「日産・フェアレディZ」の版間の差分

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== 概要 ==
日本における[[通称]] 愛称は主に略称である「Z(Z(ゼット/ゼッド)」、北米を中心とした海外においては「DATSUN Z(ダッツンズィー)」「Z-Car(ズィーカー)」など。
「フェアレディ (Fairlady)」と言うネーミングは前代までの[[ダットサン・フェアレディ]]からの踏襲で、ミュージカル映画「[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]」から名付けられた。当時のアメリカ日産社長の片山豊が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求め命名したといわれる。「FAIRLADY」は貴婦人、「Z」はアルファベットの最後の文字であることから究極を意味する。また、初代開発スタッフに片山がZ旗を贈ったエピソードもある。
いずれのモデルも「フェアレディ」を冠すのは日本国内のみで、輸出向けは「DATSUN」または「NISSAN」と社名を付して呼称される。現行モデルは[[北アメリカ|北米]][[市場]]を含め日本国外では「NISSAN 370Z」として販売されている。
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== 歴史 ==
=== 初代 S30型系(1969 (1969年 - 1978年) ===
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
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| サスペンション=前:[[ストラット式サスペンション|マクファーソンストラット]]<br />後:ストラット
| 駆動方式=後輪駆動
| 全長=4,115 - 4,425mm425 mm
| 全幅=1,630 - 1,690mm690 mm
| 全高=1,280 - 1,290mm290 mm
| ホイールベース=2,305/2,605mm605 mm
| 車両重量=975 - 1,145kg145 kg
| 乗車定員=2人/4人
| 自由項目1(項目名)=ブレーキ
| 自由項目1(内容)=F:F: ディスク<br />R:R: ドラム(リーディングトレーリング式)
| 自由項目2(項目名)=最高速度
| 自由項目2(内容)=180 - 210km210 km/h
| 先代=[[ダットサン・フェアレディ]]
| 姉妹車=
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搭載されたL型直列6気筒エンジンは、SOHC動弁機構を備えた2Lクラスの最新式ではあったが、素性は[[鋳鉄]][[シリンダーブロック]]にターンフロー燃焼室を組み合わせた手堅い実用型エンジンであった。北米向け仕様は2.4Lへの排気量拡大でトルクを太らせたL24型エンジン採用でパワー対策としており、これもまた手堅い手法であり、低速域からのトルクにも富み、大排気量アメリカ車同様に実用域で扱いやすかった。ジャガーやポルシェの高性能だが複雑なパワーユニットに対して、シンプルな設計のおかげで手荒な取り扱いにも耐え、信頼性が高く整備も容易な、アメリカ市場でのユーザーニーズに合致したユニットであった。この面では、実用車向け量産エンジンをチューニングして搭載していたかつてのイギリス製スポーツカーの良き伝統を受け継いでおり、「Z」に実用型スポーツカーとしての優れた特性を与えた。
 
デザインは松尾良彦率いる日産自動車第1造形課・第4デザインスタジオに託され開発が始まった。この部署はスポーツカー担当部署であったものの、少量生産を前提とした小さな部署であった。メディアでは第4デザインスタジオチーフだった理由から「S30のチーフデザイナーは松尾良彦」と紹介されることが多いものの、実際は吉田章夫 (よしだふみお)案のファストバックをベースに松尾案のフロントマスクを合わせたデザインが基本となっている。その後、1967年に田村久米雄・西川暉一・桑原二三雄の3名がスタジオ入りし、最終的な造形修正は田村が担当している<ref>[http://mizma-g.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/z-79fe.html 1st Gen Datsun Z (初代フェアレディZ) デザイン決定までの流れ(田村氏の証言から再構成したもの)]</ref>。
 
