「ウォーエンブレム」の版間の差分

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商業ベースでの種付けは不可能と判断され、シンジケートは初年度にして解散されることになった<ref name="JRA_koramu_20081123"/>。また本馬には大手保険会社4社の保険が掛けられていたが、うち3社が合意して約16億円の保険金が支払われた。なお残りの1社は、種付けそのものが成功しているとして保険金の支払いを拒否している。
 
2年目となる[[2004年]]には、シンジケート解散後も引き続き[[社台スタリオンステーション]]で種牡馬続行に向けた取り組みが行われた。種付けする場所を変える転地療法として[[釧路]]へ移動し<ref name="JRA_koramu_20081123"/>、好むタイプの牝馬で発情を促してから他の牝馬をあてがうという方法が試みられ、このシーズンは約50頭ほどの牝馬に種付けが出来た<ref name="JRA_koramu_20081123"/><ref group="注">このうち約40頭ほどが受胎し、33頭が最終的に競走登録されている。</ref>。しかし、やがて「好みのタイプではない」牝馬をあてがわれていることに気づいたウォーエンブレムは、交配を拒むようになってきた<ref name="JRA_koramu_20081123"/>。一方でウォーエンブレムの種付け苦戦の理由に現役時代に使用していた薬物による副作用が原因だという声もある。<ref>[http://ikeda45.air-nifty.com/blog/2009/12/post-9ab5.html]</ref>
 
このため、翌[[2005年]]には種付け数9頭<ref name="JRA_koramu_20081123"/><ref group="注">登録数5頭</ref>と激減。[[2006年]]に至っては種付け数が僅か1頭のみ、[[2007年]]は種付けすることが出来なかった<ref name="JRA_koramu_20081123"/>。2006年の1頭は受胎しなかったため、産駒の頭数は2007年産・2008年産は続けてゼロとなってしまった<ref name="JRA_koramu_20081123"/>。