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{{統合文字|餅}}
[[ファイル:Akafuku-mochi 001.jpg|thumb|赤福餅]]
'''赤福餅'''(あかふくもち)は、[[三重県]][[伊勢市]]の[[和菓子]]屋'''赤福'''の[[和菓子]]商品である。餅菓子であり、いわゆる[[あんころ餅]]の一種。餅を[[餡|漉し餡]]でくるんだもので、漉し餡には3つの筋がき、[[五十鈴川]]の川の流れを表しているとされる。餅は傾けて持ち帰ると崩れることがあるほど非常にやわらかい{{要出典|date=2015年11月}}。
 
「ええじゃないか」のテレビCMと「赤太郎」というキャラクターで知られる。[[中京圏|中京]]・[[近畿地方|近畿]]圏の[[JR]]線主要駅や[[近畿日本鉄道|近鉄]]沿線の[[特急]]停車駅、[[サービスエリア]]、[[百貨店]]、[[空港]][[売店]]など広範囲に発売されている(遠くは[[岡山県]]でも販売された)。この販売エリアは伊勢神宮の信仰が特に強い地域とほぼ等しいという説もある{{要出典|date=2013年10月}}。基本的に直営店と在庫を管理する営業所の近辺に限られる{{要出典|date=2015年11月}}。
 
伊勢神宮内宮前の[[おかげ横丁]]には茶店風の本店がある<ref name=ぜんざい>{{cite web|url=https://travel-star.jp/posts/24975?page=3 |title=「赤福ぜんざい」は三重県伊勢の名物!販売期間や店舗・値段は?|webcite=travel-star|accessdate=2021-6-5|date=2020-3-28}}</ref>。例年夏場には「赤福氷」という抹茶氷に赤福餅を入れたものが供される<ref>{{cite web|url= https://travel-star.jp/posts/7640?page=4|title= 『赤福氷』は夏の三重名物!販売期間と値段・大阪や名古屋など店舗を調査!|webcite=travel-star|accessdate=2021-6-5|date=2020-1}}</ref>。冬場には赤福の餅と餡を使った「[[汁粉|ぜんざい]]」が供される{{r|ぜんざい}}。この「赤福氷」と「赤福ぜんざい」は、本店のほかに、伊勢志摩地区・名古屋地区・大阪地区の一部の直営店でも季節限定品として供されている{{r|ぜんざい}}。
 
== 来歴 ==
赤福経営者である濱田氏は、濱田ます(8代当主・種三の妻、企業としての赤福初代社長)の口述によると、先祖は[[応永]]年間([[1394年]] - [[1427年]])に[[宇治_(伊勢市)|宇治]]に移住してた。それ以前のことは不明である<ref>{{Cite |和書|author=濱田ます |title=赤福のこと |page=37}}</ref>。
 
赤福の正確な創業年は不明だが、[[江戸時代]]初期には皇大神宮([[伊勢神宮]]内宮)前、[[五十鈴川]]のほとりですでに「赤福」の屋号を持つ餅屋を営んでいたといわれる。[[1707年]]([[宝永]]4年)執筆、[[1708年]](宝永5年)刊行の市中軒の[[浮世草子]]『美景蒔絵松』に、伊勢[[古市_(伊勢市)|古市]]の女が「(恋仲になった男が)赤福とやら青福とやら云ふあたゝかな餅屋に聟に入りを見向きもしなくなってしまい、その裏切りがくやしうて泣いております」と嘆いたという話があり、これが「赤福」の屋号の初出である。そのため、現在は1707年を赤福の創業年としている<ref>{{Cite |和書|author=濱田ます |title=赤福のこと |pages=37-38}}</ref>。
 
また、薗田守理『秘木草紙』によると、古老の話として、昔の赤福はささやかな店で、今の濱田氏と血縁のない浜田という老女が経営していたという<ref>[http://iselib.city.ise.mie.jp/images/furusato/2017nendo/17-5.pdf -菓子礼讃-伊勢の和菓子] - 『図書館だより』2017年5月号増刊 [[伊勢市立図書館]]</ref>。
 
「'''赤福'''」の名は[[1895年]]([[明治]]28年)の『神都名勝誌』では、餡を入れた餅を[[大福]]と呼ぶ対比として、赤い餡をつけた餅であるから赤福と称したと推察している。[[1929年]]([[昭和]]4年)の『宇治山田市史』ではこの説を採用し、その他の説はこじつけであるとしている<ref>『宇治山田市史 上巻 第六庶業篇 第四節名産 赤福餅』(宇治山田市役所編、昭和4年1月20日発行、昭和63年復刻、国書刊行会発行、p.623)</ref>が、赤福のホームページではまごころ('''赤心''')をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来できる('''慶福''')という意味の「'''赤心慶福'''」(せきしんけいふく)に由来するとしている。言い伝えによると、京都から来たお茶の宗匠があんころ餅を「赤心慶福」と讃え、創業者の治兵衛がそれを聞き屋号と製品名に採用したという<ref>[https://www.akafuku.co.jp/contact/qa/ よくあるご質問と回答|伊勢名物 赤福] - 赤福</ref>。名前の「赤」にちなんで包装も商品名のロゴも赤いが菓子自体の色は厳密には小豆色であり赤ではない<ref>実際の色にかかわらず、「赤あん」は小豆あんの別名として使われている。赤インゲンなどのあんを指すこともある。[[餡#餡の分類]]参照。</ref>。
 
