削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m いくつか手入れ
(同じ利用者による、間の7版が非表示)
1行目:
{{Portal|文学}}
{{独自研究|date=2014年9月}}
{{Otheruses|ダシール・ハメットの小説|加藤和彦のアルバム|マルタの鷹 (加藤和彦のアルバム)}}
{{基礎情報 文学作品
『'''マルタの鷹'''』(マルタのたか、''The Maltese Falcon'')は、[[ダシール・ハメット]]の探偵小説。「[[ブラック・マスク (雑誌)|ブラック・マスク]]」[[1929年]]9月号から翌[[1930年]]1月号に連載され、1930年に単行本として刊行された。
|題名 = マルタの鷹
|原題 = The Maltese Falcon
|画像 = The Maltese Falcon (1st ed cover).jpg
|画像サイズ = 200
|キャプション = 単行本(1930年初版)の表紙
|作者 = [[ダシール・ハメット]]
|国 = {{USA}}
|言語 = [[英語]]
|ジャンル = [[推理小説|探偵小説]]
|初出の出版元 = {{仮リンク|クノップ|en|Alfred A. Knopf}}社
|刊行 = 1930年
|前作 = [[デイン家の呪い]]
|次作 = [[ガラスの鍵]]
}}
 
『'''マルタの鷹'''』(マルタのたか、''The Maltese Falcon'')は、20世紀[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の作家[[ダシール・ハメット]](1894年 - 1961年)による長編小説。「[[ブラック・マスク (雑誌)|ブラック・マスク]]」誌1929年9月号から1930年1月号にかけて連載され、1930年に{{仮リンク|クノップ|en|Alfred A. Knopf}}社から単行本として刊行された{{sfn|ノーラン|1988|p=140}}{{sfn|ジョンスン|1987|p=148}}。
ハメットによって創作された私立探偵[[サム・スペード]]の登場する唯一の長編。いわゆる[[ハードボイルド]]派を確立した作品として名高い。
[[ハードボイルド]]小説の代表的作品として知られ、3度映画化されている。本作でハメットが創出した主人公の[[サム・スペード]]は、のちに数多く書かれることになるハードボイルド探偵のモデルとなった{{sfn|中島|1961|p=345}}{{sfn|ジョンスン|1987|p=375}}{{sfn|諏訪部|2014|pp=146-147}}。
 
1995年に[[アメリカ探偵作家クラブ]]が発表した「[[史上最高の推理小説100冊#ベスト100|史上最高のミステリー小説100冊]]」では、総合2位にランクされている<ref>{{cite web |url=https://www.librarything.com/bookaward/The+Top+100+Mystery+Novels+of+All+Time+Mystery+Writers+of+America |title=Book awards: The Top 100 Mystery Novels of All Time Mystery Writers of America |publisher=The Library Thing |access-date=18 September 2022}}</ref>。
3度にわたって映画化されており、特に[[1941年]]の[[ジョン・ヒューストン]]監督、[[ハンフリー・ボガート]]主演のものが有名である。
 
== 概要発表までの経緯 ==
=== 「ブラック・マスク」誌への登場 ===
単純な家出娘さがしと思われた依頼に端を発して、莫大な価値を持つ「マルタの鷹」像の争奪戦が展開する。
ハメットが[[パルプ・マガジン]]「[[ブラック・マスク (雑誌)|ブラック・マスク]]」誌にデビューしたのは、1922年12月号の「帰路」である{{sfn|ノーラン|1988|pp=55-56}}{{sfn|小鷹|1988|p=14}}。当初はピーター・コリンスン名義を使っており、身元不明の男という意味を持つ[[スラング]]「ピーター・コリンズ」に "on" の2文字を加えて「身元不明の男の息子」としていた{{sfn|ノーラン|1988|pp=55-56}}。
 
同じくコリンスン名義で1923年10月1日号に発表した「放火罪及び……」が[[コンチネンタル・オプ]]の登場第1作となった{{sfn|ノーラン|1988|p=68}}{{sfn|小鷹|1988|p=14}}。本名のハメット名義となったのは、10月15日号のオプもの第3作「身代金」(後に「黒づくめの女」に改題)からで、以後ハメットはペンネームの使用をやめた{{sfn|ノーラン|1988|p=68}}{{sfn|小鷹|1988|p=14}}。なお、ハメットはコリンスン名義も含めて「ブラック・マスク」誌に計53篇の作品を発表し{{sfn|小鷹|1988|p=131}}、このうち、長編2作を含む36篇がコンチネンタル・オプものである{{sfn|小鷹|1988|p=149}}。
徹底して心理描写と説明を排した三人称カメラアイの簡潔な文体で構成され、登場人物が今何を考えているのか、どうしてそうするのかが地の文で明かされず、癖のある登場人物ともあいまって、やや読者を突き放した作風になっている。アメリカ文学史に本作があげられることもある。
 
ハメットは妻ジョセフィン・アンナ・ドーラン(以下、通称のジョウス{{sfn|ノーラン|1988|p=32}}と表記する。)と1921年に結婚していた{{sfn|ノーラン|1988|p=35}}。ジョウスが2人目の子供を妊娠{{efn|1926年5月にジョウスは次女ジョゼフィン・レベッカを出産した{{sfn|ノーラン|1988|pp=83-87}}。}}したことで、ハメットは1926年初めに「ブラック・マスク」誌に対して原稿料引き上げを要求するが断られた{{sfn|ノーラン|1988|pp=83-87}}{{efn|ハメットの原稿料は1語3セントで、当時のパルプ・ライターとしては破格の稿料だった{{sfn|小鷹|1988|pp=127-128}}}}。この結果、ハメットは同誌への投稿をやめ、アルバート・S・サミュエルズが経営する宝石店のための広告文を書いて生計を立てるようになった{{sfn|ノーラン|1988|pp=83-87}}。
もう一つの特徴として、婉曲表現を多用することで、当時の出版倫理では活字化不可能だった[[俗語]]、[[隠語]]の類を登場人物に積極的にしゃべらせる手法を用いている。
 
=== 長編小説への取り組み ===
== あらすじ ==
ハメットを再び「ブラック・マスク」誌に引き戻したのは、4代目編集長の{{仮リンク|ジョゼフ・T・ショー|en|Joseph Shaw (editor)}}(1874年 - 1952年)である{{sfn|小鷹|1988|pp=127-128}}。ショーは1926年夏に就任すると、ハメットに対して原稿料の割増を約束した。これに応えてハメットは1927年2月号で復帰、以後1930年末までの4年間にわたる活動につながった{{sfn|ノーラン|1988|pp=88-90}}。
[[サンフランシスコ]]の私立探偵サム・スペードは、家出した妹を連れ戻したいという女性の依頼を受けて、相棒のマイルズ・アーチャーに、フロイド・サースビーという男を尾行させる。しかし、その夜サースビーとアーチャーは死体となって発見される。スペードはアーチャーの妻と密通しており、警察は彼に嫌疑を向ける。
ショーは「ブラック・マスク」誌のライターたちに長編小説を書かせ、彼らの名声と地位とともに{{sfn|ジョンスン|1987|pp=128-137}}、同誌の質的向上を図った{{sfn|ノーラン|1988|pp=88-90}}。
 
ショーの励ましを受けてハメットが取り組んだ長編小説の第1作が『[[血の収穫]](『赤い収穫』とも)』である{{sfn|ノーラン|1988|pp=96-97}}{{sfn|ジョンスン|1987|pp=128-137}}。
スペードはジョエル・カイロという男の訪問を受ける。彼はスペードが何かを握っていると考えており、それを探ろうとしている様子だった。女依頼人に再会したスペードは、彼女が最初に名乗ったのは偽名で、本名はブリジッド・オショーネシーであること、カイロとも関係していることを知る。2人を引き合わせたスペードは、彼らの会話からその関心がある鳥の彫像にあること、「G」なる人物もまたそれを求めているらしいことを知る。
『血の収穫』は、「ブラック・マスク」誌1927年11月号から1928年2月号にかけて4回に分けて掲載された。ハメットはこの作品を『ポイズンヴィル』と題して、原稿を{{仮リンク|クノップ|en|Alfred A. Knopf}}社編集部に送った。クノップ社からはタイトルの変更を含めた改稿提案がなされ、ハメットはこれを受け入れた{{sfn|ノーラン|1988|pp=101-104}}{{sfn|ジョンスン|1987|pp=128-137}}。1929年2月、クノップ社は『血の収穫』を出版した{{sfn|ノーラン|1988|pp=101-104}}。
 
ハメットの長編小説2作目は『[[デイン家の呪い]]』である{{sfn|ノーラン|1988|pp=105-108}}{{sfn|ジョンスン|1987|pp=135-138}}。『血の収穫』と同じコンチネンタル・オプものであり、1928年11月号から1929年2月号にかけて「ブラック・マスク」誌に連載された{{sfn|ノーラン|1988|pp=105-108}}。
やがて「G」ことガットマンもスペードに接触してくる。スペードははったりをしかけて、彼らの捜し求める[[マルタ騎士団]]にゆかりを持つ「マルタの鷹」の存在を聞きだす。ガットマンは、ロシアの将軍が「鷹」を所持していることを知り、カイロ、サースビー、オショーネシーの3人を代理人として派遣したが、「鷹」の価値に勘付いた3人はそれを秘匿してしまったのだという。
雑誌掲載前の1928年6月の段階で、ハメットは『デイン家の呪い』の単行本用原稿をクノップ社に送付していた{{sfn|ジョンスン|1987|pp=135-138}}。この作品についてもクノップ社は修正を要求し、ハメットはこれに応じて大幅な手入れをしている{{sfn|ノーラン|1988|pp=108-112}}{{sfn|ジョンスン|1987|pp=138-142}}。
 
