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{{Islam}}
'''クルアーンの日本語訳'''(クルアーンのにほんごやく)は、[[イスラーム]]の[[聖典]]である[[クルアーン]]を[[日本語]]に翻訳したものである。最初のクルアーンの日本語訳は[[坂本健一]]による『コーラン経』(1920年)であり、それ以降、イスラーム研究者、[[スンナ派]]や[[シーア派]]のムスリム、そして[[アフマディーヤ]]や[[日本イスラム教団]]といった教団などから様々な日本語訳クルアーンが刊行されている。
イスラームと日本との直接的な交流は[[明治時代]]に始まった。明治時代末から[[大正時代]]にはイスラームの教義や歴史について体系的な学びが行われ、そのような中で坂本健一『コーラン経』(1920年)が刊行された。その後、日本はアジアへの進出のためイスラームを重視するようになり、回教圏研究所といったイスラーム研究機関が設立された。そのような中で、高橋五郎と有賀阿馬土による『聖香蘭経』(1938年)などが刊行された。
[[太平洋戦争]]後の1950年代から1970年代には[[大川周明]]による『古蘭』(1950年)や、[[井筒俊彦]]による『コーラン』(1957年)、[[藤本勝次]]らによる『コーラン』(1970年)など、イスラーム研究者による翻訳が刊行された。1970年代から1980年代にかけてはムスリムによる翻訳が相次ぎ、[[日本ムスリム協会]]会長を務めた[[三田了一]]による『聖クラーン』(1972年)や、日本イスラム教団による『聖クルアーン』(1982年、部分訳)、アフマディーヤによる『聖クルアーン』(1988年)が刊行された。
その後、20年以上クルアーンの日本語訳が刊行されない空白期間を挟み、2011年には同志社大学神学部教授であった[[中田考]]らによる『訳解クルアーン』が刊行され、2014年には『日亜対訳クルアーン』として改めて刊行された。2017年にはシーア派の聖職者である澤田達一によって『聖クルアーン日本語訳』が刊行された。
== 歴史 ==
=== 背景 ===
7世紀に[[アラビア半島]]で誕生したイスラームは中国や東南アジアまで到達した{{sfn|三浦|2013|pp=5-6}}。日本においても、7世紀に編纂された『[[日本書紀]]』にはペルシアを意味する「波斯」やアラビアを意味する「大食」という記述があるほか、江戸時代に至るまでペルシア商人などとの交流があった{{sfn|三浦|2013|p=5}}。しかし、イスラームが直接的に日本との交流を果たすようになるのは江戸時代末から明治時代となった{{sfn|三浦|2013|pp=5-6}}。
=== 『コーラン経』(1920年) ===
明治時代末から大正時代にかけて、イスラームの教義や歴史についての体系的な学びがなされた{{sfn|三浦|2013|p=10}}。1899年にはムハンマドの生涯を記した[[坂本健一]]による『麻謌末』(ムハメット)が、1905年には忽滑谷快天による『怪傑マホメット』が刊行された{{sfn|三浦|2013|p=10}}。そのような中で、『麻謌末』の著者である坂本健一による『コーラン経』が1920年に刊行された。これが日本で最初のクルアーンの日本語訳かつ全訳となる{{sfn|三浦|2013|p=10}}{{Refnest|group="注釈"|坂本の経歴はよく分かっていないが、[[東京帝国大学]]を1898年に卒業していることが分かっている{{sfn|三浦|2013|p=11}}。}}。
『コーラン経』は、クルアーンの全114章の全訳であり、上下巻の合計844ページの書籍である{{sfn|三浦|2013|p=10}}。世界聖典全集刊行会から刊行されていた『世界聖典全集』の14巻と15巻にあたる{{sfn|後藤|2018|p=128}}。黒字の装丁がなされ、上巻の口絵には「マホメット」と題されたリトグラフが描かれている{{sfn|後藤|2018|p=130}}。また、付録として各章の要約や注釈、ムハンマドやクルアーンについての解説が付けられた{{sfn|三浦|2013|pp=10-11}}。
{{Wikisourcelang|en|The Qur'an (Palmer)}}
翻訳にあたっては、アラビア語の原文を基にしながらも、主には{{仮リンク|ジョージ・セール|en|George Sale}}による1734年版や{{仮リンク|ジョン・メドウズ・ロドウェル|en|John Medows Rodwell|label=ジョン・ロドウェル}}による1876年版、{{仮リンク|エドワード・ヘンリー・パルマー|en|Edward Henry Palmer|label=エドワード・パルマー}}による1880年版の英語訳が参照された{{sfn|三浦|2013|pp=10-11}}{{Refnest|group="注釈"|これらの英語訳クルアーンは当時のクルアーン訳としては定番のものであった{{sfn|三浦|2013|p=10}}。しかし、現在ではいずれの訳にも不正確な点があることが判明している{{sfn|東|1998|pp=4-5}}。}}。また、クルアーン研究の基礎を作ったドイツの研究者である[[テオドール・ネルデケ]]の論考といった当時としては最新のクルアーン研究も参照された{{sfn|大川|2004|p=198}}。坂本は翻訳にあたって、簡潔で力強い言葉を使って意味が伝わらないことよりも、冗長であっても丁寧な翻訳を目指した。また、クルアーンはアラビア語で韻を踏んでおり、そのため単語の順序や配列が異なっていることに言及し、韻を再現したり単語の順序が異なっているものを逐語訳したのではなく、単語の意味がつながることに重きを置いたという{{sfn|後藤|2018|p=131}}。