[[ファイル:Akafuku-Mochi3.JPG|thumb|赤福もち製造風景。現在は、手作りは本店での喫食分などに限られる。]]
当初は、[[砂糖]]を使っておらず、[[塩]]味の餡であった。[[1727年]]、[[江戸幕府]]の8代[[征夷大将軍|将軍]]、[[徳川吉宗]]が砂糖の原料となる[[サトウキビ]]の栽培を奨励し、砂糖の生産高が増えたことから、赤福も次第に[[黒砂糖]]餡を使うようになった。[[1911年]]([[明治]]44年)、[[昭憲皇太后]]([[明治天皇]]の[[皇后]])が神宮参拝の折、赤福餅をご注文された。赤福は、甘みと灰汁の強い黒砂糖餡では、「皇后[[陛下]]のお口に合わないのではないか」と案じ、[[上白糖|白砂糖]]餡の特製品を献上した結果、無事好評を博したという。この結果、一般販売にも白砂糖餡を使うようになり、現行の赤福餅が完成した。赤福では、昭憲皇太后のご注文を受けた[[5月19日]]を「ほまれの日」と定め、包装紙にも「ほまれの赤福」と称するようになった<ref>[http://www.akafuku.co.jp/akafukuknows/pop_up/pop_up01.html 「ほまれの赤福」誕生] - 赤福</ref>。しばらくの間は、黒砂糖餡を「赤福」、白砂糖餡を「ほまれの赤福」として販売していたが、その後、後者に統一された。なお[[#消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件|消費期限および製造日、原材料表示偽装事件]](製造後冷凍していたものを、随時解凍した際の日付で製造日を改竄していた)発覚後、営業再開した新パッケージでは、「ほまれの」という文字は削除された{{要出典|date=2015年11月}}。なお現在、パッケージの包み紙には「ほまれ」の文字が記載されている
しばらくの間は、黒砂糖餡を「赤福」、白砂糖餡を「ほまれの赤福」として販売していたが、その後後者に統一された。なお[[#消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件|消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件]](製造後冷凍していたものを、随時解凍した際の日付で製造日を改竄していた)発覚後、営業再開した新パッケージでは、「ほまれの」と言う文字は削除された{{要出典|date=2015年11月}}。なお現在、パッケージの包み紙には「ほまれ」の文字が記載されている。
 
本店での店頭では、手作りの実演販売がされているが、現在は手作り品はその場で提供する分など一部に限られる。包装品は原則として[[工場]]生産である。工場は1977年(昭和52年)より、本店そばから伊勢市朝熊町に移転した。さらに、朝熊町の工場は操業能力や[[津波]]対策に問題があるとして、2019年度([[令和]]元年度)には伊勢市神薗町の神薗工業団地への再移転工事が始まる予定である<ref>[https://www.sankei.com/region/news/160128/rgn1601280053-n1.html 2016.1.28 07:10更新 赤福、神薗工業団地に新製造拠点 工場や倉庫集約、31年稼働目指す 三重] - 『[[産経新聞]]』</ref><ref>[https://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/190507300043.html 赤福 伊勢市神薗町に本社工場移転 2019/5/7 中部] - 『[[建通新聞]]』</ref>。
 
赤福は、「赤福」「ほまれの赤福」を併売していた時期などを別にすると、原則として通年販売は1種類のみだった。[[2018年]][[7月15日]]、前年の[[全国菓子大博覧会]]で好評だった「白」、かつて販売していた黒砂糖餡の「黒」、そして新製品として[[オオムギ|大麦]]若葉で色をけた(冬期は[[ヨモギ]]を使用)「緑」を追加し、従来の「赤」とあわせて4種類の赤福をセットにした「いすず 野あそび餅」を販売開始した<ref>[https://opi-rina.chunichi.co.jp/topic/20180628-2.html 赤福が新商品発売] - 『中日新聞』</ref>。[[2019年]][[5月20日]]からは、[[とうもろこし]]で色をけた「黄」を発売予定である<ref>[https://www.akafuku.co.jp/product/noasobi/ 土産「いすず野あそび餅」] - 赤福</ref>。「いすず 野あそび餅」は、五十鈴川店のみ販売となる。
 
