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[[Image:Braid01.jpg|150px|thumb|right|[[三つ編み]]]]
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{{複数の問題
| 出典の明記 = 2016年2月26日 (金) 08:25 (UTC)
| 国際化 = 2021年3月 | 領域 = 日本
}}
[[Image:Portrait of a man of noble birth with a book.jpg|150px|thumb| [[丁髷]]]]
[[Image:male_buzzcut.jpg|150px|thumb|right|[[丸刈り|丸刈]]にされたアメリカ海軍兵学校生徒]]
[[Image:Tochiazuma Daisuke.jpg|150px|thumb|[[相撲]]の力士の髷(まげ)]]
[[Image:Braid01.jpg|150px|thumb|right|[[三つ編み]]]]
'''髪型'''、'''髪形'''(かみがた)とは、[[頭]]から生えている[[髪の毛]]を使って作られたスタイルのこと。
 
==概要==
長くする、同じ長さに揃える、固まりを作る、編むなどの様々な手を加えて作られるが、[[スキンヘッド]]のように毛髪を利用しないスタイルも髪形のバリエーションの一つとして認識されている。
髪型を作るために髪を切り揃えることをヘアカット(散髪)と言うが、整髪する前の基礎作りとして髪を切る場合や、カットだけで髪型を作る場合がある<ref name=" Nipponica">{{Kotobank|ヘアカット|日本大百科全書(ニッポニカ)}}</ref>。
 
[[宗教]]、[[民族]]、所属する集団などによって髪型に[[社会]]的な役割と規制が設けられている場合があり、例えば[[清]]では[[辮髪]]が強制されていた
 
== 古代の髪型の種類文化 ==
[[19世紀]]以降、[[西洋]]諸国の影響が[[アジア]]、[[アフリカ]]等へも広まるにつれて、当時の西洋諸国の髪形が広く普及するようになる。
古代エジプトでは紀元前4000~300年には、鋭く砥いだ燧石やかき殻などによるヘアカットが行われていたが、「善と悪の精は頭髪を伝わって出入りする」という迷信があったため、ヘアカットは悪の精を追い出す宗教的儀式の意味ももち、理容師の仕事も僧侶と薬学者が兼ねていた<ref name="riyo-w1">{{Cite web |url=http://www.riyo.or.jp/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%90%86%E5%AE%B9%E5%B8%AB%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%98%E3%81%BE%E3%82%8A%EF%BD%9E%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AF%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97/ |title=西洋における理容師のはじまり~ルーツはエジプト時代~ |publisher=全国理容生活衛生同業組合連合会 |accessdate=2021-07-12}}</ref>。
 
古代エジプトでは初期から[[かつら (装身具)|ウィッグ]]を使用する文化があり、[[エジプト第18王朝|第18王朝]]や[[エジプト第19王朝|第19王朝]]の貴族は装飾的なウィッグを着けていた<ref name="murakami">{{Cite journal |和書|author=村上憲司 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/senshoshi1960/12/12/12_12_480/_pdf |title=服飾とウイグ |journal=繊維製品消費科学 |volume=12 |issue=12 |pages= 480-485 }}</ref>。古代エジプトでウィッグが使用された理由はよくわかっていないが、剃髪を神聖なものとみる宗教上の理由と、強い太陽光線や虫から頭部を保護する実用的な理由があったと考えられている<ref name="murakami" />。
[[男性]]の髪型は、比較的短く又は長い場合は結髪する等して、活動の邪魔にならないようになされることが多い。他方、[[女性]]の髪は長いことが比較的多い。
 
古代エジプトではウィッグによるヘアスタイルが着用者の社会的地位や富を象徴するものとなり、その習慣は紀元前30年にローマの植民地となるまで続いた<ref name="murakami" />。ウィッグを着けるため男性は髪を剃ったり頭皮に密着するよう髪をクリップするスタイルであった<ref name="murakami" />。また、長子は編んだ髪を左右に垂らす習慣があった<ref name="murakami" />。
== 日本における髪型の変遷 ==
{{節スタブ}}
 
