「第二次上海事変」の版間の差分
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[[荒川秀俊]]は、「予報技術者として、断じて上海事変だけは日本が仕掛けたものではない」として、十三日の朝、台風の中心示度が725ミリ (967ミリバール)と推定され、[[東シナ海]]に入り、なおもゆっくりと北北西に進行中であったことを指摘し、「おそらく中国が海軍陸戦隊と上海で事をかまえたのは、この台風が東シナ海へと突入してくる気配をみて、増援隊が日本から到達しないうちに、陸戦隊をもみつぶせると考えたものにちがいない」と述べた<ref>[[荒川秀俊]]「上海事変と台風」『お天気日本史』文藝春秋、昭和四五年七月二五日 第一刷、52~54頁。初出は、荒川秀俊「気象よもやま=2=上海事変と台風」『[[朝日新聞]]』昭和41年6月8日 水曜日 (5)。</ref>。
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{{Main|中国空軍の上海爆撃 (1937年)}}
[[8月14日]]には日本艦艇をねらったとされる[[中国空軍の上海爆撃 (1937年)|国民党軍機による空襲]]が開始された。この爆撃によって投下された爆弾の幾つかが周辺の[[フランス]][[租界]]・国際共同租界
{{Main|{{仮リンク|八一四空戦|zh|八一四空战}}}}
一方、前日の渡洋爆撃命令を受けて、日本海軍も[[台湾]]の航空基地より爆撃機を飛ばして、[[杭州市|杭州]]や[[広徳県|広徳]]を爆撃している。[[九州]]から[[南京市|南京]]への[[渡洋爆撃]]も予定されていたが、九州の天候が悪かったため延期された<ref name=kaigun />。
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