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倭ん王 (会話 | 投稿記録)
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定家から蓮生に送られた色紙、いわゆる小倉色紙(小倉山荘色紙)は、蓮生の子孫にも一部が受け継がれた。室町時代に[[茶道]]が広まると小倉色紙を茶室に飾ることが流行し、珍重されるようになった。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将・[[城井鎮房|宇都宮鎮房]]が[[豊臣秀吉]]配下の[[黒田長政]]に暗殺され、一族が滅ぼされたのは、鎮房が[[城井氏|豊前宇都宮氏]]に伝わる小倉色紙の提出を秀吉に求められて拒んだことも一因とされる。小倉色紙はあまりにも珍重され、価格も高騰したため、贋作も多く流布するようになった。{{要出典|date=2021年4月}}
 
== 載和歌 ==
百人一首に採られた100首には、1番の天智天皇の歌から100番の順徳院の歌まで、各歌に歌番号(和歌番号)が付されている。この歌番号の並び順は、おおむね古い歌人から新しい歌人の順である。{{要出典|date=2021年4月}}

100首はいずれも[[勅撰和歌集]]に収載される[[短歌]]である。<ref name="wikisource">{{Cite wikisource|title=小倉百人一首|author=不明|wslanguage=ja}}</ref>


( )内は漢字の読みを示す。'''太字'''は決まり字(上の句は読み基準、下の句は表記基準で判断)を示す。
 
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="width:70%"
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ファイル:Hyakuninisshu 100.jpg
</gallery>
 
100首はいずれも『[[古今和歌集]]』『[[新古今和歌集]]』などの[[勅撰和歌集]]に収載される[[短歌]]から選ばれている。{{要出典|date=2021年4月}}
 
== 訳 ==
 
歌の内容による内訳では、春が6首、夏が4首、秋が16首、冬が6首、離別が1首、羇旅が4首、恋が43首、雑(ぞう)が19首、雑秋(ざっしゅう)が1首である<ref>宗政五十緒著「新編小倉百人一首 日本古典のこころ」中央図書</ref>。
=== 一般的な訳 ===
恋の歌が多いとされ、公共放送や公益財団法人などでもそのように宣伝されている。
歌の内容による内訳では、春が6首、夏が4首、秋が16首、冬が6首、離別が1首、羇旅が4首、恋が43首、雑(ぞう)が19首、雑秋(ざっしゅう)が1首である<ref>宗政五十緒著「新編小倉百人一首 日本古典のこころ」中央図書</ref>と言った分類がさられる事が多い
 
==== 信用性 ====
恋歌が多いとされる主張は、必ずしも世間に受け入れられているわけでは無い。
 
「現在も多くの『小倉百人一首』研究書、種々の鑑賞の手引書が出ている。最近のものでは、『小倉百人一首』を単なる秀歌撰として見ないで、選者の定家が”ある意味”を隠すために選んだ歌集であるとして、自然科学的な手法でアプローチして『小倉百人一首』の謎を解きあかそうとしているものや、パソコンを駆使して一首ごとに綿密に再検討をし、新たな百人一首像を描き出そうとしている研究書もある。」大阪府立中之島図書館より
<ref>{{Cite web
| url = https://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/07_isshu.html
| title = 百人一首あれこれ - 大阪府立図書館
| accessdate = 2021-04-22}}</ref>
 
駄作・愚作・駄歌などがキャッチコピーや段落に使われる図書の出版が後を絶たない。
 
=== 風刺 ===
{{疑問点範囲|百人一首の本来の意味は風刺である。<br />
百人一首に書かれている事を要約すると、朝廷の歴史が捏造された、昔の君主は女性だった、『から』がそれらに絡んでいる。<ref group="注釈">本文に女性や朝廷、君主、中国や朝鮮を指す比喩が多数入っている。『苫、軒、あま、舟、波、難波、玉、君、人、てふ、花、庭、衣+濡れる、衣+乾かす、衣+絞る、鳥、山鳥、ホトトギス、かさゝぎ、から、春、夏、秋、冬、長月、暁、有明、紅葉、嵐、恋などなど』この辺りの言葉は比喩になっている。</ref>
百首目の、百敷は百人一首と歴史を同時に指していて、古き軒端は朝廷の事を指している。
また、一首目の天智天皇の歌から始まる事で、白村江の戦いの敗戦後に外圧による歴史捏造が始まった事を示している。|date=2021年3月}}
 
