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Senbei6304 (会話 | 投稿記録) 大方はen:Halley's Comet oldid=994873240 を翻訳して加筆。中国・日本・朝鮮については英語版の記述は少ないので出典追加。雑学などで出典のないものは出典が探せたものは追加、難しかったものは排除。 タグ: サイズの大幅な増減 |
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{{天体 基本
|
|
| 和名 = ハレー彗星
| 英
| 画像
| 画像サイズ = 300px | | 分類 = [[周期彗星]]
}}
{{天体 発見
| 色 = 彗星
| 発見者 = 不明<br>(同定・軌道計算は[[エドモンド・ハレー]])
| 発見日 = [[紀元前240年]]6月(古代)<br>[[1758年]][[12月25日]](同定後初)
}}
{{天体 軌道
| 色 = 彗星
| 元期 = [[1994年]][[2月17日]]
| 離心率 = 0.96714291{{R|jpldata}}
| 軌道長半径 = 17.
| 近日点距離 = 0.58597811 au{{R|jpldata}}
| 遠日点距離 = 35.
| 公転周期 = 75.3
| 軌道傾斜角 = 162.26269 °{{R|jpldata}}
| 近日点引数 = 111.33249 °{{R|jpldata}}
| 昇交点黄経 = 58.42008 °{{R|jpldata}}
| 平均近点角 = 38.38426 °{{R|jpldata}}
|
| 次回近日点通過 = [[2061年]][[7月29日]]{{R|mpcdata}}
}}
{{天体 項目|[[最小交差距離|MOID]](地球)|0.637815 [[天文単位|au]]}}
{{天体 物理
| 色 = 彗星
| 三軸径 = 15.3km×7.22km×7.22km{{sfn|鈴木|秋澤|菅原|2013|p=108}}
| 質量 = 2.2{{E|14}} kg{{R|Cevolani1987}}
| 平均密度 = 0.6g/cm{{sup|3}}{{R|Sagdeev1988}}
| アルベド = 0.04 ± 0.01{{sfn|鈴木|秋澤|菅原|2013|p=108}}
}}
{{天体 別名称
| 色 = 彗星
| 別名称 = 1 = 1P/-239 K1 -239 = 1P/-163 U1 = -163 = 1P/-86 Q1 = -86 = 1P/-11 Q1 = -11 = 1P/66 B1 = 66 = 1P/141 F1 = 141 = 1P/218 H1 = 218 = 1P/295 J1 = 295 = 1P/374 E1 = 374 = 1P/451 L1 = 451 =1P/530 Q1 = 530 = 1P/607 H1 = 607 = 1P/684 R1 = 684 = 1P/760 K1 = 760 = 1P/837 F1 = 837 = 1P/912 J1 = 912 = 1P/989 N1 = 989 = 1P/1066 G1 = 1066 = 1P/1145 G1 = 1145 = 1P/1222 R1 = 1222 = 1P/1301 R1 = 1301 = 1P/1378 S1 = 1378 = 1P/1456 K1 = 1456 = 1P/1531 P1 = 1531 = 1P/1607 S1 = 1P/1682 Q1 = 1682 = 1P/1758 Y1 = 1759 I = 1P/1835 P1 = 1835 III = 1P/1909 R1 = 1910 II = 1909c = 1P/1982 U1 = 1986 III = 1982i{{R|jpldata}}
}}
{{天体 終了|彗星}}
'''ハレー彗星'''(ハレーすいせい、1P/Halley、'''ハリー彗星'''とも{{R|kbhalley}})は、75.32年周期{{R|jpldata}}で[[地球]]に接近する短周期[[彗星]]である{{R|Kronk1P}}。地球から肉眼で見える唯一の[[周期彗星]]であり、かつ人によっては唯一生涯で2度見ることも可能な彗星である{{R|Delehanty}}。多くの周期彗星の中で最初に知られた彗星であり、古来多くの文献に記録されている。前回は[[1986年]]2月に回帰し、次回は[[2061年]]夏に出現すると計算されている。
== 組成 ==
[[ジオット (探査機)|ジオット]]や[[ベガ計画|ベガ]]による探査によりハレー彗星の表面や構造が明らかとなった。ハレー彗星は他の彗星と同様に太陽に近づくと水や[[一酸化炭素]]、[[二酸化炭素]]などの沸点の低い揮発性物質が[[核 (彗星)|核]]から昇華する{{R|Brandt}}。これにより彗星の[[コマ (彗星)|コマ]]は10万kmにまで発達する{{R|ASP1986}}。このような氷の蒸発から微粒子(ダスト)が放出され、コマ中のガス分子は太陽光を吸収したのち再放射([[蛍光]]と同じ原理)し、ダストは太陽光を散乱させる。この過程によりコマは見えるようになる{{R|Delehanty}}。コマ中のガス分子の一部は[[太陽風]]による[[紫外線]]放射によりイオン化しており{{R|Delehanty}}、そのイオンが長い尾を形成し、1億kmに及ぶこともある{{R|Brandt|Crovisier2000}}{{要ページ番号|date=2020-11}}。太陽風が変化すると尾の一部が核から完全に離れて分離するdisconnect eventが起こることもある{{R|Mendis1988}}。
ハレー彗星のコマが大きいのに対し核は小さく、15.3km*7.22km*7.22kmほどしかない{{sfn|鈴木|秋澤|菅原|2013|p=108}}。その形は[[ピーナッツ]]の殻に似ている{{R|ASP1986}}。質量も2.2{{E|14}}kgと小さく{{R|Cevolani1987}}、密度が0.6 g/cm{{sup|3}}であるため[[ラブルパイル天体]]のように小さな粒が集積してできたということが示されている{{R|Sagdeev1988}}。地上の望遠鏡からのコマの観測ではハレー彗星の[[自転周期]]が7.4日と示唆されたが、探査機による観測では52時間と求められており{{R|Keller2005}}、ハレー彗星の自転は複雑になっている可能性がある{{R|Brandt}}。ハレー彗星のフライバイのミッションでは表面の25%しか撮影されていないが、丘陵・山・尾根・凹地が発見され、更にクレーターも1つ発見されている{{R|Keller2005}}。
ハレー彗星は[[エンケ彗星]]や[[ホームズ彗星]]のような他の周期彗星の中では最も活動的で[[対数スケール]]により[[数量の比較|数量を比較]]すると1~2ほどの違いがある{{R|Keller2005}}。また、夜側(太陽を向いていない方)より昼側(太陽を向いている方)の方が活動的である。探査機の観測からは核から放出されるガスの組成は水蒸気80%、一酸化炭素17%、二酸化炭素3~4%{{R|Woods1986}}、炭化水素微量{{R|Chyba1987}}と示されたが、[[ヨーロッパ南天天文台|ESO]]の見解では一酸化炭素10%、二酸化炭素2.5%で[[メタン]]や[[アンモニア]]も微量含まれているとしている{{R|ESO19870313}}。微粒子(ダスト)はこのように主に太陽系外でも多い炭素・水素・酸素・窒素(CHON)と地球の岩石などで見られるケイ素で構成されている{{R|Brandt}}。だが、この微粒子(ダスト)には検出できる限界があり、1nm(=0.001μm)までしか検出できない{{R|Mendis1988}}。
ハレー彗星に含まれる水H{{sub|2}}O中の水素の[[重水素]]の割合は初めはハレー型彗星が地球に水を運んでいたと提唱されていたため、地球の海と同じ程度と考えられていた。しかし、ハレー彗星の水の重水素の割合は地球の海の水よりも高いことが分かっており、つまり、ハレー型彗星が地球に水を運んだわけではない、ということである{{R|Brandt}}。
ジオットのハレー彗星の観測では[[フレッド・ホイップル]]の[[汚れた雪玉モデル]]が正しいということが明らかになった。このモデルでは彗星がもともと氷から成る物体で、太陽系の内部に近づいていくにつれて太陽により温められ、表面の氷が昇華してガスとなり、揮発性物質から成るガスが放出され、尾・コマを形成するというものである{{R|jaxa_comets}}。ジオットによる観測ではこれに一部修正が加わったものの大方正しいことを証明した{{R|Brandt}}。
