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{{出典の明記|date=2017年3月}}
[[ファイル:Cuisine Trois étoiles.jpg|境界|右|フレームなし|220x220ピクセル]]
[[File:Pot-au-feu2.jpg|thumb|250px|[[ポトフ]]]]
[[ファイル:Homard bleu rôti à la coriandre et tomate émulsionnée.jpg|境界|右|フレームなし]]
'''フランス料理'''(フランスりょうり {{lang-fr|Cuisine française}})は、[[フランス]]で発祥した様々な食文化の総称。現代では[[世界三大料理]]の一つに数えられている。
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[[ファイル:Mignon de veau confit au miel de lavande et son duo d'écrasé de pommes de terre.jpg|境界|右|フレームなし]]
 
'''フランス料理'''(フランスりょうり {{lang-fr|Cuisine française}})は、[[フランス]]で発祥した食文化および調理技術であるが、フランスという全国名義で一括されるものではなく、フランスの各地域に存在している郷土食文化の総称としての定義が強調されている。現代では[[世界三大料理]]の一つに数えられている。2010年に[[ガストロノミー|フレンチガストロノミー(フランス美食学)]]は[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録された<ref>{{Cite web|url=http://www.unesco.org/culture/ich/index.php?lg=en&pg=00011&RL=00437|title=Gastronomic meal of the French|publisher=ユネスコ|accessdate=2013-10-27}}</ref>。
中世後期には源流となるメニューが存在していたとされ、その概形は14世紀当時のレシピを編纂したという「''{{仮リンク|Viandier|fr|Viandier|}}''」から窺い知る事が出来る。16世紀になると[[イタリア料理]]の大きな影響を受ける事になったが、17世紀前半からフランス本来の料理様式を確立する運動が始まり、宮廷料理モデルの[[オートキュイジーヌ]]の誕生とワインとチーズ文化の開明などを経て、後世に継承される伝統的なフランス料理文化が形成されていった。
 
20世紀に入ると[[オーギュスト・エスコフィエ]]によって体系化されたフランス料理の国際的知名度は飛躍的に高まったが、高級料理としての一面ばかりが脚光を浴びる事にもなった。フランス料理の代表的なメニューはローカルな郷土料理から発展したものが多く、各地方の食文化を抜きにして語る事は出来なかった。こうした点が見直される中で20世紀半ばからは、いわゆるカントリーサイドの料理にも焦点が置かれるようになり、多様性に富んだ食文化の総合体であるフランス料理本来の姿が世界中に知られるようになった。2010年に[[ガストロノミー|フレンチガストロノミー(フランス美食学)]]は、[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録された<ref>{{Cite web |url=http://www.unesco.org/culture/ich/index.php?lg=en&pg=00011&RL=00437 |title=Gastronomic meal of the French |publisher=ユネスコ |accessdate=2013-10-27}}</ref>。
 
==歴史==
=== 中世 ===
[[ファイル:Tombe Guillaume Tirel.jpg|サムネイル|221x221ピクセル194x194px|[[ギヨーム・ティレル|ティレル]]]]
中世フランス料理は宮廷内限定専売特許食文化であり、った。まだ明確な作法はまだ存在しておら、給仕においても特に規則性の無い雑多なメニューが次々とあるいは一斉にテーブルに並べられていた。当時の食文化の中で特徴的なものを挙げると、食肉は加熱調理された後に厚くスライスされてマスタード風味の濃厚なソースで味付けされることが多く、皿はかったようである。食器の使われず平べ用も稀であったようで、硬カリカリ平板状のパンの上に料理は置かれが皿とし、そ用いらていた。ナイフやフォークの使用も一般的でなく直接手づかみで食べているのが普通だった。スープやシチューはテーブルにある専用のくぼみに注がれ、それらはパン浸すかスプーンまたは、直接手のひらで器用にすくって飲んでいたという。中世フランス料理の代表的なシェフは'''[[ギヨーム・ティレル]]'''であり、14世紀に活躍した彼のレシピをまとめたとされる「''{{仮リンク|Viandier|fr|Viandier|}}''」は一部に後世の創作が疑われるものの、現在に繋がるフランス料理の原型と見なさ源流に位置付けられている。
 