「百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」<ref name="wikisource"/><br />
== 掲載和歌の歌人 ==
百首目歌の『敷』は[[飛石]]の事で『歩み』と言う歴史を意味する言葉と掛けてあり百敷』で百人一首と歴史を同時に指してい古きは朝廷の事を指している。<br />
全体の意味は、風刺の和歌が残っていて隠そうとしても隠し切れないほど過去の朝廷は素晴らしかったのだろうな。<br />
そしてこの訳は、他の九十九首によって確からしさを補強できる。<ref group="注釈">百首目は別の和歌会で読まれた歌と言われていて、順徳院の意思か編纂者の意思かは定かではない。</ref>
 
「秋の田の かりほの庵の とまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」<ref name="wikisource"/><br />
「刈り取られた稲の見張り小屋で、ただひとりで夜を明かしていると、葺いてある屋根の苫の編み目が粗いので、私の着物はぐっしょりと夜露で濡れ続けていることよ。」<ref>{{Cite web
| url = http://www.samac.jp/search/poems_detail.php?id=1
| title = 小倉百人一首の全首を見る
| publisher = 公益財団法人小倉百人一首文化財団
| accessdate = 2021-04-25 }}</ref><br />
このような訳が流布されているが、『衣手』=袖の意味が欠落していて、露を雨露と訳しても夜露と訳しても、袖だけが濡れる事は無い。駄歌と言うよりは駄訳である。[[焚書]]を避ける為だとの理解もできるが。<br />
「秋田刈る仮廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける」<ref>{{Cite wikisource
|title=万葉集/第十巻
|author=不明
|wslanguage=ja}}</ref><br />
万葉集 10巻の2174の歌との関連性から『作る』と主に訳すのが良い。<br />
この歌の『とま』は朝廷を、『あらみ』は『荒い』と『作る』の二つ、『ぬれつつ』と『衣』で『濡れ衣』=罪を表している。<br />
現代語では、『手を汚す』『手を染める』『濡れ衣を着せる』『罪を着せる』辺りの言葉が参考になる。<br />
全体の意味としては、朝廷の歴史を捏造して罪を犯していると嘆いている歌だ。<br />
また、一首目の天智天皇の歌から始まる事で、[[白村江の戦い]]の敗戦後に外圧による歴史捏造が始まった事を示している。|date=2021年3月}}
 
時勢に付いて、現代の言葉や文学でも日本では、春は『青春』や『我が世の春』『春が来た』など吉事を表す、また冬は『死の季節』と言われる凶事を表す。<br />
百人一首においても似た様な物で、春から夏が吉事や吉兆、秋から冬が凶事や凶兆を意味している。<br />
また、これらと同じ様に、日に関する比喩表現も存在して、『日本の夜明け』『暁には』『明けない夜は無い』など、日が出ている状態を吉事、日が沈んでいる状態を凶事として表現する。<br />
このことから冬と夜は同じ意味で使われる。<br />
「かさゝぎの 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞふけにける」<ref name="wikisource"/><br />
「かささぎが翼を並べて架けたといわれる天の川の橋。それにたとえられる宮中の橋に真っ白な霜が降りて、その白の深さを見るにつけても、夜もいっそう更けてきたことよ。」<ref>{{Cite web
| url = http://www.samac.jp/search/poems_detail.php?id=6
| title = 小倉百人一首の全首を見る
| publisher = 公益財団法人小倉百人一首文化財団
| accessdate = 2021-04-25 }}</ref><br />
このような訳があてられているが、当然これも正しくない。『夜ぞふけにける』この部分を表現したかったのだから、当然現在の朝廷の状態が思わしくないと言っている。<br />
『かさゝぎ』の別名が江戸時代まで一般的に『朝鮮鴉』と言われていた事から、日本海を天の川に見立てて交易路の話をしたものであり、宮中の橋と言う解釈が何処から出て来た物か不明である。<br />
 
