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各国の慰安婦 あいうえお順に
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=== 19世紀の戦時の性政策 ===
 
兵士の性病防止の為の売春の国家統制は、19世紀初頭のフランスで始まり、ヨーロッパ大陸とイギリスに広がった。この当時、[[ナポレオン戦争]]の副産物として性病がヨーロッパ中に広まっていた。その後[[プロイセン]]は一時公娼制度を中断したが、軍当局の圧力で1851年に再開した。イギリスも[[クリミア戦争]]による性病の蔓延を受けて公娼制度を導入した。イギリスは、1886年に本国で公娼制度を撤廃した後も軍の利益の為に植民地ではこの制度を温存した<ref>{{Harvnb|藤目ゆき|1997|p=51-56}}</ref>。
 
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=== 第一次世界大戦時の性政策 ===
 
第一次世界大戦の際にはフェミニストの[[ジェーン・トラートン]]はエジプトの[[ニュージーランド]]軍を看護するための従軍女性ボランティア団体を組織し、病気に悩む兵士に対して「女が必要なら、病気のないきれいな女を与えなさい」と語っている<ref>{{Harvnb|ジョージ・ヒックス|1995|p=25}}</ref>。
 
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'''レイプ型'''
 
== ソ連軍の慰安婦 ==
[[満蒙開拓移民|大古洞開拓団]]([[三江省]]通河県)ではソ連軍による慰安婦提供の要請を受けて、2名の志願慰安婦を提供した事例もある<ref>太平洋戦争研究会編『図説 満州帝国』河出書房新社刊、1996年、p135</ref>。満州開拓団にソ連軍が進駐した際には兵士の妻でなく単身女性が慰安婦として提供された黒川開拓団や郡上村開拓団の例がある<ref>京都大学グローバルCOE「帝国日本の戦時性暴力」,同猪俣論文,p16、p19-22。</ref>。
 
== 日本軍慰安婦 ==
{{Main|日本の慰安婦|日本の慰安婦問題}}
日本軍の慰安婦は[[日中戦争]]の頃より日本軍の要請により民間の斡旋業者によって集められ、日本軍の占領各地の[[慰安所#日本軍の慰安所|慰安所]]に派遣された。慰安所は軍の管理の下、民間人が経営していた。慰安所のあった地域は、[[満州]]・中国・台湾・沖縄・[[東南アジア]]に渡る。慰安婦は[[内地]]や朝鮮・台湾から派遣された日本人・朝鮮人・台湾人のほか、占領地で集められた中国人や東南アジアの人たち、[[インドネシア]]を植民地にしていたオランダ人もいた。[[1945年]]の日本の敗戦とともに消滅した。戦後、韓国は日本軍が関与した韓国人慰安婦を問題視し、日本との間で慰安婦問題へと発展している。
 
== イギリス軍の慰安婦 ==
{{See also|軍用売春宿#イギリス軍の慰安所}}
 
1893年のインド駐留イギリス軍の売春制度の調査では、利用料金は労働者の日当より高く、また女性の年齢は14 - 18歳だった<ref name="hicks1995p24">{{Harvnb|ジョージ・ヒックス|1995|p=24}}</ref>。当時インドのイギリス軍は、バザールが付属する宿営地に置かれ、バザールには売春婦区画が存在した<ref name="hicks1995p24" />。主に売春婦カーストの出身で、なかにはヨーロッパから渡印した娼婦もいた<ref name="hicks1995p24" />。売春婦登録簿は1888年まで記録されている<ref name="hicks1995p24" />。
 
=== 19世紀 ===
19世紀の[[イギリス海軍]]では、船が入港すると、売春婦を船内に呼び入れるのが一般的な慣習だった。イギリスの港町では、[[ランチ (船)|ランチ]]が女性を軍艦に運び、ランチの船長が代金を受け取る光景が見られた。そんな中で性病に対する懸念が高まり、1864年制定の法律により、指定された11の港町の売春婦が陸軍省と海軍省の管理下に置かれた。やがて医師による定期的な検診が義務付けられるようになり、売春婦は登録制となる。その後、陸海軍が常駐する町以外にも法律を適用させようという動きもあったが、実現しなかった<ref name="shakaishi">バーン&ボニー・ブーロー『売春の社会史』筑摩書房 1991年ISBN {{ISBN|978-4480855732}}</ref>{{rp|307}}。
 
==== インド ====
1891-92年の調査によれば、(イギリス女王が皇帝を兼ねる)[[イギリス領インド帝国|インド帝国]]政府が、娼婦の為の施設を作り、イギリス軍が娼婦に支払いをし、政府の監視員が兵営への娼婦の出入りを監督していた<ref>{{Harvnb|藤目ゆき|1997|p=55}}</ref>。
 
1893年のインド駐留イギリス軍の売春制度の調査では、利用料金は労働者の日当より高く、また女性の年齢は14〜18歳だった<ref name="hicks24"/>。当時インドのイギリス軍は、バザールが付属する宿営地に置かれ、バザールには売春婦区画が存在した<ref name="hicks24"/>。主に売春婦カーストの出身で、なかにはヨーロッパから渡印した娼婦もいた<ref name="hicks24">{{Harvnb|ジョージ・ヒックス|1995|p=24}}</ref>。売春婦登録簿は1888年まで記録されている<ref name="hicks24"/>。
 