ハレー彗星の[[アルベド]]は0.04 ± 0.01 しかなく、太陽の光をたった4 ± 1%しか反射しない{{sfn|鈴木|秋澤|菅原|2013|p=108}}。石炭のように炭素から成るとも言われている{{R|Weaver1997}}。このようにハレー彗星は地球から見れば白く見えるものの実際には真っ黒である。「汚れた雪玉」の蒸発する温度はアルベドが高い所で170[[ケルビン|K]]、低い所で220Kである。[[ベガ1号]]による探査では表面温度は300~400Kと示されたが、これによりハレー彗星で活動的なのは10%程度で残りは黒く、熱を保っていると考えられている{{R|Mendis1988}}。この2つの探査機による観測からハレー彗星は不揮発性物質の方が多く、汚れた雪玉というよりは雪の積もった汚い玉という方が近しい{{R|Keller2005|nasa20051228}}。
== 軌道 ==
ハレー彗星の公転周期は紀元前240年の観測以来、74年から79年の間を変動している{{R|Yeomans1986|Hughes1987}}。その軌道は非常に扁平な楕円で[[軌道離心率]](0に近いほど[[円]]に似ていて1に近いほど[[放物線]]に似る)は0.967である。近日点では太陽からの距離が0.6[[天文単位|au]]で[[水星]]と[[金星]]の間に位置するが、[[遠日点]]になると35auと[[冥王星]]ほど遠い位置を公転する。また、太陽系内にある数多くの天体の中でも珍しく、[[順行・逆行|逆行軌道]]をとっている。そのため、軌道は18°傾いているのだが表現上は162°と表される{{R|Nakano2002}}。逆行しているため地球に対する[[相対速度]]は非常に速い。1910年に地球周辺を通過した際には相対速度が70.56 km/sにも及んだ{{要出典|date=2020-12}}。ハレー彗星は2度地球に近づくので5月初めの[[みずがめ座η流星群]]と10月中頃の[[オリオン座流星群]]はハレー彗星によるものと考えられている{{R|jplmeteor_streams}}。なお、オリオン座流星群については[[母天体]]がこの彗星であることが分かっているが、みずがめ座η流星群に関しては関連があることが示されているのみで母天体とは完全に言えない{{R|Mitra1987}}。
[[File:Orionid12n.jpg|thumb|right|ハレー彗星が母天体であるオリオン座流星群。]]
ハレー彗星は周期が200年以下の[[短周期彗星]]に分類される{{R|Morbidelli2005}}。短周期彗星には[[軌道傾斜角]]は10°程度で公転周期6、7年のものが多いがそれらと比べるとややタイプが異なる{{R|Hughes1987}}。多くの短周期彗星は木星族彗星({{lang-en|Jupiter-family comets}})別名黄道彗星({{lang-en|Ecliptic Comets}})と言われる一方、周期が20年~200年で軌道傾斜角も大きいものはハレー彗星のような特徴からハレー型彗星({{lang-en|Halley Type Comets}})と呼ばれる{{R|Morbidelli2005|Jewitt2002}}{{sfn|鈴木|秋澤|菅原|2013|p=28}}。
2020年11月時点でハレー型彗星は104個観測されており、木星族彗星が594個あるのに対し少数である{{R|Fernandez}}。
ハレー型彗星誕生の説としては木星や土星のような巨大な惑星との重力による影響でもとは[[長周期彗星]]であったが太陽の方向に移動したとする説がある{{R|Morbidelli2005}}。その場合、元々は太陽から20000~50000[[天文単位|au]]の場所にあると考えられている[[オールトの雲]]で発生する可能性が高い{{R|Jewitt2002}}。反対に木星族彗星は一般的に太陽から30~50auの場所にある[[エッジワース・カイパーベルト]]で発生する可能性が高い{{R|Jewitt2002}}。しかし、2008年、逆行小惑星{{仮リンク|(528219) 2008 KV42|en|(528219) 2008 KV42|label={{mp|(528219) 2008 KV|42}}}}が発見されたためこの考え方は改められた。{{mp|(528219) 2008 KV|42}}は近日点は[[天王星]]と[[海王星]]の間、遠日点は太陽-[[冥王星]]間の距離の2倍で上記のモデルのどちらにも該当せず、これがハレー型彗星になる可能性もある{{R|Gladman2009}}。
ハレー彗星は1.6万~20万年の間、現在と同じ軌道をとっていると考えられているが、何十回か出現しているため数値積分は困難であり、837年より以前は記録からしか遡れない{{R|Olsson-Steel1987}}。それは他惑星の重力によるものではなく{{R|Olsson-Steel1987}}、ハレー彗星が太陽に接近する際に表面上のガスを放出し、わずかに軌道がズレるためである。このような軌道の変化から平均して4日ほど遅れが生じる{{sfn|Yeomans|1991|pp=260–261}}。
1989年、[[:en:Boris Chirikov|Boris Chirikov]]とVitold Vecheslavovは昔の記録から見られるハレー彗星の46回の出現をコンピュータシミュレーションで分析した。するとハレー彗星は1000万年近く存在していることが見積もられた{{R|Chirikov1989}}。更に、将来1万年以内にハレー彗星は蒸発してしまうか2つに分裂してしまい、10万年以内には太陽系から弾き飛ばされてしまうのではないかという説もある{{R|Jewitt2002|UT20150612}}。D. W. Hughesの観測からは2000年~3000年経ってしまうと質量の80~90%を失うことも示唆されている{{R|Keller2005}}。
[[File:Halley's Comet animation.gif|thumb|right|ハレー彗星の軌道。同心円状の4円は内側から[[木星]]、[[土星]]、[[天王星]]、[[海王星]]。]]
ハレー彗星は初めて周期彗星であると認識されるようになった彗星である。ルネサンス以前は彗星についての自然観は[[アリストテレス]]により発展させられ、地球の大気中で起こっていることだと考えられていた。しかし1577年には[[ティコ・ブラーエ]]による[[視差]]の測定で月よりももっと向こう側にあることが示された。それでも当時の大方の人々は納得することができなかったため、代わりに[[太陽系]]内を直線運動していると考えた{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=25}}。
1687年には[[アイザック・ニュートン]]による著書[[自然哲学の数学的諸原理|『自然哲学の数学的諸原理』]]において重力や運動の法則が明らかにされた。彼は1680年と1681年に現れた大彗星が太陽の通過前か後かの違いで同じ彗星ではないかと考えていたが、うまく彼のモデルに組み込むことができず、ニュートンの説明では彗星についての説明は不完全であった{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=35}}。
そしてついにニュートンの友人であった[[エドモンド・ハレー]]は彼の1705年に出版した著書『Synopsis of the Astronomy of Comets』(『彗星天文学概論』{{sfn|鈴木|秋澤|菅原|2013|p=34}})でニュートンが導入した法則を用い、木星・土星の重力の影響を算出した。ハレーは24種の彗星を一覧にまとめ、彼が観測した1682年の彗星(=後のハレー彗星)も含めた[[軌道要素]]を計算した{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=76}}{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=179}}。そして[[ペトルス・アピアヌス]]が1531年に観測した彗星と[[ヨハネス・ケプラー]]が1607年に観測した彗星が同じであることに気付いた。ハレーは[[摂動 (天文学)|摂動]]を大まかに推定し、彗星が木星などの惑星の重力があっても持続できると考え、1758年に再度見えると予言した{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=78}}{{sfn|Ley|1967|p=96–105}}。彼は[[近日点]]に来た1682年{{R|Yeomans1986}}から60年後となる1742年、再びこの彗星を見ることなく死去した{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=80}}。
