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| Artist = [[UNICORN]]
| Released = [[1989年]][[6月1日]]
| Recorded = 1989年2月{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=96|ps= - 「INTERVIEW」より}} - <br />[[観音崎京急ホテル|観音崎マリンスタジオ]]<br />スタジオ・テイクワン<br />[[音響ハウス]]<br />サウンド・アトリエ<br />[[一口坂スタジオ]]<br />[[サウンドインスタジオ]]<br />[[ソニー・ミュージックスタジオ#ソニー・ミュージック信濃町スタジオ|ソニー信濃町スタジオ]]
| Recorded =
| Genre = [[ロック (音楽)|ロック]]<br />[[ポピュラー音楽|ポップス]]<br />[[ジャズ]]<br />[[ワルツ]]<br />[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]<br />[[インドの伝統音楽|インド音楽]]<br />[[ロックンロール]]<br />[[フォークソング]]
| Genre = [[ロック (音楽)|ロック]]
| Length = 53分16秒
| Label = [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)レコーズ|CBS・ソニー]]
| Producer = [[笹路正徳]]
| Reviews =
| Chart position = *3位([[オリコンチャート|オリコン]])
| Certification =
| Last album = [[PANIC ATTACK]]<br />([[1988年]])
| This album = '''服部'''<br />(1989年)
| Next album = [[ケダモノの嵐]]<br />([[1990年]])
| Misc = {{Singles
| Name = 服部
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| Single 2 date = 1989年[[9月1日]]
}}
| EAN = {{Collapsible list |title = EAN一覧 |1 = {{EAN|4988009591360}}(1989年・初回盤)<br />{{EAN|4988009591469}}(1989年・通常盤){{EAN|4988009705767}}(1992年・MD)<br />{{EAN|4988009341323}}(1995年・CD)<br />{{EAN|4547557005813}}(2007年・CD)}}
}}
『'''服部'''』(はっとり)は、日本の[[バンド (音楽)#ロックバンド|ロックバンド]]である[[UNICORN]]の3枚目の[[スタジオ・アルバム]]。[[1989年]][[6月1日]]発売。発売元は[[ソニー・ミュー|オリックエンタテインメント (日本)|CBSナルソニーアルバム]]。
 
[[1989年]][[6月1日]]に[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBSソニー]]からリリースされた。前作『[[PANIC ATTACK]]』([[1988年]])よりおよそ1年ぶりにリリースされた作品であり、前作までは作詞・作曲はほぼ全曲において[[奥田民生]]が担当していたが、本作では[[堀内一史]]および[[阿部義晴]]、[[川西幸一]]、[[手島いさむ]]のメンバー全員が作詞もしくは作曲を担当している。プロデューサーは前作に引き続き[[笹路正徳]]が担当している。
== 概要 ==
[[1987年]]にメジャーデビューしたUNICORNは「[[ハードロック]]ではなく、ハードなロックをやる」という宣伝コピーであり、ラブソングを中心としたドラマチックで切ないメロディを中心の楽曲としていた{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 201-211 / 8%}}。CBS・ソニーでUNICORNの宣伝担当者だった中村収は「ポスト[[BOØWY]]・ポスト[[UP-BEAT]]」であったと表現している{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 230 / 9%}}。しかしリーダーの[[川西幸一]](当時は西川幸一)が「アイドルみたいな、タレントみたいなのが嫌だった」と語るように、メンバーの中には鬱屈したものが溜まっていた{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 273 / 11%}}。
 
前作レコーディング中に新たに加入した阿部が正式に参加した初のアルバムであり、また初めてメンバーの意向が全面的に押し出されたアルバムであると奥田は述べている。アルバムタイトルは意味のないタイトルにしたいというメンバーの要望から決定され、[[ジャズ]]と[[ワルツ]]の融合や[[サンバ]]、[[インドの伝統音楽|インド音楽]]や[[ロックンロール]]、[[フォークソング]]など様々なジャンルの曲が収録された。
1988年2月15日にキーボード[[向井美音里]]が脱退、6月21日にプロデューサー[[笹路正徳]]のアシスタントで、過去アルバムにも参加した[[ABEDON|阿部義晴(現・ABEDON)]]の加入が発表され大きな節目を迎える中のアルバム制作だった。
 
[[オリコンチャート]]では最高位3位となり、バンドとして初のトップ10入りを果たした。先行シングルとしてバンド初となるシングル「[[大迷惑]]」がリリースされた他、[[リカット]]として「[[デーゲーム]]」がリリースされ、1曲目には[[コメディアン]]であり[[俳優]]の[[坂上二郎]]による歌唱バージョンが収録された。
制作にあたっては従来のイメージを大きく覆すタイトルの『服部』が採用され、また制作方法も大きく様変わりした。メンバー全員が作詞・作曲を担当することとなり{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 578 / 23%}}、演奏面でも[[ボーカル]]の[[奥田民生]]以外のメンバーや、メンバーでない人物もリードボーカルとして歌唱している。奥田は「まわりの状況も見て」「ちゃんと自分らで考えて作れるようになった、最初のアルバムなんじゃないですかね」と語っている{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 1118 / 45%}}。このアルバム制作を通じ、UNICORNの歌詞や演奏フォーマットは従来の[[ロックバンド]]的なものにとらわれないものとなった{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 494 / 20%}}。奥田は「UNICORNが『服部』みたいな方向に行くようになった」のは、ディレクター[[河合誠一マイケル]]の影響が大きかったと語っている{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 558 / 22%}}。またこのアルバム制作時期の前後で、UNICORNは本格的にテレビ出演を行うようになり、先行リリースされた『[[大迷惑]]』のヒットもあり{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 1523-1533 / 61%}}、大きな人気を得ることとなった{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 1678-1686 / 67%}}。
 
== タイトルの由来背景 ==
奥田民生は前作のアルバム『[[PANIC ATTACKBOOM]]』のツア([[1987年]])でメジャーデビュが終わっ時から、UNICORNは[[ハードロック]]でもう『服部』ぐらいのタイトルでいいんじゃいの?く、ハードなロックをやる」と考えておいう宣伝コピーがあり、「ほんラブソングを中心に何の意味もないタイトルにしたかった」ドラマチックで切ないメロディの楽曲を中心としていた{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1091201-211 / 438%}}、『山田』。CBS・ソニーも良かUNICORNの宣伝担当者だった中村収は「ポスト[[BOØWY]]・ポスト[[UP-BEAT]]」であったと語っ表現している{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 512-520230 / 20-219%}}。1989年1月19日、しかしリーダーの[[大阪厚生年金会館]]で行われた「PANIC ATTACKツアー」最終日の打ち上げ会場で、奥田・川西幸一・[[堀内一史]]・[[手島いさむ]]の4人で話し合って『服部』と決めた。これをスタッフに伝えたところ、スタッフ(当時反応に困り静まり返っ西川幸一)が「アイドルみう。川西は「『服部』って言われても音楽と結びつかいからタレントんな「どんな音楽?」ってたいのが嫌だったんだ語るよ。それって興味が湧くじゃん。そに、メンバー瞬間『よ鬱屈、やっものが溜まって思っんだよ」と述べている{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 520-530273 / 2111%}}。
 
