「国鉄113系電車」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
塗装と一部改造工事・運用の整理
改造車の記述移動、京阪神地区での歴史追記ほか
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=== JR西日本の改造車 ===
京阪神地区で多く使用されていたが、後継形式の投入に伴い、廃車が進んでいる。また複雑な改造や転用も多い。2008年からは京阪神地区での110 km/h運転に伴う高速化改造が行われ、山陰本線京都口や舞鶴線・小浜線の電化、広島地区等への運用拡大が行われる一方、一部線区では輸送力適正化のため先頭車化改造による短編成化・ワンマン化開始実施されている
 
==== 延命N・NA工事 ====
特別保全工事に代わるアコモデーションの改良を含めた延命工事として、延命N工事が施工された<ref name="rp201812_p24">平石大貴「111・113系電車のあゆみ JR編」『鉄道ピクトリアル』2018年12月号、p.24</ref>。製造から30年の使用を目指し、特別保全工事時代の施工内容のほか、客室内のアコモデーションの改良が追加工事である。1972年までに製造された車両の大半が該当している。後年は1972年以降製造車も一部施行された。
 
おもな施工項目は
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* 蛍光灯、吊革の増設
 
国鉄時代に特別保全工事を受けた車両に対しては、アコモデーション改良のみを追加した延命NA工事が施工された<ref name="rp201812_p24" />。重複する部分は省略された。
==== 延命NA工事 ====
国鉄時代に特別保全工事を受けた車両にアコモデーション改良のみを追加した工事。重複する部分は省略された。
 
==== 簡易WAU102形による冷房改造 ====
JR移行後も残る非冷房車の冷房化を推進するため、1988年よりWAU102形による簡易的な冷房改造が実施された<ref name="rp201812_p26">平石大貴「111・113系電車のあゆみ JR編」『鉄道ピクトリアル』2018年12月号、p.26</ref>。JR東海のC-AU711形による冷房改造と同じ発想で、編成によって給電方法が2通り用意された点も同一である。
JR西日本に継承された非冷房車は[[JR西日本221系電車|221系]]の投入とともに多くは廃車されたが、先頭車を中心に一部分散型冷房改造が実施された。以下下記に記す。
 
==== WAU102形搭載車 ====
1988年より、JR東海のC-AU711形による冷房改造と同じ発想で、簡易的な冷房改造が実施された。編成によって給電方法が2通り用意された点も同一である。
 
JR西日本では集約分散式3機/両のものが採用され、冷房付電動車と編成を組むクハ111形はモハ112形の大容量MGから給電。編成単位で非冷房であった場合は編成中のクハ111形1両に三相交流440 V[[静止形インバータ]] (SIV) 新設とされた<ref group="注">福知山運転所(→福知山電車区)800番台の施工編成には、[[#JR西日本|七尾線電化関連]]による編成組替に伴い冷房付電動車が組み込まれたものも存在していた。ただし冷房付電源車には編成内全車への給電が可能な冷房電源が備わっていなかったため「編成単位で非冷房」と同様の扱いとされた。</ref>。なお、非冷房時代に設置されていた[[扇風機]]は存置され、クハ111形の運転台後部の通風器の取り替え(大型→通常の吸出式または押込式)も行われなかった。
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改造による[[鉄道の車両番号|車両番号]]の変更は無い。AU75系に比べて冷却能力が劣るなどの問題に加えて、老朽化のため廃車が進んでおり、最後に[[下関地域鉄道部|下関総合車両所]]に残ったクハ111形 (-811, -812) 2両も、2016年1月に廃車された<ref name="JRR 2016s 358"/>。
 
==== WAU202形搭載車による冷房化改造 ====
非冷房車の割合が高く、早期の置き換え予定もなかった800番台を対象に、WAU102形と並行して[[バス (交通機関)|バス]]用冷房を応用した冷房改造が実施された<ref name="rp201812_p26" />。1991年までにクモハ113形+クモハ112形2両編成3本(後の5800番台ワンマン車)とクハ111形3両 (823 - 825) の9両が改造されている。
 