=== 『マルタの鷹』 ===
やがて、オショーネシーの意を受けて、貨物船「ラ・パロマ」号の船長がスペードの事務所を訪れる。彼は「鷹」をスペードに託して息絶える。「鷹」を手に入れたスペードはそれを切り札にガットマンらと交渉し、すべてのいきさつをあぶりだす。「鷹」の取り分をめぐる仲間割れから、アーチャーも殺されたのだった。
[[File:BlackMaskFalcon2.jpg|thumb|『マルタの鷹』連載第1回を掲載した「[[ブラック・マスク (雑誌)|ブラック・マスク]]」誌1929年9月号]]
『デイン家の呪い』の修正作業に入った時点で、ハメットはすでに3作目の長編小説『マルタの鷹』に取りかかっていたと見られる{{sfn|ジョンスン|1987|pp=138-142}}{{sfn|小鷹|2012|pp=362-364}}。翌1929年初めには作品を書き上げており{{sfn|ノーラン|1988|pp=126-127}}、前2作とは異なり、単行本のためにその後約半年をかけて徹底的な改稿を加えた{{sfn|諏訪部|2012|p=7}}{{efn|雑誌掲載時とハードカバー版の比較では2,000を超す改稿箇所が確認されている{{sfn|諏訪部|2014|p=141}}。}}。
ハメットが『マルタの鷹』の完成原稿をクノップ社に送ったのは1929年6月で、その1ヶ月後に『デイン家の呪い』が刊行されている{{sfn|ジョンスン|1987|pp=138-142}}{{sfn|小鷹|2012|pp=362-364}}。
クノップ社は『マルタの鷹』についても手直しを求めた。具体的にはベッド・シーンと[[ホモセクシュアル]]な部分についてだったとされる。しかし、ハメットはこれに応じなかった{{sfn|ジョンスン|1987|p=144}}。
 
『マルタの鷹』は「ブラック・マスク」誌1929年9月号から1930年1月号まで、5回に分けて掲載された。編集長のショーはその出来栄えに驚愕し、「これほど強烈で、人の心を引きつけ、迫力あふれる作品にはお目にかかったことがない」と読者に語りかけている{{sfn|ノーラン|1988|pp=121-122}}。『マルタの鷹』の単行本がクノップ社から出版されたのは、連載が完結した翌月の1930年2月である{{sfn|ノーラン|1988|p=140}}{{sfn|ジョンスン|1987|p=148}}。
それをめぐって3人の男が殺されることになった「鷹」は模造品だった。ガットマンらの態度からそれが高価なものだと気付いた持ち主のロシア人が、偽物をつかませたのだった。落胆しながらも、再び「鷹」を求めて出立していったガットマンらを、スペードはあっさりと警察に密告する。そして、アーチャーを射殺した実行犯であったオショーネシーも、必死の哀願にもかかわらず、無慈悲に警察に突き出されるのだった。
 
=== 映画化作品反響 ===
『マルタの鷹』は発売と同時に大成功を収め、それまでに書かれたアメリカの探偵小説の最高傑作と目された{{sfn|ジョンスン|1987|p=148}}。
すべて[[ワーナー・ブラザース]]により、3度にわたって映画化されている。
* [[ニューヨーク・タイムズ]]:「"ハードボイルド"という表現が何を指すのかまだ明確にされていなかったのなら、ダシール・ハメットの最新作の探偵小説に登場する人物たちを指す新しい用語として認知する必要があるだろう」{{sfn|ジョンスン|1987|pp=149-150}}。
; [[マルタの鷹 (1931年の映画)|マルタの鷹]]([[1931年]])
* [[ヘラルド・トリビューン]]:「有史以来最高のミステリ」{{sfn|ジョンスン|1987|p=174}}。
: 監督:[[ロイ・デル・ルース]]
* {{仮リンク|クリーブランド・プレス|en|Cleveland Press}}:「驚異の暗黒小説! 本や雑誌や映画にこの手のものは氾濫してきたが、本書には遠く及ばない」{{sfn|ジョンスン|1987|pp=149-150}}。
: 脚本:[[モード・フルトン]]・[[ブラウン・ホームズ]]
* {{仮リンク|ニューヨーク・グラフィック|en|New York Graphic}}:「『マルタの鷹』に登場するサム・スペードの出現によって、小説の中の探偵たちはそろいもそろって片なしにされてしまった」{{sfn|ジョンスン|1987|pp=149-150}}。
: 出演:[[ビーブ・ダニエルズ]](オショーネシー)・[[リカルド・コルテス]](スペード)
* {{仮リンク|タウン&カントリー|en|Town & Country (magazine)}}:「ハメット氏が現れるまで、探偵小説を真面目に受けとめて、英国流の特徴を真似る以上のことをしたアメリカの作家はひとりもいなかった」{{sfn|ノーラン|1988|p=140}}。
; [[マルタの鷹 (1936年の映画)|マルタの鷹]] 原題:[[魔王が婦人に出遭った]](''Satan Met A lady)([[1936年]])
* {{仮リンク|ジャッジ (雑誌)|en|Judge (magazine)}}:「彼はいとも易々と書き、(しかも)衝撃の仕掛け人として群を抜いている……この作品は[[アーネスト・ヘミングウェイ|ヘミングウェイ]]を上回っている。なぜならこれは厳しさだけでなく優しさを隠しているからだ」{{sfn|ノーラン|1988|p=140}}。
: 監督:[[ウィリアム・ディターレ]]
: 脚色:[[ブラウン・ホームズ]]
: 出演:[[ウォーレン・ウィリアム]](テッド・シェーン[原作のスペード])・[[ベティ・デイヴィス]](ヴァレリー・パーヴィス[原作のオショーネシー])・[[アリソン・スキップワース]](マダム・バラバス[原作のガットマン])
:* 製作のワーナー・ブラザースの意向で、第一作との差別化が図られ、内容は大幅に改変された。登場人物の名前は全て変更され、「マルタの鷹」も「羊の角笛」に変えられていて、邦題にあるにも関わらず劇中には登場しない。
; [[マルタの鷹 (1941年の映画)|マルタの鷹]]([[1941年]])
: 監督・脚本:[[ジョン・ヒューストン]]
: 出演:[[ハンフリー・ボガート]](スペード)・[[メアリー・アスター]](オショーネシー)
:* [[1940年代]]の名作のひとつに数えられ、ボガートの出世作としても知られる。当初[[ジョージ・ラフト]]を起用する予定であったが、本人談によると当時の契約の中に「再映画化作品には出演しない」という条項があったことから断ったという。この作品以降、本作は映画化されていない。
 
[[イギリス]]で出版されると、「[[タイムズ]]」の文芸欄は「これはおそらくこれまでで最初の探偵小説であるだけでなく、非常に優れた長編小説でもある」と評価した{{sfn|ノーラン|1988|p=140}}。
このほかパロディ作品も数多いが、そのほとんどがハメットの原作のというより、1941年のヒューストン=ボガート版のパロディになっていることが多い。
アメリカの作家[[カール・ヴァン・ヴェクテン]](1880年 - 1964年)は、「[[アレクサンドル・デュマ]]が[[歴史小説]]の地位を引き上げたのと同じ地平まで、ハメットは探偵小説の地位を引き上げた」と述べた{{sfn|ノーラン|1988|p=140}}。
 
『マルタの鷹』は最初の1年間で7度増刷され、ハメットは一躍有名人となった{{sfn|ジョンスン|1987|p=148}}。
1930年6月末、[[ワーナー・ブラザース]]はクノップ社から8,500ドルで『マルタの鷹』の映画化権を買い取った。つづいて、[[パラマウント]]社が『血の収穫』の映画化権を買い取り、ハメットは[[ハリウッド]]からも注目されることになった{{sfn|ノーラン|1988|pp=143-144}}。
 
=== 献呈 ===
ハメットは『マルタの鷹』を妻ジョウスに献呈している{{sfn|ノーラン|1988|pp=126-127}}{{sfn|ジョンスン|1987|p=148}}。しかし、このときすでにジョウスとの結婚生活は崩壊していた{{sfn|ノーラン|1988|pp=126-127}}。[[肺結核]]を病んでいたハメットは喀血するたびに家族との別居を余儀なくされ{{sfn|ノーラン|1988|pp=83-87}}、執筆と夜の巷を徘徊することに多くの時間を費やすうちに、音楽教師で未亡人の{{仮リンク|ネル・マーティン|en|Nell Martin}} (1890年–1961年) と出会い、親密になっていた{{sfn|ノーラン|1988|pp=96-97}}。『ダシール・ハメット伝』の著者{{仮リンク|ウィリアム・F・ノーラン|en|William F. Nolan}}は、ハメットが『マルタの鷹』をジョウスに捧げて、彼女と過ごした日々に感謝を示したとしている{{sfn|ノーラン|1988|pp=126-127}}{{efn|ノーランによれば、ハメットにとって最初に抱いていた安定した結婚生活という夢は、幻の鷹と同じく非現実的なものだった{{sfn|ノーラン|1988|pp=126-127}}。}}。
 
1929年10月、ハメットはネル・マーティンとともに[[サンフランシスコ]]から[[ニューヨーク]]に移った。しかし二人の関係は長続きせず、1930年初めに彼女はハメットの元を去った{{sfn|ノーラン|1988|pp=136-137}}{{efn|ハメットの4作目の長編小説『[[ガラスの鍵]]』はネル・マーティンに捧げられている{{sfn|ノーラン|1988|pp=136-137}}}}。
 