1988年[[1月31日]]の[[インクスティック|インクスティック芝浦]]公演を最後に[[キーボード (楽器)|キーボード]]担当の[[向井美音里]]が脱退を表明、[[2月15日]]に正式に脱退することとなった。[[6月21日]]にはプロデューサー[[笹路正徳]]のアシスタントで、過去アルバムにも参加した[[ABEDON|阿部義晴(現・ABEDON)]]の加入が発表され、2枚目のアルバム『[[PANIC ATTACK]]』(1988年)にはスタッフとしてクレジットされているものの、阿部の正式加入前に制作されたアルバムのため阿部はバンドメンバーとしては記載されていなかった。しかし、その後のコンサートツアー「UNICORN TOUR PANICK ATTACK'88」には参加しており、同ツアーは同年[[10月14日]]の[[渋谷公会堂]]公演から[[12月24日]]の[[秋田県児童会館]]公演まで、20都市全24公演が行われた。
『THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.1』の解説はマネージャーに就任した原田公一の柔軟な考えにより採用されたとしているが、原田がUNICORNのマネージャーとなったのは、1月31日である{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 749 / 30%}}。原田自身はマネージャーになる前から『服部』のアイデアは聞いており、「アルバムに人格をもたせること」が出発点であり、その中で『服部』という言葉の響きや読みがなが面白いという話を回想している{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 588 / 23%}}。
 
== 録音、制作 ==
『服部』はこのアルバムより加入した阿部義晴の出身地である山形の実業家[[服部敬雄]]が由来であったという噂が存在しているが、奥田と阿部は「そんな人は知らん」と答えている{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 502 / 20%}}。
{{Quote box|width=230px|align=right|quote=5人になって、自分たちでほとんど決めて、オレらが崖に落ちそうになる所で、笹路さんが待ちんさい、こっち向きなさいというフォローを入れてくれるだけになって。|source=川西幸一, <br />{{Small2|ARENA37℃ 1989年6月号}}{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=104|ps= - 「INTERVIEW」より}}}}
本作のレコーディングは1989年2月半ばより[[観音崎京急ホテル|観音崎マリンスタジオ]]およびスタジオ・テイクワン、[[音響ハウス]]、サウンド・アトリエ、[[一口坂スタジオ]]、[[サウンドインスタジオ]]、[[ソニー・ミュージックスタジオ#ソニー・ミュージック信濃町スタジオ|ソニー信濃町スタジオ]]と多岐に亘って行われた。
 
制作にあたっては従来のイメージを大きく覆すタイトルの『服部』が採用され、また制作方法も大きく様変わりした。メンバー全員が作詞・作曲を担当することとなり{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 578 / 23%}}、演奏面でも[[ボーカル]]の[[奥田民生]]以外のメンバーや、メンバーでない人物もリードボーカルとして歌唱している。奥田は「まわりの状況も見て」「ちゃんと自分らで考えて作れるようになった、最初のアルバムなんじゃないですかね」と述べている{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1118 / 45%}}。このアルバム制作を通じ、UNICORNの歌詞や演奏フォーマットは従来の[[ロックバンド]]的なものにとらわれないものとなった{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 494 / 20%}}。奥田は「UNICORNが『服部』みたいな方向に行くようになった」のは、ディレクター[[河合誠一マイケル]]の影響が大きかったと述べている{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 558 / 22%}}。[[手島いさむ]]は本作のために12、3曲に及ぶ曲を制作しており、他のメンバーも全員作曲を手掛けたことから30曲以上におよぶ楽曲の中から絞り込みが行われた{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=97|ps= - 「INTERVIEW」より}}。[[川西幸一]]は制作前に阿部の加入によって1枚目および2枚目のアルバムとはキーボードの存在意義を変えたいと発言している{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=97|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
 
音楽誌『[[ARENA37℃]]』1989年6月号のインタビューにおいて堀内は、前作までは1曲づつ個別に聴かせる形で制作されていたが、本作ではライブを想定して最後の曲まで一貫して聴かせる形で制作したと述べており、奥田は最終曲の「ミルク」がアンコールをイメージしていると述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=103|ps= - 「INTERVIEW」より}}。川西は1枚目のアルバムは状況が理解できないまま制作され、2枚目のアルバムは笹路のプロデュースから多くを学び、本作の制作では5人のメンバーでほぼすべてが決定され、行き詰まりかけた際に笹路からアドバイスを受ける程度になっており、次作ではセルフ・プロデュースも検討していると述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=104|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
 
== 音楽性とアルバムタイトル ==
本作の音楽性に関してライターの藤野洋子は、[[ジャズ]]と[[ワルツ]]の融合や[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]、[[インドの伝統音楽|インド音楽]]や[[ロックンロール]]、[[フォークソング]]などバラエティに富んだ内容になっていると述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=103|ps= - 「INTERVIEW」より}}。歌詞の中で男子や女子を題材としたものが減少していることに関して、奥田は「あきちゃったの、それ自体に」と述べ、また「言ってることは同じなのかもしれないけど、周りの、もっと深い状況に重点を置くようになっているよね」と述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=104|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
 
音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』において音楽ライターの菅岳彦は、本作のコンセプトが「矮小なオリジナリティーよりもクリエイティブなパクリを」であると主張し、様々な音楽からの引用を多用していることから[[ピチカート・ファイヴ]]の1枚目のアルバム『[[couples]]』(1987年)に近いと述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=43|ps= - 菅岳彦「THE HISTORY ユニコーンのいっしょう 第2期: 爆発 (1989)」より}}。音楽的な方向性や統一感が欠落した広がり方をしている点に関して、菅は「ユニコーン流のコンセプト・アルバムの表現だった」と述べた他、メンバー全員が曲を制作し歌唱するスタイルがUNICORNが大きく影響を受けた[[ビートルズ]]と類似していると指摘、また奥田による刺激的で理解不能な[[アバンギャルド]]な歌詞に関しても「[[ジョン・レノン]]の奥田民生的解釈とも言える」と述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=43|ps= - 菅岳彦「THE HISTORY ユニコーンのいっしょう 第2期: 爆発 (1989)」より}}。また同誌にて音楽解説者の榊ひろとは、「ペーター」は「ノスタルジックなワルツとジャジーな4分の5拍子」の曲、「逆光」は「アヴァンギャルドでスケールの大きなバラード」、「デーゲーム」は「インド音楽風のストリングスが印象的」と述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=77|ps= - 榊ひろと「バンド・デモクラシーの贈り物 EBI、阿部、川西、手島の作品から聞くユニコーン」より}}。
 