当初装置のほぼ全てが車内に搭載され、冷房電源は暖房と同様に架線の直流1,500 Vを直接取り込んで利用するものとされた。しかし車内の機器占有面積が多く、後期に施工されたクハ111形3両では室外機部分が屋根上搭載に変更され、クモハ113形+クモハ112形の3本も1992年から1993年にかけて室外機部分の移設がなされた。クハ111形3両は1999年と2001年に、5800番台となったクモハ113形+クモハ112形のうち-5807と-5809は2009年2月に、最後に残ったクモハ113-5803+クモハ112-5803は2010年度にそれぞれ廃車された。
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網干区に転用されたユニットは基本番台(→5000番台)に組み込まれ、東海道線系統で使用。半自動は使用しなかったが、ドアの取っ手はそのまま残された。
京都所へは4連1本が転用され、L編成として湖西線や草津線を中心に運用されていた。ともに223系投入に伴い廃車されている。
 
==== 半自動設備装備車 ====
[[嵯峨野線]]で運用される向日町運転所(現在の吹田総合車両所京都支所)の113系は冬季寒冷な[[亀岡盆地]]を走行するにも関わらず乗降ドアの半自動設備がなく、車内保温において問題があった。このため[[1991年]]に、この区間で運用される113系2000番台(→7000番台)の全車に対して押しボタン式の半自動装置が設置され、同時に耐雪ブレーキの増設も実施された。
 
後年、後述する体質改善工事を開始した際に、湖西線系統で運用されている5700番台との運用持ち替えが行われ、嵯峨野線運用に加わった5700番台にも押しボタン式の半自動装置が設置された。5700番台車はドアボタン取り付け位置の関係から戸袋窓が狭巾または埋設され、外観の印象が変わった。
 
==== トイレ撤去車 ====
[[北陸本線]]・[[東海道本線]]・[[山陽本線]]京阪神地区(以下[[琵琶湖線]]・[[JR京都線]]・[[JR神戸線]])と[[湖西線]]では、トイレは編成中西(偶数)向き先頭車のもののみが使用されるようになっていたため、1991年より東(奇数)向き先頭車の不要トイレが撤去された。
 
まず施行されたのがトイレ付きで製造されたクハ111-2100番台。その後カセット式汚物処理装置未装備の0'、700番台車のほか、初期車のクハ111-5177も改造された。当初はトイレを撤去した跡は客室とされ、窓と座席が設置された。なお、初期改造車に設置された窓は新たに製造されたユニット構造(別組立て・後取付け)のもので、位置も番台にかかわらず2000番台のトイレ無し車に準じた場所に設置されたため、車両によっては違和感の残る仕上がりとなっている。非ユニット窓のクハ111-5177は撤去跡のみユニット窓となり、異端車となった。なお、体質改善40Nリニューアル工事を受けた車両はトイレなしクハ111の体質改善車と同様の仕上がりとなった。
 
; 対象は下記のとおり
: クハ111-5177・5257・5712・5713・5714・7148・7149・7150・7161・7162
 
1995年から内部の設備のみおよび汚物処理装置や便所流し管を撤去し、仕切りは「業務用室」として扉を施錠した状態で存置する方式に変更された車両も登場。その他は便所設備のみ封鎖した。サハ111-5000番台もトイレ使用が停止され、最終的に車内すべての奇数向先頭車がトイレ使用停止となり、偶数向のみ使用となった。同時に偶数向き車両で汚物処理装置未装備の車両は、併せて汚物処理装置の取り付けが実施された。また、内部の設備のみ撤去した車両、便所設備のみ封鎖した車両のうちクハ111-5253・5256・5260の3両は、体質改善40Nリニューアル工事を施行の際便所跡は客室に変更。トイレなしクハ111の体質改善車と同様の仕上がりとなった。
 
<gallery>
ファイル:113系5700番台4.jpg|トイレが撤去された先頭車(5700番台)。車端部の窓のみ他より若干小さい。
ファイル:113kei5700bandaiWC2.jpg|トイレ撤去跡。ボックス席が設置されたが、通常よりやや手前側に寄り、ロングシートが短くなっている。なお、写真の戸袋窓は半自動ボタン設置に伴い閉塞されたもの。
ファイル:113kei5700bandaiWC3.jpg|「業務用室」化された車両の車内。トイレ扉の取っ手が無くなっている。
ファイル:113kei5700bandaiWC.jpg|(参考)通常のトイレ部分。
</gallery>
 
==== パンタグラフ増設車 ====
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クモハ112は3800番台が廃車。福知山電車区に5304(304→), 5309(309→)の2両が残る。
 