== 歴代社長 ==
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商品包装紙の上面には[[伊勢神宮]]の神殿と[[宇治橋 (伊勢市)|内宮前の宇治橋]]が、底側には赤福にちなんだ[[俳句]]が記されている。[[正岡子規|子規]]と[[高浜虚子|虚子]]の句と包装にあるが、正岡子規については出典不明であるという<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASK8S777MK8SPFIB00M.html 赤福の俳句、子規じゃない? 店は困惑「誰か情報を」] - 藤家秀一 『[[朝日新聞]]』</ref>。また箱の中には、「伊勢だより」というその日にちなんだ文章と絵の入った紙片が入っており、500種類ほどある{{要出典|date=2015年11月}}。
 
[[保存料]]を使わない[[生菓子]]であり、本来の[[消費期限]]は夏期は製造年月日を含め2日間、冬期は3日間である。創業300年となった[[2007年]]に、冷凍保存していた製品を、解凍日を製造年月日として出荷していたこと、さらに売れ残り商品の再利用をしていたことが明るみに出た。三重県が10月19日より「赤福」を無期限の営業禁止処分としたことで(2008年1月30日に解除)、経営問題に発展した。このことについては、後掲[[#消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件|消費期限および製造日、原材料表示偽装事件]]を参照。
 
2008年度は、2月6日の販売再開時から5月16日までの間と、同年10月11日から翌年2009年5月17日までが冬季用の消費期限設定に、2008年5月17日より10月10日までの間は、夏季用の消費期限が設定された。また折箱や銘々箱の帯封は、冬季用が臙脂色、夏季用が水色となっている。原材料表記も「砂糖・小豆(北海道産)・餅米(国産)」と書かれていることは共通であるが、冬季用は「糖類加工品(大豆を含む)」を使用している旨が追記されているのに対し、夏季用は表記の原材料のみの使用のため、追記は除外されている。
 
なお2008年2月6日の営業再開時から3月末までは前述の「伊勢だより」に替えて、不祥事のお詫びと営業再開についての挨拶文が入れられていたが、4月1日より「伊勢だより」が再び入れられるようになった。またこの「伊勢だより」には社長名も入れられていたが、不祥事後の営業が再開されてからは社長名は入れられていない。また2008年5月17日より、包装紙に記載される製造年月日(「謹製」と表示)と消費期限の年月日の表示も、これまでの西暦表示から、元号表示に変更された。
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== コマーシャル ==
長年、赤太郎という侍をイメージしたマンガのキャラクターがCMに登場し「伊勢の名物・赤福餅はええじゃないか」のCMソング(作曲:[[宮崎尚志]]・歌:[[藤田まこと]]、[[成田賢]]ほか)とともに人気を博した。また、このCMソングを[[オフヴォーカル]]で使った企業イメージCMも、名古屋・大阪地区を中心に放映された(「赤福伊勢だより」シリーズなど)。
 
赤太郎のキャラは、三重県の県域新聞社・[[伊勢新聞]](朝刊専売)の1面題字下に赤福提供で連日掲載していた「まんが天気予報」にも登場した(これは三重県を北中部、南部、伊賀の3地域に分けて天気予報を掲載し、それに関連した赤太郎のイラストを掲載していたというもの)。ほかに[[週刊文春]]、[[週刊新潮]]に広告を掲載。また、伊勢市・[[鳥羽市]]・[[志摩市]]周辺の国道沿いや近鉄の駅には赤福の広告看板が多数設置されている{{要出典|date=2015年11月}}。
 
赤太郎の生年月日はテレビCMを開始した[[1963年|昭和38年]][[5月19日]]生まれとしている。性格:明朗、情け深い、ドジ。
 
なお、[[#消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件|後述する消費期限および製造日、原材料表示偽装事件]]のため、一時期、これらのCM・広告掲載は自粛した(伊勢新聞の天気予報記事も中止)。
 
== 朔日餅(ついたちもち) ==
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[[1月]]を除く毎月1日にその月にちなんで発売される餅。
 
朔日参り([[朔]]とは[[太陰太陽暦]]こと[[和暦]]の[[旧暦]]における[[新月]]である月の第一日目のこと)の参拝客へのもてなしに[[1978年]]に発売開始した<ref>[https://www.akafuku.co.jp/ise/history/伊勢名物赤福 赤福の歴史]昭和53年朔日餅を発売する</ref>。開始当時は、店で食べるのみであったが、のちに持ち帰り用が発売されるようになり、現在では、本店および[[四日市市]]・[[名古屋市]]・[[大阪市]]・[[神戸市]]にある百貨店内の直営店で予約販売をするようになった{{要出典|date=2015年11月}}。なお、2020年は[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の流行 ]]により5月から7月まで販売を休止したが8月より再開した<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/310f96f7353e074124fbad0a3d58b1eda13490f9 伊勢名物で知られる「赤福」の「朔日餅」販売再開 三重・伊勢市]‐中京テレビ(2020年8月1日)</ref>
尚、2020年は[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の流行 ]]により5月から7月まで販売を休止したが8月より再開した。
<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/310f96f7353e074124fbad0a3d58b1eda13490f9 伊勢名物で知られる「赤福」の「朔日餅」販売再開 三重・伊勢市]‐中京テレビ(2020年8月1日)</ref>
 
