「ヴァヴェル城」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
F.M.H (会話) による ID:84358830 の版を取り消し「他記事からの無断転載部分の除去」との事ですが不可解な削り方が目立ち、ヴァヴァルの竜関連の記述も転載とは判断しにくい為差し戻し致します。 タグ: 取り消し |
参照: 利用者‐会話:RocelliAld#RocelliAld(旧ナムソン)さん他による新規作成及び著作権侵害記事、Special:PermaLink/84370148#「無断転載部分の除去」系統の編集についてのお答え。F.M.Hさんによる2021年7月5日 10:57 (UTC) 版の編集意図を汲んだ上で、文意が通らなくなる要素も共に除去。ヴァヴェルの竜は関連項目に追加。 |
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{{出典の明記|date=2020年6月}}
{{Infobox historic site
| name = ヴァヴェル城
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| governing_body =
| founded =970年
| built_for =[[カジミェシュ3世 (ポーランド王)|カジミェシュ3世]]
| designation1 = WHS
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| website = [http://www.wawel.krakow.pl/en/web]
}}
'''ヴァヴェル城'''(ヴァヴェルじょう、[[ポーランド語]]: {{IPA|ˈvavɛl}}; {{Lang|pl|Zamek Królewski na Wawelu}})は、
==概要==
[[ファイル :CasimirtheGreat.jpg|thumb|180px|左|[[カジミェシュ3世 (ポーランド王)|カジミェシュ3世]]]]
ヴァヴェルの歴史は、すでに中世のポーランドの土地とポーランドの王朝の歴史と深く結びついており、ほとんどの中世とルネサンスのヴァヴェルは中央政府と国会(議会)の座であった。ポーランドとリトアニアの連邦が形成され、成長するにつれて、ヴァヴェルはヨーロッパ最大かつ最も重要な都市の1つになったが、このステータスは、首都が1596年にワルシャワに移転したときにのみ失われた。
[[ファイル:Arras 005.jpg|ヴァヴェル城のタペストリー|thumb|200px|左|「[[ヴァヴェル城のタペストリー]]」の作品の中の一つ]]
カジュミシュ3世が建設を決めた際、この城はまだ「[[宮殿]]」と言えるほどのものではなかったが、クラクフがポーランド王国の首都だったころ、そして、ポーランド王国が存続した約500年以上に渡って修築・改修が行われ続け、現在の豪華絢爛な宮殿に仕上がったのである。
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何世紀にもわたり王の住居であり、ポーランドの国家の象徴であったヴァヴェル城は、現在では美術館として開放されており、国内有数の美術館となっている。1930年に設立された美術館には、ルネサンスの絵画・版画・彫刻コレクションなどを担当する10の学芸部門がある。
また
==ヴァヴェルの竜の伝説==▼
==ギャラリー==
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==関連項目==
*[[ヴァヴェル大聖堂]]
*[[クラクフ]]
*[[ポーランド王国]]
{{Poland-stub}}
{{Architecture-stub}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:うあうえるしよう}}
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