{{Quote box|width=230px|align=right|quote=前のアルバムを出したあたりで、なんかの話のきっかけで、服部という言葉が浸透してたんですよ。ま、別にね、アルバム・タイトルが人の名前でもいいじゃないかとね、鈴木とか、服部? うん、響きもいいしと。|source=川西幸一, <br />{{Small2|ARENA37℃ 1989年6月号}}{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=103|ps= - 「INTERVIEW」より}}}}
アルバムタイトルに冠して、奥田は全国ツアーである「UNICORN TOUR PANICK ATTACK'88」が終了した時点から、「次はもう『服部』ぐらいのタイトルでいいんじゃないの?」と考えており、「ほんとに何の意味もないタイトルにしたかった」として{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1091 / 43%}}、『山田』でも良かったと述べている{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 512-520 / 20-21%}}。リリース当時のインタビューにおいて奥田はツアーに入った時にはすでに決めていたと述べており、前作がリリースされた頃に何かの切っ掛けで「服部」という言葉が浸透しており、アルバム・タイトルが人名でもいいのではないかという考えで検討していた{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=103|ps= - 「INTERVIEW」より}}。1989年1月19日、[[大阪厚生年金会館]]で行われたツアー最終日の打ち上げ会場で、奥田・川西幸一・[[堀内一史]]・[[手島いさむ]]の4人で話し合って『服部』と決めた。これをスタッフに伝えたところ、スタッフは反応に困り静まり返ったという。川西は「『服部』って言われても音楽と結びつかないから、みんな「どんな音楽?」ってなったんだと思う。それって興味が湧くじゃん。その瞬間に俺は『よし、やった』って思ったんだよ」と述べている{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 520-530 / 21%}}。
 
『THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.1』の解説では、マネージャーに就任した原田公一の柔軟な考えにより採用されたとしているが、原田がUNICORNのマネージャーとなったのは、同年1月31日である{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 749 / 30%}}。原田自身はマネージャーになる前から『服部』のアイデアは聞いており、「アルバムに人格をもたせること」が出発点であり、その中で『服部』という言葉の響きや読みがなが面白いという話を回想している{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 588 / 23%}}。『服部』という名前は阿部の出身地である山形の実業家の[[服部敬雄]]が由来であるという噂が存在しているが、奥田と阿部は「そんな人は知らん」と答えている{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 502 / 20%}}。
 
== リリース ==
[[1988年]][[7月21日]]に[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]]から、[[コンパクトディスク|CD]]、[[カセットテープ|CT]]の2形態でリリースされた。CDの初回限定盤には、制作進行の須藤由美子の発案で「服部」の題字が書かれた巾着袋がついていた{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1383 / 55%}}。本作よりCDとCTのみの発売となったことに関して、[[レコード]]盤を愛好する奥田は残念がっていた。
 
[[1992年]][[11月21日]]には[[ミニディスク|MD]]にて再リリース、UNICORN解散後となる[[1995年]][[12月13日]]には、ソニー・ミュージックレコーズから「ユニコーンの逆転満塁ホームランプライスシリーズ」として廉価版CDがリリースされた。また、[[2007年]][[12月19日]]には[[エスエムイーレコーズ]]から[[ディスクジャケット|紙ジャケット]]仕様CDとして再リリースされた<ref>{{Cite web |author= |date=2007-10-11 |url=https://natalie.mu/music/news/3745 |title=<nowiki>[奥田民生]</nowiki> ソロ&ユニコーンの作品紙ジャケ化 |website=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]] |publisher=ナターシャ |accessdate=2021-11-27}}</ref><ref>{{Cite web |author= |date= 2007-10-12|url=https://www.cdjournal.com/main/news/-/16808 |title=奥田民生ソロ作品とユニコーンのアルバムが紙ジャケ再発決定! |website=CDジャーナル |publisher=音楽出版 |accessdate=2021-12-05}}</ref><ref>{{Cite web |author= |date=2007-12-18 |url=https://rockinon.com/news/detail/1735 |title=奥田民生 デビュー20周年記念で旧譜アルバムを紙ジャケットで再発! |website=[[ロッキング・オン|Rockinon.com]] |publisher=ロッキング・オン・ホールディングス |accessdate=2021-11-27}}</ref>。さらに[[2012年]][[12月5日]]には[[CD-BOX]]『UNICORN SME ERA - remasterd BOX』において[[デジタルリマスター|デジタル・リマスタリング]]盤が収録された<ref>{{Cite web |author= |date=2012-10-09 |url=https://natalie.mu/music/news/77939 |title=解散前のユニコーンを凝縮!10枚組6500円ボックス発売 |website=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]] |publisher=ナターシャ |accessdate=2021-11-27}}</ref><ref>{{Cite web |author= |date=2012-10-09 |url=https://okmusic.jp/news/18732 |title=ユニコーン25周年記念!10枚組アルバムBOXが破格の6500円 |website=[[OKWAVE|OKMusic]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |accessdate=2021-11-27}}</ref><ref>{{Cite web |author= |date=2012-10-09 |url=https://rockinon.com/news/detail/73741 |title=ユニコーン、SMEレコーズ在籍時の全アルバムをコレクションした10枚組BOXを6500円でリリース |website=[[ロッキング・オン|Rockinon.com]] |publisher=ロッキング・オン・ホールディングス |accessdate=2021-11-27}}</ref>。
 
[[2019年]][[11月21日]]には、本作制作時の様子について、メンバーやスタッフへのインタビューを行った『ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー』が発刊された。
 
== プロモーション ==
本作制作時期の前後で、UNICORNは本格的にテレビ出演を行うようになり、先行リリースされた「[[大迷惑]]」のヒットもあり{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1523-1533 / 61%}}、大きな人気を得ることとなった{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1678-1686 / 67%}}。主なテレビ出演としては、1989年[[5月6日]]放送の[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]音楽番組『[[ジャストポップアップ]]』(1988年 - [[1991年]])、5月20日放送の[[フジテレビ系列|フジテレビ系]]音楽番組『[[オールナイトフジ]]』(1983年 - 1991年)、[[5月25日]]放送の[[TBS系列|TBS系]]音楽番組『[[ザ・ベストテン]]』([[1978年]] - [[1989年]])などに出演した他、[[7月26日]]放送のフジテレビ系音楽番組『[[夜のヒットスタジオ|夜のヒットスタジオDELUXE]]』(1985年 - 1989年)にて初出演を果たし、いずれも「大迷惑」を演奏した。
 
また、[[8月19日]]放送の『オールナイトフジ』では「大迷惑」とともに「デーゲーム」が演奏された他、[[9月18日]]放送の[[日本テレビ系列|日本テレビ系]]音楽番組『[[歌のトップテン]]』([[1986年]] - [[1990年]])においては[[コメディアン]]であり[[俳優]]の[[坂上二郎]]のみが出演しメンバーが出演しない形で「デーゲーム」が演奏された。[[12月15日]]放送の『ヒットスタジオR&N』においては「パパは金持ち」および「君達は天使」が演奏、[[12月16日]]放送のフジテレビ系バラエティ番組『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』(1988年 - 1991年)においては「ツイストで目を覚ませ」が演奏、1990年[[1月13日]]放送の日本テレビ系バラエティ番組『[[爆風スランプのお店]]』(1989年 - 1990年)においては「服部」および「人生は上々だ」が演奏、同年[[4月18日]]放送の『ジャストポップアップ』においては「服部」が演奏された。
 