== おかげ横丁 ==
{{main|[[おかげ横丁]]}}
「赤福」が約300年間変わらず商いを続けてこられたのもお伊勢さんのおかげとの感謝の気持ちを込めて立ち上げた、現代の鳥居前町。伊勢の代表的な建築様式を取り入れた町並みに、四十あまりの伊勢名物の店舗が軒を並べており、おみやげ購入やつまみ食いを楽しめる無料のミニテーマパーク(一部有料の資料館あり)となっている{{要出典|date=2015年11月}}。
 
== 企業としての赤福 ==
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社 赤福
| 英文社名 = AKAFUKU Co., Ltd.
| ロゴ =
| 画像 = [[File:Akafuku1.JPG|280px]]
| 画像説明 = 赤福 本店<br/>(2014年3月8日撮影)
| 種類 = 株式会社
| 市場情報 =
| 略称 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 516-0025
| 本社所在地 = [[三重県]][[伊勢市]][[宇治中之切町]]26番地
| 本社緯度度 = 34
| 本社緯度分 = 27
| 本社緯度秒 = 45.5
| 本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 136
| 本社経度分 = 43
| 本社経度秒 = 24.0
| 本社E(東経)及びW(西経) = E
| 本社地図国コード = JP-24
| 本店郵便番号 = 516-0025
| 本店所在地 = 三重県伊勢市宇治中之切町30番地
| 本店緯度度 = 34
| 本店緯度分 = 27
| 本店緯度秒 = 45.5
| 本店N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本店経度度 = 136
| 本店経度分 = 43
| 本店経度秒 = 25.0
| 本店E(東経)及びW(西経) = E
| 本店地図国コード = JP-24
| 設立 = [[1954年]]
| 業種 = 3050
| 事業内容 = 和菓子の製造・販売
| 代表者 =
| 資本金 = 7,700万円
| 発行済株式総数 =
| 売上高 = 約92億円(2013年9月期)
| 営業利益 =
| 経常利益 =
| 純利益 = 9億78977,89780008,000円(2019年09月30日時点)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/d131f/139131 株式会社赤福 第66期決算公告]</ref>
| 純資産 =
| 総資産 = 349億029329380008,000円(2019年09月30日時点)<ref name="fy" />
| 従業員数 = 529名(平成28年10月1日現在)
| 決算期 =
| 主要株主 = 株式会社濱田総業、[[濱田益嗣]]、濱田典保
| 主要子会社 = 株式会社伊勢福、株式会社伊勢禄、株式会社濱田カンパニー、有限会社もめんや藍、伊勢ガードシステム有限会社
| 関係する人物 = 濱田益嗣
| 外部リンク = https://www.akafuku.co.jp
| 特記事項 =
}}
 
[[社長]]は12代目(企業化4代目)の[[濱田勝子]](はまだ まさるこ。株式会社初代社長<ref>当主の代数には数えていない。</ref>・濱田ますの孫<!--ますの夫で8代目の[[濱田種三]]の妹の子を養子に取った(9代目の裕康)というブログがあるが、他に裏付けが無いためコメントアウト。意味のある出典が見つかれば追加の上「養孫」に変更-->である益嗣の妻。前社長・[[濱田典保]]の母)。[[2014年]][[4月23日]]より現職。[[非上場]]企業であり、赤福の発行済み株式は濱田一族が大株主の濱田総業が84%を保有。残りは益嗣と典保が二分している<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ24010_U4A420C1EB2000/ 老舗和菓子「赤福」、突然の社長交代 後継は母] - 『日本経済新聞』 2014/4/24</ref><ref>[http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014042490170638.html 赤福社長を解任、後継に母 元社長の父と対立 2014年4月24日 17時06分] - 『[[中日新聞]]』</ref>。
 
企業としても、伊勢市における影響力は近鉄グループと並んで大きく、10代目・2代社長で前[[会長]]の[[濱田益嗣]]は伊勢[[商工会議所]][[会頭]]を兼ねていた(消費期限偽装問題の責任を取って会長は[[2007年]][[10月31日]]付で、会頭は同じく[[10月18日]]付で辞職)。その際、2007年5月にJR東海の[[参宮線]]を2013年の式年遷宮前に廃線にし伊勢市駅構内の車両基地を駐車場にする意向を発言して、物議を醸したこともあった。伝統企業の国際組織である[[エノキアン協会]]会員企業(ほかには清酒大手の[[月桂冠 (企業)|月桂冠]]などが加盟している)。
 
