「ドラえもん」の版間の差分

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{{Pathnav|[[藤子不二雄]]|[[藤子・F・不二雄]]|[[藤子・F・不二雄の著作一覧|著作]]|frame=1}}
{{Otheruseslist|藤子・F・不二雄による漫画|同名の主人公|ドラえもん (キャラクター)|2005年から放送されているアニメシリーズ|ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|その他の用法|ドラえもん (曖昧さ回避)}}{{複数の問題|出典の明記=2019年2月7日 (木) 07:59 (UTC)|独自研究=2019年2月7日 (木) 07:59 (UTC)|精度= 2019年12月6日 (金) 13:19 (UTC)}}
{{Infobox animanga/Header
| タイトル = ドラえもん
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| ウィキポータル = [[Portal:漫画|漫画]]
}}
[[ファイル:Doraemon-no-akichi.JPG|thumb|300px|『ドラえもん』の主要キャラクターの像([[高岡おとぎの森公園]]内「ドラえもんの空き地」より)。手前は右がドラえもん、左がのび太。奥は左から順にスネ夫、ジャイアン、しずか、ドラミ]]
『'''ドラえもん'''』は、[[藤子・F・不二雄]]{{efn2|name="name"}}による[[日本]]の[[幼年漫画|児童]]向け[[SF漫画]]。[[1969年]]から[[小学館]]の雑誌で連載された。日本では国民的な知名度があり、登場キャラクターや登場アイテム(ひみつ道具)など、その世界観が一般社会に広く浸透している。海外でも、東アジア、東南アジアを中心に高い人気を誇る<ref>[https://www.j-cast.com/trend/2018/09/20338918.html?p=all アジアに広がる「ドラえもん」人気 インドネシア,タイ,マレーシア,香港で1位 J-CASTトレンド]</ref>。
 
== 作品の概要 ==
22世紀の未来からやってきたネコ型ロボット・'''[[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]'''と、勉強もスポーツも苦手な小学生・'''[[野比のび太]]'''が繰り広げる日常生活を描いた作品である。基本的には一話完結型の連載漫画だが、ストーリー漫画形式となって日常を離れた冒険をする「[[大長編ドラえもん|大長編]]」シリーズもある。一話完結の基本的な[[プロット (物語)|プロット]]は、「ドラえもんがポケットから出す多種多様な[[ひみつ道具]](現代の技術では実現不可能な機能を持つ)で、のび太(以外の場合もある)の身にふりかかった災難を一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける」というものが多く、前作の「[[ウメ星デンカ]]」のストーリー構図をほぼそのまま踏襲しており実質的な後継作品ともいえる。このプロットは、作者の藤子・F・不二雄が自身のSF作品で描いた独自定義「すこし・不思議」('''S'''ukoshi '''F'''ushigi){{efn2|本来のサイエンスフィクションのSFではない}}という作風に由来し、当時の一般SF作品の唱える「if」(もしも) についての対象を想定した回答が反映されている。
 
=== 作品概要あらすじ ===
のび太が[[お正月]]をのんびりと過ごしていると、突然、どこからともなく彼の未来を告げる声が聞こえ、机の引出しの中からドラえもんと、のび太の[[続柄#玄孫|孫の孫]]の[[セワシ]]が現れた。セワシ曰く、のび太は社会に出た後も沢山の不運に見舞われ、会社の倒産が原因で残った莫大な借金によって子孫を困らせているという。そんな悲惨な未来を変えるために、ドラえもんを子守用ロボットとしてのび太のもとへ連れてきたのだった{{Efn2|これは『小学四年生』に掲載された『未来の国からはるばると』のあらすじである。}}。
{{Main|#作風や舞台設定}}22世紀の未来からやってきたネコ型ロボット・'''[[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]'''と、勉強もスポーツも苦手な小学生・'''[[野比のび太]]'''が繰り広げる日常生活を描いた作品である。基本的には一話完結型の連載漫画(後述する「[[大長編ドラえもん|大長編]]」など例外あり)である。
 
ドラえもんは、おなかの[[四次元ポケット]]から取り出す多種多様な「[[ひみつ道具]]」を使って、のび太の身にふりかかった災難を一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、最後にはしっぺ返しを受ける。同級生の'''[[源静香]]'''(しずか)、'''[[剛田武]]'''(ジャイアン)、'''[[骨川スネ夫]]'''も交えた日常の中で、ドラえもんたちの日常は続いていく。
作中の登場人物はドラえもんの存在を不思議がらず、作風は基本的には藤子Fが得意とする「生活ギャグ」、[[エブリデイ・マジック]]に属する話が多い。藤子F自身はSF作品で描いた独自定義「すこし・不思議」('''S'''ukoshi '''F'''ushigi){{efn2|本来のサイエンスフィクションのSFではない。}}と本作を説明しており、前作の「[[ウメ星デンカ]]」のストーリー構図をほぼそのまま踏襲しており実質的な後継作品ともいえる。
 
=== 物語の変化 ===
各話はドラえもんがポケットから出す多種多様な'''[[ひみつ道具]]'''(未来の技術を使った便利アイテム)を主軸とするものが多く、のび太の困りごと(いじめられたり、欲しい物が買えなかったり)を解決するためにドラえもんがひみつ道具を出すものの、思わぬ方向に話が展開していく。例えばドラえもんたちがひみつ道具を使って空想を実現させたり、のび太がひみつ道具を使って調子に乗った結果しっぺ返しを受けるといった話が典型的である。
本作の連載開始当初は、ドラえもんが騒動を巻き起こすギャグ漫画としての特色が強く、ストーリー性の強い作品は見られなかった<ref name="doracarte">小学館ドラえもんルーム編 『ド・ラ・カルト ドラえもん通の本』</ref>。『[[コロコロコミック]]』掲載時などでは、柱{{efn2|本の上部、左右端やのど(中央折り目)付近の、縦に細長いエリア。ヘッダー。}}の煽り文句は「日本一のギャグまんが ドラえもん」となっていた。
 
読者層(掲載各誌)が小学校在学の児童全学年と広範囲に展開されているため、読者の年齢差を意識して、作品内容を描き分けて連載されていた。低学年対象は平易なセリフでひみつ道具の楽しさが描かれ、中学年対象はのび太の成長などのストーリー性が強くなり、高学年対象は社会問題を扱うなど複雑な内容も増えている<ref name="doracarte"/>。また絵柄も描き分けられており、低学年向けの話ではキャラクターの頭身が小さく容姿が幼いが、高学年向けになるほど頭身が大きくなり容姿がやや大人びている。
作中の時代は大枠では連載開始当時(1970年代)のそれであり、作品が進んでも当時の生活様式を基本的には維持しているが、連載が長期化するに連れて新しい要素が取り入れられる事もある。
 
小学館ドラえもんルームは、ドラえもんとのび太の関係が、連載が進む中で変化していると著書に記している<ref name="doracarte"/>。ドラえもんは役目を終えて未来に帰ったことがあり、その一件により「世話係と世話をされる者」といった関係は終わり、以降は「一緒にいたいからいる」という関係に変化しているという。
==== 第1話のあらすじ ====
複数誌に連載していた関係で複数の第1話が存在するが、ここでは単行本1巻に収録された「未来の国からはるばると」に沿った内容を紹介する。
 
=== 作品の来歴 ===
のび太が[[お正月]]をのんびりと過ごしていると、突然、どこからともなく彼の未来を告げる声が聞こえ、[[タイムマシン (ドラえもん)|タイムマシン]]に乗ってやってきたドラえもんと、のび太の[[続柄#玄孫|孫の孫]]の[[セワシ]]が現れた。セワシ曰く、落ちこぼれののび太は社会に出た後も沢山の不運に見舞われ、会社の倒産が原因で残った莫大な借金によって子孫を困らせているという。そんな悲惨な未来を変えるために、ドラえもんを子守用ロボットとしてのび太のもとへ連れてきたのだった{{Efn2|これはのあらすじである。}}。
[[ファイル:Doraemon, serial publication.png|thumb|right|400px|ドラえもん連載期間(読み切り、半年未満の連載、過去作品の再録、大長編は除く。黄色は他誌と同時掲載。詳細は「連載誌」の項を参照)]]
1969年より、小学館の学年誌(『[[よいこ (雑誌)|よいこ]]』『[[幼稚園 (雑誌)|幼稚園]]』『[[小学一年生]]』『[[小学二年生]]』『[[小学三年生]]』『[[小学四年生]]』)にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「[[藤子不二雄]]」。1話ごとに完結する短編として執筆。[[ロゴタイプ|タイトルロゴ]]は『[[オバケのQ太郎]]』のロゴも手掛けた赤松育延によるもので、ドラえもんの手足をイメージしている<ref name="fukayomi">小学館ドラえもんルーム編 『ドラえもん深読みガイド〜てんコミ探偵団〜』</ref>。1974年3月に、原作の漫画連載も最終回として「さようなら、ドラえもん」が描かれたが、作者が思い直し、翌月「帰ってきたドラえもん」によって連載は継続される。原作の単行本は1974年8月から刊行開始され、第1巻はレーベル『[[てんとう虫コミックス]]』の第1号作品となっている。
 
藤子・F・不二雄が執筆した作品は全1345話(短編・中編・長編)。ただしその一部<ref>藤子・F・不二雄大全集第14巻収録「ヤメサセロボット」の全体</ref><ref>藤子・F・不二雄大全集第15巻収録「空中つりセット」</ref><ref>藤子・F・不二雄大全集第11巻収録「さかさカメラ」の扉以外すべて</ref><ref>第26巻収録「空気中継衛星」</ref><ref>てんとう虫コミックス第35巻収録「しずちゃんとスイートホーム」</ref><ref>てんとう虫コミックス第36巻収録「サカユメンでいい夢見よう」</ref> は、執筆当時のチーフ[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]である[[たかや健二]]による執筆となっている<ref>『Neo Utopia別冊 129.3』ネオ・ユートピア、1998年発行</ref>。
==== 主要登場人物 ====
{{Main|#登場人物|ドラえもんの登場人物一覧}}
ドラえもんとのび太以外には同級生の'''[[源静香]]'''(しずか)、'''[[剛田武]]'''(ジャイアン)、'''[[骨川スネ夫]]'''が登場する。しずかはヒロイン、ジャイアンはガキ大将でのび太をいじめ、スネ夫はジャイアンの腰巾着という役回りが基本であるが、中には互いの友情を確かめ合う話もあり、大長編では特にその傾向が強い。
 
1987年以降は作者の体調面の問題もあり、レギュラー短編の新規執筆は徐々に縮小し、1991年をもって全て終了した。大長編(後述)を除く、作者本人の手による最後の作品は、1994年に発表された全3回の集中連載中編「[[ドラえもん ガラパ星から来た男|ガラパ星から来た男]]」(第45巻収録)となっている。
不思議な力を持つ主人公と、平凡で冴えない準主人公の少年に加えて、上記の特徴をもつ3人を配役するのは藤子F、Ⓐの他作品、例えば『[[オバケのQ太郎]]』、『[[パーマン]]』、『[[忍者ハットリくん]]』などでも見られ、両藤子作品では典型的である。
 
『ドラえもん』本編連載のほか、1974年には、ドラえもんの妹「[[ドラミ]]」を主人公に据えたスピンオフ作品『'''ドラミちゃん'''』が連載され、のちに『ドラえもん』本編に統合された<ref name="doracarte"/>。
作者によれば、のび太のモデルは、少年時代の作者自身である{{efn2|ただし学童疎開体験については時代設定の関係上父親ののび助の体験として描いている。}}。作者の少年時代は、運動能力が低く、いつも漫画を描いていたらしい<ref>[http://dora-world.com/yojigen/int0211_f.html ドラえもん公式サイト インタビューチャンネル 藤子・F・不二雄先生]{{リンク切れ|date=2020年5月}}</ref>。
 
ドラえもん誕生50周年を記念して、2019年11月末には上述の6誌に掲載された6種類の第1話を単行本にとりまとめて'''0巻'''として発売、(『ドラえもん プラス』を除けば)1996年に発売されたてんとう虫コミックス第45巻以来の新刊となった。0巻の初版は10万部だったが、発売前に重版が2度かかり、発売後の重版も併せて、同年12月25日出来重版で累計40万部を超えた<ref>{{cite web|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200113-00158722/|title=『鬼滅の刃』『五等分の花嫁』大ヒット、『ドラえもん』50周年、マンガ界の新たな 隆盛とは|author=[[篠田博之]]|date=2020-01-13|accessdate=2020-02-04}}</ref><ref>{{cite web|url=https://numan.tokyo/news/ARLHt|title=『ドラえもん』0巻が累計40万部突破! コミックス全巻重版&緊急書店フェア開催中♪|author=[[篠田博之]]|date=2020-01-06|accessdate=2020-02-04}}</ref>。
他の登場人物も[[高岡市]]で過ごした少年時代の人間関係をモデルにしているという。藤子・F・不二雄の少年時代の友人の間では「ジャイアンのモデル」と目されている者もいるとのこと<ref>テレビ朝日系『ドラえもん誕生物語 藤子・F・不二雄からの手紙〜』2006年2月19日放送</ref>。藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}の自伝的漫画である「[[まんが道]]」の少年時代編においても、番長格の少年が登場する。さらに、しずかについては作者の理想の女性を描いたものだとする説がある<ref>[http://www3.u-toyama.ac.jp/doraemon/submit/repo_113.html しずかちゃんのモデルはヘップバーン?!]、横山泰行(2004年、10月6日)。初出は[[朝日新聞]]2006年4月1日朝刊。</ref>。
 