==== 半自動設備装備車 ====
[[嵯峨野線]]で運用される向日町運転所(現在の吹田総合車両所京都支所)の113系は冬季寒冷な[[亀岡盆地]]を走行するにも関わらず乗降ドアの半自動設備がなく、車内保温において問題があった。このため[[1991年]]に、この区間で運用される113系2000番台(→7000番台)の全車に対して押しボタン式の半自動装置が設置され、同時に耐雪ブレーキの増設も実施された。
 
後年、後述する体質改善工事を開始した際に、湖西線系統で運用されている5700番台との運用持ち替えが行われ、嵯峨野線運用に加わった5700番台にも押しボタン式の半自動装置が設置された。5700番台車はドアボタン取り付け位置の関係から戸袋窓が狭巾または埋設され、外観の印象が変わった。
 
==== 電気連結器取付と撤去による改番 ====
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: クハ111-7502・7503・7507・7511・7512・7514・7516・7517
: クハ111-7602・7603・7607・7611・7612・7614・7616・7617
 
==== トイレ撤去車 ====
[[北陸本線]]・[[東海道本線]]・[[山陽本線]]京阪神地区(以下[[琵琶湖線]]・[[JR京都線]]・[[JR神戸線]])と[[湖西線]]では、トイレは編成中西(偶数)向き先頭車のもののみが使用されるようになっていたため、1991年より東(奇数)向き先頭車の不要トイレが撤去された。
 
まず施行されたのがトイレ付きで製造されたクハ111-2100番台。その後カセット式汚物処理装置未装備の0'、700番台車のほか、初期車のクハ111-5177も改造された。当初はトイレを撤去した跡は客室とされ、窓と座席が設置された。なお、初期改造車に設置された窓は新たに製造されたユニット構造(別組立て・後取付け)のもので、位置も番台にかかわらず2000番台のトイレ無し車に準じた場所に設置されたため、車両によっては違和感の残る仕上がりとなっている。非ユニット窓のクハ111-5177は撤去跡のみユニット窓となり、異端車となった。なお、体質改善40Nリニューアル工事を受けた車両はトイレなしクハ111の体質改善車と同様の仕上がりとなった。
 
; 対象は下記のとおり
: クハ111-5177・5257・5712・5713・5714・7148・7149・7150・7161・7162
 
1995年から内部の設備のみおよび汚物処理装置や便所流し管を撤去し、仕切りは「業務用室」として扉を施錠した状態で存置する方式に変更された車両も登場。その他は便所設備のみ封鎖した。サハ111-5000番台もトイレ使用が停止され、最終的に車内すべての奇数向先頭車がトイレ使用停止となり、偶数向のみ使用となった。同時に偶数向き車両で汚物処理装置未装備の車両は、併せて汚物処理装置の取り付けが実施された。また、内部の設備のみ撤去した車両、便所設備のみ封鎖した車両のうちクハ111-5253・5256・5260の3両は、体質改善40Nリニューアル工事を施行の際便所跡は客室に変更。トイレなしクハ111の体質改善車と同様の仕上がりとなった。
 
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ファイル:113系5700番台4.jpg|トイレが撤去された先頭車(5700番台)。車端部の窓のみ他より若干小さい。
ファイル:113kei5700bandaiWC2.jpg|トイレ撤去跡。ボックス席が設置されたが、通常よりやや手前側に寄り、ロングシートが短くなっている。なお、写真の戸袋窓は半自動ボタン設置に伴い閉塞されたもの。
ファイル:113kei5700bandaiWC3.jpg|「業務用室」化された車両の車内。トイレ扉の取っ手が無くなっている。
ファイル:113kei5700bandaiWC.jpg|(参考)通常のトイレ部分。
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==== クモハ113・112形300番台(→5300番台) ====
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2020年3月13日をもって阪和線・紀勢本線での定期運用を終了し、クモハ113/112-2058が同年4月22日、クモハ113/112-2060が同年4月30日にそれぞれ廃車された<ref name="JRR 2021w 360">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2021冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2020年、p.360。ISBN 9784330082202。</ref>。
 