[[2013年]][[2月28日]]には、新設の[[サッカーのフィールド|サッカー場]]「伊勢フットボールヴィレッジ」のピッチ2面とクラブハウスなどを伊勢市へ寄贈した。総事業費15億円中、13億円を赤福が負担している。[[2007年]]の当初計画では7面のピッチを計画していたが、次項の[[#消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件|#消費期限および製造日、原材料表示偽装事件]]により計画を中断。5面に縮小した上で、2011年より工事を再開して完成させた<ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20130301/CK2013030102000014.html 【三重】 伊勢に赤福寄贈のサッカー場完成 2013年3月1日] - 『中日新聞』 中平雄大</ref>。『日本経済新聞』によると、サッカー場への出資は典保が主導で行った<ref name="crack">[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK08048_Y4A500C1000000/ ひび割れた「赤福」 和菓子老舗の仰天人事 2014/5/9 7:00] - 『日本経済新聞』 [[岡本憲明]] 全文閲覧は会員登録が必要</ref>。
 
11代目・3代社長の濱田典保(益嗣の子)は2005年10月就任し、益嗣の辞職後は代表権を持ち名実ともに経営の実権を握った。このとき、外部から会長として[[玉井英二]]を迎えている。しかし[[2014年]][[4月23日]]、赤福は臨時[[株主総会]]で典保を退任させ、益嗣の妻である勝子を後任社長に選任した。またこのとき、平取締役として赤福に留まっていた玉井も退任した<ref name="noriyasutainin">[http://www.akafuku.co.jp/newrelease/20140424_01.pdf 代表取締役の異動及び 取締役の異動に関するお知らせ] - 赤福 代表取締役社母兼社長 濱田勝子</ref><ref>会長退任年月は未詳。</ref>。『毎日新聞』によると、関係者の話として、典保は「家業から企業へ」を掲げて近代的な企業経営への転換を図り、2008年に64億円だった売上高を2013年には92億円に押し上げたが、そこで従来の「家業型」経営を重視する益嗣と対立し、典保の実質的な解任劇に及んだという。典保は代表権のない会長に棚上げされた<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20140424k0000m040132000c.html 赤福:社長、突然の解任 父と対立、後継は母 毎日新聞 2014年04月24日 07時30分(最終更新 04月24日 09時00分)] - 『毎日新聞』 [[谷口拓未]]</ref>。赤福は社長交代について、4月23日付で「経営体制変更のため」と発表した<ref name="noriyasutainin" />。公式サイトでは、代表者・勝子は「代表取締役'''社母'''兼社長」という肩書で表示されている。
 
[[2017年]]開催の第27回[[全国菓子大博覧会]]・三重(お伊勢さん菓子博2017)では、濱田典保が実行委員長を務めた。赤福は、白小豆を使用した白い赤福とセットの「祝盆」などを限定品として販売した。典保によると、当初は[[津市]]での開催予定だったが、伊勢市への誘致に成功した。また、前回の第26回菓子博は伊勢市開催が内定していたが、赤福の偽装事件などの影響で開催できなくなり、[[広島市]]での開催に代わった経緯があったという<ref>[http://www.asahi.com/area/mie/articles/MTW20171220251820001.html 2017年12月20日 回顧2017 (1)お伊勢さん菓子博] - 『[[朝日新聞]]』三重県版 荻野好弘</ref>。
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同年[[11月24日]]付で、濱田益嗣が代表取締役会長に復帰した。関係者によると、同日の[[株主総会]]で、赤福の[[持株会社]]である濱田総業(濱田益嗣会長)より、益嗣の役員選任が提案され、承認された。勝子も引き続き代表権を持ち続ける。前会長の典保は顧問となった<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASKD75DKCKD7OIPE027.html 伊勢の赤福、「カリスマ」が会長復帰 10年ぶり表舞台 2017年12月8日03時06分] - 『朝日新聞』 荻野好弘</ref>。
 
関連企業である酒造メーカーの伊勢萬が濱田益嗣の指示で長年にわたり、[[山口組]]系の[[指定暴力団#暴力団|指定暴力団]]に対して代紋入り焼酎を製造・販売していたことが発覚し、濱田益嗣が2020年1月16日付で代表取締役会長を再度退任していたことが[[テレビ東京]]などによる取材で判明した<ref>[https://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/newsl/post_196858 独自 老舗和菓子メーカーで再び不祥事 「赤福」会長が電撃退任],テレビ東京ワールドビジネスサテライト,2020年2月18日</ref><ref>[https://www.fnn.jp/posts/10165THK “暴力団の代紋”入り焼酎を製造・販売…伊勢の『赤福』会長が退任 本数や納品日を会長自ら指示 引責か],FNN.jpプライムオンライン,2020年2月19日</ref>。その余波を受け、全国各地の物産展での販売中止が相次いでいる。さらに2020年2月27日のテレビ東京の報道にて、2012年12月時点で外部の弁護士から暴力団との取引について問題点を指摘されていたにもかかわらず、7年以上にわたって隠蔽していた事実が明らかとなった
さらに2020年2月27日のテレビ東京の報道にて、2012年12月時点で外部の弁護士から暴力団との取引について問題点を指摘されていたにもかかわらず、7年以上にわたって隠蔽していた事実が明らかとなった。
 
