特殊技術部{{Refnest|group="注釈"|[[竹内博]]によれば、森が動き出すシーンは[[円谷英二]]の[[特撮]]であるという。}}
* 製作担当者:根津博
* 流鏑馬指導:金子家教(大日本弓馬会範士)、遠藤茂(大日本弓馬会教士)
== 製作 ==
=== 企画 ===
[[黒澤明]]は[[1950年]]の『[[羅生門 (1950年の映画)|羅生門]]』公開直後に、[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の『[[マクベス (シェイクスピア)|マクベス]]』を翻案した作品を構想していたが、この頃に[[オーソン・ウェルズ]]が『[[マクベス (1948年の映画)|マクベス]]』を映画化していたため延期した<ref name="大系2解説1">[[浜野保樹]]「解説・世界のクロサワと挫折―『蜘蛛巣城』」({{Harvnb|大系2|2009|p=685}})</ref>。さらにそれ以前の[[1949年]]、[[木下惠介]]に[[阪東妻三郎]]主演の企画を考えて欲しいと頼まれたときに、黒澤は『マクベス』を[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に置き換えたものを提案していた<ref name="大系2解説1"/>。その時黒澤は、「ぼくが『マクベス』をやってみようと思ったのは、ドラマをやるならせめて一ぺんはシェイクスピアをと思ってね。ああいうものをやってみなくては勉強にならないし、あんなドラマは日本にはないでしょう」と語っている<ref>黒澤明、[[木下惠介]]「こんな映画をつくりたい」『映画ファン』1949年7月号、映画世界社、1949年、16頁。</ref>。
[[1956年]]初頭、[[東宝]]と3本の製作契約を残していた黒澤は、それらを監督ではなくプロデューサーとして手がけ、別の監督に撮らせることで契約本数を消化しようとした<ref name="大系2解説2">浜野保樹「解説・世界のクロサワと挫折―時代劇三部作」({{Harvnb|大系2|2009|pp=683-684}})</ref>{{Sfn|鈴木|2016|pp=201-205}}。その第1作として本作を企画し、[[小國英雄]]、[[菊島隆三]]、[[橋本忍]]とともに脚本を執筆した{{Sfn|鈴木|2016|pp=201-205}}。しかし、脚本が完成すると予想以上にスケールの大きな企画となり、東宝の経営陣も製作費がかかるため、黒澤自身が監督することを要求した<ref name="大系2解説2"/>。黒澤も新たな企画を立てるよりも自分で監督することを選び、プロデューサーにも名を連ねた<ref name="大系2解説2"/>。結局、残る2本の企画も黒澤監督で[[1958年]]に『[[隠し砦の三悪人]]』、[[1961年]]に『[[用心棒]]』として映画化することになった{{Sfn|鈴木|2016|pp=201-205}}。
==
[[File:Making of Throne of Blood Scan10020-1.jpg|thumb|
浅芽発狂の場面は、ステージの中での撮影だが、わざわざ日中を避けて深夜に撮影
劇中で伝令の男が城門を叩く場面では、当初土屋嘉男が推薦した俳優が演じていたが、「演技が嘘っぽい」として黒澤監督が気に入らず、数日を費やしたため、監督直々の頼みで土屋が[[吹き替え]]をすることとなった
三船演
==
{{multiple image|footer=三船演じる鷲津武時は「平太」(左)、山田演じる浅芽は「曲見」(右)の[[能面]]の表情を元にした。|total_width=210 |image1= Giappone, periodo edo, maschera no di tipo heita, XVII sec..JPG |alt1=平太 |image2= Periodo edo, maschera noh, tipo shakumi, XVII-XVIII sec.JPG |alt2=曲見 }}
本作では作品の構成や人物の表情や動き、撮影技法などに[[能]]の様式美を取り入れている{{Sfn|都築|2010|p=277}}。登場人物の表情は[[能面]]を参考にしており、三船演じる鷲津武時は「平太(へいだ){{Refnest|group="注釈"|「平太」は荒武者の亡霊に用いる専用面で、鎌倉時代の武将荏柄平太胤長の顔を写したとされる<ref>[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/183025 能面 平太]</ref>。}}」、山田演じる浅芽は「曲見(しゃくみ){{Refnest|group="注釈"|「曲見」は狂女物の人妻や母に使われる。}}」を元にしている{{Sfn|都築|2010|p=277}}{{Sfn|研究会|1999|p=359}}。鷲津は謀反のシーン、浅芽は発狂のシーンでそれぞれの面の表情をしている{{Sfn|都築|2010|p=277}}。また、[[浪花千栄子]]演じる物の怪の老婆は『[[黒塚 (能)|黒塚]]』の糸車を回す老婆をモデルにしている{{Sfn|研究会|1999|p=359}}。