1758年12月25日、ついにハレー彗星が地球に回帰してきたことをドイツの農家でありアマチュア天文家でもあった[[ヨハン・ゲオルク・パリッチュ]]が確認した。近日点に到達したのは1759年3月13日で木星・土星による影響で計618日の遅れが引き起こされた{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=86}}。この遅れは1か月の誤差はあったものの[[アレクシス・クレロー]]、[[ジェローム・ラランド]]、[[ニコール=レイヌ・ルポート]]ら3人の数学者により計算された{{sfn|Lancaster Brown|1985|pp=84–85}}{{sfn|Sagan|Druyen|1985|p=74}}。ハレー彗星の回帰の確認により惑星以外の太陽を公転する天体がはじめて発見されたことになる。また、[[ニュートン力学]]が成功を収めた出来事ともなり、その説明力が明らかになった{{R|Hughes1987}}。1759年にはルポートによりハレー彗星と名付けられた{{R|Hughes1987}}。
学者の一部はハレー彗星を周期彗星と認識したのはハレーではなくメソポタミアの天文学者らであるという説も提唱している。その根拠は[[タルムード|バビロニア・タルムード]]のHorayotという本である{{R|JVL}}。この本では「70年に一度現れる船長を惑わす星」について言及している{{sfn|Rayner|1998|pp=108–111}}。
1981年には17世紀および18世紀の正確な観測データから[[数値積分]]してハレー彗星の過去の軌道を求めようとする試みが行われたが、837年のハレー彗星が地球に接近しすぎていたため837年以前の正確な結果は得られなかった。そのため、古代中国の記録を使う他なかった{{R|Stephenson1984}}。
== 観測史 ==
以下に過去のハレー彗星の出現年及びそれが言及されている記録について説明する。出現についてはJPLによる近日点通過時の年に基づく{{R|jpldata}}。
=== 紀元前 ===
;[[紀元前467年]]ごろ
紀元前467年に出現したという説もあるが不確定である。紀元前468年から紀元前466年までに記録が見られ、タイミングや期間などからもハレー彗星であると考えられている{{R|bbc20100910}}。古代ローマの人物、[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス]]によると、同年に[[トラキア]]の{{仮リンク|アイゴスポタモイ|en|Aegospotami}}という町に隕石が降ってきたという。彼はこれについて色は茶色で[[馬車]]ほどの大きさであると説明した{{sfn|Yeomans|1991|p=4}}。中国の年代記の編者も同年、この彗星について言及している{{R|Dubyago1961}}。
;[[
歴史的な記録で初めて見られる'''確定した'''ハレー彗星の出現は紀元前240年である。中国の歴史書『[[史記]]』には彗星が東に現れ、北の方に動いて言ったことが書かれている。更にその後西の方にも現れたことが記録されている{{R|Kronk1P|Kronk1991|Tsu1934}}。
;[[紀元前164年]]
[[File:Babylonian tablet recording Halley's comet.jpg|thumb|right|大英博物館の展示。ハレー彗星に関する粘土板であることがアピールされている。 <br> ([http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=327183&partId=1 BM 41462])]]
[[大英博物館]]所蔵の[[バビロニア]][[粘土板]]の彗星に比定する説がある。BMA41628の「彗星は東のかたすばる・牡牛座のアヌの道にあり…西のかたエアの道を通りぬ」BMA41628の「木星の前方1キュビット、北天頂へ3キュビットにあるエア」という記述が、ハレー彗星の軌道と一致すると主張される{{R|Kronk1P|Kronk1991|Stephenson1985}}。中国では漢書によると[[文帝 (漢)|文帝]]後2年(163年)に夕方の南西に槍のような物体が空に現れたとあり、これもハレー彗星である{{R|Tsu1934}}。
;[[紀元前87年]]
紀元前87年にハレー彗星が見られた証として古代バビロニアの板があり、1か月に渡って日中も見られたと書かれてある{{R|Stephenson1985}}。Vahe GurzadyanとR. Vardanyanらは出現の際の[[アルメニア王国|アルメニア]]王、[[ティグラネス2世]]が描かれたコインの冠にある星はこの時現れたハレー彗星であると推測している。また、彼らはティグラネス2世はハレー彗星を見た可能性があり、古代アルメニアの人々にとってはもっとも記憶の残る出来事であったため新時代の到来と考えた、と主張している{{R|Gurzadyan2004}}。また、アルメニア以外でもバビロニアの粘土板BM 41018や中国の古文書、『[[漢書]]』にその記述が見られる{{R|Kronk1P|Tsu1934}}。
;[[紀元前12年]]
『漢書』に記述が見られ、8月から10月に観測されている{{R|Kronk1P}}。このときハレー彗星は地球から0.16auの場所を通過しており{{R|jplgreat_comets}}、漢書によると[[ふたご座]]の[[ポルックス (恒星)|ポルックス]]、[[カストル (恒星)|カストル]]を通過し、[[しし座]]と[[おとめ座]]の方に行ったと記録されている{{R|Tsu1934}}。古代ローマの歴史家、[[カッシウス・ディオ]]によると[[マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ]]の死の前兆のように何日間か彗星がローマの町に浮かぶようにあったと言う{{sfn|Chambers|1909|p=123}}。[[キリストの降誕|キリスト降誕]]の数年前に起こったことであるため[[ベツレヘムの星]]ではないかとも言われる。ただし、惑星の[[合 (天文)|合]]や別の彗星である可能性もある{{R|Humphreys1995}}。
=== 1世紀~10世紀 ===
;[[66年]]
Horayotという[[タルムード]]に「70年に一度現れる船長を惑わす星」として言及が見られる{{R|JVL}}。この星が66年出現のハレー彗星だと考えられている。この文章は当時の[[ラビ]]、Joshua ben Hananiahの手によるものとされ、彼の生きている時に起こったものであることから年代が特定された{{R|Ne'eman1983}}。
;[[141年]]
『後漢書』に観測記録があり、[[うみへび座]]に現れてしし座を通過し、約56日間見えたと書かれている{{R|Tsu1934}}。また、[[タミル語]]で書かれたPunaranuruには{{仮リンク|チェーラ朝|en|Chera dynasty}}の王、Yanaikatchai Mantaran Cheral Irumporaiの死に関連があると書かれている{{R|PN229}}。
;[[
[[建安 (漢)|建安]]23年(218年)、朝の東の空に彗星が出現し、彗星の尾が[[太微垣]]の五帝座([[デネボラ]])の方向を指していたことから、帝位に異変が起こる前兆ととらえられた{{R|Tsu1934}}。なお、2年後に[[献帝 (漢)]]は廃位され、後漢は滅亡している。
;[[295年]]
『[[晋書]]』に観測記録があり、[[アンドロメダ座]]に出現したのち、[[ペガスス座]]を通過し、[[しし座]]の方へ行ったと書かれてある{{R|Tsu1934}}。
;[[
『[[晋書]]』に観測記録があり、[[寧康]]2年(374年)、みずがめ座に出現し、[[てんびん座]]、おとめ座、[[からす座]]、[[コップ座]]、みずへび座と動いて行ったと書かれている{{R|Tsu1934}}。このとき、ハレー彗星は地球に0.09auまで接近していた{{R|jplgreat_comets}}。
;[[451年]]
『[[宋書]]』に観測記録があり、[[元嘉 (南朝宋)|元嘉]]28年(451年)に[[ペルセウス座]]で見られて、最終的にはからす座で消えたとある{{R|Tsu1934}}。更にヨーロッパでは現在のフランスで行われた[[カタラウヌムの戦い]]で[[アッティラ]]の前進が阻まれ、最終的には負ける前兆となったと考えられている{{R|O'Toole1985}}。