ボディタイプは各種検討されており、松尾がS30発売以前にデザインしたロングホイールベースの2+2(2by2)2 (2by2)は1973年秋に実車となってシリーズに追加された。オープンエアを求める層に対しては、独立したトランクルームを持つ[[タルガトップ]]モデルが設計され、[[プロトタイプ]]まで製作された。また、将来的な馬力向上の要求には、プレジデント用[[V型8気筒]]([[日産・Y型エンジン|Y40型エンジン]])で対処する松尾の私案もあったが、どちらも市販化には至っていない。スケッチで終わったモデルには吉田のデザインしたレース仕様のものや松尾のデザインした4人乗りスポーツワゴンなどもあった。このうちスポーツワゴンにおいては松尾が1966年に描いたスケッチをもとに、松尾の協力のもと米在住で自動車レストア専門家の安宅二弥によって1台だけ再現され、2014年8月サンディエゴの日産主催のZコンベンションにてお披露目された。この様子は米国二スモのサイトでも紹介された。70年代当時、2ドアのシューティングブレーク(スポーツワゴン)はヨーロッパの市場では各メーカーが製造していたが、製造コストの課題と、2ドアクーペの製造の優先でスケッチのみで終わった。松尾がプロトタイプまで作っていた2+2(2By2)2 (2by2)モデルは居住性と使いやすさを追求しているところが随所に現れており、ほぼそのままのデザインで生産タイプとなった。
 
1996年に北米での300ZX(Z32型系)の販売が中止になった後、ファンからの要望で北米日産が新品・中古パーツを集めてレストアして240Zを限定販売する企画が立ち上がり、ビンテージZと名付けられて販売された。しかしレストアには予想以上の費用と時間がかかり採算が合わない上、応募者が殺到したため、当初200台の予定が39台にとどまりその後中止となった。またビンテージZには受注ベースの車両もあったことと、全て地元の板金工場やショップが仕上げた為、個々の車体の仕上がりや仕様には様々なものがある。
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Z432は旧プリンスで開発した[[ソレックス]]3キャブを装備した[[DOHC]]の[[日産・S20型エンジン|S20]]型を搭載した高性能バージョン。
「432」のネーミングは、「4バルブ・3キャブレター・2[[カム (機械要素)|カムシャフト]]」の意であり、搭載されるS20型エンジンの構造に由来する。
また、[[モータースポーツ|競技]]用ベース車両として公道走行不可(のちにナンバー取得できるようになった)の「Z432R」も用意された。アメリカとイギリスでは2.4LのL24型エンジンを搭載した「ダットサン240Z」(HLS30(HLS30 / HS30型)を発売。
;[[1970年]]
フェアレディZ-Lに3速[[オートマチックトランスミッション|AT]](ニッサンフルオートマチック)車を追加。それまで[[高オクタン価ガソリン|ハイオクガソリン]]仕様のみであったが、レギュラーガソリン仕様車も全グレードに追加発売された。L20はハイオクガソリン仕様130ps、レギュラーガソリン仕様125ps。S20はハイオクガソリン仕様160ps、レギュラーガソリン仕様155ps。
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2.0Lモデルの「Zシリーズ」をマイナーチェンジ。[[自動車排出ガス規制|昭和48年排出ガス規制]]適合、ダッシュボードの意匠変更とテールランプとリアガーニッシュの変更が施され、バックランプがガーニッシュ内に配置された。折からの公害問題やガソリン高騰などにより、240Zシリーズを生産中止した。
;[[1974年]]
全長を310mm延長した、4人乗りモデルを追加(GS30、1月17日発表・発売)。2by2と称した。輸出モデルは従前の2.4Lから2.6LのL26型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン260Z」(RLS30)(RLS30)に変更。260Zは一部を国内基準に適合させ、[[730 (交通)|当時右側通行だった沖縄]]で販売されている。日本国内でもL26型エンジンを搭載した「フェアレディ260Z」の発売を予定していたが、[[オイルショック]]などの影響で断念している。
;[[1975年]]
[[ファイル:1978 datsun 280z 2+2.jpeg|thumb|right|5マイルバンパーを装着した280Z]]
昭和50年排出ガス規制の施行に伴い、SUツインキャブからL20E型(ドイツ・[[ロバート・ボッシュ (企業)|ボッシュ]]開発のL-ジェトロニック式電子制御[[燃料噴射装置]]・ニッサンEGI)に変更、同時に排気系に[[触媒]]を有する、排気ガス浄化システム「[[NAPS]](ニッサン・アンチ・ポリューションシステム)」を装着。型式が「A-S30・A-GS30」となる。輸出モデルは従前の2.6Lから2.8LのL28E型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン280Z」(HLS30)(HLS30)に変更。ニッサンEGIシステムであるが、触媒などの排気ガス浄化システムは装着されていない。北米モデルは[[バンパー#5マイルバンパー|5マイルバンパー]]と呼ばれるショックアブソーバ付きの大型バンパーを装着。
;[[1976年]]
 