==== 物語の変化テレビアニメ ====
1973年に[[日本テレビ動画]]の製作で最初の[[テレビアニメ]]化がされ、約半年間[[日本テレビ系列]]で放送された。本作は対象年齢が低かったため、視聴率は現在と比較して決して高くはなかったものの<ref>[[安藤健二]]『封印作品の憂鬱』[[洋泉社]]、2008年、pp.17 - 19。これは[[ビデオリサーチ]]の記録である。関東地区で平均6.6%。</ref>、3クール目の放映続行が決まりかけたとき<ref>[https://web.archive.org/web/20090210163224/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/090112/gam0901121801000-n1.htm 【幻のドラえもん】(下)] - 産経ニュース2009年1月12日</ref>、[[制作会社]]が解散し、打ち切り終了となった<ref>{{Cite web|title=社長が失踪してしまい、半年で打ち切りに!? 実はかつて日本テレビ系列で放送されていた幻の『ドラえもん』|url=https://news.livedoor.com/article/detail/17540888/|website=ライブドアニュース|accessdate=2021-01-26|language=ja}}</ref>。翌1974年[[春]]には原作の漫画連載も最終回として「さようならドラえもん」が描かれたが作者藤本の愛着もあり、翌月「帰ってきたドラえもん」が描かれ原作の方は継続され、後の二度目のテレビアニメ化につながることとなる。
本作の連載開始当初は、ドラえもんが騒動を巻き起こすギャグ漫画としての特色が強く、ストーリー性の強い作品は見られなかった<ref name="doracarte">小学館ドラえもんルーム編 『ド・ラ・カルト ドラえもん通の本』</ref>。『[[コロコロコミック]]』掲載時などでは、柱{{efn2|本の上部、左右端やのど(中央折り目)付近の、縦に細長いエリア。ヘッダー。}}の煽り文句は「日本一のギャグまんが ドラえもん」となっていた。
 
1979年に[[テレビ朝日]]系で再びテレビアニメ化された。この間に原作の単行本が1974年夏から発売開始されて大ヒットしており、前回の製作時よりも漫画が人気作品となってからのアニメ化であった。2005年には、[[声優]]や[[シンエイ動画]]の[[改編|制作スタッフなどを一新]]する大幅リニューアルが(映画版も含めて)行われ、現在も放送を続けている。詳細は以下を参照。
読者層(掲載各誌)が小学校在学の児童全学年と広範囲に展開されているため、読者の年齢差を意識して、作品内容を描き分けて連載されていた。低学年対象は平易なセリフでひみつ道具の楽しさが描かれ、中学年対象はのび太の成長などのストーリー性が強くなり、高学年対象は社会問題を扱うなど複雑な内容も増えている<ref name="doracarte" />。また絵柄も描き分けられており、低学年向けの話ではキャラクターの頭身が小さく容姿が幼いが、高学年向けになるほど頭身が大きくなり容姿がやや大人びている。
*[[ドラえもん (1973年のテレビアニメ)]]
*[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)]]
*[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)]]
 
1979年の二度目のテレビアニメ化から現在に至るまで高い人気を保ち続け、[[長寿番組]]となっている。なおウィキペディアでは、1973年に放映されたシリーズを「第1作」、1979年から2005年3月まで放映されたシリーズを「第2作第1期」、2005年4月から放映されているシリーズを「第2作第2期」としている。
小学館ドラえもんルームは、ドラえもんとのび太の関係が、連載が進む中で変化していると著書に記している<ref name="doracarte" />。ドラえもんは役目を終えて未来に帰ったことがあり、その一件により「世話係と世話をされる者」といった関係は終わり、以降は「一緒にいたいからいる」という関係に変化しているという。
 
=== 作品の誕生と受容大長編ドラえもん ===
1980年からはアニメーション映画の原作として長編{{efn2|単行本1巻分程度のボリューム}}の執筆を開始し<ref name="doracarte"/>、これを『[[大長編ドラえもん]]』と称している。『ドラえもん』の長編作品であり、映画公開に先行して『[[月刊コロコロコミック]]』で連載された。通常執筆するのは1話完結型の短編作品だが、『大長編ドラえもん』は1つのエピソードを数回に分けて連載するストーリー漫画型の長編作品であり、単行本も『ドラえもん』からと独立した『大長編ドラえもん』シリーズとして発行している。映画にふさわしく日常生活ではないスケールの大きな舞台で、ドラえもん達が互いに協力して困難を乗り越え、成長する冒険物語が描かれる。このころは『大長編ドラえもん』を含めると8本の雑誌に同時連載していた。
 
1996年に藤子・F・不二雄が逝去した後も、[[藤子・F・不二雄プロ]]の萩原伸一([[むぎわらしんたろう]])および[[岡田康則]]は、『大長編ドラえもん』シリーズの続巻を2004年まで執筆した。ただし藤子プロ執筆の巻は「まんが版{{Unicode|▷}}映画シリーズ」として、藤子・F・不二雄本人が執筆した巻とは区別されている。
==== 誕生の経緯 ====
[[藤子・F・不二雄]]は「[[オバケのQ太郎]]」([[藤子不二雄A|藤子不二雄Ⓐ]]との合作)以降、「[[パーマン]]」「[[ウメ星デンカ]]」を小学館の学習雑誌および『[[週刊少年サンデー]]』に連載しており、本作はそれを引き継ぐ形で学習雑誌に連載された。しかし、「ウメ星デンカ」までは存在した『週刊少年サンデー』での連載は見送られた。計6誌に連載されていたにもかかわらず、当初はあまり注目されていなかったという<ref name="doracarte" />。
 
アニメ版の声優交代の第2期『[[ドラえもん のび太の恐竜2006]]』(2006年公開)以降の映画は「大長編ドラえもん」としては漫画版が執筆されていない。ただし、『[[ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜]]』(2007年公開)以降は「映画ストーリー」として[[岡田康則]](単行本では「藤子・F・不二雄プロ」名義)が漫画版を執筆している。単行本は既刊5巻。純粋な漫画版を執筆するのではなく、外伝漫画を執筆することもある([[ドラえもんの派生作品#映画ストーリー超特別編]]を参照)。
連載直前までキャラクターが決まっていなかったため、連載開始前月に掲載された予告<ref>『小学四年生』1969年12月号。藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第1巻の巻末資料、てんとう虫コミックス『ドラえもん』第0巻に掲載されている。</ref> は、新作のタイトルも主人公の姿も描かれていない{{efn2|のび太は描かれているものの、本来ドラえもんが出てくる引き出しからは、「出た!」と書かれた大きな吹き出しのみが飛び出し、「何が出たのか、どんなお話かは正月号までのお楽しみ」という触れ込みが書かれていた。}}<ref>[https://natalie.mu/comic/news/354706 「ドラえもん」6種類の第1話を収録した“0巻”が12月発売、カラーページや予告も] - コミックナタリー、2019年11月8日(2020年8月21日閲覧)</ref> という、異例の体裁であった。藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}によれば、藤子・F・不二雄はドラえもんのキャラクターを作る際に、ネコのデッサンを漫画化したものを多数描いていたという<ref name="sekai">『藤子・F・不二雄の世界』(1997年)</ref>。
 
=== ドラえもん文庫 ===
『ドラえもん』ができるまでの過程を描いた漫画『ドラえもん誕生{{efn2|1978年発行『コロコロコミックデラックス ドラえもん・藤子不二雄の世界』初出(藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第20巻、てんとう虫コミックス『ドラえもん』第0巻収録)。映画『[[2112年 ドラえもん誕生]]』の原案の一部にもなっている。}}』によると、[[藤子・F・不二雄]]は1969年11月、新連載の締め切りが間近に迫っても作品の構想がまるで浮かんでいなかった。そんな切迫した状況にもかかわらず、「アイデアが勝手に出てくる機械があれば」、「昔もこんなふうに締め切りギリギリになって大変だった」などと考えたり、ドラネコのノミをとったりして、時間を無駄にするだけだった。そしてついに締め切り日の朝が訪れ、困り果てた末に「なんにも、ぜーんぜんまとまってない!! わしゃ、破滅じゃー」と叫びながら階段を駆け下りたところ、たまたま置いてあった娘のポロンちゃん([[おきあがりこぼし]])につまずいたことで「ドラネコと起き上がりこぼし」からドラえもんのキャラクターが、さらに「便利な道具を持ったそのキャラが、ダメな男の子(自分)を助けに未来からやってくる」というアイデアが生まれ、ドラえもんが誕生したという。
2004年に、すべての作品を収蔵した「ドラえもん文庫」が開設された。作者の出身地で知られる[[富山県]][[高岡市]]の[[高岡駅]]前再開発ビル「ウイング・ウイング」内の高岡市立中央図書館の「ドラえもんコーナー」と、[[富山大学]]横山研究室である。これはドラえもん研究で知られる富山大学の[[横山泰行]]教授が、収集した単行本計671冊を寄贈、図書館側も協力して実現した。
 
収集家の間でも入手困難とされる、[[てんとう虫コミックス]][[初版]]初刷の単行本第1巻から第10巻を含む全45巻を所蔵している。
一方、元アシスタントスタッフの[[えびはら武司]]の『[[まいっちんぐマンガ道]]』によれば、「ある猫を飼う男が、自分の悪い未来を変えるために冒険する」という[[ロバート・A・ハインライン]]の小説『[[夏への扉]]』がドラえもんの元になったという<ref>『本当にあった愉快な話』 Vol.249(2018年3月号) 竹書房 掲載回</ref>。えびはらによると、藤子・F・不二雄は「そんなこと書いても読者は喜ばない」として、上記『ドラえもん誕生』で描かれたようなエピソードを自ら創作したのだとしている<ref>『本当にあった愉快な話』 Vol.249(2018年3月号) 竹書房 P162</ref>。
 
雑誌のフルカラーのコピーも所蔵している。書籍の内容は、当時連載していた小学館の学年誌などの雑誌に掲載されていた全作品を原寸大で複写し、フルカラー作品はすべてフルカラーで複写して、それを製本化して収めたものである。
なお漫画評論家の[[米澤嘉博]]は、ドラえもんの発想の原型のひとつとして、何でも取り出す[[魔法]]のカバンを持ったネコのキャラクターが主人公であるアメリカの漫画『[[フィリックス・ザ・キャット]]』を上げている<ref>『藤子不二雄論』河出書房新社 P223</ref>。
 
==== 作品の受容全集 ====
出版されている全集としては、2009年より刊行された「[[藤子・F・不二雄大全集]]」の『ドラえもん』(全20巻)および『大長編ドラえもん』(全6巻)が挙げられる。
[[ドラえもん#誕生の経緯|前述]]のように連載開始当初はあまり注目されておらず<ref name="doracarte" />、1973年に[[ドラえもん (1973年のテレビアニメ)|最初のテレビアニメ化]]が[[日本テレビ放送網]]で行われたが、制作会社[[日本テレビ動画]]の解散により半年で終了した。1974年3月には原作の漫画連載も最終回として「さようなら、ドラえもん」が描かれたが、作者が思い直し、翌月「帰ってきたドラえもん」によって連載は継続される。
 
このうち『ドラえもん』は、1 - 17巻が「学年繰り上がり方式」で収録されており、1962年生まれが7歳になり就学する1969年の小学1年生、1970年の小学2年生、といった順で収録されている。18 - 20巻では、幼年誌やその他の雑誌に掲載された作品を収録している。
その後、1974年夏から当初は全6巻だけでの予定で刊行開始された単行本が小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、複数の学年誌に連載されていた『ドラえもん』の話をまとめて読むことができるようにと『[[月刊コロコロコミック|'''コロコロコミック''']]』が創刊され、人気・知名度もさらに上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた<ref>『ドラえ本』第1号</ref>。
 
また派生作品『[[ドラミ|ドラミちゃん]]』の雑誌掲載時の初出版も雑誌からの複写で20巻に収録されており、単行本に収録された版(みよちゃん→しずか、カバ田→ジャイアンといった登場人物の書き換えなど)と比較できるようになっている。
そして1979年に再び[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|テレビアニメ化]]、その翌年には映画作品もヒットを記録し、社会現象のような状況となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した<ref>山口康男『日本のアニメ全史―世界を制した日本アニメの奇跡』(テンブックス、2004年、{{ISBN2|4-88696-011-1}})p.118</ref>。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は'''約2億5000万部'''を<ref>{{Cite news|url=https://www.sanspo.com/article/20191127-4ULPPKAK3ZN35IXMWNAVOMSZ3A/|title=ドラえもん、誕生50周年にビックリ新刊!「第0巻」27日発売|newspaper=サンスポ|date=2019-11-27|accessdate=2022-03-12}}</ref>、2020年時点で全世界累計発行部数は'''3億部'''をそれぞれ記録している<ref>全協・出版科学研究所「出版月報」、2020年度時点。</ref>。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど<ref>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/news/2149517/full/ |title=『ドラえもん』第1巻、異例の45年間毎年重版 5.4ヶ月ペースで小学館作品の刷り数&発行部数1位 |accessdate=2019年11月26日 |publisher=オリコン(2019年11月26日作成)}}</ref>、小学館を代表する作品となっている。
 
