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[[ファイル:深圳湾20181030.jpg|サムネイル|thumb|upright=1.5|[[深圳市]]の[[深圳湾体育中心|深圳湾スポーツセンター]]。[[サッカー中華人民共和国代表]]のホームスタジアムとして使用される。]]
'''中華人民共和国のスポーツ'''では、主として1949年に建国された[[中華人民共和国]](以下中国)におけるスポーツについて述べる。
== 歴史 ==
中国では1952年の[[1952年ヘルシンキオリンピック|ヘルシンキオリンピック]]参加に向けてスポーツ競技力向上を推進する動きが活発化し、1949年、北京において開催された「中国人民政治協商会議」(建国方策検討のための会議)において「国民体育を提唱する」という政策方針が盛り込まれた<ref name="riku2008_p170">{{Harvnb|陸|2008|p=170}}</ref><ref name="o2020_p115">{{Harvnb|王|2020|p=115}}</ref><ref name="sinkou">{{Cite web |url=https://www.mext.go.jp/component/a_menu/sports/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/08/03/1309352_018.pdf |title=諸外国(12ヵ国)のスポーツ振興施策の状況 中国 |publisher=文部科学省 |date=2011 |access-date=2022-06-16}}</ref>。国民の健康を促進し、大衆スポーツの普及と労働力・国防力の向上を目的として掲げられられた本方針は、建国間もない中国のもっとも重要な方針のひとつとされた<ref name="riku2008_p170"/>。
1951年、「学生健康状況の改善に関する決定」が発布されるとともに全国で[[ラジオ体操]]の推進が始められ、1952年に発布された「各種目選手の選抜と集中訓練に関する通知」によって競技としてのスポーツの強化が国家主導で行われることとなった<ref name="riku2008_p170" /><ref name="wu2011_p26">{{Harvnb|武|2011|p=26}}</ref>。同年に設立した中央人民政府体育委員会(現:[[国家体育総局]])によってスポーツ事業の管理・運営が行われるようになった<ref name="wu2011_p26" />。こうした体制は[[ソビエト連邦]]のスポーツ行政を参考に仕組み作りが行われた<ref name="wu2011_p26" />。こうした国家主導方針を背景に、1951年には初のナショナルチームであるバスケットボールチームが発足したが、1950年代の中国国内における競技スポーツへの認知度は低く、大衆スポーツの普及を中心とした取り組みが主となっていた<ref name="riku2008_pp171-172">{{Harvnb|陸|2008|pp=171-172}}</ref>。このような状況の中、1959年にドイツ・ドルトムントで行われた[[世界卓球選手権]]で[[容国団]]が中国選手として史上初めて国際大会で優勝すると、競技スポーツの社会的効用が強く認知されるようになり、1960年代以降競技スポーツ選手育成のための体制づくりが本格化した<ref name="riku2008_p172">{{Harvnb|陸|2008|p=172}}</ref>。
しかしながら、1966年より始まった[[文化大革命]]の影響によりこうしたスポーツ振興は停滞することとなった<ref name="riku2008_p173">{{Harvnb|陸|2008|p=173}}</ref>。だが、5年ぶりとなる1971年の名古屋の世界卓球選手権参加([[ピンポン外交]])を契機に、中国におけるスポーツ振興は少しずつ復興していくこととなった<ref name="wu2011_p27">{{Harvnb|武|2011|p=27}}</ref><ref name="riku2008_p173"/>。
文化大革命の終結を受けて1986年には「スポーツ体制の改革に関する決定」が制定され、スポーツ強国の形成に向けた体制基盤構築が加速化した<ref name="riku2008_p174">{{Harvnb|陸|2008|p=174}}</ref>。1993年に市場経済システムが本格的に導入されると、1994年のサッカーのプロ化を始めとするスポーツの産業化が様々な種目で実現した<ref name="riku2008_p175">{{Harvnb|陸|2008|p=175}}</ref>。90年代に入ると地方都市に大規模なスポーツ施設が相次いで建設されるようになる<ref name="o2020_p116">{{Harvnb|王|2020|p=116}}</ref>。また、1994年にはスポーツくじ管理センターが設置され、財源確保に向けた整備も行われるようになった<ref name="sinkou" />。
2008年の[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]に向けた招致活動も本格化するにつれて法整備も行われるようになった<ref name="sinkou" />。2002年にオリンピック標識保護条例が、2004年に反ドーピング条例が制定された<ref name="sinkou" />。こうした国家主導のスポーツ振興は北京オリンピックで大きく花開き、オリンピック金メダル41個、パラリンピック金メダル89個と、ともに世界1位を獲得した<ref name="sinkou" />。
その他、[[2002年のNBAドラフト|2002年のドラフト]]でバスケットボールの[[姚明]]が米国の[[NBA]]に出場するなど、海外のプロリーグに参加する選手も現れるようになった<ref name="NBA in China">[http://www.chinawikipedia.com/ChinaNBA.html Overview of NBA development in China] at "ChinaWikipedia"</ref>。2007年9月に行われた[[姚明]]と[[易建聯]]のバスケットボールの試合は、中国のスポーツゲームで最大規模となる1億〜2億人ものライブ観戦者を集めた<ref>{{Cite web |url=http://www.greensboro.com/sports/morrison-s-surgery-goes-well-yao-yi-game-draws-crowd/article_352c3170-0bbb-57d5-a739-ec164a722150.html |title=Yao-Yi game draws crowd |publisher=Greensboro.Com |date=10 November 2007 |access-date=22 January 2016}}</ref>。
== スポーツ組織 ==
[[ファイル:General Administration of Sport of China (20200803123840).jpg|サムネイル|国のスポーツ事業を統括する[[国家体育総局]]。]]
建国以降、[[中華人民共和国国務院|国務院]]直属の行政機関としてスポーツの振興を主導していた中央人民政府体育委員会は1998年に国家体育総局(''General Administration of Sport of China'')に改められ、その配下に13の機関局、43の組織が組み込まれている<ref name="sinkou"/>。ソビエト連邦のスポーツ体制を参考に組織された行政は「挙国体制」と呼ばれ、スポーツ関連法の整備、発展計画の策定、研究計画の策定、地域体育発展の指導推進、「全民健身計画」の推進、競技スポーツの強化、不正撲滅、国際的なスポーツ交流の統括と深化、スポーツイベントの参加と主催の奨励、スポーツ産業の統制など多岐に渡る任務を国家主導で推し進める体制を整えた<ref name="wu2011_p27-30">{{Harvnb|武|2011|pp=27-30}}</ref><ref name="sinkou"/>。その他、学生の競技スポーツ支援を目的とした教育部が置かれ、各地方政府のもとにも地方体育局が設置され、中国体育法によりスポーツ投資のための予算を確保することを義務付けた<ref name="sinkou"/>。
===
{{familytree/start}}
{{familytree|AAA|-|BBB|v|CCC|AAA=[[中華人民共和国国務院|国務院]]|BBB=[[国家体育総局]]|CCC=弁公庁}}
{{familytree| | | | | | | |)|DDD|DDD=大衆体育局}}
{{familytree| | | | | | | |)|EEE|EEE=競技体育局}}
{{familytree| | | | | | | |)|FFF|FFF=経済局}}
{{familytree| | | | | | | |)|GGG|GGG=政策法規局}}
{{familytree| | | | | | | |)|HHH|HHH=人事局}}
{{familytree| | | | | | | |)|III|III=外交局}}
{{familytree| | | | | | | |)|JJJ|JJJ=宣伝局}}
{{familytree| | | | | | | |)|KKK|KKK=機関党委員会}}
{{familytree| | | | | | | |)|LLL|LLL=監察局}}
{{familytree| | | | | | | |)|MMM|MMM=退職幹部局}}
{{familytree| | | | | | | |`|NNN|NNN=その他直属機関}}
{{familytree/end}}
=== その他直属機関 ===
{{Multicol}}
*機関事務局
*財務管理・監査局
*冬季運動管理センター
*射撃・アーチェリー運動管理センター
*自転車・フェンシング運動管理センター
*水上運動管理センター
*重量挙げ・柔道・レスリング運動管理センター
*ボクシング・テコンドー運動管理センター
*陸上競技運動管理センター
*水泳運動管理センター
*体操運動管理センター
|
*ハンドボール・ソフトボール運動管理センター
*サッカー運動管理センター
*バスケットボール運動管理センター
*バレーボール運動管理センター
*卓球・バドミントン運動管理センター
*テニス運動管理センター
*航空無線模型運動管理センター
*武術運動管理センター
*健身・気功管理センター
*登山運動管理センター
*モータースポーツ管理センター
|
*社会体育指導センター
*研修局
*国立オリンピックスポーツセンター
*青島航海運動学校
*湛江潜水運動学校
*安陽航空運動学校
*康皇島訓練基地
*体育科学研究所
*運動医学研究所
*アンチ・ドーピング機構
*中国体育新聞社
|
*北京体育大学
*体育文化発展センター
*体育情報センター
*対外体育交流センター
*小球運動管理センター
*人材資源開発センター
*体育器材装備センター
*チェス運動管理センター
*スポーツくじ管理センター
*体育基金管理センター
{{Multicol-end}}
=== スポーツ統括団体 ===
*[[中華全国体育総会]](ACSF)
