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==== 鶴 (歌) ====
{{出典の明記|date=2022年6月8日 (水) 15:58 (UTC)|section=1}}
{{Main|鶴 (歌)}}
 
『鶴』は、[[ラスール・ガムザートフ]]作詩、{{仮リンク|ナウム・グレブニェフ|ru|Гребнев, Наум Исаевич}}翻訳、{{仮リンク|ヤン・フレンケリ|ru|Френкель, Ян Абрамович}}作曲の歌である<ref name="Polyudova2016_p178">{{Cite book |last=Polyudova |first=Elena |title=Soviet War Songs in the Context of Russian Culture |url={{Google books|Iy75DAAAQBAJ|Soviet War Songs in the Context of Russian Culture|page=178|plainurl=yes}} |date=2016-02-29 |publisher=Cambridge Scholars Publishing |language=en |isbn=978-1-4438-8974-2 |page=178}}</ref>。
[[ソビエト連邦]][[ダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国]]の詩人[[ラスール・ガムザートフ]]は1965年に広島の原水爆禁止世界大会に出席し、千羽鶴を折りながらも亡くなった佐々木禎子の話が心に残り、スラブ文化で死者がツルなどの渡り鳥に姿を変えるという伝承に基づいて、戦場で命を散らした兵士たちが白い鶴に姿を変えたという内容の有名な出だしの詩を[[アヴァル語]]で書いた。この詩は友人の{{仮リンク|ナウム・グレブニェフ|ru|Гребнев, Наум Исаевич}}によってロシア語に翻訳され、鶴の編隊飛行の空白は、自分のための空席であろうという内容に続く。
 
[[ソビエト連邦]][[ダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国]]の詩人ラスール・ガムザートフは、1965年に広島を訪れ原水爆禁止世界大会に出席した際<ref name="Norimatsu2015">{{Cite journal |和書 |author=乗松 恵美 |date=2015-03-23 |title=「ヒロシマ」を題材とする声楽作品によるアウトリーチ活動 論文の要約1(論文) |url=http://id.nii.ac.jp/1290/00000013/ |page=173 |publisher=京都市立芸術大学リポジトリ}}</ref>、千羽鶴を折りながらも亡くなった佐々木禎子の話が心に残り、広島滞在中に自身の母が亡くなったことを知った際に着想した詩を[[アヴァル語]]で書いた{{Sfn|中村 唯史|2010|p=29}}<ref name="Polyudova2016_p179">{{Cite book |last=Polyudova |first=Elena |title=Soviet War Songs in the Context of Russian Culture |url={{Google books|Iy75DAAAQBAJ|Soviet War Songs in the Context of Russian Culture|page=179|plainurl=yes}} |date=2016-02-29 |publisher=Cambridge Scholars Publishing |language=en |isbn=978-1-4438-8974-2 |page=179}}</ref>。この原詩は友人の翻訳者ナウム・グレブニェフによって、アヴァルの民族感を付け加える形でロシア語に翻訳され{{Sfn|中村 唯史|2010|pp=29-33}}、1968年に文芸雑誌「{{仮リンク|ノーヴイ・ミール|ru|Новый мир}}」に発表されて<ref name="Polyudova2016_p178" />、広く知られるようになった{{Sfn|中村 唯史|2010|p=29}}。そして、この詩はソ連の国民的歌手{{仮リンク|マルク・ベルニェス|ru|Бернес, Марк Наумович}}の注目を浴び<ref name="Polyudova2016_p178" />、作曲家ヤン・フレンケリによって曲がつけられたが{{Sfn|中村 唯史|2010|p=29}}、この際に、マルク・ベルニェスの提案で詩が一部変更され、アヴァルの民族感の代わりに、特定の民族感のない普遍的な形で{{Sfn|中村 唯史|2010|pp=29-34}}、人々が[[大祖国戦争]]を連想しやすい歌詞となった<ref name="Polyudova2016_p178" />。
1969年にレコード化されたこの歌が大ヒットした結果、旧ソビエト連邦において鶴は祖国のために命を落とした兵のシンボルになった。飛ぶ鶴をかたどった記念碑が各地に作られ、引用され、歌が作られ、追悼施設も作られた。
 
歌詞の内容としては、戦没者が白い鶴と姿を変え空を飛び、(生者としての)私(詩の中の一人称)が地上からツルの編隊飛行を眺め、その隙間を自分のための空席であろうと想像し、死後にその隙間から地上に呼びかけるという、「空を飛ぶ鶴としての死者」と「地上にいる人としての生者」の対比が効果的に用いられている{{Sfn|中村 唯史|2010|pp=30-33}}。また、その歌詞の通り、戦没者を追悼する歌でもある<ref name="Polyudova2016_p179" />。
 
この歌はマルク・ベルニェスの独特の発音で1969年にレコード化されたが<ref name="Polyudova2016_p179" />、マルク・ベルニェスがその直後に亡くなったことで、国民的歌手の最後の歌となったこの歌は全ソ連的に知られるところとなり、時代を象徴する歌となった{{Sfn|中村 唯史|2010|p=29}}。2016年および2020年現在でもこの歌はロシアで最も人気のある歌の一つである<ref name="Polyudova2016_p178" /><ref name="Ignashev2020" />。反戦歌とも言われる<ref name="Norimatsu2015" />。また、全世界的にも広まり、人気の曲である<ref name="Polyudova2016_p179" />。
 