藤目ゆきは「植民地においてこそ、帝国主義軍隊の維持がより重大であり、だからこそ公娼制の温存は植民地において本国より重視された」と指摘したうえで、娼家の供給は「貧しい親に売られるのも、だまされて売春を強要されるのも、前借金に縛られ逃げられない状態に置かれたのも、日本人の娼婦に限ったことではない」と指摘している<ref>{{Harvnb|藤目ゆき|1997|p=79}}</ref>。
 
イギリスは1921年の婦人及児童ノ売春禁止ニ関スル国際条約に調印しながらも植民地での公娼制は維持された<ref>{{Harvnb|藤目ゆき|1997|p=56}}</ref>。
 
===第一次世界大戦===
フランス戦線に派兵された[[ロバート・グレーヴズ]]によれば、フランスの[[ベテューヌ]]には「慰安所」があり、3人の慰安婦がいた。料金は10フラン(当時の8シリング)で、彼が目撃した時には、150名からの兵士が順番待ちの列を作っていた。女性たちは、毎週一個[[大隊]]にのぼる兵士の相手をした。こうした生活は3カ月が限界だったと言う<ref>ロバート・グレーヴズ『さらば古きものよ』上巻 岩波文庫 1999年 ISBN 9784003228616</ref>{{rp|213}}。
 
===第二次世界大戦===
第二次世界大戦では、イギリス軍は公認の慰安所は設置せず、現地の売春婦や売春宿を積極的に黙認した<ref name="hata1999-p156">{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=156}}</ref>。1944年3月の米軍の日系2世のカール・ヨネダ軍曹のカルカッタでの目撃証言では、6[[尺]]の英兵が10歳のインド人少女に乗っている姿が丸見えで、「強姦」のようだったとして、またそうしたことが至るところで見られたという<ref name="hata1999-p156" />。性病感染率の記録からは、ビルマ戦戦では6人に1人が性病に罹っていた<ref name="秦郁彦 1999 157">{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=157}}</ref>。また、日本軍の慰安所を居抜きで使用したともいわれる<ref name="hata1999-p156" />。
 
イギリス軍の捕虜になった[[会田雄次]]は、英軍中尉がビルマ人売春婦を何人も部屋に集めて、「全裸にしてながめたり、さすったり、ちょっとここでは書きにくいいろいろの動作をさせて」楽しんでいたという<ref name="秦郁彦 1999 157"/>。
 
== ドイツ軍の慰安婦 ==
{{See also|軍用売春宿#ドイツ軍の慰安所}}
 
[[ファイル:Lapanka zoliborz warszawa Polska 1941.jpg|サムネイル|1941年、[[ワルシャワ]]で[[ポーランド]]人が連れ去られている様子。後に若い女性は強制的に[[ドイツ軍将兵用売春宿|ドイツ軍慰安所]]へ入れられた。]]
[[File:Bundesarchiv Bild 101II-MW-1019-07, Frankreich, Brest, Soldatenbordell.jpg|thumb|フランスの[[ブレスト (フランス)|ブレスト]]で慰安所に入るドイツ軍兵士(1940年)。建物は以前のユダヤ教施設([[シナゴーグ]])。]]
 
[[2005年]]1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組「戦利品としての女性・ドイツ国防軍と売春 (Frauen als Beute -Wehrmacht und Prostitution)」では、ドイツ軍が1904年、フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、後には[[ポーランド]]や[[ウクライナ]]の女学校の生徒を連行し、慰安婦にしたことを報じた。ドイツ軍の慰安所に関しては、「[[軍用売春宿#ドイツ軍の慰安所]]」、「[[ドイツ軍将兵用売春宿]]」を参照。
 
=== ドイツの慰安婦問題 ===
ドイツ政府は「[[人道に対する罪]]に[[時効]]はない」と宣言し、様々な[[戦後補償]]を行なっているが、当時のドイツ軍による管理売春・慰安所・慰安婦問題はそうした補償の対象とはされてこなかった<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=149}}</ref>。しかし、日本軍慰安婦問題がきっかけとなり、検討されるようになった<ref>クリスタ・パウル『ナチズムと強制売春』明石書店1996</ref>。また秦郁彦が1992年に日本の雑誌『[[諸君!]]』<ref>『[[諸君!]]』1992年9月号。{{要ページ番号|date=2013-06-09}}</ref> で紹介したフランツ・ザイトラー『売春・同性愛・自己毀損 ドイツ衛生指導の諸問題1939-1945』<ref>Franz Seidler,Prostitution,Homosexualitat,Selbstvertummelung-Probleme der deutschen Sanitatsfuhrung 1939-45,Neckargemund,1977,Kurt Vowinkel Verlag.</ref> はドイツでも知られていなかったため、当時来日していたドイツ人の運動家モニカ・ビンゲンはドイツに帰国してこの問題に取り組むと語った<ref>朝日新聞1992年9月7日記事</ref><ref name="hata1999-p150">{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=150}}</ref>。しかし、2015年2月現在[[ドイツ連邦政府|ドイツ政府]]は国防軍の元慰安婦に対する謝罪を行っていない<ref>「日本の名誉回復」には何が必要なのか ラインハルト・ツェルナー[[岩波書店]][[世界 (雑誌)|世界]]2015年2月号 p=109</ref><ref name="Kozlowski">{{cite web|url=https://www.mimuw.edu.pl/~akoz/History/SettledHistory.pdf|title=Settled history?|author=Andrzej Kozlowski|year=2015|page=13|format=PDF|access-date=2020-1-8}}</ref>。
 
