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2007年11月22日に[[埼玉西武ライオンズ]]への移籍が発表された。ヤクルト時代の背番号16は[[涌井秀章]]が着けていたため、16を反転した'''61'''を本人が選択。
 
{{by|2008年}}3月29日の[[福岡ソフトバンクホークス]]戦でNPB通算100勝を達成。同シーズンでは序盤は最多勝争いに名を連ねるなど好調だったが徐々に調子を落とし、最終的に112年ぶり2桁利を挙げたが10敗を喫し、防御率4点台と安定感を欠き規定投球回終わは到達できなかった。また、11勝のうち本拠地西武ドームでは10勝を挙げたがビジターでは1勝しか挙げられないなど調子の波も激しかった。[[北海道日本ハムファイターズ]]との[[2008年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|CS第2ステージ]]では第4戦に先発し、7回3失点13奪三振に抑え勝利投手となった<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20081022-421427.html 【西武】石井一13K好投で王手/CS]日刊スポーツ.2008年10月22日</ref>。[[2008年の日本シリーズ|巨人との日本シリーズ]]では第3戦に先発するも6回5失点で敗戦投手になるが、第7戦に3回からリリーフで登板すると2回をパーフェクトに抑えた。結果的にチームは日本一となり、石井は第7戦で巨人にリベンジを果たした。
 
{{by|2009年}}、涌井が背番号を18へ変更したため、背番号を16に変更。前年に比べて被打率が下がる代わりに四球が増え、9勝止まりで規定投球回も達しなかったが、投球回数を上回る奪三振数を記録。
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{{by|2012年}}、5月25日のヤクルト戦で自身5年ぶりとなる完封勝利、6月13日の阪神戦では自身初となる無四球完封を記録した。また、シーズンで複数回完封勝利を記録したのは1997年のシーズン以来。4年ぶりの2桁勝利を達成したが、怪我で二軍に落ち、10勝目を挙げて以降は勝ち星がなかった。
 
{{by|2013年}}は左肩の不調で出遅れ、全て中継ぎの7試合の登板に終わった。全て中継ぎ登板だった。9月24日、現役を引退することを発表した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/09/24/kiji/K20130924006678800.html 西武・石井が引退表明「長かった…時期的にそろそろかな」] スポーツニッポン 2013年9月24日閲覧</ref>。10月8日の引退セレモニー内のセレモニアルピッチでは夫人が見守るなか、長男(当時14歳)のストライク投球を受けた。また、声援にこたえるためのグラウンド1周を電動立ち乗り2輪車[[セグウェイ]]で行うなど石井らしいユーモラスな演出もあった<ref>{{Cite web |title=【西武】石井一引退式で涙「妻のおかげ」 - プロ野球ニュース |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131008-1201617.html |website=日刊スポーツ |date=2013-10-08 |accessdate=2020-12-28 |language=ja}}</ref>。
 
=== 引退後 ===