「雪風 (駆逐艦)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m →関連項目 |
|||
234行目:
[[1947年]] [[7月1日]]、雪風は中華民国向けの賠償艦艇の第一陣7隻(楓、初梅、四阪、海防艦194号、海防艦67号、海防艦215号)と共に佐世保を出発し、[[7月3日]]、[[上海]]に到着。[[7月6日]]、上海の高昌廟で賠償艦艇の移行式が行われ、雪風ら8隻の艦艇は[[中華民国]]に引き渡された。旧日本艦艇には「接一号」から「接八号」と言う仮の艦名が与えられ、雪風は「接一号」と名付けられている<ref>[[#真実の艦艇史]]98-99頁</ref>。艦体、機関は勿論、兵器ではない煙草盆に至るまで整備が行き届いており「これが敗戦国の軍艦か」と中国将校を驚かせた<ref>[[#不沈艦生涯(新版)]]171頁</ref>。日本側乗組員は一人ずつ菓子と煙草を土産に貰って帰国した<ref>[[#雪風手記]]584頁</ref>。
[[1948年]][[5月1日]]付で正式に'''丹陽'''('''タンヤン'''DD-12)の艦名を与えられ
この間、中華民国海軍は1949年の第二艦隊反乱事件などにより海軍艦艇の共産党軍への寝返りが相次ぎ、旗艦の[[オーロラ (軽巡洋艦・2代)|重慶]]や恵安、長治(旧[[宇治 (砲艦・2代)|宇治]])をはじめとする多数の艦艇を失うなどの大損害を受けた。1953年の時点で実働状態にあったのは陽字号駆逐艦駆逐艦2隻(丹陽、信陽)、[[:zh:太字號驅逐艦|太字号駆逐艦]]6隻(エヴァーツ級護衛駆逐艦及びキャノン級護衛駆逐艦)、軽巡洋艦一隻([[逸仙]])、[[:zh:安字級巡防舰|安字級巡防艦]]多数(御蔵型海防艦屋代、択捉型海防艦対馬、丙型海防艦、丁型海防艦、元カナダ海軍の英国製[[キャッスル級コルベット]])、その他に砲艦咸寧(旧[[興津 (砲艦)|興津]])やLST揚陸艦、駆潜艇多数など。この他に日本から引き渡された賠償艦には当時の中華民国海軍艦艇としては最大の汾陽(旧[[宵月 (駆逐艦)|宵月]])などがあったが状態が悪かったため係留練習艦として利用された。
|