== アートワーク ==
ジャケット写真には、メンバーではない老齢男性の顔が大写しとなったものが採用されている。モデルは、当時[[東京都]][[荒川区]]在住の[[鳶職]]で[[公益法人]]江戸消防記念会(現・[[一般社団法人]]江戸消防記念会)第五区七番組(旧[[火消#町火消|江戸町火消]]九番組れ組)副組頭を務めていた中村福太郎([[1921年]] - [[2019年]])<ref name="arakawa">[http://www.city.arakawa.tokyo.jp/unet/issue/0512/index.html 「生涯現役!この人に会いたい! 第五區七番「れ組」組頭 中村 福太郎さん」] 『荒川ゆうネット』、[[荒川区]]管理部情報システム課、2005年12月。</ref>である。ディレクターの河合誠一マイケルは、アメリカの写真家[[リチャード・アヴェドン]]の写真集を見てジャケットできないかと考えていたという{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1343 / 53%}}。河合から「粋で、いなせで、味のある人がいい、でも有名人じゃない」人を探していると聞かされた制作進行の須藤由美子は当時日暮里に住んでおり、中村を紹介することとなった{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1353 / 54%}}。当初はCBSソニーの社内にいた「服部」という人物も候補に上がっていたという{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1363 / 54%}}。[[コンパクトディスク]]のジャケットサイズが小さいことに不満を持っていたアートディレクターの野本卓司は、インパクトを出すために顔のアップにすることとした{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1374 / 55%}}。
 
宣伝担当者の中村収は、会議で「なんでジャケットにメンバーが出ないんだ」とか「このおじいさんは誰だ!」と責められたと回想している{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 520-530 / 21%}}。また川西幸一は[[ローリング・ストーンズ]]の[[チャーリー・ワッツ]]にこのアルバムを渡したところ、「Who?」「まさかメンバーじゃないよね、誰なの?」と聞かれたことを回想している。
 
「服部」発売当時『[[夜のヒットスタジオ]]DELUXE』にユニコーンUNICORNが出演した際は「イメージボーイ」としてメンバーと共演している{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1423 / 57%}}。この時の歌唱曲は「大迷惑」だったが、曲紹介を振られた中村は「ユニコーンで『服部』です」と間違えている{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1542 / 61%}}。ち、七番組組頭就任したの[[2004年]]にも、阿部義晴がプロデュースした[[氣志團]]のアルバム『[[TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE]]』([[2004年]])のジャケット写真に起用され、紫のリーゼントカツラ姿になった<ref>[http{{Cite web |author= |date=2007-02-13 |url=https://www.emimusictower.jp/domesticitem/release1069479/200403TOO-FAST-TO-LIVE-TOO-YOUNG-TO-DIE-%5bCCCD%EF%BC%8BDVD%5d%EF%BC%9C%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%9B%A4%EF%BC%9E |title=氣志團/toct25363.htmTOO EMIFAST MusicTO JapanLIVE TOO YOUNG TO DIE [CCCD+DVD]<限定盤> |website=TOWER RECORDS ONLINE |publisher=[[タワーレコード]] |accessdate=2021-12-20}}</ref>。その後、本アルバム発売から30年となる[[2019年]][[3月]]に98歳で逝去した<ref>{{Cite webinstagram|titleuser=showayanocozey |author=[[綾小路 のInstagram]] |urlpostid=https://www.instagram.com/p/B5MpHy8newU/ |accessdatetitle=今年の3月に逝去なされていたそうです。享年98歳。 |date=2019-11-23 |access-date=2019-11-26}}</ref><ref>{{Cite web |author= |date=2019-11-25 |url=https://sirabee.com/2019/11/25/20162205087/ |title=ユニコーン「服部」ジャケットでおなじみ 中村福太郎さん死去|url=https://sirabee.com/2019/11/25/20162205087/ |website=[[博報堂DYホールディングス|しらべぇ]] |publisher=NEWSY |accessdate=2019-11-26}}</ref>。また、『服部』の題字はアートディレクターの野本が書いたものである{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1402 / 56%}}
 
== ツアー ==
『服部』の題字はアートディレクターの野本が書いたものである{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 1402 / 56%}}。
本作を受けたコンサートツアーは、「UNICORN WORLD TOUR 1989 服部」と題して1989年[[4月21日]]の[[戸田市文化会館]]公演から[[7月10日]]の[[日本武道館]]公演まで、37都市全41公演が行われた。東京においては[[4月29日]]に[[日比谷野外音楽堂]]、[[5月13日]]に東京PIT公演が行われた{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=128|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。2会場の公演では冒頭にインストゥルメンタルである「ハッタリ」が会場内に流れ、日比谷野音音楽堂においては本作の収録曲をほぼ全曲網羅した構成であったが、聴衆のほとんどが初めて聴く楽曲であったこともあり、盛況とはいえない状態であった{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=128|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。そのこともあり、東京PITにおいては曲目は変えずに曲順のみを変更、当日の構成はリハーサル中に急遽決定されたものであり、また楽屋を突然訪れた[[JUN SKY WALKER(S)]]の[[寺岡呼人]]が要望したことからオープニングナンバーである「人生は上々だ」は阿部と寺岡によって歌唱されることになった{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=128|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。
 
ツアー最終日となる7月10日には初の日本武道館公演を実施、同日には全国から選ばれた[[服部]]姓の人を「服部様ご一行」名義で招待している。ステージ装飾はシンプルであり、セットらしいものはなく5人の演奏だけを聴かせるようなステージ構成となった{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=130|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。当日は1万人が動員され、客電が落ちると同時にスクリーンに「服部」の2文字が浮かび上がり、奥田による「そこから手島くんは見えるか? 見えない? それはホントに大・迷・惑!」という[[司会|MC]]とともに手島と堀内による「大迷惑」の演奏が開始された{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=130|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。その後奥田は「ブドウカンはガイジンがヤルモノ。ワタシたちも出来テ、とてもウレシイです。ドモ、アリガト」とカタコトでMCを行い、その後「SUGAR BOY」が演奏された{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=130|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。「ペケペケ」の演奏では阿部は[[ハーモニカ|ブルースハープ]]を持ちながら走り回り、手島とともに左右の[[やぐら]]にそれぞれ登りギターとブルースハープの共演を行った{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=130|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。「抱けるあの娘」では終盤で奥田が卒倒し退場、代わりに阿部にマイクを奪われるという演出が行われた他、「パパは金持ち~LIMBO」ではスタッフによる一発芸が披露された{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=130|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。最終曲となる「服部」では「最後の曲はお前たちに捧げます!」と奥田がMCした後に、全員ブロンドヘアーの[[かつら (装身具)|かつら]]を付けて「服部様ご一行」に向けて演奏された{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=130|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。アンコールでは川西のボーカルによる「バラバラ」やピアノによるアレンジの「眠る」が演奏された他、[[エルヴィス・プレスリー]]のような白い衣装を着た阿部が登場し、「Y・ABE」と書かれたタオルを用意した上で再び寺岡とのジョイントで「人生は上々だ」が演奏された{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=130|ps= - 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より}}。
また初回限定盤には、制作進行の須藤の発案で「服部」の題字が書かれた巾着袋がついていた{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 1383 / 55%}}。
 
さらに「UNICORN WINTER TOUR PANIC 服部 BOOMツアー」と題したコンサートツアーを、同年[[10月24日]]の戸田市文化会館公演から翌[[1990年]][[3月3日]]の[[山形県県民会館|山形県民会館]]公演まで、38都市全55公演が行われた。[[1月16日]]から[[1月18日]]にかけては[[東京厚生年金会館|新宿厚生年金会館]]において3日間連続公演を実施、初日には坂上二郎がゲストとして登場した{{Sfn|人に歴史あり 其の貳|1992|p=20|ps= - 「人に歴史あり」より}}。
== トリビア ==
*発売年に行われたアルバムツアー「WORLD TOUR 1989 服部」では、全国から選ばれた[[服部]]姓の人を「服部様ご一行」名義で[[日本武道館]]に招待した。10月から「PANIC服部BOOMツアー」が行われている。
*本作よりCDと[[カセットテープ]]のみの発売となり、[[レコード]]盤を愛好する奥田は残念がっていた。
*2019年11月21日には、アルバム製作時の様子について、メンバーやスタッフへのインタビューを行った、『ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー』が発刊された。
*[[マカロニえんぴつ]]のメンバー・はっとりの芸名はこのアルバムのタイトルから取られている。
 