=== 近世(16〜18世紀) ===
[[ファイル:Cuisinierfrancois.jpg|サムネイル|314x314ピクセル274x274px|ラ・ヴァレンヌの著書]]
16世紀から17世紀にかけてのフランス料理は[[イタリア料理]]の大きな影響を受けており、ほとんど一体化していたほどだったとも伝えられている。これは[[フィレンツェ]]出身の[[カトリーヌ・ド・メディシス]]が[[ヴァロワ朝]]の[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]に輿入れした際に連れてたイタリア料理人に起因するという説もあ言わているが[[ルネサンス期]]の両国の文化交流の中で自然にもたらされていたとするいう見方も存在する<ref name="松本・持田">[[フランス料理#松本・持田(2003)|松本・持田(2003)]]</ref>。イタリア料理文化影響よってフランスでもナイフとフォークを用いる食事作法が一般的となった。17世紀になるとイタリア料理の影響から離れる方向でフランス料理の改革が進められるようになり、フランス宮廷料理の定型とされる「[[オートキュイジーヌ|オートキュイジーヌ(至高料理)]]」が誕生した。これは今日ではフランスの伝統的な高級料理モデルとして認知されている。17世紀の高名なシェフである'''{{仮リンク|ラ・ヴァレンヌ|fr|François Pierre de La Varenne|}}'''はフランス初の正式レシピ書となる「''Le cuisinier françois''」を1651年に上梓して当時の料理事情を伝えている。その後も様々な宮廷料理人が調理技術の創意工夫を加え、上品で繊細なフランス式の料理スタイルは[[ブルボン朝]]期を通して確立されていた。なお、当時は[[ギルド|ギルド(同業組合)]]の統制により食材業者と調理師の商業活動が制限されていたので、宮廷内で育まれていたフランス料理文化が市民の間にまで広まには[[アンシャン・レジーム|封建制度]]の消滅まで待たねばならなかった
 
17世紀になるとフランス主義の復興が重んじられて、イタリア料理の影響から離れる方向性でのフランス料理の改革運動が始められた。その結果誕生した「[[オートキュイジーヌ|オートキュイジーヌ(至高料理)]]」はフランス宮廷料理のフォーマルな様式として定着し、現代ではフランスの伝統的な高級料理モデルとして認識されている。[[ワイン]]と[[チーズ]]文化および[[パティスリー]]の世界も本格的な開明を迎えた。17世紀の高名なシェフである{{仮リンク|ラ・ヴァレンヌ|fr|François Pierre de La Varenne|}}が1651年に上梓した「''Le cuisinier françois''」は、フランス初の正式なレシピ書として当時の宮廷料理事情を現代に伝えている。フランス料理は[[ヴァロワ朝]]から[[ブルボン朝]]時代を通して豪華絢爛な発展を遂げたが、依然王侯貴族のための宮廷内の専売特許であった。当時は[[ギルド|ギルド(同業組合)]]の統制によって食材業者と調理師の商業活動が制限されていたので、フランス料理文化の一般市民への普及は[[アンシャン・レジーム|封建制度]]の消滅まで待たねばならなかった。
 