毎年正月早朝に東海テレビ制作・フジ系全国ネットで放送される「伊勢神宮[[雅楽]]」では、東海テレビのみ赤福1社提供となっている。
 
== 不祥事 ==
=== 消費期限および製造日、原材料表示偽装事件 ===
{{wikinewshas|赤福|
*[[n:赤福餅でも表示偽装疑惑|赤福餅でも表示偽装疑惑]]
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==== 経緯 ====
[[2007年]][[10月12日]]、食品の品質表示などを定めた[[農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律]]([[日本農林規格|JAS]]法)違反容疑で[[農林水産省]]および伊勢[[保健所]]の立ち入り調査を受けていることがわかった。関係者によれば、夏場に製造日と消費期限を偽ったことがあると伊勢保健所に情報が入り、その結果[[9月19日]]より農水省と伊勢保健所が任意調査を行ったという。
 
農水省<ref>[http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/kansa/071012.html 平成19年10月12日 農林水産省 株式会社赤福が販売した商品(商品名「赤福餅」)における不適正表示に対する措置について]</ref>によると、赤福は出荷の際余った餅を冷凍保存して、解凍した時点を製造年月日に偽装して出荷していた。赤福は、解凍しての再包装を「まき直し」と称していた。
 
偽装は、未出荷のものもあれば、配送車に積んだまま持ち帰ったものもあった。さらには回収した赤福餅を、餅と餡に分けて、それぞれ「むき餅」「むき餡」と称して、自社内での材料に再利用させたり、関連会社へ原料として販売していた事実も発覚した。
 
偽装品の出荷量は、平成16年([[2004年]])9月1日から平成19年([[2007年]])8月31日までの間に、6,054605万4,459箱(総出荷量の約18%)に上り、これ以外の期間にも日常的に出荷していた。10月18日23時赤福側が緊急会見を発表し、売れ残った商品を製造日を偽装再出荷したことを認めた<ref>中日新聞 2007年10月18日付</ref>。
 
これは[[食品衛生法]]違反行為であり、農林水産省は本社工場などを強制調査する方針。これを受けて三重県は行政処分として19日より無期限営業禁止処分方針を決めた。また、原材料表示では、使用した重量順に「砂糖、小豆、もち米」と表示すべきところを、「小豆、もち米、砂糖」と表示していた。ただし、赤福のまき直し行為は十数年前から地元保健所が把握していており、JAS法担当部署に連絡しなかった不作為行為が発覚した。行政責任も問われている<ref>中日新聞 2007年10月14日付</ref>。
 
この問題が発覚後、三重県内や[[名古屋市]]、[[大阪市]]など[[東海3県|東海]]・[[近畿地方|近畿]]の[[鉄道駅|駅]]売店、[[百貨店]]などでは赤福餅の販売を自粛し、伊勢市の赤福本店は臨時休業となった<ref>伊勢名物「赤福餅」、製造年月日を偽装表示の疑い Yomiuri Online [[読売新聞]] 2007年10月12日</ref>。また、[[時事通信社|時事通信]]によれば、製造日偽装は34年前から行っていた<ref>赤福、34年前から製造日偽装=最大14日改ざん-農水省が是正指示 時事通信社 2007年10月12日</ref>。さらに『[[日本経済新聞]]』は、少なくとも40年前([[1967年]]ごろ)から偽装を始めていたと報じた<ref>[http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt217/20071023AS3D2300823102007.html 赤福改ざん、40年前から――「まき直し」「先付け」など] 『日本経済新聞』、2007年10月23日</ref>。
 
10月31日付で濱田益嗣が会長職を辞任したあと、[[12月14日]]に玉井英二を新会長とするなどの新人事を発表した。しかし、濱田典保は社長を留任した(ただしそれ以外の濱田一族は取締役を退任)。加えて前会長の益嗣は、いくつかの会合で「新会長は飾りもので、23年もすれば、自分が会長に復帰する。自由の身のいまの間に、関連会社をばんばん作る」と発言したという<ref>"偽装" 偽装の再建?  ― 赤福の営業再開問題 『伊勢新聞』</ref>。その後の典保退任などについては[[#企業としての赤福]]を参照。
 
また、赤福は[[11月12日]]にJAS法を根拠とした東海農政局の指示に従って、改善報告書を提出した。『中日新聞』は報告書の開示を求めたが、東海農政局は目次などを除き大部分を塗り潰して公開し、また添付資料の公開には応じなかった。東海農政局は、「赤福の競争上の地位や利益を害する恐れがある」「公にすることが前提となれば、(企業が記述する)報告書の内容が不十分になる恐れがある」などの理由を挙げた<ref>「競争上、赤福の利益に害」 農政局が黒塗り“公開” 『中日新聞』 2007年12月21日</ref>。
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赤福本体ではその間に、冷凍設備の撤去や、老朽化した設備の改修などを進めた。製造ラインには新たに、製品の再包装・再出荷と言った不正行為を防止するために、製造年月日(「謹製」と表示)を包装紙だけでなく、折箱の側面にも印刷する印字装置も設置された。
 