{{See also|#ドイツにおける報道|ドイツの歴史認識}}
 
== フランス軍の慰安婦 ==
{{See also|軍用売春宿#フランス軍の慰安所}}
 
=== 十字軍 ===
フランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]は、[[十字軍]]の遠征中、[[フランク人]](兵士)による強姦を見て衝撃を受け、フランスから売春婦(filles de joie)を呼び寄せた。フランス軍のこの慣習は20世紀まで受け継がれた
<ref name="Reynaert">{{cite web|url=https://bibliobs.nouvelobs.com/essais/20140424.OBS5078/dans-les-bordels-de-l-armee-francaise.html|year=2014|title=Dans les bordels de l'armée française|editor=François Reynaert|publisher=[[:en:L'Obs]]|access-date=2021-8-9|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210809003535/https://bibliobs.nouvelobs.com/essais/20140424.OBS5078/dans-les-bordels-de-l-armee-francaise.html|archivedate=2021-8-9}}</ref>。
 
=== ナポレオン戦争 ===
[[ナポレオン戦争]]の結果、ヨーロッパに性病が蔓延した。軍隊と兵士を性病から守ることを目的にフランスで公娼制度が始まり、売春婦は登録制となり、定期的な健康診断を義務付けられた。[[近代公娼制|近代型公娼制度]]は、やがて他のヨーロッパ諸国に広まった<ref>{{Harvnb|藤目ゆき|1995|p=53}}</ref><ref name="nw18">{{cite web|url=https://www.newsweek.com/sex-worker-advertisement-pretty-women-paris-851397|year=2018|title=Sex Work, Legalized: What a Rare 1883 French Prostitute Catalog Tells Us About the Oldest Profession|editor=EMILY GAUDETTE|publisher=NEWSWEEK|access-date=2021-8-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210809205439/https://www.newsweek.com/sex-worker-advertisement-pretty-women-paris-851397|archivedate=2021-8-10}}</ref>。
 
=== 第一次世界大戦 ===
フランスには軍用売春宿の伝統があり、第一次大戦では、[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]側の(軍用)売春宿の殆どはフランスが運用していたとも言われる。こうした売春宿は同盟国の兵士にも利用された。フランス北部の[[カイユー=シュル=メール]]では、15名の〝慰安婦〟が一日に推定360人の兵士の相手をした<ref name="express">{{cite web|url=https://www.express.co.uk/life-style/life/641505/Sex-British-Tommy-adventures-troops-First-World-War|year=2014|title=Sex and the British Tommy: The adventures of Britain’s troops during the First World War|editor=DOMINIC MIDGLEY|publisher=Express Newspapers|access-date=2021-8-9|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210809071252/https://www.express.co.uk/life-style/life/641505/Sex-British-Tommy-adventures-troops-First-World-War|archivedate=2021-8-9}}</ref>。
 
パリの売春宿では、売春婦の労働は更に過酷で、一日18時間労働で50人から60人を相手にしたとも言われる<ref name="express"/>。
 
後のイギリス王[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]は、皇太子時代に[[カレー (フランス)|カレー]]にあるフランス軍の将校用の売春宿を訪れている。この時は見学だけに終わったが、その後、[[侍従]]らの計らいで熟練したフランス人の売春婦をあてがわれ、皇太子は童貞を喪失した<ref name="express"/>。
 
==== 植民地軍 ====
フランス軍当局は、北アフリカ出身の兵士をヨーロッパ戦線に投入するにあたり、彼らに売春婦を伴わせる必要があると考えた。フランス政府が、有色人種の兵士とフランス女性が交わるのを嫌がったのも一因ではないかと言われる。フランスは[[アルジェリア]]北部の山脈地帯に住む[[:en:Ouled Naïl|Ouled Naïl]]族の女性を10人のグループに分け、兵士たちの相手をさせた{{efn|他のイスラム系の民族と違い、男性との接触等について厳格に禁じられていなかったOuled Naïlの女性は、〝慰安婦〟として採用される以前からフランスの植民地政府に売春婦と見なされていた<ref name="ColonialSexWorkers"/>。}}。兵士が性病に感染すると、軍医が売春婦を特定し、治療した<ref name="ColonialSexWorkers">{{cite web|url=https://warisboring.com/the-french-military-recruited-colonial-sex-workers/|year=2018|title=The French Military Recruited Colonial Sex Workers|editor=Sebastien Roblin|publisher=Bright Mountain Media, Inc.,|access-date=2021-8-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210706110622/https://warisboring.com/the-french-military-recruited-colonial-sex-workers/|archivedate=2021-8-9}}</ref>。
 
第一次大戦後、フランス軍はこの野戦用慰安所とも言うべきシステムを正式にBMC(Bordelles Militaires de Campagne)と命名し、このシステムは、フランスの植民地軍を中心に広まった<ref name="ColonialSexWorkers"/>。
 
=== 第二次世界大戦 ===
第二次大戦中も、BMCで女性が兵士たちの相手をした (BMCについての詳細は「[[軍用売春宿#フランス軍の慰安所|フランス軍の慰安所]]」参照)。
 