== 作品について ==
=== 評価 ===
[[File:Dashiell Hammett "Thin Man" portrait (cropped).jpg|thumb|[[ダシール・ハメット]](1934年、『[[影なき男]]』のブックカバーに採用された肖像写真)]]
ハメットは、アメリカの「ハードボイルド」派を象徴する作家であり、探偵小説に根本的に影響を与えた点では、[[アーサー・コナン・ドイル|コナン・ドイル]]以来の存在に数えられている{{sfn|鈴木|1976|p=234}}。
そのハメットの作品の中でも、『マルタの鷹』は最高傑作とされている{{sfn|ノーラン|1988|p=114}}{{sfn|パーカー|1994|p=77}}{{efn|ただし、ハメット自身は『ガラスの鍵』がベストだと思っていた{{sfn|パーカー|1994|p=77}}。}}。
 
アメリカの推理小説評論家{{仮リンク|ハワード・ヘイクラフト|en|Howard Haycraft}}(1905年 - 1991年)は、『マルタの鷹』においてハメットの才能と技巧が最高峰に達し、推理小説の歴史の上でもっとも高い地位を要求すべき佳作だと絶賛している{{sfn|中島|1961|pp=342-345}}。
また、ノーランは『マルタの鷹』について、ハメットが希望と幻滅を織り交ぜながら、それまでの彼の作品すべてが階段を昇るように、ロマンティックな想像力と悲観的な人生観とが見事に調和したこの作品を生み出したと述べている{{sfn|ノーラン|1988|p=114}}。
アメリカ文学研究者の[[諏訪部浩一]](1970年 - )によれば、『マルタの鷹』はハメットというジャンルの確立者が、すでにハードボイルド探偵小説の一つの極北へと到達していたことを実感させる作品であり、ただの「優れたエンターテインメント小説」ではなく{{sfn|諏訪部|2012|p=309}}、ミステリ・ファンであろうとなかろうと、誰もが読むべき名作である{{sfn|諏訪部|2012|p=3}}。
 
一方で、日本の推理小説家[[江戸川乱歩]](1894年 - 1965年)は『海外探偵小説作家と作品』において、「ハメットの最上作といわれる『マルタの鷹』は、正直に言うと、退屈しながら、無理に読み終わったようなものであった。第一、宝物の奪い合いという大筋が気にくわないし、利己と術策のかたまりみたいな悪人どもの互いの腹の探り合いに終始しているこの小説は、私にはどうにも興味が持てなかった」と述べている{{sfn|中島|1961|pp=342-345}}{{sfn|直井|2008|p=366}}。
また、諏訪部によれば「極論すれば、ハードボイルド探偵小説において、「謎」の解明は重要ではない。1930年代の[[サム・スペード]](本作)や[[フィリップ・マーロウ]]([[レイモンド・チャンドラー|チャンドラー]])以来、「私立探偵」たちは、謎について考え込むことがほとんどない。彼らはなにか動きが生じるまで、ひたすら関係者につきまとい、事件をかき回す」{{sfn|諏訪部|2014|p=86}}。
 
これについて推理小説評論家[[中島河太郎]](1917年 - 1999年)は、「われわれが[[エドガー・アラン・ポー|ポー]]やドイルの樹立した形式を、推理小説の金科玉条と心得て、謎解きの推理過程を楽しもうとするなら、たしかにハメットは、新しい[[トリック]]の持ち合わせがなくて失望させるばかり」だが、「ハメットの創造した探偵は、従来の頭脳明晰な名探偵を地上に引きずり下ろして、大地に足をつかせた感がある。自己の信念に一途で、なにものにも動じないたくましさは、天才探偵とは異なった探偵の理想像であり、ヒーローであった」、「思索だけはあっても肉体をそなえなかった従来の探偵に対して、確固として自分の信念を貫こうとする探偵の典型を探り当てたのである」と述べている{{sfn|中島|1961|pp=342-345}}。
 
探偵フィリップ・マーロウを生み出した[[レイモンド・チャンドラー]](1888年 - 1959年)は次のように述べている。「ハメットは推理小説の形式を破壊したのではない。そういう生きた人間を推理小説中の人物として描いたのである。彼は人形を書くのにはあまり現実をよく知っていた。あまりにリアリストだったというにすぎない。代表作『マルタの鷹』が天才の作かどうかはしばらくおくとしても、少なくともこしらえものの世界から脱出した文芸を提供している。その意味で推理小説として最高のものと言わざるをえない」{{sfn|中島|1960|pp=330-332}}。
 
=== ハメット自身の所感 ===
ハメット自身は、次のような手紙をクノップ社へ書き送っている{{sfn|ジョンスン|1987|pp=135-136}}。
{{Quotation|わたしは「[[意識の流れ]]」の手法を、都合よく手を加えて探偵小説に適応させてみようと試みています。読者を探偵と一緒に歩きまわらせ、表面にあらわれてくるものをすべて示し、結論に達した探偵の考えを読者にも与え、読者と探偵が同時に解決にたどりつくという手法です。(中略)ここでは、読者はたしかに探偵と行を共にしますが、会話や動きは教えられても、探偵の心の奥にまではめったに踏み込むことが出来ません。
わたしは―ほかにも何人かいるとしての話ですが―探偵小説をまじめに考えている、かなりの程度文学的素養のある数少ない人間の一人です。自分の作品やだれかほかの作家の作品を大まじめに考えているというのではなく、探偵小説を一つの形式として受け止めているという意味です。いつか、だれかが、探偵小説を"文学"にしようと試みるでしょう。わたしも我田引水でわたしなりの夢を抱いています{{sfn|ジョンスン|1987|pp=135-136}}。|1928年3月、ハメットがクノップ社に宛てた手紙{{sfn|諏訪部|2012|p=7}}。}}
 
実際には『マルタの鷹』で用いられているのは「意識の流れ」ではなく、それをいわば裏返すような形で探偵の内面を開示しない[[人称#第三人称小説|三人称]]による叙述スタイルである。これは、手紙に書かれたような方法論的な問題意識がハメットの中で深く内面化されたことで、心理描写を省いた実験的な「アンダーステートメント」の技法に結びつき、図らずもヘミングウェイと比較されることにもなったと考えられる{{sfn|諏訪部|2012|p=7}}。
 
また、評論家{{仮リンク|ハーバート・アズベリー|en|Herbert Asbury}}に宛てた手紙にハメットは「どのような欠点があるにせよ、これはわたしが自分なりにそのときにできる最善をつくした最初の作品です」と述べている{{sfn|ノーラン|1988|p=140}}。
 
=== 影響 ===
諏訪部によれば、夢と幻滅(ロマンティシズムとリアリズム)をめぐって繰り広げられるこの葛藤のドラマは、小説としての密度がきわめて高く、以後のハードボイルド探偵小説の「教科書」的存在となった{{sfn|諏訪部|2014|pp=146-147}}。
 
中島河太郎は、ハメットが新しいスタイルを生んでから続々追随する作家が現れたが、形骸だけの模倣に終わったものがほとんどだと述べ、「わずかに自己の存在を主張する資格がある」ものとして、チャンドラーのフィリップ・マーロウと[[ロス・マクドナルド]](1915年 - 1983年)のリュウ・アーチャーを挙げている{{sfn|中島|1961|p=345}}{{efn|「アーチャー」はスペードのパートナーの名から採られたとされる{{sfn|諏訪部|2012|p=379}}。}}。
アメリカ文学者の[[平石貴樹]](1948年 - )は、チャンドラーがハメットとヘミングウェイを「二人の父」として登場し、彼が創造したフィリップ・マーロウは、ハメットの『マルタの鷹』の深い影響を受けていると述べている{{sfn|平石|2010|pp=418-419}}。
 
ハメットは[[労働運動]]に共感を寄せ、一時[[共産党]]に加わるほど政治や警察の権力への反発を抱いていた。このことで、後に「[[赤狩り]]」の時代に逮捕されることになった{{sfn|平石|2010|pp=418-419}}。
1951年にハメットが服役すると、彼の人格だけでなく作品まで非難される風潮が起こった。『ダシール・ハメットの生涯』の著者{{仮リンク|ダイアン・ジョンスン|en|Diane Johnson}}は、バスの乗客が映画『マルタの鷹』の広告を破り捨てたと述べている{{sfn|ジョンスン|1987|p=405}}。
 
=== ハメット作品としての『マルタの鷹』の特徴 ===
『マルタの鷹』がそれまでのハメットの長編2作と異なる点として、次の4つの特徴が挙げられている。これらは、探偵「個人」の葛藤に焦点を当てる目的に寄与している{{sfn|諏訪部|2014|pp=146-147}}。
 
==== 単一のプロットへの集中 ====
先行する『血の収穫』や『デイン家の呪い』は、直接的には雑誌掲載のために書かれており、連載を考慮してエピソードを重ねる直線的なストーリー展開というスタイルを採っていた{{sfn|諏訪部|2012|p=195}}。しかし『マルタの鷹』では、ハメットは雑誌掲載という形式への配慮をやめ、単一の[[プロット]]に集中するという変化を見せている{{sfn|諏訪部|2014|pp=146-147}}。
 
ノーランは、ハメットが書き上げた100編を越す小説のうち、当初から長編の形をとっていたものは、『マルタの鷹』と『[[影なき男]]』の2篇のみとしている{{sfn|ノーラン|1988|p=311}}。『マルタの鷹』のプロットは、『デイン家の呪い』よりはかなり単純でありながら、絶えず様相が逆転するという特徴がある{{sfn|パーカー|1994|pp=89-90}}。
 
なお、この物語のプロットの一部は、[[ヘンリー・ジェイムズ]](1843年 - 1916年)の小説『[[鳩の翼]]』から借りたとされており{{sfn|ジョンスン|1987|p=151}}{{sfn|諏訪部|2014|p=155}}、ガットマンやカイロらの「敵」に対して「退廃」や「不健康」なイメージを与え、彼らにスペードを対峙させることで「腐敗したヨーロッパ人」と「無垢なアメリカ人」という対比を印象付ける点が指摘されている{{sfn|諏訪部|2014|pp=147-148}}。
 
