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'''名古屋モスク'''(なごやモスク)は、[[日本]]の[[愛知県]][[名古屋市]]にある[[モスク]]であ
名古屋モスクは4階建ての鉄筋コンクリート製の建物である。2階に女性用礼拝室、3階と4階に男性用礼拝室が設けられている。また、名古屋モスクは礼拝といった宗教活動のほかに、イスラームにまつわる資料の配布や見学者の受け入れを行っている。このほか、女性や若いムスリムを対象とする勉強会やお茶会を開いている。
名古屋モスクの母体となったのは、イスラーム諸国からの留学生らによって1987年1月に設立された「名古屋イスラム協会」である{{sfn|クレシ|2021|p=246}}。彼らは名古屋市内のアパートを借りて礼拝所としていたが、外国人が集まったことがアパートや近隣の住民の不安を招き、たびたびアパートを追い出されてそのたびに別のアパートを借りるなど礼拝所を転々としていた{{sfn|朝日新聞|1998|p=3}}{{sfn|クレシ|2021|p=246}}。そこで、自前のモスクを設立する機運が高まり、各所からの寄付金を得て1998年7月にモスクが完成した。
== 所在地 ==
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=== 名古屋イスラム協会の設立 ===
1980年代に入ると名古屋においてイスラーム諸国からの留学生が増加した{{sfn|クレシ|2020|p=31}}。留学生たちは、1986年年頭から[[名古屋
しかし、1990年にはその日本人がコミュニティを去ったため、アパートの更新契約ができなくなった。そこで、この頃コミュニティに参加し始めたパキスタン出身の自営業者Aが、やはり名古屋大学に隣接する別のアパートを自分の会社名義で契約し、新たなムサッラーとした{{sfn|クレシ|2020|p=32}}。この時期にAは、会社を名古屋イスラム協会の連絡先とし、結婚や入信などに必要なイスラミックセンター・ジャパンの証明書の取次も行い、また[[ハラール]]に則って処理された肉(ハラール肉)を販売するなど、コミュニティを積極的にサポートするようになっていく{{sfn|クレシ|2020|p=32}}。
この頃、1990年末にはモスク設立のための基金口座が開設され、2年で300万円ほどが集まっている{{sfn|クレシ|2020|pp=32, 33}}。
しかしその後、[[湾岸戦争]]によるイスラームへの偏見が高まり、警察の訪問が度重なったこともあって、1992年明けにアパートからの退去を通告されたため、再び別の場所が必要になった{{sfn|クレシ|2020|p=33}}。3ヶ月近い物件探しの末、名古屋大学から2駅離れたビルの一室をAの会社名義で借りることになった{{sfn|クレシ|2020|p=33}}。このムサッラーでは、礼拝の他、アラビア語や[[ハディース]]の勉強会や食事会なども行なわれ、ムスリムの外国人男性を中心としたコミュニティが形成されて行く{{sfn|クレシ|2021|p=246}}。また、金曜礼拝には70人から80人ほどが参加しており、礼拝スペースが足りなかった{{sfn|朝日新聞|1998|p=3}}。この新しい物件は賃料は高額だったが室内は狭く、そのうえ立地も不便であった{{sfn|クレシ|2021|p=246}}。しかし、他に選択肢はなく、その後6年ほど、この場所をムサッラーとして使用していた{{sfn|クレシ|2020|p=33}}。
こうした諸事情を受けて、永続利用が可能なモスクを設立する機運が高まり{{sfn|クレシ|2021|p=248}}、1993年にはモスク建設用の土地探しが始まった{{sfn|クレシ|2020|p=33}}。
=== 名古屋モスクの設立 ===
[[第二次世界大戦]]後に日本で設立されたモスクは、工場やコンビニエンスストアなどの中古物件を買い取り、それをモスクに改築するという手法が主流だった。しかし、
モスクの 建設用地探しと並行してモスク設立のための募金活動も行われていた。募金活動は日本の国内外で10年にわたり行われ、その結果、 1997年4月には名古屋イスラム協会に名古屋モスクプロジェクトが組織され、その責任委員としてAを含むパキスタン人など7人が選出された{{sfn|クレシ|2020|pp=32, 33}}。
