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{{Sakujo/本体|2021年4月27日|天明大噴火}}
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[[File:Mount Asama.JPG|thumb|250px|[[浅間山]]]]'''天明大噴火'''(てんめいだいふんか)とは、[[1783年]]5月9日([[天明]]3年4月9日)から始まり<ref>{{Cite web|url=http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:PoQzyKI_B2MJ:www.asamaen.tsumagoi.gunma.jp/eruption/+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=safari|website=webcache.googleusercontent.com|accessdate=2021-04-26|title=天明3年の大噴火}}</ref>、約90日間にわたって続いた[[浅間山]]の[[大噴火]]である<ref>[https://www.sonpo.or.jp/report/publish/bousai/yobou_jihou/pdf/ybja_ez/ybja-ez-150.pdf 天明3年浅間山噴火]</ref><ref>[http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1783_tenmei_asamayama_funka/pdf/1783-tenmei-asamayamaFUNKA_05_chap1.pdf 天明3年浅間山噴火の経過と災害]</ref><ref>{{Cite web|title=歴史的大規模土砂災害地点を歩く - いさぼうネット|url=https://isabou.net/knowhow/colum-rekishi/colum18.asp|website=isabou.net|accessdate=2021-04-26}}</ref><ref>[https://www.sonpo.or.jp/report/publish/bousai/yobou_jihou/pdf/ybja_ez/ybja-ez-168.pdf 1783年天明浅間山大噴火]</ref>。浅間山史上、最も著名な噴火の1つともいわれ<ref>{{Cite web|title=浅間山(あさまやま)とは|url=https://kotobank.jp/word/%E6%B5%85%E9%96%93%E5%B1%B1-25110|website=コトバンク|accessdate=2021-04-26|language=ja|first=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,知恵蔵,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,デジタル大辞泉プラス,世界大百科事典 第2版,知恵蔵mini,日本大百科全書(ニッポニカ),事典・日本の観光資源,事典 日本の地域遺産,精選版|last=日本国語大辞典,世界大百科事典内言及}}</ref>、「天明の浅間焼け」として知られる<ref>{{Cite web|title=天明浅間山噴火(てんめいあさまやまふんか)とは|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E6%98%8E%E6%B5%85%E9%96%93%E5%B1%B1%E5%99%B4%E7%81%AB-156279|website=コトバンク|accessdate=2021-04-26|language=ja|first=ブリタニカ国際大百科事典|last=小項目事典}}</ref><ref>{{Cite web|title=浅間山噴火(あさまやまふんか)とは|url=https://kotobank.jp/word/%E6%B5%85%E9%96%93%E5%B1%B1%E5%99%B4%E7%81%AB-195890|website=コトバンク|accessdate=2021-04-26|language=ja|first=旺文社日本史事典|last=三訂版}}</ref><ref>{{Cite web|title=天明の浅間焼け(てんめいのあさまやけ)とは|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E6%98%8E%E3%81%AE%E6%B5%85%E9%96%93%E7%84%BC%E3%81%91-1374845|website=コトバンク|accessdate=2021-04-26|language=ja|last=世界大百科事典内言及}}</ref>。大規模な[[プリニー式噴火]]であり、[[山体崩壊]]、二次爆発、泥流などが発生。[[噴煙]]は[[成層圏]]にまで達し、[[江戸]]でも降灰があった。[[関東平野]]一帯は、この時の噴火による[[火砕流]]や[[岩屑なだれ]]、[[洪水|大洪水]]などにより、甚大な被害を受けた<ref>{{Cite web|title=浅間山・天明大噴火(天明3年7月7日) | 災害カレンダー|url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/198/|website=Yahoo!天気・災害|accessdate=2021-04-26|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/pdf/saigaishi_kazan.pdf|title=災害史に学ぶ(火山編)|accessdate=令和3年4月26日}}</ref>。被害は、死者1624人、流失家屋1151戸、焼失家屋51戸、倒壊家屋130戸余り。[[天明の飢饉]]の原因の一つとなった<ref>{{Cite web|title=天明の飢饉とは|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E6%98%8E%E3%81%AE%E9%A3%A2%E9%A5%89-102809|website=コトバンク|accessdate=2021-04-27|language=ja|first=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,世界大百科事典 第2版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,旺文社日本史事典|last=三訂版,世界大百科事典内言及}}</ref>。<!--この記事の一部の内容は、気象庁のサイトから転載したもので、文部科学省による政府標準利用規約に基づいているため、著作権などの問題は発生しないことになっています。(参照:https://www.jma.go.jp/jma/kishou/info/coment.html)--><!--この記事の一部の内容は、国土交通省のサイトから転載したもので、文部科学省による政府標準利用規約に基づいているため、著作権などの問題は発生しないことになっています。(参照:https://www.ktr.mlit.go.jp/guide/copyright.html)-->
 