== リリース履歴批評、影響 ==
{{Album ratings
{|class="wikitable" style="white-space:nowrap; font-size:smaller"
| rev1 = CDジャーナル
|-
| rev1Score = 肯定的<ref name="cdjournal"/>
! No.
| rev2 = 音楽誌が書かないJポップ批評22
! 日付
| rev2Score = 肯定的{{Sfn|別冊宝島|2003|pp=76 - 77|ps= - 榊ひろと「バンド・デモクラシーの贈り物 EBI、阿部、川西、手島の作品から聞くユニコーン」より}}
! [[レコードレーベル|レーベル]]
}}
! 規格
音楽情報サイト『CDジャーナル』では、本作は前作までの[[ハードロック]]および[[パンク・ロック]]の路線から転換し「ユーモアあふれる独自のロック・サウンドを展開した」と述べた上で、「「大迷惑」や表題曲「服部」など、痛快なナンバーが満載された名盤だ」と称賛した<ref name="cdjournal">{{Cite web |author= |date= |url=https://artist.cdjournal.com/d/hattori/1140007267 |title=ユニコーン / 服部 <nowiki>[再発]</nowiki> |website=CDジャーナル |publisher=音楽出版 |accessdate=2021-12-11}}</ref>。音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』において音楽解説者の榊ひろとは、本作をビートルズにおける『[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]]』([[1967年]])に当たると位置付けた上で、メンバーそれぞれの制作曲が増えたことで「現在にも通じる奥田ナンバーの個性がかえって際立つようになっている」と指摘した他、「ペーター」および「逆光」、「デーゲーム」が特に良い出来であると肯定的に評価した{{Sfn|別冊宝島|2003|pp=76 - 77|ps= - 榊ひろと「バンド・デモクラシーの贈り物 EBI、阿部、川西、手島の作品から聞くユニコーン」より}}。
! [[規格品番]]
 
! 最高順位
ロックバンドの[[マカロニえんぴつ]]メンバーである「はっとり」の芸名は本作のタイトルから取られている<ref>{{Cite web |author= |date=2020-04-03 |url=https://natalie.mu/music/pp/macaronienpitsu03 |title=マカロニえんぴつ「hope」特集 はっとり(Vo, G)×奥田民生|"バンドの教科書"ユニコーンから学んだ、真面目すぎないフルアルバム |website=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]] |publisher=ナターシャ |accessdate=2021-12-11}}</ref>。
! 備考
 
|-
== チャート成績 ==
| style="text-align:right" | 1
[[オリコンチャート]]では、初回限定盤が最高位3位の登場回数5回で売り上げ枚数は10.8万枚、通常盤は最高位10位の登場回数34回で売り上げ枚数は16.6万枚となり、総合の売り上げ枚数は27.4万枚となった{{Sfn|別冊宝島|2003|p=43|ps= - 菅岳彦「THE HISTORY ユニコーンのいっしょう 第2期: 爆発 (1989)」より}}。
| [[1989年]][[6月1日]]
| [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|CBS・ソニー]]
| [[コンパクトディスク|CD]]・[[カセットテープ|CT]]
| 33DH-5253 (CD・初回限定盤)
| 32DH-5254 (CD・通常盤)
| 28KH-5254 (CT)
| 3位
|
|-
| style="text-align:right" | 2
| [[1995年]][[12月13日]]
| [[ソニー・レコード]]
| CD
| SRCL-3413
| -
| ユニコーンの逆転満塁ホームランプライスシリーズ(廉価版)
|-
| style="text-align:right" | 3
| [[2007年]][[12月19日]]
| [[エスエムイーレコーズ]]
| CD
| SECL-603
| -
| [[ディスクジャケット|紙ジャケット]]仕様
|}
 
== 収録曲 ==
=== 一覧 ===
全編曲: [[笹路正徳]]、UNICORN(注記を除く)。
{{tracklist
| collapsed =
| headline = A面
| extra_column = ボーカル
| total_length = auto
| all_arrangements= [[笹路正徳]]、UNICORN(注記を除く)
| lyrics_credits = yes
| music_credits = yes
| title1 = '''ハッタリ<small>'''
| note1 = 編曲:笹路正徳
| length1 = 3:32
165 ⟶ 167行目:
| extra11 = 阿部義晴、奥田民生
| length11 = 4:14
| title12 = '''<{{ruby><rb>|</rb><rp>(</rp><rt>|いだ</rt><rp>)</rp></ruby>}}けるあの<{{ruby><rb>|</rb><rp>(</rp><rt>|むすめ</rt><rp>)</rp></ruby>}}'''
| lyrics12 = 奥田民生
| music12 = 奥田民生
182 ⟶ 184行目:
}}
 