全集では、作者の藤子・F・不二雄による改訂はそのまま残し、第三者による改訂はできる限り元に戻すという編集方針がとられた(一部例外あり)。このため、従来の単行本はもちろん、初期の版とも一部のセリフなどが異なっているケースがある。
アニメを放送している[[テレビ朝日]]は、同社(およびANN系列局)の実質的な[[マスコットキャラクター]]として扱っており、さまざまな番組・広報誌などでドラえもんの意匠を使用している。2011年5月にテレビ朝日公式イメージキャラクター「[[ゴーちゃん。]]」が登場した後も関わりは深く、災害発生時の募金活動では「[[ドラえもん募金]]」と名前が冠されている。
 
=== 掲載誌 ===
高い知名度から、教育分野にも広く浸透している。小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが登場しているほか、[[千葉大学]]の入試問題で「『ドラえもん』の道具を一つ選んでそれが実現可能かどうか検討せよ」という内容の小論文が課されたり、2006年の[[武蔵野美術大学]]の入学試験において「『ドラえもん』を幾何図形を用いて再デザインせよ」といった問題が出たりしたことがある。
いずれも小学館からの発行。
* 『よいこ』
** 1970年1月号 - 1971年4月号、1972年10、11月号、1973年2月号 - 10月号
* 『幼稚園』
** 1970年1月号 - 1971年3月号、1972年10月号、1973年3月号 - 12月号
* 『小学一年生』
** 1970年1月号 - 1974年3月号、1975年3月号、1975年9月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号、1990年4月号
* 『小学二年生』
** 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号
* 『小学三年生』
** 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年1月号 - 5月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年3、4月号、(1994年7月号 - 9月号{{efn2|『小四』『小五』と同時掲載}})
* 『小学四年生』
** 1970年4月号 - 1986年7月号、1987年4、5月号、1988年6月号 - 1990年11月号、1991年1月号、(1991年3、4月号{{efn2|『小三』と同時掲載}})、(1994年7月号 - 9月号{{efn2|『小三』『小五』と同時掲載}})
* 『小学五年生』
** 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年2月号(1994年7月号 - 9月号{{efn2|『小三』『小四』と同時掲載}})
* 『小学六年生』
** 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、(1989年4月号 - 1990年12月号)、(1991年2月号{{efn2|『小五』と同時掲載}})
* 『てれびくん』小学館
** 1976年12月号 - 1977年8月号、1979年5月号 - 1983年3月号
* 『小学館BOOK』→『小学生ブック』
** 1974年1月号 - 3月号、5月号 - 9月号
* 『別冊少年サンデー』
** 1973年6月号 - 1974年3月号(全10回、すべて学年雑誌の再録)
* 『増刊少年サンデー』
** 1975年9月5日号、1976年6月15日号、8月10日号、9月10日号
* 『月刊コロコロコミック』
** 1979年8、9月号、1980年1月号 - 3月号、9月号 - 1981年2月号、9月号 - 1982年2月号、8月号 - 1983年2月号、9月号 - 1984年2月号、7月号 - 1985年1月号、8月号 - 1986年1月号、11月号 - 1987年3月号、1988年10月号 - 1989年3月号、10月号 - 1990年3月号、9月号 - 1991年2月号、10月号 - 1992年3月号、9月号 - 12月号、1993年2、3月号、9月号 - 12月号、1994年2、3月号、9月号 - 11月号、1995年1月号 - 3月号、9月号 - 1996年2月号、9、10、12月号 - 1997年3月号
* 『ドラえもんクラブ』
** 第2号(1994年5月1日)
連載期間については米沢(2002年)による。なお、雑誌の号数による表記のため、実際の発売月とは1か月ずれるので注意が必要。また、『月刊コロコロコミック』2002年4月号から「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と題して再掲載されている(ただし毎年1月号から3月号は映画の漫画版が掲載されるため休載となる)。
 
=== 作品数 ===
2002年には、『[[タイム (雑誌)|タイム]]』アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された<ref>[http://www.time.com/time/asia/features/heroes/doraemon.html Asian Heroes - Doraemon] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20020424103757/http://www.time.com/time/asia/features/heroes/doraemon.html|date=2002年4月24日}}、TIMEasia.com</ref>。『[[日経エンタテインメント!]]』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。
ドラえもん学の提唱者である横山泰行は、総数を1344としている。内訳は以下のとおり。
* 『小学一年生』:187話
* 『小学二年生』:203話
* 『小学三年生』:233話(3回に分けて連載された「ガラパ星から来た男」を1話としてカウント。小学四年生と同時掲載)
* 『小学四年生』:235話(「ガラパ星から来た男」を1話としてカウント。小学三年生と同時掲載)
* 『小学五年生』:184話(23話は小学六年生と同時掲載)
* 『小学六年生』:184話(23話は小学五年生と同時掲載)
* 『てれびくん』:54話(うち、7話は別冊付録のもの)
* 『小学館BOOK』:8話(外伝作品「ドラミちゃん」)
* 『少年サンデー増刊』:4話
* 『月刊コロコロコミック』:21話(うち、17話は大長編ドラえもん{{efn2|絶筆作品である『大長編ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』も含めている}}を指す)
* 〈てんとう虫コミックスアニメ版〉:1話
* 『よいこ』:27話
* 『幼稚園』:26話
* 『入学準備小学一年生』:1話
* 〈てんとう虫コミックス〉:1話
 
=== 誕生の経緯 ===
==== スピンオフ『ドラミちゃん』 ====
『ドラえもん』ができるまでの過程を描いた漫画『ドラえもん誕生{{efn2|1978年発行『コロコロコミックデラックス ドラえもん・藤子不二雄の世界』初出(藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第20巻、てんとう虫コミックス『ドラえもん』第0巻収録)。映画『[[2112年 ドラえもん誕生]]』の原案の一部にもなっている。}}』によると、[[藤子・F・不二雄]]は1969年11月、新連載の締め切りが間近に迫っても作品の構想がまるで浮かんでいなかった。そんな切迫した状況にもかかわらず、「アイデアが勝手に出てくる機械があれば」、「昔もこんなふうに締め切りギリギリになって大変だった」などと考えたり、ドラネコのノミをとったりして、時間を無駄にするだけだった。そしてついに締め切り日の朝が訪れ、困り果てた末に「なんにも、ぜーんぜんまとまってない!! わしゃ、破滅じゃー」と叫びながら階段を駆け下りたところ、たまたま置いてあった娘のポロンちゃん([[おきあがりこぼし]])につまずいたことで「ドラネコと起き上がりこぼし」からドラえもんのキャラクターが、さらに「便利な道具を持ったそのキャラが、ダメな男の子(自分)を助けに未来からやってくる」というアイデアが生まれ、ドラえもんが誕生したという。
『ドラえもん』本編連載のほか、1974年には、ドラえもんの妹「[[ドラミ]]」を主人公に据えたスピンオフ作品『'''ドラミちゃん'''』が連載されたが、のちに『ドラえもん』本編に統合された<ref name="doracarte" />。また派生作品『[[ドラミ|ドラミちゃん]]』の雑誌掲載時の初出版も雑誌からの複写で20巻に収録されており、ドラえもんの単行本に収録された版(みよちゃん→しずか、カバ田→ジャイアンといった登場人物の書き換えなど)と比較できるようになっている。
 
上記のように連載直前までキャラクターが決まっていなかったため、連載開始前月に掲載された予告<ref>『小学四年生』1969年12月号。藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第1巻の巻末資料、てんとう虫コミックス『ドラえもん』第0巻に掲載されている。</ref> は、新作のタイトルも主人公の姿も描かれていない{{efn2|のび太は描かれているものの、本来ドラえもんが出てくる引き出しからは、「出た!」と書かれた大きな吹き出しのみが飛び出し、「何が出たのか、どんなお話かは正月号までのお楽しみ」という触れ込みが書かれていた。}}<ref>[https://natalie.mu/comic/news/354706 「ドラえもん」6種類の第1話を収録した“0巻”が12月発売、カラーページや予告も] - コミックナタリー、2019年11月8日(2020年8月21日閲覧)</ref> という、異例の体裁であった。藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}によれば、藤子・F・不二雄はドラえもんのキャラクターを作る際に、ネコのデッサンを漫画化したものを多数描いていたという<ref name="sekai">『藤子・F・不二雄の世界』(1997年)</ref>。
藤子F作品の[[藤子・F・不二雄大全集|大全集]]を出した際には、藤子Fによる改訂はそのまま残し、第三者による改訂はできる限り元に戻すという編集方針がとられた(一部例外あり)。このため、従来の単行本はもちろん、初期の版とも一部のセリフなどが異なっているケースがある。
 
漫画評論家の[[米澤嘉博]]は、ドラえもんの発想の原型のひとつとして、何でも取り出す[[魔法]]のカバンを持ったネコのキャラクターが主人公であるアメリカの漫画『[[フィリックス・ザ・キャット]]』を上げている<ref>『藤子不二雄論』河出書房新社 P223</ref>。
==== 連載末期 ====
1987年以降は作者の体調面の問題もあり、レギュラー短編の新規執筆は徐々に縮小し、1991年をもって全て終了した。大長編(後述)を除く、作者本人の手による最後の作品は、1994年に発表された全3回の集中連載中編「[[ドラえもん ガラパ星から来た男|ガラパ星から来た男]]」(第45巻収録)となっている。
 
なお、元アシスタントスタッフの[[えびはら武司]]の『[[まいっちんぐマンガ道]]』によれば、「ある猫を飼う男が、自分の悪い未来を変えるために冒険する」という[[ロバート・A・ハインライン]]の小説『[[夏への扉]]』がドラえもんの元になったという<ref>『本当にあった愉快な話』 Vol.249(2018年3月号) 竹書房 掲載回</ref>。えびはらによると、藤子・F・不二雄は「そんなこと書いても読者は喜ばない」として、上記『ドラえもん誕生』で描かれたようなエピソードを自ら創作したのだとしている<ref>『本当にあった愉快な話』 Vol.249(2018年3月号) 竹書房 P162</ref>。
作品の完結編は描かれることなく、1996年に藤子Fが逝去し、ストーリーとしては未完となっている。ただし、作者によって描かれた「最終回」自体は、前述の「さようなら、ドラえもん」のほか2作品が存在している(連載誌の都合によるもので、作品自体の完結とは異なる)。
{{Main|ドラえもんの最終回}}
 
=== 掲載誌・単行本海外展開 ===
[[ファイル:Doraemon da Arena Suzano-SP.jpg|thumb]]
{{Main|#出版物}}
[[ファイル:DoraemonTruckInJapan.jpg|thumb|ドラえもんと[[貨物自動車]]]]
 
『ドラえもん』は漫画・アニメともに日本国外にも翻訳紹介され、特に[[アジア]]圏を中心に人気作品となっている。
==== 連載 ====
{{See also|[[:en:List of non-Japanese Doraemon versions]]}}
[[ファイル:Doraemon, serial publication.png|thumb|right|400px|ドラえもん連載期間(読み切り、半年未満の連載、過去作品の再録、大長編は除く。黄色は他誌と同時掲載。詳細は「連載誌」の項を参照)]]
日本国外の作品タイトルの表記は普通英語で「{{Lang|en|Doraemon}}」となるが、原作の「ドラえもん」というカタカナ・ひらがなの混ぜ書きを再現するために、[[ラテン文字|アルファベット]]の大文字と小文字を併用して「{{Lang|en|DORAemon}}」などと表記されることもある。中国、香港、台湾、マレーシアなどの中国語表記は、長らく「{{lang|zh|叮噹}}」(香港)(叮噹は銅鑼ドラの鳴る音の中国語の擬音語)、「{{lang|zh|小叮噹}}」(台湾)(「叮噹」の前に「小」を付けた言葉)、「{{lang|zh|机器猫}}」(中国)(ロボットの猫という意味)などとなっていたが、1997年以降の正規出版物は原音に近い発音の「{{lang|zh|哆啦A夢}}」(台湾){{efn2|読みは「'''ドゥオラAモン'''」({{ピン音|duō la A mèng}})。}}、「{{lang|zh|哆啦A梦}}」(中国)、「{{lang|zh|多啦A夢}}」(香港)に変更されている。韓国語表記は「{{lang|ko|도라에몽}}」{{efn2|読みは「'''トラエモン'''」(韓国語は語頭の {{IPA|d}} が {{IPA|t}} に変化するため)。}}となる。南アジアでは英文表記では「{{Lang|en|Doraemon}}」だが、ヒンディー語表記は「{{lang|hi|डोरेमोन}} (doremon)」、ベンガル語表記は「{{lang|bn|ডোরেমন}} (doremon)」となる。スペインでは「{{Lang|es|Doraemon el gato cósmico}}」(宇宙ネコ・ドラえもん)、アメリカでは「{{Lang|en|Doraemon Gadget Cat from the Future}}」{{efn2|この枕詞は日本で発行している『SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS Doraemon』のタイトルにも使われている。}}(未来から来た小道具使いの猫ドラえもん)と国によっては原作にはない独自の枕詞が付けられることがある。
1969年より、小学館の学年誌(『[[よいこ (雑誌)|よいこ]]』『[[幼稚園 (雑誌)|幼稚園]]』『[[小学一年生]]』『[[小学二年生]]』『[[小学三年生]]』『[[小学四年生]]』)にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「[[藤子不二雄]]」。1話ごとに完結する短編として執筆。[[ロゴタイプ|タイトルロゴ]]は『[[オバケのQ太郎]]』のロゴも手掛けた赤松育延によるもので、ドラえもんの手足をイメージしている<ref name="fukayomi">小学館ドラえもんルーム編 『ドラえもん深読みガイド〜てんコミ探偵団〜』</ref>。
 
