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[[1979年]]、欧州為替相場メカニズムの核となる[[欧州通貨制度]]が創設された。本来はすべての加盟国が欧州為替相場メカニズムに組み込まれなければならないが、実際には[[ベルギー]]、デンマーク、[[西ドイツ]]、フランス、[[アイルランド]]、[[イタリア]]、[[ルクセンブルク]]、[[オランダ]]のみに適用された。[[1999年]]のユーロの創設により1974年より運営されていた従来の欧州為替相場メカニズムは廃止されたが、ユーロに移行していない欧州連合加盟国を対象とした新たな欧州為替相場メカニズムが1999年に設定された。これがERM IIと呼ばれるものである。欧州為替相場メカニズムのおもな目的は、物価の安定を確保するために為替相場とその変動を調整することであり、また欧州為替相場メカニズムはユーロ圏入りの前段階における必要条件となっている。現在、必要条件としてユーロに移行していない欧州連合加盟国に求められているのはERM IIへの参加であり、ERM IIはERMとしては2つ目のものである。この必要条件とは、具体的には、2年間、ERM IIのもとで、ユーロに対する自国通貨の標準変動幅を2年間、±15%の範囲とするというものである。ただし、問題がある場合は延長される。
 
当初リトアニアは2007年にユーロを導入するはずであった(導入は2015年となった)。2006年3月16日、リトアニア財務相[[ジグマンタス・バルチーティス]]は欧州委員会から時期尚早と正式に警告を受けていたにもかかわらず、ユーロ導入に関する必要書類を提出した。この書類などをもとにして審査した結果、欧州委員会はリトアニアのインフレーション率が基準よりも0.06%高いとしてリトアニアのユーロ導入を延期するよう欧州理事会に勧告し<ref>{{Cite web|date=2006-03-10|url=http://www.faz.net/s/Rub050436A85B3A4C64819D7E1B05B60928/Doc~E6F4B28C115034F9D97A4DDA78A6EB8E7~ATpl~Ecommon~Scontent.html|title=Die EU und Litauen streiten sich um den Euro|publisher=Frankfurter Allgemeine Zeitung|languag=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>、2006年6月15日、16日にブリュッセルで行われた欧州理事会の会合でもリトアニアのユーロ導入は見送られた。当時のリトアニアのインフレーション率は既存のユーロ圏諸国と比べてもユーロを導入するには十分に低かった。しかし欧州連合条約ではユーロ未導入の加盟国に対して基準を厳格に守るように定めている。一部の欧州連合の高官からはリトアニアがユーロを導入しても問題がないという意見があったが<ref>{{Cite web|author=Claus Hecking|coauthors=Andrzej Rybak, Wolfgang Proissl, Mark Schrörs|date=2006-12-28|url=http://www.ftd.de/politik/europa/145221.html?p=1|title=Agenda: Stimmungswechsel|publisher=FTD.de|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25|archiveurl=https://archive.is/20120731191410/http://www.ftd.de/politik/europa/:agenda-stimmungswechsel/145221.html|archivedate=2012年7月31日|deadlinkdate=2013-11-01|deadurldate=2017年9月}}</ref>、欧州委員会と欧州中央銀行はユーロの信頼性を損なわないためにもこの意見を認めなかった。2007年にユーロを導入していれば、リトアニアはスロベニアとともに中東欧諸国で最初のユーロ移行国となっていたことになる。
 
[[2010年]]5月12日、欧州委員会はエストニアが収斂基準を満たしたとする報告書を作成し、同国のユーロ移行を提案した<ref>{{Cite web|date=2010-05-12|url=http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=IP/10/562&format=HTML&aged=0&language=EN&guiLanguage=en|title=Convergence Report 2010 by the Commission assesses readiness of non-euro area EU countries to adopt the euro; proposes Estonia joins euro area in 2011|publisher=European Commission|language=英語|accessdate=2010-07-13}}</ref>。これを受けて同年7月13日に経済・財務理事会は、[[2011年]][[1月1日]]にエストニアがユーロを導入することを認める決定を下した。また[[2014年]]にはラトビアもユーロを導入した。
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オーストリアは2ユーロ紙幣を、イタリアはさらに1ユーロ紙幣の導入を求めている。両国ではユーロ導入以前に低い額面の紙幣が流通しており、オーストリアでは20シリング(1.45ユーロに相当)紙幣が、イタリアでは1,000リラ(52セントに相当)紙幣がそれぞれ発行されていた。
 
2004年11月19日に欧州中央銀行の政策理事会は、現行よりも低い額面の紙幣発行は行わないということを決定した。2ユーロ紙幣についても現行の紙幣が10年間は改訂する予定がなく、導入する見込みはない<ref>{{Cite web|last=Diethelm|first=verena|date=2006-12-29|url=http://www.ftd.de/boersen_maerkte/geldanlage/144295.html|title=Top Secret: Der neue Euro|publisher=Financial Times Deutschland|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-16|archiveurl=https://archive.is/20120731132555/http://www.ftd.de/finanzen/geldanlage/:top-secret-der-neue-euro/144295.html|archivedate=2012年7月31日|deadlinkdate=2013-11-01|deadurldate=2017年9月}}</ref>。
 