=== 近代(19世紀) ===
[[ファイル:M-A-Careme.jpg|サムネイル|211x211ピクセル186x186px|[[アントナン・カレーム|カレーム]]]]
18世紀末に勃発した[[フランス革命]]が勃発するはフランス料理文化にっても一大転機になった。[[アンシャン・レジーム]]の崩壊によって宮廷での職を失った料理人たちが各地に多数流出し、また[[アンシャン・レジーム]]の崩壊に伴う[[ギルド|ギルド(同業組合)]]制度の消滅によって、彼ら商業活動に対する規制も撤廃された。宮廷出身の料理人たちが街角で自由に[[レストラン]]を開けるようになった事から、市街地にはそれまでにない洗練されたレストランが立ち並ぶようになり、革命で富裕化した市民たちがそこに通い詰めるようになって、フランス料理は市民レベルで間にも大々的に広まり始め普及時代を迎えた。19世紀前半にそうした自由な気風の中でカリスマ的なシェフの帝王と称えられも登場するようになり、特に有名だっ'''[[アントナン・カレーム]]'''シェフの帝王と称えられていた。カレームは[[オートキュイジーヌ|オートキュイジーヌ(至高料理)]]の芸術性と美食性を更に高め、また「''L'art de la cuisine française au dix-neuvième siècle''」を始めとする様々な著書を残し、その中で洗練されたメニューと精緻を凝らしたレシピを数多く紹介しフランス料理の近代的発展に大きく貢献した。カレームはいわゆる[[シェフ|セレブシェフ]]の元祖でもあった。
 
=== 近現代(1900年前後) ===
[[ファイル:Auguste Escoffier 01.jpg|サムネイル|225x225ピクセル218x218px|[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]]]
19世紀後半になるとシェの偉人・'''ランス料理は[[オーギュスト・エスコフィエ]]'''によって形式的な体系化が進められ、従来にないアカデミックな料理文化へと発展した。エスコフィエによる調理技術の理論的な形式化は、料理文化の輸出というグローバル運動の際にも有利になり、フランス料理は新たがイタリア料理時代差し置いて[[世界三大料理]]の座に据られたのは彼の体系化によところが大きいと言われる。各国のフォーマルな正餐や晩餐会でも持てはやされるようになり、フランス料理は高級料理の代名詞になった。エスコフィエは、[[アントナン・カレーム|カレーム]]によってみ出された数々のレシピの技巧に走り過ぎている部分を巧みに簡略化してより実用的調理出来工程に沿えるよう各種メニューを再構築した。また「[[ブリゲード・ド・キュイジーヌ|ブリガード・ド・キュイジーヌ]]」と呼ばれる組織構造を厨房に導入して調理作業の効率化を図った。更に厨房内に規律と礼節を行き渡らせて料理人達の社会的地位をも向上させた。本来はチーフを意味する「[[シェフ]]」が西洋コックの代名詞なったのは、彼が[[ブリゲード・ド・キュイジーヌ|ブリガード]]内の各調理責任者にシェフの呼称当てられていことに由来している。エスコフィエは厨房内のモラル教育も重視し、規律と礼節を行き渡らせて料理人たちの社会的地位向上にも腐心していた。エスコフィエが編み出形式化したフランス料理知識の総体系は1903年刊行の「''{{仮リンク|Le guide culinaire|en|Le guide culinaire|}}''」にまとめられており、これはフランス料理のバイブルになっている
 
=== 現代(20世紀) ===
1930年代に入ると[[戦間期|大戦間期]]の三大シェフと言われる[[フェルナン・ポワン]]、[[アレクサンドル・デュメーヌ]]、[[アンドレ・ピック]]らが、[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]の料理体系を受け継ぎながらも更に時代に合わせた形へと進化させていった。1960年代になると、エスコフィエの料理体系から素朴な家庭料理や郷土料理の数多くが取り残されているという問題点が指摘されるようになり、従来の高級料理一辺倒のイメージ払拭を兼ねて、カントリーサイドに焦点を当てたフランス料理本来の姿を全世界に紹介しようとする運動が始められた。その中では郷土料理文化の積極的アピールと、それを体験させるためのガストロノミーツアー(美食旅行)が数多く企画されて[[ミシュランガイド|ミシェランガイド]]などが大きな役割を果たした。1970年代になると、伝統的なソースによる濃厚な味付けをあえて避けるようにして新鮮な素材主体の風味を活かしたそうとする調理技法が、ポワンの弟子である[[ポール・ボキューズ|ボキューズ]]、[[アラン・シャペル|シャペル]]、[[トロワグロ兄弟]]たちを中心にして指向されるようになり、これは「[[ヌーベルキュイジーヌ|ヌーベルキュイジーヌ(新生料理)]]」と呼ばれてフランス料理の新たな潮流なった。1980年代半ばになると、濃厚なソースを重視する古典回帰のメニュー調理技術が見直されて本来の主流[[オートキュイジーヌ]]戻り始代表される伝統的な料理様式が改て支持されるようになった。その中で伝統技術と現代科学技術をミックスさせようとする調理技法も誕生し、[[ジョエル・ロブション|ロブション]]、[[ピエール・ガニェール|ガニェール]]、[[アラン・デュカス|デュカス]]、[[ベルナール・ロワゾー|ロワゾー]]といったシェフたちが担い手になった。現在もシェフたちによる新しい調理技法の探求は続けられており、古典重視の保守性と自由で柔軟な[[アバンギャルド|前衛性]]を持ち合わせたフランス料理文化は終わりのない進化の様相を呈している。
 
