「第五世代コンピュータ」の版間の差分
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'''第五世代コンピュータ'''(だいごせだいコンピュータ)とは、当時の通商産業省(現[[経済産業省]])所管の[[新世代コンピュータ技術開発機構]](ICOT)が、1982年から1992年にかけて進めた[[国家プロジェクト]]の計画名称であり、いわゆる[[人工知能]]コンピュータの開発を目標にしていた。総額で540億円の国家予算が投入されている。非[[ノイマン型]]の[[ハードウェア]]、知識情報処理と仕様定義された[[ソフトウェア]]、[[並行論理プログラミング|並行論理パラダイム]]の[[プログラミング言語]]の三方針が開発の理念にされた。このプロジェクトの結果には賛否両論があるが、実用的な[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]の生産段階まで進捗できなかったという点で概ね否定的に論評される傾向がある。他方で[[論理プログラミング]]に
第五世代とはICOTが定義した電子計算機の分類に由来しており、第一世代([[真空管]])第二世代([[トランジスタ]])第三世代([[集積回路]])第四世代([[大規模集積回路]])
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その具体的な検討作業が始められたのは1979年であった。当時の電子技術総合研究所(現:[[産業技術総合研究所]])の[[渕一博]]博士らは「[[Prolog]]」を中心にした[[論理プログラミング]]の潜在力に大きく注目していた。60年代から70年代にかけての[[人工知能]]研究は「[[LISP]]」プログラミングが中心になっていたが、欧米の後追いをせずに日本独自の人工知能技術確立を望んだ電総研は、[[論理プログラミング]]を新世代コンピュータの基幹パラダイムに据えることを提案した。70年代に確立されていた第四世代コンピュータ技術の更に一歩先を行くという展望から第五世代と命名され、1981年に[[京王プラザホテル]]で第五世代コンピュータシステム国際会議(FGCS1981)が開催された。招待された欧米の研究者たちに日本側の抱負が語られ、同時に意見が求められた。人工知能研究の第一人者であった[[エドワード・ファイゲンバウム|ファイゲンバウム]]博士からの「何故すでに数十年の研究実績がある[[LISP]]ではないのか?」という問いかけに、渕博士は「私たちは技術的に若いがゆえに何でも取り入れる柔軟さがある」と答え、先方の数十年来の[[LISP]]研究を知識の硬直化になぞらえてあえてその既存概念に囚われないというスタンスを示した。
1982年に通産省所管の[[新世代コンピュータ技術開発機構]](ICOT)が設立され、第五世代コンピュータ計画が始動された。人工知能システムソフトウェアは知識情報処理と定義され、それを運用するためのコンピュータハードウェアは要素プロセッサを並列的に搭載した並列推論マシンと仕様定義された。計画の要点である人工知能構築のパラダイムには[[Prolog]]ベースの[[並行論理プログラミング]]が採用された。多額の開発研究予算と各機関各企業からの推薦人材が集まった一大プロジェクトが動き始めると、第五世代コンピュータの目標がより具体化され「[[述語論理]]を規範にした[[自動推論]]を高速実行する並列推論マシンとその[[オペレーティングシステム|OS]]を構築する」というものになった。[[自動推論]]とは[[自動定理証明]]、[[自然言語処理]]、[[エキスパートシステム]]、[[人工知能]]といったものを漠然と包括する基礎分野である。当初の予定から1年延びた1992年、第五世代コンピュータ計画は「当初の目標を達成した」として完了した。
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1981年に開催された第五世代コンピュータに関する国際会議の中で、日本側は意欲的かつ野心的な数々の目標を掲げており、それらはいずれも人間の頭脳を越えるための[[人工知能]]の開発実現に集約されるものであった。例を挙げると、医学診断や金融判断や高度な機械制御に役立てられる[[エキスパートシステム]]、自然な機械翻訳と的確な言語解析を支える[[自然言語処理]]などである。他方で[[新世代コンピュータ技術開発機構|ICOT]]運営側は一貫して並列推論マシンの開発が目標であると明言しており、[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]が高性能化すれば自然にその応用が出てくると考えていた。日本側の野心的な説明には、人工知能分野で著名な計算機科学者[[エドワード・ファイゲンバウム]]らが興味を示していた。当時の欧米の受け取り方は「日本が官民一体で高度な人工知能マシンの開発を試みている」というものだった。また朝日新聞などのマスコミも大々的に取り上げた。
