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Kawi 12 (会話 | 投稿記録)
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=== 近鉄時代 ===
{{by|1997年}}シーズンルーキーイヤーながら52試合に登板し、リリーフばかりの登板で100奪三振を超えるなど主にセットアップとして活躍した。
 
{{by|1998年}}シーズン[[赤堀元之]]に代わるクローザーとしてパ・リーグ新記録の35[[セーブ]]を挙げ、[[最多セーブ投手 (日本プロ野球)|最優秀救援投手]]に輝く。
 
{{by|1999年}}シーズンは故障でシーズンの半分を棒に振ったが、その後も不動のクローザーとして活躍。
 
{{by|2000年}}シーズン39試合に登板して1勝3敗24セーブ防御率2.38の成績を残し、最下位に沈んだチームの中で奮闘した。
 
{{by|2001年}}シーズンは開幕戦からセーブを挙げるも、不安定な投球が続き、中継ぎや二軍へ降格する屈辱も味わう。しかし、シーズン後半の9月には自身2度目の月間MVPを受賞する活躍を見せた。48試合に登板して2勝5敗26セーブ防御率4.02とやや安定感は欠いたが、近鉄の12年ぶり4回目のリーグ優勝に貢献。ちなみに当時自身のニックネームを公募するという企画があり、背番号11に因んだ「鉄人11号」といった候補などがあったが意に合うものがなく企画を白紙にした。[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]との[[2001年の日本シリーズ|日本シリーズ]]は球団にとって最後の日本シリーズとなり、大塚は第2戦と第5戦に登板。第2戦でのセーブで日本シリーズで最後にセーブを挙げた近鉄の投手となり、この試合はチーム最後の日本シリーズ勝利となった。第5戦は7回二死から登板し、1回1/3を無失点に抑えたがチームは敗れ、球団史上初の日本一とはならなかった。近鉄は2004年シーズン終了後に[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]と合併して消滅したため、大塚が近鉄の投手として日本シリーズで最後に登板した投手となった。
 
{{by|2002年}}シーズンは開幕直前に脇腹痛で出遅れたこともあり、登板数は前年を下回る41試合に留まったものの、2勝1敗22セーブ防御率1.28を記録し安定感抜群の投球内容を見せた。シーズン終了後、[[ポスティングシステム]]でのメジャーリーグ移籍を目指したがメジャーからの入札はなかった。大塚はポスティングにかけられた時点で余剰戦力になったはずであると主張し、[[自由契約]]を希望した。
 
=== 中日時代 ===
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{{by|2003年}}12月10日、[[サンディエゴ・パドレス]]が30万ドルで落札し、2年契約で同球団に入団。
 
{{by|2004年}}シーズンは、4月6日の対[[ロサンゼルス・ドジャース]]戦でメジャーデビュー。最初は敗戦処理としてのスタートだったが、4月に初勝利と初セーブを挙げると以降はセットアッパーとして定着。6月11日の対[[ニューヨーク・ヤンキース]]戦では、8回と9回を投げて打者6人を完璧に抑え、[[松井秀喜]]とも対戦した。9月には[[ESPN]]の選出する「お買い得だったFA選手ベスト10」の6位にランクインした。最終的に日本人選手シーズン最多記録となる73試合に登板し<ref>{{Cite news |title=登板の通算&年間記録 |work=MLB日本人選手記録ライブラリ |url=http://mlbjapanese.web.fc2.com/records/games_played_p.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222100348/http://mlbjapanese.web.fc2.com/records/games_played_p.html |archivedate=2014-02-22 |deadlinkdate=2017年9月}}</ref>、リリーフ投手中リーグ3位の防御率1.75と同5位の奪三振率10.13、2位の被打率.199を記録し、リーグ最多の34[[ホールド]]を達成した。
 
{{by|2005年}}シーズンアウェイで0勝8敗、防御率6.92、WHIP2.08と打ち込まれ、前年のシーズンより成績を下げたがホームでは防御率1.23、WHIP0.95と好投し、チームの7年ぶりの地区優勝に貢献した。
 
=== レンジャーズ時代 ===
{{by|2006年}}シーズンの1月4日に[[クリス・ヤング (投手)|クリス・ヤング]]、[[エイドリアン・ゴンザレス]]、[[ターメル・スレッジ]]とのトレードで、ビリー・キリアン、[[アダム・イートン]]と共に[[テキサス・レンジャーズ]]へ移籍。開幕前には3月に開催された[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)]]の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]に選出された。抑えとして5試合に登板し、日本代表の優勝に貢献した。特に決勝戦では8回裏一死で1点差に迫られた直後という厳しい場面からの登板となったが、わずか4球で二死を取り、1点差に追い詰められていた日本代表を救った。味方が4点を追加した後の9回を1失点で切り抜け、WBC初の[[胴上げ]]投手となった。
 