坂本訳ではアッラーフは「神」と訳されたほか、「慈悲」といった仏教語が用いられた。この坂本訳をきっかけに、こうした仏教語がクルアーンの日本語訳に用いられるようになったという指摘がある{{sfn|後藤|2018|p=133}}。また、坂本訳の随所ではクルアーンは「可蘭」と表現されている。クルアーンを「可蘭」と表現するのは中国のムスリムに見られることである。そのため{{harvtxt|東|1998}}は坂本訳が中国イスラームの影響下にあったと指摘している{{sfn|東|1998|p=5}}。
=== 『聖香蘭経』(1938年) ===
1930年代になると、日本では[[大東亜共栄圏|大東亜共栄圏構想]]をはじめとしてアジアへの進出への期待が高まった。これによって東南アジアや南アジアに広がるイスラームが注目を集め、[[回教圏研究所]]や[[大日本回教協会]]などのイスラーム研究機関が次々と設立された{{sfn|後藤|2018|p=133}}。こうした中で刊行された2つ目のクルアーンの日本語訳は、1938年に刊行された高橋五郎と[[有賀阿馬土]](有賀文八郎)による『聖香蘭経』である{{sfn|後藤|2018|p=133}}{{Refnest|group="注釈"|「香蘭」とは中国におけるクルアーンの音訳である{{sfn|東|1998|p=5}}。}}。
訳者のひとりである高橋五郎は文学者・翻訳家であり、聖書の日本語訳で知られていた。もうひとりの訳者である有賀阿馬土(有賀文八郎)は最初期の日本人ムスリムである{{sfn|後藤|2018|p=133}}{{Refnest|group="注釈"|阿馬土はムスリム名であり、「アフマド」の当て字であると考えられている{{sfn|後藤|2018|p=133}}。}}。
『聖香蘭経』はA6版の1巻本である{{sfn|後藤|2018|p=134}}。1938年に東京の聖香蘭経刊行会から刊行された{{sfn|東|1988|p=6}}。坂本訳と異なり、序文や解説は一切なく、翻訳にあたって参照された本や訳文の工夫は明らかではない。ただし、最初の啓示とされているアル=アラク章が最初にあり、通常は最初に置かれるアル=ファーティハが8番目に置かれているという章句の配置から、同じ配置を取っているロドウェルの英語訳が底本とされていると考えられている{{sfn|後藤|2018|p=134}}。{{harvtxt|大川|2004}}は、ムスリムである有馬が翻訳に携わったのにも関わらず、アラビア語原典と異なる章句の配置になっている英訳本に従った点で疑問が残るとしている{{sfn|大川|2004|p=208}}。
訳文は坂本訳と同様に漢語が多用されている{{sfn|後藤|2018|p=135}}。{{harvtxt|大川|2004}}は、訳文は冗長であり、クルアーンの韻が持っている躍動感が全く反映されていないと評している{{sfn|大川|2004|p=207}}。
=== 大久保幸次・小林元による部分訳 ===
3つ目の日本語訳は、前述の回教圏研究所の所長であった大久保幸次と、研究員であった小林元によって行われた部分訳である。翻訳は1938年以降、回教圏研究所の機関誌であった『回教圏』に連載された{{sfn|後藤|2018|p=136}}。翻訳の際にはトルコで刊行されていたアラビア語原典と、トルコ語訳と英語訳が参照された。連載ではアラビア語の原典やラテン文字による音訳も添付された。また、クルアーンがアラビア語で韻を踏んでいることを伝えるため、あえて七行で記された。しかし、この翻訳は1945年に日本が太平洋戦争に敗れ、これによって回教圏研究所は解散し、また、1950年に大久保が死去したことで未完となった{{sfn|後藤|2018|pp=136-137}}。この部分訳は1950年に刀江書房から『コーラン研究』として刊行された{{sfn|藤本ほか|1973|p=10}}。
大久保・小林の翻訳では初めて「アッラー」というアラビア語の原音に基づく固有名詞が登場した{{sfn|大川|2004|p=211}}。これまでの翻訳ではアッラーは「神」や「大神」と訳されており、{{harvtxt|大川|2004}}は、アッラーと訳すことによって原典のふんいきを多少なりとも伝えることが可能になっているとしている。その一方で、訳文は原典の雰囲気を伝えられておらず、アラビア語の知識が全くなかった坂本による訳のほうが原典の雰囲気をよく伝えていると評している{{sfn|大川|2004|p=211}}。
=== 『古蘭』(1950年) ===
[[ファイル:OKAWA Shumei.jpg|サムネイル|右|150px|大川周明(1936年)]]
4つ目の日本語訳は[[大川周明]]によって行われた。大川は東京帝国大学在学中からイスラームにまつわる論文を執筆しており、その後も[[ハディース]]を翻訳するなど熱心なイスラーム研究者であった{{sfn|後藤|2018|pp=138-139}}。1945年には[[東京裁判]]で民間人として唯一の[[A級戦犯]]に指名されたが、裁判中に発狂したとして免除された。大川は入院先の病院でこの翻訳を完成させた{{sfn|後藤|2018|p=138}}。入院中に翻訳を完成させた理由について、大川は以下のように述べている。
