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{{Portal クラシック音楽}}
[[File:Tchai1.jpg |right|thumb|210px|交響曲第5番を作曲した頃のチャイコフスキー（1888年）]]
'''交響曲第5番 ホ短調 作品64'''（こうきょうきょくだい5ばん ほたんちょう さくひん64、{{lang-ru|Симфония № 5 ми минор, соч. 64}}）は、[[ロシア]]の作曲家[[ピョートル・チャイコフスキー|ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー]]が作曲した[[交響曲]]である。チャイコフスキーの円熟期にあたる<ref name="クーニン179-180">イ・クーニン（イオシ・フフィリッポビチ・クーニン）著、川岸貞一郎訳『チャイコフスキー伝』、新読書社、1965年10月10日、179-180頁</ref>[[1888年]]の作品であり、[[交響曲第4番 (チャイコフスキー)|交響曲第4番]]ヘ短調作品36とは作曲時期に10年の隔たりがある<ref name="全音スコア5">園部史郎（解説）『チャイコフスキー 交響曲第五番 ホ短調 作品64』、全音楽譜出版社、1980年、ISBN 4-11-891602-9、5頁</ref>{{Refnest|group="注"|この間、1885年には『[[マンフレッド交響曲]]』を作曲している<ref name="伊藤224">伊藤恵子『作曲家◎人と作品 チャイコフスキー』、音楽之友社、2005年6月10日、ISBN 4-276-22185-4、224頁</ref>。}}。
4つの[[楽章]]からなり、演奏時間は約42分<ref name="解説全集121">井上和雄（項目執筆）『最新名曲解説全集 第2巻 交響曲II』、音楽之友社、1979年11月1日、121頁</ref>。一つの主題が全ての楽章に登場し作品全体に統一感を与えている<ref name="音友スコアv">森垣桂一（解説）『チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調 作品64（OGT 2121）』、音楽之友社、2010年8月10日、ISBN 978-4-276-92112-2、v頁</ref><ref name="全音スコア6">園部（1980）、6頁</ref>。この主題は「'''運命'''」を象徴しているとされており<ref name="解説全集121" /><ref name="全音スコア6" /><ref name="音友スコアvii">森垣（2010）、vii頁</ref><ref name="池辺132">池辺晋一郎『チャイコフスキーの音符たち 池辺晋一郎の「新チャイコフスキー考」』、音楽之友社、2014年9月30日、ISBN 978-4-276-20068-5、134頁</ref>、第1楽章の冒頭で暗く重々しく提示されるが<ref name="音友スコアxi">森垣（2010）、xi頁</ref>第4楽章では「運命に対する勝利」を表すかのように輝かしく登場する<ref name="全音スコア21">園部（1980）、21頁</ref><ref name="音友スコアx">森垣（2010）、x頁</ref>といった具合に、登場するつど姿を変える<ref name="伊藤223">伊藤（2005）、223頁</ref>。第1楽章と第4楽章は[[序奏]]と[[コーダ (音楽)|コーダ]]がある[[ソナタ形式]]<ref name="音友スコアvii&x">森垣（2010）、vii頁、x頁</ref>。緩徐楽章である第2楽章は極めて美しい旋律をもち<ref name="池辺134">池辺（2014）、134頁</ref><ref name="クーニン183">クーニン（1965）、183頁</ref>、第3楽章には[[スケルツォ]]の代わりに[[ワルツ]]が置かれている<ref name="解説全集122" >井上（1979）、122頁</ref>。
チャイコフスキーは初演を含めて6回この曲を指揮したが<ref name="伊藤143">伊藤（2005）、143頁</ref>、作品に対する自己評価は揺れ動いた<ref name="伊藤225">伊藤（2005）、225頁</ref>。今日では均整がとれた名作の一つとして高く評価されており<ref name="伊藤225" /><ref name="森田1990-70">森田稔ほか『チャイコフスキー』、ティービーエス・ブリタニカ、1990年9月15日、ISBN 4-484-90302-4、70頁</ref>、交響曲第4番、[[交響曲第6番 (チャイコフスキー)|交響曲第6番『悲愴』]]とともに後期の「三大交響曲」として高い人気を得ている<ref name="金子1">金子建志「チャイコフスキーの初期様式 - 交響曲〈1番〉から〈4番〉へ -」『常葉学園短期大学紀要第40号』、2009年12月、NAID 110007659731、1頁</ref><ref name="池辺130">池辺（2014）、130頁</ref>。
* チャイコフスキーが生きた時代のロシアでは現在の[[グレゴリオ暦]]よりも日付が12日早い[[ユリウス暦]]が使用されていた。本記事においてはグレゴリオ暦を基本とし、文献での日付がユリウス暦で記載されている場合はグレゴリオ暦の後に括弧書きでユリウス暦を併記する。
== 交響曲第4番からの10年 ==
=== 生活 ===
{| class="wikitable floatright"
|+ チャイコフスキーの番号付き交響曲
! 作曲年 !! タイトル
|-
| 1866年 || 交響曲第1番『冬の日の幻想』
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| 1872年 || 交響曲第2番（『小ロシア』）
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| 1875年 || 交響曲第3番（『ポーランド』）
|-
| 1878年 || 交響曲第4番
|-
| '''1888年''' || '''交響曲第5番'''
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| 1893年 || 交響曲第6番『悲愴』
|-
[[File:Tchaikovsky, head-and-shoulders portrait.jpg |right|thumb|160px|チャイコフスキー（撮影：1880～86年頃）]]
[[1866年]]の[[交響曲第1番 (チャイコフスキー)|交響曲第1番『冬の日の幻想』]]以来、チャイコフスキーは数年おきに番号付きの[[交響曲]]を発表しているが、[[交響曲第4番 (チャイコフスキー)|交響曲第4番]]と交響曲第5番の間には10年の開きがある。
[[1878年]]1月（ユリウス暦1877年12月）に交響曲第4番を完成させた後、チャイコフスキーは同年10月に[[モスクワ音楽院]]の教授を辞職し<ref name="森田2008-203">森田稔『ロシア音楽の魅力 - グリンカ・ムソルグスキー・チャイコフスキー - 』、東洋書店、2008年11月25日、ISBN 978-4-88595-803-8、203頁</ref><ref name="森田1993-209">森田稔『新チャイコフスキー考～没後100年によせて』、日本放送出版協会、1993年11月20日、ISBN 4-14-080135-2、209頁</ref>、外国のホテルとロシアの親戚・知人の家を交互に泊まり歩く放浪の作曲家となっていた<ref name="森田1990-85">森田（1990）、85頁</ref>{{Refnest|group="注"|交響曲第4番がロシアで初演された時も、チャイコフスキーはイタリアを旅行中であった<ref name="解説全集116">井上（1979）、116頁</ref><ref name="伊藤118">伊藤（2005）、118頁</ref>。}}。チャイコフスキーは1876年以来[[ナジェジダ・フォン・メック|フォン・メック夫人]]から経済的な支援を受けおり、自由な生活を続けながら作曲に専念することができたのである<ref name="ロシア音楽史228">フランシス・マース著、森田稔ほか訳『ロシア音楽史 - 《カマーリンスカヤ》から《バービイ・ヤール》まで』、春秋社、2006年3月20日、ISBN 4-393-93019-3、228頁</ref>。
この時期には、チャイコフスキーの作曲家としての名声はロシア国内において確立され<ref name="小松下105">小松祐子『チャイコーフスキイ伝 下巻』、フクイン、2017年6月15日、ISBN 978-4-286-18185-1、105頁</ref>{{Refnest|group="注"|1881年に即位した皇帝[[アレクサンドル3世]]はチャイコフスキーに好意的であり<ref name="伊藤138">伊藤（2005）、138頁</ref>、1884年3月には{{仮リンク|聖ウラジーミル勲章|en|Order of Saint Vladimir}}を与え<ref name="伊藤138" />、それ以降チャイコフスキーを保護した<ref name="ロシア音楽史230">マース（2006）、230頁</ref>。}}、作品はニューヨークやロンドンでも演奏されるようになった<ref name="小松下34">小松（2017）下、34頁</ref>。ただし、放浪中のチャイコフスキーが自由を謳歌していたかと言うと決してそうではなく、精神的な支えであった友人[[ニコライ・ルビンシテイン]]の死、経済的な後ろ盾であるフォン・メック夫人破産の噂、妹アレクサンドラの家庭崩壊{{Refnest|group="注"|アレクサンドラの長女タチヤーナは婚約が破棄されたことをきっかけに[[モルヒネ]]中毒となり、さらには未婚で妊娠してしまう。妊娠を家族に悟られないため、タチヤーナはパリに滞在していたチャイコフスキーの元に身を寄せ、パリで出産した<ref name="小松下170-173">小松（2017）下、170-173頁</ref><ref name="伊藤127-128">伊藤（2005）、127-128頁</ref>。}}、進展しない離婚問題{{Refnest|group="注"|チャイコフスキーは1877年7月に[[アントニーナ・ミリューコヴァ]]と結婚するが<ref name="森田1993-320">森田（1993）、320頁</ref>、およそ2か月で妻の元を逃げ出した<ref name="ロシア音楽史221">マース（2006）、221頁</ref>。}}などはチャイコフスキーの精神を不安定にしていた<ref name="小松下160">小松（2017）下、160頁</ref>。
やがてチャイコフスキーはロシアの村で残りの人生を過ごしたいと考えるようになり<ref name="小松下206">小松（2017）下、206頁</ref>、[[1885年]]2月に[[モスクワ]]から北に約80km離れたマイダーノヴォ（Майданово）に家を借り<ref name="森田1990-68">森田（1990）、68頁</ref>、6年以上に及んだ放浪生活に終止符を打った{{Refnest|group="注"|寺西（1984）では、妻から逃亡した時期も含め、放浪生活を8年間としている<ref name="寺西1984-110">寺西（1984）、110頁</ref>。}}{{Refnest|group="注"|2月22日（ユリウス暦2月10日）にはロシア音楽協会モスクワ支部の理事長に選ばれている<ref name="森田1993-267">森田（1993）、267頁</ref>。}}。その後、[[1888年]]5月（ユリウス暦4月）にはさらに良い環境を求めて<ref name="森田1990-70" />マイダーノヴォから{{仮リンク|フローロフスコエ|ru|Фроловское (городской округ Клин)}}に移り住み<ref name="森田1993-282">森田（1993）、282頁</ref>、交響曲第5番はこの地で作曲された<ref name="寺西1984-115">寺西（1984）、115頁</ref>{{Refnest|group="注"|フローロフスコエには1891年5月まで住んだ<ref name="森田1993-282" />。なお、この家は第二次世界大戦中の1941年に焼失し現存していない<ref name="小松下296">小松（2017）下、296頁</ref>。}}。
=== 創作活動 ===
交響曲第4番から交響曲第5番までの間の10年については、チャイコフスキーがスランプに陥っていた「低迷期」であるとする評価がかつてあり<ref name="森田1990-59">森田（1990）、59頁</ref><ref name="寺西1984-174">寺西春雄『チャイコフスキー 大音楽家 人と作品11』、音楽之友社、1984年11月20日、ISBN 4-276-22011-4、174頁</ref>、管弦楽のための組曲{{Refnest|group="注"|[[組曲第1番 (チャイコフスキー)|組曲第1番]]（1879年）、[[組曲第2番 (チャイコフスキー)|組曲第2番]]（1883年）、[[組曲第3番 (チャイコフスキー)|組曲第3番]]（1884年）、[[組曲第4番 (チャイコフスキー)|組曲第4番『モーツァルティアーナ』]]（1887年）の4曲。}}や『[[弦楽セレナーデ (チャイコフスキー)|弦楽セレナーデ]]』といった複数の楽章で構成される作品は、交響曲を書きたくても書けなかったことから生まれたものであるとも言われていた<ref name="寺西1984-107">寺西（1984）、107頁</ref><ref name="クーニン154">クーニン（1965）、154頁</ref>。