また、この頃には、1990年に開設されたモスク基金口座にすでに約1200万円が集っていた{{sfn|クレシ|2020|p=33}}が、国内外のムスリムや諸団体に寄付を募るため、会員が奔走し、最終的には土地購入と建築に必要な約6780 万円を調達した{{sfn|クレシ|2020|p=33}}{{sfn|クレシ|2021|p=249}}。
法人登記されていない団体は、法律上の権利義務の主体になれない<ref name="文化庁月報540">{{cite journal|author=文化庁文化部宗務課| title= 解説 宗教法人制度の概要と宗務行政の現|journal=文化庁月報|year=2013|number=540|publisher=文化庁|url=https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2013_09/special_04/special_04.html|access-date=2022-05-15|ref="文化庁月報540"}}</ref>ため、土地の売買契約は、名古屋モスクプロジェクト責任委員のうち3人が共同名義で締結した{{sfn|クレシ|2020|p=33}}。
1997年12月10日に愛知県安城市の東海ハウスによってモスクの建設が着工し、翌年1998年7月1日にモスクが完成した{{sfn|クレシ|2020|p=33}}。7月24日にモスクの完成記念式典が行われた。この式典には30人ほどのムスリムが参列した{{sfn|朝日新聞|1998|p=3}}。また、[[サウジアラビア]]の[[マッカ]]にある[[マスジド・ハラーム]]の[[イマーム]]{{Refnest|group="注釈"|イマームとはイスラームにおける宗教指導者。一般的には礼拝の手本を示す導師を指す{{sfn|松本|2002|p=248}}。}}であるシャリーク・ビン・フマイドや駐日サウジアラビア大使も参列した{{sfn|桜井|2004|p=114}}。また、完成記念式典ではサウジアラビア国王から[[カアバ]]の[[キスワ]]の一片が贈られた{{sfn|クレシ|2020|p=34}}{{Refnest|group="注釈"|{{harvtxt|水谷|2010}}によると、キスワは毎年交換されることになっており、使用済みとなったものは裁断され、世界各地に送られてイスラームの伝播に寄与するという{{sfn|水谷|2010|p=53}}。}}。
名古屋モスクの役員には名古屋モスクプロジェクト責任委員の7人と、当時の名古屋イスラム協会の会長の合計8人が就任した{{sfn|クレシ|2020|p=34}}。設立当初
=== モスクの宗教法人化 ===
当初のモスクの所有権は、土地の売買契約を結んだ名古屋モスクプロジェクト責任委員の3人にあった。しかし、モスクの所有権は個人にあるべきではないという[[フィクフ]]がある{{sfn|クレシ|2020|p=38}}ことから、所有権をモスクに移すことになった。そのためにはモスクが法人化される必要がある{{Refnest|group="注釈"|モスクが法人されていないと法律上の権利義務の主体になれない<ref name="文化庁月報540"/>ため、}}。そこで、3年分の活動実績に対する証明書類が揃った2001年8月に
また、名古屋モスクは、当初は愛知県知事所管の宗教法人だったが、2008年に完成した岐阜モスクを支部としたことで2010年1月1日から文部科学大臣所管となった{{sfn|クレシ|2020|p=35}}{{Refnest|group="注釈"| 宗教法人の所轄官庁は、原則としてその法人の所在地の都道府県知事であるが、他の都道府県に建物を備える宗教法人などの所轄官庁は文部科学大臣である<ref name="文化庁宗教法人">{{cite web| title=概要|date=2022-03-25 |work=宗教法人と宗務行政 | publisher=文化庁|url=https://www.bunka.go.jp/seisaku/shukyohojin/gaiyo.html |access-date=2022-05-15|ref="文化庁宗教法人"}}</ref>。 }}。
=== ISILによる日本人拘束事件 ===
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=== 現在まで ===