{{Quotation|乱心中の白昼夢で屢々マホメットと会見し、そのために古蘭に対する興味が強くよみがえった|大川周明{{sfn|後藤|2018|p=139}}}}
『古蘭』では章題の後にその章の解説が置かれ、その後に訳文と訳注が置かれている。同書の特徴は、単なる文字情報ではなく啓示全体の状況も含めて訳しており、同時期のイスラーム研究者の間でも高い評価を受けた{{sfn|後藤|2018|p=141}}。
=== 井筒訳『コーラン』(1957年) ===
[[ファイル:Toshihiko Izutsu.png|サムネイル|右|150px|井筒俊彦]]
5つ目の日本語訳は、哲学者で言語学者の[[井筒俊彦]]によって行われた。この井筒訳は日本で初めてのアラビア語からの完訳であるとされている{{sfn|後藤|2018|p=142}}。『コーラン』は全3巻であり、上巻が1957年に、中下巻が1958年に初版が[[岩波書店]]から刊行された{{sfn|後藤|2018|p=142}}。底本はアラビア語のクルアーンであり、13世紀の神学者であるアル=バイダーウィーによるクルアーン注釈書が主に参照されたほか、19世紀以降のヨーロッパでの研究成果も取り入れられた{{sfn|後藤|2018|p=142}}。
井筒は、クルアーンの韻がもたらす独特な調子を表現するため、文語ではなく口語で翻訳を行った{{sfn|後藤|2018|p=143}}。しかし、1964年に井筒は全て訳し直した改訳版を出版した。改訳を行った理由について井筒は、あまりにくだきすぎたため、かえって原文が持つ美しさや宗教性を損なってしまったためであるとしている{{sfn|後藤|2018|pp=143-144}}。
{{harvtxt|後藤|2018}}は、井筒が表現しようとした韻による独特の言葉の流れは以下に引用する凝血章の6から8節にあらわれているだろうとしている{{sfn|後藤|2018|pp=145-146}}。
{{Quotation|はてさて人間は不遜なもの、己れひとりで他は要らぬと思い込む。旅路の果ては主のみもと、とは知らないか。|井筒俊彦訳『コーラン』凝血章六、七、八<ref>{{harvtxt|後藤|2018|p=146}}から引用</ref>}}
=== 藤本・伴・池田訳『コーラン』(1970年) ===
6つ目の日本語訳は、イスラーム史家の[[藤本勝次]]の編集のもと、アラビア語学者の伴康哉とアラブ文学者の[[池田修 (アラブ文学者)|池田修]]が翻訳を行い、1970年に[[中央公論社]]の『[[世界の名著]]』シリーズから刊行された『コーラン』である{{sfn|後藤|2018|p=146}}。藤本は高校生のときに坂本訳『コーラン経』を読んでイスラームに興味を抱き、[[京都帝国大学]]在学中には1923年にエジプトで刊行されたアラビア語クルアーンを入手したが、それを読む間もなく軍へ入ることとなった{{sfn|後藤|2018|p=146}}。
第1章から第25章、第93章から第114章までを伴が、第26章から第92章までを池田が翻訳した{{sfn|東|1998|p=11}}。翻訳に際して底本とされたのは、藤本が京都帝国大学在学中に入手したものと同じ、1923年版のエジプト版アラビア語クルアーンであった。翻訳にあたっては、口語訳を行った井筒訳『コーラン』を、クルアーンの特殊な持ち味を十分生かした名訳であると評価し、クルアーンの原典を読むことを考慮して、補筆も行わずあくまでアラビア語を忠実に訳すかたちとした{{sfn|後藤|2018|p=147}}。また、「ひとりカアバで祈るマホメット」や「楽園の想像図」といった挿絵や、クルアーンの章句にあった[[ミニアチュール]]が挿入された{{sfn|後藤|2018|pp=147-148}}。こうした挿絵やミニアチュールについて{{harvtxt|後藤|2018}}は、『世界の名著』は学校や図書館などで広く一般に読まれることが想定されており、シンプルで分かりやすく、若い読者の関心を得られる内容にするための工夫であるとしている{{sfn|後藤|2018|p=148}}。
同書は1970年に『世界の名著』シリーズから刊行されたのち、2002年に中公クラシックスから全2巻で刊行された{{sfn|保坂|2016|p=13}}。
=== 『聖クラーン:日亜対訳・注解』(1972年) ===
7つ目の日本語訳は、日本人ムスリムであり、[[日本ムスリム協会]]第2代会長である[[三田了一]]が行った『聖クラーン:日亜対訳・注解』である{{sfn|後藤|2018|p=149}}。三田は、改訳前の井筒訳『コーラン』を1957年の刊行直後に読み、口語訳によって宗教色が薄められていると感じてムスリムによる翻訳の必要性を覚え、クルアーンの翻訳を開始した{{sfn|鈴木|2011|p=162}}。
1962年には翻訳に注力するため日本ムスリム協会の会長を辞して[[パキスタン]]の[[ラホール]]へ赴いた{{sfn|鈴木|2011|p=163}}{{sfn|小村|2015|p=58}}。ラホールではタブリーギー・ジャマーアトの一員であるアブドゥッラシード・アルジャッドという人物に師事し、翻訳を行った{{sfn|小村|2015|p=58}}。このパキスタンにおける翻訳活動をサウジアラビアの[[マッカ]]に本拠地を置くムスリム世界連盟が知り、彼はマッカに招かれて翻訳を継続した{{sfn|小村|2015|p=58}}。1964年には同地で交通事故に遭い、師事していたアルジャッドが死去し、自らも重症を負ったが、翌年1965年から翻訳を再開した{{sfn|鈴木|2011|p=163}}{{sfn|小村|2015|p=255}}。1967年には[[駐日サウジアラビア王国大使館|駐日サウジアラビア大使館]]の指導のもと「邦訳クルアーン刊行委員会」が設置され、1969年に校正を終えて1970年にサウジアラビアのマッカで最終校閲を終えた{{sfn|鈴木|2011|p=163}}。