しかし、実際には、管弦楽のための組曲第1番～第4番（1879年～1887年）、[[ピアノ協奏曲第2番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第2番]]（1880年）、『[[イタリア奇想曲]]』（1880）、『弦楽セレナーデ』（1880年）、[[1812年 (序曲)|序曲『1812年』]]（1880年）、[[ピアノ三重奏曲 (チャイコフスキー)|ピアノ三重奏曲『偉大な芸術家の思い出に]]』（1882年）、オペラ『[[マゼッパ (オペラ)|マゼッパ]]』（1883年）、『[[マンフレッド交響曲]]』（1885年）、オペラ『[[チェレヴィチキ]]』（1887年）などの作品が完成しているように、着実に創作は続けられており<ref name="森田1990-59" />、この時期のチャイコフスキーは、晩年における更なる飛躍{{Refnest|group="注"|交響曲第5番を作曲した後、残り5年の生涯において、チャイコフスキーはバレエ音楽『[[眠れる森の美女 (チャイコフスキー)|眠りの森の美女]]』、オペラ『[[スペードの女王#オペラ|スペードの女王]]』、バレエ音楽『[[くるみ割り人形]]』、[[交響曲第6番 (チャイコフスキー)|交響曲第6番『悲愴』]]などを作曲している。}}のために試行錯誤を続けていたと考えられている<ref name="森田1990-59" /><ref name="金子1" />。なお、ロシア音楽の研究者フランシス・マースは、1880年代のチャイコフスキーを、この時期におけるロシアの最大の作曲家と評価している<ref name="ロシア音楽史265">マース（2006）、265頁</ref>。
== 作曲の経過 ==
=== 作曲ノートに見られる初期の構想 ===
チャイコフスキーが音楽のアイデアや生活に関するメモを記した作曲ノートは19冊が残っており<ref name="森田2008-221">森田（2008）、221頁</ref>、[[1887年]]夏から1888年春にかけて書かれた4冊目のノートには<ref name="音友スコアv" />、同じ時期に作曲が進められた『[[ハムレット]]』に基づく舞台音楽{{Refnest|group="注"|この音楽は幻想序曲『[[ハムレット (チャイコフスキー)|ハムレット]]』として、交響曲第5番の2か月後に完成している<ref name="森田1993-283">森田（1993）、283頁</ref>。}}と交響曲第5番の構想が記されている<ref name="森田1993-283">森田（1993）、283頁</ref>。そこに見られるワルツ主題（第3楽章）の原案は1887年8月に書かれたものと考えられており<ref name="音友スコアv" /><ref name="森田1993-281" />{{Refnest|group="注"|作曲ノートのワルツ主題のそばにある「フルーツに57フラン半! <ref name="森田1993-281" />」という書き込みが、1887年8月12日（ユリウス暦8月5日）の日記にある「税関でフルーツと菓子パン<ref name="森田1993-281" />」という記載と関連があるものとして推測されている<ref name="森田1993-281" />。}}、作曲の約1年前に着想があったことになる。また、後に「運命の主題」と呼ばれる主題の原案もあり、これは同年秋のものと考えられている<ref name="音友スコアv" />。
ノートには楽譜のみならず言葉でもアイデアが記されており、第2楽章の原案の一部と見られる楽譜には次のような言葉が添えられている<ref name="音友スコアv" />。
{{Quotation|慰め、ひとすじの光……いや、希望はない<ref name="音友スコアv" /> }}
チャイコフスキー自身は、交響曲第5番に [[標題音楽|標題]]（プログラム。一定の叙述的な内容のこと<ref name="解説全集115">井上（1979）、115頁</ref>）は存在しないと後に述べているが<ref name="ロシア音楽史258">マース（2006）、258頁</ref>、以下に示すノートの書き込みは交響曲第5番につながる標題であると考えられている><ref name="音友スコアv" /><ref name="全音スコア6" /><ref name="森田1993-281" /><ref name="ロシア音楽史258" /
{{Quotation|序奏。運命の前での、あるいは同じことだが、人に計り難い神の摂理の前での完全な服従。アレグロ、I. XXXに対する不満、疑い、不平、非難。II. 信仰の抱擁に身を委ねるべきではないか??? もし実現できれば、すばらしい標題だ<ref name="音友スコアv" /> }}
この標題については『ハムレット』との関連や{{Refnest|group="注"|2006年にロシアで出版されたチャイコフスキーの作品カタログによる<ref name="森田2008-245">森田（2008）、245頁</ref>。}}<ref name="森田2008-221">森田（2008）、221頁</ref>、次に述べる1887年夏のアーヘンにおける体験との関連が指摘されている<ref name="ロシア音楽史258" /><ref name="森田1993-281">森田（1993）、281頁</ref>。
=== アーヘンでの体験 ===
1887年7月、かねてからの友人ニコラーイ・ドミートリエヴィッチ・コンドラーチエフが病のために死期が近づいていると知ったチャイコフスキーは<ref name="森田1993-277">森田（1993）、277頁</ref>{{Refnest|group="注"|チャイコフスキーとコンドラーチエフは1867年に知り合い<ref name="小松上209">小松祐子『チャイコーフスキイ伝 上巻』、フクイン、2017年6月15日、{{ISBN2| 978-4-286-18184-4}} 209頁</ref>、1871年以降、チャイコフスキーはウクライナのニズィにあるコンドラーチエフの別荘に何度も滞在し<ref name="森田1993-312">森田（1993）、312頁</ref>、オペラ『[[鍛冶屋のヴァクーラ]]』のスケッチ（1874年）<ref name="森田1993-315">森田（1993）、315頁</ref> や[[交響曲第3番 (チャイコフスキー)|交響曲第3番]]のオーケストレーション（1875年）<ref name="森田1993-316">森田（1993）、316頁</ref>を行っている。コンドラーチエフは[[梅毒]]を患っていた<ref name="小松下84-85">小松（2017）下、84-85頁</ref>。}}、コンドラーチエフが療養中であったドイツの[[アーヘン]]に向かった<ref name="森田1993-277" />。アーヘンには7月27日（ユリウス暦7月15日）から9月6日（ユリウス暦8月25日）までの約40日間滞在し<ref name="森田1993-277" /><ref name="小松下269">小松（2017）下、269頁</ref>、ここで終末期のコンドラーチエフに付き添った<ref name="森田1993-278">森田（1993）、278頁</ref>{{Refnest|group="注"|コンドラーチエフは、チャイコフスキーがマイダーノヴォに帰ってから1か月後に亡くなっている<ref name="小松下271">小松（2017）下、271頁</ref>。}}。チャイコフスキーはアーヘンから戻った後に以下のように記している。
{{Quotation|アーヘンでの六週間、命運がつきながら死ぬこともできず、ひどく悩み苦しんでいる人間との生活は、言葉にならない程苦しいものでした。これは私の人生の最も暗い部分の一つでしょう。人生に疲れ、悲しい無気力に陥り、私自身ももうすぐ死ぬかもしれないという感情と、死が近づくことで私自身の人生において重要で本質的なものを成している全てが、小さな詰まらない、そして全く目的の無いもののような気がしているのです。<ref name="小松下272">小松（2017）下、272頁</ref>|1887年9月12日（ユリウス暦8月31日）付けでフォン・メック夫人に宛てた手紙<ref name="小松下272" />}}
{{Quotation|僕の宗教は限りなく明白になった。この間、僕は神について、生と死について、とくにアーヘンでは、何のために、どうやって、なぜ? が、私の中でしばしば起こり、不安気に飛びかうのかという、宿命的な問題についてたくさん考えた<ref name="森田1993-278" />。|1887年10月3日（ユリウス暦9月21日）付けの日記<ref name="森田1993-278" />}}
アーヘンでは、死に怯える病人に接し続けたことでチャイコフスキー自身も精神的に不安定になり体調も壊した<ref name="小松下270">小松（2017）下、270頁</ref>。しかし、ここでの体験はチャイコフスキーが死や宗教に対する思索を深めるきっかけとなり<ref name="森田1993-278" />、そのことが以降の作品や、前述した交響曲の標題に影響を与えていると考えられている<ref name="森田1993-281" /><ref name="ロシア音楽史258" />。
=== 指揮者としてのヨーロッパ演奏旅行 ===
[[File:JohannTheodor FriedrichAvé-Lallemant (cropped).jpg|right|thumb|160px|交響曲第5番を献呈されたアヴェ＝ラルマン]]
1887年1月に自作のオペラ『チェレヴィチキ』の初演で指揮者として本格的にデビューしたチャイコフスキーは<ref name="森田1990-76">森田（1990）、76頁</ref>{{Refnest|group="注"|チャイコフスキーは1868年にオペラ『[[地方長官 (オペラ)|地方長官]]』の抜粋を指揮をしているが、この時は緊張のあまりオーケストラに何も指示を与えることができなかった<ref name="小松上131">小松（2017）上、131頁</ref>。}}、前述のアーヘンでのできごとの後、12月には指揮者として初のヨーロッパ演奏旅行に出発<ref name="森田1993-278" />。翌1888年3月にかけて[[ライプツィヒ]]、[[ハンブルク]]、[[ベルリン]]、[[プラハ]]、[[パリ]]、[[ロンドン]]などの各都市で成功をおさめるとともに<ref name="森田1993-280">森田（1993）、280頁</ref>、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]、[[エドヴァルド・グリーグ|グリーグ]]、[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]、[[リヒャルト・シュトラウス]]、[[ジュール・マスネ|マスネ]]、[[レオ・ドリーブ|ドリーブ]]といった作曲家や各地の演奏家と交流した<ref name="小松下284">小松（2017）下、284頁</ref><ref name="森田1993-346-348">森田（1993）、346-348頁</ref>。
この演奏旅行中、ハンブルクでは同地のフィルハーモニー協会理事長{{仮リンク|テオドール・アヴェ＝ラルマン|en|Theodor Avé-Lallemant}}に出会い、親交を深めた<ref name="小松下285">小松（2017）下、285頁</ref>。84歳にしてハンブルク音楽界の重鎮であるアヴェ＝ラルマンは大のロシア嫌いであり<ref name="伊藤146">伊藤（2005）、146頁</ref>、チャイコフスキーの音楽に対しても[[打楽器]]がやかましいなどとして否定的であった<ref name="小松下285" /><ref name="伊藤146" />。しかし、アヴェ＝ラルマンはチャイコフスキーにドイツの優れた作曲家にも通じる資質を認め<ref name="伊藤146" />、ロシアを捨ててドイツに移住することを熱心に勧めたという<ref name="小松下286">小松（2017）下、286頁</ref>。後に交響曲第5番が完成すると、チャイコフスキーは当初交響曲を献呈してようと考えていたグリーグではなく<ref name="ハンブルク版XIII"> Christopu Flamm, "''PJOTR ILJITSCH TSCHAIKOWSKY SYMPHONIE NR. 5 (Studirnpartitur)'' ",Breitkopf & Härtel, 2018 ,ISMN 979-0-004-21369-8, p. XIII</ref>アヴェ＝ラルマンに作品を献呈した<ref name="森田2008-221-222">森田（2008）、221-222頁</ref>{{Refnest|group="注"|グリーグとはライプツィヒで出会い意気投合していた<ref name="森田1990-79">森田（1990）、79頁</ref>。なお、グリーグには交響曲第5番ではなく幻想序曲『ハムレット』を献呈している<ref name="ハンブルク版XIII" />。}}。その理由については、ハンブルク滞在中における細やかに気配りに感動したからとも<ref name="森田2008-221-222" />、彼のロシア音楽に対する見方を変えたかったからとも言われる<ref name="伊藤148">伊藤（2005）、148頁</ref>。
