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その「KIDS」で、夏をイメージした新生バンドを数組結成させ競わせるプロジェクトを企画した。そのうちの一組として、[[グループ・サウンズ]]の再来を思わせる「和製[[ザ・ビーチ・ボーイズ|ビーチボーイズ]]」をコンセプトとしたバンドを作るためメンバーを探し、'''Coconut Boys'''を結成させた。初期メンバーは渡辺、笠、関口と他3名の合計6人(うち1人はデビュー前に脱退し5人になる。田口と米川は1984年に加入)。同年、KIDS自主制作の企画カセットテープ『RASPBERRY AVENUE』に参加してマイナーデビュー(後述[[C-C-B#作品|ディスコグラフィー]]項参照)。だが肝心のメンバー全員がそれまでビーチボーイズの音楽を耳にしたことはあれど造詣が深いわけではなく、メンバー自身の音楽性や趣味嗜好は反映されなかった。しかし、当時[[ポリドールレコード]](現:[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]])でディレクターをしていた[[渡辺忠孝]]が聴く機会を得て「面白い」と興味を持ち、自らプロデュースをしたいと名乗り出た。
 
[[1983年]](昭和58年)、シングル『Candy』でメジャーデビュー。[[全国農業協同組合連合会|全農]]の[[ヨーグルト]]「[[ヨープレイ|ヨープレイト]]」のCM曲に用されたが、ヒットには至らなかった。
 
[[1984年]](昭和59年)、メンバーの2名が脱退。間もなくし、田口、米川が新メンバーとして加入し5人体制となる。2ndセカンドシングル『瞳少女』が[[ロート製薬]]「[[ロート製薬の製品|なみだロート]]」のCM曲に、両A面の『チリドッグがお気に入り』が[[マツダ]]「[[マツダ・ファミリア|ファミリア]]」のCM曲に用される。リリース後すぐにヒットには繋がらなかったが、『Romanticが止まらない』のヒットにより過去の作品も見直された。『瞳少女』はロート製薬がスポンサーを務めた[[TBSテレビ]]の[[クイズ番組]]『[[クイズダービー]]』でほぼ毎週オンエアされた。バンド名の表記は、放映開始当初は「ココナッツ・ボーイズ」表記であったが、『Romanticが止まらない』のヒット後に「C-C-B」表記に統一された。マツダのCMでは「ココナッツ・ボーイズ」とカタカナ表記のみ。
 
===「Romanticが止まらない」がヒット ===
[[1985年]](昭和60年)1月期に始まる[[テレビドラマ]]の主題歌担当の話が舞い込み、プロデューサーの渡辺忠孝が実兄の[[筒美京平]]にヒットにつながる作曲をと依頼したところ「[[松本隆]]が歌詞を書くなら引き受ける」という条件を出された。そして作られた楽曲が出世作となった3枚目のシングル『Romanticが止まらない』である<ref>{{Cite web|url=http://hfmweb.jp/blog/shokutaku/2011/07/c-c-b.html|title=「Romanticが止まらない/C-C-B」」|publisher=「食卓ON楽」アーカイブ|date=2011-07-01|accessdate=2020-11-05}}</ref>。
 
筒美はココナッツボーイズのアルバムを視聴し、特に2ndアルバム『[[Boy's Life (アルバム)|Boy's Life]]』に収録されている「シェリー」に関心を寄せた。笠の透明感のあるハイトーンボイスを気に入りメインボーカルに指名したが、ドラム担当者だと思わなかったという。当の笠は圧し寄せるプレッシャーの中でレコーディングに挑んだが、何度歌い直してもいつもサビの同じ箇所でメロディーを変えて歌ってしまう(「胸が胸が苦しくなる」の末尾「なる」というメロディーを指示された下げ調子ではなく、上げ調子に歌ってしまう)。しかし筒美は咎めることなく「それで良い」と笠に声を掛け、譜面を笠歌った旋律メロディー合わせ書き換え変更した<ref>{{Cite web|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201104/k10012692631000.html|title=自分が好きなものを作るんじゃない|publisher=NHKニュース|date=2020-11-04|accessdate=2020-11-05}}</ref>。
 