==== 古今和歌集序 ====
古今和歌集から幾つかの歌が収載されているが、そこに歌とは何かという事が書かれている。
 
{{Quotation|こゝにいにしへのことをも歌のこゝろをもしれる人、わづかにひとりふたりなりき|{{Cite wikisource|title=古今和歌集仮名序|author=紀貫之|wslanguage=ja}}}}
{{Quotation|いにしへの事をもうたをもしれる人よむ人おほからず|{{Cite wikisource|title=古今和歌集仮名序|author=紀貫之|wslanguage=ja}}}}
仮名序には『古の事』と『歌』=和歌を同列に並べて扱う箇所が二箇所あり、和歌集の序文としてはおかしな内容である。
 
{{Quotation|このほかの人々、そのなきこゆるのべにおふるかづらのはひゝろごり、はやしにしげきこのはのごとくにおほかれど、うたとのみおもひて、そのさましらぬなるべし。|{{Cite wikisource|title=古今和歌集仮名序|author=紀貫之|wslanguage=ja}}}}
{{Quotation|其大底皆以<sub>レ</sub>艷爲<sub>レ</sub>基、不<sub>レ</sub>知<sub>二</sub>和歌之趣<sub>一</sub>者也。|{{Cite wikisource|title=古今和歌集真名序|author=紀淑望|wslanguage=ja}}}}
また、仮名序と真名序を比べると、『うたのみおもひて』に該当するのが『艶なるを以て基となし』と言う部分である。
 
現代語に訳すのなら、『和歌の本来の意味は雅ではない』と言ったところで、『古(いにしへ)』を歌った物が和歌である。
 
== 載和歌の歌人 ==
小倉百人一首に選ばれた100名は、男性79名、女性21名。<br />
男性の内訳は、[[天皇]]7名、[[親王]]1名、[[公卿]]28名(うち[[摂政]][[関白]]4名、[[征夷大将軍]]1名)、下級貴族28名、[[僧侶]]12名、詳細不明3名<ref group="注釈">柿本人麻呂、猿丸大夫、蝉丸の3名。また、僧侶の内に入っている喜撰法師も経歴・出自が一切不明である。</ref>。<br />
女性の内訳は、天皇1名、[[内親王]]1名、女房17名、公卿の母2名となっている。{{要出典|date=2021年4月}}
 
<!-- 歌人の説明ではなく、時代ごとの和歌の特徴の説明になっている。
おそらく誰かの書籍をそのまま記述。
出典や書式も含めて要修正。
 
古いコメント
[[源実朝]]などの[[武士]]の歌
鎌倉右大臣を「武士」とするのはいかがなものかと
 
 
;万葉の歌人
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:[[平安時代]]の中頃、宮廷中心の貴族文化は全盛を迎える。文学の世界では、女性の活躍が目ざましく[[清少納言]]が『[[枕草子]]』、[[紫式部]]が『[[源氏物語]]』を書いた。『百人一首』にはそのほかにも、[[和泉式部]]、[[大弐三位]]、[[赤染衛門]]、[[小式部内侍]]、[[伊勢大輔]]といった宮廷の才女の歌が載っている。{{要出典|date=2021年4月}}
;隠者と武士の登場
:貴族中心の[[平安時代]]から、[[武士]]が支配する[[鎌倉時代]]へと移る激動の世情の中で、[[仏教]]を心の支えにする者が増えた。『百人一首』もそうした時代を反映し、[[西行]]や[[寂蓮]]などの[[隠者]]<!--や[[源実朝]]などの[[武士]]の歌--><!--鎌倉右大臣を「武士」とするのはいかがなものかと-->も登場する。[[藤原定家]]自身も撰者となった『[[新古今和歌集]]』の歌が中心で、色彩豊かな絵画的な歌が多く、微妙な感情を象徴的に表現している。{{要出典|date=2021年4月}} -->
 
== 用途 ==