三重県に1月中に完了の報告がなかったため、営業再開は2月の見込みとなった<ref>営業禁止解除は2月に 赤福、改修完了未報告で  『中日新聞』、2008年1月22日</ref>。偽装発覚前、赤福餅は直営21店、委託(駅、サービスエリア、土産物店など)307店で販売されていたが、営業再開後は当面、直営21店のみでの販売を予定していることも明らかになった<ref>赤福再開、21店に限定方針 当面、本店と直営のみ  『中日新聞』、2008年1月24日</ref>。
偽装発覚前、赤福餅は直営21店、委託(駅、サービスエリア、土産物店など)307店で販売されていたが、営業再開後は当面、直営21店のみでの販売を予定していることも明らかになった<ref>赤福再開、21店に限定方針 当面、本店と直営のみ  『中日新聞』、2008年1月24日</ref>。
 
1月25日、改善作業の終了を伊勢保健所に報告。1月28日より、伊勢保健所は営業解禁に向けた最終確認のため立ち入り検査を行った<ref>赤福本社工場、保健所が立ち入り検査 改修工事完了で  『朝日新聞』、2008年1月28日</ref>。<br />
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2009年は委託販売店が、2月と3月に各1店ずつ、4月に2店が新たに販売を開始したことにより、同時点で直営20店・委託233店の計253店にて販売されている。濱田典保社長によると、[[2009年]]2月の段階で、一昨年(の偽装発覚以前)に比べ、7割程度まで売上が回復したが、製造の3%は売れ残りとして廃棄処分となっているという<ref>『朝日新聞』三重県版 「[http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000150902060001 【とことんインタビュー】 赤福社長 浜田典保さん(46) 2009年02月06日]」</ref>。
 
なお、その他の店舗での販売の再開、ならびに百貨店などでの特別販売については、「取引先の要請があれば<ref>赤福、6日に営業再開 本店など伊勢の直営3店で 『中日新聞』、2008年2月1日</ref>」準備をすすめ次第、逐次再開するとしている。そんな中で久々の特別販売として、2008年10月15日から24日までの間、[[三越]]日本橋本店の催事場にて特別販売が行われた。
 
また地方配送については、2008年10月8日より、伊勢志摩地区の直営店(本店・内宮前支店・五十鈴川店・二見支店・鳥羽支店・伊勢市駅売店・宇治山田駅売店)と宅配係の直通電話にて、10月11日発送(12日到着)分以降の受付を再開した。また2009年3月6日より、赤福のホームページにて宅配の受付(3月7日発送(8日到着)分より)も行われた。ただし、発送ができるのは12個入りの中折箱のみであった。なお、2008年度の宅配の受付は、2009年5月15日受付(5月16日発送(17日到着))分で終了した。保存の問題上、6月から9月まで夏季の間、地方配送は行われていないので注意が必要である(2009年度以降も、10月から翌年5月までの対応としている)。
 
朔日餅については、[[2009年]][[3月1日]]より、毎月1日の販売を再開した。
 
==== 関連会社の問題 ====
問題発覚以前から、関連会社を含めて製造年月日などに関する赤福餅に対する疑惑がなかったわけではない。「余った餅を、関連企業の[[マスヤ]]の[[おにぎりせんべい]]に再利用している」という[[都市伝説]]が存在し、マスヤ<ref>[https://web.archive.org/web/20071124024918/http://www.masuya.co.jp/syohin/qa/index.html 商品案内] 株式会社マスヤ、[[ウェブアーカイブ]]による保存。「おにぎりせんべいは、赤福餅の残りでつくっているとの「うわさ」は本当ですか?。」の項目を参照</ref>と赤福が公式に否定したことがあった。マスヤの回答にあるように、赤福餅は[[もち米]]、おにぎりせんべいは[[米#粳米と糯米|粳米]]を使用しており、両者の融通はあり得ない。ただしその後の調査で、マスヤより分社した和菓子製造部門の「和菓子の万寿や」において、「むきあん」の再利用が発覚した<ref>[http://www.akafuku.co.jp/release/20071018_01/index.html 赤福プレスリリース]</ref>。「むきあん」は2000年5月から2007年1月の間、あんの3割に使われていた<ref>[http://www.coop-mie.jp/info_riji/data1/071113-130635.html 【07.11.13】(株)和菓子の万寿や商品の企画中止について(2)] - [[生活協同組合]]コープみえ</ref>。これを受け、万寿や製品を販売していた小売店は販売を自粛。万寿やは[[企業の社会的責任|CSR]](CORPORATE(CORPORATE SOCIAL RESPONSIBILITY)RESPONSIBILITY)委員会を設置し、[[企業コンプライアンス|コンプライアンス]]などの再認識を行った。2008年1月より、小売店の多くは万寿や製品の取り扱いを再開した。
 