;[[530年]]
『[[魏書]]』に観測記録があり、[[永安 (北魏)|永安]]3年(530年)8月29日に北東の空で[[おおぐま座ラムダ星|おおぐま座λ星]]と[[おおぐま座ミュー星|おおぐま座μ星]]の東近くに現れた。その後も同様の現象が起こり、9月27日に消えたと書かれている{{R|Tsu1934}}。
;[[607年]]
『[[隋書]]』に観測記録が見られ、[[大業]]3年(607年)3月13日にアンドロメダ座で現れてしし座で消えたと書かれている{{R|Tsu1934}}。このときはハレー彗星は地球に0.09auまで接近しており{{R|jplgreat_comets}}、隋書には100日間以上も見えたことが書かれている。また、同年10月21日にも観測記録が見られるがこれはハレー彗星が近日点を通過した後の観測記録である{{R|Tsu1934}}。
;[[684年]]
:『[[日本書紀]]』に観測記録があり、[[天武天皇]]の治世13年(684年)9月7日に出現した{{R|naoj2002|Hirayama1910}}。日本最古の記録である。『[[旧唐書]]』にも観測記録があり、[[光宅]]元年(684年)11月11日に西の空に現れたとある{{R|Tsu1934}}。ドイツの『[[ニュルンベルク年代記]]』にもハレー彗星と思われるものがあるが、観測から800年経った後に出版されたものであるため作者による想像を含む可能性がある{{R|Ridpath1985}}。
;[[760年]]
『旧唐書』に観測記録が見られ、[[上元 (唐粛宗)|上元]]元年に東の空、[[おひつじ座]]で見られたと書かれている{{R|Tsu1934}}。
;[[837年]]
記録に残されている中ではハレー彗星が最も地球に近づいた接近でありその距離は0.03auである{{R|jplgreat_comets}}。観測記録は中国、日本、ドイツ、中東などで見られた{{R|Kronk1P}}。日本では『[[続日本後紀]]』に見られ、4月12日に南東の空に現れたとある{{R|Hirayama1910}}。フランク王国皇帝[[ルートヴィヒ1世 (フランク王)|ルートヴィヒ1世]]はハレー彗星の出現に天の警告と恐れ、祈祷・懺悔をした{{R|Cabaniss1961}}。中国では『旧唐書』に観測記録があり、[[開成 (唐)|開成]]2年(837年)3月22日に南西の空の[[みずがめ座アルファ星|みずがめ座α星]]付近で現れて4月28日にしし座の方で消えるまでが詳細に書かれている{{R|Tsu1934}}。
;[[912年]]
日本では『[[日本紀略]]』『[[扶桑略記]]』に観測記録がある。どちらの文献にも7月19日から7月28日に彗星が見られたことが書かれている{{R|Hirayama1910}}。中国では『[[新五代史]]』に観測記録があり、[[乾化]]2年(912年)5月13日にみずへび座の東側で出現したと書かれている{{R|Tsu1934}}。また、アイルランドの年代記、{{仮リンク|アルスター年代記|en|Annals of Ulster}}にも彗星について言及がある{{R|Ulster}}。
;[[989年]]
日本では『日本紀略』『[[一代要記]]』に観測記録がある。『日本紀略』には7月6日の彗星と8月13~23日の彗星が記載されており、前者についてはハレー彗星なのかどうか不明である。『一代要記』では8月15日に東の空に彗星があったと書かれている{{R|Hirayama1910}}。中国では『[[宋史]]』に観測記録がある。8月13日にふたご座の西で出現し、30日間観測された。最初の10日間は朝に見られたが残りは夕方に見られるようになったとも書かれている{{R|Tsu1934}}。『[[高麗史]]』にはハレー彗星と思われるものが記録されているものの10月18日で日付が合っていない{{R|Lee2014}}。
=== 11世紀~15世紀 ===
[[File:Tapestry of bayeux10.jpg|thumb|right|[[バイユーのタペストリー]]に描かれたハレー彗星と、それを指差して眺めるハロルド2世の家臣。上には[[ラテン語]]で「これらの者達は星に驚いている」と書かれている。]]
[[File:Comete Tapisserie Bayeux.jpg|thumb|上写真を彗星部分のみ拡大したもの。]]
[[File:Comet Halley from London on 1066-05-06.png|thumb|right|1066年5月6日にロンドンで観測されたハレー彗星。[[Stellarium]]を用いてシミュレーションされた。月、火星、木星、土星も図に見える。]]
;[[1066年]]
このときイングランドではこのハレー彗星が何らかの前兆であると言われた。結果、[[ヘイスティングズの戦い]]では[[ハロルド2世 (イングランド王)|ハロルド2世]]の死の悪い前兆となり、[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム征服王]]にとっては良い前兆となった。この事実は[[バイユーのタペストリー]]に見ることができる。当時の記録では[[金星]]の4倍ほど大きく、月の明かりの4分の1ぐらい明るいと描写されている。このときの接近距離は0.10auである{{R|jplgreat_comets}}。
また、この彗星は『[[アングロサクソン年代記]]』にも見られ、[[マルムズベリーのエイルマー]]はハレー彗星を989年にも見たと思われるような文章を残している{{R|Mynors1998}}。アイルランドの年代記『''Annals of the Four Masters''』{{small|([[:en:Annals of the Four Masters|英語版]])}}第2巻にある「月よりも明るい星」もハレー彗星に比定する説がある{{R|FourMasters}}。[[ニューメキシコ州|ニューメキシコ]]のネイティブ・アメリカンもペトログリフにこの出現を表した可能性がある{{R|Brazil2005}}。
日本では『一代要記』『扶桑略記』に記載があり、[[治暦]]2年(1066年)の4月に見られた旨が書かれてある{{R|Hirayama1910}}。中国では『宋史』に記録があり、[[治平 (宋)|治平]]3年(1066年)4月2日の朝に東の空、ペガスス座で見られたと書かれている{{R|Tsu1934}}。『高麗史』にも4月19日に観測されたとあるが、4月24日ではないかという疑義がある{{R|Lee2014}}。
;[[1145年]]
ヨーロッパでは修道士のEadwineによる書に記録が残されている。扇風機のようなハレー彗星の絵が掲載されている{{R|Olson1986}}。
日本では『[[台記]]』『一代要記』『[[百錬抄]]』に記述が見られる。『台記』には[[天養]]2年(1145年)5月9日に出現してからが詳細に書かれており、5月19日から5月22日に姿を現さず、5月23にもう一度現れたことも書かれてある。『一代要記』『百錬抄』については内容は『台記』に及ばないものの出現について記録されている{{R|Hirayama1910}}。
中国では『宋史』に観測記録があり、[[紹興 (宋)|紹興]]15年(1145年)4月26日に出現が始まり、近日点通過による2回の出現を経て6月24日に消えたことが書かれている{{R|Tsu1934}}。朝鮮では『高麗史』『[[高麗史節要]]』などに記録がある。5月14日から5月29日まで15日間の間記録されており、長さは[[視直径]]で10°に及んだとある{{R|Lee2014}}。
;[[1222年]]
1222年のハレー彗星の出現は[[チンギス・カン]]がヨーロッパへ侵攻する誘因になったのではないかという説がある。なお、この年の彗星はヨーロッパに記録が見られない{{R|Tsu1934}}。
日本では『[[吾妻鏡]]』『百錬抄』『[[皇代暦]]』『[[皇代記|皇年代略記]]』に見られる。『吾妻鏡』では[[貞応]]元年(1222年)9月8日に見られたとあり、中心部分(=コマ)は月の半分ほどと記録されている{{R|Hirayama1910}}。『百錬抄』『皇代暦』『皇年代略記』についても9月に見られたことが書かれている{{R|Hirayama1910}}。
中国では『宋史』に見られ、[[嘉定 (南宋)|嘉定]]15年(1222年)9月25日に[[うしかい座]]で現れて2か月間見られたことが書かれている{{R|Tsu1934}}。朝鮮では『高麗史』に観測記録があり、1222年9月3日に見られたことが書かれている{{R|Lee2014}}。