=== インドシナ戦争 ===
ベトナムにもBMCが配置され、ベトナム人女性の他Ouled Naïl族の女性も送り込まれていた。ある従軍看護婦は、一日に50人、60人の兵士を相手にしてヒステリックになっているBMCのベトナム人売春婦を目撃した<ref name="ColonialSexWorkers"/>。
 
== アメリカ軍の慰安婦 ==
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==== 日本 ====
 
[[ファイル:Yasuura House.jpg|thumb|[[横須賀市]]安浦に設置した慰安所に群がる[[進駐軍|連合国軍将兵]]]]
 
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}}[https://megalodon.jp/2013-0120-1447-51/www.ianfu.net/opinion/hata-ikuhiko.html web魚拓]</ref>。[[第1歩兵師団 (アメリカ軍)|アメリカ陸軍第1師団]]第3旅団(将兵4000名)ではベトナム女性60人が住み込みで相手した<ref name="wakkumagazinehata"/>。
 
==== 在韓米軍の慰安婦問題 ====
{{Main|在韓米軍慰安婦問題|売春#韓国における売春の現状}}
 
近年、韓国でアメリカ軍を相手とする[[ジューシーバー]]で働くフィリピン女性たちが人身売買の状況下に置かれている問題がある<ref name="pt20121221">{{cite news|title=US servicemen in Korea contribute to human trafficking: report|date=2012-12-21|publisher=[[プレステレビ]]|url=http://www.presstv.com/usdetail/279266.html|accessdate=2013-06-06}}</ref>。
 
== イギリス軍の慰安婦 ==
{{See also|軍用売春宿#イギリス軍の慰安所}}
 
1893年のインド駐留イギリス軍の売春制度の調査では、利用料金は労働者の日当より高く、また女性の年齢は14 - 18歳だった<ref name="hicks1995p24">{{Harvnb|ジョージ・ヒックス|1995|p=24}}</ref>。当時インドのイギリス軍は、バザールが付属する宿営地に置かれ、バザールには売春婦区画が存在した<ref name="hicks1995p24" />。主に売春婦カーストの出身で、なかにはヨーロッパから渡印した娼婦もいた<ref name="hicks1995p24" />。売春婦登録簿は1888年まで記録されている<ref name="hicks1995p24" />。
 
=== 19世紀 ===
19世紀の[[イギリス海軍]]では、船が入港すると、売春婦を船内に呼び入れるのが一般的な慣習だった。イギリスの港町では、[[ランチ (船)|ランチ]]が女性を軍艦に運び、ランチの船長が代金を受け取る光景が見られた。そんな中で性病に対する懸念が高まり、1864年制定の法律により、指定された11の港町の売春婦が陸軍省と海軍省の管理下に置かれた。やがて医師による定期的な検診が義務付けられるようになり、売春婦は登録制となる。その後、陸海軍が常駐する町以外にも法律を適用させようという動きもあったが、実現しなかった<ref name="shakaishi">バーン&ボニー・ブーロー『売春の社会史』筑摩書房 1991年ISBN {{ISBN|978-4480855732}}</ref>{{rp|307}}。
 
==== インド ====
1891-92年の調査によれば、(イギリス女王が皇帝を兼ねる)[[イギリス領インド帝国|インド帝国]]政府が、娼婦の為の施設を作り、イギリス軍が娼婦に支払いをし、政府の監視員が兵営への娼婦の出入りを監督していた<ref>{{Harvnb|藤目ゆき|1997|p=55}}</ref>。
 
1893年のインド駐留イギリス軍の売春制度の調査では、利用料金は労働者の日当より高く、また女性の年齢は14〜18歳だった<ref name="hicks24"/>。当時インドのイギリス軍は、バザールが付属する宿営地に置かれ、バザールには売春婦区画が存在した<ref name="hicks24"/>。主に売春婦カーストの出身で、なかにはヨーロッパから渡印した娼婦もいた<ref name="hicks24">{{Harvnb|ジョージ・ヒックス|1995|p=24}}</ref>。売春婦登録簿は1888年まで記録されている<ref name="hicks24"/>。
 
藤目ゆきは「植民地においてこそ、帝国主義軍隊の維持がより重大であり、だからこそ公娼制の温存は植民地において本国より重視された」と指摘したうえで、娼家の供給は「貧しい親に売られるのも、だまされて売春を強要されるのも、前借金に縛られ逃げられない状態に置かれたのも、日本人の娼婦に限ったことではない」と指摘している<ref>{{Harvnb|藤目ゆき|1997|p=79}}</ref>。
 
イギリスは1921年の婦人及児童ノ売春禁止ニ関スル国際条約に調印しながらも植民地での公娼制は維持された<ref>{{Harvnb|藤目ゆき|1997|p=56}}</ref>。
 
===第一次世界大戦===
フランス戦線に派兵された[[ロバート・グレーヴズ]]によれば、フランスの[[ベテューヌ]]には「慰安所」があり、3人の慰安婦がいた。料金は10フラン(当時の8シリング)で、彼が目撃した時には、150名からの兵士が順番待ちの列を作っていた。女性たちは、毎週一個[[大隊]]にのぼる兵士の相手をした。こうした生活は3カ月が限界だったと言う<ref>ロバート・グレーヴズ『さらば古きものよ』上巻 岩波文庫 1999年 ISBN 9784003228616</ref>{{rp|213}}。
 