なお、万寿やは[[生活協同組合]]に、朔日餅の廉価版的存在である「一週餅」を卸している。この製品については、初めから[[冷凍食品]]として販売され、むしろ冷凍技術の優秀さをアピールしていた<ref>[https://web.archive.org/web/20131102083220/http://124.108.36.49/goods-report/2007/200703.html 一週餅 ― 株式会社和菓子の万寿や 三重県伊勢市 ―] - 生活協同組合コープみえ、ウェブアーカイブによる保存</ref>。「むきあん」使用発覚にともない、「一週餅」の販売も中止された<ref>生活協同組合コープみえ [http://www.coop-mie.jp/info_riji/data1/071022-111141.html 【07.10.22】(株)和菓子の万寿や商品の企画中止について(1)]</ref>。その後<!--正確な再開時期未調査-->、ほかの製品とともに取り扱いを再開したが、売れ行き低迷で[[2014年]]から年4回の「四季のおくりもの」に改められた<ref>[http://www.coop-mie.jp/first/shouhin_katudou/ コープみえの商品 季節が感じられる和菓子セットができあがりました「四季のおくりもの」 ―伊賀商品活動をすすめる会―] - 生活協同組合コープみえ</ref>。
 
また、2007年[[12月11日]]、同じく関連企業の「益屋本店」も賞味期限切れの和菓子を販売していたことが判明。特に、本店の喫茶スペースで販売された和菓子は9割が賞味期限切れだった。同社は[[12月7日]]付で和菓子販売の廃業を届け出て、会社の清算を表明したため、三重県は処分を見送った。
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* 濱田総業 - グループ持株会社、商標・不動産管理
* 伊勢福 - 「[[おかげ横丁]]」企画運営
* 伊勢禄 - [[中華料理]]店「陶陶」、[[イタリア料理]]店「ロッソアンティーコ(ROSSO(ROSSO ANTICO、閉店)」などの[[レストラン]]経営、不動産管理
* 濱田カンパニー - 菓子箱製造・販売
* もめん屋藍 - 松阪[[木綿]]専門店
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== 類似の製品 ==
赤福に似た形状のあんころ餅は各地にある。中でも[[御福餅]]は赤福と同様、江戸時代に創業し、伊勢市で製造・販売されているあんころ餅で、波形の形状も赤福とそっくりであり、ピンク色基調のパッケージも赤福と同様であるが、まったく別の会社の製品である。<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20111207_74111.html?PAGE=2 18世紀から共存共栄している伊勢名物『赤福餅』と『御福餅』] - 週刊ポスト2011年12月16日号</ref><ref name="mynavi20140119">[http://news.mynavi.jp/articles/2014/01/19/akafuku/ 三重県にある銘菓「赤福」に似た「赤福そっくりさん」たちの実態に迫る!] - OFFICE-SANGA、[[マイナビニュース]]、2014年1月19日</ref>。ほかに三重県[[伊賀市]]の[[名阪国道]]下り線の[[伊賀インターチェンジ]]横にある伊賀ドライブインでは「伊賀福」と称する類似品が発売されている。これは赤福に比べ餡の色が薄く甘さも控えめである<ref name="mynavi20140119" />。名古屋市天白区の朝倉商店が製造している「名福餅」という商品もあり、こちらは西名阪自動車道の香芝サービスエリアなどで購入できる。
 
『赤福のこと』によると、明治から大正にかけて、赤福の類似品が乱立し、時には赤福の前に店を出して挑んでた業者もあった。明治8年([[1875年]])、赤福本店の北隣に「さるお金持ちがたいそう立派な店をお建てになり」<ref>{{Cite |和書|author=濱田ます |title=赤福のこと |page=81}}</ref>類似品の店を出したが、1年あまりで結局撤退した。明治10年([[1877年]])、五十鈴川河畔にあった当時の本店が水害で浸水すると、かえって元ライバル店の敷地を買収し、改築して本店を移転した。これが現在の赤福本店である<ref>{{Cite |和書|author=濱田ます |title=赤福のこと |page=82}}</ref>。[[松阪市|松阪]]の豪商・[[長谷川治郎兵衛|長谷川可同]]は餅に関する蒐集をして「餅舎(もちのや)」という[[博物館|資料館]]で公開していたが、餅舎所蔵の『餅札集』によると、松阪に「あかふく」「赤福餅」、名張に「伊賀赤福餅」「福餅」などがあり、宇治山田(現在の伊勢市)、[[二見町 (三重県)|二見]]、鳥羽などでは「赤ふく」「あか福」「日乃出赤福」「赤福鶯もち」「鳥羽赤福」など多くの類似品が存在した。赤福側はそれらの類似品に自粛を求めたり、あるいは商標を買い取るなどして対抗した。昭和に入り、類似品対策に「赤」「福」のく80種の[[商標]]を登録した<ref>{{Cite |和書|author=濱田ます |title=赤福のこと |pages=108-109}}</ref>。
 
2014年現在の赤福は、これらの類似品について「その件に関しまして、私ども赤福本社は、特に申し上げることもございません」と回答している<ref name="mynavi20140119" />。