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! 搭載エンジン!!ハンドル位置!!ホイールベース!!基本型式
|-
! 無記号  L20<br />P   S20<br />H   L24<br />R   L26<br />H  L28
! 無記号  右<br />L  左|| 無記号  (標準・定員2名)<br />G  (ロング・定員4名) ||S30  昭和50年排出ガス規制以前車<br />S31  昭和51年排出ガス規制適合車 
|}
* 型式の頭に、昭和50年排出ガス規制適合車は「A-」、昭和51年排出ガス規制適合車は「C-」がそれぞれ付与される(日本国内販売車のみ)。
* HLS30(左ハンドル・2名乗り)の場合、同一型式でL24型エンジン搭載車と後年発売されたL28型エンジン搭載車の2種類のエンジン搭載車が存在するため、型式だけではどちらなのか判断できないが、型式に続く車台番号が前者は5桁、後者は6桁であるため車台番号まで全て分かれば判別が可能である。HLGS30のL24型エンジン搭載車は存在しない。
<br />
=== {{Visible anchor|2代目 S130型系}}(1978 (1978年 - 1983年)===
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
131行目:
| トランスミッション=3速AT/5速MT
| サスペンション=前:マクファーソンストラット<br />後:[[セミトレーリングアーム]]
| 駆動方式=後輪駆動 (FR)
| 全長=4,420mm420 mm
| 全幅=1,690mm690 mm
| 全高=1,295mm295 mm
| ホイールベース=2,320mm320 mm
| 車両重量=1,225kg225 kg
| 乗車定員=2人/4人
| 自由項目1(項目名)=ブレーキ<br />(前/後)
144行目:
| 姉妹車=
| 同車台=
|最高出力=130馬力(L20E) (L20E)<br />145馬力 (前期L28E、L20ET), L20ET)<br />155馬力 (後期L28E)L28E)}}
;[[1978年]](昭和53年)8月17日 発表
:フルモデルチェンジしS130型となる。
155行目:
;[[1981年]]10月29日
:マイナーチェンジ。2.8Lモデルが圧縮比アップやフリクション低減などにより10ps出力向上し155psとなった。2.0LモデルのATをロックアップ式に、パワーステアリングをリサーキュレーティングボールから[[ラック・アンド・ピニオン]]に変更。他にサスペンションチューニングの変更、全般的な軽量化、大型ソフトカラードバンパーの全車標準化、対米モデルと同じフードルーバー([[エアインテーク|NACAダクト]])追加、グリルやテールランプの変更、自動速度制御装置、リアサイドウインドウのリモコン機構、メタル対応デッキ、減光式ルームランプ、ドアキー照明、本革と人工皮革のコンビシート(オプション)の採用など。
:第24回[[東京モーターショー]]にアメリカ合衆国で開催されていたレースSCCA(SCCA (''Sports Car Club of America'')に参戦していた「DATSUN ZX TURBO V-8」を参考出品。[[繊維強化プラスチック|FRP]]製のボディに[[日産・プレジデント|プレジデント]]用の[[V型8気筒|V8]]エンジンをベースにターボを組合わせたレーシングカーである。
;[[1982年]]
:アメリカでL28ET型エンジンを搭載した2.8L[[ターボチャージャー|ターボ]]モデルが誕生。初代に引き続きS130もアメリカでは大ヒットとなり、1年足らずで生産台数10万台を突破した。(L28ET登載車は日本の型式申請が通らなかった。)
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{{-}}
 