=== 着手から完成まで ===
ヨーロッパ演奏旅行の帰路、チャイコフスキーは弟{{仮リンク|アナートリィ|ru|Чайковский, Анатолий Ильич}}が控訴院の検察官として赴任していた[[トビリシ|ティフリス]]（現在の[[ジョージア (国)|ジョージア]]の首都トビリシ）に立ち寄り<ref name="森田1990-76">森田（1990）、76頁</ref>、4月7日（ユリウス暦3月26日）から4月26日（ユリウス暦4月14日）までの3週間をそこで過ごした<ref name="森田1993-348">森田（1993）、348頁</ref>。ここから弟[[モデスト・チャイコフスキー|モデスト]]やフォン・メック夫人にあてた手紙では、夏に新しい交響曲を作曲するつもりであると述べているが<ref name="森田1993-282">森田（1993）、282頁</ref><ref name="森田1993-281" />{{Refnest|group="注"|「夏には必ず交響曲を書くだろう<ref name="小松下298">小松（2017）下、298頁</ref>」4月9日（ユリウス暦3月28日）付けのモデストへの手紙<ref name="小松下298" />}}{{Refnest|group="注"|「夏と秋はフローロフスコエから何処にも出掛けないで、たくさんの仕事をしたいのです。･･････新しい交響曲を考えております<ref name="小松下298" />」4月25日（ユリウス暦4月13日）付けのフォン・メック夫人への手紙<ref name="小松下298" />}}、5月27日（ユリウス暦5月15日）でモデストにあてた手紙では、様々な校訂作業があるために交響曲にはまだ着手できていないと報告している<ref name="森田1993-282" />。
ところが、そのわずか4日後に書かれた5月31日（ユリウス暦5月19日）付けのモデストあての手紙には「目下、役に立たなくなった自分の脳味噌から、苦心惨憺して交響曲を絞り出すことを始めようとしている。<ref name="森田1993-282" />」とあることから、この日以降、作曲の作業に取りかかったものと考えられている<ref name="森田1993-282" />。チャイコフスキーはここから約1か月の間に全曲のスケッチを完成させ{{Refnest|group="注"|6月29日（ユリウス暦6月17日）に全曲のスケッチを完成させている<ref name="音友スコアv" />。}}、引き続きオーケストレーションに取りかかり、8月26日（ユリウス暦8月14日）に作品を完成させている<ref name="音友スコアv" />{{Refnest|group="注"|完成直後の9月1日（ユリウス暦8月20日）には、チャイコフスキーは『眠りの森の美女』の台本を手にしている<ref name="森田1993-286">森田（1993）、286頁</ref><ref name="森田1993-349">森田（1993）、349頁</ref>。}}。
11月8日（ユリウス暦10月27日）には楽譜の初版が[[ユルゲンソン (出版社)|ユルゲンソーン社]]から出版された<ref name="ハンブルク版XIII" /><ref name="音友スコアvi">森垣（2010）、vi頁</ref>。また、[[連弾|四手ピアノ]]版が[[セルゲイ・タネーエフ]]によって編曲されており、その第2楽章と第3楽章が11月6日（ユリウス暦10月25日）、[[モスクワ]]においてタネーエフと[[アレクサンドル・ジロティ]]の[[ピアノ]]によって披露されている<ref name="小松下302">小松（2017）下、302頁</ref>。
== 初演と評価 ==
=== 初演後の評価===
[[File:Cesar cui.jpg|right|thumb|160px|交響曲第5番を批判したキュイ]]
交響曲第5番の初演は、1888年11月17日（ユリウス暦11月5日）、作曲者自身の指揮により[[サンクトペテルブルク|ペテルブルク]]で行われた<ref name="音友スコアvi" />。聴衆の反応は良かったが専門家の批評は芳しくなく<ref name="音友スコアvi" /><ref name="解説全集120">井上（1978）、120頁</ref><ref name="小松下300">小松（2017）下、300頁</ref>、「3つの[[ワルツ]]を持った交響曲<ref name="音友スコアvi" />」などと揶揄された{{Refnest|group="注"|第3楽章のワルツと、第1楽章、第2楽章のワルツ的な音楽を念頭に置いている<ref name="クーニン183" />。}}。「力強い仲間」（いわゆる「[[ロシア5人組|ロシア五人組]]」<ref name="小松上131" />）の一人である作曲家[[ツェーザリ・キュイ]]に至っては、第3楽章におけるワルツの使用を「ワルツの形は狭くて軽々しい。組曲には使うが、常に厳格で、厳格なる形式を秩序としている交響曲には使わない。<ref name="小松下301">小松（2017）下、301頁</ref>」と批判し、さらに「全体として交響曲は思想が貧弱で、お定まりで、音が音楽に勝っていて、聴くに耐えない。<ref name="小松下301" />」と酷評した<ref name="クーニン183" /><ref name="小松下301" />。
初演に引き続き、チャイコフスキーは11月24日（ユリウス暦11月12日）に行われたペテルブルクでの再演および11月30日に行われたプラハ初演で同曲を指揮した<ref name="音友スコアvi" /><ref name="ハンブルク版スコアXIV"> Flamm (2018) p. XIV </ref>{{Refnest|group="注"|プラハではドヴォルザークに交響曲第5番のスコアを贈っている<ref name="伊藤156-157">伊藤（2005）156-157頁</ref>。翌1889年に作曲されたドヴォルザークの[[交響曲第8番 (ドヴォルザーク)|交響曲第8番]]にはチャイコフスキーの交響曲第5番からの影響があるという指摘もある<ref name="伊藤156-157" />。}}。作曲の終わり頃には新しい交響曲を「今までのものより悪くない<ref name="音友スコアv" />」と前向きに評価していたチャイコフスキーであったが、ここまでの3回の演奏を終えてすっかり自信を失った<ref name="小松下302">小松（2017）下、302頁</ref>。フォン・メック夫人にあてた12月14日（ユリウス暦12月2日）付けの手紙では次のように述べている<ref name="音友スコアvi" />。
{{Quotation|私の新しい交響曲をペテルブルグで二度、プラハで一度演奏した結果、この曲が不成功であるという確信に達しました。ここには何か余分で雑多なもの、不誠実でわざとらしいものがあります。<ref name="森田1990-70" />}}
{{Quotation|昨晩私達の〈交響曲第四番〉を再検討してみました{{Refnest|group="注"|交響曲第4番はフォン・メック夫人に献呈されており、チャイコフスキーは彼女にあてた手紙では同曲を「私達の交響曲」と呼んでいた<ref name="解説全集117">井上（1979）、117頁</ref>。}}。何という差があることでしょうか。なんと立派によく書けていることでしょうか。これは大層悲しいことなのです。<ref name="小松下320-303">小松（2017）下、302-303頁</ref>}}
=== 第2回演奏旅行とハンブルク初演 ===
12月22日（ユリウス暦12月10日）とその翌日、チャイコフスキーはモスクワで交響曲第5番を二日連続で指揮しているが<ref name="森田1993_349">森田（1993）、349頁</ref>、この演奏は好評であった<ref name="音友スコアvi" />。その後、1889年2月5日（ユリウス暦1月24日）、チャイコフスキーは2度目となるヨーロッパ演奏旅行に旅立ち、2か月にわたって、[[ケルン]]、[[フランクフルト]]、[[ドレスデン]]、ベルリン、[[ジュネーヴ]]、ハンブルク、ロンドン<ref name="森田1993_350">森田（1993）、350頁</ref><ref name="森田2008_223">森田（2008）、223頁</ref>の各都市を回り自作を指揮した。この旅行中、交響曲第5番が取り上げられたのは3月15日（ユリウス暦3月3日）に行われたハンブルクでの演奏会のみであった<ref name="音友スコアvi" /><ref name="小松下306">小松（2017）下、306頁</ref>{{Refnest|group="注"|作品の献呈を受けたアヴェ＝ラルマンは病を患っており、手紙でチャイコフスキーに謝意を示している<ref name="伊藤149">伊藤（2005）、149頁</ref>。なお、アヴェ＝ラルマンは翌1890年11月10日に亡くなった<ref name="伊藤166">伊藤（2005）、166頁</ref>。}}。このハンブルクでの演奏（ハンブルク初演）に先立ち、チャイコフスキーはジュネーヴに滞在していた3月8日（ユリウス暦2月24日）に第4楽章の一部をカットしている<ref name="音友スコアvi" /><ref name="森田1993-350">森田（1993）、350頁</ref>。
ちょうどハンブルクを訪れていてリハーサルを聴いたブラームスは{{Refnest|group="注"|ブラームスはチャイコフスキーのリハーサルを聴くために滞在日程をわざわざ延長していた<ref name="小松下306">小松（2017）下、306頁</ref>。}}、交響曲の第1楽章から第3楽章までは良いが<ref name="音友スコアvi" />第4楽章は気に入らないとチャイコフスキーに伝えたが<ref name="小松下307">小松（2017）下、307頁</ref>、演奏会自体は大成功であり<ref name="音友スコアvi" />、自信を取り戻したチャイコフスキーは<ref name="小松下306" />モデストにあてて「嫌いになりかけていたこの曲がまた好きになった。<ref name="森田1993-351">森田（1993）、351頁</ref>」と書き送っている{{Refnest|group="注"|チャイコフスキーは[[ニコライ・カシュキン|ニコライ・カシキン]]に対して「この交響曲が印刷さえされていなけければ、すぐにでも抹殺するのだが<ref name="クーニン184">クーニン（1965）、184頁</ref>」と語っていた。また、第5番を火に投げこむつもりだったとも言われる<ref name="伊藤143" />。}}。
なお、ハンブルク初演の10日前にあたる3月5日、海を越えたアメリカ・ニューヨークでは [[セオドア・トーマス]]により交響曲第5番がコンサートで紹介されている<ref>{{cite web|url= https://cso.org/uploadedFiles/1_Tickets_and_Events/Program_Notes/ProgramNotes_Tchaikovsky_Symphony5.pdf|title=PROGRAM NOTES by Phillip Husche|publisher=Chicago Symphony Orchestra|accessdate=2020-10-10 }}</ref>。
=== ニキシュの功績 ===
[[File:Nicola Perscheid Portrait of Arthur Nikisch.jpeg |right|thumb|160px|ニキシュ（1901年）]]
ハンブルク初演を成功させたチャイコフスキーであったが、それ以降、チャイコフスキーが自ら指揮する演奏会において交響曲第5番を取り上げることはなかった<ref name="ハンブルク版XIV"> Flamm (2018) p. XIV</ref>。交響曲第5番の真価が広く世に知られるようになったのは、チャイコフスキーが「天才的」と高く評価した<ref name="クーニン174">クーニン（1965）、174頁</ref>ハンガリー出身の指揮者[[アルトゥル・ニキシュ]]の活躍に負うところが大きい<ref name="音友スコアvi" />{{Refnest|group="注"|チャイコフスキーは第1回演奏旅行の際にライプツィヒでニキシュに初めて出会っている<ref name="クーニン174" />。}}。
