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道知辺 (会話 | 投稿記録)
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::にて、慰安の件は確定とさせていただきます。<br />慰安に比べれば小さい問題ですが「日本文化としての接受」に関してです。「接受」は日本国憲法に書かれている政治・外交・法律分野の用語で、[https://www.kunaicho.go.jp/about/seido/seido01.html 天皇の国事行為として外国の大使及び公使を接受する]や、goo辞書の使い分けには[https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/1757/meaning/m0u/ 公文書類などを手に入れること。]とあり、記事は出典にならないとお叱りを受けそうですが[[信任状捧呈式#君主が存在する国の接受礼]]などを見ていただければ、接受には、普通に受け取るという意味もありますが、「わざわざ壮大な意味のある言葉を使いましたね」感があります。首相官邸ページにある[https://www.kantei.go.jp/jp/singi/genshiryoku_bousai/pdf/kitei1.pdf 原子力防災会議における行政文書の取扱いに関する規程(PDF)]の第9条の「文書の接受」や第10条を見ると、接受は到底、”送ったけど受け取ったかなど知らない”のような場面では使われそうもないですね。ですから節のタイトルと、内容が、MawaruNekoさんが力説しているように受け取られなくてもいいのだ、というのでは真逆になります。それを言ったら、「日本文化としての接受」となりますと、方向はどちらなのか、という点も矛盾だらけになります。「文化」を受け取ったと言うなら、千羽鶴は日本→世界へ、となります。ところが、出典にかかれていますのは、世界の国で鶴を折った→日本へ(日本のために)となっていて、このたった10文字のタイトルにも関わらず問題点が多すぎて、節として成り立っていません。このあたり、MawaruNekoさんが「慰安」で追求されて”接受”されるものを「千羽鶴」から「文化」に説明を変えたためと仮定すると多少は意味も通じますが、そもそも説明で変えられるという段階でおかしい。 --[[利用者:道知辺|道知辺]]([[利用者‐会話:道知辺|会話]]) 2022年6月23日 (木) 15:55 (UTC)
 
:::{{返信}} MawaruNekoさん、ツルへの転記および差し戻しの後の再加筆について、基本的にそのような形でよいと思います。道知辺さんが2022-04-21版へと差し戻してくださったようですから、中間の版に含まれる記述と出典についてはこのノートで一旦精査して合意が得られた上で加筆するというのが理想的です(そのためにももう少し議論参加者が増えれば良いんですけど)
:::{{返信}} 道知辺さん、まずは差し戻しの作業お疲れ様です。その上で、「慰安」という言葉の問題については「世界各国で追悼・応援として……」という書き方の方が好ましいとは思いますけど、正直に言えばこの記事の問題としては最も些細なものだと感じました。むしろ、道知辺さんが加筆された批判的な記述(主に「送り付け行為」あたり)のほうに、「どちらが正しいのか興味深い」と同様、比較的大きい問題があると思います。いくつか取り上げると、例えば元教職経験者という匿名の人物のブログ記事は信頼できる出典ではないでしょうし、デイリサーチのアンケートも議論の余地がありそうです。「無意味との指摘を糾弾するキャンペーン」あたりも、「このようにテレビ朝日・AERA・朝日新聞は、千羽鶴を一方的に送付する行為を批判する事は一切、許容しない態度を取っている。 」という結論ありきで書かれているかのように見えます。社としての意見を表明したわけではないですから、「テレビ朝日は反発し」というのは適当ではないでしょうし、批判に対する反発を報じる記事をいくつか発表することを直ちに「キャンペーン」と称してよいかどうかも疑問です。「作業の合間に」も情報の合成と独自研究に該当する可能性が極めて高いでしょう。
:::おそらくはご自覚もあるとは思いますが、これらの加筆を行った際にはいささか冷静さを欠いていたのではないですか。関連の議論の後、再びこの記事を編集する際には、ひと息置いてプレビュー画面で記述の内容や出典を再確認することをお勧めします。--[[利用者:Sugarman|Sugarman]]([[利用者‐会話:Sugarman|会話]]) 2022年6月26日 (日) 00:15 (UTC)
 
== 2022/06/09の転記作業について ==
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