===第二次世界大戦===
第二次世界大戦では、イギリス軍は公認の慰安所は設置せず、現地の売春婦や売春宿を積極的に黙認した<ref name="hata1999-p156">{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=156}}</ref>。1944年3月の米軍の日系2世のカール・ヨネダ軍曹のカルカッタでの目撃証言では、6[[尺]]の英兵が10歳のインド人少女に乗っている姿が丸見えで、「強姦」のようだったとして、またそうしたことが至るところで見られたという<ref name="hata1999-p156" />。性病感染率の記録からは、ビルマ戦戦では6人に1人が性病に罹っていた<ref name="秦郁彦 1999 157">{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=157}}</ref>。また、日本軍の慰安所を居抜きで使用したともいわれる<ref name="hata1999-p156" />。
 
イギリス軍の捕虜になった[[会田雄次]]は、英軍中尉がビルマ人売春婦を何人も部屋に集めて、「全裸にしてながめたり、さすったり、ちょっとここでは書きにくいいろいろの動作をさせて」楽しんでいたという<ref name="秦郁彦 1999 157"/>。
 
== 韓国軍の慰安婦 ==
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=== ベトナム戦争 ===
ベトナム派遣軍の最高司令官だった[[蔡命新]]は、韓国軍が[[ベトナム]]でも慰安婦(慰安所)の運用を計画したものの米軍の反対で断念したと語っているが<ref name="ohmy02">{{Cite news|url=http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000068112&PAGE_CD=|title="베트남전 때도 '위안대' 운용 계획"|newspaper=OhmyNews|date=2002-3-4|accessdate=2021-8-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140629183012/http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000068112&PAGE_CD=|archivedate=2014-1-29}}</ref>、「トルコ風呂」と呼ばれる韓国軍用の売春宿が[[ホーチミン市|サイゴン]]に存在したことを示す米軍の資料も発見されている<ref name="hanijp15">{{Cite news|url=http://japan.hani.co.kr/arti/international/20445.html|title=週刊文春の「韓国軍トルコ風呂」報道、腹立たしいが反論は困難…|newspaper=ハンギョレ新聞日本語版|date=2015-4-25|accessdate=2021-8-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210814225934/http://japan.hani.co.kr/arti/international/20445.html|archivedate=2021-8-14}}</ref>。
 
== ソ連軍の慰安婦 ==
[[満蒙開拓移民|大古洞開拓団]]([[三江省]]通河県)ではソ連軍による慰安婦提供の要請を受けて、2名の志願慰安婦を提供した事例もある<ref>太平洋戦争研究会編『図説 満州帝国』河出書房新社刊、1996年、p135</ref>。満州開拓団にソ連軍が進駐した際には兵士の妻でなく単身女性が慰安婦として提供された黒川開拓団や郡上村開拓団の例がある<ref>京都大学グローバルCOE「帝国日本の戦時性暴力」,同猪俣論文,p16、p19-22。</ref>。
 
== 台湾(中華民国軍)の慰安婦 ==
{{See also|慰安所#台湾(中華民国国軍)の慰安所}}
 
台湾には、1952年から1992年まで「軍中特約茶店」または「軍中楽園」と呼ばれる〝慰安所〟があった。こうした施設で働く女性を「軍妓」と呼んだ<ref name="tabizine">{{cite web|url=https://tabizine.jp/2018/07/21/194490/ |title=【台湾ディープスポット】資料館として保存されている台湾軍の娼館跡 |publisher=TABIZINE|access-date=2021-8-1 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210731211735/https://tabizine.jp/2018/07/21/194490/ |archivedate=2021-8-1 }}</ref>。
 
金門島の跡地は「特約茶室展示館」<ref>[http://www.taipeinavi.com/miru/270/ 特約茶室展示館(金門県)]</ref> となっている。
 
== ドイツ軍の慰安婦 ==
{{See also|軍用売春宿#ドイツ軍の慰安所}}
 
[[ファイル:Lapanka zoliborz warszawa Polska 1941.jpg|サムネイル|1941年、[[ワルシャワ]]で[[ポーランド]]人が連れ去られている様子。後に若い女性は強制的に[[ドイツ軍将兵用売春宿|ドイツ軍慰安所]]へ入れられた。]]
[[File:Bundesarchiv Bild 101II-MW-1019-07, Frankreich, Brest, Soldatenbordell.jpg|thumb|フランスの[[ブレスト (フランス)|ブレスト]]で慰安所に入るドイツ軍兵士(1940年)。建物は以前のユダヤ教施設([[シナゴーグ]])。]]
 
[[2005年]]1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組「戦利品としての女性・ドイツ国防軍と売春 (Frauen als Beute -Wehrmacht und Prostitution)」では、ドイツ軍が1904年、フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、後には[[ポーランド]]や[[ウクライナ]]の女学校の生徒を連行し、慰安婦にしたことを報じた。ドイツ軍の慰安所に関しては、「[[軍用売春宿#ドイツ軍の慰安所]]」、「[[ドイツ軍将兵用売春宿]]」を参照。
 