ニキシュは交響曲第5番をレパートリーとし、ロンドン、ライプチヒ、ベルリンなどにおいて大成功をおさめた<ref name="伊藤143" /><ref name="音友スコアvi" />{{Refnest|group="注"|ニキシュは常任指揮者を務めていた[[ボストン交響楽団]]を指揮して1892年10月21日にボストン初演を手がけているが<ref>{{cite web|url= https://cdm15982.contentdm.oclc.org/digital/collection/PROG/id/497263|title=Boston Symphony Orchestra Archives|publisher= Boston Symphony Orchestra |accessdate=2020-10-10 }}</ref>、当時の新聞批評は「全体には手が込んでいて長い」とし、第1楽章は褒めているものの、それ以外についてはほとんど評価していない<ref>{{cite web |url=https://news.google.com/newspapers?nid=sArNgO4T4MoC&dat=18921024&printsec=frontpage&hl=en|title=THEATRES AND CONCERTS, MusicHall Boston Symphony Orchestra (p. 5) |publisher= Google news (Boston Evening Transcript)|accessdate=2020-10-11}}</ref>。}}。ニキシュ本人によれば、1892年にペテルブルクでニキシュが交響曲第5番を指揮した際、そのリハーサルを見たチャイコフスキーは、ニキシュの棒の下でのオーケストラの変わりように驚き、彼の演奏を高く評価するとともに大いに感謝したとされる<ref name="伊藤143"/>。
当時モスクワ音楽院で作曲を学んでいた[[ゲオルギー・コニュス]]の回想によれば、モスクワで交響曲第5番の初演が行われた後{{Refnest|group="注"|1888年12月22日（ユリウス暦12月10日）又は12月23日（ユリウス暦12月11日）のいずれか<ref name="ハンブルク版スコアXV"> Flamm (2018) p. XV </ref>。}}、チャイコフスキーは第4楽章の[[コーダ]]（プレストになる2小節前の1拍目）で、そもそも楽器編成に含まれていないシンバルを ''ff'' で1発鳴らすべきだったと語り、将来楽譜を修正する際にはシンバルのパートを追加することを忘れないよう指示したという<ref name="ハンブルク版スコアXV" /><ref name="シンバル">{{cite web|url=https://www.classicalmusicnews.ru/articles/spoken-tradition/|title=О некоторых изустных традициях и коррективах исполнения| publisher=Classical Music News ru| accessdate=2020-10-11 }}</ref>。結局、出版譜がチャイコフスキーの意向に沿った形で修正されることはなかったが、ニキシュはコンサートで交響曲第5番を指揮する際にこのシンバルを追加を実行しており、同業者からは「'''ニキシュのシンバル'''」と呼ばれていたという<ref name="シンバル" /><ref name="ハンブルク版スコアXV" />。なお、ニキシュ以降の指揮者では[[ウィレム・メンゲルベルク]]<ref name="ハンブルク版スコアXIV-XV"> Flamm (2018) pp. XIV - XV </ref>や[[ジョージ・セル]]<ref>CD CBS/SONY CSCR8202</ref>がこのシンバルの追加を採用している{{Refnest|group="注"|[[パウル・ファン・ケンペン]]は2発のシンバルを追加している<ref>CD PHILIPS 420 858-2</ref>。}}。
== 受容の広がり ==
20世紀前半には、クラシック音楽の演奏会だけでなく、レコード、ラジオなどの新しいメディアを通じて、あるいはバレエや映画などでの使用によって交響曲第5番は広く受容されるようになった。
[[第一次世界大戦]]後の1920年代には[[アルバート・コーツ]]、[[ウィレム・メンゲルベルク]]、[[ランドン・ロナルド]]、[[フレデリック・ストック]]などの指揮者によるレコード録音が行われている<ref name="レコードリスト">{{cite web|url=http://en.tchaikovsky-research.net/pages/Symphony_No._5:_Recordings|title=Symphony No. 5: Recordings| publisher= Tchikovsky Resreach |accessdate=2020-10-11 }}</ref>{{Refnest|group="注"|古くは、ロマーニ指揮[[ミラノ交響楽団]]による抜粋版の録音が1914年に行われている<ref name="レコードリスト" />。}}。なお、この時期の日本では、1926年に [[ヨゼフ・ケーニヒ]]指揮、[[山田耕筰#日本交響楽協会|日本交響楽協会]]によって交響曲第5番が初演されている<ref name="指揮者協会169">日本指揮者協会編『日本指揮者協会創立50周年に寄せて』、音楽之友社、2005年6月30日、169頁</ref>{{Refnest|group="注" |3月14日、[[日本青年館]] <ref name="指揮者協会169" />にて。おな、同じ演奏会において、幻想序曲『[[ロミオとジュリエット]]』、『弦楽セレナーデ』の2曲も初演されている<ref name="指揮者協会169" />。}}。
[[File:Leopold Stokowski - Carnegie Hall 1947 (05) wmplayer 2013-04-16.jpg|thumb|200px|ストコフスキー（1947年の映画『カーネギー・ホール』）]]
1930年代のバレエや映画などの作品には交響曲第5番を使ったものがある。1933年のバレエ『{{仮リンク|前兆 (バレエ)|label=前兆|ru|Предзнаменования (балет)}}』（''Les Présages''）は、[[バレエ・リュス]]出身の振付師[[レオニード・マシーン]]が交響曲第5番に振り付けた作品であり、同年4月に[[バレエ・リュス・ド・モンテカルロ]]によって初演されている<ref>{{cite web|url=http://joffrey.org/performances/productions/les-pr%C3%A9sages|title=Les Présages|publisher=JOFFREY BALLET| accessdate=2020-10-11}}</ref><ref name="市川78">市川雅『ダンスの20世紀』、新書館、1995年12月、ISBN 4-403-23043-1、78頁</ref>。なお、マシーンは1930年代に既存の交響曲に基づく「シンフォニック・バレエ」を発表しており、『前兆』はその最初の作品である{{Refnest|group="注"|マシーンによる「シンフォニック・バレエ」には、ブラームスの[[交響曲第4番 (ブラームス)|交響曲第4番]]に振り付けた『コレアルティム』（1933年）、ベルリオーズの『[[幻想交響曲]]』に振り付けた『ベルリオーズ幻想交響曲』（1936年）、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[交響曲第7番 (ベートーヴェン)|交響曲第7番]]に振り付けた『第七シンフォニー』（1938年）、[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]の[[交響曲第1番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第1番]]に振り付けた『赤と黒』（1939年）がある<ref name="市川78" />。}}。
交響曲第5番第2楽章の美しい音楽は、1930年の映画『[[地獄の天使 (1930年の映画)|地獄の天使]]』（''Hell's Angels''）のオープニングクレジット及びインターミッション<ref>{{cite web|url = https://www.imdb.com/title/tt0020960/soundtrack?ref_=tt_trv_snd |title = Hell's Angels (1930) Soundtracks |publisher = IMDb.com|accessdate=2020-10-11}}</ref>、あるいは1932年の映画"{{仮リンク| Strange Interlude|en|Strange Interlude }}" のオープニングクレジットで使われ<ref>{{cite web|url = https://www.imdb.com/title/tt0023523/soundtrack?ref_=tt_trv_snd |title = Strange Interlude (1932) Soundtracks |publisher = IMDb.com|accessdate=2020-10-11}}</ref>、1937年のミュージカル映画『[[君若き頃]]』（''Maytime''）では歌詞が付けられ、劇中歌 " Czaritsa " として歌われている<ref>{{cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt0029222/soundtrack|title=Maytime (1937) Soundtracks |publisher=IMDb.com|accessdate=2020-10-11}}</ref>。なお、映画における交響曲第5番の使用例は他にもあり<ref>{{cite web|url = https://www.imdb.com/name/nm0006318/#soundtrack |title = Pyotr Ilyich Tchaikovsky |publisher = IMDb.com|accessdate=2020-10-11}}</ref>、1937年の『[[オーケストラの少女]]』（''One Hundred Men and a Girl''）では[[レオポルド・ストコフスキー]]指揮[[フィラデルフィア管弦楽団]]が出演し<ref name="池辺130" />、冒頭のシーンで第4楽章を演奏している<ref>{{cite web|url = https://www.imdb.com/title/tt0029347/soundtrack|title = One Hundred Men and a Girl (1937) Soundtracks |publisher = IMDb.com|accessdate=2020-10-11}}</ref>{{Refnest|group="注"|ストコフスキーは1947年の映画『[[カーネギー・ホール (映画)|カーネギー・ホール]]』（''Carnegie Hall''）にも出演し、交響曲第5番の第2楽章を演奏している（管弦楽は[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]） <ref>{{cite web| url = https://www.imdb.com/title/tt0039244/soundtrack?ref_=tt_trv_snd | title= Carnegie Hall (1947) Soundtracks | publisher = IMDb.com|accessdate=2020-10-11}}</ref>。}}。
[[File: Glenn Miller Billboard.jpg |thumb|200px|グレン・ミラー]]