[[ファイル:Giotto - Scrovegni - -18- - Adoration of the Magi.jpg|thumb|right|[[スクロヴェーニ礼拝堂]]壁画。中央上部に見られるのが当時ベツレヘムの星と考えられていたハレー彗星。]]
;[[1301年]]
『[[元史]]』に観測記録があり、[[大徳 (元)|大徳]]5年(1301年)9月16日にふたご座の方で見られたとある。また、その後は46日間見られ、10月31日消えたと書かれてある{{R|Tsu1934}}。朝鮮では『高麗史』に観測記録が見られ、[[忠烈王]]27年(1301年)10月1日に見られたとある{{R|Lee2014}}。
[[ジョット・ディ・ボンドーネ]]による[[パドヴァ]]の[[スクロヴェーニ礼拝堂]]の壁画『[[東方三博士の礼拝]]』(1305年頃完成)に描かれた[[ベツレヘムの星]]は彼自身が見たと思われるハレー彗星を描いたものであると考えられている{{R|Olson1986}}。
;[[1378年]]
日本では1378年以後も日本にも観測記録はあるもののヨーロッパの文献から得られた既知の内容より分かるものはない{{R|Hirayama1910}}。中国では『[[明史]]』[[洪武]]11年(1378年)9月26日に[[ぎょしゃ座]]で現れた旨が記載されている{{R|Tsu1934}}。朝鮮では『高麗史』に観測記録があり、[[王ウ (高麗王)|辛禑]]4年に西から東に見られたとある{{R|Lee2014}}。
[[File:PSM V76 D015 Halley comet in 1456.png|thumb|right|[[黄道帯]]と1456年のハレー彗星。]]
;[[1456年]]
中国では『明史』に観測記録があり、[[景泰]]7年(1456年)5月7日、おひつじ座の方で見られ、7月6日にしし座で消えたことが書かれている{{R|Tsu1934}}。朝鮮でも観測記録があり、[[世祖 (朝鮮王)|世祖]]2年(1456年)6月6日から記録がある。近日点通過のため6月13日から6月19日を除いて6月29日まで観測された{{R|Lee2014}}。
ヨーロッパでは[[オスマン帝国]]が[[ハンガリー王国]]侵攻の際の{{仮リンク|ベオグラード包囲 (1456年)|en|Siege of Belgrade (1456)|label=ベオグラード包囲}}の真っ只中であった。[[カリストゥス3世 (ローマ教皇)|カリストゥス3世]]による[[教皇勅書]]ではベオグラードに御加護があるよう祈るように命じた。1470年、[[人文主義者]]、Bartolomeo Platina{{small|([[:en:Bartolomeo Platina|英語版]])}}は彼の著作で以下のことについて言及している{{sfn|Emerson|1910|p=74}}。
{{Quotation|1=毛に覆われていて燃えているような星がここ数日現れた。数学者によると最悪の疫病、飢饉、大災害が起こるとのことだ。カリストゥス3世は神の怒りから免れるために「もし人類の危機が差し迫っているのならトルコ人(=キリスト教の敵)に全てを向けよ」と祈祷して命じた。また、絶え間なく祈祷を続け神を動かそうとし、祈りによってトルコ人と戦っている者たちを助けるため真昼に信者を呼ぶために鐘の音を知らせるように命じた。}}
Platinaのこの説明は公式には記録されていない。この話は創作による可能性が高いにも関わらず、「教会への怒りのあまり彗星を''破門''にした。」とフランス人によって誇張して面白おかしく潤色された{{R|Botley1971}}。
インドでは[[カシミール]]でこの彗星が目撃され、詩人かつ伝記作家のŚrīvaraによって詳細に描かれている。彼はこの彗星の出現をSultan Zayn al-Abidin(1418/1420-1470)の没落を意味すると考えた{{R|Slaje2012}}。
また、エチオピアでは1434年から1468年までの間の[[エチオピア帝国]]王、Zara Yaqob{{small|([[:en:Zara Yaqob|英語版]])}}が明るい光(=ハレー彗星)を目撃し、光の都市、{{仮リンク|デブレ・ヘルハン|en|Debre Berhan}}を設営して彼の治世の時に首都とした{{R|Pankhurst1967}}。
=== 16世紀~1910年 ===
ハレー彗星の周期的な回帰は16世紀以降、科学研究の対象となっていた。1531年、1607年、1682年のハレー彗星の出現によりエドモンド・ハレーは回帰を予測することができた。ハレーが大躍進を遂げたのはニュートンと運動の法則について話し合ったときである。また、ニュートンは[[ジョン・フラムスティード]]の1682年のハレー彗星のデータを得るのを手伝った。1531年、1607年、1682年の彗星のデータによりハレーはどれも同じ彗星だと結論づけ、1696年にそれを公表した{{R|Broughton1985}}。
困難を極めたのが他惑星による重力の影響で1759年などは木星の影響でやや遅れた。その数十年後には[[アレクシス・クレロー]]らパリ天文台の数学者らによる数学の発展もあり、ハレーは結果としてニュートンやケプラーの天体運動の法則を後押しする形となった{{R|Broughton1985}}。
==== 16世紀~18世紀 ====
;[[1531年]]
中国では『明史』に観測記録があり、[[嘉靖]]10年(1531年)8月5日にふたご座の方で現れ、34日間観測されたとある{{R|Tsu1934}}。朝鮮では『増補文献備考』に観測記録がある{{R|Lee2014}}。ヨーロッパでも[[ペトルス・アピアヌス]]がハレー彗星を確認しており、これは後のハレーの研究に役立った{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=78}}。
;[[1607年]]
中国では『明史』に観測記録があり、[[万暦]]35年(1607年)9月21日にふたご座に現れ、10月12日に[[アンタレス]]の方で消えたとある{{R|Tsu1934}}。朝鮮にも観測記録があり、9月23日から11月3日まで記録されている{{R|Lee2014}}。ヨーロッパではヨハネス・ケプラーがハレー彗星を確認しており、これは後のハレーの研究に役立った{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=78}}。
[[File:PSM V76 D017 Halley comet in 1682.png|thumb|right|[[ポピュラーサイエンス]]に掲載された1682年のハレー彗星の模写図。]]
;[[1682年]]
中国では地方史にのみ観測記録があり、[[江南#中華人民共和国(中国)|江南]]の歴史書(題名不明)には[[康熙]]21年(1682年)9月に見られたことが書かれている{{R|Tsu1934}}。朝鮮では『[[朝鮮王朝実録]]』に記録があり、8月24日に観測された旨が記載されている{{R|Lee2014}}。また、『[[承政院日記]]』には8月25日からの記録が『朝鮮王朝実録』よりも詳細に書かれている{{R|Lee2014}}。この接近時のエドモンド・ハレーによる軌道の計算については[[#軌道の計算|軌道の計算]]節を参照。
[[File:PSM V76 D017 Halley comet in 1682.png|thumb|right|[[ポピュラーサイエンス]]に掲載された1759年のハレー彗星の模写図。]]
;[[1759年]]
中国で観測記録があり、[[乾隆]]24年(1759年)4月に現れて1か月以上見られたとある{{R|Tsu1934}}。朝鮮では『朝鮮王朝実録』及び『承政院日記』に記載がある{{R|Lee2014}}。
[[ヨハン・ゲオルク・パリッチュ]]は1758年時点でハレー彗星の回帰を12月25日に発見し、ハレーの予言を証明した。[[アレクシス・クレロー]]らの計算の近日点の誤差は約1か月ほどあった{{sfn|Lancaster Brown|1985|p=86}}。
==== 1835年 ====
[[File:Looking at Halley's Comet, 1835 RMG PT1974.tiff|thumb|right|1835年のハレー彗星接近を描いた[[水彩画]]。]]
[[File:PSM V76 D018 Halley comet in 1835.png|thumb|right|[[ポピュラーサイエンス]]に掲載された1835年のハレー彗星の模写図。]]