こうして『聖クラーン:日亜対訳・注解』は1972年に刊行された。奥付によると、発行所は日本ムスリム協会の日訳クラーン刊行会で発行者はムスリム世界連盟であった{{sfn|後藤|2018|pp=149-150}}。しかし、刊行後にアラビア語対訳部分に誤りが見つかり、刊行したものすべてが廃棄処分されることとなった。対訳部分を削った日本語訳のみのものが[[三省堂書店]]から一部出版された。対訳は改めて見直し作業が行われ、1975年に完成した{{sfn|鈴木|2011|pp=163-164}}。
翻訳の底本はパキスタンの[[カラチ]]で刊行されたアラビア語クルアーンである。これを原典とした理由について三田は、カラチ版には母音符号や読誦のための記号など読み下し方に詳細な注記があり、アラビア語を母語としない者にとっても読誦しやすいものになっているためであるとしており、日本語を母語とするムスリムの使用が意識されている{{sfn|後藤|2018|p=150}}。巻頭には解説が設けられており、一部だけ読むことや表面的な理解を避けるように注意が記されている{{sfn|後藤|2018|pp=150-151}}。
訳文は文語でも口語でもない現代的な文章であり、ひらがなが多用されている{{sfn|後藤|2018|p=153}}。しかし、{{harvtxt|大川|2004}}は、原文を忠実であろうとするあまり、日本語だけ呼んでも意味が分かりづらい点があると評している{{sfn|大川|2004|p=224}}。
==== 『聖クルアーン:日亜対訳・注解』(1982年) ====
上記の三田訳『聖クラーン』を1980年から1982年にかけて日本ムスリム協会が改訂作業を行ったものが、1982年に『聖クルアーン:日亜対訳・注解』として完成した{{sfn|鈴木|2011|p=164}}。改訂には日本ムスリム協会の関係者やそれ以外の研究者が参加した。改訂にあたっては若い世代も高齢者も読みやすい日本語に統一することが目指され、「執権の王」が「主宰者」と語彙が変えられたほか、「なんじ」が「あなた」、「つくりたもうた」が「創られた」というように、より現代的な言葉遣いとなった{{sfn|後藤|2018|pp=154-155}}。
=== 日本イスラム教団による部分訳(1982年) ===
{{see also|日本イスラム教団}}
1982年には、1970年後半から1980年代にかけて活動した宗教団体である日本イスラム教団が発行する『日・亜・英対訳 聖クルアーン』が谷沢書房から刊行された{{sfn|後藤|2018|p=156}}。翻訳者は教団の専務理事であり、検事や弁護士を務めていた安倍治夫である。教団では日本国内での宣教活動のために朗誦用クルアーンの必要性が唱えられており、安倍が名乗りを上げてアラビア語を学習して翻訳を完成させた{{sfn|後藤|2018|p=156}}。
『日・亜・英対訳 聖クルアーン』は全訳ではなく、教団が「朗誦に適する肝要な38章」とした1章と78章以降の章が翻訳された。左のページに日本語訳とカタカナで記されたアラビア語での読み方が、右のページにアラビア語の原文と英語訳が掲載された。アラビア語の原文と英語訳はともにムスリム世界連盟が発行するものだった{{sfn|後藤|2018|pp=156-157}}。この翻訳の特徴は、すべての行が七五調に整えられていることである{{sfn|後藤|2018|p=159}}。
=== 『聖クルアーン』(1988年) ===
{{see also|アフマディーヤ|日本におけるアフマディーヤ}}
1988年にはイスラーム系新宗教とされるアフマディーヤ系の出版社であるイスラム・インターナショナル・パブリケーションズから小林淳による『聖クルアーン』が刊行された{{sfn|後藤|2018|p=159}}{{Refnest|group="注釈"|小林は、1957年に改宗し、モハマッド・オウェースというムスリム名を持っていることは判明しているが{{sfn|後藤|2018|p=159}}、翻訳の経緯や原典・参照物は明らかになっていない{{sfn|後藤|2018|p=171}}、}}。この翻訳はこれまで刊行されてきた日本語訳クルアーンのなかで最も訳注が多いことが特徴であり、1章であるアル=ファーティハの1節に対して、用語や文章の解説、クルアーンの神聖さなどが記された1ページの注釈がつけられている{{sfn|後藤|2018|pp=159-160}}。
=== 『訳解クルアーン』(2011年)と『日亜対訳クルアーン』(2014年) ===
1970年代から1980年代にかけてムスリムによる、ムスリムや一般向けの日本語訳クルアーンの出版が相次いだ。しかし、その後は20年以上にわたって日本語訳クルアーンが出版されない空白期間が生まれた{{sfn|後藤|2018|p=161}}。その空白期間を経て、2011年に[[中田考]]・中田香織・下村加州紀・松山洋平による『訳解クルアーン/クルアーン正統十読誦の意味と機能』が黎明イスラーム・学術文化振興会刊行された{{sfn|後藤|2018|pp=161-162}}。同書の訳者は全員がムスリムであり、{{harvtxt|保坂|2016}}は、学術的使用に耐えられる、きちんとしたアラビア語での注釈を踏まえた上の翻訳という意味で実質的に日本人ムスリムによる初のクルアーン翻訳であるとしている{{sfn|保坂|2016|p=14}}。