=== 曲解説 ===
#「'''ハッタリ(<small>メドレー: おかしな2人~ツイストで目を覚ませ〜抱けないあの娘〜Maybe Blue〜Fallin' Night〜ペーター〜I'M A LOSER〜パパは金持ち〜君達は天使</small>)'''」
=== A面 ===
#:[[器楽曲|インストゥルメンタル]]。オーケストラによるユニコーンの楽曲のメドレー。名称はアルバムタイトルに因んだものであり、「大迷惑」にてミュージカルの要素が導入されていたことから、ミュージカルのオープニングで曲の主要部分のみを演奏するメドレーに倣って制作された{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=108|ps= - 「INTERVIEW」より}}。アレンジはメンバーの意図を汲んだ上で笹路が行っている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=108|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
#'''ハッタリ'''
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』においてライターの市川誠は、「編曲を手がけた笹路正徳の職人技が光、してやったりな『服部』オープニング曲だ」と述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#:[[器楽曲|インストゥルメンタル]]。オーケストラによるユニコーンの楽曲のメドレー。
#「'''ジゴロ'''」
#:(曲目:おかしな2人~ツイストで目を覚ませ〜抱けないあの娘〜Maybe Blue〜Fallin' Night〜ペーター〜I'M A LOSER〜パパは金持ち〜君達は天使)
#:メンバーではなく、「ペーター」とクレジットされた当時10歳の子供による歌唱{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=105|ps= - 「INTERVIEW」より}}。作曲した川西は[[ヨーロッパ]]や少年が童謡を歌っているイメージで制作しており、奥田による歌詞については「史上最低の歌詞」と述べたが、「史上最低だから認めざるを得ない」とも述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=105|ps= - 「INTERVIEW」より}}。堀内は子供の名前は収録曲の「ペーター」から取られたのではないかと述べている{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 933 / 37%}}。
#'''ジゴロ'''
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』においてライターの西岡ムサシは、「自信が窺える際どいユーモアだ」と述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#:メンバーではなく、「ペーター」とクレジットされた当時10歳の子供による歌唱。堀内は子供の名前は収録曲の「ペーター」から取られたのではないかと語っている{{sfn|兵庫慎司|2019|Kindle版、位置No.全2511中 933 / 37%}}。
#'''服部'''
#:シングル「大迷惑」のカップリング曲であり表題曲。当初「服部」という曲がなかったため、奥田が書いて制作した。川西は本曲を「完ぺなハードロック」であると主張し、当時の[[ヘヴィメタル]]やハードロックのバンドがポップなメロディーを制作していへの反発から徹底的にハードロックの音楽性を追求したと述べてる{{Sfn|人に歴史あり|1990|pp=105 - 106|ps= - 「INTERVIEW」より}}。歌詞については「人の名前なんだから、何でもいいんだよね、歌詞なんて。「『誰かの曲です』ってこと言えばいいわけだから」と語っ述べている{{sfn|兵庫慎司|2019|loc=Kindle版、位置No.全2511中 1030 / 41%}}。
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』において[[お笑いタレント|お笑いコンビ]]である[[ダイノジ]]の大谷伸彦は、ギターリフが[[リッチー・ブラックモア]]のフレーズと酷似している事を指摘した他、「三十男に女を寝取られる男の悲劇」という歌詞が「ロックっぽくない」と述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=51|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。また、前作収録曲の「HEY! MAN」の続編的であると指摘した他、「早く老けたがっていた(ような)民生の趣味が反映」とも述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=51|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#'''おかしな2人'''
#:[[トリビュート・アルバム]]『[[ユニコーン・カバーズ]]』([[2013年]])において[[グループ魂]]によるカバーが収録されている<ref name="natalie20130213">{{Cite web |author= |date=2013-02-13 |url=https://natalie.mu/music/news/84757 |title=ユニコーン&民生カバー集にJ(S)W、YUKI、HIATUSら参加 |website=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]] |publisher=ナターシャ |accessdate=2021-12-12}}</ref><ref name="barks20130213">{{Cite web |author= |date=2013-02-13 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000087396 |title=グル魂、YUKI、テナー、松たか子ら豪華ラインナップ!ユニコーン/奥田民生カバー集参加アーティスト一挙発表 |website=[[BARKS]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |accessdate=2021-12-12}}</ref><ref name="okmusic20130213">{{Cite web |author= |date=2013-02-13 |url=https://okmusic.jp/news/20764 |title=ユニコーン&民生カヴァー集にジュンスカ、YUKI、the HIATUS、HUSKING BEら |website=[[OKWAVE|OKMusic]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |accessdate=2021-12-12}}</ref><ref name="tower20130213">{{Cite web |author= |date=2013-02-13 |url=https://tower.jp/article/news/2013/02/13/n05 |title=ユニコーン&民生カヴァー盤にくるり、YUKI、スコリバ、ユニゾンら参加 |website=TOWER RECORDS ONLINE |publisher=[[タワーレコード]] |accessdate=2021-12-12}}</ref>。
#:仮タイトルは「ニーズ・オブ・ファン」。
#'''ペーターおかしな2人'''
#:仮タイトルは「ニーズ・オブ・ファン」。川西は本曲を「SUGAR BOY」の路線であると主張し、サビの[[ハーモニー]]の形態が「SHE SAID」と同様であると述べた他、本作のテーマは「ペケペケ」の発展形であり女性側からの視点で描かれた「ペケペケ」であるとも述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=106|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
#'''パパは金持ち'''
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』において市川は、本曲を「バンド・ブーム全盛の当時、巷にあふれていたビート・ポップと、成長期にあったユニコーンの音楽性の接点に生まれた名曲」であると指摘し、序盤からすぐにサビに移行せず、サビが開始してからは歌詞を変えながら何度も同じメロディーが繰り返される構成が面白いと述べ、「曲を作った奥田の才能はもとより、片想いの気持ちを、ユーモラスでありながらせつなさにあふれる独特な言葉遣いで綴った、川西による歌詞がとにかく素晴らしい」と称賛している{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#:トリビュート・アルバム『[[ユニコーン・トリビュート]]』([[2007年]])において[[シュノーケル (バンド)|シュノーケル]]によるカバーが収録されている<ref name="natalie20070824">{{Cite web |author= |date=2007-08-24 |url=https://natalie.mu/music/news/3125 |title=<nowiki>[奥田民生]</nowiki> ユニコーン&民生のトリビュート盤 |website=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]] |publisher=ナターシャ |accessdate=2021-12-05}}</ref><ref name="cdjournal20070824">{{Cite web |author= |date= 2007-08-24|url=https://www.cdjournal.com/main/news/-/16264 |title=奥田民生のデビューから現在までを豪華アーティストがトリビュート! |website=CDジャーナル |publisher=音楽出版 |accessdate=2021-12-05}}</ref><ref name="barks20070912">{{Cite web |author= |date=2007-09-12 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000034199 |title=奥田民生&ユニコーン トリビュート盤の試聴会はドラフト会議!? |website=[[BARKS]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |accessdate=2021-12-05}}</ref>。
#「'''ペーター'''」
#:コンサートツアー中の北海道公演の際に電車に乗って窓の外の雪を眺めながら堀内が制作した曲{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=107|ps= - 「INTERVIEW」より}}。イメージとしては、ヨーロッパの小さな街の寂しい感じを出したと堀内は述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=107|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』において西岡は、本曲を[[ロシア民謡]]風なワルツであり[[ZABADAK]]のような「耽美系[[プログレッシブ・ロック|プログレ]]世界」であると位置付け、後半が「[[テイク・ファイヴ]]」([[1959年]])のように5拍子になることから「EBIの変なセンス爆発」と述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#「'''パパは金持ち'''」
#:次曲とつながっている。[[ミュージック・ビデオ|PV]]も存在し、「君達は天使」と2曲で1つのPVという形式である。
#:曲先の奥田民生にしては珍しく[[詞先]]の曲で、タイトル、歌詞、曲の順で作られた。手島は通常のロックバンドではやらないような軽薄なイントロであると述べた他、ロックンロールからサンバに展開していく構想があったため、ラテン・パーカッションを導入している{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=106|ps= - 「INTERVIEW」より}}
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』において市川は、「無理めな変拍子など、小ネタが詰まっているが、メロディが太いため、型崩れしない」と述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#'''君達は天使'''
#「'''君達は天使'''」
#:[[プリンセス・プリンセス]]の[[岸谷香|奥居香]]と[[PSY・S]]の[[CHAKA (歌手)|CHAKA]](安則まみ)がコーラスで参加している。
#:[[プリンセス プリンセス]]の[[岸谷香|奥居香]]と[[PSY・S]]の[[CHAKA (歌手)|CHAKA]](安則まみ)がコーラスで参加している。前曲からサンバのリズムで繋がっている構成になっているが、これは全くの偶然でありそれぞれ別で制作された曲であったが繋がる構成にした方が面白いとの判断で結合されることとなった{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=107|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
#'''逆光'''
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』においてライターの飯島久美子は、「うっとり歌うEBIの王子様パワーが炸裂、かなり笑える」と述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#「'''逆光'''」
#:当初はボーカルが一定の同じ音を出しながら[[ポピュラー和声|コード進行]]のみが変化する曲を制作する意図であったが、夜に制作していたためにバラードになったと阿部は述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=108|ps= - 「INTERVIEW」より}}。当初制作されたバージョンではバックのサウンドも綺麗なものであったが、気が変わった阿部によって狂ったようなイメージの曲に変更された{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=108|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』においてライターの川口瑞夫は、本曲が阿部による初作品であることに触れた他、「バンド・サウンドとはおよそかけ離れたオーケストラ風のアレンジ」であると述べ、また「新加入の分際でいきなりこんな曲を提出してしまうアベBの悪意も感じられる佳曲」であるとも述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#「'''珍しく寝覚めの良い木曜日'''」
#:手島は本曲は[[レゲエ]]であると述べ、マニュアルトラックダウンが行われたためにベースが途中で切れたような音になっていると述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=107|ps= - 「INTERVIEW」より}}。またアウトロにおいてもテープを切り張りするという小細工が行われていると述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=107|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』においてライターの堀越葉子は、本曲がUNICORN初のレゲエであると指摘した他、レゲエ野郎なのにも拘わらずレゲエウーマンはタイプではないという歌詞の内容から、「葛藤と開き直りの歌」であると述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#:トリビュート・アルバム『ユニコーン・トリビュート』において[[PUSHIM]]によるカバーが収録されている<ref name="natalie20070824"/><ref name="cdjournal20070824"/><ref name="barks20070912"/>。
#「'''デーゲーム'''」
#:2枚目のシングル曲。詳細は「[[デーゲーム]]」の項を参照。
#「'''人生は上々だ'''」
#:仮タイトルは「人生は上昇だ」。[[デモテープ]]の雰囲気を出すためにリズム・マシーンによるドラム音となった{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=108|ps= - 「INTERVIEW」より}}。作詞は阿部と川西の共作であり、男性の同性愛をテーマにしているが、[[新宿二丁目]]ではなくイギリスのカレッジ的なイメージで制作されている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=108|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』においてライターの内田和世は、「ユニコーンが持つコミカルな部分が全面に押し出されたアルバム『服部』ならではのスタイル」であると述べた他、「曲構成、歌詞共に当時のロックバンドとしては異色で衝撃的な内容といえる」とも述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#:トリビュート・アルバム『ユニコーン・カバーズ』において[[氣志團]]によるカバーが収録されている<ref name="natalie20130213"/><ref name="barks20130213"/><ref name="okmusic20130213"/><ref name="tower20130213"/>。
#「'''{{ruby|抱|いだ}}けるあの{{ruby|娘|むすめ}}'''」
#:ほぼデモテープのまま演奏され、ゴージャスなイメージにするため[[金管楽器|ブラス]]を入れたことによって胸や尻の大きな人が歩くイメージが湧いた奥田が歌詞を制作した{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=108|ps= - 「INTERVIEW」より}}。歌詞中の「益荒男」という言葉はディレクターが提案した{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=108|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』において市川は、「アメリカに新天地を求めて渡った日本人の欲望を、ホーン・セクションを用い、ミュージカルっぽいアレンジで描いた」曲であると述べ、前作収録曲である「抱けないあの娘-Great Hip in Japan-」とは無関係であることを指摘している{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#「'''大迷惑'''」
#:ユニコーンの1作目のシングル曲。詳細は「[[大迷惑]]」の項を参照。
#「'''ミルク'''」
#:奥田は本曲をフォークソングであると述べた他、トラックダウンする時間が無かったことから一発録りでレコーディングされたと述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=109|ps= - 「INTERVIEW」より}}。阿部がハーモニカを担当することになっていたが、レコーディング当日に阿部がスタジオを間違えたため収録されていない{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=109|ps= - 「INTERVIEW」より}}。制作時の奥田には子供はいなかったが、子供が出来た時のことを想定して制作されており、また奥田は「ジゴロ」において子供が欲しくないという歌詞があったことから「最後に子供っていいよねぇという感じでシメた」と述べている{{Sfn|人に歴史あり|1990|p=109|ps= - 「INTERVIEW」より}}。
#:音楽誌『別冊宝島724 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}}』において大谷は、「聴く者をほのぼのとさせる命の誕生を歌った曲」であると述べた他、2曲目の「ジゴロ」に繋がっていくことを指摘している{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。また、本曲はビートルズにおける「[[ブラックバード (ビートルズの曲)|ブラックバード]]」([[1968年]])であると主張し、「多種多様な曲が並ぶ『服部』の最後にふさわしい」と述べている{{Sfn|別冊宝島|2003|p=52|ps= - 「ユニコーン全96曲 勝手にライナーノーツ」より}}。
#:トリビュート・アルバム『ユニコーン・トリビュート』において[[つじあやの]]によるカバーが収録されている<ref name="natalie20070824"/><ref name="cdjournal20070824"/><ref name="barks20070912"/>。
 
