削除された内容 追加された内容
→‎略歴: 脚注
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
22行目:
日蓮滅後に日蓮の遺言として「佛は釈迦立像
墓所の傍らに立て置くべし云々」{{Sfn |『宗祖御遷化記録』御所持佛教の事(国指定重要文化財指定) | 弘安5年(1282年)10月16日 | 西山本門寺蔵 }}
と定められ、久遠寺の墓所にあった日蓮所持の釈迦立像を、遺言に背き勝手に持ち(奪い)去っている。{{Sfn |『原殿御返事』 | 正応元年(1288年)12月16日 |『日蓮正宗聖典』p = 557 }}{{出典無効|date=2019-08-29 |title=『原殿御返事』には、「日朗が釈迦立像を持ち去った」とは書いていない。}}
-->
1282年(弘安5年)[[池上宗仲]]の協力のもと、'''[[池上本門寺]]'''の基礎を築いた<ref>[https://honmonji.jp/outline/engi.html 縁起] 池上本門寺公式ホームページ</ref>。1309年(延慶2年)[[千葉胤貞]]の妻より、土地の寄進を受け、[[本土寺]]を建立する。1320年(元応2年)[[安国論寺]]にて荼毘に付され、[[法性寺 (逗子市)|法性寺]]に葬られた。