==== 作品数漫画の出版 ====
原作の漫画が出版された国および地域は、[[中国]]、[[香港]]、[[台湾]]、[[韓国]]、[[ベトナム]]、[[フィリピン]]、[[マレーシア]]、[[シンガポール]]、[[タイ王国|タイ]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]、[[インドネシア]]、[[キプロス]]、[[イタリア]]、[[スペイン]]、[[フランス]]、[[ロシア]]である。各国のコミック雑誌(台湾青文社「HAPPY DRAGON 快樂龍」など)にも連載されている。また、海賊版は東南アジアで広く見られる。
ドラえもん学の提唱者である横山泰行は、総数を1344としている{{要出典|date=2022年4月}}。ただしその一部<ref>藤子・F・不二雄大全集第14巻収録「ヤメサセロボット」の全体</ref><ref>藤子・F・不二雄大全集第15巻収録「空中つりセット」</ref><ref>藤子・F・不二雄大全集第11巻収録「さかさカメラ」の扉以外すべて</ref><ref>第26巻収録「空気中継衛星」</ref><ref>てんとう虫コミックス第35巻収録「しずちゃんとスイートホーム」</ref><ref>てんとう虫コミックス第36巻収録「サカユメンでいい夢見よう」</ref> は、執筆当時のチーフ[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]である[[たかや健二]]による執筆となっている<ref>『Neo Utopia別冊 129.3』ネオ・ユートピア、1998年発行</ref>。内訳は以下のとおりである{{要出典|date=2022年4月}}:
{| class="wikitable"
|+
!初出
!話数
|-
|小学一年生
|187話
|-
|小学二年生
|203話
|-
|小学三年生
|233話{{Efn2|3回に分けて連載された「ガラパ星から来た男」を1話としてカウント。小学四年生と同時掲載。}}
|-
|小学四年生
|235話{{Efn2|「ガラパ星から来た男」は小学三年生・小学四年生と同時掲載で、3回に分けて連載された。これらは小学三年生・小学四年生双方で1話としてカウント。}}
|-
|小学五年生
|184話{{Efn2|23話は小学五年生・小学六年生と同時掲載。これらは両雑誌でカウント。}}
|-
|小学六年生
|184話{{Efn2|23話は小学五年生・小学六年生と同時掲載。これらは両雑誌でカウント。}}
|-
|てれびくん
|54話{{Efn2|うち、7話は別冊付録のもの。}}
|-
|小学館BOOK
|8話{{Efn2|外伝作品「ドラミちゃん」}}
|-
|月刊コロコロコミック
|21話{{Efn2|うち、17話は[[大長編ドラえもん]]。絶筆作品である『大長編ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』も含めている。}}
|-
|〈てんとう虫コミックスアニメ版〉
|1話
|-
|よいこ
|27話
|-
|幼稚園
|26話
|-
|入学準備小学一年生
|1話
|-
|〈てんとう虫コミックス〉
|1話
|}
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カナダ]]では、2013年11月より[[電子書籍]]として配信されている([[アメリカンコミック]]調に彩色を施し、登場人物に愛称を付けている)<ref>[http://www.asahi.com/articles/TKY201311220085.html 頼りないのび太、ウケる? ドラえもん電子書籍で米進出] 朝日新聞 2013年11月22日</ref>。
==== 単行本 ====
原作の単行本は1974年8月から刊行開始され、第1巻は小学館の漫画単行本レーベル『[[てんとう虫コミックス]]』の第1号作品となっている。全45巻が刊行された。
 
1970年代には既に香港・台湾で[[中国語]]の海賊版が出版されており、日本文化が当時解放されていなかった韓国でも海賊版が『[[トンチャモン]]』というタイトルで出版された。そのため韓国や中国などでは、過去に日本の本家『ドラえもん』の方がコピーと誤解されたこともあった<ref>藤子・F・不二雄ワンダーランド ぼくドラえもん 09</ref>。
2005年からは単行本未収録作品を収録した『ドラえもんプラス』全5巻が刊行。その後ドラえもん誕生50周年を記念して、2019年11月末には上述の6誌に掲載された6種類の第1話を単行本にとりまとめて'''0巻'''として発売、(『ドラえもん プラス』を除けば)1996年に発売されたてんとう虫コミックス第45巻以来の新刊となった。0巻の初版は10万部だったが、発売前に重版が2度かかり、発売後の重版も併せて、同年12月25日出来重版で累計40万部を超えた<ref>{{cite web |url=https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200113-00158722/ |title=『鬼滅の刃』『五等分の花嫁』大ヒット、『ドラえもん』50周年、マンガ界の新たな 隆盛とは |author=[[篠田博之]] |date=2020-01-13 |accessdate=2020-02-04}}</ref><ref>{{cite web |url=https://numan.tokyo/news/ARLHt |title=『ドラえもん』0巻が累計40万部突破! コミックス全巻重版&緊急書店フェア開催中♪ |author=[[篠田博之]] |date=2020-01-06 |accessdate=2020-02-04}}</ref>。
 
ベトナムでは正規版の出版以前に海賊版が1000万部以上売り上げており、1994年に正規版を出版するにあたって、それまで原作者に本来受け取るべき[[印税]](日本円で2000万円相当)を支払いたいと申し出たが、藤子・F・不二雄が「このお金を基にして現地の子供たちのために役立ててほしい」と希望したため、貧困家庭の就学希望児童を支援する「ベトナムの子供たちのためのドラえもん教育基金」が設立された<ref name="sekai"/><ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/child/980805dai4.html 子どもの未来と世界について考える懇談会]</ref>。藤子・F・不二雄はそれに合わせてベトナムを訪問している。
これら以外に映画放映時にその漫画版である『[[大長編ドラえもん]]』(後述)を刊行。
 
多言語社会であるスペインでは、[[スペイン語]](カスティーリャ語)や[[カタルーニャ語]]など5言語で出版された。
==== 全集 ====
出版されている全集としては、1984年から刊行された「[[藤子不二雄ランド]]」([[藤子・F・不二雄]]が他界する1996年頃までに絶版)、2009年より刊行された「[[藤子・F・不二雄大全集]]」の『ドラえもん』(全20巻)および『大長編ドラえもん』(全6巻)が挙げられる。
 
==== アニメーションの放映 ====
「[[藤子・F・不二雄大全集|大全集]]」のうち『ドラえもん』は、1 - 17巻が「学年繰り上がり方式」で収録されており、1962年生まれが7歳になり就学する1969年の小学1年生、1970年の小学2年生、といった順で収録されている。18 - 20巻では、幼年誌やその他の雑誌に掲載された作品を収録している。
アニメーションはこれまで、北米([[アメリカ合衆国]]、[[カナダ]])、中南米([[ブラジル]]、[[コロンビア]]、[[チリ]]、[[アルゼンチン]]、[[エクアドル]]、[[ボリビア]]、[[ペルー]]、[[パラグアイ]]、[[ベネズエラ]]、[[パナマ]]、[[メキシコ]]、[[プエルトリコ]]、[[キューバ]]、[[ドミニカ共和国]]、[[ニカラグア]]、[[コスタリカ]]、[[ホンジュラス]]、[[エルサルバドル]])、[[ヨーロッパ]]([[スペイン]]、[[イタリア]]、[[フランス]]、[[ポルトガル]]、[[ポーランド]]、[[ベラルーシ]]、[[ロシア]]、[[イギリス]])、中東([[サウジアラビア]]、[[カタール]]、[[アラブ首長国連邦|UAE]]、[[オマーン]]、[[エルサレム]]、[[イスラエル]]、[[トルコ]])、アフリカ([[アルジェリア]]、[[リビア]]、[[チュニジア]])、[[東アジア]]([[中華人民共和国|中国]]、[[香港]]、[[マカオ]]、[[台湾]]、[[大韓民国|韓国]])、[[東南アジア]]([[インドネシア]]、[[マレーシア]]、[[タイ王国]]、[[ベトナム]]、[[フィリピン]]、[[シンガポール]]、[[カンボジア]])、[[南アジア]]([[インド]]、[[バングラデシュ]]、[[ブータン]]、[[ネパール]]、[[パキスタン]])、[[オセアニア]]([[オーストラリア]])でも放送された(2017年3月現在、オーストラリア、カナダ、ポーランド、イギリス、パキスタンでは放送されていない)。
 
[[木村純一]]プロデューサー(1998年当時)によると、東南アジアでのテレビアニメの放送は視聴率が70パーセントを超えることもあるという<ref>「テレビ秋の陣 地上波の模索(下) アニメバブル 長持ちソフト期待」『[[朝日新聞]]』1998年10月2日夕刊、11面。</ref>。東南アジア諸国では、[[野比玉子|ママ]]がドラえもんの道具でやり込められると子供が大喜びする<ref name="doracarte"/> という特徴も見られる。
=== テレビアニメ ===
ドラえもんのTVアニメは大きく3つに分けられる:
{| class="wikitable"
|+
!分類{{Efn2|これら分類名称はWikipedia独自のものであり、必ずしも一般的なものではない。}}
!放送局
!放送時期
!ドラえもん
!のび太
!しずか
!ジャイアン
!スネ夫
|-
|[[ドラえもん (1973年のテレビアニメ)|第1作]]
|[[日本テレビ放送網]]
|[[1973年]][[4月1日]] - [[9月30日]]
|[[富田耕生]]→[[野沢雅子]]
|[[太田淑子]]
|[[恵比寿まさ子]]
|[[肝付兼太]]
|[[八代駿]](代役:[[龍田直樹]])
|-
|[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|第2作第1期]]
| rowspan="2" |[[テレビ朝日]]
|[[1979年]][[4月2日]] - [[2005年]][[3月18日]]
|[[大山のぶ代]]
|[[小原乃梨子]]
|[[野村道子]]
|[[たてかべ和也]]
|[[肝付兼太]]
|-
|[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|第2作第2期]]
|[[2005年]][[4月15日]] -
|[[水田わさび]]
|[[大原めぐみ]]
|[[かかずゆみ]]
|[[木村昴]]
|[[関智一]]
|}
 
アメリカ合衆国では、1985年に[[CNN]]の[[テッド・ターナー]]が50話分の放映権契約を結んだものの長らく放映が実現しなかったが<ref>[[横山泰行]]『ドラえもん学』(PHP研究所、2005年)120頁</ref>、2014年より[[ディズニー]]の子供向けチャンネル[[ディズニーXD]]で放送が始まった<ref>[http://www.doraemon.com/ 米国版公式サイト]</ref>。このアメリカ放送版は、単なる吹き替え版ではなく現地の文化や生活習慣に合わせて様々な変更を加えられた[[ローカライゼーション|ローカライズ版]]であり、舞台をアメリカの架空の街に移し登場人物名も英語名風にするなどアメリカの視聴者になじみやすいように設定に改変を加え、フィクション作品の中でも健康的な食生活を推進するという規則に従ってのび太が食べるおやつがフルーツになるなど、アメリカの子供番組の放映基準に合わせた細かな画像の加工や差し替えも行われている。日本では2014年7月から8月にかけて行われたイベント『テレビ朝日・六本木ヒルズ夏祭り SUMMER STATION』にて日本語字幕版として初公開上映<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2040257/full/ アメリカ版『ドラえもん』日本初上映 六本木で8・1から10日連続] - ORICON STYLE 2014年7月26日</ref> を経て、2016年2月1日から[[ディズニー・チャンネル]]にて『Doraemon』のタイトルで日本語吹き替え版の放送を開始した。
==== 第1作 ====
1973年に[[日本テレビ動画]]の製作で最初の[[テレビアニメ]]化がされ、約半年間[[日本テレビ系列]]で放送された。当初、硬派任侠物の『[[次郎長三国志|少年次郎長三国志]]』のアニメ化を切望したが、企画が頓挫<ref name="masami">下記外部リンクにある[[真佐美ジュン]]のインタビューでそのように証言されている。</ref>。[[つなぎ番組]]として本作が放映されることになった経緯がある<ref name="masami" />。
 