==== 1,2セント硬貨の廃止 ====
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ほとんどの経済専門家は[[開発途上国]]や[[新興工業国]]が外貨準備の再検討や原油取引のユーロ建てへの移行について繰り返し表明していることを、具体的な意図があるのではなくアメリカに対して政治的な圧力をかけようとしていると考えている。しかし、ユーロ圏外の国の外貨準備におけるユーロの占める割合が過大になれば、それは外貨準備において従来の過小評価を改めただけと考えられ、多くの国の通商・経済関係では依然としてユーロは低く評価されている。
 
ユーロの現金発行残高は2006年にUSドルを抜いて、世界でもっとも多くなった。この年の10月に世界に流通しているユーロ紙幣の額面の合計は5,920億ユーロとなり、USドル紙幣の5,790億USドルを上回った。ただしこの背景には、アメリカ国内では決済手段としてクレジットカードが多く使用されているということがあり、そのため1人あたりの現金の所持額が少なくなる。ユーロは将来的に現金として最大の規模を持つ通貨となると見込まれている<ref>{{Cite web|1=authorRalph Atkins|coauthors=Mark Schieritz|date=2006-12-28|url=http://www.ftd.de/politik/europa/145253.html|title=Euro läuft dem Dollar den Rang ab|publisher=Financial Times Deutschland|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25|archiveurl=https://archive.is/20120730160403/http://www.ftd.de/politik/europa/:euro-laeuft-dem-dollar-den-rang-ab/145253.html|archivedate=2012年7月30日|deadlinkdate=2013-11-01|deadurldate=2017年9月}}</ref>。
 
== ユーロ相場 ==
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1999年1月4日、[[フランクフルト証券取引所]]において初めてユーロとUSドルの為替取引が開始され、このとき 1EUR = 1.1789USD の値がついた。ユーロ相場は対USドルで値を下げていき、取引開始から2年後には最安値をつけた。2000年1月27日にはユーロは対USドルで 1EUR = 1USD の[[パリティ]]を下回り、同年10月26日に史上最安値の 1EUR = 0.8252USD となった。
 
2002年4月から2004年12月にかけてユーロは多少値を戻していく。2002年7月15日には 1EUR = 1USD の[[パリティ]]を上回り、2004年12月28日には当時の史上最高値となる 1EUR = 1.3633USD をつけた。一部のアナリストは 1EUR = 1.4 - 1.6USD にまで達すると見込んでいたが<ref>{{Cite web|date=2005-01-03|url=http://www.bfinance.de/content/view/13741/|title=bfinance-Konsensus für Zinssätze und Wechselkurse (Februar 2005)|publisher=bfinance|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01}}</ref><ref>{{Cite web|date=2004-12-28|url=http://www.abendblatt.de/wirtschaft/article297592/Euro-steigt-immer-weiter-mehr-als-1-36-Dollar-wert.html|title=Euro steigt immer weiter - mehr als 1,36 Dollar wert|publisher=Hamburger Abendblatt|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01}}</ref> 、その予想は外れ、[[連邦準備制度]]の政策金利引き上げ<ref>{{Cite web|last=Wagner|first=Hans|date=2006-01-31|url=http://www.eurasischesmagazin.de/artikel/?artikelID=20060106|title=2006: Das Jahr des Euros|publisher=Eurasisches Magazin|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01}}</ref>を受けてユーロは2005年に入って値を下げていき、同年11月15日には年間最安値の 1EUR = 1.1667USD をつけた。ところが連邦準備制度の金利引き上げ策は2006年のアメリカ経済の後退を受けて継続されなかった。2007年後半に表面化した[[サブプライム住宅ローン危機|サブプライムローン危機]]のために、連邦準備制度は政策金利の引き下げを決め、これを受けてユーロは相対的に値を上げた。その結果、2008年7月15日に欧州中央銀行の基準相場は史上最高値の 1EUR = 1.5990USD をつけ<ref name="EZB-Wechselkurse" />、また市場では基準相場を上回る 1EUR = 1.6038USD で取引された<ref>{{Cite web|last=Dretkluft|first=Joachim|date=2008-07-15|url=http://www.ftd.de/boersen_maerkte/aktien/marktberichte/:Krise%20Fannie%20Freddie%20Anleger%20Dollar/385896.html|title=Anleger flüchten aus dem Dollar|publisher=Financial Times Deutschland|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01|archiveurl=https://archive.is/20120903145647/http://www.ftd.de/finanzen/maerkte/marktberichte/:krise-von-fannie-und-freddie-anleger-fluechten-aus-dem-dollar/385896.html|archivedate=2012年9月3日|deadlinkdate=2013-11-01|deadurldate=2017年9月}}</ref>。この値は1995年4月19日につけた1USドルが1.3455ドイツマルク、単純に1ユーロに換算すると 1EUR = 1.45361 USD という相場を超えたものとなった。
 
2008年サブプライムローン危機によるUSドルの下落によって、ユーロ圏の[[国内総生産|域内総生産]]をUSドルに換算すると一年間だけ一時的にアメリカ合衆国の国内総生産を上回った。しかし、その後はユーロ圏がむしろ経済危機の震源地になっており、ユーロは下落し、USドルに換算すると経済的に衰退している<ref>{{Cite web|date=2008-03-14|url=http://de.reuters.com/article/idDEHUM46144820080314|title=Euro-Zone lost USA als großter Wirtschaftsraum ab|publisher=Reuters|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01}}</ref>。2017年9月時点に於いて1EUR = 1.17171USDをつけた。