==== 暴力描写の減少 ====
『血の収穫』では主要な登場人物17人を含めて30人近くの人間が死に{{sfn|ノーラン|1988|p=100}}。『デイン家の呪い』では殺人が8件のほか、誘拐事件や宝石強盗などが起こっている{{sfn|ノーラン|1988|p=100}}。いわばプロットの主要素は暴力であったのに対して、『マルタの鷹』で起こる殺人は4件であり、しかもこれらは舞台裏で起こり、直接には描写されない{{sfn|ジョンスン|1987|p=151}}{{sfn|ノーラン|1988|pp=121-122}}。ちょっとした取っ組み合いやいざこざの描写はあるものの、乱闘には発展しない{{sfn|ノーラン|1988|pp=121-122}}。
暴力シーンの減少は、コンチネンタル・オプものの暴力性に対する批判を作者ハメットが意識したことが理由の一つとして挙げられる{{sfn|ジョンスン|1987|p=151}}。しかし、それよりも派手なアクションを減らして「葛藤」を探偵個人の内面に埋め込んだことが重要である{{sfn|諏訪部|2014|pp=146-147}}。
 
この結果、物語は舞台裏で起こる出来事に触発される、生き生きとした対話の連続となった{{sfn|ノーラン|1988|pp=121-122}}。主人公のスペードはコンチネンタル・オプとは異なり、拳銃を携帯せず、使いもしない{{sfn|ノーラン|1988|pp=121-122}}。彼は荒々しい血を内に秘めつつも、自分の人間性と鋭い洞察力によって事に当たり、獲物を押さえる{{sfn|ノーラン|1988|pp=121-122}}。クライマックスのシーンですら会話が交わされるだけだが、凄みのきいたセリフの応酬に加えて、暴力をあからさまに表に出さないことが緊迫感をより高めている{{sfn|ノーラン|1988|pp=121-122}}。
 
==== 非「シリーズもの」へのシフト ====
『マルタの鷹』では、前作『デイン家の呪い』まで続いてきたシリーズものの枠組みを取り払って当該事件への探偵の関わりを特別なものとした{{sfn|諏訪部|2014|pp=146-147}}。
 
このことは、「コンチネンタル・オプもの」からの脱却のみにとどまらない。『マルタの鷹』の第20章ではエピローグにあたる場面として、スペードが秘書エフィの待つオフィスに姿を見せる。事件を解決した探偵が秘書のもとに戻って日常に回帰するという「[[予定調和]]」に見えるこの場面は、後の連作につながる「様式美」になりうるものである。例えば、[[E・S・ガードナー]]の「[[ペリー・メイスン]]」シリーズ第一作『[[ビロードの爪]]』(1933年)では、『マルタの鷹』とよく似た設定のエピローグが置かれており、ここでは秘書のデラ・ストリートがメイスンに対する絶対の信頼を誓い、以降80作以上に及ぶシリーズにつながった。ところが『マルタの鷹』では、『ビロードの爪』とは正反対にスペードはエフィの拒絶に遭う{{sfn|諏訪部|2012|pp=312-316}}(後述の[[#エピローグ]]も参照)。
 
後述するように、ハメットは後に3編の「スペードもの」を書くが、ノーランによれば、これらは巧みに書かれているものの、「ブラック・マスク」時代の作品の迫力や屈折した情熱に欠けており、『マルタの鷹』で生み出した複雑で豊かな個性を持ったスペードに比べて見劣りする{{sfn|ノーラン|1988|pp=157-158}}。
諏訪部によれば、これらの作品に出てくるスペードはほとんど没個性的であり、金目当てに書かれた感が強い{{sfn|諏訪部|2012|p=46, 327}}。
 
==== 一人称から三人称への移行 ====
『マルタの鷹』において、ハメットはそれまで「コンチネンタル・オプもの」で確立し、慣れ親しんできた[[人称#第一人称小説|一人称]]による叙述形式を捨て、三人称による[[フィルムカメラ]]的な客観視点を用いている{{sfn|ジョンスン|1987|p=151}}{{sfn|諏訪部|2012|pp=25-26}}{{efn|なお、厳密な三人称客観のスタイルは、ハメットが1923年に書いた「ダン・オダムズを殺した男」でも用いられており、『マルタの鷹』が最初というわけではない{{sfn|諏訪部|2012|p=32}}。}}。
激しいアクション場面で真実味を出すのに一人称は有効だったが、『マルタの鷹』では暴力シーンはごく控えめであり、会話を効果的に用いることができる三人称のスタイルは、劇作家としてのハメット生来の資質にむしろ適していた{{sfn|ジョンスン|1987|p=151}}。
 
また、三人称によって主人公の探偵自身を描写することが可能になった{{sfn|諏訪部|2012|pp=26-27}}。
『マルタの鷹』第1章の冒頭は、サム・スペードの次のような外見描写である。
{{Quotation|角張った長い顎の先端は尖ったV字をつくっている。反りかえった鼻孔が鼻の頭につくる、もう一つの小さなV字。黄ばんだ灰色の目は水平。鉤鼻の上の二筋の縦皺から左右に立ち上がる濃い眉がふたたびV字模様を引き継ぎ、額から平たいこめかみの高い頂にかけて、薄茶色の髪もVを成している。見てくれのいい金髪の悪魔といったところだ{{sfn|小鷹|2012|p=31}}。}}
コンチネンタル・オプは中年で太っていることしかわからないのに対し、サム・スペードは『マルタの鷹』の最初の段落だけで、『血の収穫』と『デイン家の呪い』を合わせたよりも情報が多い。探偵を見える肉体として対象化するためには、三人称の採用は不可避でもあった{{sfn|諏訪部|2012|pp=26-27}}。
 
この三人称による客観視点は徹底されており、例えば第2章冒頭において、暗闇で「なにか小さくて硬いもの」が床に落ちる音が描写されるが、それが[[ライター]]であったことがわかるのは、部屋の灯が点いてからである。同様に、電話に出たスペードについても「男の声」としか記されない{{sfn|諏訪部|2012|pp=25-26}}。
さらに同じ章では、アーチャーの死を知ったスペードが[[たばこ#手巻きたばこ|手巻きタバコ]]を巻く有名なシーンがあり、スペードの指が紙を巻いていく所作が段落ひとつを使って一文で綴られている。ここでスペードが何を感じ、何を考えているかについては語られないが、物語を通じて繰り返されるありふれた仕草を入念に描写することで、息詰まるような緊張感が生まれている{{sfn|諏訪部|2012|pp=28-30}}。三人称スタイルによって、主人公の語られない「内面」へと読者の注意を向けたものであり{{sfn|諏訪部|2014|pp=146-147}}、諏訪部は『マルタの鷹』におけるこうした「アンダーステートメント」の技法は、特定の大衆文学ジャンルを超え、同時代のモダニズム文学に接続されるだけの資格を十分に持つだろうと述べている{{sfn|諏訪部|2012|pp=28-30}}。
 
== 物語 ==
(以下の固有名詞や章題の表記は、[[小鷹信光]]訳『マルタの鷹』改訳決定版に準じる。)
=== 登場人物 ===
* サム・スペード:[[サンフランシスコ]]の私立探偵
* エフィ・ペリン:スペードの秘書
* マイルズ・アーチャー:スペードのパートナー
* アイヴァ・アーチャー:アーチャーの妻
* ブリジッド・オショーネシー:事件の依頼人
* フロイド・サーズビー:ブリジットが尾行を依頼した男
* ジョエル・カイロ:レヴァント人
* キャスパー・ガットマン:鷹の彫像を追っている男
* ウィルマー・クック:ガットマンの手下
* ジャコビ:パロマ号の船長
* シド・ワイズ:弁護士
* ブライアン:地方検事
* トム・ポルハウス:部長刑事
* ダンディ:警部補
 
=== 構成と章題 ===
全20章で構成され、各タイトルは次の通り。
# スペード&アーチャー
# 霧につつまれた死
# おんな三人
# 黒い鳥
# レヴァント人
# チビの尾行者
# 宙に描かれたG
# 茶番劇
# ブリジッド
# ベルヴェデールのロビー
# 太った男
# {{ruby|いたちごっこ|メリーゴーラウンド}}
# 皇帝への貢物
# パロマ号
# いかれた連中
# 三つめの殺人
# 土曜日の夜
# 貧乏くじ
# ロシア人の手口
# 首を吊られたら
 
なお、単行本とそれに先行した雑誌掲載分とでは、全20章のうち4つの章でタイトルが異なる。単行本の第5章「レヴァント人」は雑誌掲載分では「カイロのポケット」、第9章「ブリジッド」は「嘘つき」、第11章「太った男」は「ガットマン」、第15章「いかれた連中」は「役人たち」となっていた{{sfn|小鷹|2012|pp=362-364}}。
 
=== プロット ===
『マルタの鷹』の物語の骨子は、アメリカの作家[[ロバート・B・パーカー]](1932年 - 2010年)によれば次のとおりである。
 
<blockquote>スペード・アンド・アーチャー探偵事務所にミス・ワンダリーと名乗る女性が訪れて来る。彼女の依頼はサーズビーという人物から妹を救ってほしいというものだった。スペードのパートナーのアーチャーがサーズビーの尾行を引き受ける。夜、アーチャーは尾行の最中に射殺死体となって発見され、事件直後にサーズビーも殺される。
 
ミス・ワンダリーは次にミス・ルブランと名乗るが、これもまた偽名であり、本名はブリジッド・オショーネシーだった。彼女は妹についての依頼は作り話だったとして、スペードに助けを求めるが、依頼の目的や手がかりになるようなことはなにひとつ語らない。
 