==主なメニュー==
{{Main|フルコース}}'''オードブル(hors d'œuvre)'''<gallery perrow="10">
フランス料理の献立はオードブル/アントレ(''hors d'œuvre / entrée'')、メインディッシュ(''plat principal'')、デザート(''dessert'')の三構成でしばしば提供される。
{{Main|フルコース}}
;オードブル / アントレ / プラ プランシパル
<gallery perrow="6">
ファイル:Terrine de saumon au basilic.JPG|[[テリーヌ]]
</gallery>'''アントレ(entrée)'''<gallery perrow="10">
ファイル:Foie gras en cocotte.jpg|''[[フォアグラ]]''
ファイル:Lobster bisque.jpg|[[ビスク]]
ファイル:Croque monsieur.jpg|[[クロックムッシュ]]
</gallery>'''プラ プランシパル(''plat principal'')'''<gallery perrow="10">
ファイル:Pot-au-feu2.jpg|[[ポトフ]]
ファイル:Flickr - cyclonebill - Bøf med pommes frites (1).jpg|[[フレンチフライ|ステーキフライ]]
</gallery>'''パティスリー(Pâtisserie)'''<gallery perrow="10">
ファイル:Croque monsieur.jpg|[[クロックムッシュ]]
ファイル:Baguette mie.jpg|[[フランスパン|バゲット]]
</gallery>
;デザート
<gallery perrow="6">
ファイル:200501 - 6 fromages.JPG|[[フロマージュ]]
ファイル:Lille Meert2.JPG|[[ペイストリー]]
ファイル:Mille-feuille 20100916.jpg|[[ミルフィーユ]]
ファイル:Arc-en-ciel comestible.jpg|[[マカロン]]
ファイル:Eclairs at Fauchon in Paris.jpg|[[エクレア]]
ファイル:Crêpe Suzette au Citron.jpg|''[[クレープ]]''
</gallery>'''デザート(dessert)'''<gallery perrow="10">
ファイル:200501 - 6 fromages.JPG|[[フロマージュ]]
ファイル:Creme Brulee.jpeg|''[[クレームブリュレ]]''
ファイル:Chocolate mousse.jpg|[[ムース (食品)|ムース]]
ファイル:Crêpe Suzette au Citron.jpg|''[[クレープ]]''
ファイル:Café Liégeois.jpg|[[パフェ]]
</gallery>
 