=== {{Visible anchor|3代目 Z31型系}}(1983 (1983年 - 1989年) ===
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
181行目:
| エンジン=3.0L V6 VG30ET型<br />2.0L [[V型6気筒|V6]] [[日産・VGエンジン|VG20ET]]型<br />2.0L 直6 [[日産・RBエンジン|RB20DET]]型<br />3.0L V6 VG30DE型
| エンジン位置=フロントミッドシップ
| 最高出力=230PS(VG30ET230PS (VG30ET:1983: 1983)※)※グロス<br />170PS(VG20ET170PS (VG20ET)※)※グロス<br />180PS(RB20DET180PS (RB20DET:1985: 1985)※)※ネット<br />195PS(VG30ET195PS (VG30ET:1986: 1986)※)※ネット<br />190PS(VG30DE190PS (VG30DE)※)※ネット
| トランスミッション=4速AT/5速MT
| サスペンション=前:マクファーソンストラット<br />後:セミトレーリングアーム
| 駆動方式=後輪駆動
| 全長=4,535mm535 mm
| 全幅=1,725mm725 mm
| 全高=1,310mm310 mm
| ホイールベース=2,520mm520 mm
| 車両重量=1,365kg365 kg
| 乗車定員=2人/4人
| 自由項目1(項目名)=ブレーキ
203行目:
:前期型のエクステリアデザインは社内によるもので、高木一正を中心としたチームによってまとめられた。
:エンジンは直列6気筒のL型から新世代[[V型6気筒]]エンジンであるSOHCターボ2.0Lの[[日産・VGエンジン|VG20ET]]と3.0LのVG30ET (輸出仕様にはNAのVG30Eがある)全グレードにV6ターボエンジンを搭載した<ref name="shashin"/>。後に再度直列6気筒モデルが設定されるも、ターボ搭載は守られた。ライバル関係にある[[トヨタ・スープラ]]が廉価版に2.0L NAエンジンを採用したのとは、正に好対照であった<ref group="注釈">同じくライバル関係だった初代[[トヨタ・ソアラ]]と[[日産・レパード]]においては、前者が廉価版でも2,000cc6気筒だったのに対し、後者は1,800cc4気筒を採用してブランドイメージを損ねている。</ref>。中でもVG30ETは当時としては大パワーを誇り、スープラに搭載される[[トヨタ・M型エンジン|7M-GTEU]]が出るまではトップクラスの出力を誇り、空力に優れた欧州向けモデルでは、最高速度が250km/hに届いた。また当時の北米では直6エンジンは廉価な自動車のエンジンという印象が強かったため、ハイパフォーマンス・スポーツカーへの宗旨替えのためには、V6エンジンの採用は必須であった。
:ターボチャージャーは2.0 L/3.0L0 Lともにギャレットエアリサーチ製のT03型を使用。
:販売当初のラインナップは、日本向けは2.0L「VG20ET」搭載のZ/ZS/ZG、3.0L「VG30ET」搭載の300ZX。
:300ZXの5速[[マニュアルトランスミッション|MT]]は[[ボルグ・ワーナー]]製のT5型トランスミッションが搭載された。
217行目:
:2.0Lモデルは、V型6気筒SOHCターボのVG20ETが廃止され、直列6気筒DOHCターボのRB20DETを搭載した「200ZRシリーズ」のみとなった。
:3.0Lモデルは、V型6気筒SOHCターボのVG30ETを搭載した「300ZX」が前期型から継続され、トランスミッションの設定が国内仕様ではAT車のみとなった。
:また、新グレードのフラッグシップモデルとして「300ZR」が追加され、エンジンには同年2月にレパードに初搭載されデビューを飾った3.0L V型6気筒のツインカムヘッド(DOHC) (DOHC)化されたVG30DEが搭載され、マニュアルトランスミッションには新開発された5速MT [FS5R30A型] が搭載された。2シーターと2by2、5MTとATがそれぞれ設定されている。
:この「300ZR」は締め上げられた足回りとZ31型系で唯一の[[自然吸気]]エンジンなどから、古典的でスパルタンな味わいを持つマニアックなモデルとなった。しかし[[1988年]]にはVG30DEにターボチャージャーを装着したVG30DET(255PS)を搭載する[[日産・シーマ]]が登場し大ヒットし、エンジンパフォーマンスの面でその後塵を拝することとなった。
;[[1987年]][[11月]]
223行目:
;[[1988年]][[6月]]
:3.0L車に50%偏平率タイヤと[[差動装置#回転感応型|ビスカスLSD]]がオプションで追加設定された。
;[[1989年]][[6月]]<ref>{{cite web|url=https://www.carsensor.net/catalog/nissan/fairlady_z/F001/|title=フェアレディZ (日産)1983年9月~1989{{~}}1989年6月生産モデルのカタログ|中古車なら【カーセンサーnet】|publisher=リクルート株式会社|date=2020-1-19|accessdate=2020-1-19}}</ref>
:生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
;[[1989年]][[7月]]
229行目:
{{-}}
 