ブリジッドが追っていたのは、16世紀から伝わるマルタの鷹の彫像だった。スペードは彫像を追う者たちと接触し、彫像が計り知れない価値を持つ宝物であり、ブリジッド以外にもカイロ、さらにガットマンとその配下のウィルマーが狙っていることが判明する。やがて彫像を手に入れたスペードは、関係者一同との話し合いにおいて主導権を握り、殺人事件の「いけにえ」を要求してウィルマーを排除する。彫像はガットマンに1万ドルで売ることで取引が成立するが、ガットマンが調べた結果、彫像は偽物だった。ウィルマーは逃走し、ガットマンとカイロが立ち去ると、スペードは彼ら全員を警察に通報する。残ったブリジッドに対し、スペードは彼女がアーチャーを殺した犯人であり、最初からわかっていたと打ち明ける。スペードと一夜をともにしていたブリジッドはなおも懇願するが、彼女も警察に引き渡される{{sfn|パーカー|1994|pp=77-78}}。</blockquote>
 
ハメットの中短編を編纂した[[エラリー・クイーン]]によれば、『マルタの鷹』の[[プロット]]は現代の[[おとぎ話]]あるいは夢物語だが、ハメットはそれを極端に現実的な人物描写と絡み合わせている。「[[写実主義|リアリズム]]の皮膚によって内にある純粋な[[ロマン主義|ロマンティシズム]]を隠している」ことにより、ハメットを"ロマンティック・リアリスト"と呼んでいる{{sfn|稲葉|1976|pp=9-10}}。
 
また諏訪部によれば、『マルタの鷹』を悲劇たらしめるのは、ロマンティシズムと[[自己意識|自意識]]の深い葛藤である。この葛藤は、ブリジッドへの愛を通じて、スペードの内的ドラマとして見事に展開され、小説に精巧な複雑さを与えている{{sfn|諏訪部|2014|pp=102-103}}。
 
=== ハメットの序文 ===
作者ハメットは、本作の1934年刊{{仮リンク|モダン・ライブラリー|en|Modern Library}} 版に序文を付しており、『マルタの鷹』のストーリーについて次のように述べている{{sfn|小鷹|2012|pp=5-7}}{{efn|なお、1934年1月にはハメット最後の長編小説『[[影なき男]]』がクノップ社から出版されている{{sfn|ノーラン|1988|p=173}}。}}。
{{Quotation|この物語が、概要とかメモとか、私の頭の中できちんと整理されたプロットの原案などの助けを借りて書かれたものであったら、いかにして『マルタの鷹』が出来あがったかをお教えすることも可能であろう。だがこの物語について思い出せることといえば、[[神聖ローマ帝国]]皇帝と[[エルサレム]]の[[聖ヨハネ騎士団|聖ヨハネ救護騎士修道会]]との間で結ばれた奇妙な借款協定のことを読んだ記憶があったこと、私が気に入っていた設定の大部分を「フージズ・キッド」という短編小説で生かしきれなかったこと、「カウフィグナル島の略奪」という別の短編小説の中ではかなりうまくいきそうだった結末の部分を同様に台無しにしてしまったこと、そしてこの二つの失敗を[[マルタ島]]の貸与と結びつければうまくいくかもしれないと考えたことだけである{{sfn|小鷹|2012|pp=5-7}}。|ハメットによるモダン・ライブラリー版序文(1934年1月24日付)。}}
 
「フージズ・キッド」、「カウフィグナル島の略奪」はいずれも1925年出版の「コンチネンタル・オプもの」の短編で、前者は盗んだ宝石をいくつかのグループが奪い合うという筋立てであり、後者は犯罪グループの女がオプを肉体で買収しようとする。これらは『マルタの鷹』において、裏切りの物語ないしはブリジッド・オショーネシーのキャラクタに再活用されている{{sfn|諏訪部|2012|p=380}}。
 
また、1924年に発表された「ターク通りの家」とその続編「銀色の目の女」にも『マルタの鷹』の元となった要素が認められる。「ターク通りの家」に登場する赤毛のエルヴィラは、ブリジット・オショーネシーの原型と考えられる。「銀色の目の女」では、自分を見逃してもらうためにブリジッドがスペードをかき口説く場面の原型が見られる。悪党一味の首謀者は口のうまい太った中国人であり、彼と攻撃的なフックの二人は、『マルタの鷹』のガットマンとウィルマーを思わせる。とはいえ、これらの作品では『マルタの鷹』ほど人物たちを生き生きと描けるまでには至っていない{{sfn|ノーラン|1988|p=72}}。
 
=== 探偵サム・スペード ===
[[File:Spades House 891 Post st a.JPG|thumb|サム・スペードの家のモデルとされているサンフランシスコ・ポスト通り891番地のアパート。4階左端がハメットの住まいだった{{sfn|ノーラン|1988|p=52}}。]]
『マルタの鷹』では、警察の誤解や妨害に抵抗しながら、財宝をめぐる陰謀に挑戦する主人公サム・スペードの活躍が描かれ、探偵のクールなライフスタイルにも焦点があてられている{{sfn|平石|2010|pp=418-419}}。
サム・スペードについては、ハメットは自分のファースト・ネームを与えており、名字は当時のボクサー、ジョン・スペードから取られたとされる{{sfn|ジョンスン|1987|pp=151-152}}{{sfn|ノーラン|1988|pp=117-118}}。
 
エラリー・クイーンはサム・スペードについて、次のように述べている。
{{Quotation|まずここで、あの『マルタの鷹』の荒っぽい、したたかな探偵を、みなさんにご紹介しよう。この男は Victory の V そのままの顔立ちで、金髪の悪魔のようだ。事務所の共同経営者である相手を心底嫌っているくせに、殺されたとなると、その犯人を追求してやむところがない。そして、だれが傷つこうが―たとえそれが自分の愛する女であろうが―殺人犯をそのまま逃がすことを悪と心得るような男である{{sfn|稲葉|1976|p=7}}。|エラリー・クイーンによる「サム・スペードご紹介」}}
 
著者ハメットは、1934年のモダン・ライブラリー版の序文において、『マルタの鷹』の登場人物が、それぞれハメットが[[ピンカートン探偵社]]時代{{efn|ハメットがピンカートン探偵社の調査員として働いたのは1915年から1922年の7年間である{{sfn|ノーラン|1988|p=21,47}}。}}に出会った人物たちをモデルにしていることを明かしているが、主人公のスペードについては次のように述べている{{sfn|小鷹|2012|pp=5-7}}。
 
{{Quotation|サム・スペードにはモデルがいない。私と同じ釜の飯を食った探偵たちの多くがかくありたいと願った男、少なからぬ数の探偵たちが時にうぬぼれてそうあり得たと思い込んだ男、という意味で、スペードは{{ruby|夢想の男|ドリーム・マン}}なのである。なぜなら、ここに登場する私立探偵(少なくとも私の十年前の同僚たち)は、[[シャーロック・ホームズ]]風の謎々を博識ぶって解こうとはしたがらない。彼は、いかなる状況も身をもってくぐりぬけ、犯罪者であろうと罪のない傍観者であろうと、はたまた依頼人であろうと、かかわりをもった相手に打ち勝つことのできるハードな策士であろうと望んでいる男なのである{{sfn|小鷹|2012|pp=5-7}}。|ハメットによるモダン・ライブラリー版序文(1934年1月24日付)}}
 
[[File:Dorothy Parker LCCN2014685624.jpg|thumb|upright|[[ドロシー・パーカー]](1893年 - 1967年)]]
スペードは、物語において不正直、貪欲、強欲、残忍さをほのめかす言葉を何度も口にする。あるいは、読者にそう思わせる{{sfn|パーカー|1994|p=87}}。
ハメットの作品を称賛していた[[サマセット・モーム]](1874年 - 1965年)も、スペードについては、「性悪で、無節操な無頼漢、酷薄な盗人……彼が相手にする悪人どもと、大した差はない」と述べている。とはいえ、これは作中でスペードがガットマンに対して与えようとした印象にほかならない{{sfn|ノーラン|1988|pp=117-118}}。
その上で、スペードはブリジッドに次のように語っている。「おれが見かけと同じほど堕ちた男だと、たかをくくらないほうがいい。その手の悪名は、商売をやっていくのに都合がいいんだ」{{sfn|ノーラン|1988|pp=117-118}}{{sfn|パーカー|1994|p=87}}。
 
諏訪部はスペードについて、探偵として確かな技量を持った、したたかでハードな策士としつつ{{sfn|諏訪部|2012|pp=130-133}}、タフでハードボイルド探偵の代名詞ともされるサム・スペードだが、女に弱いと指摘している。そして、主人公のこうしたあまりにも「人間的」なところこそが小説に深みとペーソスを与えているとする{{sfn|諏訪部|2012|p=40}}。
 
ハメットと親交のあった[[ドロシー・パーカー]](1893年 - 1967年)は、『ガラスの鍵』の書評の中で『マルタの鷹』に触れ、プロットについては「奇抜すぎて吐き気を催すほど」としつつ、サム・スペードについては次のように述べている。「『マルタの鷹』を読んだあと、わたしは9歳のとき[[ランスロット]]卿にめぐりあって以来、小説の中ではついぞ味わったことのない恋心にぼーっとなって、スペードを想いながらうっとりとさまよい歩いたものだった。」{{sfn|ジョンスン|1987|pp=175-176}}。
 
『マルタの鷹』の日本語訳者で『サム・スペードに乾杯』などの[[エッセイ]]も書いた[[小鷹信光]](1936年 - 2015年)は、次のように述べている。「たとえば、スペードの顔の V字模様の V はなにを意味するのか? V はvile(下劣な)、vicious(過酷な)、vulgar(粗野な)、virile(精力的な)といった単語をすぐに連想させる。「サム・スペードにおける V のメタファー」といった小論がこれで出来上がるといった具合に、『マルタの鷹』は私にとって、いまだ魅力の盡きることのない聖典なのである。」{{sfn|小鷹|2012|pp=362-364}}。
 
