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また、経済成長とともに地方から都市への人口流入が始まると、標準語と方言の軋轢が顕在化した。1950年代後半から、地方出身者が自分の言葉を笑われたことによる自殺・事件が相次いだ<ref>石黒 修 (1960)「方言の悲劇」『言語生活』108には茨城なまりを笑われて人を刺した少年の記事が紹介されている。また、『毎日新聞』宮城版(1996年8月24日付)には1964年に秋田出身の少年工員が言葉を笑われ同僚を刺した事件その他が紹介されている(毎日新聞地方部特報班 (1998)『東北「方言」ものがたり』(無明舎)に収録)。</ref>。このような情勢を受けて、方言の矯正教育もなお続けられた。[[鎌倉市立腰越小学校]]では、[[1960年代]]に、「ネサヨ運動」と称して、語尾に「〜ね」「〜さ」「〜よ」など関東方言特有の語尾をつけないようにしようとする運動が始められた<ref>橋本 典尚 (2004)「「ネサヨ運動」と「ネハイ運動」」『東洋大学大学院紀要』(文学研究科 国文学)40。</ref>。同趣の運動は全国に広がった。
 
[[高度経済成長#日本の高度経済成長|高度成長]]後になると、方言に対する意識に変化が見られるようになった。[[1980年代]]初めのアンケート調査では、「方言を残しておきたい」と回答する者が90%以上に達する結果が出ている<ref>加藤 正信 (1983)「方言コンプレックスの現状」『言語生活』377。調査は1979〜1981年。回答者は首都圏・茨城県・東北地方を中心に全国に及ぶ。</ref>。方言の共通語化が進むとともに、いわゆる「方言コンプレックス」が解消に向かい、方言を大切にしようという気運が盛り上がった。
 
[[1990年代]]以降は、若者が言葉遊びの感覚で方言を使うことに注目が集まるようになった。1995年にはラップ「[[DA.YO.NE]]」の関西版「SO.YA.NA」などの[[EAST END×YURI#『DA.YO.NE』のローカル版|方言替え歌]]が話題を呼び、報道記事にも取り上げられた<ref>『朝日新聞』夕刊 1995年6月22日付など。</ref>。首都圏出身の都内大学生を対象とした調査では、東京の若者の間にも関西方言が浸透していることが観察されるという<ref>陣内 正敬 (2003)「関西的コミュニケーションの広がり―首都圏では」『文部省平成14年度科研費成果報告書 コミュニケーションの地域性と関西方言の影響力についての広域的研究』。</ref>。2005年頃には、東京の女子高生たちの間でも「でら(とても)かわいいー!」「いくべ」などと各地の方言を会話に織り交ぜて使うことが流行し始め<ref>『産経新聞』2005年9月18日付。</ref>、女子高生のための方言参考書の類も現れた<ref>コトバ探偵団 (2005)『THE HOUGEN BOOK ザ・方言ブック』(日本文芸社)その他。</ref>。「超おもしろい」など「超」の新用法も、もともと[[静岡県]]で発生して東京に入ったとされるが<ref>井上 史雄・鑓水 兼貴 [編] (2002)『辞典〈新しい日本語〉』(東洋書林)。</ref>、[[若者言葉]]や[[造語|新語]]の発信地が東京に限らない状況になっている(「[[若者言葉#方言由来の若者言葉|方言由来の若者言葉]]」を参照)。