== 欧米の髪型の文化 ==
[[Image:male_buzzcut.jpg|150px|thumb|right|[[丸刈り|丸刈]]にされたアメリカ海軍兵学校生徒]]
ヨーロッパではルイ13世がウィッグを着用するようになってから、貴族階級の男性にウィッグが浸透していったが、カラーウィッグが着用者の社会像を誇示するのに役立ったことも背景にある<ref name="murakami" />。ルイ王朝時代(1661年-1789年)はウィッグを中心とする調髪の全盛期となった<ref name="murakami" />。
 
一方、貴族階級の女性の間では髪を高く結い上げるフォンタンジュ髪型が流行した<ref name="murakami" />。ルイ14世の時代にはア・ラ・フォンタンジュと呼ばれる髪型も現れたが、ルイ15世による親政となった時期には頭部を小さく見せようとするモードが主流となり、プレーンにまとめた髪の上にリボンや造花、小さなレースのキャップやベレー風の被り物を付けるスタイルが見られた<ref name="murakami" />。貴族階級の女性の髪型は一時的にシンプルなものになったが、1760年代になると調髪に芯を用いる大型の髪型が流行した<ref name="murakami" />。
 
== 日本における髪型の変遷文化 ==
{{出典の明記|date=2021年7月|section=1}}
[[Image:Portrait of a man of noble birth with a book.jpg|150px|thumb| [[丁髷]]]]
[[古墳時代]]・[[大和時代]]には、[[総角]]([[角髪|みづら]]、美豆良)と呼ばれる髪型が男性の間で行われた。髪を二つに分け、それぞれを[[耳]]の横で上下に丸める髪型である。古墳時代の女性は[[江戸時代]]の[[島田髷]]に似た髪形だった。[[奈良時代]]の女性は中国風の高髻(こうけい)、双髻(そうけい)を結った。
 
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断髪令の例外として、[[相撲]]の力士の髷(まげ)は認められた(注意点として、断髪令は髪型を自由にして良いとの布告なので、髷を結っていても罰せられるという事はなかった)。
 
明治時代以降、[[女学生]]の髪型として[[三つ編み]]が流行し、<!--[[山脇女子中学校・高等学校]]では2000年前後まで、-->生徒の髪型として三つ編みを指定していた学校は多く、現代でもその伝統を引き継いでいる学校も存在する。
 
伝統的な髷にも洋装にあうものが工夫されるようになり、[[日露戦争]]後に流行した[[203高地#二百三高地髷|二百三高地]]は[[旅順攻囲戦]]での[[203高地]]の激戦をモチーフにしたものである。<!--どんな髪型でしょうか?-->
 
=== 大正時代から昭和 ===
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[[第二次世界大戦]]直前から戦争中には、髪型に大きな規制が掛けられた。[[1939年]]には「パーマネントはやめましょう」とのスローガンによる追放運動が起こり、[[パーマ]]が事実上禁止された<ref>[http://www.po-holdings.co.jp/csr/culture/bunken/muh/15.html 自粛させられたおしゃれ] ポーラ文化研究所 2017年9月22日閲覧</ref>ほか、[[1943年]]2月からは男性に対して一号から三号からなる国民頭髪型が定めれられた。一号は前髪の長さ二寸、二号は前髪の長さ八分ないし一寸、三号は二分刈りまたは丸刈りとなっていた。一号以上の長髪希望者は[[ポマード]]かチックを理髪店に持参することが求められた<ref>富山市役所編 『富山市史』第2巻p1122 1980年 富山市役所</ref>が、既に入手できる環境にはなかった。
 