==== 耐寒耐雪体質造車善工事 ====
京都総合運転所で運用されている5700番台・7700番台が、編成変更により先頭車が不足したため、[[2002年]]に体質改善工事施行済の網干電車区(現在の[[網干総合車両所]])のクハ111形7000番台が耐寒耐雪改造され、7700番台に編入されたうえ、京都総合運転所に転属した。
 
; 対象車両は以下のとおり
: クハ111-7121・7139→クハ111-7707・7708
: クハ111-7021・7036→クハ111-7757・7758
改造内容は耐寒耐雪改造のみ、シャッター付きタイフォンカバーの取付は省略。外観でのクハ111-7000番台との見分けはつかない。
 
[[2003年]]になると下記の小浜線向けに、網干電車区の7000番台4両編成1本に体質改善工事および耐寒耐雪改造のうえ、編入された。
; 対象車両は以下のとおり
: モハ112/113-7054→7705
: クハ111-7162→クハ111-7709
: クハ111-7073→クハ111-7759
 
さらに同年、耐寒耐雪車が不足することから京都総合運転所所属の1編成がさらに追加改造された。
; 対象車両は以下のとおり
: モハ112/113-7024→7706
: クハ111-7134→クハ111-7710
: クハ111-7018→クハ111-7760
 
元々は嵯峨野線運用車で、体質改善工事とともに先頭車は自動解結装置と電気連結器を撤去していた。この編成は数奇な運命を辿ることになる。ATS-Pを装備していたことから2005年に起きた[[JR福知山線脱線事故]]後に宮原総合運転所に転属、高速化改造が撤去され
以下の様に改番された。
: モハ112/113-7706→2724
: クハ111-7710→クハ111-2834
: クハ111-7760→クハ111-2718
 
この改番は半年のみ。再度高速化改造を受け7700台の元番号に復帰した。現在は吹田総合車両所京都支所所属。
 
==== 体質改善車 ====
{{鉄道車両
|車両名=JR西日本 体質改善車
2,072 ⟶ 2,040行目:
|}
; 体質改善30N(想定寿命30年)
改造費用の面や車両の使用期間(残耐用年数)の面から[[2002年]]以降は費用節約のため窓や雨樋の形状変更を省いて工事を簡略化した「体質改善30N」と呼ばれるメニューに移行し、対象車も経年の浅い7X00番台のみとなった。外観は窓が従来のユニットサッシのままであり、雨樋の張り上げも行われていない。車内は天井の平天井化を行わず、室内灯のカバーもなく、車内放送スピーカーも従来型である<ref name="rp201812_p98">日向旭「JR西日本・JR四国の113系」『鉄道ピクトリアル』2018年12月号、p.98</ref>。側扉は半自動ドアボタンが設置されたが、ドアエンジンは施工前同様のTK4系であり、扉上部のカバーの出っ張りも残っている<ref name="rp201812_p98" />。

また、同時期にリニューアル対象外の先頭車は雨水の浸入などの対策として、前面窓支持のHゴムを金属板とコーキングで覆う工事がなされている。新車が大量に投入されたJR神戸・京都線と新車が全く存在しない嵯峨野線向けの工事であるが、これらの車両が所属する京都・宮原・網干の各総合車両所以外に、阪和線を管理する日根野電車区の一部の状態の良い車両が工事施工のうえで網干などの未更新車と交換となった例がある。また、京都所が比較的編成単位で大半の車両に行ったのに対し、宮原・網干所では初期車を多く保有していたこともあってごく一部の車両に限られ、編成中1 - 2両のみがリニューアル車ということも少なくなかった。
 
2002年3月30日に施工された京都総合運転所所属のC6編成<ref group="注">クハ111-7505+モハ113-7022+モハ112-7022+クハ111-7605の4両。</ref> が初の30N体質改善車となった。2004年度の施行車は先頭車のみの改造となり、2005年3月までに京都総合運転所所属車を対象に44両が施工された。
2,219 ⟶ 2,189行目:
ファイル:113-tentou.jpg|乗客の転落防止のため、併結部分のライトを点灯させる措置が行われている。
</gallery>
 
==== 耐寒耐雪改造車 ====
京都総合運転所で運用されている5700番台・7700番台が、編成変更により先頭車が不足したため、[[2002年]]に体質改善工事施行済の網干電車区(現在の[[網干総合車両所]])のクハ111形7000番台が耐寒耐雪改造され、7700番台に編入されたうえ、京都総合運転所に転属した。
 