旧ソビエト連邦においてこの歌『鶴』は祖国のために命を落とした兵のシンボルとなり<ref name="Polyudova2016_p179" />、さらにこの歌があまりにも有名になったことで、空を飛ぶツルそのものが戦没者の追悼の象徴性を帯びるようになった{{efn2|逆に、例えば1973年のTV番組では、空を飛ぶ鶴の群れは、戦争の早期終結への希望の象徴であった<ref name="Polyudova2016_p180" />}}<ref name="Polyudova2016_p180">{{Cite book |last=Polyudova |first=Elena |title=Soviet War Songs in the Context of Russian Culture |url={{Google books|Iy75DAAAQBAJ|Soviet War Songs in the Context of Russian Culture|page=180|plainurl=yes}} |date=2016-02-29 |publisher=Cambridge Scholars Publishing |language=en |isbn=978-1-4438-8974-2 |page=180}}</ref>。
 
この歌のイメージは様々な作品に影響を及ぼしており、例えば[[ヴィクトル・ペレーヴィン]]の『チャパーエフと空虚』には、ラジオから流れる歌『鶴』と、登場人物のセルジュークが折り鶴を折ることを関連付ける場面があり、そこで鶴の戦没者のイメージと折り鶴の鎮魂のイメージを重ね合わせている<ref>{{Cite journal |和書 |last=啓 |first=笹山 |date=2017 |title=「空(くう)」と国家 |url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282763116121344 |journal=ロシア語ロシア文学研究 |volume=49 |page=136 |DOI=10.32278/yaar.49.0_129 |doi=10.32278/yaar.49.0_129}}</ref>。また、[[アレクサンドル・ソクーロフ]]監督の2003年の映画『{{仮リンク|ファザー、サン|en|Father and Son (2003 film)}}』でも、主人公の父の頭上をツルの群れが飛ぶシーンと歌『鶴』の最初の5音で、観客が歌『鶴』を連想することを前提に、この歌を使用せずに父が戦死することを予感させ、さらにその後、一羽の鶴が舞い上がるシーンでは戦死した父が鶴となって息子を探しているという暗示が込められている
<ref name="Ignashev2020">{{Cite journal |author=Diane Nemec Ignashev |year=2020 |title=On Cinematic Ekphrasis: Aleksandr Sokurov’s Otets i syn Redux |url=http://hdl.handle.net/2027/spo.13761232.0044.112 |journal=Film Criticism |volume=44 |issue=1 |publisher=Michigan Publishing |DOI=10.3998/fc.13761232.0044.112 |doi=10.3998/fc.13761232.0044.112 |issn=2471-4364}}</ref>。
 
{{Gallery
|File:Mass grave of the inhabitants of Leningrad and Soviet soldiers who died during the WWII 08.jpg|[[サンクトペテルブルク]]のネフスキー[[ラヨン|区]]に位置する[[大祖国戦争]]で亡くなったレニングラード市民とソビエト兵士を追悼する施設の{{仮リンク|鶴(集団墓地)|ru|Журавли (мемориал)}}にあるモニュメント<ref name="Polyudova2016_p181">{{Cite book |last=Polyudova |first=Elena |title=Soviet War Songs in the Context of Russian Culture |url={{Google books|Iy75DAAAQBAJ|Soviet War Songs in the Context of Russian Culture|page=181|plainurl=yes}} |date=2016-02-29 |publisher=Cambridge Scholars Publishing |language=en |isbn=978-1-4438-8974-2 |page=181}}</ref>
|File:Stamp Russia 1995 50 years of Victory.jpg|大祖国戦争の戦勝50周年を記念した1995年のロシアの切手。モスクワの[[無名戦士の墓 (モスクワ)|無名戦士の墓]]にある永遠の炎の上を鶴の群れが飛ぶイラスト<ref name="Polyudova2016_p180" />
|File:Парк Победы (Саратов) Мемориал Журавли ф.2.jpg|[[サラトフ]]州の州都にある{{ill|鶴(モニュメント)|ru|Журавли (памятник))}}
}}
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<ref name="Dvulychanska_2011">{{Cite journal |author=Двуличанська, О. |year=2011 |title=Метафоричність як поле вираження світоглядних позицій В. Яворівського (на прикладі малої прози письменника) |url=http://dspace.luguniv.edu.ua/xmlui/handle/123456789/1921 |journal=Слово і час |issue=11 |page=10 |language=uk}}</ref>
}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書 |author=中村 唯史 |date=2010-03-31 |title=ソ連における翻訳の問題に寄せて:ガムザトフの詩『鶴』の再考まで |url=http://hdl.handle.net/2115/63702 |journal=辺境と異境-非中心におけるロシア文化の比較研究 No.1 |pages=18-35 |publisher=北海道大学大学院文学研究科 |ref=harv}}
 
== 関連項目 ==