==各地域の料理==
;[[シャンパーニュ]]、[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ]]、[[アルザス地域圏|アルザス]]料理
:その名の通り[[シャンパン]]の名産地であるシャンパーニュ地方は、良質な各種食肉とハムの生産地としても知られている。ロレーヌ地方はパイ風料理の[[キッシュ]]が有名であり、また新鮮な[[ジャム|フルーツジャム]]も特産品としている。アルザス地方は隣接するドイツ・アレマニアの食文化の影響を受けて[[シュークルート|シュークロート]]とビールが人気であり、地元の果物から作ったドイツ風蒸留酒の[[シュナップス]]でも有名である。
;[[プロヴァンス料理]]
:[[プロヴァンス]]地方の料理。[[南イタリア]]料理や[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]料理と同じく[[トマト]]や[[オリーブ・オイル]]、[[オリーブ]]を多く用いる他、[[エルブ・ド・プロヴァンス]]と呼ばれる当地独特のハーブを多く調合したものを用いる。[[地中海]]に面した[[マルセイユ]]などの町では[[ブイヤベース]]などの魚料理も多い。[[カマルグ]]の{{仮リンク|ガルディアンヌ・ド・トロ|fr|Gardianne}}など、ごく一部の地域のみに伝わる伝統料理もある。この他[[アイオリソース]]もプロヴァンス料理の特色の一つである。
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;ブーション
:[[リヨン|リヨン地方]]で誕生した食堂スタイルで、リヨンの伝統的な料理が出される。ソーセージ、鴨肉のパテ、ローストポークなど濃厚な肉料理が中心となる。
;エスタミネ
:[[ノール=パ・ド・カレー地域圏|ノール=パ・ド・カレー地方]]由来の伝統的な飲食店であり、バーとレストランを兼ねたような様式である。顧客層は主にブルーカラーで地域料理がよく注文される。
 
;[[カフェ]]
:コーヒーとアルコール飲料が提供される。街路に面しておりテーブルと椅子が歩道にまでせり出して並べられている。朝早くに開店し夜9時頃には閉店するのが普通である。[[クロックムッシュ]]、[[ムール・フリット|ムールフリット]]、サラダなどの軽食が出される。
117 ⟶ 116行目:
:[[フランスパン]]もまたフランスの食卓を特徴付ける重要な位置を占めている。代表的な[[バゲット]]のほか、「田舎風パン」を意味する[[パン・ド・カンパーニュ]]、[[全粒粉]]を用いた{{仮リンク|パン・コンプレ|fr|Pain complet}}<ref>アルザス地方に多い。</ref>、生[[カキ (貝)|カキ]]などに添えられる[[ライ麦パン]]の一種[[パン・オ・セグル]]<ref>{{lang-fr-short|pain au seigle}}</ref>などが挙げられる。[[パン生地]]にバターや[[牛乳]]を用いる[[クロワッサン]]や[[ブリオッシュ]]などは、[[ヴィエノワズリー]]([[菓子パン]])に分類される。
;*[[ヌーヴェル・キュイジーヌ]](新生料理)について
:[[File:Jacques Lameloise, escabèche d'écrevisses sur gaspacho d'asperge et cresson.jpg|thumb|200px|ヌーヴェル・キュイジーヌの盛り付け]]19601970年代からまった料理スタイルであり、従来のフランス料理が重視する濃厚なソースをほぼ否定して、素材の風味を最大限に引き出すことを目指している。バターとクリームの使用を抑え、加熱時間も極力減らし、スパイスと各種調味料も注意深く用いてる点が特徴である。その斬新さが評価されて70年代を中心に一世を風靡した。担い手分野での著名なシェフとなったのしては、[[ポール・ボキューズ]]、[[トロワグロ兄弟]]、{{仮リンク|ルイ・ウーティエ|en|Louis Outhier}}、[[アラン・サンドランス]]、{{仮リンク|ミッシェル・ゲラール|fr|Michel Guérard}}、[[アラン・シャペル]]たちであったが挙げられる
;* キュイジーヌ・モデルヌ(モダン料理)について
:伝統の対極に位置するヌーヴェル・キュイジーヌの斬新性はしばらくすると飽きを引き起こす事にもなり、801980年代に入ると元の濃厚なソースを重視する古典料理への伝統回帰が支持されるようになった。その中でフランス料理の伝統を踏襲しながら更に現代的な新しい技術をミックスさせるという保守性と前衛性を併せ持った料理スタイルが誕生した。その担い手なったのは、[[ジョエル・ロブション]]、[[ピエール・ガニェール]]、[[アラン・デュカス]]、[[ベルナール・ロワゾー]]、{{仮リンク|ベルナール・パコー|fr|Bernard Pacaud}}といった当時の若手シェフ達であり、った。彼らは古くから伝わるレシピを科学的観点見地から再分析して、より適切な材料配分および加工タイミングの理論を次々に発見に繋げるなどている。また電子レンジなど新しい調理器材も科学的立証を加えた上で有効的に活用しているこれらの調理体系は当世風(モデルヌ)と評論されるようになった。
 