=== ドイツの慰安婦問題 ===
ドイツ政府は「[[人道に対する罪]]に[[時効]]はない」と宣言し、様々な[[戦後補償]]を行なっているが、当時のドイツ軍による管理売春・慰安所・慰安婦問題はそうした補償の対象とはされてこなかった<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=149}}</ref>。しかし、日本軍慰安婦問題がきっかけとなり、検討されるようになった<ref>クリスタ・パウル『ナチズムと強制売春』明石書店1996</ref>。また秦郁彦が1992年に日本の雑誌『[[諸君!]]』<ref>『[[諸君!]]』1992年9月号。{{要ページ番号|date=2013-06-09}}</ref> で紹介したフランツ・ザイトラー『売春・同性愛・自己毀損 ドイツ衛生指導の諸問題1939-1945』<ref>Franz Seidler,Prostitution,Homosexualitat,Selbstvertummelung-Probleme der deutschen Sanitatsfuhrung 1939-45,Neckargemund,1977,Kurt Vowinkel Verlag.</ref> はドイツでも知られていなかったため、当時来日していたドイツ人の運動家モニカ・ビンゲンはドイツに帰国してこの問題に取り組むと語った<ref>朝日新聞1992年9月7日記事</ref><ref name="hata1999-p150">{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=150}}</ref>。しかし、2015年2月現在[[ドイツ連邦政府|ドイツ政府]]は国防軍の元慰安婦に対する謝罪を行っていない<ref>「日本の名誉回復」には何が必要なのか ラインハルト・ツェルナー[[岩波書店]][[世界 (雑誌)|世界]]2015年2月号 p=109</ref><ref name="Kozlowski">{{cite web|url=https://www.mimuw.edu.pl/~akoz/History/SettledHistory.pdf|title=Settled history?|author=Andrzej Kozlowski|year=2015|page=13|format=PDF|access-date=2020-1-8}}</ref>。
 
{{See also|#ドイツにおける報道|ドイツの歴史認識}}
 
== 日本軍の慰安婦 ==
{{Main|日本の慰安婦|日本の慰安婦問題}}
日本軍の慰安婦は[[日中戦争]]の頃より日本軍の要請により民間の斡旋業者によって集められ、日本軍の占領各地の[[慰安所#日本軍の慰安所|慰安所]]に派遣された。慰安所は軍の管理の下、民間人が経営していた。慰安所のあった地域は、[[満州]]・中国・台湾・沖縄・[[東南アジア]]に渡る。慰安婦は[[内地]]や朝鮮・台湾から派遣された日本人・朝鮮人・台湾人のほか、占領地で集められた中国人や東南アジアの人たち、[[インドネシア]]を植民地にしていたオランダ人もいた。[[1945年]]の日本の敗戦とともに消滅した。戦後、韓国は日本軍が関与した韓国人慰安婦を問題視し、日本との間で慰安婦問題へと発展している。
 
== フランス軍の慰安婦 ==
{{See also|軍用売春宿#フランス軍の慰安所}}
 
=== 十字軍 ===
フランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]は、[[十字軍]]の遠征中、[[フランク人]](兵士)による強姦を見て衝撃を受け、フランスから売春婦(filles de joie)を呼び寄せた。フランス軍のこの慣習は20世紀まで受け継がれた
<ref name="Reynaert">{{cite web|url=https://bibliobs.nouvelobs.com/essais/20140424.OBS5078/dans-les-bordels-de-l-armee-francaise.html|year=2014|title=Dans les bordels de l'armée française|editor=François Reynaert|publisher=[[:en:L'Obs]]|access-date=2021-8-9|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210809003535/https://bibliobs.nouvelobs.com/essais/20140424.OBS5078/dans-les-bordels-de-l-armee-francaise.html|archivedate=2021-8-9}}</ref>。
 
=== ナポレオン戦争 ===
[[ナポレオン戦争]]の結果、ヨーロッパに性病が蔓延した。軍隊と兵士を性病から守ることを目的にフランスで公娼制度が始まり、売春婦は登録制となり、定期的な健康診断を義務付けられた。[[近代公娼制|近代型公娼制度]]は、やがて他のヨーロッパ諸国に広まった<ref>{{Harvnb|藤目ゆき|1995|p=53}}</ref><ref name="nw18">{{cite web|url=https://www.newsweek.com/sex-worker-advertisement-pretty-women-paris-851397|year=2018|title=Sex Work, Legalized: What a Rare 1883 French Prostitute Catalog Tells Us About the Oldest Profession|editor=EMILY GAUDETTE|publisher=NEWSWEEK|access-date=2021-8-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210809205439/https://www.newsweek.com/sex-worker-advertisement-pretty-women-paris-851397|archivedate=2021-8-10}}</ref>。
 
=== 第一次世界大戦 ===
フランスには軍用売春宿の伝統があり、第一次大戦では、[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]側の(軍用)売春宿の殆どはフランスが運用していたとも言われる。こうした売春宿は同盟国の兵士にも利用された。フランス北部の[[カイユー=シュル=メール]]では、15名の〝慰安婦〟が一日に推定360人の兵士の相手をした<ref name="express">{{cite web|url=https://www.express.co.uk/life-style/life/641505/Sex-British-Tommy-adventures-troops-First-World-War|year=2014|title=Sex and the British Tommy: The adventures of Britain’s troops during the First World War|editor=DOMINIC MIDGLEY|publisher=Express Newspapers|access-date=2021-8-9|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210809071252/https://www.express.co.uk/life-style/life/641505/Sex-British-Tommy-adventures-troops-First-World-War|archivedate=2021-8-9}}</ref>。
 
