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倭ん王 (会話 | 投稿記録)
Alphamon0 (会話) による ID:81979787 の版を取り消し 出典は原文の百人一首で根拠不明とは言えない。
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;隠者と武士の登場
:貴族中心の[[平安時代]]から、[[武士]]が支配する[[鎌倉時代]]へと移る激動の世情の中で、[[仏教]]を心の支えにする者が増えた。『百人一首』もそうした時代を反映し、[[西行]]や[[寂蓮]]などの[[隠者]]<!--や[[源実朝]]などの[[武士]]の歌--><!--鎌倉右大臣を「武士」とするのはいかがなものかと-->も登場する。[[藤原定家]]自身も撰者となった『[[新古今和歌集]]』の歌が中心で、色彩豊かな絵画的な歌が多く、微妙な感情を象徴的に表現している。
 
== 風刺 ==
百人一首の本来の意味は風刺である。
百首目の、百敷は百人一首と歴史を同時に指していて、古き軒端は朝廷の事を指している。
また、一首目の天智天皇の歌から始まる事で、白村江の戦いの敗戦後に外圧による歴史捏造が始まった事を示している。
 
== 用途 ==
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=== 検定 ===
*『小倉検定問題集』 [[小倉検定協会]]編
 
=== 評論・解説 ===
*[[織田正吉]]『絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く』 [[集英社]]文庫
序文に[[田辺聖子]]が「なぜ類似の歌が多いのか。なぜ駄作・愚作の歌を、一世の大歌人・定家ともあろう人が採録したのか。織田さんは素人の素朴な疑問と直観を大事にして、その謎に挑戦していった」と書いた通りの、百人一首解説本。著者本人も「百首解読といういささかの吉報を七百年後に持ちこした」(あとがきより)と、歴史的事業であると自負する。新しい解釈の中心をなすのは、収録歌がそれぞれ言葉の類似性および縁語的使用と、意味上の正連鎖(類義語)・逆連鎖(対義語)という二つの相関関係を縦横の軸とする二次元的な構造に再構成できるという主張である。ゆえに、選歌の基準はそれらの構造上の必然性に基づいてなければならず、従来の「一首ずつ鑑賞するための詞華集」という暗黙の前提は的外れであると批判する。この説を支持するために、同じ定家の選による「百人秀歌」および「新古今集」と「百人一首」との対応関係、および定家と後鳥羽上皇との関係を新たに指摘する。
 
=== 翻訳書 ===