1939年には、{{仮リンク|マック・デイビッド|en| Mack David }}、マック・デイヴィス、[[アンドレ・コステラネッツ]]が第2楽章の主旋律をもとにした歌『ムーン・ラヴ』（''Moon Love''）を作っている<ref>{{cite web|url= https://www.loc.gov/collections/andre-kostelanetz-collection/articles-and-essays/commissioned-works/ |title= Andre Kostelanetz Collection| publisher= Library of Congress |accessdate=2020-10-11}}</ref>。『ムーン・ラヴ』は[[グレン・ミラー]]楽団（ヴォーカルは{{仮リンク|レイ・エバリー|en|Ray Eberle}}。）によって演奏されてアメリカにおけるヒット曲となり<ref name="Moon Love 1">{{cite web| url=https://secondhandsongs.com/work/161825/versions|title=Moon Love|publisher=Second Hand Songs|accessdate=2020-10-11}}</ref>{{Refnest|group="注"|グレン・ミラー楽団による『ムーン・ラヴ』は、1939年7月15日から10月7日まで12週連続でヒットチャート入りしている<ref>{{cite web|author=Dennis M. Spragg|date= 2017-9| url=https://www.colorado.edu/amrc/sites/default/files/attached-files/glenn_miller_top_10_study.pdf|title= GLENN MILLER AND HIS ORCHESTRA “TOP 10 HITS”1939-1943|format=PDF|publisher= University of Colorado at Boulder| accessdate=2020-10-11}}</ref>。}}、さらに{{仮リンク|ミルドレッド・ベイリー|en| Mildred Bailey}}によっても歌われた<ref>{{cite web|url= https://archive.org/details/joelwpopmemories00whit/page/42/mode/2up|title= Joel Whitburn's Pop memories, 1890-1954 : the history of American popular music : compiled from America's popular music charts 1890-1954 (p. 42) |publisher= Internet Archive |accessdate=2020-10-11}} </ref>。同曲はその後も[[フランク・シナトラ]] 、[[エディ・デューチン]]、[[ナット・キング・コール]]、[[チェット・ベイカー]]など多くのアーティストによってカバーされている<ref name="Moon Love 1" /><ref>{{cite web|url=https://www.muziekweb.nl/en/Link/U00000852626/POPULAR/Moon-love?UniformTitleLink=U00000852626|title= Moon Love|publisher= Musiekweb | accessdate=2020-10-11}}</ref>。
[[第二次世界大戦]]中には、交響曲第5番は「勝利」のイメージがあることから連合国で好んで演奏された<ref>{{cite web|url= https://books.google.co.jp/books?id=8B_cAgAAQBAJ&pg=PA287&dq=%22Siege+of+Leningrad%22+%22tchaikovsky%22+symphony++london+-Shostakovich+October+20&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjC6rqo06nsAhWuGKYKHeUHD0sQ6AEwAHoECAMQAg#v=onepage&q=%22Siege%20of%20Leningrad%22%20%22tchaikovsky%22%20symphony%20%20london%20-Shostakovich%20October%2020&f=false|title=Discover Classical Music|accessdate=2020-10-11}}</ref>。欧米のオーケストラなどによる交響曲第5番のプログラムノートには、次のようなエピソードが掲載されていることがある<ref>{{cite web|url= https://www.californiasymphony.org/2019-20-season/fate-and-the-fifth/ |title= Fate and the Fifth |publisher= The California Symphony |accessdate=2020-10-11 }}</ref><ref>{{cite web|url = https://www.residentieorkest.nl/en/tsjaikovski/chef-dirigent-nicholas-collon-over-tsjaikovski-5/ | title= CHIEF CONDUCTOR NICHOLAS COLLON ON TCHAIKOVSKY'S SYMPHONY NO. 5| publisher= RESIDENTIE ORKEST |accessdate=2020-10-11 }}</ref><ref>{{cite web |url=https://newhavensymphony.org/nhso-new/nhso-opens-120th-season-with-tchaikovsky-triumphant/ |title=NHSO Opens 120th Season with Tchaikovsky Triumphant |pulisher=New Haven Symphony Orchestra |accessdate=2020-10-11}}</ref><ref>{{cite web |url=https://nac-cna.ca/en/event/13663 |title=Tchaikovsky’s Fifth |publisher=National Arts Centre Orchestra |accessdate=2020-10-11}}</ref><ref>{{cite web |url=https://lfze.hu/programs/2019-04-27-budapest-festival-orchestra-8324 |title=BUDAPEST FESTIVAL ORCHESTRA |publisher=Liszt Academy |accessdate=2020-10-11}}</ref><ref>{{cite web |url=https://nextdoor.com/events/ca/san-jose/symphony-silicon-valley-tchaikovsky-fifth-symphony-2745776 |title=Symphony Silicon Valley - Tchaikovsky Fifth Symphony |publisher=Nextdoor.com |accessdate=2020-10-11}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.bgf.rs/en/the-belgrade-philharmonic-and-uros-lajovic/ |title=THE BELGRADE PHILHARMONIC AND UROŠ LAJOVIC|publisher=The Belgrade Philharmonic Orchestra |accessdate=2020-10-11}}</ref><ref>{{cite web |title=|url=https://www.meetup.com/ja-JP/Reno-Sparks-Singles-and-or-Diners-Group/events/237764478/ |title=Let's go to another Symphony Concert--advance planning |publisher=meetup.com |accessdate=2020-10-11}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.warwickshiremusichub.org/blog/a-brief-history-of-music-in-times-of-hardship |title=A Brief History of Music in Times of Hardship |publisher=Warwickshire Music |accessdate=2020-10-11}}</ref>{{Refnest|group="注"|ここに列挙した出典には指揮者の名は記載されていない。また、少なくとも[[英国放送協会|BBC]]の1941年10月20日のラジオ番組表には、ロシアからのラジオ中継に関する記載は見当たらない<ref>{{cite web|url=https://genome.ch.bbc.co.uk/schedules/bbchomeservice/basic/1941-10-20 |title = BBC Home Service |publisher= BBC |accessdate=2020-10-11}}</ref><ref>{{cite web |url = https://genome.ch.bbc.co.uk/schedules/forces/1941-10-20 | title = Forces Programme | publisher = BBC |accessdate=2020-10-11}}</ref>。}}。
{{Quotation|（大意）[[レニングラード包囲戦]]の最中、1941年10月20日、[[サンクトペテルブルク交響楽団|レニングラード放送交響楽団]]が演奏するチャイコフスキーの交響曲第5番がラジオでロンドンに生中継され、第2楽章の冒頭では演奏会場の近くにドイツ軍の爆弾が落ちたが演奏は最後まで行われた。}}
20世紀後半以降、今日に至るまで多くの演奏・録音が行われており<ref name="レコードリスト" />{{Refnest|group="注"|イギリスの[[グラモフォン (雑誌)|グラモフォン]]による ''The 50 greatest Tchaikovsky recordings'' には、[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]指揮[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]（全集、交響曲第5番は1965年の録音）、[[エフゲニー・ムラヴィンスキー]]指揮[[サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団|レニングラード・フィルハーモニー交響楽団]]（後期交響曲集、1960年の録音）、[[ウラディーミル・ユロフスキ]]指揮[[ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団]]（交響曲第4番とのカップリング、2011年の録音）、[[マリス・ヤンソンス]]指揮[[オスロ・フィルハーモニー管弦楽団]]（1984年の録音）、[[グスターボ・ドゥダメル]]指揮[[シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ]]（2008年の録音）の5種類の録音が選ばれている<ref>{{cite web|url=https://www.gramophone.co.uk/features/article/the-50-greatest-tchaikovsky-recordings|title= The 50 greatest Tchaikovsky recordings|publisher= Gramophone|accessdate=2020-10-17}}</ref>。}}、少なくとも日本においては、アマチュアオーケストラの間でも人気の高いレパートリーとなっている<ref name="池辺130" />{{Refnest|group="注"|日本の音大生やアマチュア演奏家によるワークショップ「ロマン派音楽研究会《ROMUVE》」<ref>{{cite web | url = https://romatik-musik-verein.jimdofree.com/ |title=ROMUVEホームページにようこそ! |accessdate=2020-10-17}}</ref>が2017年4月から2018年4月にかけてインターネット上で実施したアンケート調査（612名が回答）では<ref>{{cite web | url = https://romatik-musik-verein.jimdofree.com/studium/%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%A6%82%E8%A6%81/|title= 調査概要|accessdate=2020-10-17}}</ref>、チャイコフスキーの交響曲第5番は「好きな交響曲」の第1位という結果が出ている<ref>{{cite web | url = https://romatik-musik-verein.jimdofree.com/studium/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%EF%BC%91%EF%BC%90/|title= 交響曲ベスト10|accessdate=2020-10-17}}</ref>。}}。
== 楽器編成 ==
[[フルート]]3（第3フルートは[[ピッコロ]]に持ち替え）、[[オーボエ]]2、[[クラリネット]]2（A管）、[[ファゴット]]2、[[ホルン]]4、[[トランペット]]2（A管）、[[トロンボーン]]3、[[チューバ]]1、[[ティンパニ]]、[[弦楽合奏|弦五部]]
クラリネットとファゴットの組み合わせが全体的に重要な音色となっている<ref name="ロシア音楽史262">マース（2006）、262頁</ref>。また、交響曲第3番と同じく打楽器はティンパニのみが使われる<ref name="伊藤220">伊藤（2005）、221頁</ref>（[[#ニキシュの功績]]を参照）。この作品におけるチャイコフスキーの[[管弦楽法|オーケストレーション]]は、楽器群の効果的な対比など、従来の作品に比べて熟達しているとされる<ref name="グラウト/パリスカ下45">ドナルド・ジェイ・グラウト、クロード・V・パリスカ（著）、戸口幸策ほか（訳）『グラウト／パリスカ 新 西洋音楽史（下）』、音楽之友社、2001年11月20日、{{ISBN2| 978-4276112148}}、45頁</ref>。