パリの売春宿では、売春婦の労働は更に過酷で、一日18時間労働で50人から60人を相手にしたとも言われる<ref name="express"/>。
 
後のイギリス王[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]は、皇太子時代に[[カレー (フランス)|カレー]]にあるフランス軍の将校用の売春宿を訪れている。この時は見学だけに終わったが、その後、[[侍従]]らの計らいで熟練したフランス人の売春婦をあてがわれ、皇太子は童貞を喪失した<ref name="express"/>。
 
==== 植民地軍 ====
フランス軍当局は、北アフリカ出身の兵士をヨーロッパ戦線に投入するにあたり、彼らに売春婦を伴わせる必要があると考えた。フランス政府が、有色人種の兵士とフランス女性が交わるのを嫌がったのも一因ではないかと言われる。フランスは[[アルジェリア]]北部の山脈地帯に住む[[:en:Ouled Naïl|Ouled Naïl]]族の女性を10人のグループに分け、兵士たちの相手をさせた{{efn|他のイスラム系の民族と違い、男性との接触等について厳格に禁じられていなかったOuled Naïlの女性は、〝慰安婦〟として採用される以前からフランスの植民地政府に売春婦と見なされていた<ref name="ColonialSexWorkers"/>。}}。兵士が性病に感染すると、軍医が売春婦を特定し、治療した<ref name="ColonialSexWorkers">{{cite web|url=https://warisboring.com/the-french-military-recruited-colonial-sex-workers/|year=2018|title=The French Military Recruited Colonial Sex Workers|editor=Sebastien Roblin|publisher=Bright Mountain Media, Inc.,|access-date=2021-8-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210706110622/https://warisboring.com/the-french-military-recruited-colonial-sex-workers/|archivedate=2021-8-9}}</ref>。
 
第一次大戦後、フランス軍はこの野戦用慰安所とも言うべきシステムを正式にBMC(Bordelles Militaires de Campagne)と命名し、このシステムは、フランスの植民地軍を中心に広まった<ref name="ColonialSexWorkers"/>。
 
=== 第二次世界大戦 ===
第二次大戦中も、BMCで女性が兵士たちの相手をした (BMCについての詳細は「[[軍用売春宿#フランス軍の慰安所|フランス軍の慰安所]]」参照)。
 
=== インドシナ戦争 ===
ベトナムにもBMCが配置され、ベトナム人女性の他Ouled Naïl族の女性も送り込まれていた。ある従軍看護婦は、一日に50人、60人の兵士を相手にしてヒステリックになっているBMCのベトナム人売春婦を目撃した<ref name="ColonialSexWorkers"/>。
 
== 国連軍の慰安婦 ==
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[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]で[[国際連合平和維持活動|平和維持活動]]中のPKO隊員と警察が{{efn|[[国際連合ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・ミッション]]}}、売春宿を運営し、東ヨーロッパから女性を輸入する手助けをしていると人権団体から批判された<ref name="fp15"/>。
 
== 在韓米軍慰安婦 ==
 
=== アラブの「性の聖戦」 ===
2013年、[[シリア内戦]]で[[反体制派 (シリア 2011-)|反政府軍]]を支えるために数百人の[[チュニジア]]の女性が「性の[[ジハード]](聖戦)」の名目で[[シリア]]へ向けて出国していると報じられた。チュニジアの内務大臣は、女性たちが、一人あたり数十人から100人の兵士を相手にすると述べている。アラブ社会で「性の聖戦(jihad al-nikah)」として知られるこの事象は、[[ジハード]]の参加者の一部からはイスラム法上正当なものと見なされている<ref name="time2013">{{Cite news|url=https://world.time.com/2013/09/20/tunisian-women-go-on-sex-jihad-to-syria-minister-says/|title=Tunisian Women Go on ‘Sex Jihad’ to Syria, Minister Says|magazine=TIME|date=2013-9-20|accessdate=2021-9-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210911034329/https://world.time.com/2013/09/20/tunisian-women-go-on-sex-jihad-to-syria-minister-says/|archivedate=2021-9-11}}</ref>。
 
=== 在韓米軍の慰安婦 ===
{{See|韓国軍慰安婦|在韓米軍慰安婦問題}}
[[File:조선인민군 간호사 포로.jpg|thumb|韓国・アメリカ軍に捕えられた北朝鮮軍看護婦。捕えられた北朝鮮女性はレイプされたり強制的に慰安婦にさせられることもあった<ref name="ohmynews20020226" />。]][[File:Murder of Comfort women.jpg|thumb|韓国[[坡州]]における慰安婦殺害事件(東亜日報[[1957年]][[5月1日]]付)]]
[[File:Two young comfort women suicided in Busan, South Korea.jpg|thumb|150px|[[アメリカ軍]](美軍)慰安婦2名が[[大韓民国|韓国]][[釜山広域市|釜山]]で悲観のあまり[[自殺]]したことを報じる[[1957年]][[7月21日]]付[[東亜日報]]]]
 