**中華全国体育総会は国家体育総局が主管する各スポーツ団体から構成される組織で、位置づけとしては政府に登録された社会団体のひとつとなっているが、実質的には国の組織機構のひとつとなっている<ref name="sinkou"/>。
*[[中国オリンピック委員会]](COC)
**オリンピックの振興を目的とした非営利団体とされており、各国際オリンピック委員会や評議会との折衝を対応する<ref name="sinkou"/>。非政府組織と謳われているが、2009年時点の組織構成では会長は国家体育総局の局長が兼務しており、内部の各委員も国家体育総局関連職員で組織されている<ref name="sinkou"/>。
*{{仮リンク|中国障害者連合会|en|China Disabled Persons' Federation}}(CDPF)
**1988年に設立された[[障害者スポーツ]]を担当する機関で、障害者のためのスポーツ支援および各障害者スポーツ団体(中国障害者体育協会、中国パラリンピック委員会、中国ろう者体育協会、中国知的障害者体育協会、中国スペシャルオリンピックス委員会)の主管機関となる<ref name="sinkou"/>。
== 全国運動会 ==
{{main|中華人民共和国全国運動会}}
[[中華人民共和国全国運動会|全国運動会]]は1959年より4年に1度開催されている国内最大の総合的なスポーツ大会である<ref name="asahi2021">{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/ASP9H7GYQP9HUHBI00S.html |title=中国、観客入れて大規模「運動会」選手1万人超で冬季五輪テストか |website=朝日新聞 |date=2021-09-15 |access-date=2022-06-17 |author=高田正幸}}</ref><ref name="sasa1983_p1">{{Harvnb|笹島|1983|p=1}}</ref>。前身にあたる全国的な競技会は[[清]]末期の1910年から始まり、[[中華民国]]の1914年回から全国運動会に名を改められた<ref name="sasa1983_p1"/>。1842年に清が開国すると1904年にはアメリカ合衆国[[キリスト教青年会]](YMCA)より[[上海]]に人が送られ、YMCA体育部が作られた<ref name="sasa1983_p2">{{Harvnb|笹島|1983|p=2}}</ref>。1910年には[[南京]]にて行われた南洋勧業博覧会に追随してYMCA主導にて「全国学校区分隊第一次体育同盟会」が開催され、後に成立した中華民国によってこれが第一回全国運動会であると追認された<ref name="sasa1983_p2"/>。全国学校区分隊第一次体育同盟会は高等区分、中等区分、学校連合の3つに分かれて行われ、140人が参加した<ref name="sasa1983_p2"/>。種目は[[陸上競技]]、[[サッカー]]、[[テニス]]、[[バスケットボール]]であった<ref name="sasa1983_p2"/>。中華民国時代に入り全国運動会と名を定められ継続して行われたが、政情不安と戦乱が続き、37年間の統治で実際に全国運動会が開催できたのは6回のみだった<ref name="sasa1983_p4">{{Harvnb|笹島|1983|p=4}}</ref>。第2回大会(1914年)で[[バレーボール]]と[[野球]]が、第3回大会(1924年)で[[水泳]]が、第5回大会(1931年)で[[武術]]と[[ソフトボール]]がそれぞれ競技種目として追加された<ref name="sasa1983_pp4-9">{{Harvnb|笹島|1983|pp=4-9}}</ref>。1932年には国民体育実施法案が採択され、開催間隔が2年に1回に改められた<ref name="sasa1983_pp9">{{Harvnb|笹島|1983|pp=9}}</ref>。第7回大会(1937年)では競技種目が大きく追加され、参加人数も3000人を超えるほどの大会規模になっていた<ref name="sasa1983_p10">{{Harvnb|笹島|1983|p=10}}</ref>。中華人民共和国が成立すると全国運動会は再び開催間隔を4年に1回と定められ、回数も第1回からに戻った<ref name="sasa1983_p13">{{Harvnb|笹島|1983|p=13}}</ref>。2021年までに14回が執り行われ、参加選手も1万人を超える大規模なものに進化している<ref name="asahi2021"/><ref name="jin2021">{{Cite web |url=http://www.peoplechina.com.cn/zlk/yp/202111/t20211130_800264613.html |title=中華人民共和国第14回全国運動会 |website=人民中国コラム |date=2021-11-30 |access-date=2022-06-17}}</ref>。
== 女性のスポーツ参加 ==
中国人女性のスポーツ参加は、[[儒教]]からくる[[中国の女性史#周代|三従四徳]]の教えと、[[纏足]]というスポーツに向かない風習がその主たる要因となり、男性以上に困難を極めた<ref name="iss2018">{{Cite web |url=https://www.isshikipub.co.jp/web-book_sports_19china/ |title=第19章:中国「東亜病夫」からスポーツ大国へ |website=一色出版 |publisher=株式会社一色出版 |date=2018-09-07 |access-date=2022-06-18}}</ref>。1907年に「女子学童章程」が公布され、女性に対する学問教育やスポーツ参加が提唱されるようになり、1908年には中国女子体育学校が設立され、体操や球技に取り組むようになる<ref name="iss2018"/><ref name="sasa1966_p32">{{Harvnb|笹島|1966|p=32}}</ref>。1916年に正式種目ではない公開競技扱いとして全国運動会で初めて女子バスケットボールが披露されたのが女子競技スポーツの嚆矢とされている<ref name="iss2018"/>。その後、1929年の全国運動会で初めて女子スポーツ種目が正式種目に取り入れられた<ref name="iss2018"/>。1931年には両江女子体育専科学校の女子バスケットボールチームが日本遠征を敢行し、対外試合を経験した<ref name="iss2018"/>。以降、国際舞台の場で女子選手の活躍がが少しずつ見られるようになり、1957年には{{仮リンク|鄭鳳栄|en|Zheng Fengrong}}が、1971年には[[呉浮山]]がそれぞれ女子走り高跳びで世界新記録を出し、1980年代前半には中国女子バレーボールチームが[[バレーボールワールドカップ|ワールドカップ]]、[[バレーボール世界選手権|世界選手権]]、[[オリンピックのバレーボール競技|オリンピック]]の金メダルを総なめにするなど、世界最強とも呼ばれるような種目も誕生した<ref name="iss2018"/><ref>{{Cite web |url=https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/f1610kai.pdf |title=中国女子バレーボールの郎平監督 |website=金融市場2016年10月号:海外の話題 |author=森下純也 |publisher=農林中金総合研究所 |access-date=2022-06-18}}</ref>。
== スポーツの種類 ==
===
2017年に[[百度]]で報道された記事によれば、テレビ視聴率・現地観戦者数を合算した数値においてもっとも高い人気を誇ったのが[[バスケットボール]]であり、以下[[サッカー]]、[[卓球]]、[[体操競技]]、[[バドミントン]]、[[水泳]]、[[ビリヤード]]、[[中国武術]]、[[ボクシング]]、[[重量挙げ]]と続いた<ref name="bai2017">{{Cite web |url=https://baijiahao.baidu.com/s?id=1567827167981255&wfr=spider&for=pc |title=中国人最喜欢的体育项目TOP10,第一竟拥有3亿爱好者 |website=百度|date=2017-05-19 |access-date=2022-06-19|language=zh}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.j-motto.co.jp/00000000/column/2021/20210825.html |title=東京オリンピックでも大活躍!!!中国スポーツのエリート教育について |website=J-MOTTO|author=倉田瑞穂|publisher=リスモン・ビジネス・ポータル株式会社|date=2021-08-25 |access-date=2022-06-19}}</ref>。他のスポーツと比較してバスケットボールの人気が圧倒的に高く、アメリカ合衆国の[[NBA]]だけでなく国内リーグの人気もあり、3億人近いファンを抱えているとも言われている<ref name="bai2017"/>。発表されている人気の高いスポーツ5位までの視聴率について下表に示す<ref name="bai2017"/>。
{|class="wikitable sortable" style="font-size:95%;"
|-
!順位
!width="200px"| 競技種目名
!視聴率
|-valign="top"
! 1位
| [[バスケットボール]] || 34.9%
|-valign="top"
! 2位
| [[サッカー]] || 10.4%
|-valign="top"
! 3位
| [[卓球]] || 7.1%
|-valign="top"
! 4位
| [[体操競技]] || 6.8%
|-valign="top"
! 5位
| [[バトミントン]] || 5.9%
|-
|}
===
[[ファイル:2013 World Championships in Athletics (August, 10) by Dmitry Rozhkov 63.jpg|サムネイル|[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]男子100mでアジア新記録を樹立した[[蘇炳添]]。]]