== 曲の構成 ==
=== 「運命の主題」 ===
交響曲第5番では、第1楽章冒頭の主題（下の譜例）が全楽章にわたって登場する。この主題は「運命」を表していると考えるのが通例であり<ref name="解説全集121" /><ref name="全音スコア6" /><ref name="音友スコアvii" /><ref name="池辺132" />、「運命の主題」と呼ばれる<ref name="全音スコア6" /><ref name="音友スコアvi" />（「主想旋律」のように呼ばれることもあるが<ref name="解説全集121" />、本稿では以下「運命の主題」と呼ぶ）。主題の後半（譜例では第4小節の4拍目以降）に見られる下行する音階は、第3楽章の最初のワルツ主題や第4楽章の第1主題などにも関連する重要な動きである<ref name="音友スコアx" /><ref name="音友スコアiv">森垣（2010）、iv頁</ref>。
:<score>
\relative c' { \time 4/4 \clef treble \key e \minor \tempo "Andante" 4 = 80 g4. g16 g a4.( g16-.) fis-. g4( e2.) b'4. b16 b c4.( b16-.) a-. b4( g2) e'4-- d-- c-- b-- a-- g2. e'4-- d-- c-- b-- a-- g2~ g8 }
</score>
「運命の主題」は登場するたびにテンポやニュアンスを変える（下の表{{Refnest|group="注"|表中の「開始音量」は、主題が開始されるときのデュナーミクを記載している。}}参照）。チャイコフスキーが[[エクトル・ベルリオーズ]]{{Refnest|group="注"|ベルリオーズが[[1867年]]にロシアを訪れて演奏会を行った際の歓迎会で、チャイコフスキーはフランス語で歓迎の挨拶を行っている<ref name="森田 1993-93">森田（1993）、93頁</ref>。なお、チャイコフスキーが1868年頃から親交を結ぶ[[ミリイ・バラキレフ]]<ref name="小松上164">小松（2017）條、164頁</ref>はベルリオーズに心酔しており<ref name="森田 1993-93" />、バラキレフら「ロシア五人組」は当時のロシアではあまり知られていなかったベルリオーズの音楽を広めた<ref name="小松上132">小松（2017）上、132頁</ref>。}}の「[[イデー・フィクス]]」（''idée fixe''、固定楽想）に学んだこの手法は、1885年の『マンフレッド交響曲』ですでに用いられており<ref name="伊藤222-223">伊藤（2005）、222-223頁</ref>、交響曲第5番の翌年に作曲されたバレエ音楽『[[眠れる森の美女 (チャイコフスキー)|眠りの森の美女]]』ではさらに磨きをかけた形で使われることになる<ref name="伊藤217">伊藤（2005）、217頁</ref>。
{| class="wikitable" style="text-align:left"; font-size:small" border="1"
|-
! style="width:4.5em"|楽章|| style="width:7.5em"|箇所|| style="width:19.0em"|テンポ || style="width:4.0em"|拍子|| style="width:4.5em" | 開始音量 || style="width:13.5em" | 楽器
|+
|-
| 第1楽章 || 序奏 || Andante（♩=80） || style="text-align:center"|4分の4 || style="text-align:center"| ''p'' || クラリネット
|-
| rowspan="2"| 第2楽章 || 中間部の終わり || Tempo preccedente（♩=100）|| style="text-align:center"|4分の4 || style="text-align:center"| ''fff'' || トランペットなど
|-
| 再現部の終わり || Allegro non troppo || style="text-align:center"|〃 || style="text-align:center"| ''fff'' || トロンボーンなど
|-
| 第3楽章 || コーダ || Allegro moderato（♩=138）|| style="text-align:center"|4分の3 || style="text-align:center"| ''pp'' || クラリネットとファゴット
|-
| rowspan="6"| 第4楽章 || rowspan="2"|序奏 || rowspan="2"| Andante maestoso（♩=80） || style="text-align:center"|4分の4 || style="text-align:center"| ''mf'' || 弦楽器
|-
| style="text-align:center"|〃 || style="text-align:center"| ''p'' || 木管楽器
|-
| 提示部の終わり || Allegro vivace（二分音符=120） || style="text-align:center"|2分の2 || style="text-align:center"| ''ff'' || 金管楽器
|-
| 再現部の終わり || Poco meno mosso || style="text-align:center"|〃 || style="text-align:center"| ''ff'' || 管楽器
|-
| rowspan="2"|コーダ|| rowspan="2"| Moderato assai e molto maestoso（♩=96）{{Refnest|group="注"|このメトロノーム記号はブライトコプフの新版スコア（2018年）による<ref name="ハンブルク版スコア170">(Score) Breitkopf & Härtel (2018), p. 170</ref>。}} || style="text-align:center"|4分の4 || style="text-align:center"| ''ff'' || 弦楽器
|-
| style="text-align:center"|〃 || style="text-align:center"| ''fff'' ||トランペットなど
|-
|}
なお、「運命の主題」だけでなく、第1楽章の第1主題も、第4楽章の集結部分で姿を変えて再現される<ref name="音友スコアxi" />。
=== 第1楽章 ===
{{External media
| width = 310px
| topic = 試聴（'''第1楽章
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=PFvM6P9SMFY モスクワ市交響楽団] - [[:en:Dmitri Jurowski|ドミトリー・ユロフスキー]]指揮。[[モスクワ市交響楽団]]公式YouTube。
}}
[[ホ短調]]、序奏とコーダをもつ自由な[[ソナタ形式]] <ref name="伊藤224" />。
序奏はアンダンテ、4分の4拍子。2本のクラリネットが暗く重々しい「運命の主題」を提示する<ref name="音友スコアxi" />。交響曲第4番の冒頭に出る激しく圧倒的なファンファーレ<ref name="解説全集118">井上（1979）、118頁</ref>も「運命」を象徴しているが<ref name="解説全集117" />、第5番の「運命」は暗澹として弱々しく<ref name="解説全集121" />絶望感に満ちており<ref name="全音スコア7">園部（1980）、7頁</ref>、「運命への服従」を暗示している<ref name="寺西175">寺西（1984）、175頁</ref>。
主部はアレグロ・コン・アニマ、8分の6拍子。[[弦楽器]]が ''pp'' で刻む[[行進曲]]調のリズムに先導され<ref name="音友スコアvii" />、クラリネットとファゴットがホ短調の第1主題を提示する（下の譜例）。この主題は「運命の主題」から派生しており<ref name="全音スコア7" /><ref name="音友スコアvii" />、前述したように第4楽章の最後でも登場する。
:<score>
\relative c' { \time 6/8 \clef treble \key e \minor \tempo "Allegro con anima" 4. = 104 \partial 8*1 c8( e)[ r16 e e8~] e fis-.( g-.) a( g) fis( e4) c8( g')[ r16 g16 g8~] g[ r16 fis fis8~] fis[ r16 e e8~] e4 }
</score>
音楽は[[転調]]を繰り返しながら盛り上がり、第1主題が ''fff'' で確保された後、そのまま第2主題群に入る<ref name="音友スコアvii" />。ここでは2つの重要な主題が提示される。1つはホ短調の[[属調]]にあたる[[ロ短調]]による主題で、ため息のような半音の下行（[[ニ (音名)|ニ]] - [[嬰ハ]]）を含んでいる<ref name="全音スコア9">園部（1980）、9頁</ref>。
:<score>
\relative c' { \time 6/8 \clef treble \key e \minor \tempo 4. = 104 fis4.~ fis4 gis8( ais4.) b4( cis8) d4. cis fis, }
</score>
もう1つは叙情的な[[ニ長調]]の主題であり<ref name="ロシア音楽史262" />、6拍子ではあるがワルツのような性格をもっている<ref name="音友スコアvii" /><ref name="全音スコア9" />。
:<score>
\relative c'' { \time 6/8 \clef treble \key e \minor \tempo "Molto piu tranquillo" 4. = 92 r8 fis4 e( d8) r g4 fis4( e8) r a4 cis b8~ b a4 gis( g8) }
</score>
この2つの主題については、上が推移主題で下が第2主題とする見解<ref name="解説全集122" /><ref name="寺西175" />、上が第2主題で下が推移主題とする見解<ref name="全音スコア6" /> <ref name="池辺133">池辺（2014）、133頁</ref><ref>[[リッカルド・シャイー]]指揮[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]のCD（F35L-50109）の[[ライナーノーツ]]。[[小石忠男]]著。</ref>、提示部の主題が第1主題を含めて3つあるという見解<ref name="伊藤224" />に分かれている。
ニ長調の主題の前後には、次の譜例のような活力のある動機が奏でられる<ref name="音友スコアvii" />。園部（1980）はこの動機を「生命の歓喜に満ちた陽気なさえずり<ref name="全音スコア9" />」と表現している。なお、展開部では各所にこの動機が散りばめられる<ref name="音友スコアvii" />。
:<score>
{ \new PianoStaff <<
\new Staff = "RH" \relative c'' { \clef treble \key e \minor \time 6/8 \tempo "Un pochettino piu animato" 4. = 104 <a' fis,>4 <d, fis,>8 <a' fis,>4 <d, fis,>8 <a' fis,>4 <d, fis,>8 <a' fis,>4 <d, fis,>8}
\new Staff = "LH" \relative c' { \clef bass \key e \minor \time 6/8 <a, d,>4 <a d,>8 <a d,>4 <a d,>8 <a d,>4 <a d,>8 <a d,>4 <a d,>8 } >> }
</score>
展開部は第1主題を中心として転調を繰り返しながら動機の展開が行われ<ref name="音友スコアvii" />、クライマックスを形作った後は次第に静まっていき、ホ短調に戻って再現部となる<ref name="音友スコアvii" />。