== スタッフ・クレジット ==
=== B面 ===
=== UNICORN ===
#<li value="9">'''珍しく寝覚めの良い木曜日'''
*[[ABEDON|阿部義晴]] - キーボード、合わせシンバル大、ブルースハープ、[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]、リードボーカル(「人生は上々だ」)
#'''[[デーゲーム]]'''
*[[川西幸一]] - ドラムス、ティンパニ、コーラス、グランカスタ、合わせシンバル小
#:シングルは『坂上二郎とユニコーン』名義で坂上二郎が歌っている。両バージョンともCHAKA(安則まみ)がスキャットで参加(クレジットには「無国籍歌唱」とクレジットされている)。仮タイトルは「第三野球部」。
*[[堀内一史]] (EBI) - ベース、ギター、コーラス、リードボーカル(「ペーター」「君達は天使」)
#'''人生は上々だ'''
*[[奥田民生]] - ボーカル、ギター、キーボード、ラテン
#:仮タイトルは「人生は上昇だ」。
*[[手島いさむ]] - ギター、コーラス
#'''<ruby><rb>抱</rb><rp>(</rp><rt>いだ</rt><rp>)</rp></ruby>けるあの<ruby><rb>娘</rb><rp>(</rp><rt>むすめ</rt><rp>)</rp></ruby>'''
=== 参加ミュージシャン ===
#'''[[大迷惑]]'''
*おそってトリオ([[CHAKA (歌手)|安則まみ]]、[[奥居香]]、阿部義晴) - コーラス(「君達は天使」)
#:ユニコーンの1作目のシングル曲。公式サイトでは「大迷惑」と「服部」はシングルヴァージョンでの収録と記載してあるが、実際のところこの2曲にアルバムヴァージョンは存在しない。
*[[笹路正徳|笹路なんつったって正徳っつうぐらいのもんで]] - 編曲、コーラス、[[大橋巨泉|巨泉]]、ラテン
#'''ミルク'''
*[[河合誠一マイケル|マイケル鼻血]] - ラテン、ジャズ、アヴァンギャルド
*安則まみ - 無国籍歌唱(「デーゲーム」)
*ペーター - ボーイソプラノ(「ジゴロ」)
*安部良一 - コーラス(「珍しく寝覚めの良い木曜日」)
*イヴ - コーラス(「パパは金持ち」)
*奥田民生と東京ユニコーン - ビッグバンドサービス(「抱けるあの娘」)
*笹路なんつったって正徳っつうぐらいのもんでとオルケスタ・デル・アミーゴ - 管弦楽(「大迷惑」、「ハッタリ」)
=== スタッフ ===
*石井俊雄 - 制作部長
*平郡泰典 - 原盤幹事
*マイケル鼻血 - 現場監督
*笹路なんつったって正徳っつうぐらいのもんで - 先生
*大森“シモン”政人 - 録音及び左右まとめ技師
*深田晃 - 録音及び左右まとめ技師(「ハッタリ」)
*鈴木良博 - 録音技師
*森岡“サーヤ”徹也 - 録音技師
*加藤博実 - 録音技師
*三上義英([[観音崎京急ホテル|観音崎マリンスタジオ]]) - 録音助手
*井上一郎(スタジオ・テイク・ワン) - 録音助手
*水谷勇紀(スタジオ・テイク・ワン) - 録音助手
*高村政貴([[音響ハウス]]) - 録音助手
*中井賢二(サウンド・アトリエ) - 録音助手
*宮地亨(サウンド・アトリエ) - 録音助手
*水出吉則([[一口坂スタジオ]]) - 録音助手
*小林敦(サウンド・イン) - 録音助手
*原剛([[ソニー・ミュージックスタジオ#ソニー・ミュージック信濃町スタジオ|ソニー信濃町スタジオ]]) - 録音助手
*高村宏(ミュージックランド) - 音楽家手配師
*野本卓司(デー・ゲー) - 包装美術
*若月勤 - 写真家
*佐野“悩殺”美由紀 - 衣装及び美粧
*須藤由美子 - 制作進行係
*中村福太郎(表紙) - 第五区七番組福組頭
*原田“ランス”公一(CSアーティスツ) - 独立支配人
*鈴木“銀ちゃん”銀二郎(CSアーティスツ) - 契約舎弟
*中村雲雀(CBS・ソニー) - 宣伝
*中田コーガン(CSアーティスツ) - 宣伝
*岸研一 - 協力
*本木奈保美 - 協力
*藤井理央(ハート・ミュージック) - 協力
*SWITCH - 協力
*[[星野楽器|TAMA]] - 協力
*[[アイバニーズ]] - 協力
*[[グヤトーン]] - 協力
 