== 概要 ==
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[[File:Onioshidashi Lava flow.jpg|thumb|250px|鬼押出し溶岩流の範囲]]
 
浅間山の噴火により大量の溶岩と[[火山灰]]が噴出。噴火により火山灰は主に東流し、遠くは江戸、銚子にまで達し、特に碓氷峠から倉賀野、新町の間は田畑全て降灰し、その形状すら判別できない状況であったという。各地の被害を合わせると、降灰の重みだけで70軒が潰れ、65軒が大破した<ref name=":1" />。ほぼ関東一円に堆積した火山灰は、農作物の生育にも影響を及ぼし、既に始まっていた天明の大飢饉に拍車をかけ、天明飢饉の進行に決定的役割を持つこととなった。また、大量に堆積した火山灰は、利根川本川に大量の土砂を流出させた天明3年の水害とともに、[[天明の洪水|天明6年の水害]]といった二次、三次被害を引き起こす要因ともなった。溶岩流は北側の吾妻川流域へ火砕流となり山腹を流下した。流下した溶岩は三派に分かれ、一派は東方の分去り茶屋に、もう一派は西方の大笹方面に、残りの一派は他の二派の中央を真直ぐ北流した<ref name=":1" />。流下した溶岩は、大きな火砕流となって山腹を走り、分去り茶屋に向かったものは、小熊沢川と赤川に流れ込み、旧小宿村・常林寺を経て芦生田集落を埋没させた。また、大笹方面に流下したものは、大前で吾妻川に流れ込んだ。そして中央を北流したものは、旧鎌原村を直撃し一村を壊滅させた上で、現在のJR[[吾妻線]]万座・鹿沢口駅東側で吾妻川に流下した。この中央に流下した火砕流が最大のもので、「鎌原火砕流」と呼ばれ、その流下量は1億立方メートルとも推定されている<ref name=":1" />。最後に「鬼押出し溶岩」が北側に流下して、天明の浅間山大噴火は収束に向かったとされている。鎌原村は、[[79年のヴェスヴィオ噴火]]による大火砕流で埋まってしまった[[イタリア]]の古代都市・[[ポンペイ]]のように、火山に埋められてしまった地域となったことから、現在この地域は「日本のポンペイ」あるいは「東洋のポンペイ」などとも呼ばれている。噴火により火山灰は主に東流し、遠くは江戸、銚子にまで達し、特に碓氷峠から倉賀野、新町の間は田畑全て降灰し、その形状すら判別できない状況であったという。各地の被害を合わせると、降灰の重みだけで70軒が潰れ、65軒が大破した<ref name=":1" />。ほぼ関東一円に堆積した火山灰は、農作物の生育にも影響を及ぼし、既に始まっていた天明の大飢饉に拍車をかけ、天明飢饉の進行に決定的役割を持つこととなった。また、大量に堆積した火山灰は、利根川本川に大量の土砂を流出させた天明3年の水害とともに、[[天明の洪水|天明6年の水害]]といった二次、三次被害を引き起こす要因ともなった<ref name=":1" />。
 
浅間山噴火による火砕流の流下により旧鎌原村では一村約100戸が呑まれ、483名が死亡したほか、長野原210名、川島128名、南牧104名など多くの犠牲者を出した。地中の村と化した鎌原村についての史料は少ないが、災害当時の戸数は100戸前後、人口は570人ほどと推測されている<ref name=":1" />。