中国の陸上競技はYMCAが競技スポーツを伝えた初期から行われており、1890年に上海の[[聖ヨハネ大学 (上海)|セントジョンズ書院]]にて中国最初の運動会が開かれた<ref name="iss2018"/>。初期の競技種目は短距離走、長距離走、走り高跳び、走り幅跳び、二人三脚などで、種目の増減はありつつも全国運動会で継続して競技が実施された<ref name="sasa1983_pp4-9"/><ref name="iss2018"/>。陸上競技のナショナルチームが組織されるのは1953年で、{{仮リンク|中国陸上競技連盟|en|Chinese Athletic Association}}(CAA)は1978年に[[ワールドアスレティックス|国際陸上競技連盟]](IAAF、現WA)に加盟した<ref name="iss2018"/><ref name="spc2008">{{Cite web |url=https://spc.jst.go.jp/report/200808/toku_gi.html |title=中国陸上競技の新たな挑戦 |website=SciencePortal China|date=2008-08-20 |access-date=2022-06-18}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://worldathletics.org/heritage/history/1940s-to-1970s |title=WORLD ATHLETICS LANDMARKS From the 1940s to the 1970s |website=MUSEUM OF WORLD ATHLETICS |access-date=2022-06-18}}</ref>。最初のオリンピック参加は1984年の[[1984年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルスオリンピック]]である<ref name="iss2018"/><ref name="spc2008"/>。2000年代ごろまで国家主導の優遇政策のもと、全国から素質のある個人を集める方策であったため、陸上選手の成績の多くは個人の能力に強く依拠しており、科学的なトレーニングの分野では他の国には遅れを取っていた<ref name="spc2008"/>。加えて様々な競技スポーツのプロ化が進むにつれ、陸上競技の優遇性が薄まり、才能ある個人の獲得が困難となったことが大きな課題となっていた<ref name="spc2008"/>。中国体育総局は科学部と協力のもと陸上競技管理センターを設立し、種目に応じた科学的なトレーニングの研究を行う科学技術課題研究グループを立ち上げた<ref name="spc2008"/>。
2021年には[[蘇炳添]]が[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]男子100mにおいて9秒83というアジア新記録をマークした<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/athletics/news/202108010000982.html |title=中国の蘇炳添が衝撃のアジア新9秒83で決勝進出 男子100m |website=日刊スポーツ|date=2021-08-01 |access-date=2022-06-18}}</ref>。
=== 球技 ===
==== アメリカンフットボール ====
2012年、巨石達陣(''Great Stone Gridiron Sport'')により青少年向けのアメリカンフットボールスクールが開校すると、国内の認知は急激に高まりを見せ、2013年にアメリカン・フットボール・リーグ・オブ・チャイナ(AFLC)、{{仮リンク|中国アリーナ・フットボール・リーグ|en|China Arena Football League}}(CAFL)が発足した<ref>{{Cite web |url=https://www.latimes.com/world/asia/la-fg-china-football-20161004-snap-story.html |title=American football is gaining traction in China |website=Los Angeles Times |date=4 October 2016 |access-date=29 September 2017 |author=Kaiman, Jonathan |archive-url=https://web.archive.org/web/20170929201057/http://www.latimes.com/world/asia/la-fg-china-football-20161004-snap-story.html |archive-date=29 September 2017}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.scmp.com/sport/china/article/1090060/china-fast-catching-american-football-fever-10-teams-formed |title=China fast catching American football fever with 10 teams formed |publisher=scmp.com |date=25 November 2012 |access-date=29 September 2017 |author=Chin, Andrew |archive-url=https://web.archive.org/web/20170929203100/http://www.scmp.com/sport/china/article/1090060/china-fast-catching-american-football-fever-10-teams-formed |archive-date=29 September 2017}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.americanfootballinternational.com/new-league-in-china/ |title=New American Football League In China |publisher=americanfootballinternational.com |date=9 March 2016 |access-date=29 September 2017 |author=Zhao, Brian |archive-url=https://web.archive.org/web/20170929203332/http://www.americanfootballinternational.com/new-league-in-china/ |archive-date=29 September 2017}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.recordchina.co.jp/b185701-s0-c50-d0054.html |title=中国でアメフトブーム、ファン5年で11倍に、青少年選手増加の理由は「親」―米メディア |publisher=Record China. |date=2017-07-29 |access-date=2022-06-15}}</ref>。AFLCは2019年、{{仮リンク|中国ナショナル・フットボール・リーグ|en|Chinese National Football League}}(CNFL)に改名している<ref>{{Cite web|title=HK American Football News 香港美式足球報 - The AFLC has changed its name to the CNFL|url=https://www.facebook.com/HKAFNEWS/photos/a.560262730704992/2605117522886159/|url-status=live|access-date=2021-10-07|website=www.facebook.com|language=en}}</ref>。
==== 野球 ====
中国の地に[[野球]]がもたらされたのは1864年で、アメリカ人医療宣教師ヘンリー・ウィリアム・ブーンによって上海に野球チームが作られたのを嚆矢とする<ref name="news.cbl.org.cn">{{Cite web |url=http://news.cbl.org.cn/class/League_History/ |title=Chinese Baseball League - League History |website=news.cbl.org.cn |archive-url=https://web.archive.org/web/20050609081538/http://news.cbl.org.cn/class/League_History/ |archive-date=2005-06-09 |access-date=2022-06-12}}</ref>。1905年に[[聖ヨハネ大学 (上海)|セントジョンズ大学]]と上海MCA野球クラブの最初の試合が行われた。しかし、[[毛沢東]]の文化大革命により歴史は一度途絶し、1974年の[[中国棒球協会|中国野球協会]]結成を以て再びスポーツ活動が再開された<ref>{{Cite web |url=http://www.baseball.ch/2003/F/MC/mcCHN.html |title=Aerzte-Verzeichnis Schweiz |website=www.baseball.ch |access-date= |deadlinkdate=2022-06-12}}</ref>。その後はプロ化が進み、2002年に[[中国野球リーグ]](''China Baseball League'')が結成され、2019年に[[中国プロ野球連盟]]が結成された<ref name="yah2019">{{Cite web |url=https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20191023-00147961 |title=仕切りなおした中国プロ野球、第1回CNBLシリーズは強豪・北京タイガースが優勝 |date=2019-10-23 |website=Yahoo Japan |author=阿佐智 |access-date=2022-06-17}}</ref>。しかし北京オリンピック終了後は勢いを失っていったため、2019年に''China National Baseball League''として再結成を行い、参画した各球団にプロチームとして将来的な独立した採算を求めた<ref name="yah2019"/>。ナショナルチームとしてはオリンピックの他、2006年から開催している[[ワールド・ベースボール・クラシック]]にも参加している<ref>{{Cite web |url=https://www.scmp.com/week-asia/society/article/2163008/why-baseball-hit-japan-striking-out-china-hint-its-do-pla-and |title=Why baseball is a hit in Japan, but striking out in China |date=2018-09-09 |website=South China Morning Post |language=en |access-date=2019-10-25}}</ref>。
==== クリケット ====