; 対象車両は以下のとおり
: クハ111-7121・7139→クハ111-7707・7708
: クハ111-7021・7036→クハ111-7757・7758
改造内容は耐寒耐雪改造のみ、シャッター付きタイフォンカバーの取付は省略。外観でのクハ111-7000番台との見分けはつかない。
 
[[2003年]]になると下記の小浜線向けに、網干電車区の7000番台4両編成1本に体質改善工事および耐寒耐雪改造のうえ、編入された。
; 対象車両は以下のとおり
: モハ112/113-7054→7705
: クハ111-7162→クハ111-7709
: クハ111-7073→クハ111-7759
 
さらに同年、耐寒耐雪車が不足することから京都総合運転所所属の1編成がさらに追加改造された。
; 対象車両は以下のとおり
: モハ112/113-7024→7706
: クハ111-7134→クハ111-7710
: クハ111-7018→クハ111-7760
 
元々は嵯峨野線運用車で、体質改善工事とともに先頭車は自動解結装置と電気連結器を撤去していた。この編成は数奇な運命を辿ることになる。ATS-Pを装備していたことから2005年に起きた[[JR福知山線脱線事故]]後に宮原総合運転所に転属、高速化改造が撤去され
以下の様に改番された。
: モハ112/113-7706→2724
: クハ111-7710→クハ111-2834
: クハ111-7760→クハ111-2718
 
この改番は半年のみ。再度高速化改造を受け7700台の元番号に復帰した。現在は吹田総合車両所京都支所所属。
 
==== 小浜線向け改造車 ====
2,370 ⟶ 2,368行目:
1984年2月1日の[[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正|国鉄ダイヤ改正]]で岡山地区においても広島地区同様の[[シティ電車]]化による短編成増発が行われることにより、[[国鉄115系電車|115系]]6両編成を短編成化して4両編成と3両編成を組成することになったが、3両編成で必要な偶数向きのクハ115形が6両不足した<ref name="rp201811_p43">平石大貴「111・113系電車のあゆみ 国鉄編」『鉄道ピクトリアル』2018年11月号、p.43</ref>。同改正では京阪神地区の網干電車区113系が8両編成 (TcMM'Tc'TMM'Tc') が7両編成 (TcMM'TMM'Tc') に短縮されており、7両編成化で余剰となった偶数向きのクハ111形300番台のうち6両をクハ115-601 - 606に改造して転用した<ref name="福原2013_p118" />。
 
改造内容は主幹制御器の115系仕様への交換、ドアエンジンの半自動対応仕様への交換、ジャンパ連結器の115系仕様への変更などである<ref name="rp201512_p30">「115系電車 形式集(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号(通巻911号)、p.30</ref>。クハ115-607 - 619は115系サハ115形の先頭車化改造車に付番されている<ref name="rp200805_p26" />。
{{-}}
==== クハ111形冷房車の115系化改造 ====
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[[ファイル:東海道本線 上淀川橋梁-91-08.jpg|サムネイル|JR化後の京阪神快速113系(1991年)]]
[[ファイル:JRW series113 JR-Kobe.jpg|200px|thumb|リバイバル新快速(2004年10月10日)]]
大阪地区の[[東海道本線|東海道]]・[[山陽本線]]では急行料金不要の「急行電車」([[関西急電]])が戦前の1934年より運転されており、1936年から1937年にかけての流電[[国鉄52系電車|52系]]・半流43系の投入を経て、戦後の1950年より80系電車が投入されていた<ref name="rp201811_p65">寺本光照「113系黎明期と関西圏の快速電車 東海道・山陽編」『鉄道ピクトリアル』2018年11月号、p.65</ref>。1957年に快速電車([[京阪神快速]])となり、1961年には一等車の連結も開始されたが、2扉デッキ付きの80系では混雑時の対応が困難になったため、京阪神快速に113系が投入されることになった<ref name="rp201811_p67">寺本光照「113系黎明期と関西圏の快速電車 東海道・山陽編」『鉄道ピクトリアル』2018年11月号、p.67</ref>。1964年に関西初の113系が[[宮原電車区]]に新製配置され、京阪神快速用として運用を開始した<ref name="rp200805_p40">「関西の113系」『鉄道ピクトリアル』2008年5月号、p.40</ref>。
1964年に関西初の113系が[[宮原電車区]]に新製配置され、東海道・山陽線の快速([[京阪神快速]])用として運用を開始した<ref name="rp200805_p40">「関西の113系」『鉄道ピクトリアル』2008年5月号、p.40</ref>。
 
