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:::{{返信}} 道知辺さん、まずは差し戻しの作業お疲れ様です。その上で、「慰安」という言葉の問題については「世界各国で追悼・応援として……」という書き方の方が好ましいとは思いますけど、正直に言えばこの記事の問題としては最も些細なものだと感じました。むしろ、道知辺さんが加筆された批判的な記述(主に「送り付け行為」あたり)のほうに、「どちらが正しいのか興味深い」と同様、比較的大きい問題があると思います。いくつか取り上げると、例えば元教職経験者という匿名の人物のブログ記事は信頼できる出典ではないでしょうし、デイリサーチのアンケートも議論の余地がありそうです。「無意味との指摘を糾弾するキャンペーン」あたりも、「このようにテレビ朝日・AERA・朝日新聞は、千羽鶴を一方的に送付する行為を批判する事は一切、許容しない態度を取っている。 」という結論ありきで書かれているかのように見えます。社としての意見を表明したわけではないですから、「テレビ朝日は反発し」というのは適当ではないでしょうし、批判に対する反発を報じる記事をいくつか発表することを直ちに「キャンペーン」と称してよいかどうかも疑問です。「作業の合間に」も情報の合成と独自研究に該当する可能性が極めて高いでしょう。
:::おそらくはご自覚もあるとは思いますが、これらの加筆を行った際にはいささか冷静さを欠いていたのではないですか。関連の議論の後、再びこの記事を編集する際には、ひと息置いてプレビュー画面で記述の内容や出典を再確認することをお勧めします。--[[利用者:Sugarman|Sugarman]]([[利用者‐会話:Sugarman|会話]]) 2022年6月26日 (日) 00:15 (UTC)
:::まずは道知辺さん、差戻作業ありがとうございます。また、少なくとも2022年6月13日 15:58版に関しては「出典通りの内容」とのことでありがとうございます。
:::* まず「慰安」と書いた件について
:::** 「慰安」という修正済みの表現をめぐって、長々と議論することにどれくらいの意味があるのかは分かりませんが、この加筆については、「「事実捏造」のレベル」(および、[[Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か]]で「出典偽装」とおっしゃったのもこの件でしょうか?)とご批判を頂いている以上、MawaruNeko としては説明責任を果たすために、事実捏造の意図はなかったということを説明せざるを得ないという部分がございます。
:::** まず、[[ノート:千羽鶴/「慰安」の検証サブページ]]に、「これは具体的に、「慰安」(と書いたことに関して)の何に関する検証でしょうか?」と書かせていただいたのですが、明確な答えは頂けていないようなので、再度形を変えてお伺いします。
:::**: 2022年6月8日 17:26版を「出典に基づかない内容」とおっしゃったのは、以下のいずれの理由からでしょうか?
:::**:* (A) 「作成・送付の目的は慰めではあったが、慰安ではなかったから」
:::**:* (B) 「作成・送付の目的は慰めではなく、慰安でもなかったから」
:::**:* (C) 「作成・送付の目的は慰安ではあったが、結果として(被災者の)慰安になったことが検証できないから」
:::**:* (D) 上記以外: 具体的に理由を説明してください。
:::** もし(A)だったならば、ご批判は甘んじてお受けします。既に書いた通り、MawaruNekoは、「慰安」を、広い意味で「心をなぐさめること」という意味で使用し、2022年6月8日 17:26版を書きましたが、ご指摘を受けて、この意味で「慰安」を使用するのは不正確であるという意味だと解釈し、既に[[Special:Diff/89920861/89922080|差分]]で述べ、[[Special:Diff/89920431/89921356|差分]]で本文を編集した通り、「追悼・応援」に変更しています。この場合、問題なのはあくまで用語の正確性の話なので、「「事実捏造」のレベル」というのは違うのではないかと思います。
:::** もし(B)だったならば、以下の理由で、「作成・送付の目的は慰めではあった」(あるいは少なくともMawaruNekoはそのように認識していた)と返信させていただきます。
:::*** 道知辺さんが辞書通りの「慰安」の意味ではないとおっしゃっている件については、(A)をご覧ください。ここでは、「慰安」を、広い意味で「心をなぐさめること」という意味で使用した場合の説明となっております。「広い意味」と申しておりますので、類義語から説明することは十分許されるのではないかと思います。
:::*** 外務省のページ内の単語として、例えば「追悼」「激励」「連帯」及び弔意の表明や回復・復興の祈願などがあり、「見舞い」は「慰安」の類義語ですし、「(被害に)心を痛めています」のような、相手の苦痛を理解していることを表明することは、典型的な慰めであるため、「作成・送付の目的は慰めではあった」といえるのではないかと思います。
:::*** あるいは、以下のような方法でも「作成・送付の目的は慰めではあった」といえるのではないかと思います。
:::**** 外務省のページのタイトルは「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」である
:::**** 「がんばれ」は「励まし」を意図した言葉である([https://toyokeizai.net/articles/-/426520 例1]、[http://center.edu.ibaraki.ac.jp/doc/kiyou/30_2011/02_2011-13-25.pdf 例2])
:::**** 「共にある」は「共感」を意図した言葉である([https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqp/11/1/11_63/_article/-char/ja/ 例])
:::**** 従って、「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」は、世界が日本に対して、「励まし」と「共感」を意図した行為をまとめたページである