翻訳にあたっては、アラビア語の音やリズムが持つメッセージ性を日本語に訳すのは不可能であるという認識から、あえて直訳調の翻訳が行われた{{sfn|後藤|2018|p=162}}。しかし、逐語訳を気にするあまり、かえって日本語として不自然な表現になった点があると評されている{{sfn|後藤|2018|p=162}}{{sfn|保坂|2016|p=17}}。ページの片側にアラビア語の原文が囲われて示され、反対側のページに訳文と章に関する解説が置かれている。また、ページの下部に訳注が置かれた{{sfn|後藤|2018|pp=162-163}}。訳注には「慈悲あまねく」と「慈悲深き」の意味の違いや「アッラー」という語の語源にまつわる諸説などが記されており、古典から現代までの研究成果が広く用いられている{{sfn|後藤|2018|p=165}}。
同書は本文の見直しを経て、2014年に作品社より『日亜対訳クルアーン』として刊行された。『訳解クルアーン』とはアラビア語の原文の囲いが少々異なる程度で、全体としては『訳解クルアーン』とほぼ同じになっている{{sfn|後藤|2018|p=163}}。
=== 『聖クルアーン日本語訳』(2017年) ===
2017年には澤田達一による『聖クルアーン日本語訳』が刊行された。澤田は[[イラン]]にある[[ゴム (イラン)|コム]]のイスラーム法学院で学んだ日本人初のシーア派聖職者である。翻訳にあたってはナーセル・マカーレム・シーラーズやモハンマド・ホセイン・タバータバーイーといったシーア派聖職者によるクルアーン注釈書やエラヒー・ゴムシェイーによるペルシア語訳クルアーンなどが参照された{{sfn|後藤|2018|p=166}}。このように、同書はシーア派的なクルアーン解釈にのっとって訳出されたものであるが、訳文はスンナ派に基づく日本語訳クルアーンとほとんど変わらないものとなっている{{sfn|後藤|2018|p=168}}。
== 訳文の比較 ==
これまで刊行されてきたクルアーンの日本語訳は、『コーラン経』や『聖香蘭経』のように仏教語や漢語が多用されたものや{{sfn|後藤|2018|p=133, 135}}、日本ムスリム協会による『聖クルアーン』のように改訂によって現代的な表現に改められたもの{{sfn|後藤|2018|p=155}}、また、韻を再現することや、逐語訳をすること、また、言葉の意味が一貫してつながることに重きを置かれたものなど様々ある{{sfn|後藤|2018|p=131}}。この節では、多くのムスリムから最も重要な章であると考えられている[[開端 (クルアーン)|アル=ファーティハ]]と{{sfn|後藤|2018|p=129}}、章題の比較を行う。
=== アル=ファーティハの比較 ===
{| class="wikitable"
!翻訳名
!訳文
|-
!坂本訳(1920年)
|序品 第一 ウル・ファチハト<br/>大慈悲神の名に於て<br/>神を頌へよ、万物の主宰、最大慈悲、審判の日の王。爾をわれ(吾曹)礼拝す、爾にわれ援助を請ふ。われを導け、正しき道に、爾が寛仁なりしものゝ道に、爾が怒れる者背き去りし者の道ならで。{{sfn|坂本|1920a|p=1}}
|-
!高橋・有賀訳(1938年)
|第一宣言 血の凝塊をもつて<br/>慈悲にして恩恵なる大神の名を以て<br/>汝は、万物を創造し給へる天主の御名を誦賛せよ、大神は血の凝塊を以て、人類を造りたまふた。汝誦賛したてまつれ、―汝の大神は最も慈悲深き者にましまして、汝に筆の妙用を教へ、人々に其知らぬ使用を授けたまふに、否な、然るにも拘はらず、人類は自ら富を有るを見て、傲慢不遜であつた、寔に万人帰着する所は天主にまします。<ref>{{harvtxt|後藤|2018|p=135}}より引用</ref>
|-
!大久保・小林訳(1938年-)
|序<br/>大慈大悲のアㇽラーッの御名において<br/>萬有の主宰 大慈大悲の神 審判の日の王に栄光あれ 我ら爾に仕へまつり、爾が御護りを冀ふ仰ぎ願くは我等を正しきもの 爾が御恵みを垂れたまひしものの道へと導きて 爾が怒りたまふもの、さ迷へるものの道へと導きたまふことなかれ。<ref>{{harvtxt|後藤|2018|p=137}}より引用</ref>
|-
!大川訳(1950年)
|第一 開経章<br/>大悲者・大慈者のアㇽラーハの名によりて<br/>アルラーハを讃へよ、そは三界の主 大悲者・大慈者審判の日の執権者なり 吾等汝に事へ、佑助を汝に求む 吾等を直き道に導け 汝が恩寵を垂るる者 汝の怒に触れず、また迷はざる者の道に。{{sfn|大川|1974|p=1}}
|-
!井筒訳(1964年改訳版)
|一 開扉<br/>慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において……<br/>一 讃えあれ、アッラー、万世の主、<br/>二 慈悲ふかく慈愛あまねき御神、<br/>三 審きの日(最後の審判の日)の主宰者。<br/>四 汝こそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。<br/>五 願わくば我らを導いて正しき道を辿らしめ給え、<br/>六 汝の御怒りを蒙る人々や、踏みまよう人々の道ではなく、<br/>七 汝の嘉し給う人々の道を歩ましめ給え。<ref>{{harvtxt|後藤|2018|pp=144-145}}から引用</ref>