京阪神快速には1964年に113系51両が投入され、同年9月より営業運転を開始した<ref name="福原2013_p47" />。当時快速に使用されていた80系では一部に[[一等車]]が連結されていたが、113系では一等車を含まないモノクラスの11両編成となった<ref name="福原2013_p48" />。[[山陽本線]]の[[鷹取駅]] - [[西明石駅]]間の[[複々線]]化が完成した1965年3月時点で113系は114両まで増備され、80系は山陽地区の普通列車に転用された<ref name="福原2013_p48">福原俊一『111・113系物語』p.48</ref>。
 
1966年10月のダイヤ改正より、京阪神快速の113系の一部に一等車が連結された<ref name="福原2013_p47" />。従来の80系の一部編成に組み込まれていた一等車の置き換えが目的であり、サロ153形の改造車であるサロ110形が組み込まれた<ref name="福原2013_p49">福原俊一『111・113系物語』p.49</ref>。1968年10月1日のダイヤ改正で京阪神快速の80系全車が113系に置き換えられ、113系の配置両数は宮原電車区のほか[[高槻電車区]]・[[明石電車区]]を合わせた3区所合計で430両に達した<ref name="rp201811_p67" />寺本光照「113系黎明期と関西圏。国鉄快速電一等 東海道・山陽編」『鉄道ピクトリアル』2018は196911月号、p.67に[[グリーン車]]へ変更されている</ref name="rp201811_p68" />。
 
1970年の[[日本万国博覧会]](大阪万博)開催を前に[[網干電車区]]が開設され、宮原区・明石区の113系が網干電車区に移管された<ref name="rp200805_p7">「記憶の中に残る111・113系」『鉄道ピクトリアル』2008年5月号、p.7</ref>。大阪万博の輸送に対応するため、113系1000番台が横須賀線に投入されて捻出された113系0番台が横須賀線から京阪神快速に転用された<ref name="福原2013_p58" />。万博の開催期間中は、横須賀色の113系による臨時快速列車「万博号」が[[河瀬駅]] - [[茨木駅]] - [[姫路駅]]間で運転された<ref name="福原2013_p58" />。同年7月には高槻電車区の113系でサロ112形を含む8両編成1本が試作冷房車として改造された<ref name="rp201811_p68" />。
 
万博輸送終了後の1970年10月のダイヤ改正では、[[京都駅]] - [[西明石駅]]間で「[[新快速]]」の運転が開始され、万博号に使用されていた横須賀色の113系7両編成が投入された<ref name="福原2013_p58" />。新快速の運転区間は1971年4月のダイヤ改正で京都駅 - [[草津駅 (滋賀県)|草津駅]]間が延長され、増発に伴って横須賀色の113系は新快速のみでの運用が困難になったため標準の湘南色に変更された<ref name="rp201811_p68">寺本光照「113系黎明期と関西圏の快速電車 東海道・山陽編」『鉄道ピクトリアル』2018年11月号、p.68</ref>。
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2005年[[4月25日]]に塚口 - 尼崎間で発生した[[JR福知山線脱線事故|脱線事故]]の影響で尼崎 - 宝塚間が6月19日の復旧まで不通となり、復旧の際にATS-Pが設置された。ATS-Pを持たない117系は福知山線の運用から撤退し、代わりにATS-Pを搭載した113系40両が宮原総合運転所に配置され<ref name="rp201812_p118" />、再び篠山口以南での113系運用が復活した。2005年6月19日以降、体質改善車・湘南・阪和・小浜・瀬戸内といった各色の車両が当時ATS-P未搭載の117系に代わって運用されることになった<ref name="rp200805_p69">編集部「JR西日本 113系の現況」『鉄道ピクトリアル』2008年5月号、p.69</ref>。さらに2006年春以降は冬季の半自動扉扱いの必要性から[[日根野電車区]]から体質改善車が転入した。2011年時点では全て体質改善車となっていた。
 