スペインでは、上述の漫画版のように複数の言語で放送されて高い人気を得ている。2014年の9月から12月には94年の放映開始から20周年を記念して、視聴者参加型のアトラクション番組「[[:es:Doraemon Land|Doraemon Land]]」がシリーズで放映された<ref>[http://www.doraemonland.com/ 『Doraemon Land』公式サイト]</ref>。
本作は対象年齢が低かったため、視聴率は現在と比較して決して高くはなかったものの<ref>[[安藤健二]]『封印作品の憂鬱』[[洋泉社]]、2008年、pp.17 - 19。これは[[ビデオリサーチ]]の記録である。関東地区で平均6.6%。</ref>、3クール目の放映続行が決まりかけたとき<ref>[https://web.archive.org/web/20090210163224/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/090112/gam0901121801000-n1.htm 【幻のドラえもん】(下)] - 産経ニュース2009年1月12日</ref>、[[制作会社]]が解散し、打ち切り終了となった<ref>{{Cite web |title=社長が失踪してしまい、半年で打ち切りに!? 実はかつて日本テレビ系列で放送されていた幻の『ドラえもん』 |url=https://news.livedoor.com/article/detail/17540888/ |website=ライブドアニュース |accessdate=2021-01-26 |language=ja}}</ref>。
 
==== 逸話 ====
なお、1クール終了時には『[[小学館の学年別学習雑誌#小学三年生・四年生・五年生・六年生|小学五年生]]』『[[小学館の学年別学習雑誌#小学三年生・四年生・五年生・六年生|小学六年生]]』での連載が4月号から開始されたこともあり、番組の対象年齢の引き上げと「世話好きなおじさん」然としたドラえもんの年齢イメージを下げることを目的に、[[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]の声を担当していた[[富田耕生]]を降板させ、2代目となる[[野沢雅子]]に交代するなどの[[テコ入れ]]を図った{{Refnest|かつて[[富田耕生]]が降板したのは[[交通事故]]を起こしたからだという噂があったが、これは事実ではない。この噂は日本テレビ動画の前作『[[モンシェリCoCo#テレビアニメ|モンシェリCoCo]]』製作の打ち合わせのため、制作主任の[[真佐美ジュン|下崎闊]]が日本テレビ動画の新潟スタジオに行く途中に交通事故を起こしたことに起因する。後に下崎は『モンシェリCoCo』放送時にスタッフとのトラブルで番組を自主降板し、そこから「『モンシェリCoCo』のプロデューサーが交通事故を起こしたため辞めた」と言う噂がたち、その噂が一人歩きして、いつのまにか「交通事故で富田耕生が降りた」という噂になっていたという<ref name="masami"/>。|group="注"}}<ref name="masami2">下記外部リンクにある[[真佐美ジュン]]のインタビューでそのように証言されている。</ref>。放送2クール目に入ると、原作では数回しか登場しなかったアヒル型ロボット「[[ドラえもんの登場人物一覧#%E9%87%8E%E6%AF%94%E5%AE%B6|'''ガチャ子''']]」をレギュラー入りさせるなど[[喜劇#%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF|スラップスティック]]要素も強調したという<ref name="masami2" />。
[[台湾]]の[[歌手]][[周杰倫]]の[[アルバム]]『魔杰座』の[[シングル]][[ミュージック・ビデオ|PV]]「時光機」<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=nCfrfCzaB2A 时光机(周杰伦演唱的歌曲)]</ref> や、[[マレーシア]]の歌手四葉草のシングル「伸出圓手」<ref>[http://www.buzzhand.com/post_170396.html]{{リンク切れ|date=2017年9月|bot=InternetArchiveBot}}</ref> は、『ドラえもん』を題材にしている。
 
[[中国]]各地で2014年に開催された「ドラえもんの秘密道具展示会」は大盛況となり関連グッズも売れたが、[[産経新聞]]は9月末から10月始めにかけて複数の中国紙が「われわれの傷みをドラえもんでごまかされるな」などドラえもん批判を行ったとして、「掲載のタイミングが一致しておりいずれもメディアを管理する[[中国共産党|共産党]]宣伝部の指示を受けて執筆したものとみられる」「反日姿勢を強める共産党当局の逆鱗に触れたとみられる」と報じ、成都市共産党委員会機関紙でドラえもんが日本の文化大使や[[2020年東京オリンピック構想|2020年東京五輪招致]]の際の招致スペシャルアンバサダー(特別大使)を務めた(2013年4月5日 - 9月7日<ref>[https://tokyo2020.jp/jp/news/bid/20130405-01.html "ドラえもん" 東京2020オリンピック・パラリンピック招致スペシャルアンバサダーに就任] 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 2013年4月5日</ref>)ことなどに触れて「ドラえもんは国家としての価値観を輸出し、日本の文化戦略で重要な役割を果たす」「ドラえもんが善良な人たちの目に映る日本を象徴しているとすれば、侵略の歴史を隠し、国際的な緊張状態を招く安倍晋三政権もまた日本の真の姿だ」などの批判がされたというが、中国でもドラえもんの人気は高く、この官製メディアのドラえもん利用批判に対しても一般市民の反応は「「ドラえもんVS共産党宣伝部」というのをアニメでみたい」など冷やかだとした<ref>[http://www.sankei.com/premium/news/141113/prm1411130004-n1.html 【矢板明夫の目】中国共産党が『ドラえもん』を敵視する理由] 産経新聞 2014年11月13日</ref>。2015年5月、読売新聞によれば2012年の「[[ウルトラマン]]」シリーズ以来(同年には[[尖閣諸島]]国有化を巡って日中関係が悪化していた)、中国の一般映画館で上映される日本映画の新作としては3年ぶりに『[[STAND BY ME ドラえもん]]』が上映された<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/world/20150528-OYT1T50094.html 中国で「ドラえもん」3年ぶり日本映画新作上映 読売新聞web]</ref>。同年9月23日には中国[[淘宝網]]で『拜托了!小叮当』のタイトルで実写版が公開された<ref>[http://www.thenewslens.com/post/222981/ 真貓出演中國版《多啦A夢》 出品人「J.Ma」版權成疑] TNL香港編輯 2015年9月23日</ref>。また2016年9月より[[日本航空]]が中国路線を中心に[[ドラえもんジェット#JAL ドラえもんJET|JALドラえもんJET]]を運航している。
==== 第2作第1期 ====
1979年に[[テレビ朝日]]系で再びテレビアニメ化された。
 
一般に、『ドラえもん』はアジア圏・南米圏で高い人気を得る一方で、欧米諸国では人気が奮わない場合が多い。このような傾向に関して漫画評論家の[[米澤嘉博]]は、「単に生活や風習の違いだけでは解釈することのできない、メンタルな部分がそこにはある」と述べている<ref>『藤子不二雄論』河出書房新社 P5</ref>。
この間に原作の単行本が1974年夏から発売開始されて大ヒットしており、前回の製作時よりも漫画が人気作品となってからのアニメ化であった。本作は1976年に[[東京ムービー]]から独立した'''[[シンエイ動画]]'''(旧社名:Aプロダクション)初の制作元請作となり、本作のヒットを皮切りに藤子不二雄原作の漫画が同社により数多く映像化され同系列により放送された。
 
==== 第2作第2期 ====
2005年には、[[声優]]や[[シンエイ動画]]の[[改編|制作スタッフなどを一新]]する大幅リニューアルが(映画版も含めて)行われ、現在も放送を続けている。
 
1979年の二度目のテレビアニメ化から現在に至るまで高い人気を保ち続け、[[長寿番組]]となっている。なおウィキペディアでは、1973年に放映されたシリーズを「第1作」、1979年から2005年3月まで放映されたシリーズを「第2作第1期」、2005年4月から放映されているシリーズを「第2作第2期」としている。
 
=== 映画ドラえもん ===
{{節stub|date=2022年4月6日 (水) 08:42 (UTC)}}
{{Main|ドラえもん映画作品}}
 
=== 大長編ドラえもん ===
1980年からはアニメーション映画の原作として長編{{efn2|単行本1巻分程度のボリューム。}}の執筆を開始し<ref name="doracarte"/>、これを『[[大長編ドラえもん]]』と称している。『ドラえもん』の長編作品であり、映画公開に先行して『[[月刊コロコロコミック]]』で連載された。通常執筆するのは1話完結型の短編作品だが、『大長編ドラえもん』は1つのエピソードを数回に分けて連載するストーリー漫画型の長編作品であり、単行本も『ドラえもん』からと独立した『大長編ドラえもん』シリーズとして発行している。映画にふさわしく日常生活ではないスケールの大きな舞台で、ドラえもん達が互いに協力して困難を乗り越え、成長する冒険物語が描かれる。このころは『大長編ドラえもん』を含めると8本の雑誌に同時連載していた。
 
1996年に藤子・F・不二雄が逝去した後も、[[藤子・F・不二雄プロ]]の萩原伸一([[むぎわらしんたろう]])および[[岡田康則]]は、『大長編ドラえもん』シリーズの続巻を2004年まで執筆した。ただし藤子プロ執筆の巻は「まんが版{{Unicode|▷}}映画シリーズ」として、藤子・F・不二雄本人が執筆した巻とは区別されている。
 
アニメ版の声優交代の第2期『[[ドラえもん のび太の恐竜2006]]』(2006年公開)以降の映画は「大長編ドラえもん」としては漫画版が執筆されていない。ただし、『[[ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜]]』(2007年公開)以降は「映画ストーリー」として[[岡田康則]](単行本では「藤子・F・不二雄プロ」名義)が漫画版を執筆している。単行本は既刊5巻。純粋な漫画版を執筆するのではなく、外伝漫画を執筆することもある([[ドラえもんの派生作品#映画ストーリー超特別編]]を参照)。
 
=== 受賞歴 ===
* 第2回(1973年)[[日本漫画家協会賞]]'''優秀賞'''<ref name="nmksjj">[http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/jushou.html 日本漫画家協会賞受賞者] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070219190000/http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/jushou.html |date=2007年2月19日 }}、社団法人日本漫画家協会。</ref>。
* 第27回(昭和57年度)[[小学館漫画賞]]'''児童部門受賞<ref>[http://comics.shogakukan.co.jp/mangasho/rist.html 小学館漫画賞:歴代受賞者]、小学館。</ref>。'''
* 第23回(1994年)[[日本漫画家協会賞]]'''文部大臣賞'''<ref name="nmksjj" />。
* 第1回(1997年)[[手塚治虫文化賞]]'''マンガ大賞受賞<ref>[http://www.asahi.com/tezuka/kiroku.html 受賞の記録] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070203111018/http://www.asahi.com/tezuka/kiroku.html |date=2007年2月3日 }}、朝日新聞。</ref>。'''
 
== 作風や舞台設定 ==
作品の連載開始は1969年12月発売の1970年1月号。主人公は、未来の世界からやって来たネコ型ロボットのドラえもん<ref>『ドラえもん誕生』、『ド・ラ・カルト -ドラえもん通の本-』小学館、1997年</ref> (連載初期<ref>藤子・F・不二雄大全集第1巻に再録された連載初期のキャラクター紹介図</ref>は、[[東京都]]{{efn2|[[練馬区]]月見台、あるいは[[田無市]]大字田無。詳細は[[野比のび太#住所|野比のび太]]を参照。なお、川崎市による「ドラえもん特別住民票」では、「神奈川県川崎市多摩区長尾2丁目8番1号」と記載されている<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0300V_T00C12A9CR0000/|title=ドラえもん、川崎市の特別住民に 「生誕前」100年記念|newspaper=日本経済新聞|date=2012-09-03|accessdate=2016-03-20}}</ref>。}}に住む8月7日生まれ{{efn2|「ぼくの生まれた日」の雑誌での初出(『小学四年生』1972年8月号掲載)では、生年は1962年とされており、てんとう虫コミックスで単行本化される際に「1964年」に変更された。藤子不二雄ランドの単行本では「10年前」とされ、藤子・F・不二雄自選集でもその設定は引き継がれた。}}の小学4年生(もしくは5年生){{efn2|漫画では4年生(雑誌掲載時は雑誌ごとに学年が異なっていた)、アニメ版では5年生。}}の野比のび太が主人公とされていたが、作者自身により副主人公に改められた{{efn2|作者は1989年の講演([http://dora-world.com/yojigen/int0211_f.html インタビューチャンネル] ドラえもんチャンネル)にて、「(この作品の)副主人公」と語っている。アニメ版ではキャスト紹介でドラえもんが1番目、のび太は2番目であり、字幕もドラえもんが主人公を表す黄色で、のび太は準主人公を表す水色。}})。
 
=== 登場人物 ===
{{main|ドラえもんの登場人物一覧}}
作者によれば、のび太のモデルは、少年時代の作者自身である{{efn2|ただし学童疎開体験については時代設定の関係上父親ののび助の体験として描いている。}}。作者の少年時代は、運動能力が低く、いつも漫画を描いていたらしい<ref>[http://dora-world.com/yojigen/int0211_f.html ドラえもん公式サイト インタビューチャンネル 藤子・F・不二雄先生]{{リンク切れ|date=2020年5月}}</ref>。
 