[[クリケット]]はかつて英国植民地であった香港で1841年からプレーされており、1969年に香港として[[国際クリケット評議会]](ICC)に加盟した<ref name="chron">{{cite web|url=http://www.cricket.com.hk/db/NATIONAL/ICC_MEMBERS/HKG/HISTORY/CHRONOLOGY.html |title=History of Cricket In Hong Kong – Chronology |publisher=Hong Kong Cricket Association |access-date=24 April 2013 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20150518100444/http://www.cricket.com.hk/db/NATIONAL/ICC_MEMBERS/HKG/HISTORY/CHRONOLOGY.html |archive-date=May 18, 2015 }}</ref>。中国では{{仮リンク|上海クリケットクラブ|en|Shanghai Cricket Club}}が1858年ごろより始動しており、事実上のナショナルチームとして活動していたが、2004年に中国クリケット協会としてICCに加盟した<ref>{{cite web|url=http://shanghaicricket.com/about-us/|title=About the Shanghai Cricket Club |publisher=Shanghai Cricket Club|accessdate=23 May 2019}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.cricketarchive.co.uk/Archive/Countries/46.html|title=China – CricketArchive |accessdate=4 September 2015}}</ref>。2006年、中国クリケット協会は[[2019 クリケット・ワールドカップ|ワールドカップ]]出場などを含めた14年間の達成目標を公開した<ref>{{Cite web |url=http://www.espncricinfo.com/ci/content/story/245632.html |title=ScoreEnter the dragon |website=Cricinfo Magazine |date=May 2006 |access-date=December 17, 2016 |author=Ranajit Sankar Dam and Wie Jie}}</ref>。
====
[[ファイル:Wu Lei 20191101 (cropped).jpg|サムネイル|[[RCDエスパニョール]]に所属し、中国人選手として初めて[[プリメーラ・ディビシオン|ラ・リーガ]]で得点を挙げた[[武磊]]。]]
[[サッカー]]は、国内のどのスポーツよりも高いテレビ視聴率を獲得している人気のスポーツである<ref>{{Cite web |url=http://goodmaniac.blogspot.com/2014/05/football-is-most-popular-spectator_4298.html |title=J U V E N T U S: Football is the most popular spectator sports in china 농구가 아니라 축 구가 중국 최고인기의 관전 스포츠이다 |date=10 May 2014 |website=goodmaniac.blogspot.com |access-date=2022-06-12}}</ref>。サッカーに似た競技としてルールを少しづつ変えながら[[蹴鞠]]が行われていたが、王朝交代の影響を受け、遅くとも[[清]]中期には他のスポーツとともに行われなくなり、文化としては途絶している<ref>{{Cite web |url=http://athleticscholarships.net/history-of-soccer.htm |title=Soccer history. How Soccer Was Invented. |website=athleticscholarships.net |access-date=2022-06-12}}</ref><ref name="sasa1988_p2">{{Harvnb|笹島|1988|p=2}}</ref>。1923年に[[中華民国サッカー協会]](CTFA)の前身である「中華足球聯合會」が上海にて発足した<ref>中華民國體育年鑑,第39頁,財團法人徐亨體育文教基金會,2003年11月出版</ref>。翌年には政府主導の「中華全國體育協進會」が立ち上げられ、1931年に[[国際サッカー連盟|FIFA]]に加盟すると、1936年の[[1936年ベルリンオリンピックのサッカー競技|ベルリンオリンピック]]で国際大会に初めて出場した<ref>中華民國體育年鑑,第41頁,財團法人徐亨體育文教基金會,2003年11月出版</ref><ref>{{cite web|url=http://www.rsssf.com/tablesc/china-olyteam36.html |title=Chinese Olympic team 1936|accessdate=2022-06-16}}</ref>。[[支那事変]]の影響による一時的な中断を経て「中華全國足球委員會」として再建し1954年にFIFA再加盟、1955年に[[アジアサッカー連盟|AFC]]に加盟した<ref>{{cite web |url=http://www.ctfa.com.tw/aboutus/ctfa-profile.html |publisher=Chinese Taipei Football Association |title=會史 |access-date=2016-05-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160522073818/http://www.ctfa.com.tw/aboutus/ctfa-profile.html |archive-date=2016-05-22 |url-status=dead }}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.the-afc.com/60th-anniversary/afc-60th-anniversary-back-to-where-it-all-began |title=AFC 60th Anniversary: Back to where it all began |publisher=Asian Football Confederation |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20180928182644/http://www.the-afc.com/60th-anniversary/afc-60th-anniversary-back-to-where-it-all-began |archive-date=28 September 2018 |accessdate=2022-06-16}}</ref>。[[中国サッカー協会]](CFA)も1955年にFIFAへの加盟が認められていたが、CTFAとの名称問題による摩擦が生じ、1958年にFIFAを脱退し、1979年に再加盟を果たした<ref name="Homburg">{{cite journal |last=Homburg|first=H. |date=2006 |title=FIFA and the "Chinese Question", 1954-1980: an Exercise of Statutes. |journal=Historical Social Research |publisher=GESIS - Leibniz Institute for the Social Sciences |volume=31 |issue=1 |pages=69–87 |jstor=20762103}}</ref>。CFAは1987年に{{仮リンク|Jia-Aリーグ|en|Chinese Jia-A League}}を立ち上げ、1994年よりプロ化が進められた<ref name="kotoba">{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0-1736427|title=中国サッカー・スーパーリーグ|website=コトバンク|publisher=朝日新聞出版発行「知恵蔵」|access-date=2022-06-16}}</ref>。2004年には[[中国サッカー・甲級リーグ|甲級リーグ]]、[[中国サッカー・スーパーリーグ|超級リーグ]]に改められ、中国スーパーリーグ(中国超級聯賽)として装いを新たにした<ref name="kotoba"/><ref>{{Cite news|url=https://www.reuters.com/article/soccer-china-csl/soccer-ping-an-extends-chinese-football-sponsorship-amid-boom-in-sport-idUSL4N1IO42O|title=Soccer-Ping An extends Chinese football sponsorship amid boom in sport|date=22 May 2017|work=Reuters|access-date=30 October 2017}}</ref>。[[ラミレス・サントス・ド・ナシメント|ラミレス]]や[[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ|フッキ]]など、国外の人気選手を多数獲得することで人気を博したが、経済力で外国人選手を獲得することのみに注力され、国内選手の育成がおろそかになっているという指摘もなされている<ref name="kotoba"/>。2009年に長期かつ大規模な八百長が行われていたことが表面化し、大きな問題となった<ref name="kotoba"/>。
==== ラクロス ====
[[中国ラクロス協会]](CLA)は2012年に発足し、[[ワールドラクロス]](WL)および{{仮リンク|アジア・パシフィック・ラクロス・ユニオン|en|Asia Pacific Lacrosse Union}}(APLU)に加盟した<ref>{{cite web|url=https://www.chinalacrosse.com/races/about/13|title=China Lacrosse Association|accessdate=2022-06-16}}</ref>。代表チームはアメリカ合衆国で開催された2014年およびとイスラエルで開催された2018年の[[世界ラクロス選手権]]に出場している<ref>{{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120113231422/http://www.worldlacrosse2014.com/ |date=2012-01-13 }}</ref><ref>{{cite web|url=https://laxallstars.com/46-teams-2018-world-championship/|title=46 Teams, Not 48, to Compete in 2018 World Championships|accessdate=2022-06-16}}</ref>。また、アンダーカテゴリ(U-21)の2021年世界ラクロス選手権に代表チームを派遣した<ref>[https://www.insidethegames.biz/articles/1108412/lacrosse-world-u21 Record 23 lacrosse teams to play at Men's Under-21 World Championship] Ali Iveson (Inside the Games), 30 May 2021. Accessed 9 June 2021.</ref>。