1992年、およそ11年の歳月と540億円の予算が費やされたプロジェクトの完遂後に判明したのは、今後の有益な[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]の実装と運用が期待される将来性を後世に託した並列推論マシンの数々のモデルとその[[オペレーティングシステム|OS]]と日本発の[[並行論理プログラミング|並行論理型言語]]だけが誕生したという事実であった。[[新世代コンピュータ技術開発機構|ICOT]]運営側が掲げていた目標は達成されていたが、その達成結果に肩透かしを感じた人も少なくなかったと言われる。プロジェクトは確かに完遂されていたが、同時に今後の産業分野への本格的な活用が待たれるという課題も残されていた。また、[[論理プログラミング]]の国際学会では日本の研究成果が注目されたとは言い難く、日本が特に研究した[[Prolog]]の[[国際標準化機構|ISO]]規格化の際にもそれほど大きな影響力を持てなかった。
==年譜==
▲しかしながら、実際に大量の資金が投じられて完成したのはアプリケーションのほとんどない並列推論システムだけだった。10年と570億円をかけたプロジェクトは、通産省が喧伝した目標についてはまったく達成しなかった。「本来の目標については達成した」としているが、しかし成果が産業に影響を与えることはほとんどなかった。単に、学術振興と人材育成に寄与しただけだったと言えよう。IDC社の William Zachman は「The Japanese Give Up on New Wave of Computers」(International Tribune、東京版、1992年6月2日)で次のように述べている。<blockquote>AI型の応用の進展を阻んでいるのは、十分な知性を持った AI ソフトウェアが存在しないからであって、強力な推論マシンがないからではない。AI型の応用が既にたくさんあって、第五世代コンピュータのような強力な推論エンジンの出現を待ちわびていると思うのは間違いだ。</blockquote>また、ファイゲンバウムの談話として同じ記事で以下のように述べられている。<blockquote>第5世代は、一般市場向けの応用がなく、失敗に終わった。金をかけてパーティを開いたが、客が誰も来なかったようなもので、日本のメーカはこのプロジェクトを受け入れなかった。技術面では本当に成功したのに、画期的な応用を創造しなかったからだ。</blockquote>
* [[1982年]]: (財)新世代コンピュータ開発機構(ICOT)設立。第五世代コンピュータプロジェクトが開始され、5年分の予算が与えられた。
* [[1985年]]: 最初の個人用逐次推論マシン PSI(''Personal Sequential Inference Machine''、パーソナルPIMとも)とその[[オペレーティングシステム]] SIMPOS(''SIM Programming and Operating System'')がリリースされた。SIMPOS は [[Prolog]]に[[オブジェクト指向プログラミング]]を取り入れた ESP で記述されていた。
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* [[1992年]]: プロジェクトは当初の予定から一年延長され、この年に終了した。PIMOS のソースコードはパブリックドメインとして公開されたが、PIM でしか動作しないものだったため、KL1 を一般の[[UNIX]]マシンで動作させるためのプロジェクトが別途開始された。その成果はKLICとして公開されている。
== プロジェクトの成果 ==
* ハードウェア
** PSI(Personal Sequential Inference Machine):シングルユーサー向けの逐次推論マシン
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==関連項目==
*[[人工知能]]
*[[並行論理プログラミング]]
*[[Prolog]]
*[[Guarded Horn Clauses]]
*[[LISPマシン]]
*[[新世代コンピュータ技術開発機構]]
*[[Σプロジェクト]]
*[[
▲*[[並行論理プログラミング]]
==外部リンク==
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*[http://www.logos.t.u-tokyo.ac.jp/klic/ KLIC 協会] KL1 の処理系 KLIC の普及を目的とした団体
*[http://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0005062 第五世代コンピュータ・プロジェクト 最終評価報告書(PDF)]
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