他の登場人物も[[高岡市]]で過ごした少年時代の人間関係をモデルにしているという。藤子・F・不二雄の少年時代の友人の間では「ジャイアンのモデル」と目されている者もいるとのこと<ref>テレビ朝日系『ドラえもん誕生物語 藤子・F・不二雄からの手紙〜』2006年2月19日放送</ref>。藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}の自伝的漫画である「[[まんが道]]」の少年時代編においても、番長格の少年が登場する。さらに、しずかについては作者の理想の女性を描いたものだとする説がある<ref>[http://www3.u-toyama.ac.jp/doraemon/submit/repo_113.html しずかちゃんのモデルはヘップバーン?!]、横山泰行(2004年、10月6日)。初出は[[朝日新聞]]2006年4月1日朝刊。</ref>。
 
不思議な力を持つ主人公と、平凡で目立たない準主人公の少年に加えて、「紅一点のマドンナ」「体が大きく腕っ節の強い乱暴者のガキ大将」「家が裕福で見栄っぱりのずるがしこい少年(ごく稀に少女)」の三者が必ず登場するのは、『キテレツ大百科』『オバケのQ太郎』『チンプイ』などの藤子マンガに共通する、いわば“王道”のパターンである。
 
=== 舞台設定 ===
作品の舞台となる、ドラえもんやのび太たちが住む[[町]]は、「[[東京都]][[練馬区]]月見台すすきヶ原」という町である<ref name="fukayomi" /><ref>第15巻収録「不幸の手紙同好会」、第24巻収録「虹谷ユメ子さん」</ref>。「多奈川」という大きな[[川]]が流れている<ref name="fukayomi" /><ref>大長編「のび太と竜の騎士」ほか</ref>。都内ではあるが、まだ裏山や空き地が開発されずに残されており、主人公たちの遊び場になっている(作者が少年時代を過ごした富山県高岡市の影響ともされる<ref name="rokarutya">[http://www.info-toyama.com/loculture/vol05/page04.html ロカるちゃvol5](社団法人富山観光連盟発行の印刷物)</ref>)。
 
大長編では、地球上で絶滅した[[恐竜]]が地底では生き残っていて、[[ディノサウロイド|恐竜人]]に進化したものが文明を築いていたことが判明する。また地球には他にも人類以外の知的種族(アフリカ奥地の[[イヌ科]]種族、[[海底人]]、小人族など)や独自の発達を遂げた人類(海底に移住した[[ムー大陸]]人=[[龍宮]]、雲の上の天上人など)が一般の人類に知られず<ref group="注">22世紀生まれのドラえもんですら彼らのことを知らなかった様子。</ref> 存在し、[[宇宙]]には多種の[[地球外生命体]]も存在することが明かされた。また、この世界には複数の[[反地球]]が存在しており、一個はかつて学会で提唱されていたとおりの太陽の裏側のラグランジュポイントに存在し、22世紀では存在を知られている<ref>1980年TV放映の『のび太の夢の金メダル』より</ref>。もう一つは別の恒星系に、地形や人間の性別、性格などがすべてあべこべな反地球が存在している<ref>17巻収録「あべこべ惑星」より</ref>(ここで言う「反地球」は、一般的な反地球とは全く別のものである)。
 
; のび太の家
: ドラえもんとのび太とのび太の両親が住む[[住宅|家]]。のび太の部屋は、窓の下が玄関上の屋根に面しており、のび太は屋根の上で昼寝や日光浴などをすることもある<ref name="fukayomi" />([[野比のび太#のび太の家|のび太の家]]も参照)。稀にドラえもんもネコのように丸くなって昼寝をすることがある。野比家の持ち家ではなく(2階建てという、当時としては珍しい)[[借家]]<ref>コミックス第9巻「無人島のつくり方」より。玉子がのび太に小遣い減額を言い渡し、のび助にも「今月から家賃が上がり、お金が足りない」と節煙を求める描写がある</ref><ref>{{Cite web |title=『ドラえもん』のび太の家は“借家” 「一番の衝撃」「知らなかった」と驚きの声 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2215471/full/ |website=[[オリコン|ORICON NEWS]] |accessdate=2021-11-27}}</ref>。
; 空き地
: ドラえもんやのび太たちが住む町内にある[[空き地]]。[[土管]]が3本(稀に6本)、ピラミッド状に積み上げられており、ジャイアンが座る定位置になっている{{efn2|この土管は何度か破壊されたこともある。}}。子供たちが集まっておしゃべりしたり、野球をしたりと、子供たちの憩いの場となっている。のび太の幼少時、またのび太の父の小学生時代には木材が多く置かれていた。このことから単なる空き地ではなく、本来は材木を管理する企業が資材置き場として用いていた敷地の可能性が高い{{efn2|テレビアニメ第2作第2期「夢まくらのおじいさん」(2010年6月11日放送)では、敷地の奥にある倉庫には「石田材木」の看板が見える。テレビアニメ第2作第1期においても、空き地の奥に倉庫を配置することがしばしばあった。「ゆめの町、のび太ランド」の回では、空き地が資材置き場として使われており、子供たちが遊べないという設定になっている。『のび太の日本誕生』ではこの空き地の地主(声 - 田口昂)が登場し、不動産会社が3億円で買い取ろうとしていた。}}。また、空き地の所有者も確認できる。ジャイアンの[[リサイタル]]は、ここで開かれることが多い。この空き地は、日頃から自由に使えるようになっていて、原作やテレビアニメの中でも度々登場する。さらに、空き地で不発弾が確認されたこともあった。
; 学校の裏山
: 小学校の裏にある小山で、のび太の憩いのスポット。山の頂上には「千年杉」と呼ばれる木がそびえ立つ<ref>第26巻収録「タイムカプセル」、第28巻収録「大ピンチ!スネ夫の答案」など</ref>。モデルは少年時代の作者が息抜きに通っていた[[高岡城#高岡古城公園|高岡古城公園]]ともされ、開発が及んでいない緑豊かな土地である<ref name="rokarutya" />。近辺の崖からは、新種の[[三葉虫]]<ref>第11巻収録「化石大発見!」</ref> や大型肉食[[恐竜]]の化石<ref>『ドラえもん+』第2巻収録「全体復元液」</ref> が発掘されている。団地の建設で一部掘り崩されたり<ref>第33巻収録「さらばキー坊」</ref>、宅地開発の対象になったり<ref>『大長編ドラえもん のび太の日本誕生』</ref>、ゴルフ場建設が計画されたり<ref>『大長編ドラえもん のび太とアニマル惑星』</ref> など、造成の対象にもされており、25年後には頂上にヒルトップマンションという名前のマンションが建設され、千年杉は姿を消している<ref>第26巻収録「タイムカプセル」</ref>。
; 未来の世界
: ドラえもんが生まれた時代。22世紀(連載初期は21世紀となっていた{{efn2|藤子・F・不二雄大全集第1巻収録「未来から来たドラえもん」(『小学二年生』1970年1月号)では、ドラえもんが「[[2081年|百十一年あと]]のせかい」から来たと発言している。また、連載初期の話の初出時は「21世紀」をドラえもんが来た未来とするセリフがいくつか散見され、単行本収録時にも初期の版では「21世紀」のままになっている話(第1巻収録「古道具きょう争」「走れ!ウマタケ」、第2巻収録「オオカミ一家」、第7巻収録「好きでたまらニャい」「ネズミとばくだん」「エスパーぼうし」)がある。後の版で全て「22世紀」に変更された。}})。[[天気]]は[[気象庁]]で制御しており、農作物や経済の動向などをふまえた上で厳正に決めている<ref name="fukayomi" /><ref>第12巻収録「天気決定表」</ref>。[[台風]]は上陸する前に消滅させている<ref name="fukayomi" /><ref>第41巻収録「野比家は三十階」</ref>。タイムマシンが普及しており、時間旅行をする際のルールとして「航時法」という法律が制定されている。24世紀には、航時法の違反を取り締まる組織「[[タイムパトロール (藤子・F・不二雄)|タイムパトロール]]」(略称:時警)の本部がある<ref name="fukayomi" />。
 
=== 時代設定 ===
275 ⟶ 231行目:
「してない貯金を使う法」(第4巻第8話)では1960年代に[[丸井]]が日本で初めて導入した[[割賦販売]]が、「[[割賦販売|月ぷ]]」(月賦)という表現で登場し、父と叔父のやり取りを見ていたのび太が「これこそ現代人の生き方」と評している。公共交通機関を利用する事もない(第2巻第13話「[[地下鉄]]をつくっちゃえ」で夕方のラッシュに巻き込まれて辟易するシーンが一度出てくるのみ)。
 
また、ドラえもんでは、作品中においてその年代について言及される場面が何度かある。「竜宮城の八日間」(第25巻収録)では、タイムマシンが見当たらず現代へ帰れないと思い込んだのび太が、話を聞いてきた警察官に「1980年にもどる道をおまわりさんに聞いてもむだだろうね」と言っている。「りっぱなパパになるぞ!」(第16巻収録)では、のび太としずかが結婚してマンションに住み、息子のノビスケがのび太くらいの年齢となった近未来が2002年とされている。「白ゆりのような女の子」(第3巻収録)では、のび太の父親であるのび助についての戦時中における[[学童疎開]]の話がある(当時10歳前後であるとすると[[焼け跡世代]])。しかし、テレビアニメ第2作第1期「タイムマシンでお正月{{efn2|1980年1月1日放送}}」では、1940年生まれという設定となっている。また、「ハリーのしっぽ」(第33巻収録)ではハレー彗星接近の前年で、現在は1985年となっているが、[[西新宿]]や[[サンシャインシティ]]といった現在首都圏内でよく見られる高層ビル街はほとんど描かれない{{efn2|日本初の高層ビル・[[霞ヶ関ビル]]ができたのが1968年、西新宿での第1号・[[京王プラザホテル]]ができたのが1971年。}}。「ママのダイヤを盗み出せ」(第7巻収録)では、母親である玉子の少女時代は1948年とされている。しかし、テレビアニメ第2作第2期「ママのダイヤを盗み出せ{{efn2|2007年8月17日放送}}」では、玉子の7歳の時代が松田聖子がデビューして間もない1980年代初めになっている。
 
藤子・F・不二雄自身の中にある設定について、『ドラえもん』の数年前として『[[パーマン]]』{{efn2|第19巻収録「影とりプロジェクター」でそれを示唆する記述があり、第24巻「めだちライトで人気者」で明確となる。}}、ほぼ同時期の設定として『[[オバケのQ太郎]]』『[[エスパー魔美]]』『[[ウメ星デンカ]]<ref>第32巻収録「なんでも空港」</ref>』など、数十年後として『[[21エモン]]<ref>第32巻収録「オンボロ旅館をたて直せ」</ref>』などがある。
 
== 出版物作品の受容 ==
自他ともに認める作者の代表作であり、[[日本の漫画]]を代表する作品として、国際的にも知られている。1996年9月23日に本作を執筆中に藤子・F・不二雄が逝去した際、「代表作であり、同時にライフワークであった」とも関係者・読者に再認識させた一方、作者存命中に本作が爆発的なヒットをしたことで、本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディア・おもちゃなどのグッズが巨大産業化してしまい、作者は本作にかかりっきりの慢性多忙状態となってしまっていた。このため、それまで定期的に発表していた短編の仕事を引き受けることができなかったり、『[[エスパー魔美]]』の連載が不可能になるなどの弊害も生じた。
 
=== 掲載誌知名度の推移 ===
[[藤子・F・不二雄]]は「[[オバケのQ太郎]]」([[藤子不二雄A]]との合作)以降、「[[パーマン]]」「[[ウメ星デンカ]]」を小学館の学習雑誌および『[[週刊少年サンデー]]』に連載しており、本作はそれを引き継ぐ形で学習雑誌に連載された。しかし、「ウメ星デンカ」までは存在した『週刊少年サンデー』での連載は見送られた。計6誌に連載されていたにもかかわらず、当初はあまり注目されていなかったという<ref name="doracarte"/>。1973年に[[ドラえもん (1973年のテレビアニメ)|最初のテレビアニメ化]]が[[日本テレビ放送網]]で行われたが、制作会社[[日本テレビ動画]]の解散により半年で終了。その翌年3月には、最終回として「さようならドラえもん」が描かれたが、翌月には「帰ってきたドラえもん」が掲載され、連載は続行される。{{see|ドラえもんの最終回}}
いずれも小学館からの発行。
* 『よいこ』
** 1970年1月号 - 1971年4月号、1972年10、11月号、1973年2月号 - 10月号
* 『幼稚園』
** 1970年1月号 - 1971年3月号、1972年10月号、1973年3月号 - 12月号
* 『小学一年生』
** 1970年1月号 - 1974年3月号、1975年3月号、1975年9月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号、1990年4月号
* 『小学二年生』
** 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号
* 『小学三年生』
** 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年1月号 - 5月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年3、4月号、(1994年7月号 - 9月号{{efn2|『小四』『小五』と同時掲載。}})
* 『小学四年生』
** 1970年4月号 - 1986年7月号、1987年4、5月号、1988年6月号 - 1990年11月号、1991年1月号、(1991年3、4月号{{efn2|『小三』と同時掲載。}})、(1994年7月号 - 9月号{{efn2|『小三』『小五』と同時掲載。}})
* 『小学五年生』
** 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年2月号(1994年7月号 - 9月号{{efn2|『小三』『小四』と同時掲載。}})
* 『小学六年生』
** 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、(1989年4月号 - 1990年12月号)、(1991年2月号{{efn2|『小五』と同時掲載。}})
* 『てれびくん』小学館
** 1976年12月号 - 1977年8月号、1979年5月号 - 1983年3月号
* 『小学館BOOK』→『小学生ブック』
** 1974年1月号 - 3月号、5月号 - 9月号
* 『別冊少年サンデー』
** 1973年6月号 - 1974年3月号(全10回、すべて学年雑誌の再録)
* 『増刊少年サンデー』
** 1975年9月5日号、1976年6月15日号、8月10日号、9月10日号
* 『月刊コロコロコミック』
** 1979年8、9月号、1980年1月号 - 3月号、9月号 - 1981年2月号、9月号 - 1982年2月号、8月号 - 1983年2月号、9月号 - 1984年2月号、7月号 - 1985年1月号、8月号 - 1986年1月号、11月号 - 1987年3月号、1988年10月号 - 1989年3月号、10月号 - 1990年3月号、9月号 - 1991年2月号、10月号 - 1992年3月号、9月号 - 12月号、1993年2、3月号、9月号 - 12月号、1994年2、3月号、9月号 - 11月号、1995年1月号 - 3月号、9月号 - 1996年2月号、9、10、12月号 - 1997年3月号
* 『ドラえもんクラブ』
** 第2号(1994年5月1日)
連載期間については米沢(2002年)による。なお、雑誌の号数による表記のため、実際の発売月とは1か月ずれるので注意が必要。また、『月刊コロコロコミック』2002年4月号から「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と題して再掲載されている(ただし毎年1月号から3月号は映画の漫画版が掲載されるため休載となる)。
 