同年1月25日、起死回生をかけた3枚目のシングル『[[Romanticが止まらない]]』をリリース。TBSテレビの連続ドラマ『[[毎度おさわがせします]]』(1985年1月8日放送開始)オープニングテーマ曲に使用される。同年2月21日、[[音楽番組]]『[[ザ・ベストテン]]』の注目アーティスト紹介コーナー「今週のスポットライト」に出演。そのカラフルな髪色や、当時は珍しかった[[電子ドラム]]の{{仮リンク|シモンズ (楽器メーカー)|label=シモンズ|en|Simmons (electronic drum company)}}がステージのセンターに据えられ、[[ヘッドセット (音響機器)|ヘッドセット]]を装着したドラマーがリードボーカルを取るスタイルも話題となり、一躍ブレイク。『スクール・ガール』『Lucky Chanceをもう一度』『空想Kiss』と、松本隆・筒美京平コンビによる作品を続けてリリースし、次々とヒットを飛ばした。
 
その頃から、バンド名の表記を'''C-C-B'''に統一。以前より「'''C'''o'''c'''onut'''B'''oys」の略称として「C-C-B」と名乗っていたが、ヒットのおかげで「C-C-B」の呼ばれ方の方が一般に浸透したこともあり、また音楽番組での紹介や雑誌掲載時に統一感がなく、そのたびに説明をする手間や混乱を回避するためでもあった。なお、関口は以前「C-N-B」の略称を提案したが、渡辺が「読みやすいし語呂も良い」とC-C-Bに決定した<ref name="注釈">結成初期のファンクラブ会報には「C・Boys」の呼称表記もみられる。</ref>。
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[[1986年]](昭和61年)、[[第15回東京音楽祭]]に出場。シングル『元気なブロークンハート』発売を期に、トレードマークのカラフルな[[染髪]]をやめ、全員が地毛の色に近いナチュラルな黒髪にした。同年12月、シングル『ないものねだりのI want you』で[[オリコンチャート|オリコン]]1位を獲得。1986年度[[フジネットワーク|FNS]][[FNS歌謡祭|歌謡祭]]において『不自然な君が好き』で優秀歌謡音楽賞を受賞。
 
[[1987年]](昭和62年)1月6日、[[中野サンプラザ]]3Day'sコンサート最終日に関口が脱退を表明。4月6日、[[よみうりランド#営業を終了した施設|よみうりランドEAST]]でのステージをもって脱退。以後、それまで主にコーラスを担当していた米川がセンターポジションに就いてメインボーカルとして歌う機会が増えた。同年9月、『原色したいね』が[[明治製菓]]の菓子「かるかったウエハー」のCMソングに採用される。また、10月公開の劇場アニメ映画『[[梅田香子|勝利投手]]』の主題歌に起用(c/w『Love Is Light』も挿入歌として使用されている)。
 
[[1988年]](昭和63年)1月、『抱きしめたい』が『[[日立 世界・ふしぎ発見!]]』のエンディング曲に採用される。
 
=== 解散 ===
[[1989年]]([[平成]]元年)4月21日に出演した音楽番組『[[ミュージックステーション]]』において、同年10月に解散する旨を発表。メンバー個々の音楽性・可能性をさらに昇華させる意を込めた解散であること、また、バンド解散後も各々音楽活動を続けていく予定であると語った。翌4月22日から「汐留PIT{{efn|[[日本国有鉄道|国鉄]][[汐留駅_(国鉄)#廃止後|汐留駅廃止]]後、跡地に期間限定で開設されたライブ会場。当時はこの地で多数のアーティストがライブを開催した<ref>[https://reminder.top/357383312/ この日何の日?1989年4月29日 音楽が聴こえてきた街:スカタライツ伝説の初来日公演と汐留PIT] Re:minder 80年代音楽エンタメコミュニティ</ref>。}}」で2Daysライブが予定されており、当初はそのライブで解散宣言をするつもり予定であったが、会場に足を運べない全国のファンに対して不公平になってしまうと判断し、先にテレビを通じて解散することを発表になった。同年4月25日、最終シングル『Love is Magic』をリリース。同年[[10月9日]]、[[日本武道館]]でのライブを最後に解散した。
 
