「アメリカン航空191便墜落事故」の版間の差分

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|destination=[[ロサンゼルス国際空港]]
|ground_fatalities=2|ground_injuries=6}}
'''アメリカン航空191便墜落事故'''(アメリカンこうくう191びんついらくじこ、{{lang-en|'''American Airlines Flight 191'''}})とは、[[1979年]][[5月25日]]に[[アメリカン航空]]が運航するの定期旅客便だった[[マクドネル・ダグラス DC-10|DC-10型機]]が、シカゴ・オヘア空港を離陸した直後にエンジンが脱落して墜落した[[航空事故]]である。
 
191便は[[アメリカ合衆国離陸]]機体引き起こしの際に、左主翼下のエンジンとパイロンが機体から分離した。同時に[[シカゴ・オヘア国際空港油圧|油圧系統]]が損傷して[[高揚力装置]]が左右非対称になり左翼だけが低速で[[ロサンゼルス国際空港失速]]行きしやすい状態になった。緊急時定期旅客便であ手順どお、オヘア国際空港に飛行速度離陸落とした直後結果、左翼だけ失速域入った。さらに一部の警報装置が機能停止してパイロットは状況を把握できなかった。そのまま機体は急激に左に横転して墜落した。搭乗者全員の271人全員と地上で巻き込まれた2人が死亡した。2021年現在、この犠牲者数はテロ事件を除くアメリカの航空事故において最大の犠牲者数である。
 
当初は事故原因として当初は設計不良が疑われ、アメリカ[[連邦航空局]] (FAA) はDC-10型機の[[型式証明]]の効力を停止した。この措置はアメリカ国外にも波及し、世間からDC-10型機の安全性に厳しい目が向けられた。詳細なしかし調査の結果、エンジンとパイロンが機体から分離した原因は、航空会社の不適切な整備手順がパイロン分離の原因であることが判明した。事故調査報告書の発行後、連邦航空局によるを受けて整備手順の監督体制が強化されたほか、機体の安全性を向上するための設計変更命令れ、エンジン停止時の飛行速度も見直された。
事故のきっかけは、離陸のための機首上げ操作中に左主翼下の第1エンジンとパイロンが機体から脱落したことであった。これにより[[油圧|油圧系統]]が損傷して左翼前縁の[[高揚力装置|スラット]]が意図せず格納されてしまい、左翼だけが低速で[[失速]]しやすい状態となった。さらに、第1エンジンからの給電がなくなったことによって警報装置の一部が機能しなくなり、機体が意図しない[[空気力学]]特性となったことをパイロットは認識できなかった。パイロットはエンジン停止時の手順どおりに離陸・上昇を継続したが、その手順では飛行速度を落とすことになっていた。これにより左翼だけ失速域に入ってしまい、機体が急激に左に傾き始めた。さらに左旋回と機首下げも発生して制御不能に陥り、離陸からわずか30秒で空港近郊に墜落した。
 
当初は事故原因として設計不良が疑われ、アメリカ[[連邦航空局]] (FAA) はDC-10型機の[[型式証明]]の効力を停止した。この措置はアメリカ国外にも波及し、世間からDC-10型機の安全性に厳しい目が向けられた。詳細な調査の結果、エンジンとパイロンが機体から分離した原因は、航空会社の不適切な整備手順であることが判明した。事故調査報告書の発行後、連邦航空局による整備手順の監督体制が強化されたほか、機体の安全性を向上するための設計変更命令が発行され、エンジン停止時の飛行速度も見直された。
 
2011年に遺族らの活動によって墜落地点の近くに追悼施設が建設された。
 
== 事故当日のアメリカン航空191便 ==