その後、通常の金曜礼拝に集まるムスリムは300人を超えるようになり、2013年に購入したモスク裏の建物と、2017年に購入したモスク西隣の建物に分散して収容している{{sfn|クレシ|2020|p=35}}。
[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|Covid-19のパンデミック]]が始まると、名古屋モスクは2020年2月下旬から金曜礼拝を中止した。また、1日5回行われる礼拝も中止した。それまで名古屋モスクは1年中開かれており、閉鎖はモスクの開設以来初めてのことだった{{sfn|朝日新聞|2020|p=27}}。
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== 運営 ==
名古屋モスクは宗教法人である名古屋イスラミックセンターによって運営されている{{sfn|朝日新聞|2019|p=22}}。設立当初、モスクの所有権は土地の売買契約を結んだ名古屋モスクプロジェクト責任委員の3人にあった。しかし、モスクは個人所有であるべきでないというフィクフがあることから、所有権をモスクに移すため2002年に宗教法人名古屋モスクとして認可を受けた{{sfn|クレシ|2020|p=34}}。
「名古屋モスク」という名称は、モスクとしての名古屋モスクと宗教法人としての名古屋モスク 2019年10月現在、名古屋イスラミックセンターの代表役員は、名古屋モスク設立当初から代表を務めている
後述するように、当モスクの活動は多岐にわたるものの、コミュニティは建設に多額の寄付をつぎこんでおり、開設当初は常駐職員を雇う余裕はなく、モスク近くに引っ越したA夫妻がこれらの活動に対応していた{{sfn|クレシ|2021|p=250}}。事務担当の職員を雇用したのは、モスク開設から18年も後の2016 年9 月である{{sfn|クレシ|2021|p=260}}。また、礼拝の導師であるイマームも、長らく常駐の担当者がおらず、エジプト人やモーリシャス人、ウガンダ人などが短期的にイマームを務めていた{{sfn|クレシ|2020|p=35}}が、モスク開設から11年後の2009年9月にイスラーム学の専門教育を受けたエジプト人を常駐のイマームに迎えた{{sfn|クレシ|2021|p=259}}。
▲2019年10月現在、名古屋イスラミックセンターの代表役員は、名古屋モスク設立当初から代表を務めているパキスタン出身の男性である。4人いる責任役員は3人が日本人であり、また、2人が女性である{{sfn|クレシ|2020|p=36}}。
== 活動 ==
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名古屋モスクでは2014年8月から「中高生の会」としてムスリムの子どもに向けた集まりを開始した{{sfn|子島|服部|2019|p=63}}。のちに高校を卒業した若いムスリムも参加できるようにするため{{sfn|クレシ|2020|p=35}}、SYM (Space for Young Muslims、ヤングムスリムのためのスペース) に改称された{{sfn|子島|服部|2019|p=65}}。また、2019年からは日本語を母語としない若いムスリムを対象に「SYMにほんごクラブ」が開始された{{sfn|クレシ|2021|p=257}}。
名古屋モスクは見学者も受け入れており、年間300人から400人ほどが訪れている{{sfn|朝日新聞|2019|p=22}}。モスクの見学は2014年までは年に数十人程度であったが、2014年にモスクのウェブサイトに見学者受け入れの案内を掲載してからは見学者が増加したという{{sfn|クレシ|2020|p=35}}{{Refnest|group="注釈"|{{harvtxt|クレシ|2020}}は、日本人に向けた発信に注力していることは名古屋モスクの大きな特色であるとしている{{sfn|クレシ|2020|p=35}}。また、{{harvtxt|店田|2015}}は、日本語で充実した情報があり、日本社会への発信を意図していることがうかがえるとするウェブサイトのひとつに名古屋モスクを挙げている{{sfn|店田|2015|p=90}}。}}。また
名古屋モスクには宗派のこだわりはなく、ムスリムでさえあれば良いため、[[シーア派]]の信者も利用するという{{sfn|店田|岡井|2008|p=51}}。
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