:::**** 「励まし」と「共感」はそれぞれ、「慰め」方の内の一つである([https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjdp/25/3/25_279/_article/-char/ja/ 例1]、[https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900117545/13482084_62_59.pdf 例2])
:::**** 従って、「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」は、世界が日本に対して、「慰め」を目的した行為をまとめたページである
:::**** よって、このページに書かれた、千羽鶴の「作成・送付の目的は慰めではあった」
:::***: MawaruNekoは上記のように、少なくとも「作成・送付の目的は慰めではあった」と認識しており、従って「「事実捏造」のレベル」というのは違うのではないかと思います。
:::** もし(C)だったならば、「目的Aとして行為Bを行った」という文には、「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味は含意されないため、「結果として(被災者の)慰安になったこと」が検証可能である必要はないと返信させていただきます。
:::*** 日本語として、「目的Aとして行為Bを行った」という文には、「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味は含意されないことを説明します。「飛行機が墜落して...」の日本語としての説明の例文だったため、現実性は関係ないと思うのですが、「無理やりで極端過ぎて」とおっしゃるので、実際の表現を用います。松本 圭史「[https://irdb.nii.ac.jp/00835/0003976806 失敗した正当防衛について]」早稲田法学会誌第69巻 2 号(2019)には、「(略)防衛行為として殴打行為を行ったが、(略)攻撃を阻止することができず」(P.444より引用)という表現があります。もし「目的Aとして行為Bを行った」という文が「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味を含意していた場合、「防衛行為として殴打行為を行った」の時点で「殴打行為の結果として防衛行為が達成された」が含意されてしまうため、「攻撃を阻止することができず」と矛盾します。したがって、「目的Aとして行為Bを行った」という文には、「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味は含意されないと考えることができます。{{small|(なお本論とは関係ありませんが、この論文自体は、加害者と被害者の2人の間の失敗した正当防衛は正当と認めないと不合理であるが、失敗した正当防衛の結果第三者に損害を与えた場合などは正当と言えるのかに言及した興味深い論文です。)}}
:::*** 「目的Aとして行為Bを行った」という文には、「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味が含意されないため、「世界各国で慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした」という文には、「折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした結果として、(被災者の)慰安になった」という意味が含意されないことが分かります。出典はその対象となる文の文意に対してのみ検証可能であればよいわけですから、「結果として、(被災者の)慰安になった」という意味が文意に含意されない以上、作成や送付の目的が(広い意味での)慰安であること、すなわち「作成・送付の目的は慰めではあった」を検証可能であればよく、「結果として(被災者の)慰安になったこと」が検証可能である必要はないということが言えます。
:::**: 従って、これを理由に「「事実捏造」のレベル」というのは違うのではないかと思います。
:::* 「接受」の件について
:::** まず表現が分かりづらいというご批判でしたらお受けしますし、より分かりやすい表現があればそれに変えるに越したことはありません。
:::** 「接受」という単語は確かに政治や外交でも使用されますが、壮大な意味のある言葉なのでしょうか?[https://www.fsa.go.jp/common/law/kaiji/10.pdf こちらの例] P.2では、単に書類を「受け取る」という意味で使用されているように見えますし、「文化の接受」という言葉は[[尾張横須賀まつり]]にも出ています。
:::** 「「文化」を受け取ったと言うなら、千羽鶴は日本→世界へ、となります」とおっしゃっていますが、この意味で「接受」という言葉を使用しております。より分かりやすく言えば、「世界が、鶴を折るという文化を、日本文化という認識で、自分の国に取り入れる」という意味です。「自分の国に取り入れ」たからこそ、その国で鶴が折られるということになります。東日本大震災の時に、物理的な千羽鶴の流れが世界→日本になったのは、「文化としての千羽鶴は日本→世界に広まった」「日本が被災地だった」「千羽鶴の作成地である世界から被災地に送ろうとした結果、物理的な千羽鶴の流れは世界→日本となった」というだけの話です。繰り返しますが、世界が「接受」したものは文化です。
:::* {{返信|Sugarmanさん}} 「慰安」や「接受」の説明が長くなってしまい、申し訳ないです。再加筆の方針についてご同意ありがとうございます。記述と出典の精査については、下に新しく章を立てて議論するのが良いと思います。--[[利用者:MawaruNeko|MawaruNeko]]([[利用者‐会話:MawaruNeko|会話]]) 2022年6月26日 (日) 12:44 (UTC)
 
== 2022/06/09の転記作業について ==
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