=== エピソード ===
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; '''[[笠浩二]]'''(りゅう こうじ、[[1962年]][[11月8日]] - 、[[ドラムセット|ドラム]])
:* ブレイク直後のショッキングピンクに染めた髪とパステルカラーの眼鏡は、C-C-BのカラフルでPOPなイメージコンセプトを象徴していた。現在もC-C-Bとしてのテレビ等出演時には、髪を(一時的に)ピンク色に染めることがある。
:* 1980年代当時、日本ではまだ珍しかった[[イギリス]]のシモンズ社(SIMMONS)の[[電子ドラム]]の音色、デザイン性の高い六角形パッドの[[バスドラム]]や[[トムトム]]が印象的な[[ドラムセット]]も併せて話題になった。それを演奏しながら、[[ヘッドセット (音響機器)|インカム]]でメインボーカル装着したドラマーが演奏担当、ドラムを叩きながら[[ファルセット]]を駆使し高音でメインボーカルを務める歌うスタイルは斬新であった。
:* なお、笠は「SIMMONS」の知名度を日本に広めた功績を認められ、後にシモンズ社から限定生産のドラムセットのモニターに選ばれている。
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; '''[[田口智治]]'''(たぐち ともはる、[[1960年]][[10月27日]] - 、[[キーボード (楽器)|キーボード]])
:* 加入前は[[近藤真彦]]の[[バックバンド]]「ダブルス」に所属。既に武道館での公演も経験しているプロのキーボード奏者であった。生活に不自由はなく順風満帆であったが、ミュージシャンとしての可能性を試したいと悩んでいた時期とココナッツボーイズメンバーからの誘いが合致して決意を固め、1984年に加入。
:* シンセサイザーは[[ヤマハ・DXシリーズ|ヤマハDX7]]、[[ローランド]]のjupiter-8を初期から使用し、後期には[[LA音源|D-50]]や[[コルグ]]の[[コルグ・Mシリーズ|M1]]も使用している。普段は温和で[[天然ボケ|おとぼけキャラ]]だったため「愛すべきイジられ役」であった
:* 初期は後ろ髪をやや長めに伸ばし、紫色に染めて束ねていた。髪色を戻した1986年から暫く[[口髭]]を蓄えていた。普段は温和で[[天然ボケ|おとぼけキャラ]]だったため「愛すべきイジられ役」であった。
:* 後期のアルバム制作においては作曲・編曲面において中核的な存在であった。
:* シングルのメインボーカルを担当することはなかったが、アルバムでは「Happy Song」12インチシングル[[いものねだりのI Want You|ないものねだりのI Want You〜ゼイ肉Mix]]で一部歌唱したものがある。ライブにおいては、1987年に脱退した関口のパートを替わりに歌う他、レコードで渡辺が歌っている「スワンの城」のサビのコーラスパートを歌うこともあった。また、2011年に参加したファンキー末吉プロデュースアルバム「We Love Bukufu Slump」収録の「[[Runner (爆風スランプの曲)|Runner]]」でも同様にリレー形式で歌っている。
:* 2015年7月2日、[[覚せい剤取締法]]違反(所持)の疑いで[[神奈川県警察]]に[[現行犯]][[逮捕]]<ref>{{Cite web |url=http://www.kanaloco.jp/article/106494 |title=C-C-B元メンバーを逮捕 覚せい剤所持容疑 |accessdate=2015-7-2 |date=2015-7-2 |work=[[カナロコ]] |publisher=神奈川新聞社}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/07/02/kiji/K20150702010655910.html|title=C-C-B 元メンバー逮捕 覚せい剤所持「自分で使うために」|publisher=[[スポニチ]]|date=2015-07-03|accessdate=2015-07-03}}</ref>。それを受け、翌[[7月3日]]に[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]の[[BLUFF_(バンド)#メンバー|松木隆裕]]は、C-C-B名義で出演予定だった音楽イベントやコンサートへの出演を当面の間すべて辞退することを発表<ref>{{cite web|url=https://www.sanspo.com/article/20150703-6LC4LBKJI5LG3GNDMQKDVEAXYI/|title=C-C-B、予定の音楽イベントなどすべて出演辞退|publisher=[[サンスポ]]|date=2015-07-03|accessdate=2015-07-03}}</ref>。同年、7月23日、覚せい剤取締法違反(所持、使用)の罪で[[起訴]]された<ref>{{Cite web|url= https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/07/24/kiji/K20150724010793720.html |title= 覚せい剤所持、使用で「C-C-B」元メンバー田口容疑者を起訴 |publisher= Sponichi Annex |date= 2015-07-24 |accessdate= 2015-08-17 }}</ref>。
:* [[2016年]]4月14日、再度覚醒剤を使用した容疑で[[神奈川県警察]]に逮捕<ref>[http://this.kiji.is/93198564844224515 「C-C-B」元メンバーを逮捕 覚醒剤使用容疑、神奈川県警] 共同通信2016年4月14日</ref>。同年5月2日、起訴される<ref>{{Cite web|url= http://www.kanaloco.jp/article/169942|title= 元C-C-Bメンバー起訴、覚せい剤使用の罪、横浜地検|publisher= カナコロ|date= 2016-05-02 |accessdate= 2016-10-31 }}</ref>。同年7月11日、[[横浜地方裁判所]]により懲役1年6か月、うち懲役4か月を[[保護観察]]付き[[執行猶予]]2年の判決が言い渡された<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1676930.html|title=元CCB田口智治被告、覚醒剤使用で一部執行猶予|newspaper=日刊スポーツ|date=2016-07-11|accessdate=2016-10-31}}</ref>。2021年10月に5年6カ月ぶりにFaceBookを更新して自身の健康状態など近況を報告したが、表立っての音楽活動はしていない
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; '''[[米川英之]]'''(よねかわ ひでゆき、[[1964年]][[3月3日]] - 、リード[[ギター]])
:* 音楽専門学校在籍時にスカウトされ、1984年に加入。
:* 関口が在籍時代はボーカルをとることが少なく、主にコーラスを担当。ギターを弾くことに比重を置いていた。関口の脱退後は、関口が歌っていたパートを他のメンバーで振り分けて歌うようになり、米川のボーカルパートも増えた。
:* アルバム「愛の力コブ」の収録曲『ハートブレイク・カラー』でメインボーカルデビュー<!--当時のラジオ番組「C-C-Bのきまぐれナイト・フェイス」では「米川君が歌ってんの」と紹介された。 特筆に値しないためコメントアウト-->。初めてメインボーカルを務めたシングル曲は『[[抱きしめたい (C-C-Bの曲)|抱きしめたい]]』(1987年)である。(ただし、1作前の「原色したいね」でも一部ボーカルを務めている)
:* メンバーで唯一、派手な[[ヘアカラー]]を入れずに自然な髪色で通した。
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; '''[[関口誠人]]'''(せきぐち まこと、[[1959年]][[5月2日]] - 、<!--カット-->ギター)
:* 担当はギター。ココナッツボーイズに参加するまで主に[[フォークギター]]を弾いていたため、当初はエレキギターは不得手であったが、その後練習を重ね、教則本を出せるまでに上達したと語っている<ref>{{Cite web|url=https://asajo.jp/excerpt/31065|title=元C-C-B関口誠人が街頭インタビューに一般人として登場!視聴者もビックリ|publisher=アサジョ|date=2017-06-10|accessdate=2021-11-24}}</ref>。また、楽曲によって[[サキソフォーン|サックス]]やキーボードを演奏することもあった。
:* ライブでは「ラスト・ステップ」や「噂のカタカナ・ボーイ」などの曲で[[サキソフォーン|サックス]]を吹くことや、「Day Dream Believer」や「ハートブレイク・カラー」などの曲でキーボードを演奏することもあった。
:* 結成当初からのメンバーであったが、1987年1月の「[[中野サンプラザ]]3Day's」公演最終日に脱退を表明。脱退直前よりソロ活動を始め、[[シンガーソングライター]]を主軸とする傍ら、[[俳優]]や[[小説]]執筆、[[ラジオパーソナリティ]]などに挑戦した。
:* 初期は髪を緑色に染めていた。黒髪に戻してからは髪を伸ばして後ろで束ねたり、ワンレングスのカーリーヘアにしていた。2008年に渡辺・笠と三人で再結成した際は、当時のイメージを再現するため緑色の[[かつら (装身具)|カツラ]]を着用した(2009年終了)。
:* “AJAJ-米田渡-及び2015年以降のC-C-B名義の活動には参加せず、ソロ活動を行っている。
 