|-
!藤本・伴・池田訳(1970年)
|1 開巻の章<br/>1 慈悲ぶかく慈愛あつき神の御名において。<br/>2 神に讃えあれ、万有の主、<br/>3 慈悲ぶかく慈愛あつきお方、<br/>4 審判の日の主宰者に。<br/>5 あなたをこそわれわれは崇めまつる、あなたにこそ助けを求めまつる。<br/>6 われわれを正しい道に導きたまえ、あなたがみ恵みをお下しになった人々の道に、<br/>7 お怒りにふれた者やさまよう者のではなくて。{{sfn|藤本ほか|1973|p=55}}
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!三田訳(1972年)
|第一 開端章(ファーティハ)<br/>仁慈あまねく慈悲深き、アㇽラーのみ名によって。<br/>1 アㇽラーをたたえ奉る、よろず世の(養育の)主、<br/>2 仁慈・慈悲の主、<br/>3 審判の日の執権の主<br/>4 あなたにのみわたしたちは仕え、あなたにのみわたしたちはお助けをこいねがう<br/>5 わたしたちを直き道に導きたまえ、<br/>6 あなたが、恵みをたれたまいし者の道に、<br/>7 あなたが怒りたもうた者、また踏み迷った者(の道)ではなく。<ref>{{harvtxt|後藤|2018|p=152}}から引用</ref>
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!安倍訳(1982年)
|第一 開序章(スーラトル ファーティハ)<br/>1 恵みあまねく 慈悲深き 神・アッラーの み名により<br/>2 讃えまつらん アッラーを そは万有を しろしめし<br/>3 恵みあまねく 慈悲ふかく<br/>4 審判の日をぞ つかさどる<br/>5 おんみをこそは 崇めなむ おんみにこそは すがらなむ<br/>6 導きたまえ 直き道<br/>7 嘉したまえる 人の道 怒りにふれし 者どもや 迷える者の道ならず<ref>{{harvtxt|後藤|2018|pp=157-158}}より引用</ref>
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!小林訳(1988年)
|アル・ファーティハ<br/>1 慈悲深く、恵み遍くアッラーの御名において。<br/>2 讃えあれアッラー、万物の主、<br/>3 仁慈、慈悲の主、<br/>4 審判の日の主宰者。<br/>5 我等は汝にのみ仕え、汝にのみ救いを希う。<br/>6 正しい道に導き給え、<br/>7 汝の怒りを蒙り師人々や踏み迷えし人々の道ではなく、汝が恵みを垂れ給えし人々の道に。<ref>{{harvtxt|後藤|2018|p=160}}より引用</ref>
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!中田訳(2014年)
|第1章 開端<br/>慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において (1:1)<br/>称賛はアッラーに帰す。諸世界の主に (1:2)<br/>慈悲あまねく慈悲深き御方 (1:3)<br/>裁きの日の主宰者に。(1:4)<br/>あなたにこそわれらは仕え、あなたにこそ助けを求める。(1:5)<br/>われらをまっすぐな道に導き給え、(1:6)<br/>あなたが恩寵を垂れ給うた者たち、(つまり)御怒りを被らず、迷ってもいない者たちの道に。(1:7){{sfn|中田ほか|2014|p=29}}
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!澤田訳(2017年)
|第1章 開扉章(アル・ファーティハ)<br/>1. 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって<br/>2. すべての賞賛と讃美はあらゆる世界の主であるアッラーのためにある。<br/>3. 慈悲あまねく慈悲深き方。<br/>4. 審判の日の主。<br/>5. あなただけに仕え、あなただけに助けを求めます。<br/>6. 私たちを正しい道に導いてください。<br/>7. あなたがお恵みを下さった人たちの道、あなたがお怒りになった人たちの道ではなく、また道に迷った人たちのみちではなく。<ref>{{harvtxt|後藤|2018|pp=167-168}}より引用</ref>
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=== 章題の比較 ===
{| class="wikitable sortable" style="text-align:center; line-height:1.2; background:#FFFFFF; font-size:95%;"
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!
!
! 三田訳 (1982){{sfn|後藤|2018|pp=vi-ix}}
!
! 井筒訳 (1964版){{sfn|後藤|2018|pp=vi-ix}}
!