戦後は、日本においては、少年の髪型は丸刈りと[[坊ちゃん刈り]]のふたつしかなかった(少し遅れて[[スポーツ刈り]]が現れた)。成年男性の髪型には[[七三分け]]と呼ばれる髪型が多く、[[オールバック]]や角刈りなども行われた。1950年代頃から男子青少年の間で、[[GIカット]]や[[リーゼント]]の髪型が流行。[[モッズ]]のファッションを取り入れた世界的アイドル[[ビートルズ]]の影響で[[マッシュルームカット]]が1960年代に世界的に広がった。1960年代後半以降、[[対抗文化]]の広がりのなかで、社会への反抗の表現として無造作に髪を伸ばた男性の[[ロングヘア]]の髪型が現れた。但し、今でこそ[[ロングヘア]]と呼ばれているが、短い髪型が一般的となったのは長い歴史の中でも極近代に限られた事であり、江戸時代以前までは男性でも長い髪が常識であった。(そもそも定期的に短く切るという風潮自体無かった)
 
[[1970年代]]から[[1990年代]]初頭までの[[アイドル]][[流行|ブーム]]により、[[清水健太郎|健太郎カット]]、[[聖子ちゃんカット]]などのパーマとカットを組み合わせた髪型が流行するようになった。また、女性の社会進出に伴い、手入れが楽なソバージュが同時期に流行した。
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ハリウッドでは[[リヴァー・フェニックス]]や[[レオナルド・ディカプリオ]]、[[キアヌ・リーブス]]らトップスターが、いわゆるロン毛([[ロングヘア]])にしていたことで、男性でも長髪にする若者が数多くいた。日本では[[江口洋介]]や、特に[[木村拓哉]]の長髪を後ろで結うスタイルが流行し、時代のアイコンとなった。
 
== 髪毛質分類 ==
2017年、地毛が茶色の生徒に対して黒染めを強要する事件がきっかけとなり、髪型を細かく規定する[[ブラック校則]]が問題視されるようになった。
「前髪を眉の一番下のラインより短く切る」「眉剃りを禁止」など生徒に配慮しない校則を改善するように求める声が全国からあがっている。
 
== 髪型の種類 ==
長さによる大まかな分類としては以下の2つが挙げられる。
 
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* セミショート - 概ね、うなじが隠れる。
* ベリーショート - 概ね、うなじと[[額]]が見える。「ベリショ」と略されることもある。
 
=== [[ロングヘア|長髪]]・結髪(ロングヘア・テールヘア)===
* [[ロングヘア]] - 概ね、[[肩]]より下まである長い髪の事を指す。
* [[セミロング]] - 概ね、うなじが完全に隠れ、肩にかかるくらいまで。
*ベリーロング - 概ね、うなじが完全に完全に隠れ、背中にかかるくらいまで。
 
*ポニーテール - 概ね、馬の尻尾のように結んだ髪型。
*ツインテール - 概ね、二つに結んだ髪型。
*お団子 - 概ね、丸く結んだ髪型。
===その他===
セミショートとセミロングは、合わせて[[ミディアム]]とも呼ばれる場合がある。
 
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なお、「semi」は「半」という意味であるため、セミロングは「半長髪」という意味となる。
 
== 固有の名称をもつ髪型 ==
最近ではボブスタイルと呼ばれる髪型も存在する。
*ポニーテール - 概ね、馬の尻尾のように結んだ髪型。
 
*ツインテール - 概ね、二つに結んだ髪型。
== 髪の毛質 ==
*お団子 - 概ね、丸く結んだ髪型。
=== 髪のクセによる分類===
*ボブスタイル
* 直毛 - クセや波が無い髪。
*[[マッシュルームカット]]
* クセ毛 - クセが有り、波打った髪。クセの強さは個人差がある。
*[[ツーブロック]]
* 混合毛 - 直毛とクセ毛が混じり合った髪。
=== 髪の太さによる分類===
* ネコっ毛 - [[猫]]の体毛のような細い毛。
* 剛毛 - 太い髪の毛。
 
== 脚注 ==
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{{Normdaten}}
 
{{Fashion-stub}}
{{DEFAULTSORT:かみかた}}
[[Category:髪型|*かみかた]]