==食事作法==
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* 食べ終わったら、ナイフは刃を内側にして、フォークと共に先を上にして皿に並べておく。
* 食事を終えたらナプキンはたたまず、やや丸めてテーブルの右上におく。
 
==厨房スタッフ一覧==
{| class="wikitable"
|+Brigade de cuisine
!français
!日本語
!説明
|- valign="top"
|{{lang|fr|[[Chef de cuisine]]}}
|総シェフ
|厨房の総責任者
|-
|{{lang|fr|Sous-chef de cuisine}}
|副シェフ
|ヴァカンス重視のフランス式の厨房では補佐というよりも総シェフと副シェフの二人三脚の運営になっていることがままある。
|-
|{{lang|fr|Chef de partie}}
|部門シェフ
|ここから担当責任者になるが、特に指名されずにこの職称のままもある。
|-
|Demi-chef de partie
|部門デミシェフ
|部門シェフの補佐。役割をまかされた際はその係名になる。
|-
|{{lang|fr|Commis}}
|コミ
|一般の調理師
|-
|{{lang|fr|Apprenti(e)}}
|見習い
|
|-
|{{lang|fr|Aboyeur}}
|アボユール
|賓客の応対をしてメニューの説明や客前での仕上げをする。部門シェフや副シェフから
|-
|{{lang|fr|[[Saucier]]}}
|ソーシエ
|ソース作りと主菜の仕上げ担当。名誉な役割とされる。部門シェフから
|-
|{{lang|fr|Rôtisseur}}
|ロティシュール
|肉料理担当。部門シェフから
|-
|{{lang|fr|Grillardin}}
|グリヤーディン
|グリル係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|Friturier}}
|フリチュリエ
|フライ係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|Poissonnier}}
|ポワソニエ
|魚料理担当。部門シェフやデミシェフから
|-
|{{lang|fr|Entremetier}}
|アントルメティエ
|温かい前菜担当。部門シェフから
|-
|{{lang|fr|Potager}}
|ポタジエ
|スープ係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|Legumier}}
|レギュミール
|野菜料理係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|[[Garde manger]]}}
|ガルドマンジェ
|オードブルと冷たい前菜担当。部門シェフから
|-
|Charcuterie
|シャルキュトリエ
|食肉加工品係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|[[Pâtissier]]}}
|パティシエ
|デザート全般担当。部門シェフから
|-
|{{lang|fr|Confiseur}}
|コンフィズール
|スイーツ係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|Glacier}}
|グラシエ
|アイスクリームと冷たいスイーツ係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|Décorateur}}
|デコラテュール
|工芸菓子係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|Boulanger}}
|ブーランジェ
|パン作り。デミシェフやコミから
|-
|{{lang|fr|Tournant}}
|トルナン
|様々な部門で調理する。コミから。板前の追い回しと同義。
|-
|{{lang|fr|Boucher}}
|ブーシェ
|食肉の切り分けと下ごしらえ。コミや見習いから
|-
|{{lang|fr|Communard}}
|コミュナー
|厨房スタッフの賄い料理。コミや見習いから
|-
|{{lang|fr|Plongeur}}
|プロンジュール
|皿洗い。見習いから
|-
|{{lang|fr|Marmiton}}
|マルミトン
|鍋洗い。見習いから
|-
|{{lang|fr|Garçon de cuisine}}
|ギャルソン
|雑用。見習いから
|}
 
==脚注==