=== 4代目 Z32型系(1989 (1989年 - 2000年) ===
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
245行目:
| エンジン=3.0L [[V型6気筒|V6]] [[日産・VGエンジン|VG30DE]]型 <br />3.0L [[V型6気筒|V6]] [[日産・VGエンジン|VG30DETT]]型
| エンジン位置=フロントミッドシップ
| 最高出力=230PS230 PS / 6,400rpm(NA)400 rpm (NA)<br />280PS280 PS / 6,400rpm(400 rpm([[ツインターボ]]
| 最大トルク=27.8kgm8 kgm / 4,800rpm(NA)<br />39.6kgm / 3,600rpm(600 rpm(ツインターボ)
| トランスミッション=4速AT/5速MT
| サスペンション=前後:4輪[[マルチリンク式サスペンション|マルチリンク]]
| 駆動方式=後輪駆動
| 全長=4,310 - 4,525mm525 mm
| 全幅=1,790 - 1,800mm800 mm
| 全高=1,245 - 1,255mm255 mm
| ホイールベース=2,450 - 2,570mm570 mm
| 車両重量=1,430 - 1,570kg570 kg
| 乗車定員=2人/4人
| 自由項目1(項目名)=ブレーキ
265行目:
; [[1989年]]([[平成]]元年)7月10日 発表
: スタイル、パフォーマンスを始めとして、完璧なスーパースポーツカーを目指した4代目が登場。キャッチコピーは『'''スポーツカーに乗ろうと思う'''』。[[バブル景気]]の絶頂期と[[バブル崩壊|崩壊]]、その後の日産の経営悪化のため2000年9月まで11年間という長期に渡り生産・販売された。[[カルロス・ゴーン]]の愛車でもあった。
: エクステリアデザインは当時日産自動車デザイン部に所属していた[[前澤義雄]]・[[園勲夫]]・山下敏男等数名の手によるものである。イメージは獲物を狙う動物であり、静止した状態でも躍動感のあるフォルムを追求した。そして当時のデザインのトレンドを考慮し、従来からの特徴であるロングノーズ・ショートデッキを改め、新たにワイド&ローというスポーツカーの基本的イメージを決定し、日本本来の良さを持ったアイデンティティや、いつまでも沈まない[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]の太陽に映えるボディデザインを検討したという<ref>[http://www.nttd-es.co.jp/hitoto_s/no38/Special_38_3.htm NTTデータ エンジニアリングシステムズ 人とシステム「日産ブランドのデザイン戦略」(No.38)]</ref>。また、前澤によれば、マイナーチェンジの際に前後オーバーフェンダーにし、ホイールを17インチ化する計画があったものの実現しなかったと語っている<ref>『オンリー・ゼット―国内&amp;輸出仕様・完全網羅!S30からZ32まで、日産Zの全てがわかる決定版!!』([[ネコ・パブリッシング]])</ref>。
: ワイド&ローの迫力のあるスタイリングは[[CAD]]による設計が多用され、これによりV型6気筒DOHCの全高が高い設計のエンジンを、初代のような[[パワーバルジ|盛り上がり]]なしで低い[[ボンネット (自動車)|ボンネット]]に収める事を可能としたが、その結果エンジンルームの余白が狭く、特にターボモデルではエンジンルーム内の換気性能が十分とは言えず、熱害によるトラブルや部品劣化を起こしやすい欠点となってしまっている。
: ヘッドランプは3代目のパラレルライジングタイプから、再び固定式に戻された。このランプはレンズの傾斜が非常に緩いため、当時の一般的なレンズカットとハロゲンバルブの組み合わせでは透過率が低すぎて照度が確保できず、カットなしのレンズ(カバー)とし、プロジェクターランプ(ロービーム用)の採用とリフレクター(ハイビーム)の見直しでこの問題を解決している。ボディの一部を削ったかのようにしてランプを設置するというデザインを踏襲してはいるが、透明なガラスレンズによってボディ上面は平滑さを保っている。このランプユニットはその独特な形状から、後年[[ランボルギーニ・ディアブロ]]や[[日産・R390|R390]](ロードカー)にも流用された。
: 車体寸法は幅方向が特に大きくなり、先代までの5ナンバーサイズから完全な3ナンバーサイズに変更された。2シーターおよび2by2と2つのシャシー、ボディがあり、それぞれ[[ホイールベース]]も異なるためシャシー別に設計、製造されているのがフェアレディZの特徴だが、Z32型は2シーターと2by2の外観上の違いは燃料給油口の位置が2シーターはドアとリヤタイヤハウスの間で2by2はリヤタイヤハウスの後ろに位置していることから容易に判別できるモデルである。2代目(S130 (S130)から続く[[Tバールーフ]]も一部モデルに引き継がれた。なお、2by2はTバールーフのみの設定でノーマルルーフは設定されていない。また、Z32型は歴代フェアレディZの中で唯一給油口が左側に設置されている。<ref group="注釈">他の日産FR車(Z32以外のフェアレディZ、スカイライン、ローレルなど)は給油口が右側にあるのが定番となっている。</ref>
:フロントインパネに搭載していたS30型からの伝統の三連メーター(燃料計・油圧計・水温計・電圧計・時計(S30はアナログ時計・S130からはデジタル時計))はこの型から外された。
: イグニッションキーの材質は[[チタン]]、車載ジャッキは[[アルミニウム合金|アルミ]]製、スペースセーバー式[[スペアタイヤ]]も[[アルミホイール]]である。
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; [[1998年]]10月
: マイナーチェンジ。ボディ剛性の向上。フロントバンパー、リアスポイラーなどを変更。サイドシルプロテクターを装備。フロントオーナメントとリヤの300ZXの文字を赤色化。メーカーオプションでポリッシュ仕上げのアルミホイールが設定される。ツインターボモデルに[[キセノンランプ]]を標準装備。[[尾灯|リヤコンビランプ]]のターンランプを白色レンズ化。インナーフィニッシャーが黒色からクロームメッキに変更。「コンバーチブル」を廃止。シートカラーが変更される。
; [[2000年]]8月<ref>{{cite web|url=https://www.carsensor.net/catalog/nissan/fairlady_z/F002/|title=フェアレディZ(日産)1989年7月~2000{{~}}2000年8月生産モデルのカタログ|中古車なら【カーセンサーnet】|publisher=リクルート株式会社|date=2020-1-19|accessdate=2020-1-19}}</ref>
: 生産終了。以後、在庫のみの対応となる。生産台数は6万4884台<ref>デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第3号15ページより。</ref>
; 2000年9月
291行目:
<br />
 