[[1835年]]のハレー彗星は、初めて大々的に近代的な観測が行われた。写真撮影が可能になったのは1839年のことであったためこの時はぎりぎりハレー彗星の[[天体写真]]を撮ることはできなかった{{R|Reneke}}。
この回帰の際、Marie-Charles Damoiseau{{small|([[:en:Marie-Charles Damoiseau|英語版]])}}、らが近日点通過時刻を予想した。Damoiseauは木星と土星の重力の影響を考えて11月4.81日であることを示した{{R|first|group=注}}。Philippe Gustave Doulcet{{small|([[:en:Philippe Gustave le Doulcet, Comte de Pontécoulant|英語版]])}}も地球・木星・土星・天王星の重力の影響を考慮したが11月12.9日とやや外れていた。[[オットー・ローゼンベルガー]]も海王星以外の当時知られていた7惑星の重力の影響を考えたが11月12.0日であり、実際の近日点通過時刻、11月16.4日を正確には予測できなかった{{R|Yeomans2016}}。
アイルランドのMatkree天文台{{small|([[:en:Markree Observatory|英語版]])}}ではE. J. Cooper{{small|([[:en:Edward Joshua Cooper|英語版]])}}がハレー彗星のスケッチをするために口径13.3インチの望遠鏡を用いた{{R|Abrahams2009}}。ドイツの天文学者、[[フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル]]もハレー彗星のスケッチを行った{{R|BesselSketch}}。また、彼は自身の観測したハレー彗星の尾の流れから彗星の蒸気の噴射力が軌道を変える一因となっていると提唱した{{sfn|Sagan|Druyan|1985|p=117}}。フランスでは[[フランソワ・アラゴ]]が[[パリ天文台]]で口径24.4cmのLerebours望遠鏡を用いて観測し、偏光観測も行った。彼は{{仮リンク|1819年の大彗星|en|Great Comet of 1819}}を観測していることもあり、尾はまばらに分散した物質が太陽光を反射しているものだと提唱した。カナダでは[[ニューファンドランド島]]と[[ケベック州|ケベック]]で観測が行われ、新聞にもハレー彗星に関することが報道された{{R|Smith1986}}。中国にも観測記録がある{{R|Tsu1934}}。朝鮮では『朝鮮王朝実録』と『承政院日記』にハレー彗星の記述がある{{R|Lee2014}}。
William G. Toddは1835年と1910年のハレー彗星両方を目撃しており、[[ポピュラー・アストロノミー]]のインタビューに答えている。彼は1910年の彗星がどんな風に見えたかを述べた後、1910年のハレー彗星に関して、1843年のハレー彗星に比べて尾は広がっているが長くはないと語っている{{R|Todd1910}}。
更に[[フリードリッヒ・フォン・シュトルーベ]]、[[ジョン・ハーシェル]]など各地の著名な天文学者らもハレー彗星の観測を始めた{{R|Lynn1909}}。アメリカでは[[イェール大学#イェール・カレッジ|イェール・カレッジ]]で{{仮リンク|デニソン・オルムステッド|en|Denison Olmsted}}と{{仮リンク|エリアス・ルーミス|en|Elias Loomis}}による望遠鏡での観測が行われた。この観測により1456年と1378年のハレー彗星がハレー彗星であると同定された{{R|Lynn1909}}。
この後ハレー彗星が回帰してくるのは1910年となるがこの期間は74.42年と既知のもののなかでは最短である。なお、最も長い時は451年から530年の期間で、79.25年も間隔があった{{R|nasaHalley}}。
==== 1910年 ====
[[ファイル:Halley's Comet - May 29 1910.jpg|thumb|1910年5月29日に撮影されたハレー彗星]]
[[File:Halley's comet 1910.jpg|thumb|right|[[ハーバード大学天文台]]で1910年4月に撮影されたハレー彗星。]]
[[File:PSM V76 D020 Path of halley comet.png|thumb|right|ポピュラー・サイエンス1910年1月号に掲載された図。ハレー彗星が近日点を通過するに伴い尾が太陽とは逆方向に伸びていることが分かる。]]
1910年のハレー彗星は4月10日ごろには肉眼でも見えるほどになり、4月20日に近日点に達した{{R|jplgreat_comets}}。ハレー彗星の写真が撮影された初の接近であり、[[分光学|分光観測]]によるデータが得られた初の接近でもある{{R|Mendis1988}}。さらに近日点を通過した後の5月20日頃には0.15auまで地球に接近した{{R|jplgreat_comets}}。実際に5月19日にはハレー彗星の尾の外側の部分を地球が通過した{{R|Ridpath1985-2|Nunnally2011}}。今回のハレー彗星の出現より4か月前には大彗星{{仮リンク|C/1910 A1|en|Great January Comet of 1910}}も観測されていたがこちらはDaylight Cometと呼ばれるほど昼でも肉眼で見られた別の彗星である{{R|SandT2010|Bortle1998}}。
ハレー彗星の核が地球と太陽の間に入ったため、今回の接近では地球上から太陽面通過を観測できる状態となっていたが、世界中の天文台が当時としては最新の機材を使って観測にあたったにもかかわらず、結局、確実に見たとの報告はなかった。現在の[[八戸市]]に住む天文愛好家、[[前原寅吉]]は、自作の天体望遠鏡を自宅の物干し台に取り付け、観測に挑戦した。太陽面通過の観測には成功したものの学会には認められなかった{{R|MaeharaStory|Hachinohe}}。
最初にこの時のハレー彗星が発見されたのは1909年9月12日で、[[マックス・ヴォルフ]]が[[ハイデルベルク]]の[[ケーニッヒシュトゥール天文台]]で写真撮影によって発見した。このとき、ドイツの天文学会、Astronomische Gesellschaft{{small|([[:en:Astronomische Gesellschaft|英語版]])}}は近日点通過時刻を最も的確に当てた者に賞金を与える企画を行っており、Philip H. Cowellと[[アンドリュー・クロンメリン]]が最も正確に当てることができた{{R|Ridpath1985-3}}。実際の近日点通過時刻が4月20.18日であったのに対し、金星から海王星までの惑星による摂動を計算した彼らの予想では4月17.11日と3日程度しか誤差がなかった{{R|Yeomans2016}}。
ハレー彗星の尾は1910年2月ぐらいはまだほとんど見えなかったが4月中頃になってようやく4°、4月21日には12°までになり肉眼でも尾が見えるようになった。5月19日には150°にまでなり、それ以降は尾は小さくなっていたものの6月11日でも25度であった{{R|Wood1910}}。
当時[[麻布]]にあった東京天文台(現:[[国立天文台]])では[[平山信]]らが3台のカメラを使用し、4月20日から6月7日の間に44枚を撮影した。また、満州にも観測小屋を建て、[[早乙女清房]]らが遠征し、15cm屈折赤道儀と3台のカメラを使用して5月6日から6月11日までに90枚を撮影した{{R|arcnews609}}。
今回の接近ではスペクトルの分析を行われ、ハレー彗星には[[シアン化物]]が含まれていることが明らかになった{{R|NYTimes1910}}。天文学者[[カミーユ・フラマリオン]]は地球がハレー彗星の尾に近づいたとき、大気中にガスが充満しひょっとすると全生命体が殺されるかもしれない、と主張した{{R|Strauss2009}}。彼の声明によりパニックが引き起こされ、ガスマスクを買う人やanti-comet pill、anti-comet umbrellaのような偽商品を買う人が相次いだ{{R|UT20090920}}。また、瓶や自転車のゴムチューブに空気を詰め、ハレー彗星が通過する時にその中の空気を吸ってなんとか生き延びようとした人もいた{{R|natgeo20110523|MaeharaStory}}。これは後にすぐに他の天文学者によって指摘され、実際にガスは拡散したため地球が尾を通過しても何ら影響はなかった{{R|Strauss2009}}。しかし同じ頃[[インフルエンザ]]が流行し、ウイルスの存在が分かっていなかった当時は原因をハレー彗星に求める説もあった{{R|Akazawa192111}}。