レギュラーシーズンではクローザーを務めていた[[フランシスコ・コーデロ]]の不調に伴い、クローザーに抜擢。メジャー屈指の投手有利の球場であった[[ペトコ・パーク]]をホームとしていた前年のシーズンと変わり、メジャー屈指の打者有利の球場である[[レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントン]]をホームとすることとなったが、ホームでは防御率1.67、WHIP0.99と好投した。9月3日の対[[クリーブランド・ガーディアンズ|クリーブランド・インディアンス]]戦では[[佐々木主浩]]以来日本人メジャーリーガー2人目となる30セーブを達成。その後は頭痛の影響により19日から登板がなくシーズンを終えたが、最終的にリリーフ投手中リーグ7位の与四球率1.66と安定した制球力を見せて2勝4敗32セーブ、リリーフ投手中リーグ8位の防御率2.11、同8位のWHIP1.07の成績を残した。
[[File:AkinoriOtsuka.jpg|thumb|レンジャーズ時代(2007年)]]
 
{{by|2007年}}シーズンは、[[エリック・ガニエ]]の加入により、再び[[リリーフ#中継ぎ|セットアップマン]]として起用されることになった。6月20日の対[[シカゴ・カブス]]戦では[[サミー・ソーサ]]がメジャーリーグ史上5人目となる通算600号本塁打を放ち、ブルペンで投球練習をしていた大塚がそれを捕球し、ソーサ本人に手渡した。その後も好投を続けていたが、7月9日に右肘を痛め[[故障者リスト]](DL)入り。そのままシーズンを終える。同年のシーズンオフには球団側から契約延長の申し出がなく、FAとなった。
 
=== レンジャーズ退団後 ===
{{by|2008年}}1月9日に[[トミー・ジョン手術]]を受け、その後、リハビリを続けていたが{{by|2010年}}1月22日に3度目の肘の手術を受けた<ref>{{Cite web |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/78594 |title=ジェイミー・モイヤーと大塚晶則。復活にかけるベテラン投手のド根性! |work=[[Sports Graphic Number|Number]] Web |date=2011-01-12 |accessdate=2011-02-27}}</ref>。その後も現役復帰へ向けてリハビリを続けた。しかし、獲得球団はなくNPB及びMLB球団への復帰は果たせなかった。
 
{{by|2011年}}5月20日に[[ペトコ・パーク]]で始球式に出席し、[[トレバー・ホフマン]]の発案により[[東日本大震災]]のチャリティーの一環としてホフマンと共にサイン会を行った<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20110521-779021.html |title=大塚が始球式、義援金集めにも一役 |publisher=日刊スポーツ |date=2011-05-21 |accessdate=2021-04-08}}</ref>。6月にはこの年[[サマーリーグ]]に初参加した[[サムライオールジャパン]]で投手兼任コーチとして実戦復帰することとなったが<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20110602-784512.html |title=大塚4年ぶり実戦に復帰へ |publisher=日刊スポーツ |date=2011-06-02 |accessdate=2021-04-08}}</ref>、登板機会はなかった。
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=== 独立リーグ・信濃時代 ===
{{by|2013年}}5月に[[独立リーグ]]である[[ベースボール・チャレンジ・リーグ]]の[[信濃グランセローズ]]へ入団することが決まった<ref>{{Cite web |date=2013-05-23 |url=http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c2%e7%c4%cd&k=201305/2013052300708 |title=大塚がBC信濃入団=野球独立リーグ |publisher=時事通信 |accessdate=2013-05-24}}{{リンク切れ|date=August 2017}}</ref>。6年ぶりに球団に所属してプレーすることになり登録名も本名に戻すことになった。6月8日に[[中野市営野球場]]で記者会見を行い正式に入団しが、6月下旬の練習中に遠投した際に右肩を痛め、シーズン終了まで登板することなくシーズンを終えた。12月3日に同年のシーズン限りで辞任した[[岡本哲司]]にかわる信濃グランセローズの新監督に就任することが発表された<ref>{{Cite web |date=2013-12-03 |url=http://www.grandserows.jp/_contents/news.php?newsid=395 |title=大塚監督就任 |publisher=信濃グランセローズ公式サイト |accessdate=2013-12-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140430091817/http://www.grandserows.jp/_contents/news.php?newsid=395 |archivedate=2014-04-30 |deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。
 