== 解散後 ==
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* [[2017年]]7月、『笠浩二 Live Tour2017 feat.米川英之』のライブスケジュールの詳細を発表。、開催都市には2015年6月に『C-C-B TOUR 2015 「Welcome to the C-C-B SHOW」 〜昔の名前で出ています〜』公演を行う予定だった都市を含み、同年11月3日 - 8日まで4都市で行われ、笠のソロ活動および米川が作曲・編曲に関わるC-C-Bの楽曲を披露した。
* [[2020年]]10月31日、同年10月7日に他界した筒美京平を偲ぶ特集番組『[[NHKスペシャル]] 筒美京平からの贈りもの 天才作曲家の素顔』に笠が出演。C-C-Bをメジャーシーンに押し上げたきっかけとなった『Romanticが止まらない』のメインボーカルに笠を起用した経緯や秘話を語った。
* [[2021年]]4月17日・18日、『<small>〜筒美京平 オフィシャル・トリビュート・プロジェクト〜</small>ザ・ヒット・ソング・メーカー 筒美京平の世界 in コンサート』が[[東京国際フォーラム]]にて開催された。笠と米川がC-C-Bとして両日参加。筒美が作曲した「Romanticが止まらない」「Lucky Chanceをもう一度」の2曲を披露した。
* 2021年11月5日・6日、『<small>松本隆 作詞活動50周年記念オフィシャル・プロジェクト</small> 風街オデッセイ2021』が[[日本武道館]]にて開催され、笠と米川がC-C-Bとして、5日の《第一夜》に出演。松本が作詞をした「Romanticが止まらない」「Lucky Chanceをもう一度」の2曲を披露した。
 
