「君主制」の版間の差分
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== 用語 ==
君主が存在する国家を'''君主国'''、君主が存在しない国家を'''[[共和国]]'''という。君主国は通常、支配者の[[君主号]]によって、[[王国]]([[国王|王]])、[[大公国]]([[大公]])、[[公国]]([[公]])、[[首長国]]([[アミール]])、[[帝国]]{{Efn|君主号によらず、また共和国であっても、広大な領土を保持していたり複数の[[従属国]]を束ねていたりする国家を指しては「帝国」と呼ぶ(詳細は[[帝国]]を参照)。}}([[皇帝]]{{efn|[[湊晶子]]は、論文『ローマ帝国における「皇帝札拝jと「皇帝崇拝」 一一皇帝の神格化をめぐって一一』において、アウグストゥスの「皇帝」という語に専制君主的、現人神的要素を含めて考えることは誤りであると述べている{{sfn|湊|1991|p=64}}。湊は、そのような誤解を生じる原因は、英語の Emperor やドイツ語の Kaiser の語源である Imperator Caesar に、本来はローマのものにはなかった専制君主制的な理念を盛り込んだ「皇帝」という訳を与えてしまったところにあるとしている{{sfn|湊|1991|p=64}}。アウグストゥスがローマ皇帝に就任した時に樹立した体制は[[プリンキパトゥス]](プリンチパーツス)と呼ばれ、[[共和政ローマ|共和制時代]]の[[元老院 (ローマ)|元老院]]を取り込んだ、一個人に権力が集中しないローマ的統治概念であった{{sfn|湊|1991|p=64}}。}}
ある人物が君主の地位に就任することを'''[[即位]]'''、君主がその地位から退くことを'''[[退位]]'''、君主がその地位を他人に譲ることを'''[[譲位]]'''、退位した人物が再び即位することを'''[[重祚]]'''(ちょうそ)という。また、即位させること(君主格の付与、enthronement)を「祭り上げる」、退位させること(君主格の剥奪、dethronement)を「廃位する」とも表現する。
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-->{{legend|#AA0000|[[絶対君主制]]の国}}<!--
-->{{legend|#D45500|絶対君主制に近い国}}<!--
-->{{legend|#285F27|[[立憲君主制]]の国(この図では日本を含む)}}<!--
-->{{legend|#008800|[[英連邦王国]] ([[人的同君連合]]となっている立憲君主制の国)}}<!--
-->{{legend|#FF00FF|伝統的な君主が地方に存在する国}}
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=== 現存する国家形態 ===
* [[王国]]({{lang-en|Kingdom}})とは、[[国王]]または[[女王]]を元首とする国家。
* [[スルターン国]]({{lang-en|Sultanate}})とは、[[スルターン]]を元首とする国家。
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=== 現存しない国家形態 ===
* [[帝国]]({{lang-en|Empire}})とは、[[エンペラー]]([[皇帝]]、[[帝王]])を元首とする国家。この意味での「帝国」は現存しない([[日本国憲法]]下の[[天皇]]は[[象徴天皇制|象徴]])。
* [[専制公国]]({{lang-en|Despotate}})
* [[宮中伯国]]({{lang-en|Palatinate}})
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|{{flag|JPN|name=日本国}}
|[[天皇]]
|[[象徴天皇制]]([[立憲君主制]]{{Efn|天皇が君主かは議論がある。詳細は[[象徴天皇制#議論]]を参照。}})
|世襲制
|1947
138行目:
|{{flag|SWE|name=スウェーデン王国}}
|[[スウェーデン君主一覧|王]]
|[[象徴君主制]](立憲君主制)
|世襲制
|1974
144行目:
|{{flag|ESP|name=スペイン王国}}
|[[スペイン君主一覧|王]]
|議会君主制<br/>(立憲君主制)
|世襲制
|1978
|