=== ファム・ファタール ===
第3章において、スペードをめぐって二人の女性、すなわちスペードの秘書であるエフィと愛人のアイヴァ(スペードのパートナーであるアーチャーの妻)とが対比的に描かれており、ここではスペードの「日常」が「母」(エフィ)と「牝」(アイヴァ)という凡庸で[[ステレオタイプ]]的に見える二項対立で象徴されている{{sfn|諏訪部|2012|pp=41-44}}。とはいえ、エフィがブリジッドとともに作中で常にフルネームで表記されていることからすれば、エフィについては単純なステレオタイプではなく、エピローグに至ってその重要性が明らかになる{{sfn|諏訪部|2012|pp=139-141}}{{efn|諏訪部によれば、ハメット作品でのフルネーム表記は他者性の強調であり、対比的に描かれているのはむしろエフィとブリジッドということになる{{sfn|諏訪部|2012|pp=139-141}}。}}。そこへ第三の女性として登場するのがブリジッドであり、彼女は「日常」で抑圧されている「夢」あるいは男のロマンティシズムを抗いがたくかき立てる「[[ファム・ファタール]](宿命の女)」である{{sfn|諏訪部|2012|pp=54-55}}。
 
ジョンスンによれば、ブリジッド・オショーネシーは「男泣かせの女」として、ハメットの他の作品にもその原型を見出すことができる。彼女たちの性的魅力は犯罪あるいは利得と密接につながっており、いずれも不道徳的で、信頼の置けない、誘惑的な生き物として描かれ、主人公は逆にそういった性格に惹きつけられていく。主人公は彼女を自分のものにするか、あるいは犯した罪のために警察に突き出すかの選択を迫られ、女の誘惑に必死に抵抗する{{sfn|ジョンスン|1987|pp=151-152}}。
 
諏訪部によれば、ファム・ファタールが見せる「夢」とは、現在の自分は本当の自分ではなく、本当の自分は特別な存在であるという夢である{{sfn|諏訪部|2012|p=304}}。したがって、ファム・ファタールの誘惑から身を振りほどくスペードの決断は、苦渋に満ちたものとなる{{sfn|諏訪部|2012|p=313}}。
彼のブリジッドへの愛は現実のものではない{{sfn|ノーラン|1988|pp=126-127}}。しかしブリジッドに対してスペードが感じている誘惑は本物であり、それに対する彼の勝利は痛ましい{{sfn|パーカー|1994|pp=89-90}}。
 
ノーランによれば、スペードはハメットの重苦しい世界観を伝えてくれるメッセンジャーである。彼は女を刑務所に送って生きのびる。だがそのつけは大きく、物語の終わりに彼はひとり取り残される{{sfn|ノーラン|1988|pp=126-127}}。
ロバート・B・パーカーは、「しかし、ハメットが小説の筋道において、とりわけブリジッドとの最後の対決において明らかにしているように、スペードのみならず[[タフガイ]]一般について大事なことは、間違っていた方がよかったというわけにはいかないということだ」と述べている{{sfn|パーカー|1994|pp=89-90}}。
 
=== 鷹の彫像 ===
{{multiple image | align = right | direction = horizontal | header_align = center | footer_align = left | footer_background = | image1 = Maltese Falcon film prop created by Fred Sexton for John Huston.jpg | width1 = 150 | caption1 = <center>1941年の映画『マルタの鷹』で使われた鷹の彫像(真の価値を隠すために全体を黒いエナメルで塗られている設定)</center> | image2 = In Guardia Fort St Elmo 2012-05-06 n57.jpg | width2 = 150 | caption2 = <center>マルタ島の[[ハヤブサ]](2012年)</center> }}
物語中で語られる鷹の彫像の歴史は、部分的に事実に基づいている。1530年に皇帝[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]と[[聖ヨハネ騎士団]]との間に条約が結ばれ、当時スペイン領だった[[マルタ島]]を騎士団が借り受け、騎士団は皇帝に毎年1羽の{{仮リンク|鳥の貢物|en|Tribute of the Maltese Falcon}}を献上することを定めた。小説では、ガットマンがこれを輝かしい黄金の鷹の彫像で、選びぬかれた宝石類でちりばめられたものだと述べているが、騎士団が実際に皇帝に捧げたのは生きた鳥([[ハヤブサ]])であり、宝石で飾られた鷹の彫像とそれにまつわる血の歴史は、ハメットの創作である{{sfn|ノーラン|1988|pp=115-116}}。
 
宝石で飾られた彫像のアイデアについては、ハメットがピンカートン探偵社時代にパートナーだったフィル・ホールテンが、宝石をちりばめた頭蓋骨を持っていたことを語っている。[[インド]]の[[カルカッタ]]に住む伯父から送られた聖者の骨で、[[チベット]]の[[ラサ]]に向かったイギリス遠征隊による略奪品だとされる。ハメットと組んでいたころ、ホールテンはアパートにこの頭蓋骨を置いており、彼は『マルタの鷹』を読んで「これだ」と思ったという{{sfn|ノーラン|1988|pp=115-116}}。
 
ノーランによれば、鷹の彫像は人生そのものの虚偽と幻影の象徴であり、宝石を探し求めても鉛の塊しか手に入れられない{{sfn|ノーラン|1988|pp=126-127}}。
また、諏訪部によれば、鷹の彫像はウィルマーにとっての[[拳銃]]と同じく[[ファルス (性)|ファルス]]的なシンボルであり、「現実」との妥協により生じた「欠落」を埋め、全能感を回復するというロマンティックな欲望を刺激する存在という意味では、「夢の象徴」であるファム・ファタールと重なっている{{sfn|諏訪部|2012|pp=124-126, 176-177, 276, 304}}。
 
=== フリットクラフトの挿話 ===
第7章「宙に描かれたG」において、スペードがブリジッドに向けて語る短い話は、多くの読み手を刺激してきた。いわゆる「フリットクラフト・[[たとえ話|パラブル]]」である{{sfn|諏訪部|2012|pp=88-89}}。この挿話は、物語の本筋とはまるで無関係な傍系のエピソードであり{{sfn|稲葉|1976|p=345}}、ストーリーの骨子は、まったく問題のない生活を送っていたフリットクラフトという男が、ある日頭上から降ってきた[[梁]]で危うく命を落としそうになったことを機に蒸発するが、数年後には別の場所でまた同じような暮らしをしていたというものである{{sfn|ジョンスン|1987|pp=145-146}}{{sfn|ノーラン|1988|p=121}}{{sfn|諏訪部|2012|pp=88-89}}。
このエピソードは、ハメットの作品中といわず探偵小説の歴史上でも最も有名なもののひとつであり、ハメット研究の中でしばしば注目されるだけでなく、例えば、[[ポール・オースター]](1947年- )の小説『オラクル・ナイト』(2003年)では主人公の作家がこの挿話を膨らまそうとする試みが小説の大きな要素となっており、日本では[[星新一]]が[[SF]]以外の[[ショート・ショート]]によるアンソロジーを計画したときに、この話を収録しようとしたとされる{{sfn|諏訪部|2012|pp=88-89}}。
 
ロバート・B・パーカーは、このエピソードはスペードとブリジッドがカイロの到着を待つ間のただの時間つぶしのように思えるが、実際にはそれよりもっと重要なものだとする。フリットクラフトが発見したのは、秩序は芸術の夢かもしれないが、宇宙は成り行きまかせで混沌こそが自然の法則だということである。物語中のスペードの行動もまたこの[[寓話]]を生きていく上での規範としたものといえる。フリットクラフトが自然界のリズムに自分を適応・調和させて生きのびたように、彼は殺人事件を解決し、犯罪者を警察に突き出し、愛のために自分の身を危険にさらすことなく生きのびる。しかし、それは苦渋の選択であり、痛ましい勝利だった{{sfn|パーカー|1994|pp=79-90}}。
 
また、アメリカの文芸評論家でハメット中短編集の編者{{仮リンク|スティーヴン・マーカス|en|Steven Marcus}}(1928年 - 2018年)によれば、この挿話で扱われるのは[[不条理]]の問題である{{sfn|稲葉|1976|p=345}}。
「支えるもの」であるはずの梁がいつ頭の上に落ちてくるかもしれない、外的世界がこのように不確かなものであるという意識は、人を人生の不条理さや人間の卑小さに思い至らしめることにつながっている。こうした不条理は、[[第一次世界大戦]]後の世代にふさわしい世界観ともいえるが、それだけでなく『マルタの鷹』の物語世界においても実際に働いている。すなわち、パートナーだったアーチャーの死は「たまたま」起こったことであり、彼でなく小説の主人公であるスペードの身にふりかかったとしてもおかしくなかったものである{{sfn|諏訪部|2012|pp=92-93}}。
とはいえ、スペードにとってアーチャーの死はフリットクラフトにとっての梁ほどのインパクトはなかった。スペードにとって、それまでの日常を色褪せた偽りのものとして見せるような経験とは、ロマンティックな「夢」を見させるような「愛」、つまり「宿命の女」としてのブリジッドの出現だった。しかし、フリットクラフトについて物語るスペードに対して、ブリジッドは待っていたように「なんて興味深いお話なのかしら」と空疎な言葉を口にすると立ち上がり、すぐに話を切り替えてしまう。この場面には、[[アイロニー]]を超えた悲哀が滲み出している{{sfn|諏訪部|2012|pp=97-98}}。
 
一方でジョンスンは、このころ作者のハメットは、{{仮リンク|ネル・マーティン|en|Nell Martin}}と親密になっており、1929年末にハメットは妻子を[[ロサンゼルス]]に住ませることにしたとして、この挿話とハメットの実生活とを対比させている{{sfn|ジョンスン|1987|pp=145-146}}。
 
