「オペル・マンタ」の版間の差分

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[[ファイル:Opel Manta 400i white vl TCE.jpg|right|thumb|250px|マンタ400i]]
=== マンタ400i ===
1979年、当時の[[WRC]]グループ4に参戦すべく投入されたオペル初のDOHCエンジン車「[[オペル・アスコナ#.E3.82.A2.E3.82.B9.E3.82.B3.E3.83.8A400|オペル・アスコナ400]]」のマンタ版として、アスコナがFF化されてラリーから退く直前の1981年3月に登場。マンタBをベースにイギリス[[コスワース]]がチューした2,410ccDOHC16410cc 直列4気筒DOHC 16バルブ144馬力エンジンの最高出力は、ノーマルの144psから最終的には340馬力340psに達していた。足回りのチューニングは[[イルムシャー]]が担当している。後継は[[オペル・ベクトラ|ベクトラA]](A)ベースの[[オペル・カリブラ|カリブラ]]が後継車となり、1989年から1997年まで生産された
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=== ラリ、レース競技ポーツ ===
オペルワークスチームである「GM・ユーロハンドラー」でのマンタによるWRCの参戦は前述の通り[[グループB]]でも継続投入されたアスコナ400よりホモロゲーション取得が遅れ、1983年の[[サファリラリー]]の後となる[[ツール・ド・コルス]]より実戦に投入される。アスコナ400よりさらに軽量になり化されたことで、ラリーでの走行性能のアップを図っている
 
アクロポリスでは[[アリ・バタネン]]、テリー・ハリマン組4位。[[サンレモ・ラリー]]でも[[ヘンリ・トイヴォネン]]、[[フレッド・ギャラガー]]組が4位と健闘。最終戦のRAC・ラリーで[[ジミー・マクレー]]、イアン・イーストロッド組が3位に入賞する。メイクス部門3位の成績を収めたものの、1984年にはラリーでのワークス活動に終止符を打った。
 
しかし、その後も英国選手権(ERC)におけるラッセル・ブルックルスなどのプライベーターが好むラリーマシンとしての活躍も続く傍ら、[[ニュルブルクリンク24時間レース]]に参戦した経験がある。目立った戦績こそ挙げなかったものの、レギュレーション改定によりマンタを含む製造後10年以上経過した車が締め出される直前の[[2010年]]まで参戦していたが、後に主催者特別枠により2014年以降も毎年再び参戦しており、いる。2015年には排気量2000cc2,000cc以下のSP3 Class[[ルノー・クリオ]]と競り合い、これをして念願のクラス優勝を飾った。なお、外観こそ往年のマンタそのものだが中身は[[ノンシンクロトランスミッション|シーケンシャルシフランスミッション]]を採用するなど現代的にアップデートされている。
<gallery>ファイル:Opel Manta 400 - Race Retro 2008 03.jpg|マンタ400 Gr.B
ファイル:Opel Manta B VLN.jpg|ニュルブルクリンク24時間レース仕様</gallery>