「ノート:千羽鶴」の版間の差分

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→‎分割提案: 完全転記に賛成
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道知辺 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
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:{{返信}} コメントありがとうございます。「海外の鶴に対するイメージ」節については、当初は、道知辺さんがこの節を立てられたのを尊重して、こちらには概要のみを書くという形の転記を想定していました。(結局一部転記ができておりませんが)。しかし、『「こうした価値観がある故に現地では千羽鶴についてこうしたな反応がありました」という出典があってこそ千羽鶴の記事内で言及する意味が出てきます』というのは、Sugarmanさんのおっしゃる通りだと思いますので、完全転記に賛成いたします。現在この節に、千羽鶴に対する出典付きの反応はなく、千羽鶴と関係あるのはラスール・ガムザートフの詩だけですので、こちらの節は完全に消して、ラスール・ガムザートフの詩は「世界への伝播」などに移動、内容は(出典をきちんとさせて)ツルに転記という形はどうでしょうか?
:また、内容をいったん戻す(そのうえで、信頼できる文献の部分などは再度加筆するというのを想定していらっしゃると思いますが)という件に関しては、ご指摘の版以降のMawaruNekoの加筆部分は少ないため、我田引水的な言い方にはなってしまいますが、MawaruNekoとしては反対しません。--[[利用者:MawaruNeko|MawaruNeko]]([[利用者‐会話:MawaruNeko|会話]]) 2022年6月21日 (火) 13:59 (UTC)
 
::{{返信}} Sugarmanさん、コメントありがとうございます。私も「これは戻すしかないな」と感じていたので、仲裁案を提案してくださり助かりました。MawaruNekoさんのお書きになる事は出典が付いていても信用が置けないので、よほど疑ってかからないとダメだなと思います。しかも出典がウクライナ語だったり日本語でも行数が多いなど検証が非常に厄介だったりするので、正直「勘弁して欲しい」「なぜ私がチェックしないといけないのか」と思います。<br />「どちらが正しいのか興味深い」に関してですが、あれは私も自分で読み返して、「何でこんな間抜けな事を書いてしまったのだろう。直さなくては」と思っていたのですが、ご覧の通りMawaruNekoさんのウクライナでの鶴およびコウノトリに関する大量の記述と、議論が続いてしまい手が出せなくなってしまいました。マイペースで時間が取れる時に書ける記事と異なり議論だと返信しないといけず、私は睡眠不足で仕事をすると危険が伴う職種なので、ノートの議論が一段落したらと思いながら、他にも直したり追記したりしたい所があったのですが結局先延ばしにしてしまい、ご迷惑をおかけしました。なお、「慰安」が片付いたら次は、MawaruNekoさんが井戸端に提起した2件のうち、著作権がらみを片付けてから、その次はYouTube動画の方ですね。記事執筆が再開できる目処は立ちません。--[[利用者:道知辺|道知辺]]([[利用者‐会話:道知辺|会話]]) 2022年6月23日 (木) 15:55 (UTC)
 
::{{返信}} MawaruNekoさん、「音読はしておりません」と言う位に読み込んだ上で書いたなら、
:::東日本大震災の際には、中国<nowiki>[</nowiki>34<nowiki>]</nowiki>、(42カ国の国名は略)、 モザンビーク<nowiki>[</nowiki>53<nowiki>]</nowiki>など、世界各国で慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした。
::この記述に関し出典から根拠を示してくださいと言われたら「これ」と即座に示せるはずですが、実際にはそうではなく、慰安の類義語を幾つも持ち出して、その同義語について長く説明し、その同義語であれば間違っていないといった論点すり替えに躍起になっていて、見ていて痛々しいです。「結果として慰安されたかどうかは関係ないでしょう。」という首を傾げる主張や(結果として慰安されなくても慰安だというなら、支離滅裂としか言いようがない)
:::飛行機が墜落して被災者には届かなかった」という文があったときに、「被災者に届かなかったんだからその食糧は救援物資ではない、だからその文は誤りだ」となるでしょうか?
::のように、無理やりで極端過ぎて誰も納得しないようなたとえ話で答えたり、
:::なぜ辞書を広辞苑に限定なさるのか分かりませんが
::これだと実質的に「広辞苑は間違いだ、このMawaruNekoの言う事が正しいのだ」と言っているようなもので、出典軽視も甚だしい。そんなに広辞苑に限定したくなければ、大辞林の「日頃の労をねぎらって楽しませること」でも日本国語大辞典の「心をなぐさめ、労をねぎらうこと。また心がなぐさめられるような感じや事柄」でも他の辞書でも構わないので、'''都合のいい類義語からではなく'''、慰安から示せば済む話でした。ですが、結局おできにならないという事ですから、MawaruNekoさんによる版のうち
::{| class="wikitable"
| 2022年6月8日 17:26版 || 世界各国で慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした。 || 出典に基づかない内容
|-
| 2022年6月13日 15:58版 || 世界各国で追悼・応援として折り鶴や千羽鶴が作成され、これにより義援金を集めたり、日本に贈られたりした。 || 出典通りの内容
|}
::にて、慰安の件は確定とさせていただきます。<br />慰安に比べれば小さい問題ですが「日本文化としての接受」に関してです。「接受」は日本国憲法に書かれている政治・外交・法律分野の用語で、[https://www.kunaicho.go.jp/about/seido/seido01.html 天皇の国事行為として外国の大使及び公使を接受する]や、goo辞書の使い分けには[https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/1757/meaning/m0u/ 公文書類などを手に入れること。]とあり、記事は出典にならないとお叱りを受けそうですが[[信任状捧呈式#君主が存在する国の接受礼]]などを見ていただければ、接受には、普通に受け取るという意味もありますが、「わざわざ壮大な意味のある言葉を使いましたね」感があります。首相官邸ページにある[https://www.kantei.go.jp/jp/singi/genshiryoku_bousai/pdf/kitei1.pdf 原子力防災会議における行政文書の取扱いに関する規程(PDF)]の第9条の「文書の接受」や第10条を見ると、接受は到底、”送ったけど受け取ったかなど知らない”のような場面では使われそうもないですね。ですから節のタイトルと、内容が、MawaruNekoさんが力説しているように受け取られなくてもいいのだ、というのでは真逆になります。それを言ったら、「日本文化としての接受」となりますと、方向はどちらなのか、という点も矛盾だらけになります。「文化」を受け取ったと言うなら、千羽鶴は日本→世界へ、となります。ところが、出典にかかれていますのは、世界の国で鶴を折った→日本へ(日本のために)となっていて、このたった10文字のタイトルにも関わらず問題点が多すぎて、節として成り立っていません。このあたり、MawaruNekoさんが「慰安」で追求されて”接受”されるものを「千羽鶴」から「文化」に説明を変えたためと仮定すると多少は意味も通じますが、そもそも説明で変えられるという段階でおかしい。 --[[利用者:道知辺|道知辺]]([[利用者‐会話:道知辺|会話]]) 2022年6月23日 (木) 15:55 (UTC)
 