=== メタ探偵小説性 ===
諏訪部によれば、『マルタの鷹』は「ハードボイルド探偵小説」として始まるが、物語は鷹の彫像(財宝)の争奪という「冒険小説」の面と、ブリジッド(お姫様)との関係がもたらす「恋愛小説」の面が「探偵小説」と衝突しながら展開する。このことは、「探偵小説」の主人公である探偵が、探偵であり続けることの困難性を意味する。キャラクターがジャンルに優先されている本作では、スペードの人間性自体が「探偵小説」の主人公としての必然性を感じさせるものの、それでもスペードに課された荷は重い{{sfn|諏訪部|2012|pp=173-177}}。
 
こうした中で、スペードの探偵としての「常態への復帰」は、エフィのもとへの帰還という形を取っている。すなわちエフィは、ハードボイルドな外界から傷ついて帰ってくる主人公を温かく迎える「母」の役割を担っている{{sfn|諏訪部|2012|pp=189-190}}。
 
『マルタの鷹』の小説ジャンルの階層を図式化すると、冒険小説<恋愛小説<探偵小説<ハードボイルド小説となる。とはいえ、これは結論を先取りしたもので、実際の読書経験では事態はもっと混沌としている{{sfn|諏訪部|2012|pp=256-257}}。
第16章で鷹の彫像を手に入れたスペードは、「財宝」も「お姫様」もほとんど獲得したかに思われたが、第19章で彫像が偽物だと判明したことで、「夢」から覚醒して自分が探偵であるという現実に立ち戻らざるを得なくなる{{sfn|諏訪部|2012|pp=273-280}}。また、ここで鷹の彫像の[[マクガフィン]]的な役割が明らかになる{{sfn|諏訪部|2012|pp=270, 281}}。
最終の第20章では、ブリジッドとの対峙において、「財宝」と「お姫様」に手を伸ばした彼の内心と探偵としての宿命がコンフリクトを起こしていることが示される{{sfn|諏訪部|2012|pp=289-290}}。
 
=== エピローグ ===
第20章の終わりに、小説の[[エピローグ]]に当たる。きわめて短い場面が置かれている。1941年の[[ジョン・ヒューストン]]版映画では省かれているほどだが、小説にとっては本質的に重要な場面である{{sfn|諏訪部|2012|pp=312-316}}。
ブリジッドを警察に引き渡した翌日、スペードは秘書エフィが待つオフィスに再び姿を見せる。事件が解決し、探偵スペードの日常が回帰するという、物語の結末としての「大団円」あるいはシリーズものであれば「様式美」とも見なされるシーンだが、ここでスペードはエフィの拒絶に遭い、[[予定調和]]が崩される{{sfn|諏訪部|2012|pp=312-316}}。
 
エフィの拒絶理由について、ロバート・イーデンバウムは正しく分別のある行動よりも、間違っていてもロマンティックな行動をとるべきという一時的な激しい感情だと解釈している{{sfn|パーカー|1994|pp=89-90}}。しかし、ウィリアム・ルールマンは「エフィ・ペリンを失ったことは、スペードにとって最後の、そして最大の喪失である」と指摘する{{sfn|諏訪部|2014|pp=99-100}}。
 
さらに、エピローグの最後にアイヴァを登場させることにより、作品冒頭のシーンの反復ないしは円環構造が示されることになる。スペードから「ヒーロー」的なイメージが剥ぎ取られ、主人公と読者は物語の冒頭に連れ戻される。こうして得られた荒涼たる光景に、読者は一種の解放感を得るが、それは「現実」から解き放たれるのではなく、「現実」へと解き放たれる{{sfn|諏訪部|2012|pp=322-325}}。
諏訪部によれば、この結末こそが本作を[[メロドラマ]]と決定的に分かつものであり、ハメットに芸術的勝利をもたらした。つまり、「ファム・ファタール」の誘惑に勝ったヒーローが「母」に拒絶されることで、この物語は傑作になったのである{{sfn|諏訪部|2014|pp=99-100}}。
 
== 『マルタの鷹』の舞台 ==
[[File:South portal of the Stockton Tunnel, San Francisco at night dllu.jpg|thumb|夜のストックトン・トンネル南門(2020年)]]
[[File:John's Grill exterior 2.jpg|thumb|サンフランシスコ・エリス通りにあるジョンズ・グリル。]]
[[File:John's Grill plaque - San Francisco, CA - DSC03497.JPG|thumb|ジョンズ・グリルの記念銘板(サンフランシスコ)。]]
ハメットは自分がよく知る[[サンフランシスコ]]を物語の舞台としている{{sfn|ノーラン|1988|pp=123-126}}。ハメットがサンフランシスコ、またチャンドラーが[[ロサンゼルス]]を舞台として作品を書いたことについては、作家たちがそれぞれ詳しく知っている都会だったというだけでなく、開拓地の色彩が強い西部において私立探偵が活躍する余地が大きく、その背景として開拓時代の「正義の暴力」の伝統があったことを思い起こさせる{{sfn|平石|2010|pp=418-419}}。
 
物語の序盤でマイルズ・アーチャーが撃たれた場所は文中に明記されており、{{仮リンク|ストックトン・トンネル|en|Stockton Street Tunnel}}と立体交差で上に位置するブッシュ通りを南に折れたところにあるバーリット少路である{{sfn|ノーラン|1988|pp=123-126}}。少路に建つビルには銘板が設置されており、次のように記されている{{sfn|ノーラン|1988|pp=123-126}}{{sfn|直井|2008|p=291}}。
{{Quotation|「まさにこのあたりで、サム・スペードのパートナー、マイルズ・アーチャーはブリジッド・オショーネシーの手にかかって命を落とした。」{{sfn|ノーラン|1988|p=113, 125}}}}
 
ハメットは1926年当時この場所から北に半ブロック離れたモンロー通りのアパートに住んでおり、その道は後に「ダシール・ハメット通り」と呼ばれるようになった{{sfn|諏訪部|2012|p=378}}。また、ストックトン・トンネルを計画した人物の名は{{仮リンク|マイケル・オショーネシー|en|Michael O'Shaughnessy}}で、ブリジッドの名前の由来ともいわれる{{sfn|諏訪部|2012|p=378}}。
 
作中には実在のカフェやレストランも登場しており、スペードがラム・チョップと輪切りトマトを食べたエリス通り63番地の{{仮リンク|ジョンズ・グリル|en|John's Grill}}は、後にサンフランシスコのダシール・ハメット協会本部となった{{sfn|ノーラン|1988|pp=123-126}}。
また特定の場所、例えばガットマンやカイロが宿泊していたホテル、ブリジッドが尾行されたホテルなどは名前を変えてあるが、文中の手がかりからそれぞれ実在する建物が推定できる。スペードの家は作中では明らかにされていないが、アメリカの推理作家{{仮リンク|ジョー・ゴアズ|en|Joe Gores}}(1931年 - 2011年)によれば、そのアパートはポスト通り891番地にあり、ハメット自身が住んでいた建物だとされる。ゴアズはスペードのオフィスやブリジットが滞在したアパートも特定している{{sfn|ノーラン|1988|pp=123-126}}。
 
なお、ジョン・ヒューストンによる[[マルタの鷹 (1941年の映画)|映画版]](1941年)の背景に見える[[ゴールデン・ゲート・ブリッジ]]は、1933年に着工されて1937年に完成しており、原作小説が書かれた時点では存在していない{{sfn|木村|2009|p=377}}。
 
== 関連項目 ==
=== ハメットによるスペードものの短編 ===
『マルタの鷹』の後、ハメットはスペードものの短編を3作書いている{{sfn|ノーラン|1988|pp=157-158}}{{sfn|木村|2009|p=374}}。
* 「スペードという男(スペイドという男)」(1932年7月、「アメリカン・マガジン」誌)
* 「赤い灯(赤い光)」(1932年10月、「アメリカン・マガジン」誌)
* 「二度は死刑にできない(死刑は一回でたくさん)」 (1932年11月、「コリアーズ」誌){{sfn|稲葉|1976|p=345}}{{sfn|木村|2009|p=374}}。
 
ハメット後期の連作であり、歳月の開きにかかわらず、秘書エフィ、ダンディ警部補、ポールハウス部長刑事の関係は変わっていない{{sfn|稲葉|1976|p=345}}。
 
=== 翻案・二次作品 ===
==== 映画 ====
[[File:ValTedGobletsSatanLady36Trailer.jpg|thumb|1936年の映画化で共演する[[ベティ・デイヴィス]]と{{仮リンク|ウォーレン・ウィリアム|en|Warren William}}。]]
[[File:Humphrey Bogart The Maltese Falcon Still.jpg|thumb|1941年の映画『マルタの鷹』でサム・スペードを演じた[[ハンフリー・ボガート]]。]]
『マルタの鷹』は[[ワーナー・ブラザース]]社が映画化権を買い取り、過去3度映画化されている{{sfn|ジョンスン|1987|p=375}}。
* 『{{仮リンク|マルタの鷹 (1931年の映画)|en|The Maltese Falcon (1931 film)}}』(1931年)
:1回目の映画化。[[脚本]]の細部は原作にほぼ忠実だったが、独自の結末が付け加えられており、事件の最後にスペードは地方検事の下で働かないかと勧誘され、ブリジッドがすぐに釈放されてスペードのもとに戻ってくることが示唆される。{{仮リンク|ロイ・デル・ルース|en|Roy Del Ruth}}による[[演出]]はぎこちなく、ブリジッド役の[[ビーブ・ダニエルズ]]が喜劇女優だったこともあり物語はコメディ・タッチで描かれる。{{仮リンク|ダドリー・ディッグス|en|Dudley Digges (actor)}}はガットマンを好演したが、{{仮リンク|リカルド・コルテス|en|Ricardo Cortez}}演じるスペードは眠そうな目をした色男で、原作の味を損なっている{{sfn|ノーラン|1988|pp=150-151}}。
 