==== 韓国軍・国連軍慰安婦の呼称 ====
[[File:Registration of comfort women.jpg|thumb|[[国連軍]]を相手とする慰安婦の登録が[[1961年]][[9月13日]]に実施されたことを報ずる東亜日報1961年9月14日付]]
第二次世界大戦後、朝鮮半島は[[日本統治時代の朝鮮|日本統治期]]より[[連合軍軍政期 (朝鮮史)|連合軍軍政期]]に移り、旧日本軍の基地周辺の公娼地区も引き継がれ、娼婦は「'''洋パン'''(ヤン・セクシ)」<ref name="LeeYoungHoon"/>「'''洋公主'''([[:ko:양공주]]、ヤンコンジュ、ヤンカルボ)」などと呼ばれた<ref name="LeeYoungHoon"/><ref name="tongiltv20081017"/><ref name="yankonjyu">[[李娜榮]][http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_23-2/RitsIILCS_23.2LEE%20Na.pdf 日本軍「慰安婦」と米軍基地村の「洋公主」] 立命館言語文化研究 23(2), 209-228, 2011-10-00</ref>。
298 ⟶ 307行目:
また、フィリピン人などの娼婦に対してジューシーガール('''juicy girl''')、エンタテイナー('''entertainer''')という言い方もされる<ref name="MDCW"/><ref>Donna Hughes, 他Modern-Day Comfort Women:{{cite web|url=http://www.uri.edu/artsci/wms/hughes/modern_day_comfort_women.pdf|title=アーカイブされたコピー|accessdate=2013年5月26日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130928003249/http://www.uri.edu/artsci/wms/hughes/modern_day_comfort_women.pdf|archivedate=2013年9月28日|deadlinkdate=2017年10月}},p.4</ref>。
 
==== 概要 ====
 
朝鮮戦争後も売春斡旋業者による少女誘拐事件が発生している。1956年4月には「売淫ブローカー」によって少女2名が誘拐<ref>1956年4月11日東亜日報「少女二名誘拐 売淫「ブローカー」拘束」</ref>。また同1956年7月11日の東亜日報は「田舎の処女誘引 売春窟に売った女人検挙」との見出しで、少女を誘拐し売春を強要した容疑で老婆が逮捕されたと報道している。
 
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*[[全斗煥]]大統領による基地コミュニティー浄化キャンペーンが実施されると売春婦とアメリカ兵との関係の発展を目指して、エチケット講義が行われるとともに頻繁に薬物療法が行われるようになった<ref name="Openly revealing a secret life" />。医師免許を持たない医者達の前で脚を広げることを強制され、抗生物質を打たれて死にいたる女性もいた<ref name="Ildaro20081215" /><ref name="Openly revealing a secret life" />。女性達が逆らうと医者達に暴力を振るわれて監禁されることとなっていた<ref name="Openly revealing a secret life" />。
 
==== 総数 ====
*[[1945年]]の日本占領当時は日本女性55,000人であった<ref name="NYTimes19951027" />。
* 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公文書『後方戦史(人事編)』によると韓国軍慰安婦は1952年における4小隊に限ったケースだけでも89人の慰安婦が204,560回の行為を行わされていたとされる<ref name="asahi20020223" /><ref name="Ilyosisa20020326" />。総数は不明である。[[1955年]]のソウル市警察局によると米軍相手の性売買女性は61,833名であり<ref name="tongiltv20081017" />、[[1962年]]の韓国ではアメリカ兵相手の慰安婦として2万名以上が登録されていた<ref name="LeeYoungHoon" /><ref name="nd20090601" />。
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* 米兵との性的行為を1960年代から1980年代にわたり強制されたとして、当時の韓国政府指導者・韓国政府・米軍を、韓国の元慰安婦のグループが、アメリカの裁判所に告発、損害賠償を求める訴訟を起こした。[[在韓米軍慰安婦問題]]参照。
 
== 中華民国軍(台湾)の慰安婦 ==
{{See also|慰安所#台湾(中華民国国軍)の慰安所}}
 
台湾には、1952年から1992年まで「軍中特約茶店」または「軍中楽園」と呼ばれる〝慰安所〟があった。こうした施設で働く女性を「軍妓」と呼んだ<ref name="tabizine">{{cite web|url=https://tabizine.jp/2018/07/21/194490/ |title=【台湾ディープスポット】資料館として保存されている台湾軍の娼館跡 |publisher=TABIZINE|access-date=2021-8-1 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210731211735/https://tabizine.jp/2018/07/21/194490/ |archivedate=2021-8-1 }}</ref>。
 
金門島の跡地は「特約茶室展示館」<ref>[http://www.taipeinavi.com/miru/270/ 特約茶室展示館(金門県)]</ref> となっている。
 
== その他 ==
 
=== アラブの「性の聖戦」 ===
2013年、[[シリア内戦]]で[[反体制派 (シリア 2011-)|反政府軍]]を支えるために数百人の[[チュニジア]]の女性が「性の[[ジハード]](聖戦)」の名目で[[シリア]]へ向けて出国していると報じられた。チュニジアの内務大臣は、女性たちが、一人あたり数十人から100人の兵士を相手にすると述べている。アラブ社会で「性の聖戦(jihad al-nikah)」として知られるこの事象は、[[ジハード]]の参加者の一部からはイスラム法上正当なものと見なされている<ref name="time2013">{{Cite news|url=https://world.time.com/2013/09/20/tunisian-women-go-on-sex-jihad-to-syria-minister-says/|title=Tunisian Women Go on ‘Sex Jihad’ to Syria, Minister Says|magazine=TIME|date=2013-9-20|accessdate=2021-9-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210911034329/https://world.time.com/2013/09/20/tunisian-women-go-on-sex-jihad-to-syria-minister-says/|archivedate=2021-9-11}}</ref>。
 
== 慰安婦を描いた作品 ==