== 2022/06/09の転記作業について ==
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::{{返信}} こちらも念の為の返信ですが、『鶴』の歌詞の件であれば、例えば念の為に歌詞の翻訳を、著作権の及ばない歌詞の概略に置き換えたり、歌詞の引用の必要性が出てくるような加筆を行えば、それ以降は著作権の疑義がなくなりますので加筆が可能になりますし、万が一やはり現在の歌詞の載せ方は著作権上問題があるとなったら、[[Wikipedia:版指定削除]]も可能です。
::なお、『鶴』の歌詞の件については、[[Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件を満たしていない場合]]の「違反状態が軽微であると認められる場合」(というか、人によっては違反していないとも考えられるのではないか)に当たるのではないかとMawaruNekoは考えているため、MawaruNekoが現在のこの件に関しては削除依頼を出す予定はありません。--[[利用者:MawaruNeko|MawaruNeko]]([[利用者‐会話:MawaruNeko|会話]]) 2022年6月18日 (土) 11:41 (UTC)
:::{{返信}} MawaruNekoさん、何の著作権侵害だから消したのか、くらいは説明しましょうよ。引用の要件を満たさないから、ですか? それとも他の侵害ですか? --[[利用者:道知辺|道知辺]]([[利用者‐会話:道知辺|会話]])
 
== 『鶴』の歌詞について ==
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また、ダゲスタン共和国は現在もロシア連邦の一部ですし、広く一般に知られるようになったのはラスール・ガムザートフの詩からというよりは、ナウム・グレブニェフの翻訳版からですし、1965~1969年までの短期間にラスール・ガムザートフの作詩~歌謡の成立となっていますから、「ソビエト連邦」と「ロシア」というように分けるのではなく、ロシアに統一したほうがよいのではないかと思います。--[[利用者:MawaruNeko|MawaruNeko]]([[利用者‐会話:MawaruNeko|会話]]) 2022年6月21日 (火) 13:44 (UTC)
 
:{{返信}} MawaruNekoさん、辺境と異境の論文、ありがとうございます。「改変」ですか? [http://www.rasulgamzatov.ru/stati/content/215-zov-belykh-zhuravlej.html Гамзатов Р. Зов белых журавлей]に本人が
::На всей воздушной трассе я думал о журавлях, о женщинах в белых одеяниях, о маме, о погибших двух братьях, о девяноста тысячах погибших дагестанцев, о двадцати миллионах , не вернувшихся с войны,
:と1990年に語っているのだから、アヴァル語の息子(васал ですかね。さすがにアヴァル語はわかりませんが)がДжигитになった、ただし[[:ru:Джигит]]には「コーカサスの騎士」という意味より「若い男性」という意味の方が先に書かれているので、大祖国戦争で9千人ものダゲスタンの若者が戻らなかった事を考えて詩を作ったのだから、アヴァル語詩からロシア語の詩が作られた際に、Джигитがсолдатыに変わったからといって、意味は一緒だし、作者が承諾している筈だから、これは改変と騒ぐほどの事ではなく、依然としてガムザートフの詩と言えるのでは。日本だって作家が書いた原稿の単語を編集者が手直しして、それを作家がOKだしたら出版された本の作者は、その作家でしょう。「編集者が改変した!」と大発見みたいに騒ぐ人は見かけません。ガムザートフの場合も、通常の翻訳プロセスでは。辺境と異境の論文を書いた人の主張は『ありのままで』は『Let It Go』の改変だとドヤ顔で言うより変に思えます。とはいえ記事が長くなりすぎたので、アヴァル語は省こうかと思います。 --[[利用者:道知辺|道知辺]]([[利用者‐会話:道知辺|会話]])
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