「旭酒造 (山口県)」の版間の差分

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会話ページにて返信済。この記事には無出典や検証不可の記述が他にも存在している。「ごく一般にありふれた表現」「知られた表現」などは出典掲示は不要。更に突き詰めていうとTVによる出典全てが禁止となるわけではない。このBoctoという利用者は同一利用者が編集した記事を何個も連続で取り消している荒らし。出典付きで検証可能であるのにも関わらず、個人の独断で否定している。
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旭酒造の特徴は、[[醸造アルコール]]などの副原料を用いず[[精米歩合]]が50%以下の[[日本酒]](つまり[[日本酒#特定名称酒|純米大吟醸酒]])のみを造るということにある。2020年時点では[[山田錦]]を[[酒米]]とする純米大吟醸酒の「'''[[獺祭 (日本酒)|獺祭]]'''」(だっさい)のみを製造しており、その名は醸造所が元は「[[玖珂郡]][[周東町]]獺越(おそごえ)」にあったことと、[[正岡子規]]の俳号の一つ「獺祭屋主人」に由来し、正岡子規のような進取の精神で酒造りをしようとの意志が込められている<ref group="注">さらに正岡子規の俳号「獺祭屋主人」の由来の[[獺祭魚|「獺祭魚」あるいは「獺祭」]]とは、<!--元々[[七十二候]]の一つで[[雨水]]の初候を指すが、-->[[カワウソ]](獺)が捕らえた魚を岸に並べる様がまるでそれらを供物にして祭りをするようにみえることを指す。また転じて、詩文をつくる時多くの参考資料等を広げちらす様を指す。</ref>。酒造メーカーとしては[[日本酒#普通酒|普通酒]]を作らないというリスクの高い経営方針を採っているが、これは1984年に34歳で家業を継いだ三代目の[[桜井博志]]が、元々酒処ではなかった山口県内の小規模な酒蔵であった家業を躍進させるために、「酔うため 売るための酒ではなく 味わう酒を求めて」とのポリシーの下で、それまで醸造していた普通酒「旭富士」の醸造を止めたことによるものである<ref name="gacchiri20170718">{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%8A%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%BC%EF%BC%81%EF%BC%81/1079391|title=がっちりマンデー!! 人気急上昇! 日本酒「獺祭」を作る旭酒造|work=TVでた蔵|publisher=富士ソフト|date=2017-07-16|accessdate=2017-07-18}}</ref>。
 
<ref>『先人たちの底力 知恵泉』「最下位からの脱出!美しき武将が起こした奇跡 最下位からトップへ!長宗我部元親」NHK、2015/5/19</ref>桜井の社長就任時は会社の業績は最悪であり、当時作っていた酒は品質にこだわった物ではなく魅力に欠けていた。桜井は一念発起し、まず品質の向上に取り組み、純米大吟醸酒の製造に特化するという方針を打ち出した。「酒作りは杜氏という専門職が担う」という常識を覆し、杜氏や無駄を排除し社員による製造を始めた。職人の勘や乱雑な攻撃に頼るのではなく社員が正確なデータに基づいて作り、品質管理することでより品質を追求できると考えた。その後大市場である東京に注目し積極的に売り込んだ。次第に人気が高まり世界20国に輸出する日本を代表する酒として各国の首脳に送られている。
桜井博志が社長に就任してから純米大吟醸酒づくりのための試行錯誤を重ね、6年後の1990年に精米歩合が50%と40%の「獺祭」の販売を開始、92年には精米歩合23%の「獺祭」の販売を開始した<ref>[https://www.nippon.com/ja/features/c00618/ 「獺祭(だっさい)」で日本酒の活路を開いた「山口の小さな酒蔵」——旭酒造] Nippon.com 2013年12月16日</ref>。この高級志向の経営戦略が奏功し、[[東京都]]で山口県出身者の[[口コミ]]をきっかけに「獺祭」の風味の評判が広まったほか、海外展開にも成功し、2016年には売上高が年間100億円を超えるまでになり、日本酒大手メーカーと並ぶ業界8位の売上高を達成するまでになった<ref name="gacchiri20170718"/><ref>[https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/p171204.pdf 特別企画:清酒メーカーの経営実態調査] 帝国データバンク 2017年12月21日</ref>。
 
== 経歴 ==
桜井博志が社長に就任してから純米大吟醸酒づくりのための試行錯誤を重ねた。
 
桜井博志が社長に就任してから純米大吟醸酒づくりのための試行錯誤を重ね、6年後の1990年に精米歩合が50%と40%の「獺祭」の販売を開始、92年には精米歩合23%の「獺祭」の販売を開始した<ref>[https://www.nippon.com/ja/features/c00618/ 「獺祭(だっさい)」で日本酒の活路を開いた「山口の小さな酒蔵」——旭酒造] Nippon.com 2013年12月16日</ref>。この高級志向の経営戦略が奏功し、[[東京都]]で山口県出身者の[[口コミ]]をきっかけに「獺祭」の風味の評判が広まったほか、海外展開にも成功し、2016年には売上高が年間100億円を超えるまでになり、日本酒大手メーカーと並ぶ業界8位の売上高を達成するまでになった<ref name="gacchiri20170718" /><ref>[https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/p171204.pdf 特別企画:清酒メーカーの経営実態調査] 帝国データバンク 2017年12月21日</ref>。
 
旭酒造の製法の特色として、日本酒醸造に欠かせない[[杜氏]]が居ないことが挙げられる。元々は多くの醸造所と同じく杜氏が醸造に携わっていたが、[[地ビール]]事業に失敗した際に杜氏が蔵から離れたのを契機として、2000年から杜氏無しでの酒造りに取り組み、杜氏がいた頃の経験と勘を徹底的に数値化しデータ化することで、杜氏なしでの酒造りを実現した<ref name="gacchiri20170718"/><ref>{{Cite web|url=https://employment.en-japan.com/myresume/entry/2020/06/16/103000|title=そして獺祭が生まれた - 無名の酒蔵が純米大吟醸で世界を驚かせるまで|旭酒造 桜井博志の履歴書|website=ぼくらの履歴書 Powered by エン転職|publisher=[[エンジャパン]]|date=2020-06-16|accessdate=2020-10-06}}</ref>。現在は、米の吸水量を頻繁な計量により管理し、日々発酵状態のデータを社員が分析しながら醸造管理を行っている<ref>{{cite web|url=http://toyokeizai.net/articles/-/41798|title=杜氏のいない「獺祭」、非常識経営の秘密|publisher=[[東洋経済新報社|東洋経済ONLINE]]|date=2014-07-13|accessdate=2014-07-13}}</ref>。また酒蔵に空調設備を完備し、温度・湿度を調整できるようにした結果、冬期に限らず一年を通して酒造り([[四季醸造]])が可能になり、生産能力が2倍以上になった<ref>{{cite web|url=http://news.mynavi.jp/news/2014/02/13/428/|title=杜氏制を廃止! 日本酒業界の風雲児「獺祭」桜井社長の「逆境経営」とその真意|publisher=[[マイナビ|マイナビニュース]]|date=2014-02-13|accessdate=2014-07-13}}</ref>。