2008年より宮原へ新製配置された223系が丹波路快速へ投入されたのに伴い、網干総合車両所の221系が京都総合運転所へ転属して嵯峨野線113系の一部を置き換えた<ref name="rp201812_p118" />。篠山口以北の3800番台は2008年の223系5500番台投入により運用を離脱し、9月までに全車が廃車となった<ref name="rp201812_p86">日向旭「JR西日本・JR四国の113系」『鉄道ピクトリアル』2018年12月号、p.86< /ref>。
 
宮原の113系は、2011年10月現在で42両(S編成の6両編成5本、4両編成3本)が所属していた<ref name="JRR 2012W 148">『JR電車編成表』2012冬 p.148</ref>。4両編成はモハ112形に集電装置を2基搭載している<ref name="JRR 2012W 148"/>。全車が体質改善工事施工済み(S34・37編成の中間車のみが30N車で、他は40N車)であった。運用は基本的に[[篠山口駅]]以南のみであったが、朝・夜の快速列車を中心に[[新三田駅]]までの普通や、午後の篠山口駅 - [[福知山駅]]間の区間運転に運用された。
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岡山地区ローカル用としての[[岡山電車区]]への113系の配置はJR化後であり、当初のは全て他所からの借用車であった。日根野電車区の余剰車が配置されていた時期があったが、ATS-P形を装備していたために全車が[[アーバンネットワーク]]に再転用され、2005年6月19日から福知山線(JR宝塚線)の運用に入ったのち、2006年10月までに全車が日根野電車区に返却された。
 
2007年以降、湖西線・草津線への223系投入に伴い余剰となった京都総合運転所に所属していた5700番台3編成(湘南色)が貸し出され、再びB編成(B01・02・05)として運用されていた。2012年に先述のB-07 - 09編成に置き換えられて全車廃車された。
 
2011年の阪和線・紀勢本線への225系5000番台投入に伴って113系が余剰となり、2012年5月から7月にかけて吹田総合車両所日根野支所より113系HG401 - HG403編成の3本が岡山電車区へ転入し、B-07 - 09編成となった<ref name="rp201812_p90">日向旭「JR西日本・JR四国の113系」『鉄道ピクトリアル』2018年12月号、p.90</ref>。貸出編成であったB01・B02・B05編成は2012年8月から10月にかけて全車廃車された<ref name="rp201812_p90" />。
 
B02編成は2012年10月20日に[[滋賀県]][[野洲市]]において爆破テロの救助訓練に使用するため、網干総合車両所宮原支所野洲派出所に回送され、爆破ラッピングが施された<ref>[http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0011403 きょう20日、野洲市で 県内初の国民保護実動訓練] - 滋賀報知新聞 2012年10月20日</ref>。訓練終了後ラッピングは外され、吹田総合車両所へ回送された<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2012/11/jr113b02_1.html 【JR西】113系B02編成が野洲から吹田総合車両所へ回送] - ネコ・パブリッシング 『鉄道ホビダス』 RMニュース 2012年11月6日</ref>。
 
2015年53・7月により広島地区で227系の営業運転が開始され、余剰となった113系の一部が下関総合車両所広島支所から岡山電車区へ転入し、一部で編成替えも行われた<ref name="rp201812_p92">日向旭「JR西日本・JR四国の113系」『鉄道ピクトリアル』2018年12月号、p.92</ref>。2015年5月・7月に体質改善車の4両編成1本と先頭車2両が転入<ref name="JRR 2016W 360">『JR電車編成表』2016冬 p.360</ref>。4両編成はB10編成となり、先頭車はB09編成の非体質改善先頭車を置き換えた<ref name="JRR 2016W 187">『JR電車編成表』2016冬 p.187</ref>。
 
2015年10月から2016年2月にかけて下関総合車両所広島支所から体質改善車の4両編成2本(旧P04・10)、先頭車6両とMM'ユニット2両が転入した<ref name="JRR 2016s 360">『JR電車編成表』2016夏 p.360</ref>。旧P04・10編成はB11・13編成となり、旧P09の先頭車と旧F10のMM'ユニットでB12編成を組成。残る先頭車4両は、吹田総合車両所日根野支所から転属してきた非体質改善車であったB07・08の先頭車を置き換えた<ref name="JRR 2016s 358">『JR電車編成表』2016夏 p.358</ref><ref name="JRR 2016S 187">『JR電車編成表』2016夏 p.187</ref>。