物語の構成は、[[シテ]]の亡霊が現れ、過去の罪業を語って去っていくという夢幻能の形式を借用して、蜘蛛巣城址から往時の城が現れ、武時が自滅して舞台から去っていく一部始終を物語るという構成にした{{Sfn|都築|2010|p=277}}。冒頭では[[地謡]]のような男性コーラスを流している{{Sfn|研究会|1999|p=359}}。撮影も能の形式を生かすため[[ロングショット|ロング]]のフルショットを多用し、全身の動作で感情を表現した{{Sfn|都築|2010|p=277}}。
能の評論家である[[戸井田道三]]は、「映画『蜘蛛巣城』が能をとりいれているのは、われわれにはたいへん見やすいことだ。マクベス夫人にあたる山田五十鈴が、すり足で歩いたり片ひざ立てて坐ったりするところがそうだし、マクベスにあたる三船敏郎が主殺しを決行するため別室にさり、山田五十鈴がひとり不安と期待とに部屋を行ったりきたりするときの伴奏は能の囃子だ。殺された武将たちの扮装は、みんな二番目[[修羅能]]の後シテと同様に[[法被]]・半切をつけている」と指摘している<ref>{{Cite book |和書 |author=[[佐藤忠男]]|date=2002-10 |title=黒澤明作品解題 |series=岩波現代文庫 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=9784006020590 |pages=208-209}}</ref>。
黒澤は[[鎧]][[兜]]を付けた映画「ヨロイ物」の衣装の改革も試みた。これまでヨロイ物は、甲冑が重くて俳優の身動きが緩慢になるうえに、兜で顔が隠れて登場人物の見分けがつきにくいという欠点があり、ヨロイ物は当たらないというジンクスがあった<ref name="大系2解説1"/>。黒澤はそのジンクスに挑戦するため、『七人の侍』で時代考証を担当した[[江崎孝坪]]に美術監修を依頼した{{sfn|大系2|2009|loc=口絵}}。甲冑は黒澤がアイデアを述べ、江崎がデザインを描き、それを元に[[甲冑師]]の明珍宗恭が制作した{{sfn|大系2|2009|loc=口絵}}<ref>{{Cite web |url=https://yab.yomiuri.co.jp/adv/wol/culture/090909.html |title=明珍コレクションについて—日本中世の武士たちの「もののあはれ」— |website=読売新聞 |accessdate=2020年8月11日}}</ref>。黒澤は史実から逸脱しない程度に鎧兜を改良し、従来の時代劇よりもスマートなものにすることで、素早いアクションを可能にさせた<ref name="大系2解説1"/>{{sfn|大系2|2009|loc=口絵}}。
== 公開 ==
1957年1月15日、本作は日本国内で劇場公開された<ref name="メモ"/>。配給収入は1億9800万円で、1956年4月から1957年3月までの1年間の配給収入ランキングで2位となる興行成績を収めた{{Sfn|85回史|2012|p=128}}。
同年10月16日、第1回[[ロンドン映画祭]]のオープニング作品として上映され、黒澤もこれに出席した<ref name="海外渡航">黒澤明「ロンドン・パリ十日間」(キネマ旬報1957年12月上旬号)。{{Harvnb|大系2|2009|pp=287-294}}に所収</ref>。その直後に{{仮リンク|ディリス・パウエル|en|Dilys Powell}}家で行われたパーティーで、黒澤は[[ローレンス・オリヴィエ]]と[[ヴィヴィアン・リー]]の夫妻と会食し、オリヴィエは本作でマクベス夫人を妊娠させ、その上死産で発狂させたことや、最後にマクベスが矢で殺されるところなどを評価した。ヴィヴィアンも山田五十鈴の演技に興味を持ち、動きの少ない演技や発狂するときの[[メーキャップ]]について熱心に質問した<ref name="海外渡航"/>。
== 評価 ==
=== 批評家の反応 ===
本作は批評家から高く評価され、第31回[[キネマ旬報ベスト・テン]]で4位にランクした{{Sfn|85回史|2012|pp=138,146}}。アメリカの映画批評家{{仮リンク|レオナルド・モルティン|en| Leonard Maltin}}は本作に最高評価の4つ星を与えた<ref>{{cite book |last=Maltin |first=Leonard |title=Leonard Maltin's 2015 Movie Guide |location= |publisher=Penguin Group |date=September 2014}}</ref>。海外のシェイクスピア研究家からも高く評価されており、アメリカの文学批評家[[ハロルド・ブルーム]]は「マクベスの最も成功した映画版」と評し<ref>{{Citation |last=Bloom |first=Harold |title=Shakespeare: The Invention of the Human |location=New York |publisher= |date=1999 |page=519}}</ref>、イギリスの映画研究家[[ロジャー・マンベル]]は「私自身を含めた多くの映画関係者たちが、シェイクスピアの映画化作品中、最も優れた映画の一つで、その精神においても最も正確な作品だと考えている」と評した<ref>{{Citation|和書 |author=狩野良規 |date=2001-9 |title=映画になったシェイクスピア シェイクスピア映画への招待 |publisher=三修社 |isbn=9784384011784 |page=250}}</ref>。