! 坂本訳 (1920){{sfn|坂本|1920a|pp=1-4}}{{sfn|坂本|1920b|pp=1-10}}
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| [[開端 (クルアーン)|1]] || 開端 ||
|-
| [[雌牛 (クルアーン)|2]] || 雌牛 ||
|-
| [[イムラーン家 (クルアーン)|3]] || イムラーン家 ||
||
|-
| [[婦人 (クルアーン)|4]] || 女性 ||
|| 女人
|-
| [[食卓 (クルアーン)|5]] || 食卓 ||
|| 食卓
|-
| [[家畜 (クルアーン)|6]] || 家畜 ||
|| 家畜
|-
| [[高壁 (クルアーン)|7]] || 高壁 ||
|| 高壁
|-
| [[戦利品 (クルアーン)|8]] || 戦利品 || 戦利品 ||
|-
| [[悔悟 (クルアーン)|9]] || 悔悟 ||
|| 懺悔
|-
| [[ユーヌス (クルアーン)|10]] || ユーヌス ||
|| ヨナ || 懺奈須
|-
| [[フード (クルアーン)|11]] || フード ||
|-
| [[ユースフ (クルアーン)|12]] || ユースフ ||
|| ヨセフ
|-
|-
| [[イブラーヒーム (クルアーン)|14]] || イブラーヒーム ||
|| アブラハム ||
|-
| [[アル・ヒジュル (クルアーン)|15]] || アル=ヒジュル ||
|| ヒジル
|-
|[[蜜蜂 (クルアーン)|16]] || 蜜蜂 ||
|| 蜜蜂
|-
| [[夜の旅 (クルアーン)|17]] || 夜行 ||
|-
| [[洞窟 (クルアーン)|18]] || 洞窟 ||
|-
| [[マルヤム (クルアーン)|19]] || マルヤム ||
|| マリア || 瑪利亞母
|-
| [[ター・ハー (クルアーン)|20]] || ター・ハー ||
|-
| [[預言者 (クルアーン)|21]] || 預言者たち ||
|-
| [[巡礼 (クルアーン)|22]] || 大巡礼 ||
|-
| [[信者たち (クルアーン)|23]] || 信仰者たち ||
|-
| [[御光 (クルアーン)|24]] || 御光 ||
|-
| [[識別 (クルアーン)|25]] || 識別 ||
|-
| [[詩人たち (クルアーン)|26]] || 詩人たち ||
|-
|-
| [[物語 (クルアーン)|28]] || 物語 ||
|-
| [[蜘蛛 (クルアーン)|29]] || 蜘蛛 ||
|| 蜘蛛
|-
| [[ビザンチン (クルアーン)|30]] || (東)ローマ ||
|-
| [[ルクマーン (クルアーン)|31]] || ルクマーン ||
|| ルクマーン
|-
|-
| [[部族連合 (クルアーン)|33]] || 部族連合 ||
|-
| [[サバア (クルアーン)|34]] || サバァ ||
|-
| [[創造者 (クルアーン)|35]] || 創始者 ||
|-
| [[ヤー・スィーン (クルアーン)|36]] || ヤー・スィーン || <small>
|| <small>ヤー・ス
|-
| [[整列者 (クルアーン)|37]] || 整列 ||
|| 整列者
|-
| [[サード (クルアーン)|38]] || サード ||
|| サー
|-
| [[集団 (クルアーン)|39]] || 集団 ||
|-
|| 信者 || 眞信者
|-
|-
| [[相談 (クルアーン)|42]] || 協議 ||
|-
| [[金の装飾 (クルアーン)|43]] || 金の装飾 ||
|| 金飾 || 金裝
|-
| [[煙霧 (クルアーン)|44]] || 煙霧 ||
|-
| [[跪く時 (クルアーン)|45]] || 蹲った群れ ||
|-
| [[砂丘 (クルアーン)|46]] || 砂丘 ||
|-
| [[ムハンマド (クルアーン)|47]] || ムハンマド ||
|| マホメット
|-
| [[勝利 (クルアーン)|48]] || 勝利 ||
|| 勝利
|-
| [[部屋 (クルアーン)|49]] || 部屋 ||
|-
| [[カーフ (クルアーン)|50]] || カーフ ||
|-
| [[撒き散らすもの (クルアーン)|51]] || 撒き散らすもの || <small>
|-
|-
|-
|-
| [[慈悲あまねく御方 (クルアーン)|55]] ||<small>慈悲あまねき御方</small>||<small>
|-
| [[出来事 (クルアーン)|56]] || かの出来事 ||
|-
|-
| [[抗弁する女 (クルアーン)|58]] || 抗弁する女 ||
|-
| [[集合 (クルアーン)|59]] || 追い集め ||
|| 追放
|-
| [[試問される女 (クルアーン)|60]] || 試問される女 ||
|| 試
|-
| [[戦列 (クルアーン)|61]] || 戦列 ||
|-
| [[合同礼拝 (クルアーン)|62]] || 金曜集合礼拝 ||
|-
| [[偽信者たち (クルアーン)|63]] || 偽信者たち ||
|-
| [[騙し合い (クルアーン)|64]] || 相互得失 ||
|-
| [[離婚 (クルアーン)|65]] || 離婚 ||
|| 離婚
|-
| [[禁止 (クルアーン)|66]] || 禁止 ||
|| 禁止
|-
| [[大権 (クルアーン)|67]] || 王権 ||
|-
|-
| [[真実 (クルアーン)|69]] || <small>必ず実現するもの</small> ||
|-
| [[階段 (クルアーン)|70]] || 階梯 ||
|| 階段
|-
| [[ヌーフ (クルアーン)|71]] || ヌーフ ||
|-
| [[幽精 (クルアーン)|72]] || {{読み仮名|幽精|ジン|}} ||
|-
| [[衣を纏う者 (クルアーン)|73]] || 包まる者 ||
|-
| [[包る者 (クルアーン)|74]] || 身を包んだ者 ||
|-
| [[復活 (クルアーン)|75]] || 復活 ||
|| 復活
|-
| [[人間 (クルアーン)|76]] || 人間 ||
|-
| [[送られるもの (クルアーン)|77]] || <small>送られるものたち</small> ||
|-
|-
| [[引き離すもの (クルアーン)|79]] || 引き抜く者たち ||
|-
| [[眉をひそめて (クルアーン)|80]] || 眉をひそめ ||
|-
| [[包み隠す (クルアーン)|81]] || 巻き上げ ||
|-
| [[裂ける (クルアーン)|82]] || 裂けること ||
|-
| [[量を減らす者 (クルアーン)|83]] || <small>量りをごまかす者たち</small> ||