=== 5代目 Z33型系(2002 (2002年 - 2008年) ===
[[ファイル:Nissan350Z-02.jpg|thumb|right|200px|5代目フェアレディZ]]
{{main|日産・フェアレディZ Z33}}'''[[2002年]](平成14年)7月30日 発表'''
305行目:
 販売終了。{{-}}
 
=== 6代目 Z34型系(2008 (2008年 - ) ===
[[ファイル:2009 Nissan Z34 Fairlady Z 01.JPG|thumb|right|200px|6代目フェアレディZ]]
{{main|日産・フェアレディZ Z34}}
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=== 7代目 ===
;2020年9月16日
:7代目となる新型のプロトタイプを発表。スタイルはS30型のアイデンティティである、「ロングノーズ」や、後方に向かってさがっていくリアビューなどを踏襲したデザインになった。ヘッドライトは丸目型をシャープにしたものになり、フロントグリルはS30型をイメージした長方形型グリルを採用している。リアデザインはZ32型に似た横長のテールランプを採用している他、リアゲート右側にはS30型と同じ書体の「''Fairlady Z''」のバッジが装着されている。
 
== 車名の由来 ==
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== ミス・フェアレディ ==
{{main|ミス・フェアレディ}}
[[日産自動車グローバル本社]](現在は一時閉館中だが[[銀座]]4丁目交差点角にもショールームが存在)に置かれている日産自動車の直営ショールーム「[[日産ギャラリー]]」内にいる[[コンパニオン]]([[ショールーム]]スタッフ)は、「'''ミス・フェアレディ'''」と呼ばれており、日産自動車の顔として活躍している。また、[[東京モーターショー]]や新車発表披露会、各種イベントでもコンパニオンとして活躍している。
 
== レース活動 ==
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なお、レース用のオプションとして、L24をクロスフロー化するシリンダーヘッド(LYヘッド)が300万円で設定された。
*[[1970年]]
:1月:Z432Rが[[全日本鈴鹿300㎞300km]]でデビュー。公認が間に合わず排気量無制限のRクラスに出場。リタイヤ。
:4月:レースドニッポン6時間耐久で初勝利。
:11月: RACラリーに「240Z」が参戦し、総合7位(クラス2位)。ドライバーは[[ラウノ・アルトーネン]]。