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==== バスケットボール ====
[[ファイル:Gilbert Arenas and Yao Ming (2311322736).jpg|サムネイル|[[NBA]]の[[ヒューストン・ロケッツ]]でプレーした[[姚明]]。]]
バスケットボールは中国でもっとも人気のあるスポーツのひとつで<ref>{{Cite web |title=Soccer Study: How the fans tick in China |url=https://www.ispo.com/en/markets/soccer-study-how-fans-tick-china |access-date=2021-09-29 |website=www.ispo.com |language=en}}</ref><ref>{{Cite web |author=Saiidi |first=Uptin |date=2018-11-20 |title=The NBA is China's most popular sports league. Here's how it happened |url=https://www.cnbc.com/2018/11/20/the-nba-is-chinas-most-popular-sports-league-heres-how-it-happened.html |access-date=2021-09-29 |website=CNBC |language=en}}</ref>、2019年には[[2019年FIBAバスケットボール・ワールドカップ|バスケットボール・ワールドカップ]]を主催した<ref>[http://www.fiba.com/basketballworldcup/2019 The Official website of the 2019 FIBA Basketball World Cup], FIBA.com, Retrieved 9 March 2016.</ref>。1891年に[[ジェームズ・ネイスミス]]によって考案されたこのスポーツが中国に伝わったのは1896年と古い<ref>{{Cite web |url=http://inventors.about.com/library/inventors/blbasketball.htm |title=James Naismith: Physical Education Instructor Who Invented Basketball |website=about.com |access-date=2022-06-12}}</ref>。2002年に[[姚明]]が[[NBA]]に参戦して以来、バスケットボールの人気はますます高まりを見せており、[[中国バスケットボール協会]](CBA)による発表によると、国内のプレー人口はおよそ3億人と言われている<ref>{{Cite web |url=http://knowledge.wharton.upenn.edu/article/beyond-yao-the-future-of-chinese-basketball/ |title=Beyond Yao: The Future of Chinese Basketball |publisher=Wharton University of Pennsylvania |date=26 January 2011 |access-date=22 January 2016}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.nba.com/global/news/big_things_china_2012_02_03.html |title=Big Things Are Happening in China |website=Nba.Com |date=3 February 2012 |access-date=22 January 2016}}</ref>。1995年には[[中国プロバスケットボールリーグ]](CBA)が発足し、2022年現在20チームにまで拡大している。姚明の成功後、[[易建聯]]や[[孫悦 (バスケットボール)|孫悦]]といった選手がNBAへ挑戦しており、依然として高い人気を誇っている<ref name="NBA in China">[http://www.chinawikipedia.com/ChinaNBA.html Overview of NBA development in China] at "ChinaWikipedia"</ref>。
==== 卓球 ====
1959年の[[容国団]]による[[世界卓球選手権]]シングルス優勝は国際大会における初の勝利であり、1961年には初の国際大会主催として北京で世界卓球選手権が開かれた<ref name="riku2008_p172"/><ref name="hues">{{Cite web |url=https://www.hues.kyushu-u.ac.jp/education/student/pdf/2009/2HE08044M.pdf |title=中国における卓球の変容と社会問題についての研究 |publisher=九州大学 |access-date=2022-06-16 }}</ref>。また、本大会は「紅双喜」という中国卓球メーカーの用具が国際大会で初めて使用された大会でもある<ref name="hues"/>。社会情勢の変化もあり、その後に国際舞台に姿を現すのは[[ピンポン外交]]と呼ばれた1971年の名古屋の世界卓球選手権であった<ref name="wu2011_p27"/><ref name="riku2008_p173"/>。この時から卓球は、国民が関心を寄せるスポーツのひとつとなり、1988年の[[1988年ソウルオリンピック|ソウルオリンピック]]にて競技種目に加えられたことを契機として目覚ましい進歩を遂げており、卓球種目に関する金メダルの獲得数は他国の追随を許していない<ref name="hues"/>。2012年にロンドンオリンピック金メダルを獲得し、世界卓球選手権男子シングルス三連覇を達成し、[[世界卓球殿堂]]入りも果たした[[馬龍]]は、[[国際卓球連盟]](ITTF)ランク世界1位を獲得した史上最高の卓球選手の一人として名を挙げられる<ref>{{Cite web |url=http://www.ittf.com/_front_page/ittf1.asp?category=wr |title=Archived copy |access-date=2010-07-06 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100706164124/http://www.ittf.com/_front_page/ittf1.asp?category=wr |archive-date=2010-07-06}}</ref><ref name="Hall of Fame">{{cite web|url=http://www.ittf.com/wp-content/uploads/2016/10/ITTF-Hall-of-Fame.pdf|format=PDF|title=ITTF Hall of Fame|publisher=ittf.com|accessdate=2019-12-07}}</ref>。国内においては1994年に[[中国卓球スーパーリーグ]](CTTSL)が発足し、卓球の普及と振興に努めている<ref name="hues"/><ref name="cttsl">{{Cite news |url=http://world-tt.com/ps_info/ps_report_detail.php?&pg=HEAD&page=BACK&bn=2&rpcdno=21#21 |title=超級リーグを2倍楽しく観る方法 Lesson.2[超級リーグの歴史] |newspaper = [[卓球王国]] |date=2007-07-20 |accessdate=2017-10-06}}</ref>。しかしながら国際舞台で一強状態となり、強すぎるが故に人気に陰りが見え始めると、中国は「養狼計画」を発表し、世界各国にコーチを派遣し、技術の底上げを図るなど、世界規模での卓球普及に腐心している<ref name="hues"/>。
==== バレーボール ====
1953年に[[中国バレーボール協会]](CVA)が設立され、同年に[[国際バレーボール連盟]](FIVB)および[[アジアバレーボール連盟]](AVC)に加盟した<ref>{{Cite web|url=http://www.fivb.org/EN/FIVB/Org_continentalConfAsia.htm|title=Asian Volleyball Confederation (AVC)|publisher=FIVB|accessdate=2010-08-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100528025036/http://www.fivb.org/EN/FIVB/Org_continentalConfAsia.htm|archivedate=2010年5月28日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。とりわけ国際大会では[[バレーボール中華人民共和国女子代表|女子代表]]が結果を残しており、[[1984年ロサンゼルスオリンピックのバレーボール競技|ロサンゼルスオリンピック]](1984年)、[[2004年アテネオリンピックのバレーボール競技|アテネオリンピック]](2004年)、[[2016年リオデジャネイロオリンピックのバレーボール競技|リオデジャネイロオリンピック]](2016年)で金メダルを獲得している<ref name="masu2019_p74">{{Harvnb|増山|2019|p=74}}</ref>。国内においては1996年より[[中国バレーボールリーグ]]が発足し、バレーボールの普及と振興を行っている<ref>{{Cite web|url=https://women.volleybox.net/women-chinese-league-tt317|title=Chinese League|publisher=VOLLEYBOX|accessdate=2022-06-16|}}</ref>。