|| 減量者 || 偸量
|-
| [[割れる (クルアーン)|84]] || 割れること ||
|-
| [[星座 (クルアーン)|85]] || 星座 ||
|-
| [[夜訪れるもの (クルアーン)|86]] || 夜の訪問者 ||
|-
| [[至高者 (クルアーン)|87]] || 至高者 ||
|-
| [[圧倒的事態 (クルアーン)|88]] || 覆い被さるもの ||
|-
|-
|-
| [[太陽 (クルアーン)|91]] || 太陽 ||
|| 太陽
|-
|-
|
|-
| [[胸を広げる (クルアーン)|94]] || 広げること ||
|-
| [[無花果 (クルアーン)|95]] || イチジク ||
|-
| [[凝血 (クルアーン)|96]] || 凝血 ||
|| 凝血
|-
|-
| [[明証 (クルアーン)|98]] || 明証 ||
|-
| [[地震 (クルアーン)|99]] || 地震 ||
||
|-
| [[進撃する馬 (クルアーン)|100]] || 駆けるもの ||
|-
|-
| [[蓄積 (クルアーン)|102]] || 数の競い合い ||
|-
|-
| [[中傷者 (クルアーン)|104]] || 中傷者たち ||
|-
|-
| [[クライシュ族 (クルアーン)|106]] || クライシュ(族) ||
|| クライシュ
|-
| [[慈善 (クルアーン)|107]] || 什器 ||
|-
| [[潤沢 (クルアーン)|108]] || 豊穣 ||
|-
| [[不信者たち (クルアーン)|109]] || 不信仰者たち ||
|-
| [[援助 (クルアーン)|110]] || 援助 ||
|-
|| アブー・ラハブ || 焔父
|-
|-
| [[黎明 (クルアーン)|113]] || 夜明け ||
|-
| [[人々 (クルアーン)|114]] || 人々 ||
|}
== 脚注 ==
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|20em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|author=東隆眞|title=わが国最初の日本語訳クルアーンにみられる仏教語をめぐって (一)|journal=駒沢女子大学研究紀要|volume=5|pages=1-24|year=1998|doi=10.18998/00000798 |ref={{SfnRef|東|1998}}}}
* {{Cite book|和書|author=大川周明|chapter=第二部 古蘭|title=大川周明全集|volume=7|publisher=大川周明全集刊行会; 岩崎学術出版社|year=1974|doi=10.11501/3002976|ref={{SfnRef|大川|1974}}}}
* {{Cite book|和書|author=大川玲子|title=聖典「クルアーン」の思想:イスラームの世界観|series=講談社現代新書|publisher=講談社|year=2004|isbn=4-06-149711-1|ref={{SfnRef|大川|2004}}}}
* {{Cite book|和書|author=後藤絵美|chapter=日本におけるクルアーン翻訳の展開|pages=125-173|editor=松山洋平|title=クルアーン入門|publisher=[[作品社]]|year=2018|isbn=978-4-86182-699-3|ref={{SfnRef|後藤|2018}}}}
* {{Cite book|和書|author=小村明子|title=日本とイスラームが出会うとき|publisher=[[現代書館]]|year=2015|isbn=978-4-7684-5757-3|ref={{SfnRef|小村|2015}}}}
* {{Cite book|和書|author=坂本健一|title=世界聖典全集|volume=14|publisher=世界聖典全集刊行会|year=1920|doi=10.11501/946600|ref={{SfnRef|坂本|1920a}}}}
* {{Cite book|和書|author=坂本健一|title=世界聖典全集|volume=15|publisher=世界聖典全集刊行会|year=1920|doi=10.11501/946601|ref={{SfnRef|坂本|1920b}}}}
* {{Cite book|和書|author=鈴木紘司|chapter=「日本ムスリム協会」歴代会長列伝|editor=飯森嘉助|title=イスラームと日本人|series=イスラームを知る|publisher=国書刊行会|year=2011|isbn=978-4-336-05209-4|ref={{SfnRef|鈴木|2011}}}}
* {{Cite book|和書|author=藤本勝次; 伴康哉; 池田修|title=世界の名著|volume=15|publisher=中央公論社|year=1973|doi=10.11501/2935335|ref={{SfnRef|藤本ほか|1973}}}}
* {{Cite journal|和書|author=保坂修司|title=クルアーンの日本語訳について|journal=中東協力センターニュース|publisher=中東協力センター|date=2016-06|url=https://www.jccme.or.jp/11/pdf/2016-06/josei02.pdf|ref={{SfnRef|保坂|2016}}}}
* {{Cite book|和書|author=三浦徹|chapter=イスラームとの出会い|pages=5-28|editor=三浦徹|title=イスラームを学ぶ|publisher=山川出版社|series=イスラームを知る|year=2013|isbn=978-4-634-47463-5|ref={{SfnRef|三浦|2013}}}}
* {{Cite book|和書|editor=黎明イスラーム学術・文化振興会|translator=中田香織、下村佳州紀|others=[[中田考]]監修|title=日亜対訳クルアーン : [付]訳解と正統十読誦注解|publisher=[[作品社]]|year=2014|isbn=978-4-861-82471-5|ref={{SfnRef|中田ほか|2014}}}}
== 関連項目 ==
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{{スーラ (クルアーン)}}
{{デフォルトソート:くるああんのにほんこやく}}
[[Category:クルアーン|にほんこやく]]
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