その後、1974年夏から当初は全6巻だけでの予定で刊行開始された単行本(てんとう虫コミックス)が小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には『コロコロコミック』が創刊(当初のコロコロコミックはほとんどドラえもん一色の内容であった)され、人気・知名度もさらに上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた<ref>『ドラえ本』第1号</ref>。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画化作品もヒットを記録し、社会現象のような状況となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した<ref>山口康男『日本のアニメ全史―世界を制した日本アニメの奇跡』(テンブックス、2004年、{{ISBN2|4-88696-011-1}})p.118</ref>。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は'''約2億5000万部'''を<ref>{{Cite news |url=https://www.sanspo.com/article/20191127-4ULPPKAK3ZN35IXMWNAVOMSZ3A/ |title=ドラえもん、誕生50周年にビックリ新刊!「第0巻」27日発売 |newspaper=サンスポ |date=2019-11-27 |accessdate=2022-03-12}}</ref>、2020年時点で全世界累計発行部数は'''3億部'''をそれぞれ記録している<ref>全協・出版科学研究所「出版月報」、2020年度時点。</ref>。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど<ref>{{Cite web|url=https://www.oricon.co.jp/news/2149517/full/|title=『ドラえもん』第1巻、異例の45年間毎年重版 5.4ヶ月ペースで小学館作品の刷り数&発行部数1位|accessdate=2019年11月26日|publisher=オリコン(2019年11月26日作成)}}</ref>、小学館を代表する作品となっている。
 
[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|1979年からのアニメ版]]も安定した人気を維持し長寿番組化。放送している[[テレビ朝日]]は、同社(およびANN系列局)の実質的な[[マスコットキャラクター]]として扱っており、さまざまな番組・広報誌などでドラえもんの意匠を使用している。2011年5月にテレビ朝日公式イメージキャラクター「[[ゴーちゃん。]]」が登場した後も関わりは深く、災害発生時の募金活動では「[[ドラえもん募金]]」と名前が冠されている。
 
高い知名度から、教育分野にも広く浸透している。小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが登場しているほか、[[千葉大学]]の入試問題で「『ドラえもん』の道具を一つ選んでそれが実現可能かどうか検討せよ」という内容の小論文が課されたり、2006年の[[武蔵野美術大学]]の入学試験において「『ドラえもん』を幾何図形を用いて再デザインせよ」といった問題が出たりしたことがある。
 
2002年には、『[[タイム (雑誌)|タイム]]』アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された<ref>[http://www.time.com/time/asia/features/heroes/doraemon.html Asian Heroes - Doraemon] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20020424103757/http://www.time.com/time/asia/features/heroes/doraemon.html |date=2002年4月24日 }}、TIMEasia.com</ref>。『[[日経エンタテインメント!]]』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。
 
=== 著名人や世間からの評価 ===
漫画家の[[小林よしのり]]は、『ドラえもん』は子供たちにとっての基礎であり、『コロコロ』にはずっと載っていなければならない漫画だと語っている<ref>『リラックス』2003年4月号</ref>。
 
作家の[[瀬名秀明]]はエッセイ『おとぎの国の科学』において、「私は物語の基礎を『ドラえもん』と『コロコロコミック』から学んだ」と述べ、自らの小説『八月の博物館』は「藤子・F・不二雄先生を真似ることで自分のルーツを探ろうと思って書いた」と述べている。
 
また、[[辻村深月]]は『ドラえもん』を「私のオールタイムベストテン」の筆頭に挙げており<ref>『本の雑誌』2009年8月特大号</ref>、『ドラえもん』をテーマの1つにした小説『凍りのくじら』を発表している。『ドラえもん』に関するコラムも雑誌などに執筆している<ref>『Quick Japan』vol.64など</ref>。
 
作品論としては、『ドラえもん』と童話の関連性を指摘したものがある<ref>南博編(1981年)渋谷重光による論評</ref>。[[島田裕巳]]は、「特殊な能力を与えられた人間がそれを乱用し、最後にそのむくいを受けるというパターンは世界の伝統的なおとぎ話のパターンであり、それを取り入れることで長い間人気を保ってきた」と分析している<ref>島田「漂流する現代の宗教―ドラえもんという神は若者を救うのか」『エコノミスト』1992年3月31日号、p91</ref>。
 
漫画評論家の[[米澤嘉博]]は、「ひみつ道具」を主軸にして作られる『ドラえもん』の作劇を「マンガにおける一つの発明」と評価している。「スイッチを入れればちょっと不思議な困った出来事、あるいは楽しい出来事が起こり、都合のいい形で停止させれば、日常はまた戻ってくる。「道具」というアイデア、システムによってパターン的な語り口が開発されたのである。事件が起こるのを待つことはないし、誰か訪ねたり、どこかに行ったりする必要なく、日常は途端にワンダーランドに変わる」と述べ、ショートストーリーの作劇にとって「ひみつ道具」というモチーフほど便利なものはないと分析している<ref>『藤子不二雄論』河出書房新社 P174</ref>。
 
=== 著名なファン ===
*[[木村拓哉]]
**「[[ドラえもん のび太の新恐竜]]」にゲスト声優として出演する際、子供の頃からドラえもんが好きだったことをインタビューで明かしている<ref>{{Cite web |url= https://dora-world.com/2020movie_kimura/cont001_1|title= ドラえもん のび太の新恐竜 木村拓哉スペシャルインタビュー 前編|publisher= ドラえもんチャンネル|accessdate=2021-4-11}}</ref><ref>{{Cite web |url= https://dora-world.com/2020movie_kimura/cont002_1|title= ドラえもん のび太の新恐竜 木村拓哉スペシャルインタビュー 後編|publisher= ドラえもんチャンネル|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[渡辺直美]]
**「[[ドラえもん のび太の新恐竜]]」にゲスト声優として出演する際、子供の頃からドラえもんが好きだったことをインタビューで明かしている<ref>{{Cite web |url= https://dora-world.com/2020movie_watanabe/cont002_1|title= ドラえもん のび太の新恐竜 渡辺直美スペシャルインタビュー 後編|publisher= ドラえもんチャンネル|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[桜井和寿]] ([[Mr.Children]])
**「[[ドラえもん のび太の新恐竜]]」の主題歌にMr.Childrenの楽曲がW主題歌として起用された時、ドラえもん愛溢れるコメントを発表し<ref>{{Cite web |url= https://doraeiga.com/2020/song/|title= ドラえもん のび太の新恐竜 主題歌|publisher= |accessdate=2021-4-11}}</ref>、小さい頃からのドラえもんファンであることを公言している。
*[[安住紳一郎]]([[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー)
**「ドラえもんのことなら誰にも負けない」と語る。
*[[常田真太郎]](ミュージシャン、「[[スキマスイッチ]]」コーラス&キーボーディスト)
**子供のころからのファンで、自身の音楽ユニット「スキマスイッチ」で「[[ドラえもん のび太の恐竜2006]]」の主題歌「[[ボクノート]]」を担当した際は喜んだという。
*[[BUMP OF CHICKEN]](オルタナティヴ・ロックバンド)
**メンバー全員が大ファンで、「[[ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜]]」の主題歌「[[友達の唄 (BUMP OF CHICKENの曲)|友達の唄]]」のオファーを受ける前年のクリスマス・パーティで、メンバー全員揃って「[[ドラえもん のび太と鉄人兵団|鉄人兵団]]」を鑑賞し、改めてその内容の素晴らしさを語り合ったという。
*[[星野源]]([[音楽家]]、[[俳優]])
**ドラえもんの大ファンと自認。「[[ドラえもん のび太の宝島]]」の主題歌として書き下ろした楽曲の名も「[[ドラえもん (星野源の曲)|ドラえもん]]」であり、この楽曲には作者の言葉や登場人物を彷彿とさせる歌詞、さらには「[[ぼくドラえもん]]」のメロディーが盛り込まれている。2019年にテレビアニメの主題歌に採用された。
*[[千原兄弟]]([[お笑い芸人]])
**2人とも『ドラえもん』について造詣が深く、雑誌の『ぼく、ドラえもん』で思い入れを語ったり、『[[雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!|アメトーーク]]』などドラえもんが特集されたテレビ番組に出演している<ref name="ametalk2007"/>。また、メンバーの[[千原ジュニア]]は、[[藤子・F・不二雄大全集]]の3巻で解説を書いている。
*[[柴田理恵]](女優、タレント)
**「あれほど素晴らしいアニメはない」と絶賛するほどのファンで『アメトーーク』などドラえもん芸人の回に出演している<ref name="ametalk2007">{{Cite web |url= https://wws.tv-asahi.co.jp/ametalk/backnumber/0217/|title= アメトーーク ドラえもん芸人|publisher= tv asahi|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[浅野温子]](女優)
**声優を一新した際にドラえもんが好きすぎて、ドラえもん役のオーディションに参加したほどのファン<ref>{{Cite web |url= https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20130713_76057/|title= 浅野温子、ドラえもん声優オーディションの最終選考に残っていた。|publisher= エキサイトニュース|date=2013-07-13|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[織田信成 (フィギュアスケート選手)|織田信成]](元フィギュアスケーター)
**子供のころからドラえもんのファンで、家族と毎週楽しんでみているという。テレビアニメの2016年12月9日放送回には本人役で登場し<ref>{{Cite web |url= https://www.oricon.co.jp/news/2082719/|title= 織田信成、『ドラえもん』に本人役で登場&ダンスも披露|publisher= ORICON NEWS|date=2016-12-08|accessdate=2021-4-11}}</ref>、2017年公開の[[ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険]]ではゲスト声優として出演した<ref>{{Cite web |url= https://natalie.mu/eiga/news/207186|title= 「映画ドラえもん」最新作に織田信成と浅田舞がゲスト出演、パオパオに息吹き込む|publisher= 映画ナタリー|date=2016-10-28|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[HIKAKIN]]([[YouTuber]]、[[ヒューマンビートボックス|ヒューマンビートボクサー]])
**大ファンであることを自身の動画内で公言している。「[[ドラえもん のび太の宇宙英雄記|のび太の宇宙英雄記]]」公開時には正式なタイアップ動画が製作された。
*[[高橋茂雄]]([[芸人]]、[[タレント]])
**アニメ内で(スネ夫としげお<ref>{{Cite web |url= https://www.tv-asahi.co.jp/doraemon/news/0364/|title= 今日から新コーナー『スネ夫としげお』がスタート!|publisher= tv asahi|date=2019-10-05|accessdate=2021-4-11}}</ref>)というコーナーが組まれるほどの大ファン。番組のコーナーで行われたドラえもんクイズに全問正解するほどの実力を持っている。
*[[バカリズム]](お笑い芸人)
**[[テレビ朝日]]の番組『[[雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!|アメトーーク!]]』のドラえもん芸人に出演している<ref>{{Cite web |url= https://www.tv-asahi.co.jp/ametalk/backnumber/0684/|title= アメトーーク ドラえもん芸人|publisher= tv asahi|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
 