ファゴットのソロにより第1主題が再現されるが、ベースは[[主音]]の[[ホ (音名)|ホ]]音ではなく[[属音]]の[[ロ (音名)|ロ]]音になっている<ref name="音友スコアviii">森垣（2010）、viii頁</ref>。再現部は和声的な安定感が避けられており<ref name="音友スコアviii" />、第1主題の ''fff'' での確保はホ短調ではなく[[嬰ヘ短調]]で行われ<ref name="音友スコアviii" />、続く第2主題群も[[嬰ハ短調]]、[[ホ長調]]で再現され、コーダに入ってようやくホ短調に辿り着く<ref name="音友スコアviii" />。
コーダの後半ではベースラインが「運命の主題」に基づく下行音形を繰り返す中<ref name="音友スコアviii" />、第1主題が執拗に反復されてディミニュエンドしていき、最後はファゴット、チェロ、コントラバス、ティンパニが残り、 ''pp'' で暗く重い結末となる<ref name="音友スコアviii" />。
=== 第2楽章 ===
{{External media
| width = 310px
| topic = 試聴（'''第2楽章
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=WP90dgdN9gM モスクワ市交響楽団] - ドミトリー・ユロフスキー指揮。モスクワ市交響楽団公式YouTube。
}}
ニ長調、 [[三部形式]]。「多少の自由さをもつアンダンテ・カンタービレ<ref name="解説全集122" />」の指示がある。 [[強弱法|デュナーミク]]は ''pppp'' から ''ffff'' までと全楽章の中で最も幅があり<ref name="音友スコアxii">音楽之友社スコア（2010）、xii頁</ref>、テンポの変化も全楽章の中で最も多い<ref name="音友スコアxii" />。美しい旋律と劇的な展開をもった楽章であり、オペラを器楽に移し替えたような趣がある<ref name="ロシア音楽史262" />。
曲は8分の12拍子で開始される。弦楽器の低音による静かな[[コラール]]風の前奏<ref name="音友スコアviii " /> <ref name="池辺134" />に続き、ホルンのソロにより主旋律が提示される（下の譜例）。甘美かつ抒情的であり<ref name="伊藤225" />、チャイコフスキーの旋律美が発揮された名旋律である<ref name="池辺134" />。
:<score>
\relative c' { \clef treble \time 12/8 \key d \major \tempo "Andante cantabile" 4. = 54 \partial 8*3 d8( cis) b-- | d4.( cis2.) a8\<( b) cis--\! | e4.( d2.)\> d8(\! e) fis-- | g4.\< g4 g8 g4.~ g4 g8\! | g4.(\> fis)\! }
</score>
次に[[嬰ヘ長調]]に転調しオーボエとホルンが副次旋律を[[カノン (音楽)|カノン]]風に提示するが<ref name="池辺134" /><ref name="音友スコアviii" />、直ちに再び第1主題の登場となる。今度はチェロが旋律を担当し管楽器が対旋律を絡める<ref name="音友スコア82">音楽之友社スコア（2010）、82頁 </ref>。間もなく、弦楽器が副次旋律を情熱的に奏でてクライマックスを築く<ref name="音友スコアviii" />。
中間部に入るとテンポがやや速くなって（モデラート・コン・アニマ）4分の4拍子となり、新しい[[嬰ヘ短調]]のノスタルジックな旋律<ref name="音友スコアix">森垣（2010）、ix頁</ref>がクラリネットによって奏でられ（下の譜例）、ファゴットに受け継がれる<ref name="音友スコアix" />。
:<score>
\relative c'' { \clef treble \time 4/4 \key b \minor \tempo "Moderato con anima" 4 = 100 cis4. gis'8( b a) gis-- fis-- | e4-> \times 8/9 {d32( e d e d e d e d } cis2) | b4->~( b16 cis d fis) cis2 | b4->~( b16 cis d gis) cis,2 }
</score>
音楽が加速して大きく盛り上がると、クライマックスで「運命の主題」が力強く回帰する<ref name="音友スコアix" />。休止の[[フェルマータ]]を挟んで再現部となり、[[ピッツィカート]]の伴奏にのって第1ヴァイオリンが主旋律を奏でる<ref name="音友スコアix" />。なお、単なる再現ではなく伴奏や対旋律などが変化している<ref name="音友スコアix" />。やがて主旋律は感情を強めてゆき<ref name="全音スコア13">園部（1980）、13頁</ref>、その頂点で副次旋律が弦楽器により ''fff'' で歌われ<ref name="音友スコア106">音楽之友社スコア（2010）、106頁</ref>、さらに ''ffff'' のクライマックスが築かれる<ref name="音友スコア110">音楽之友社スコア（2010）、110頁</ref>。そこから音楽は次第におさまっていくが、突然、「運命の主題」が ''fff'' で強奏される。コーダでは弦楽器が副次旋律の断片をカノン風に奏でながら静まっていき、クラリネットのソロにより楽章は ''pppp'' で静かに閉じられる<ref name="音友スコア117">音楽之友社スコア（2010）、117頁</ref>。
=== 第3楽章 ===
{{External media
| width = 310px
| topic = 試聴（'''第3楽章
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=9wMa80Upbr0 モスクワ市交響楽団] - ドミトリー・ユロフスキー指揮。モスクワ市交響楽団公式YouTube。
}}
[[イ長調]]、コーダをもつ[[複合三部形式]]<ref name="音友スコアiv" />。アレグロ・モデラート。本来であれば[[スケルツォ]]楽章がおかれるところであるが、チャイコフスキーは新しい試みとしてワルツをおいた<ref name="解説全集122" /><ref name="ロシア音楽史262" /><ref name="全音スコア14">園部（1980）、14頁</ref>。なお、多楽章形式の作品ではすでに『弦楽セレナーデ』の第2楽章にワルツをおいているが、交響曲では初めてである<ref name="池辺134" />{{Refnest|group="注"|交響曲第4番の第1楽章主部は「ワルツの動きで」という指示がなされている<ref name="解説全集117" />。}}。
ワルツの旋律は3種類あり、弦楽器や[[木管楽器]]によって奏でられる。
曲は前奏なしに優雅な第1のワルツ<ref name="伊藤225" />から始まる（下の譜例）。旋律は「運命の主題」に関連する下行音階から始まっている<ref name="音友スコアiv" />。この旋律が最初に第1ヴァイオリンで提示される際、伴奏は各小節の1拍目が休符になっているため<ref name="音友スコア118">音楽之友社スコア（2010）、118頁</ref>、聴く者の拍節感を狂わせる効果がある<ref name="ロシア音楽史263">マース（2006）、263頁</ref>。
:<score>
\relative c'' { \clef treble \time 3/4 \key a \major \tempo "Allegro moderato" 4 = 138 cis4.^"Violin I" b8( a gis) | fis4( e2) | fis4. gis8( a fis) | b2. | dis,4. e8( fis gis) | b4( a2) | cis,4. dis8( e fis) | a4. gis8( fis e | eis->[ fis)] }
</score>
オーボエとファゴットによって奏でられる第2のワルツ（下の譜例）。この旋律がクラリネットに引き継がれると、ホルンの[[ゲシュトップフト]]の音色が背景を彩る<ref name="音友iv ">森垣（2010）、iv頁</ref>。この後、第1のワルツがクラリネットとファゴットに戻ってくるが<ref name="全音スコア15">園部（1980）、15頁</ref>、ここでもゲシュトップフトの音が背景で聴かれる<ref name="音友iv " />。
:<score>
\relative c'' { \clef treble \time 3/4 \key a \major \tempo 4 = 138 d4. cis8(^"Oboe/Bassoon" b ais) | cis4( b2) | d4.-> cis8( b ais) | cis4. b8( cis d) | fis4. e8( fis gis) | a( gis fis e) dis-. cis-. | dis( cis b a) gis-. fis-. | cis'( b a gis) fis-. e-. }
</score>
ファゴットのソロによる第3のワルツ（下の譜例）。[[シンコペーション]]が特徴的である<ref name="音友iv " />。他の木管楽器を加えて繰り返される。
:<score>
\relative c' { \clef bass \time 3/4 \key a \major \tempo 4 = 138 \partial 8*3 b8(^"Bassoon" d cis) | ais4.-> b8( d cis) | ais4.-> b8( d cis) | ais4.-> b8( cis d) | fis( e4) a4( b,8~ | b gis'4 a,) fis'8~( | fis g,4 e' fis,8~ | fis) d'4( f, cis'8~ cis[ b e,)] }
</score>
中間部はテンポはそのままで嬰ヘ長調に転調する。16分音符のパッセージが特徴的であり、スケルツォ的な軽やかな音楽となっている<ref name="音友iv " />。また、途中で3拍子の中に2拍子が入る[[ポリリズム]]が使われている<ref name="伊藤225" /><ref name="音友iv " />。
第1のワルツが戻ってくる部分では、オーボエが奏でる旋律と、チェロとヴァイオリンが奏でる16分音符のパッセージがオーバーラップしており、スケルツォ的な中間部からワルツへの移行がスムーズに行われている<ref name="音友スコアx">森垣（2010）、x頁</ref>。この後、第2、第3のワルツも回帰してコーダとなる。
コーダの後半ではクラリネットとファゴットが3拍子に変形された「運命の主題」を ''pp'' で陰鬱に奏でるが<ref name="全音スコア17">園部（1980）、17頁</ref>、唐突に ''ff'' の和音が現れて曲が終わる<ref name="音友スコアx" />。なお、第3楽章にはトロンボーンとテューバの出番がない。
=== 第4楽章 ===
{{External media
| width = 310px
| topic = 試聴（'''第4楽章
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=Jchu0lRfifE モスクワ市交響楽団] - ドミトリー・ユロフスキー指揮。モスクワ市交響楽団公式YouTube。
}}
序奏とコーダをもつソナタ形式<ref name="音友スコアx" />、またはロンド・ソナタ形式<ref name="解説全集123">井上（1979）、123頁</ref>。輝かしい勝利と全民衆の祭典のようなフィナーレである<ref name="音友スコアxi" /><ref name="クーニン183" />。
序奏は[[ホ長調]]、4分の4拍子。弦楽器、ついで管楽器によって「運命の主題」が荘厳に奏でられる<ref name="解説全集123" />。序奏のクライマックスが静まるとホ短調の第3音である[[ト (音名)|ト]]音がティンパニの[[トレモロ]]とコントラバスに残り、そこにアレグロ・ヴィヴァーチェで主部の第1主題が飛び込んでくる<ref name="音友スコアx" />（下の譜例）。
:<score>
\relative c'' { \clef treble \time 2/2 \key e \minor \tempo "Allegro vivace (alla breve)" 2 = 120 r4^"Violin"\f <e b g>\downbow <dis b>\downbow <e b g>\downbow | <b e,>\downbow <a e>8 <a e> <g b,> <g b,> <fis a,> <fis a,> | <e g,> r <e' b g>4\downbow <dis b>\downbow <e b g>\downbow | <b e,>\downbow <a e>8 <a e> <g b,> <g b,> <fis a,> <fis a,> | <e g,> r <e g,>4\downbow <a e a,>\downbow <fis a,>\downbow | <g b,>\downbow <e g,>8 <e g,> <fis a,> <fis a,> dis dis | <e g,> r <e g,>4\downbow <a e a,>\downbow <fis a,>\downbow | <g b,>\downbow <e g,>8 <e g,> <fis a,> <fis a,> dis dis | <e g,> r}