{{by|2014年}}シーズンの7月21日の試合後に、ベンチ前で行ったミーティングで、3選手を平手打ちしたとし<ref>{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/24/kiji/K20140724008624010.html |title=信濃・大塚監督、選手に平手打ち…BCリーグが行為を公表 |publisher=スポーツニッポン |date=2014-07-24 |accessdate=2021-04-08 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140727074335/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/24/kiji/K20140724008624010.html |archivedate=2014-07-27}}</ref>、7月24日に7試合の出場停止処分を受ける<ref>{{Cite web |url=http://www.bc-l.jp/modules/bclnews/index.php?page=article&storyid=2830 |title=信濃グランセローズ・大塚晶文監督の処分について |publisher=BCリーグ公式サイト |date=2014-07-26 |accessdate=2021-04-08 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140810002451/http://www.bc-l.jp/modules/bclnews/index.php?page=article&storyid=2830 |archivedate=2014-08-10}}</ref>。9月15日の[[新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ|新潟]]戦([[長野オリンピックスタジアム|長野五輪]])で実に7年2か月ぶりとなる公式戦登板を果たし<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140915-1367128.html |title=信濃大塚、最後の登板で宝刀スライダー |publisher=日刊スポーツ |date=2014-09-15 |accessdate=2021-04-08}}</ref>、打者1人を空振り三振に抑え、現役引退を表明<ref>{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20140915/oth14091517490001-n1.html |title=大塚兼任監督が現役引退 心臓移植の少女への願い込め最後の登板/BCリーグ |publisher=サンケイスポーツ |date=2014-09-15 |accessdate=2021-04-08 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140915141357/http://www.sanspo.com/baseball/news/20140915/oth14091517490001-n1.html |archivedate=2014-09-15}}</ref>。
 
=== 現役引退後 ===
{{by|2015年}}シーズンには中日ドラゴンズの二軍投手コーチに就任。背番号は「'''74'''」<ref>{{Cite web |date=2013-10-03 |url=http://dragons.jp/news/2014/14100301.html |title=大塚晶文氏と投手コーチ合意のお知らせ |publisher=中日ドラゴンズ・公式サイト |accessdate=2013-10-03}}</ref>。
 
{{by|2016年}}シーズン春季キャンプから一軍に配置転換。これは、1月に腰の[[ヘルニア]]を除去する手術を受けた[[近藤真市]]一軍投手コーチの長期休養に伴う措置で、これにより前年のシーズン限りで現役を引退した編成部の[[朝倉健太]]が二軍投手コーチ兼任で配置転換された<ref>{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160123-OHT1T50091.html |title=【中日】ヘルニアで休養の近藤コーチ、3月中の現場復帰目指す |publisher=スポーツ報知 |date=2016-01-16 |accessdate=2021-04-08 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160129070422/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160123-OHT1T50091.html |archivedate=2016-01-29}}</ref>。2月23日、近藤が現場復帰を果たしたため二軍に配置転換。9月26日、[[2016 WBSC U-23ワールドカップ|第1回WBSC U-23ワールドカップ]]の日本代表コーチを務めることが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20160926_2.html |title=侍ジャパンU-23代表の監督・コーチが決定 |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2016-09-26 |accessdate=2016-10-02}}</ref>。背番号は「'''40'''」。
 
{{by|2017年}}シーズン派遣コーチ兼国際渉外担当に配置転換。NPBのコーチ登録をしたまま、パドレス傘下の[[エルパソ・チワワズ]]の投手コーチブルペン担当に就任。また、長年国際渉外担当として在籍していた[[足木敏郎]]の退団で手薄になっていた北米における選手調査も任される<ref>{{Cite news |url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201709/CK2017090502000099.html |title=友利1軍投手コーチ、編成に専念 後任は朝倉2軍コーチ 竜再建、来季への一手 |newspaper=[[中日スポーツ]] |date=2017-09-05 |accessdate=2018-02-10}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180105-OHT1T50036.html |title=【中日】メジャー51勝ディロン・ジー獲得 「北米ルート」を再構築で13年以来米国人 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2018-01-05 |accessdate=2018-02-10}}</ref>。
 
{{by|2018年}}シーズンNPBのコーチ登録はされなくなったが、引き継ぎアメリカに在住し、中日編成部としてスカウトやパドレス3Aのコーチを務めた。
 
{{by|2020年}}6月に長男の虎之介(外野手、当時・22歳、サンディエゴ大3年)がMLBのドラフト指名に漏れたことが話題になった<ref>{{Cite web |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/844006 |title=大塚虎之介MLBドラフト指名漏れ。大リーガーの父、王貞治の助言も。 |publisher=Number Web |date=2020-06-28 |accessdate=2021-04-09}}</ref>。
 
{{by|2021年}}10月29日、中日ドラゴンズの一軍投手コーチに就任することが発表された<ref>[https://www.dragons.jp/news/2021/21102902.html 来季コーチングスタッフのお知らせ] - 中日ドラゴンズ公式サイト</ref>。背番号は「'''76'''」。