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一二型(H8K2)の機体に防弾を施し、翼端フロートと後部上方20㎜機銃を引き込み式にして空気抵抗を減らし、飛行性能を向上させることを意図した機体。[[1943年]](昭和18年)[[2月13日]]に領収飛行と性能実験を行ったが、重量は2トン増加していながら基本性能は原型機と全く変わらない上、水上性能も低下しており、2機の試作のみで終わった<ref name="最後の二式大艇215">[[#最後の二式大艇]]215頁</ref>。試作の2機は第八〇一航空隊で実戦任務につき、たびたび[[B-24 (航空機)|B-24リベレーター爆撃機]]と誤認されたという<ref name="最後の二式大艇215"/>。[[1945年]](昭和20年)[[3月]]に2機とも夜間索敵任務にて未帰還となった<ref>[[#日本の飛行艇]]112頁</ref>。
 
=== 輸送仮称晴空三二(H8K2-L) ===
海軍は十三試大艇の開発中から輸送型の改造を計画していた<ref>[[#巨人機列伝]]91頁</ref>。1942年はじめに海軍から川西に試作指示があり、十三試大艇試作1号機を輸送型H8K1-Lに改造、1943年(昭和18年)[[11月30日]]に納入した<ref>[[#最後の二式大艇]]229頁、[[#巨人機列伝]]91頁</ref>。仮称晴空三二型(H8K2-L)として、1943年(昭和18年)に11機、1944年(昭和19年)に24機が完成した。1945年(昭和20年)に二式飛行艇二三型(H8K4)を改造した晴空三三型(H8K4-L)も試作されたが、量産されなかった<ref>[[#最後の二式大艇]]230頁</ref>。二式飛行艇輸送型の総生産機は36機であった。
 
=== 陸上爆撃機型 ===