自転車のゴムチューブが大量に購入され、騒ぎとなった出来事は、[[岩倉政治]]による『[[空気のなくなる日]]』という絵本に描かれている{{R|mainichi20200325}}。『[[ドラえもん]]』「ハリーのしっぽ」でも、ハレー彗星が接近した時、[[骨川スネ夫|スネ夫]]の先祖がチューブを買い占める話や、[[野比のび太|のび太]]の曽祖父・のび吉が桶の水で息を止める訓練をする話が出ている{{R|Doraemon12|Doraemon33}}。
中国では[[辛亥革命]]の前年にあたり、ハレー彗星の出現によって更に不穏になっていた。[[四川省]]で任務に当たっていたJames Hutsonは以下のような記録を残している。
{{Quotation|人々はハレー彗星が戦争、火災、疫病、王朝の交代のような惨事を引き起こすと信じていた。一部地域では家の扉が半日開かない日や水が運ばれてこない日もあった。彗星のせいで地球上には有害な蒸気で満たされているとうわさされていて水を飲まない人さえもたくさんいた{{R|Hutson1921}}。}}
[[オクラホマ州]]ではSacred Followersという宗教団体がハレー彗星による災害を退けるために処女をいけにえにしようとしたという話も新聞に残っている。この宗教団体の行動はのちに警察に止められた{{R|NYTimes1997}}。
アメリカの風刺作家であった[[マーク・トウェイン]]はハレー彗星近日点通過の2週間後(1835年11月30日)に生まれ、彼が1909年に公表した自伝では以下のように述べている。
{{Quotation|私は1835年にハレー彗星と共にやって来た。来年にはまた回帰してくるので私もともに行くのだろうと思う。もしそうでないのなら人生で一番の失望だ。全能者も疑うことなく、「ここにいる変わり者の二者は共にやって来たのだから共に出ていくにちがいない」と言ったのだ{{R|Paine1912|Litts2009}}。}}
そしてトウェインは彼の予想どおり近日点通過の翌日となる4月21日に亡くなった{{R|anonymous1910}}。1985年のファンタジー映画、The Adventures of Mark Twain{{small|([[:en:The Adventures of Mark Twain (1985 film)|英語版]])}}はこの出来事を題材とした作品となっている{{R|NYTimes1986}}。
=== 1986年以降 ===
==== 1986年 ====
[[File:Halley path 1986.png|thumb|right|1986年
[[File:Comet Halley.jpg|thumb|right|まだ尾が少し見える程度のときのハレー彗星。背景は[[天の川銀河]]。]]
[[File:1986 Comet Halley.jpg|thumb|right|エドモンド・ハレー、[[ベガ1号]]、[[ベガ2号]]、[[ジオット (探査機)|ジオット]]、[[すいせい]]が描かれた[[小型シート]]。]]
[[File:Animation of 1P/Halley orbit - 1986 apparition.gif|thumb|right|1986年のハレー彗星の軌道。黄色が太陽、青が地球、桃色がハレー彗星。]]
1986年の接近は、ハレー彗星は地球から見て太陽の向こう側にあり過去2000年以内では最も観測には不向きな状況であった{{R|Broughton1979}}。都市化による[[光害]]もあり、都市ではないところでしか見えず、双眼鏡で見えるぐらいであった{{R|AAA2004}}。さらに彗星が最も明るくなった1986年の3・4月には北半球からはほとんど見えない位置にあった{{R|Ocala1986}}。
今回のハレー彗星を初めて観測したのは[[デビッド・C・ジューイット|D. C. ジューイット]]、G. Edward Danielsonらで1982年10月16日、[[パロマー天文台]]の5.1m[[ヘール望遠鏡]]と[[CCDイメージセンサ]]を用いて観測を行った{{R|ESAgiotto}}。視覚的な最初の発見はアマチュア天文家のStephen James O'Mearaによるもので、1985年1月24日、自作の24インチ望遠鏡で[[マウナ・ケア山]]で観測した{{R|NYTimes1985}}。1985年11月には[[ジェット推進研究所]]の天文学者Stephen EdbergとCharles Morrisが初めて肉眼で観測した{{R|LATimes1985}}。
1985年11月8日、J. Ciffreoはハレー彗星を撮影しようとした際に望遠鏡のセッティングを間違え、撮影した画像にある彗星をハレー彗星だと勘違いしていた。その後、J. Ciffreoは注意深く見るとハレー彗星ではないことが分かり、この彗星は後に周期彗星と分かって[[シフレオ彗星]]と命名された{{R|Benest1990}}{{sfn|天文観測年表編集委員会|1987|p=200}}。
ハレー彗星は[[軌道傾斜角]]が大きく逆行軌道をとるため、探査機を送ることは難しい{{sfn|Ley|1967|p=108}}が、今回の接近ではいくつか探査機が打ち上げられた。ソ連は[[ベガ1号]]と[[ベガ2号]]を打ち上げ、1986年3月4日からハレー彗星の画像を送信し始めた。ベガ1号はハレー彗星の核に接近した初めての事例となり、3月6日には[[フライバイ]]に成功した。続いて[[ベガ2号]]も3月9日に成功した。接近距離はそれぞれ8890km、8030kmであった{{R|Keller2005}}。[[欧州宇宙機関]](ESA)は[[ジオット (探査機)|ジオット]]を打ち上げ、1986年3月14日には596kmまで接近することができた{{R|Keller2005}}。日本の探査機としては[[すいせい]]と[[さきがけ (探査機)|さきがけ]]が打ち上げられた。これらの探査機は総称して[[ハレー艦隊]]とも言われる{{R|jaxasuisei}}。
当時としては最大の紫外線天文衛星、[[アストロン (人工衛星)|アストロン]]の1985年12月の観測データに基づきソ連の研究者らはハレー彗星の[[コマ (彗星)|コマ]]のモデルを発展させた。この研究によりハレー彗星のコマは他の大きめの周期彗星に類似していることが分かった{{R|Boyarchuk1986}}。また、ハレー彗星は探査機[[ISEE-3/ICE|ICE]]からも観測された。ICEは当初はISEE-3という名称で太陽を観測する目的で運用されていたが、その後第二の目的として[[ジャコビニ・ツィナー彗星]]とハレー彗星の調査が行われた{{R|ICE-EAA}}。
[[STS-51-L]]および[[STS-61-E]]の2回の[[スペースシャトル]]ミッションで、低軌道からハレー彗星を観測する計画
==== 1991年のアウトバースト ====
1986年の地球接近後もハレー彗星の観測は続けられた。[[1991年]]2月にはハレー彗星が突然光度を増した(アウトバースト)ことが観測されている{{R|astroarts20030904}}。この増光の詳細な原因は不明であるが、二酸化炭素や一酸化炭素のような揮発性物質が昇華して圧力によりアウトバーストが起こったと考えられている{{R|nasa1991}}。
その後、[[ヨーロッパ南天天文台]] (ESO) が[[1994年]]と[[2003年]]にハレー彗星を観測して以来、ハレー彗星は姿を見せていない{{R|eso1994|eso2003}}。
==== 2061年 ====
[[File:Animation of 1P/Halley orbit - 2061 apparition.gif|thumb|right|2061年のハレー彗星の接近。黄色:太陽、水色:金星、青:地球、橙色:木星、桃色:ハレー彗星]]
ハレー彗星の予想される次回近日点時刻は2061年7月29日であり{{R|mpcdata}}、アニメーションのように太陽から同じ側にあるので1986年のハレー彗星よりは観測しやすい{{R|Yeomans1986}}。[[見かけの等級]]は最大で-0.3になり、1986年のハレー彗星よりも2.4等級明るくなると予想されている{{R|Odenwald1997}}。2060年9月9日には木星に、2061年4月20日には金星に最接近する{{R|jpldata}}。
====
2134年にはハレー彗星は地球に0.09auの距離で最接近する{{R|jpldata}}。見かけの等級は-2.0と予測されている{{R|Odenwald1997}}。