中国は、2018〜2020年のAVCビーチバレーボールコンチネンタルカップに[[ビーチバレー]]の代表チームを男女ともに参加させた<ref>{{Cite news|title=Continental Cup Finals start in Africa|url=https://www.fivb.com/en/about/news/continental-cup-finals-start-in-africa?id=94414|access-date=7 August 2021|newspaper=[[FIVB]]|date=22 June 2021}}</ref>。
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[[ファイル:Lin_Dan.jpg|サムネイル|[[林丹]]は、バドミントン史上、[[世界バドミントン選手権大会|世界選手権]]( [[2006年世界バドミントン選手権大会|2006年]]、[[2007年世界バドミントン選手権大会|2007年]]、[[2009年世界バドミントン選手権大会|2009年]])で3連覇を達成した。]]
1960年代初頭、東南アジアにおいて華僑の排斥運動が起こり、中国に戻った{{仮リンク|湯仙虎|zh|湯仙虎}}らが現地で人気を博していた競技スポーツの[[バドミントン]]を伝え、沿岸地域および南部を中心に各地に普及した<ref>{{Cite web |author=姚国利 |url=https://www.mgu.ac.jp/miyagaku_cms/wp-content/uploads/2021/12/jinsha22_08.pdf |title=中国におけるスポーツ産業の生成と展開 |publisher=宮城学院女子大学 |date=2013 |access-date=2022-06-16}}</ref>。1958年に{{仮リンク|中国バドミントン協会|en|Chinese Badminton Association}}(CBA)が設立され、[[世界バドミントン連盟]](IBF、現BWF)および[[アジアバドミントン連盟]](ABC、現BAC)に加盟した<ref>{{cite web |title=广州羽毛球协会成立50周年在即 |url=https://www.gz.gov.cn/gzgov/s5843/200812/198435.shtml |website=Guangzhou City Government |accessdate=1 February 2019}}</ref>。インドネシアや日本、韓国などとともにランキング上位に位置しており、女子ダブルスの{{仮リンク|陳清晨|zh|陈清晨}}、{{仮リンク|賈一凡|zh|贾一凡}}はランキング世界1位を獲得している<ref>{{Cite web |url=https://www.badspi.jp/ranking/%e4%b8%96%e7%95%8c%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%ad%e3%83%b3%e3%82%b0-%e5%a5%b3%e5%ad%90%e3%83%80%e3%83%96%e3%83%ab%e3%82%b9/ |title=世界ランキング 女子ダブルス(6月14日付) |publisher=BADMINTON SPIRIT |date=2022-06-14 |access-date=2022-06-16}}</ref>。
=== 冬季競技 ===
==== バンディ ====
[[ファイル:Збірна_України_з_хокею_з_м’ячем_IMG_1619.jpg|右|サムネイル|222x222ピクセル| 2016年世界選手権でウクライナと中国の全国バンディチーム]]
中国における[[バンディ]]は各国の競技人口比較で世界で2番目に多くプレーされているウィンタースポーツである<ref>{{Cite web |url=http://www.worldbandy.com/newspost_7640.html |title=Bandy destined for the Olympic Winter Games! |website=www.worldbandy.com |access-date=2017-01-04 |archive-date=2018-10-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181017132109/http://www.worldbandy.com/newspost_7640.html}}</ref>。2014年に{{仮リンク|中国バンディ連盟|en|China Bandy Federation}}(CBF)が設立するまでは{{仮リンク|中国アイスホッケー協会|en|Chinese Ice Hockey Association}}(CIHA)が代行して[[国際バンディ連盟]](FIB)に加盟していた<ref>[http://news.xinhuanet.com/english2010/sports/2010-01/30/c_13157113.htm FIB recruits China as official member]</ref><ref name="chinabandy">{{cite web |url=http://www.chinabandy.org/news/ |title=新闻 – China Bandy Federation | Report from China Bandy Year End Report and AGM 2015 |publisher=chinabandy.org |accessdate=2016-03-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160503173114/http://www.chinabandy.org/news/ |archive-date=3 May 2016 |url-status=dead }}</ref><ref name="idrottensaffarer">{{cite web|url=https://translate.google.co.uk/translate?hl=en&sl=sv&u=http://www.idrottensaffarer.se/affarer/2015/01/till-kina-pa-missionsresa&prev=search |title= Idrottens affärer: "To China on a mission trip", 2015-01-12 |publisher=translate.google.co.uk|accessdate=2016-03-30}}</ref>。中国の代表チームは男子は2015年、女子は2016年に初めて国際大会のバンディ世界選手権に出場した<ref>{{Cite web |url=http://bandyvm2015.ru/en/teams/group-b/ |title=Group B - XXXV Чемпионат мира по хоккею с мячом|website=bandyvm2015.ru|access-date=2022-06-12 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.usabandy.com/wwc2016 |title=SportsEngine |website=www.usabandy.com|access-date=2022-06-12}}</ref>。また、2018年には[[ハルビン市|ハルビン]]および[[承徳市|承徳]]にて世界選手権を主催している<ref>{{Cite web |url=http://men.chinabandy.com/en/ |title=2018 WORLD BANDY CHAMPIONSHIP MEN B-GROUP |access-date=2018-01-17 |archive-date=2019-05-15 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190515053512/http://men.chinabandy.com/en/}}</ref><ref>[http://women.chinabandy.com/en/ BANDY WORLD CHAMPIONSHIP WOMEN ,2018]</ref>。2019年には[[国際大学スポーツ連盟]]が主催する[[ユニバーシアード]]に男女揃って出場した<ref>{{Cite web |url=https://translate.google.co.uk/translate?hl=en&sl=ru&u=http://www.rusbandy.ru/news/11528/ |title=Google Translate |website=translate.google.co.uk |access-date=2022-06-12}}</ref>。
==== カーリング ====
[[カーリング]]がオリンピックの正式種目となる前の1995年に、[[黒竜江省]]にて1986年から友好提携を結ぶ北海道の指導者・太田勇が講習会を開いたのがきっかけとなり、カーリングという競技スポーツが中国へ初めて伝わった<ref name="nhk">{{Cite web |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220215/k10013484951000.html |title=カーリング女子 中国の競技力向上の背景に日本との交流|website=NHK |date=2022-02-15 |access-date=2022-06-16}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.hiecc.or.jp/hokkaido-china.jca40/story/story05.html |title=交流物語 3地域が生んだカーリング交流 ~草の根交流からオリンピックへ~|website=北海道・中国交流デジタル資料館 |access-date=2022-06-16}}</ref>。{{仮リンク|中国カーリング協会|en|Chinese Curling Association}}(CCA)が発足し、2002年に[[世界カーリング連盟]](WCF)に加盟すると、2009年3月、中国は決勝でスウェーデンを破り、カーリング世界選手権で優勝した最初のアジアチームになった<ref>{{cite web|url=http://www.worldcurling.org/wcf-member-associations|title=WCF Member Associations|publisher=World Curling Federation|accessdate=25 April 2014}}</ref><ref>https://news.yahoo.com/s/ap/20090329/ap_on_sp_ot/cur_women_s_worlds_2 {{リンク切れ|date=February 2022}}</ref><ref name="nhk" />。太田は黒竜江省政府から感謝状が授与され、NHKのインタビューに対し、普及活動が実を結び、複数のアジアチームがカーリングの国際大会に出るようになったのは喜ばしいことだと回答している<ref name="nhk" />。
==== フィギュアスケート ====
[[ファイル:Shen_Xue_and_Zhao_Hongbo.jpg|サムネイル|[[2010年バンクーバーオリンピック]]フィギュアスケートペアにて金メダルを獲得した[[申雪]]と[[趙宏博]]]]