</score>
第1主題はホ短調。弦楽器の下げ弓（ダウンボウ）の連続を含んでおり<ref name="池辺135">池辺（2014）、135頁</ref>、荒々しく<ref name="池辺135">池辺（2014）、135頁</ref>野性的である<ref name="音友スコアx" />。また、「運命の主題」に関連する下行音形が含まれている<ref name="音友スコアx" /><ref name="全音スコア18">園部（1980）、18頁</ref>。
曲は猛烈な勢いを保ったまま進行し<ref name="池辺135" />、2つの推移主題をはさんで木管楽器群がニ長調の第2主題を提示する（下の譜例）。第2主題もまた、「運命の動機」に関連する下行音形を含んでいる<ref name="音友スコアxi" />。
:<score>
\relative c'' { \clef treble \time 2/2 \key e \minor \tempo 2 = 120 e1~^"Flute/Oboe/Clarinet"\mf_"espr." | e2 d8( cis b a) | e'2->( d~ | d) d\< | g g\! | g->(\f fis) | fis2.->(\mf e4) | d( cis b a) }
</score>
第2主題が盛り上がると、[[金管楽器]]がハ長調の「運命の主題」を ''ff'' で奏する<ref name="音友スコアxi" />。「運命の主題」に引き続き曲は展開部に突入し、第1主題がハ長調で奏される<ref name="音友スコアxi" />。展開部では第1主題、第2主題が展開され<ref name="音友スコアxi" />。その終わりではリズムを刻むオスティナートがなくなり<ref name="音友スコアxi" />、弦楽器と木管楽器が掛け合いながら音楽は静まっていく<ref name="音友スコアxi" />。''pp'' が10小節間続いた後<ref name="音友スコア193">音楽之友社スコア（2010）、193頁</ref>、突如 ''ff'' となり再現部が始まる<ref name="全音スコア20">園部（1980）、20頁</ref>。第1主題、推移主題、第2主題の順に再現されていき、結尾部で弦楽器の下行音階を背景として<ref name="音友スコアxi" />金管楽器が「運命の主題」を ''ff'' で奏し、さらに壮大に盛り上がってホ長調の[[属和音]]で一旦終止する<ref name="音友スコアxi" />。全休止をはさんでコーダとなる<ref name="解説全集123" />。
コーダは4分の4拍子、ホ長調。「運命の主題」が[[凱旋行進曲]]のように高らかに響き渡り<ref name="音友スコアxi" /><ref name="池辺136">池辺（2014）、136頁</ref>、推移主題に基づく2分の2拍子の急速なプレストを経て<ref name="全音スコア21" />、モルト・メノ・モッソ、4分の6拍子となり、ホ長調に変化した第1楽章の第1主題をホルンとトランペットが ''ffff'' で豪快に掛け合って最強奏の和音で力強く全曲を締めくくる<ref name="解説全集123" /><ref name="音友スコアxi" /><ref name="全音スコア21" />。
なお、第4楽章は「運命との戦いとその勝利<ref name="全音スコア">園部（1980）、17頁</ref>」という英雄的テーマ<ref name="クーニン184" />の音楽であると見なされているが<ref name="池辺136" />、その一方では、次のような批判も存在する。
{{Quotation|「勝利」を達成しようとするヒステリックに誇張された努力が、結局は「空虚」でわざとらしいとしか響かず、「宿命」の不可避的に圧倒的な力と、それに抗する戦いがどんなに強く、一見その成果がどんなに成功したと見えても、それの無意味さという印象を残してしまう。だから交響曲第5番の意味は、壮大な闘争と一時的な勝利があるにもかかわらず、宿命の避けがたい力に抗する戦いの敗北である。<ref name="ロシア音楽史255-256">マース（2006）、255-256頁</ref>|エドワード・ガーデン（Edward Garden）（1973年）}}
== チャイコフスキーによる第4楽章の改変 ==
[[File:MengelbergMerkelbach1919.jpg|right|thumb|280px|メンゲルベルク（1919年）]]
前述のとおり、チャイコフスキー自身は一時期、交響曲第5番に不満を持っており、特に第4楽章についてはシンバルの追加を望み、ハンブルク初演では自らカットした楽譜により演奏した<ref name="音友スコアvi" />。ただし、チャイコフスキーはハンブルク初演以降に同曲を指揮することはなく<ref name="ハンブルク版XIV" />、ハンブルクで使った楽譜も失われてしまっているため、チャイコフスキーにとっての最終稿がどのようなものだったのかは不明である<ref name="ハンブルク版スコアXIV" />。
20世紀前半の指揮者[[ウィレム・メンゲルベルク]]が演奏する交響曲第5番の第4楽章は、カットおよび<ref name="ハンブルク版スコアXV" />コーダでのシンバル追加が行われており<ref name="ハンブルク版スコアXIV" />、メンゲルベルクは、チャイコフスキーの弟モデストを通じて作曲者が望んでいた作品の姿を知っていたと主張している<ref name="ハンブルク版スコアXIV" />。
メンゲルベルクが書き残したモデストとのいきさつについては時系列などに不正確な点が多いが{{Refnest|group="注"|メンゲルベルクのスコアには、1910年に交響曲第5番を演奏するためにモスクワを訪れた際に、モデストから作曲者本人の書き込みがある楽譜を見せてもらったと記されているが<ref name="ハンブルク版スコアXV" />、メンゲルベルクがモスクワで交響曲第5番を指揮したのは1909年のことであり、しかも1908年の末に[[ロッテルダム]]で行った演奏会においては、既に交響曲第5番をカット入りで演奏している<ref name="ハンブルク版スコアXV" />。}}、交響曲第5番の校訂を行った音楽学者クリストフ・フラム（Christoph Flamm）は、メンゲルベルクが1908年5月にローマで交響曲第5番を演奏した時にモデストに会っており、この時にチャイコフスキーの意図を伝え聞いていた可能性があるとして<ref name="ハンブルク版スコアXV" />、メンゲルベルクが行った楽譜の改変はチャイコフスキーによるハンブルク最終稿（''final Hamburg version''）を参考にしていることにはほぼ疑いがないと結論づけている<ref name="ハンブルク版スコアXV" />。
フラムが校訂した交響曲第5番のスコアは、[[2018年]]にドイツの[[ブライトコプフ・ウント・ヘルテル]]社から出版されており、第4楽章については以下のようなメンゲルベルクの改変が反映されている<ref name="ハンブルク版スコアXV" />{{Refnest|group="注"|カットについては校訂報告及び注で触れられており、楽譜そのものがカットされているわけではない。}}。
# 第210小節の1拍目（裏拍）から第316小節の1拍目（表拍）までのカット<ref name="ハンブルク版スコアXVI"> Flamm (2018) p. XVI </ref><ref name="ハンブルク版スコア139">(Score) Breitkopf & Härtel (2018), p. 139</ref>。展開部の大部分と再現部の最初がカットされる。
# 第469小節から第471小節までの和音の変更<ref name="ハンブルク版スコアXV" />。コーダに入る直前の和音はホ長調の属和音（ロ、嬰ニ、嬰ヘ）であるが、これに7度音の[[イ (音名)|イ]]音を加えて属七の和音とし、さらにオーケストレーションも変更している<ref name="ハンブルク版スコア169">(Score) Breitkopf & Härtel (2018), p. 169</ref>。チャイコフスキーの日記には、ハンブルクの演奏に向けてカットと「パート譜の修正」も行っているという記録があるため、校訂者は単なるカットだけではなかったとしている<ref name="ハンブルク版スコアXV" />。なお、この部分は従来の楽譜と併記されている<ref name="ハンブルク版スコア169" />。
# 第472小節から第489小節までのカット<ref name="ハンブルク版スコアXVI" /><ref name="ハンブルク版スコア170" />。全休止の後、いきなりトランペットによるホ長調の「運命の主題」からコーダを始めるものである。
# 第502小節の1拍目にシンバル1発（八分音符）の追加。ただし、音符は括弧で囲まれ、シンバルの追加は任意（ ''ad libidum'' ）とされている<ref name="ハンブルク版スコア178">(Score) Breitkopf & Härtel (2018), p. 178</ref>。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references group="注" />
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
=== 論文・書籍 ===
* クーニン,イオシ・フフィリッポビチ著、川岸貞一郎訳『チャイコフスキー伝』、新読書社、1965年10月10日
* マース, フランシス著、森田稔ほか訳『ロシア音楽史 - 《カマーリンスカヤ》から《バービイ・ヤール》まで』、春秋社、2006年3月20日、ISBN 4-393-93019-3
* 池辺晋一郎『チャイコフスキーの音符たち 池辺晋一郎の「新チャイコフスキー考」』、音楽之友社、2014年9月30日、ISBN 978-4-276-20068-5
* 伊藤恵子『作曲家◎人と作品 チャイコフスキー』、音楽之友社、2005年6月10日、ISBN 4-276-22185-4
* 井上和雄（項目執筆）『最新名曲解説全集 第2巻 交響曲II』、音楽之友社、1979年11月1日
* 金子建志「チャイコフスキーの初期様式 - 交響曲〈1番〉から〈4番〉へ -」『常葉学園短期大学紀要第40号』、2009年12月、NAID 110007659731
* 小松祐子『チャイコーフスキイ伝 上巻』、フクイン、2017年6月15日、ISBN 978-4-286-18184-4
* 小松祐子『チャイコーフスキイ伝 下巻』、フクイン、2017年6月15日、ISBN 978-4-286-18185-1
* 寺西春雄『チャイコフスキー 大音楽家 人と作品11』、音楽之友社、1984年11月20日、ISBN 4-276-22011-4
* 森田稔ほか『チャイコフスキー』、ティービーエス・ブリタニカ、1990年9月15日、ISBN 4-484-90302-4
* 森田稔『新チャイコフスキー考～没後100年によせて』、日本放送出版協会、1993年11月20日、ISBN 4-14-080135-2
* 森田稔『ロシア音楽の魅力 - グリンカ・ムソルグスキー・チャイコフスキー - 』、東洋書店、2008年11月25日、ISBN 978-4-88595-803-8
=== 楽譜 ===
* Flamm, Christopu "''PJOTR ILJITSCH TSCHAIKOWSKY SYMPHONIE NR. 5 (Studirnpartitur)''", Breitkopf & Härtel, 2018, ISMN 979-0-004-21369-8
* 園部史郎（解説）『チャイコフスキー 交響曲第五番 ホ短調 作品64』、全音楽譜出版社、1980年、ISBN 4-11-891602-9
* 森垣桂一（解説）『チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調 作品64（OGT 2121）』、音楽之友社、2010年8月10日、ISBN 978-4-276-92112-2
== 外部リンク ==
{{External media
| width = 310px
| topic = 試聴（'''全楽章'''）
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=a_B02BZp-5Y Tschaikowsky：5. Sinfonie] - [[マンフレート・ホーネック]]指揮[[hr交響楽団]]による演奏。hr交響楽団公式YouTube。
}}
* {{IMSLP2|work=Symphony_No.5,_Op.64_(Tchaikovsky,_Pyotr)|cname=交響曲第5番ホ短調 作品64}}：チャイコフスキーによる交響曲第5番の自筆譜も公開されている。
{{チャイコフスキーの交響曲}}
{{DEFAULTSORT:こうきようきよく05 ちやいこふすきい}}
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