==== AJ-米田渡- (エージェイ-よねたわたる-) ====
* [[2004年]]、C-C-B解散後に渡辺・田口・米川の総合ファンクラブの名称として使用した'''ヨネタワタル'''名義を、3人の音楽ユニットの名義としても使用する旨を発表。同年7月6日・8日に[[青山円形劇場]]において「CCB21☆LIVE'04 Project vol.1 FROM ヨネタワタル」と銘打ったライブを行った。6日分のチケットが即日完売になったことを受けて、8日の追加公演が急遽決定した(8日はサプライズゲストとして笠が登場)。なお、ライブの模様はビデオ撮影がなされ後日販売も計画されていたが、諸事情により暗礁に乗り上げお蔵入りのままになっている。
* [[2011年]]、「ヨネタワタル」を「'''AJ-米田渡-'''」名義に改め再始動。
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* '''オープニングラップ''' 作詞:渡辺英樹・関口誠人 / 作曲:田口智治・米川英之・笠浩二
* '''カラフルコミックス''' 作曲:田口智治・渡辺英樹・米川英之・関口誠人・笠浩二
* '''グッナイトは早すぎる''' 作詞・作曲:関口誠人
* '''イタイケSugar Boy''' 作詞・作曲:渡辺英樹
 
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=== ラジオ番組 ===
* [[C-C-Bの進め!おもしろバホバホ隊]](1986年4月 - 1986年10月、[[TBSラジオ]]) - [[所ジョージ]]が月曜日から金曜日まで「[[進め!おもしろバホバホ隊]]」のメインパーソナリティを務めていた頃は、[[箱番組]]のひとつとして「C-C-Bのカラフルココナッツ」を担当。その後、曜日別にメインパーソナリティを分けることになり、火曜日を担当。
* C-C-Bのいたずらコミックス
* C-C-Bのきまぐれナイト・フェイス(1985年 - 1986年、TBSラジオ)