「スクールカースト」の版間の差分

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キャラおよびスクールカーストの可変性について、森口は([[#いじめとの関係|前述]]したようにいじめの発生に付随した行動によってカーストの上昇/下降がみられることを指摘しながらも)新しい学年の始まる4月から5月頃のポジション取り(カーストの決定)が基本的には次のクラス替えまで1年間保存されるとしている{{sfn|森口|2007a|p=44}}。鈴木は2010年から2011年に大学1年生を対象としてインタビューを行っているが、その結果ではカーストが下降することはあっても自力で上昇するのはほとんど不可能であるとの意見が多かったとしている。それによると、部活動をはじめとするクラス間をまたぐ交友関係によって個々の生徒の情報は共有されることになるため、クラス替えなどを契機に人間関係がある程度リセットされたとしても過去のカーストが新年度もそのまま維持されてしまいがちなのだという{{sfn|鈴木|2012|pp=190-194}}。
 
[[土井隆義|土井]]や[[斎藤環|斎藤]]、[[荻上チキ|荻上]]らは学校空間でのカーストの固定性が強いことや固定化がいじめへつながる危険性を持つことを認めながらも{{sfn|土井|2009|pp=18-21}}{{sfn|斎藤|2011|pp=20-21}}<ref name="ネットいじめ_p205">{{Harvnb|荻上|2008|p=205}}</ref>、キャラ自体は周囲の状況に応じて切り替えられていく可変的なものであることを指摘しており{{efn2|[[キャラ (コミュニケーション)#キャラとアイデンティティ]]を参照。}}、[[宇野常寛]]{{efn2|[[宇野常寛]]によると、いわゆる[[場の空気|空気]]の読めない人は自己の[[アイデンティティ]]を「…である」という固定的な自己像に対する承認によって獲得しようとするが、現実には「…した」という具体的な行動によって他者からの人物像が形成されるのであり、現代社会の流動性の高いコミュニティにおいてキャラクターは自身のコミュニケーションによって書き換え可能であるという{{sfn|宇野|2008|pp=310-315}}。}}や荻上{{efn2|荻上チキは、一般に個人が複数のキャラを持っており場面に応じてそのどれかひとつを決めてそれを演じる「キャラ分け」が行われているとしている{{R|ネットいじめ_p205}}{{sfn|荻上|2008|pp=224-225}}。}}はこのキャラの可変性に注目した論考を行っている。それらを踏まえた[[海老原豊|海老原]]の論{{Sfn|海老原|2010|pp=343-346}}によれば、カースト/キャラが可変性と不変性を併有しているのは、その位置決定にかかわるコミュニケーション能力そのものが、具体的な対人関係の中で成長させることが可能ではあるが、家庭環境のような(当人にはコントロール不可能な)外的要因の影響も受けるという二面性を持っているからであるとしている。そして、そもそもカースト/キャラの可変性の前提となっているのは現代におけるメディア・テクノロジー環境の変化をもたらした個人の固定的な身体性(階級・生育環境など)の抑圧であり、その箍が外れたときに(あたかも本物のカースト制度のように)「本来あるべきカースト」への固定化が働くと考察した{{efn2|例えば、中学時代にいじめられていた子供が、中学卒業・高校入学を機会にキャラを変更して(いわゆる「高校デビュー」)カーストの上昇を試みて成功したかに見えても、ひとたび過去の自分の姿を暴露されれば(抑圧が解放されれば)再びカースト最下層への転落を余儀なくされる、ということ{{Sfn|海老原|2010|pp=341-342}}。}}。
 
== 社会調査 ==