===
以下に過去の出現と仮符号、近日点通過日時などを表にまとめた。データに関しては[[小惑星センター|MPC]]や[[ジェット推進研究所|JPL]]のものを使用している{{R|jpldata|mpcdata}}。
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!年
!前回との間隔
!近日点通過日時
!最接近時距離
!備考
|-
|1P/−239 K1, −239
|style="white-space:nowrap;"|[[紀元前240年]]
| -
|5月25日
|
|確実に記録として残っているとされていものでは最古のハレー彗星
|-
|1P/−163 U1, −163
|[[紀元前164年]]
|76年
|11月12日
|
|
|-
|1P/−86 Q1, −86
|[[紀元前87年]]
|77年
|8月6日
|
|
|-
|1P/−11 Q1, −11
|[[紀元前12年]]
|75年
|10月10日
|0.16au
|
|-
|1P/66 B1, 66
|[[66年]]
|78年
|1月25日
|
|
|-
|1P/141 F1, 141
|[[141年]]
|75年
|3月22日
|
|
|-
|1P/218 H1, 218
|[[218年]]
|77年
|5月17日
|
|
|-
|1P/295 J1, 295
|[[295年]]
|77年
|4月20日
|
|
|-
|1P/374 E1, 374
|[[374年]]
|79年
|2月16日
|0.09au
|
|-
|1P/451 L1, 451
|[[451年]]
|77年
|6月28日
|
|
|-
|1P/530 Q1, 530
|[[530年]]
|79年
|9月27日
|
|
|-
|1P/607 H1, 607
|[[607年]]
|77年
|3月15日
|0.09au
|
|-
|1P/684 R1, 684
|[[684年]]
|77年
|10月2日
|
|
|-
|1P/760 K1, 760
|[[760年]]
|76年
|5月20日
|
|
|-
|1P/837 F1, 837
|[[837年]]
|77年
|2月28日
|0.03au
|人類が観測した中では地球に最も接近した(500万km)
|-
|1P/912 J1, 912
|[[912年]]
|75年
|7月18日
|
|
|-
|1P/989 N1, 989
|[[989年]]
|77年
|9月5日
|
|
|-
|1P/1066 G1, 1066
|[[1066年]]
|77年
|3月20日
|0.10au
|
|-
|1P/1145 G1, 1145
|[[1145年]]
|79年
|4月18日
|
|
|-
|1P/1222 R1, 1222
|[[1222年]]
|77年
|9月28日
|
|
|-
|1P/1301 R1, 1301
|[[1301年]]
|79年
|10月25日
|
|
|-
|1P/1378 S1, 1378
|[[1378年]]
|77年
|11月10日
|
|
|-
|1P/1456 K1, 1456
|[[1456年]]
|78年
|6月9日
|
|
|-
|1P/1531 P1, 1531
|[[1531年]]
|75年
|8月26日
|
|
|-
|1P/1607 S1, 1607
|[[1607年]]
|76年
|10月27日
|
|
|-
|1P/1682 Q1, 1682
|[[1682年]]
|75年
|9月15日
|
|
|-
|1P/1758 Y1, 1759 I
|[[1759年]]
|76年
|3月13日
|
|回帰が予想された後の初の回帰
|-
|1P/1835 P1, 1835 III
|[[1835年]]
|77年
|11月16日
|
|
|-
|1P/1909 R1, 1910 II, 1909c
|[[1910年]]
|75年
|4月20日
|
|初の写真撮影が行われたハレー彗星
|-
|style="white-space:nowrap;"|1P/1982 U1, 1986 III, 1982i
|[[1986年]]
|76年
|2月9日
|0.586au
|初めて探査機が送られたハレー彗星
|-
|
|[[2061年]]<br />(参考)
|75年
|7月29日
|
|次回の回帰
|}
{{Clear}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"|refs=
<ref name="first" group="注">Damoiseauは最初は最初の予想では11月17.15日と言っていたため、最初の方が正しかった。</ref>
}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=<!-- アルファベット順で -->
<ref name="AAA2004">{{Cite web |title=Australian Astronomy: Comets |publisher=Australian Astronomical Association |url=http://www.astronomy.org.au/ngn/media/client/3110_factsheet_17.pdf |year=2004 |accessdate=2020-12-19 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050616113415/http://www.astronomy.org.au/ngn/media/client/3110_factsheet_17.pdf |archivedate=2005-06-16 |format=pdf }}</ref>
<ref name="Abrahams2009">{{Cite web |url=http://www.europa.com/~telscope/tsfrance.txt |last=Abrahams |first=Peter |year=2009 |title=Bardou, Brunner, Cassegrain, Cauchoix, Chevalier, Gambey, Gautier, Krauss,
Lerebours et Secretan, Mailhat, Vion |accessdate=2020-11-25 }}</ref>
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<ref name="anonymous1910">{{Cite web |url=https://twain.lib.virginia.edu/sc_as_mt/mtobit5.html |date=1910-06 |title=The Death of Mark Twain |author=匿名 |work=Chautauquan 59 |accessdate=2020-12-19 }}</ref>
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<ref name="Doraemon12">{{Cite book |title=[[藤子・F・不二雄大全集]] ドラえもん 12 |author=藤子・F・不二雄 |date=2011-03-25 |publisher=小学館 |isbn=9784091434548 }}</ref>
<ref name="Doraemon33">{{Cite book |title=てんとう虫コミックス ドラえもん(33) |author=藤子・F・不二雄 |chapter=第10話 ハリーのしっぽ |date=1985-03 |publisher=[[小学館]] |isbn=9784091408037 }}</ref>
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;他文献
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== 外部リンク ==
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* [https://web.archive.org/web/
{{周期彗星ナビゲーター|-|エンケ彗星}}
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[[Category:エポニム]]
[[Category:古代以前に発見された天体]]
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