* 『{{仮リンク|魔王が婦人に出遭った|en|Satan Met a Lady}}(悪魔が貴婦人に会う)』(1936年)
:1936年、2回目の映画化ではハメットは原作者としてクレジットされたものの、題名や登場人物などが変更されている。サム・スペードは{{仮リンク|ウォーレン・ウィリアム|en|Warren William}}が演じるテッド・シェインという名の弁護士であり、秘書と結婚する。ガットマンは女性であり、鷹の彫像は宝石を散りばめた[[フレンチ・ホルン]]に変更されるなど歪曲が著しい。ブリジッドを大雑把に模したヴァレリー役を演じた[[ベティ・デイヴィス]]は、後に「わたしが出演した中でも最低の駄作のひとつ」と語った{{sfn|ノーラン|1988|p=194}}。
 
* 『[[マルタの鷹 (1941年の映画)|マルタの鷹]]』(1941年)
:3度目の映画化は1941年であり、スペード役の[[ハンフリー・ボガート]]以下適役を揃え、決定版ともいうべき内容となった。[[ジョン・ヒューストン]]の脚本は原作の会話がほとんど一語一句再現されるほど忠実だが、フリットクラフトの挿話やガットマンの娘の登場シーンなどがカットされ、結末でスペードの最後の有名なセリフ―刑事から鷹の彫像はなんだと聞かれて「そいつは夢の素さ」と答える―が追加されるなどの変更がある{{sfn|ノーラン|1988|pp=218-222}}。
 
* [[:en:The Black Bird]] :1975年公開のアメリカ映画(日本未公開)。1941年のヒューストン版『マルタの鷹』の[[パロディ]]作品。主人公は[[ジョージ・シーガル]]演じるサム・スペード・ジュニアであり、ヒューストン版でエフィ役の{{仮リンク|リー・パトリック|en|Lee Patrick (actress)}}やウィルマー役の[[エリシャ・クック・Jr (俳優)|エリシャ・クック・Jr]]が特別出演している{{sfn|木村|2009|p=375}}。
 
==== ラジオドラマ ====
『マルタの鷹』は1946年に[[ラジオドラマ]]となり、ボガート、[[メアリー・アスター]](ブリジッド)、{{仮リンク|シドニー・グリーンストリート|en|Sydney Greenstreet}} (ガットマン)がそれぞれ1941年の映画と同じ役で出演した{{sfn|ノーラン|1988|p=241}}。
同年、新たなラジオドラマ・シリーズとして『{{仮リンク|サム・スペードの冒険|en|The Adventures of Sam Spade}} 』が放送された。こちらは風刺劇のようなスタイルでおもしろおかしく仕立てられており、エピソードのいくつかはコンチネンタル・オプの物語から取られている{{sfn|ノーラン|1988|p=241}}。ただし、1946年11月から12月にかけて放送された "The Kandy Tooth" というエピソードにはガットマンも登場しており、『マルタの鷹』の続編と見なせる内容である{{sfn|木村|2009|p=375}}。このエピソードは1948年1月にラジオドラマシリーズ『サスペンス』でも再演され、{{仮リンク|ハワード・ダフ|en|Howard Duff}}が演じるスペードが[[ロバート・モンゴメリー]]演じるフィリップ・マーロウに電話をかけるシーンがある{{sfn|木村|2009|p=375}}{{efn|モンゴメリーは1946年の映画版『[[湖中の女]]』でフィリップ・マーロウ役を演じている{{sfn|木村|2009|p=375}}。}}。
 
また、同じ年に放送されたラジオ番組シリーズ『{{仮リンク|ファットマン (ラジオドラマ)|en|The Fat Man (radio)}} 』(1946年 - 1950年)は、ブラッド・ラニアンという名前の太った探偵が主人公であり、『マルタの鷹』のガットマンがヒントになっている{{sfn|ジョンスン|1987|p=363}}。
 
1948年5月、『マルタの鷹』のラジオドラマでのキャラクター使用権をめぐって、ワーナー・ブラザース社と作者ハメットは裁判で争った。『マルタの鷹』の映画化権を保有するワーナー社は、ハメットにも[[CBS]]にもサム・スペードのキャラクターを使用する権利はないと主張し、ハメットはワーナー社に売ったのは小説であり、キャラクターの使用権ではないと反論した。この裁判は1951年12月に結審し、最終的にはハメットの勝訴となった{{sfn|ジョンスン|1987|p=375}}{{sfn|ノーラン|1988|p=250}}。しかし、この年7月に「[[赤狩り]]」に端を発した裁判においてハメットは[[法廷侮辱罪]]で服役しており、この間にスペードもののドラマシリーズは打ち切られていた{{sfn|ノーラン|1988|pp=265-267}}。
ちなみに、同年「ブラック・マスク」誌が終刊となり、元編集長のショーは翌1952年に没している{{sfn|ノーラン|1988|p=268}}。
 
なお、『マルタの鷹』は舞台向けに脚本化されたが、上演されなかった{{sfn|ノーラン|1988|p=247}}。『マルタの鷹』の舞台化について、ハメットにはガットマン役に[[ピーター・ローレ]]を起用する構想があったという{{sfn|ジョンスン|1987|p=361}}{{efn|ローレは1941年版映画にカイロ役で出演しており、ハメットは「原作のデブという設定など無視していいんだ」と語っていた{{sfn|ジョンスン|1987|p=361}}。}}。
 
==== 小説 ====
* 『スペード&アーチャー探偵事務所』(2009年):{{仮リンク|ジョー・ゴアズ|en|Joe Gores}}による『マルタの鷹』の前日譚{{sfn|木村|2009|p=371}}。
 
=== その他 ===
* [[マルタの鷹協会]]:ハードボイルド愛好者の組織。一回目の会合が1981年、ハメットゆかりの地であり『マルタの鷹』にも登場するサンフランシスコのジョンズ・グリルで開かれている。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
{{Commons category|The Maltese Falcon (novel)}}
{{wikiquote}}
=== 翻訳・伝記 ===
* {{Cite book|和書|author=[[ダシール・ハメット]]|translator=[[大久保康雄]]|year=1960|title=ガラスの鍵|publisher=[[東京創元社]]|series=創元推理文庫|isbn=|ref={{sfnref|中島|1960}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[ダシール・ハメット]]|translator=[[村上啓夫]]|year=1961|title=マルタの鷹|publisher=[[東京創元社]]|series=創元推理文庫|isbn=|ref={{sfnref|中島|1961}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[ダシール・ハメット]]|translator=[[稲葉明雄]]|year=1976|title=ハメット傑作集2|publisher=[[東京創元社]]|series=創元推理文庫|isbn=|ref={{sfnref|稲葉|1976}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[ダシール・ハメット]]|translator=[[小鷹信光]]|year=2012|title=マルタの鷹[改訳決定版]|publisher=[[早川書房]]|series=ハヤカワ・ミステリ文庫|isbn=978-4-15-077307-6|ref={{sfnref|小鷹|2012}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[ダイアン・ジョンスン]]|translator=[[小鷹信光]]|year=1987|title=ダシール・ハメットの生涯|publisher=[[早川書房]]|isbn=4-15-203338-X|ref={{sfnref|ジョンスン|1987}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[ウィリアム・F・ノーラン]]|translator=[[小鷹信光]]|year=1988|title=ダシール・ハメット伝|publisher=[[晶文社]]|isbn=4-7949-5788-2|ref={{sfnref|ノーラン|1988}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[ジョー・ゴアズ]]|translator=[[木村二郎]]|year=2009|title=スペード&アーチャー探偵事務所|publisher=[[早川書房]]|isbn=978-4-15-209092-8|ref={{sfnref|木村|2009}}}}
 
=== 評論・エッセイなど ===
* {{Cite book|和書|editor=[[鈴木幸夫 (英文学者)|鈴木幸夫]]|translator=[[鈴木幸夫 (英文学者)|鈴木幸夫]]|year=1976|title=推理小説の美学|publisher=[[研究社]]|isbn=|ref={{sfnref|鈴木|1976}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[小鷹信光]]|year=1988|title=サム・スペードに乾杯|publisher=[[東京書籍]]|isbn=4-487-75204-3|ref={{sfnref|小鷹|1988}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[ロバート・B・パーカー]]|translator=[[朝倉隆男]]|year=1994|title=ハメットとチャンドラーの私立探偵|publisher=[[早川書房]]|isbn=4-15-207839-1|ref={{sfnref|パーカー|1994}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[直井明]]|year=2008|title=本棚のスフィンクス 掟破りのミステリ・エッセイ|publisher=[[論創社]]|isbn=978-4-8460-0729-4|ref={{sfnref|直井|2008}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[平石貴樹]]|year=2010|title=アメリカ文学史|publisher=[[松柏社]]|isbn=978-4-7754-0170-5|ref={{sfnref|平石|2010}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[諏訪部浩一]]|year=2012|title=『マルタの鷹』講義|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4-327-37731-1|ref={{sfnref|諏訪部|2012}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[諏訪部浩一]]|year=2014|title=ノワール文学講義|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4-327-48163-6|ref={{sfnref|諏訪部|2014}}}}
 
== 関連書籍 ==
* [[直井明]] 『本棚のスフィンクス 掟やぶりのミステリ・エッセイ』 論創社 - 原作で説明されていない「ラ・パロマ」号で起きた「謎の銃音」の犯人について詳細に分析した文章が収録されている。
 
{{Normdaten}}
51 ⟶ 366行目:
[[Category:1930年の小説]]
[[Category:アメリカ合衆国の推理小説]]
[[Category:ロマン・ノワール]]
[[Category:探偵を主人公とした小説]]
[[Category:ハードボイルド]]
[[Category:ロマン・ノワール]]
[[Category:サンフランシスコを舞台とした作品]]
[[Category:ダシール・ハメット]]