== リリース履歴 ==
==演奏==
{|class="wikitable" style="white-space:nowrap; font-size:smaller"
*阿部義晴:キーボード、合わせシンバル大、ブルースハープ、コーラス、リードボーカル (人生は上々だ)
|-
*川西幸一:ドラムス、ティンパニ、コーラス、グランカスタ、合わせシンバル小
! No.
*堀内一史 (EBI):ベース、ギター、コーラス、リードボーカル (ペーター、君達は天使)
! 日付
*奥田民生:ボーカル、ギター、キーボード、ラテン
! [[レコードレーベル|レーベル]]
*手島いさむ:ギター、コーラス
! 規格
*おそってトリオ[[【推しの子】|【]]安則まみ (CHAKA)、奥居香 (PRINCESS PRINCESS)、阿部義晴】:コーラス (君達は天使)
! [[規格品番]]
*笹路正徳:編曲、コーラス、[[大橋巨泉|巨泉]]、ラテン
! 最高順位
*マイケル鼻血:ラテン、ジャズ、アヴァンギャルド
! 備考
*安則まみ (CHAKA):無国籍歌唱 (デーゲーム)
|-
*ペーター:ボーイソプラノ (ジゴロ)
| style="text-align:right" | 1
*安部良一:コーラス (珍しく寝覚めの良い木曜日)
| [[1989年]][[6月1日]]
*イヴ:コーラス (パパは金持ち)
| [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]]
*奥田民生と東京ユニコーン:ビッグバンドサービス (抱けるあの娘)
| [[コンパクトディスク|CD]]<br />[[カセットテープ|CT]]
*笹路正徳とオルケスタ・デル・アミーゴ:管弦楽 (大迷惑、ハッタリ)
| 33DH-5253(CD・初回限定盤)<br />32DH-5254(CD・通常盤)<br />28KH-5254 (CT)
== 収録曲のカバー ==
| 3位
*[[ユニコーン・トリビュート]]([[2007年]])
| 初回限定盤は巾着袋入り
**大迷惑 - [[MONGOL800]]
|-
**珍しく寝覚めの良い木曜日 - [[PUSHIM]]
| style="text-align:right" | 2
**ミルク - [[つじあやの]]
| [[1992年]][[11月21日]]
**おかしな2人- [[シュノーケル (バンド)|シュノーケル]]
| ソニー・ミュージックレコーズ
 
| [[ミニディスク|MD]]
*[[ユニコーン・カバーズ]]([[2013年]])
| SRYL-7057
**デーゲーム - [[くるり]]
| -
**大迷惑 - [[JUN SKY WALKER(S)]]
|
**人生は上々だ - 氣志團
|-
**服部 - [[グループ魂]]
| style="text-align:right" | 3
| [[1995年]][[12月13日]]
| ソニー・ミュージックレコーズ
| CD
| SRCL-3413
| -
| ユニコーンの逆転満塁ホームランプライスシリーズ(廉価版)
|-
| style="text-align:right" | 4
| [[2007年]][[12月19日]]
| [[エスエムイーレコーズ]]
| CD
| SECL-603
| -
| [[ディスクジャケット|紙ジャケット]]仕様
|-
| style="text-align:right" | 5
| [[2012年]][[12月5日]]
| エスエムイーレコーズ
| CD
| SECL-1233
| -
| [[CD-BOX]]『UNICORN SME ERA - remasterd BOX』収録<br />紙ジャケット仕様<br />[[デジタルリマスター]]版
|}
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|3}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |author = |title = 人に歴史あり |date = 1990-07-27 |publisher = [[音楽専科社]] |pages = 96 - 130 |isbn = 9784900343115 |ref = {{SfnRef|人に歴史あり|1990}}}}
*{{Cite book |和書 |author=兵庫慎司 |authorlink=兵庫慎司 |year=2019 |title=ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー |publisher=リットーミュージック |isbn=9784845634354 }}
* {{Cite book|和書 |author = |title = 人に歴史あり {{ruby|其|そ}}の{{ruby|貳|に}} |date = 1992-10-22 |publisher = [[音楽専科社]] |page = 20 |isbn = 9784900343382 |ref = {{SfnRef|人に歴史あり 其の貳|1992}}}}
* {{Cite journal|和書 |title = 音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の{{ruby|摩訶不思議|ロック・マジック}} |journal = [[別冊宝島]] |volume = |number = 724 |date = 2003-02-14 |publisher = [[宝島社]] |pages = 43 - 77 |isbn = 9784796630559 |ref = {{SfnRef|別冊宝島|2003}}}}
*{{Cite book|和書 |author=兵庫慎司 |authorlink=兵庫慎司 |date=2019-11-21 |title=ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー |publisher=[[リットーミュージック]] |isbn=9784845634354 |ref = harv}}
**{{AmazonKindleLink|1=B08436K2JJ|title=ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー|date=2019/11/21}}
 
== 外部リンク ==
 
*{{Discogs master|type=album|916866|name=Unicorn ‎– 服部}}
 
{{UNICORN}}
{{Album-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:はつとり}}
 
[[Category:UNICORNのアルバム]]
[[Category:1989年のアルバム]]
[[Category:CBSソニーのアルバム]]
[[Category:UNICORNのアルバム]]