映画批評集積サイトの[[Rotten Tomatoes]]には43件のレビューがあり、批評家支持率は95%で、平均点は8.76/10という高評価を獲得している。サイト側による批評家の見解の要約は「黒澤明のキャリアの最高点、そしてシェイクスピア劇の最高の映画化の一つ」となっている<ref>{{Cite web |url=https://www.rottentomatoes.com/m/throne_of_blood |title=THRONE OF BLOOD |website=[[Rotten Tomatoes]] |language=英語 |accessdate=2020年8月11日}}</ref>。
=== 受賞とノミネートの一覧 ===
{| class="wikitable" style="font-size: 95%"
|-
!賞!!部門!!対象!!結果!!出典
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|[[ヴェネツィア国際映画祭]]||[[金獅子賞]]||黒澤明||{{nom}}||<ref>{{Cite web |url=https://www.imdb.com/title/tt0050613/awards?ref_=tt_awd |title=Awards - Throne of Blood | website=IMDb |language=英語 |accessdate=2020年8月11日}}</ref>
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|リスボン映画祭||特別賞||||{{won}}||{{Sfn|研究会|1999|p=394}}
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|rowspan="2"|[[キネマ旬報ベスト・テン]]||日本映画ベスト・テン||||{{draw|4位}}||rowspan="2" |{{Sfn|85回史|2012|pp=138,146}}
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|女優賞||[[山田五十鈴]]||{{won}}
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|rowspan="2"|[[毎日映画コンクール]]||男優主演賞||[[三船敏郎]]||{{won}}||rowspan="2" |<ref>{{Cite web |url=https://mainichi.jp/mfa/history/012.html |title=毎日映画コンクール 第12回(1957年) | website=[[毎日新聞]] |accessdate=2020年8月11日}}</ref>
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|美術賞||[[村木与四郎]]||{{won}}
|-
|rowspan="2"|[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]||邦画ベスト10||||{{draw|7位}}||rowspan="2"|<ref>{{Cite web |url=http://cinemahochi.yomiuri.co.jp/b_award/1957/ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131230231655/http://cinemahochi.yomiuri.co.jp/b_award/1957/ |archivedate=2013/12/30 |title=ブルーリボン賞ヒストリー 第8回(1958年2月11日) | website=シネマ報知 |accessdate=2020年8月11日}}</ref>
|-
|技術賞||村木与四郎||{{won}}
|-
|[[映像技術賞|日本映画技術賞]]||美術||村木与四郎||{{won}}||<ref>{{Cite web |url=http://www.mpte.jp/outline/kennsyou/technological_prize.html |title=日本映画技術賞 受賞一覧 | website=日本映画テレビ技術協会 |accessdate=2020年8月11日}}</ref>
|-