中国は{{仮リンク|中国スケート協会|en|Chinese Skating Association}}(CSA)が[[国際スケート連盟]](ISU)に加盟した1950年代より[[フィギュアスケート]]の振興に取り組んできた<ref name="radio86">{{Cite web |url=http://en.radio86.com/health-and-sports/sports/rise-chinese-figure-skating |title=Archived copy |access-date=2010-12-13 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110715150357/http://en.radio86.com/health-and-sports/sports/rise-chinese-figure-skating |archive-date=2011-07-15 |url-status=dead }}</ref>。中国人最初のフィギュアスケート選手は[[姚濱]]と[[欒波]]のペアであるが、国際大会での結果はふるわなかった<ref name="radio86"/>。しかし1998年より姚濱がコーチに就任すると目覚ましい発展を遂げ、[[申雪]]と[[趙宏博]]が2010年の[[2010年バンクーバーオリンピック|バンクーバーオリンピック]]で金メダルを獲得した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2010/02/16/sports/olympics/16pairs.html?src=twt&twt=nytimes|newspaper=The New York Times|title=China Ends Russian Winning Streak in Pairs With a One-Two Punch|first=Juliet|last=Macur|date=2010-02-16|access-date=2010-05-23}}</ref>。その他中国スケート協会は国内選手権として[[中国フィギュアスケート選手権]]を主催し、2003年からは国際競技として[[中国杯]]を主催している<ref>{{cite web |url= http://www.isuresults.com/results/coc2003/ |title= 2003 Cup of China |publisher= International Skating Union|accessdate=2022-06-16}}</ref>。
=== モータースポーツ ===
==== 自動車レース ====
1954年、ポルトガルの植民地でった[[マカオ]]にて[[マカオグランプリ]]がはじめて開催された<ref>{{cite web|url=http://macauantigo.blogspot.com/2010/05/morreu-fernando-macedo-pinto-um-dos.html|title=Fernando Macedo Pinto, one of the founders of the Macau Grand Prix|access-date=2010-10-20|publisher=Blog Macau Antigo|language=pt}}</ref>。市街地で行われるアマチュアレースとして始まったこの[[モータースポーツ]]は、1960年代に入ると、[[国際自動車連盟|FIA]]の規格を採用することにより本格化し、[[テディ・イップ]]らのテコ入れもあって、企業が参入する世界でも有数のレースに数えられるようになった<ref name="yokohama">{{Cite web |url=http://www.advan.com/english/event/macaugp/2012/his/index.html |title=History of MACAU GP |website=YOKOHAMA TIRE |access-date=2022-06-16}}</ref>。1983年より[[フォーミュラ・パシフィック]]から[[フォーミュラ3]]へと移行し、FIAより国際選手権として認可された<ref name="yokohama"/>。初年度のタイトルは[[アイルトン・セナ]]が獲得した<ref name="yokohama"/>。
一方、中国本土での最初の国際モーターレースは、1994年、初年度[[1994年のBPRグローバルGTシリーズ|BPRグローバルGTシリーズ]]のラウンドとして{{仮リンク|珠海市街地コース|en|Zhuhai Street Circuit}}で開催された珠海3時間レースだった<ref>{{Cite web |url=http://www.zic.com.cn/en/develop.php |title=History |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |website=Zhuhai International Circuit |access-date=12 July 2015}}</ref>。2004年からは[[上海インターナショナル・サーキット|上海インターナショナルサーキット]]で開催される[[フォーミュラ1]]規格の大会[[中国グランプリ]]が始まった<ref>{{Cite web |url=http://www.formula1.com/content/fom-website/en/latest/features/2015/4/the-chinese-grand-prix---did-you-know-.html= |title=The Chinese Grand Prix - did you know? |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date=8 April 2015 |website=formula1.com |access-date=12 July 2015}}</ref>。2012年からは[[FIA 世界耐久選手権|FIA世界耐久選手権]]のラウンドである{{仮リンク|上海4時間レース|label=上海6時間レース|en|4 Hours of Shanghai}}(2019年より4時間)が開催されている<ref>{{Cite web |url=http://www.fiawec.com/en/news/6-hours-of-shanghai-%E2%88%92-a-look-back-at-the-last-two-years_1711.html |title=6 Hours of Shanghai - a look back at the last two years |author=Miller |first=Fiona |date=4 March 2014 |website=FIA World Endurance Championship |access-date=12 July 2015}}</ref>。
{{仮リンク|馬青驊|en|Ma Qinghua}}は、2012年[[2012年イタリアグランプリ|イタリアGP]]に出場しグランプリでF1カーを運転した初めての中国人となるとともに、[[世界ツーリングカー選手権]]でのデビュー戦である''[[:en:2014 FIA WTCC Race of Russia|2014 FIA WTCC Race of Russia]]''で2レース中2レースを制し、[[国際自動車連盟|FIA]]世界選手権レースで優勝した初の中国人となった<ref>{{Cite web |url=http://en.espn.co.uk/caterhamracing/motorsport/driver/79276.html |title=Qing Hua Ma - Caterham Racing - F1 Driver Profile |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |website=BT Sport ESPN |access-date=12 July 2015}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.fiawtcc.com/remembering-when-ma-made-history-on-wtcc-debut/ |title=Remembering when… Ma made history on WTCC debut |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date=2 June 2015 |website=FIA World Touring Car Championship |access-date=12 July 2015}}</ref>。
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==== 競技武術 ====
{{main|中国武術}}
[[中国武術]]の歴史は古く、[[春秋戦国時代]]には「技撃」という名が、[[漢]]の時代には「武芸」という名が使用されており、[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]の資料に「武術」という名称が見られるようになる<ref name="yokohamab">{{Cite web |url=http://www.yokohamabujutuin.sakura.ne.jp/kaisetu5.html |title=中国武術の歴史 |website=横浜武術院 |access-date=2022-06-18}}</ref>。中華民国成立後に開催された1931年の全国運動会より正式に競技種目として取り入れられた<ref name="sasa1983_pp4-9"/>。これを契機として競技武術を世界へ普及させるための活動が活発化し、アジア各国への武術公演、国際大会でのエキシビジョンなどが積極的に行われるようになった<ref name="yokohamab"/>。中華人民共和国成立後は1958年に{{仮リンク|中国武術協会|en|Chinese Wushu Association}}(CWA)が設立され、競技規則や規格などが整備された<ref name="yokohamab"/><ref>{{Cite web |url=https://www.jwtf.or.jp/news/0902-01.html |title=中国武術協会 新会長に高小軍氏が就任 |website=日本武術太極拳連盟 |date=2008-02-15 |access-date=2022-06-18}}</ref>。その後、文化大革命を経て1979年に競技規則が改めて再編され、1990年10月3日、{{仮リンク|国際武術連盟|en|International Wushu Federation}}(IWUF)が組織された<ref name="yokohamab"/><ref>{{Cite web |url=https://www.jwtf.or.jp/news/0902-01.html |title=ABOUT IWUF |website=IWUF |access-date=2022-06-18}}</ref>。[[2020年東京オリンピック]]での競技種目採用を目標に普及をすすめていたが、2015年9月28日、東京オリンピックの追加種目として採用されないことが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.jwtf.or.jp/news/151015_02.html |title=「2020東京オリンピック追加競技」武術太極拳は,残念ながら外れる |website=日本武術太極拳連盟 |date=2015-10-15 |access-date=2022-06-18}}</ref>。
