「エロ劇画誌」の版間の差分
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=== 七十年代後半 ===
しかし、当初からエロ劇画の世界で自分の世界を築き上げる作者も多かった。もちろん、エロでなければ描けない世界というものもある。また一つにはエロが必須であることを除けば、それ以外の表現はむしろ一般の雑誌より制約の少ない舞台が好まれたという面もあるらしい{{要出典|date=2008年2月}}。例えば[[石井隆]]、[[ダーティ松本]]、[[北哲矢]]、[[村祖俊一]]、[[あがた有為]]、[[中島史雄]]、[[土屋慎吾]]、[[羽中ルイ]]、[[宮西計三]]、[[榊まさる]]、[[沢田竜治]]、[[三条友美]]、[[清水おさむ]]、[[玄海つとむ]]、[[小多魔若史]]、[[飯田耕一郎]]などが代表的な作家であった<ref name="yonezawa1993">[[米澤嘉博|米沢嘉博]]「
[[石井隆]]らがエロ劇画でありながら高い評価を得るなど、エロ劇画に低俗である以外の評価が与えられる例が出始め、一種のエロ劇画ブームが見られるようになった。そのような状況の中から、[[1978年]](昭和53年)に'''三流劇画ムーブメント'''が起こった。
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[[米澤嘉博|米沢嘉博]]はブームの意図と経緯について次のように回想している。
{{Quotation|三流劇画ブームと言われた時代から、既に15年が過ぎた。今だから言えるのだが、あれは、半ば作られたブームだった。僕や[[川本耕次]]あたりが中心となって、[[批評]][[同人誌]]『[[漫画新批評大系|漫画新批評体系]]』{{sic}}を核に、いろんなメディアに波及させ、業界の一部の人達がそれにノリ、『[[プレイガイドジャーナル]]』『別冊新評』が参画することで何とか形になっていったというのが、実際の流れだったような気がする。意図はと問われれば、面白がりたかったからと言うしかない。つまり、マンガはエロも描きうるのだし、マンガファンにも一般にも相手にされていなかった世界にも、才能と変革の意志を持つ作家や編集者がいることを知らせたかったからだ。|[[米澤嘉博|米沢嘉博]]「
{{Quotation|個人的なことにもなるが、[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]として漫画批評誌『[[漫画新批評大系]]』を出していた七七年の時点において[[少女漫画]]とエロ劇画は、新たな可能性を持つ漫画ジャンルとして取り組みを始めることにもなっていった。七七年十二月に出た『漫画新批評大系』(第2期/VOL.1/迷宮77)において、ぼくは「戦後少女マンガの流れ」の連載を開始し、同時に[[川本耕次]]と共に「三流劇画ミニマップ」を“三流劇画共闘会議”名で掲載した。(中略)たぶん、ここから三流劇画ブームはスタートしていったはずなのである。(中略)迷宮の中で三流劇画、エロ劇画に積極的に関わっていたのは川本耕次、青葉伊賀丸、そしてぼくだ。川本はこの年の六月頃には『別冊官能劇画』の編集者となり、業界につながりが出来、迷宮と深い関わりのあった[[村上知彦]]が編集に携わる『[[プレイガイドジャーナル]]』に企画を立ち上げるなどの動きが重なっていく。|米沢嘉博『戦後エロマンガ史』[[青林工藝舎]] 2010年 221-223頁}}
その後、この流れは当時の三大エロ劇画誌と言われた『'''[[漫画大快楽]]'''』『'''[[劇画アリス]]'''』『'''[[漫画エロジェニカ]]'''』の編集者([[亀和田武]]、[[小谷哲]]、[[菅野邦明]]、[[高取英]])を巻き込み「'''[[劇画]][[全学共闘会議|全共闘]]'''」<ref>一部マスコミが喧伝した「[[劇画]][[全学共闘会議|全共闘]]」という呼称は、[[みのり書房]]発行の三流劇画誌『[[官能劇画]]』[[編集者]]の[[川本耕次]]が『[[漫画新批評大系]]』で使用した個人ペンネーム「[[川本耕次|三流劇画共斗会ギ]]」が誤解されて広まったもので実態に乏しい([[高取英]]「
彼らによると、当時の漫画雑誌界にははっきりとした階層があり、一流から三流までが区別される。一流は『[[ビッグコミック]]』を筆頭とする有名誌であり、それに続く一般漫画誌が二流で、三流がエロ劇画誌である。ところがここでの一流は内容においてあまりにも保守的で一切の変革を求めない。そして二流三流でデビューし、実力をつけた作家をつまみ食いにしている、と言い、このような状況を打破するためには三流をもって一流にしなければならない、といった主張がなされた。また『エロジェニカ』では『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の作家である[[川崎ゆきお]]の起用、[[岸田理生]]の[[サイエンス・フィクション|SF]]紹介、[[平井玄]]の[[ロック (音楽)|ロック]]論、[[流山児祥]]の[[プロレス]]論、[[高取英]]の[[少女漫画]]論などの評論コラムを掲載するなど<ref>[[高取英]]「
彼らのエロ劇画誌の本分を逸脱した編集方針により、[[吾妻ひでお]]、[[いしかわじゅん]]、[[諸星大二郎]]など彼らに共鳴するメジャー作家や、芸術性が高いばかりに一般誌には受け入れられない[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]と呼ばれた若手作家たち([[ひさうちみちお]]、[[蛭子能収]]、[[宮西計三]]、[[安部慎一]]、[[鈴木翁二]]、[[平口広美]]、[[田口トモロヲ|田口智朗]]、[[奥平イラ]]、[[まついなつき]]、[[高野文子]]、[[近藤ようこ]]、[[柴門ふみ]]、[[坂口尚]]、[[いがらしみきお]]、[[吉田光彦]]、[[さべあのま]]、山田双葉=[[山田詠美]]、[[神崎春子|峰岸ひろみ]]など)に実験的な作品発表の場が提供され<ref name="yonezawa1993"/>、これらによる名作が生まれた1979年頃までは「'''エロ劇画ルネッサンス'''」とも呼ばれる<ref>北崎正人「三流劇画ムーブメント・エロ劇画ルネッサンスが残したもの」(月刊『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』1982年3月臨時増刊号『マンガ宝島』[[宝島社|JICC出版局]])</ref>。
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* 月刊『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』臨時増刊号『マンガ宝島』1982年 [[宝島社|JICC出版局]]
** 北崎正人「三流劇画ムーブメント・エロ劇画ルネッサンスが残したもの」
* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年9月号「
** [[高取英]]「三流劇画ブーム・抗争は燃え上がった」
** [[米澤嘉博|米沢嘉博]]「
* [[別冊宝島]]『性メディアの50年』1995年 [[宝島社]]
* 大越功編集『ワニの穴3 エロ本のほん』1997年 [[ワニマガジン社]]
* [[高取英]]「
* [[米澤嘉博|米沢嘉博]]『[[戦後エロマンガ史]]』2010年 [[青林工藝舎]]
* [[大塚英志]]『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』2016年 [[星海社文庫]]
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== 関連文献 ==
* プレイガイドジャーナル社『[[プレイガイドジャーナル]]』1978年8月号
** [[亀和田武]]+[[高取英]]+[[川本耕次]]+[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]'78編集部「
* [[飯田耕一郎]]・亀和田武・有川優『マンガは世界三段跳び』1980年 [[本の雑誌社]]
** 亀和田武「闘争的三流劇画論」
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