|[[芸術選奨]]||文部大臣賞(映画部門)||山田五十鈴||{{won}}||<ref>{{Cite web |url=https://prizesworld.com/prizes/various/snsh_eiga.htm#list008 |title=芸術選奨文部科学大臣賞(映画部門)受賞者一覧 | website=文学賞の世界 |accessdate=2020年8月11日}}</ref>
|}
=== ランキング入り ===
[[1988年]]に[[文藝春秋]]が発表した「大アンケートによる日本映画ベスト150」では65位に選ばれた。[[キネマ旬報]]が発表した映画ランキングでは、[[1999年]]発表の「オールタイム・ベスト100 日本映画編」で82位{{Sfn|85回史|2012|p=588}}、[[2009年]]発表の「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」で102位<ref>{{Cite web |url=http://www.kinejun.jp/special/90alltimebest/index.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091215171829/http://www.kinejun.jp/special/90alltimebest/index.html |archivedate=2009-12-15 |title=「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開 |website=[[キネマ旬報映画データベース]] |accessdate=2020年8月11日}}</ref>にランクした。
== その他 ==
* 三船は本作の撮影終了後も、自宅で酒を飲んでいると矢を射かけられたラストシーンを思い出し、あまりにも危険な撮影をさせた黒澤にだんだんと腹が立ち、酒に酔った勢いで[[散弾銃]]を持って黒澤の自宅に押しかけ、自宅前で「こら〜!出て来い!」と叫んだという。[[石坂浩二]]の話によると、このエピソードは東宝で伝説として語り継がれている<ref>2008年11月22日放送「[[SmaSTATION!!]]」出演時に発言</ref>。
* 原作の『マクベス』に登場するマクダフに該当する人物及び彼に関する予言は登場せず、最後も武時(=マクベス)は「マクダフとの一騎打ち」ではなく部下たちの反逆により命を落とす。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{
==参考文献==
*{{Citation |和書 |editor=黒澤明研究会 |date=1999-12 |title=黒澤明 夢のあしあと |series=MOOK21シリーズ |publisher=[[共同通信社]] |isbn=9784764130418 |ref={{SfnRef|研究会|1999}}}}
*{{Cite book |和書 |author=鈴木義昭 |date=2016-8 |title=「世界のクロサワ」をプロデュースした男 本木荘二郎 |publisher=[[山川出版社]] |isbn=9784634150942 |ref={{Harvid|鈴木|2016}}}}
*{{Citation |和書 |editor=丹野達弥 |date=1998-10 |title=村木与四郎の映画美術「聞き書き」黒澤映画のデザイン |publisher=フィルムアート社 |isbn=4845998858 |ref={{SfnRef|丹野|1998}} }}
*{{Cite book|和書 |author=[[土屋嘉男]] |year=1999 |title=クロサワさーん! 黒澤明とその素晴らしき日々 |publisher=[[新潮社]] |isbn=9784104321018 |ref={{SfnRef|土屋|1999}} }}
*{{Cite book |和書 |author=[[都築政昭]]|title=黒澤明 全作品と全生涯 |publisher=[[東京書籍]] |date=2010-03 |isbn=9784487804344 |ref={{SfnRef|都築|2010}} }}
*{{Citation |和書 |editor=[[浜野保樹]] |title=大系黒澤明 第2巻 |publisher=[[講談社]] |date=2009-12 |isbn=9784062155762 |ref={{SfnRef|大系2|2009}} }}
*{{Cite book |和書|editor=|date=2012-05|title=キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011|series=キネマ旬報ムック|publisher=[[キネマ旬報社]]|isbn=978-4873767550|ref={{Harvid|85回史|2012}}}}
== 外部リンク ==
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{{黒澤明監督作品}}
{{DEFAULTSORT:くものすしよう}}
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