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[[射撃競技]]は中国でも建国初期から行われているスポーツで、[[中国射撃協会]](''Chinese Shooting Association'')は1956年に北京にて設立され、1979年に[[国際射撃連盟]](ISSF)に加盟した<ref>{{Cite web |url=http://en.chinaculture.org/library/2008-01/25/content_31909.htm |title=Chinese Shooting Association |website=CHINA CULTURE.org |access-date=2022-06-17}}</ref>。1984年の[[1984年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルスオリンピック]]に出場した[[許海峰]]は、50mピストルの部門にて金メダルを獲得した<ref name="jin2021"/>。許海峰は中国人選手としての初の金メダル獲得の一人となった<ref name="jin2021"/>。中華人民共和国として初の夏季オリンピック参加となったこの大会で、中国は15個の金メダルを獲得している<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20200417043045/https://www.sports-reference.com/olympics/countries/CHN/summer/1984/ |title=1984年ロサンゼルスオリンピックの中国選手団 |website=Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ |access-date=2022-06-17}}</ref>。
[[ファイル:Workers stadium.JPG|サムネイル|建国10周年を記念して建設された[[北京工人体育場|北京工人スタジアム]]。[[北京十大建築]]のひとつに数えられる。]]
中国では2008年の北京オリンピックに向けて陸上、サッカーなどが競技可能なナショナルスタジアムが相次いで建設された<ref name="sinkou"/>。また、各地に黄石NTC(卓球)、正定NTC(卓球)、台州NTC(テニス)、秦皇島NTC(サッカー他)、雲南NTC(自転車他)、広西武鳴NTC(アーチェリー)、香河NTC(サッカー)、振隆NTC(室内競技)、長白山高原氷雪NTC(スキー)、昆明海埂NTC(高地)、漳州NTC(バレー他)、郴州NTC(バレー他)、広西梧州NTC(サッカー他)、青海多巴高原NTC(総合)、北京NTC(ゴルフ)といった14か所のナショナルトレーニングセンター、強化施設も設置された<ref name="sinkou"/>。
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!設立年
!width="300px"| スタジアム名
!所在地
!収容規模
!主な用途
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! 1959年
| [[北京工人体育場|北京工人スタジアム]] || 北京 || 64,000 || サッカー
|-valign="top"
! 1997年
| [[上海体育場|上海スタジアム]] || 上海 || 56,000<br/>最大80,000 || サッカー
|-valign="top"
! 2004年
| [[秦皇島オリンピック・スポーツセンター・スタジアム]] || 秦皇島 || 33,000 || サッカー
|-valign="top"
! 2006年
| {{仮リンク|青島オリンピック・セーリングセンター|en|Qingdao International Sailing Centre}} || 青島 || 不明 || ヨット
|-valign="top"
! 2007年
| [[天津オリンピック・スポーツセンター・スタジアム|天津オリンピック・センター・スタジアム]] || 天津 || 60,000 || 陸上競技<br/>サッカー
|-valign="top"
! 2007年
| [[瀋陽オリンピック・スポーツセンター・スタジアム]] || 瀋陽 || 60,000 || サッカー
|-valign="top"
! 2007年
| [[北京国家体育館]] || 北京 || 18,000 || ハンドボール<br/>体操
|-valign="top"
! 2008年
| [[北京国家水泳センター|ウォーターキューブ]] || 北京 || 6,000<br/>臨時17,000 || ウォータースポーツ
|-valign="top"
! 2008年
| [[北京国家体育場|北京ナショナルスタジアム]](鳥の巣) || 北京 || 80,000<br/>臨時91,000 || 陸上競技<br/>サッカー
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|}
== 脚注 ==
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* {{Citation|和書|last=笹島|first=恒輔|year=1966 |title=清朝末期から中華民国初期における中国女子体育に対する一考察 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00135710-00070001-0031 |journal=体育研究所紀要 |volume=7 |publisher=慶応義塾大学体育研究所 |pages=31-48 |ref={{Harvid|笹島|1966}}}}
* {{Citation|和書|last=笹島|first=恒輔 |date=1983 |title=122 中国・全国運動会小史 |url=https://doi.org/10.20693/jspeconf.34.0_113 |journal=日本体育学会大会号 |publisher=日本体育学会 |volume=34 |pages=113 |doi=10.20693/jspeconf.34.0_113 |ref={{Harvid|笹島|1983}}}}
* {{Citation|和書|last=笹島|first=恒輔|year=1988 |title=王朝の交代による中国体育・スポーツの変遷についての一考察 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00135710-00280001-0001 |journal=体育研究所紀要 |volume=28 |publisher=慶応義塾大学体育研究所 |pages=1-18 |ref={{Harvid|笹島|1988}}}}
* {{Citation|和書|last=陸|first=小聰|year=2008 |title=『新体育』から見た中国スポーツの現代史 |url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1572261554442099584 |journal=東北大学大学院教育学研究科教育ネットワークセンター年報 |volume=8 |publisher=教育ネットワークセンター |pages=170-176 |ref={{Harvid|陸|2008}}}}
* {{Citation|和書|last=武|first=浩文|year=2011 |title=1960年代以降の中国における競技スポーツ優先政策の確立過程 |url=http://id.nii.ac.jp/1444/00000963/ |journal=日本体育大学紀要|volume=41 |publisher=日本体育大学 |pages=25-35 |ref={{Harvid|武|2011}}}}
* {{Citation|和書|last=王|first=偉|year=2013 |title=中国におけるスポーツ政策変遷の検討 |url=https://hdl.handle.net/10105/9440 |volume=奈良教育大学修士学位論文 |publisher=奈良教育大学 |pages=25-35 |ref={{Harvid|王|2013}}}}
* {{Citation|和書|last=増山|first=光洋|year=2019 |title=中国と日本のバレーボールにおけるアスリート育成の比較研究 |url=http://id.nii.ac.jp/1471/00001690/ |journal=中央学院大学人間・自然論叢|volume=47 |publisher=中央学院大学 |pages=73-93 |ref={{Harvid|増山|2019}}}}
* {{Citation|和書|last=王|first=元貞|author2=沖原謙|author3=馬達|author4=王紀文|year=2020 |title=中国における大規模スポーツ施設の経営現状に関する研究 : 経営管理モデルのあり方に着目して |url=http://doi.org/10.15027/50181 |journal=広島大学大学院人間社会科学研究科紀要・教育学研究 |volume=1 |publisher=広島大学大学院人間社会科学研究科 |pages=115-121 |ref={{Harvid|王|2020}}}}
== 関連項目 ==
* {{仮リンク|ソビエト連邦におけるスポーツ|ru|Физическая культура и спорт в СССР|fr|Sport en URSS}}
* [[アジアのスポーツ]]
== 外部リンク ==
* [http://www.sport.gov.cn/ 国家体育総局]{{Zh icon}}
* 2017年9月10日
* [http://en.olympic.cn/ 中国オリンピック委員会]
* [https://web.archive.org/web/20090207115440/http://en.beijing2008.com/ 2008年北京オリンピック]
* [http://www.chinawikipedia.com/ChinaNBA.html
* [http://www.ofnumbers.com/category/nba/ NBA |
* [http://usatoday30.usatoday.com/sports/basketball/2006-08-07-china-focus_x.htm USATODAY.com-
{{アジアの題材|スポーツ|mode=4}}
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