== 出版物 ==
=== 単行本 ===
本節では『ドラえもん』の各単行本の概説を記載する。『大長編ドラえもん』については[[大長編ドラえもん#単行本|「大長編ドラえもん#単行本」]]を、各単行本の書誌情報については[[#書誌情報|「#書誌情報」]]を参照。
321 ⟶ 299行目:
; 〈[[てんとう虫コミックス]]〉全46巻(1 - 45巻・0巻)
: 1974年 - 1996年、2019年
: 1 - 45巻は計821話収録(45巻「ガラパ星からきた男」は1話として計上)<ref>『[http://knol.google.com/k/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93-knol-%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-%E7%9B%AE%E6%AC%A1#/ ドラえもんKnol (ドラペディア)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100119032616/http://knol.google.com/k/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93-knol-%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-%E7%9B%AE%E6%AC%A1 |date=2010年1月19日 }}』にて、[[横山泰行]]による調査。</ref>、0巻は9話を収録。収録されている作品は、0巻を除き藤子・F・不二雄が自ら選抜した作品である。ただし、雑誌掲載時の各話のページ数が異なって単行本一冊の規定量に必ずしもきれいに収まらないことから、余りのページ分を利用して加筆修正や書き足りなかったコマを補っており、ゆえに巻末にある広告ページが存在しない<ref>藤子・F・不二雄ワンダーランド ぼくドラえもん 06</ref>。タケコプターの旧名称「ヘリトンボ」や初版でそのままだった誤植・ミス、現代では不適切とされる表現も増刷のたびに修正されている。作品のタイトルも雑誌掲載時とは異なっているものが多く、単行本化に際して改題されたタイトルがそのままアニメ第2作のサブタイトルなどに反映されている。45巻の初版では「第46巻に続く」旨が巻末に表示されていたが、藤子・F・不二雄の死去により以降は発刊されず、重版からはこの表示は削除されている。このため、全45巻に収録されなかった作品、未収録作品が500話以上存在し、特に幼年誌「よいこ」「幼稚園」での掲載53作品はすべて未収録である。
: 『ドラえもん』開始時に学年誌の編集長をしていた井川浩によると、当初単行本化は予定されておらず、原稿料の値上要求に対する対案として提示されたものであった。しかし小学館社長が売れ行きを怪しみ承認が得られなかったため、社員に採点をさせて高評価の話だけを収録する形で社長を説得、最終的に第6巻までということで社長の承認を得る。このため、第6巻の最後には最終回のひとつである「さようなら、ドラえもん」が収録されている。しかし売れ行きが好調であったため、第7巻以降も続刊されることとなった<ref>この段落は、[[安藤健二]]「第一章 ポケットの中の悪夢 05「どん底」からの復活」『封印作品の憂鬱』洋泉社、2008年12月1日初版発行、{{ISBN2|978-4-86248-338-6}}、97-98頁 を参照。</ref>。中編「[[ドラえもん ガラパ星から来た男|ガラパ星から来た男]]」の連載終了後、同編を収録した第44.5巻が『[[月刊コロコロコミック]]』1994年9月号の別冊付録として発行されている。同編はその後「ガラパ星からきた男」に改題の上第45巻にも収録された。
: 2019年11月、小学館は23年ぶりの最新刊として『ドラえもん 0巻』を発売することを発表した。「ドラえもん」の連載50周年を記念して企画されたもので、1969年に連載がスタートした小学館の6つの雑誌(対象読者別に描き分けられた6種類)の第1話(基本の第1話は第1巻にも収録されている「小学四年生」1970年1月号掲載の「未来の国からはるばると」)や連載開始の前号に掲載した予告ページなどを収録する<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/news/2148320/full/ |title=漫画『ドラえもん』23年ぶり新刊12・1発売 全6種類の異なる第1話を完全収録 |accessdate=2019年11月26日 |publisher=オリコン(2019年11月8日作成)}}</ref>。当初は2019年12月1日の発売を予定していたが、同年11月27日から順次発売するとともに[[電子書籍]]よりも紙の[[単行本]]での予約が集まっているとして発売前としては異例となる重版も決定した<ref name=":0" /><ref>{{Cite web |url=https://www.fnn.jp/posts/00427933CX/201911262011_CX_CX |title=「ドラえもん」0巻発売へ 23年ぶり新刊 |accessdate=2019年11月26日 |publisher=フジテレビ(2019年11月26日作成)}}</ref><ref>『新刊「ドラえもん0巻」 故藤子・F・不二雄さん6誌の第1話収録 県内 きょうから販売』[[北日本新聞]] 2019年11月28日1面</ref>。
; 『[[ドラえもん プラス]]』〈てんとう虫コミックス〉既刊6巻
: 2005年 - 2006年、2014年
358 ⟶ 336行目:
: 第35巻までは初出掲載を基準に『てんとう虫コミックス』収録(計10作品{{efn2|「人間あやつり機」「のび太の恐竜」(短編)「ドンブラ粉」「宝さがしごっこセット」「悪の道を進め!」「あらかじめ日記はおそろしい」「おかしなおかしなかさ」「サンタえんとつ」「忘れものおくりとどけ機」「いたずらオモチャ化機」の計10作品は同誌に掲載されなかった。}}を除く第37巻までのほぼ全話)と未収録話を拾遺しながら掲載。第36巻以降は『てんとう虫コミックス』から収録した新編集となっていた。計832話収録(うち132話はてんとう虫コミックス単行本未収録。そのうち、プラス、カラー作品集で計47話収録。なお、後述の『藤子・F・不二雄大全集』ではFFランド掲載分も単行本収録扱いである)。また、自選集の一部作品で行われた描き足し作品は、それを収録作品に採用している。本シリーズはどの作品も巻頭にアニメセル画が付いており、巻末には読者のおたより感想文や特集・表題とは別の漫画作品が1話分だけ収録されているおまけコーナーがあり、『ドラえもん』の巻末おまけコーナーでは『[[ウルトラB]]』か『[[チンプイ]]』が掲載されているものが多く、『チンプイ』はこの巻末付録から連載が始まった。なお、ドラえもん単行本とは別冊であるがFFランドスペシャルには初期連載作品、「愛妻ジャイ子!?」「のび太が強くなる」が収録されている。現在絶版。
; 『SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS Doraemon』既刊10巻
: 2002年 - 刊行中<ref>[http://www.shogakukan.co.jp/dora_comics/ 小学館:イングリッシュ コミックス ドラえもん] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20041030045333/http://www.shogakukan.co.jp/dora_comics/ |date=2004年10月30日 }}</ref>
; 『SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS AUDIO版 DORAEMON』既刊2巻
: 2009年 - 刊行中
401 ⟶ 379行目:
 
ひみつ道具を扱う書籍については「[[ひみつ道具#事典の出版]]」を参照。
 
=== ドラえもん文庫 ===
2004年に、すべての作品を収蔵した「ドラえもん文庫」が開設された。作者の出身地で知られる[[富山県]][[高岡市]]の[[高岡駅]]前再開発ビル「ウイング・ウイング」内の高岡市立中央図書館の「ドラえもんコーナー」と、[[富山大学]]横山研究室である。これはドラえもん研究で知られる富山大学の[[横山泰行]]教授が、収集した単行本計671冊を寄贈、図書館側も協力して実現した。
 
収集家の間でも入手困難とされる、[[てんとう虫コミックス]][[初版]]初刷の単行本第1巻から第10巻を含む全45巻を所蔵している。
 
雑誌のフルカラーのコピーも所蔵している。書籍の内容は、当時連載していた小学館の学年誌などの雑誌に掲載されていた全作品を原寸大で複写し、フルカラー作品はすべてフルカラーで複写して、それを製本化して収めたものである。
 
== 海外展開 ==
[[ファイル:Doraemon da Arena Suzano-SP.jpg|thumb]]
[[ファイル:DoraemonTruckInJapan.jpg|thumb|ドラえもんと[[貨物自動車]]]]
 
『ドラえもん』は漫画・アニメともに日本国外にも翻訳紹介され、特に[[アジア]]圏を中心に人気作品となっている。
{{See also|[[:en:List of non-Japanese Doraemon versions]]}}
日本国外の作品タイトルの表記は普通英語で「{{Lang|en|Doraemon}}」となるが、原作の「ドラえもん」というカタカナ・ひらがなの混ぜ書きを再現するために、[[ラテン文字|アルファベット]]の大文字と小文字を併用して「{{Lang|en|DORAemon}}」などと表記されることもある。中国、香港、台湾、マレーシアなどの中国語表記は、長らく「{{lang|zh|叮噹}}」(香港)(叮噹は銅鑼ドラの鳴る音の中国語の擬音語)、「{{lang|zh|小叮噹}}」(台湾)(「叮噹」の前に「小」を付けた言葉)、「{{lang|zh|机器猫}}」(中国)(ロボットの猫という意味)などとなっていたが、1997年以降の正規出版物は原音に近い発音の「{{lang|zh|哆啦A夢}}」(台湾){{efn2|読みは「'''ドゥオラAモン'''」({{ピン音|duō la A mèng}})。}}、「{{lang|zh|哆啦A梦}}」(中国)、「{{lang|zh|多啦A夢}}」(香港)に変更されている。韓国語表記は「{{lang|ko|도라에몽}}」{{efn2|読みは「'''トラエモン'''」(韓国語は語頭の {{IPA|d}} が {{IPA|t}} に変化するため)。}}となる。南アジアでは英文表記では「{{Lang|en|Doraemon}}」だが、ヒンディー語表記は「{{lang|hi|डोरेमोन}} (doremon)」、ベンガル語表記は「{{lang|bn|ডোরেমন}} (doremon)」となる。スペインでは「{{Lang|es|Doraemon el gato cósmico}}」(宇宙ネコ・ドラえもん)、アメリカでは「{{Lang|en|Doraemon Gadget Cat from the Future}}」{{efn2|この枕詞は日本で発行している『SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS Doraemon』のタイトルにも使われている。}}(未来から来た小道具使いの猫ドラえもん)と国によっては原作にはない独自の枕詞が付けられることがある。
 
=== 漫画の出版 ===
原作の漫画が出版された国および地域は、[[中国]]、[[香港]]、[[台湾]]、[[韓国]]、[[ベトナム]]、[[フィリピン]]、[[マレーシア]]、[[シンガポール]]、[[タイ王国|タイ]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]、[[インドネシア]]、[[キプロス]]、[[イタリア]]、[[スペイン]]、[[フランス]]、[[ロシア]]である。各国のコミック雑誌(台湾青文社「HAPPY DRAGON 快樂龍」など)にも連載されている。また、海賊版は東南アジアで広く見られる。
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カナダ]]では、2013年11月より[[電子書籍]]として配信されている([[アメリカンコミック]]調に彩色を施し、登場人物に愛称を付けている)<ref>[http://www.asahi.com/articles/TKY201311220085.html 頼りないのび太、ウケる? ドラえもん電子書籍で米進出] 朝日新聞 2013年11月22日</ref>。
 
1970年代には既に香港・台湾で[[中国語]]の海賊版が出版されており、日本文化が当時解放されていなかった韓国でも海賊版が『[[トンチャモン]]』というタイトルで出版された。そのため韓国や中国などでは、過去に日本の本家『ドラえもん』の方がコピーと誤解されたこともあった<ref>藤子・F・不二雄ワンダーランド ぼくドラえもん 09</ref>。
 
ベトナムでは正規版の出版以前に海賊版が1000万部以上売り上げており、1994年に正規版を出版するにあたって、それまで原作者に本来受け取るべき[[印税]](日本円で2000万円相当)を支払いたいと申し出たが、藤子・F・不二雄が「このお金を基にして現地の子供たちのために役立ててほしい」と希望したため、貧困家庭の就学希望児童を支援する「ベトナムの子供たちのためのドラえもん教育基金」が設立された<ref name="sekai" /><ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/child/980805dai4.html 子どもの未来と世界について考える懇談会]</ref>。藤子・F・不二雄はそれに合わせてベトナムを訪問している。
 
多言語社会であるスペインでは、[[スペイン語]](カスティーリャ語)や[[カタルーニャ語]]など5言語で出版された。
 
=== アニメーションの放映 ===
アニメーションはこれまで、北米([[アメリカ合衆国]]、[[カナダ]])、中南米([[ブラジル]]、[[コロンビア]]、[[チリ]]、[[アルゼンチン]]、[[エクアドル]]、[[ボリビア]]、[[ペルー]]、[[パラグアイ]]、[[ベネズエラ]]、[[パナマ]]、[[メキシコ]]、[[プエルトリコ]]、[[キューバ]]、[[ドミニカ共和国]]、[[ニカラグア]]、[[コスタリカ]]、[[ホンジュラス]]、[[エルサルバドル]])、[[ヨーロッパ]]([[スペイン]]、[[イタリア]]、[[フランス]]、[[ポルトガル]]、[[ポーランド]]、[[ベラルーシ]]、[[ロシア]]、[[イギリス]])、中東([[サウジアラビア]]、[[カタール]]、[[アラブ首長国連邦|UAE]]、[[オマーン]]、[[エルサレム]]、[[イスラエル]]、[[トルコ]])、アフリカ([[アルジェリア]]、[[リビア]]、[[チュニジア]])、[[東アジア]]([[中華人民共和国|中国]]、[[香港]]、[[マカオ]]、[[台湾]]、[[大韓民国|韓国]])、[[東南アジア]]([[インドネシア]]、[[マレーシア]]、[[タイ王国]]、[[ベトナム]]、[[フィリピン]]、[[シンガポール]]、[[カンボジア]])、[[南アジア]]([[インド]]、[[バングラデシュ]]、[[ブータン]]、[[ネパール]]、[[パキスタン]])、[[オセアニア]]([[オーストラリア]])でも放送された(2017年3月現在、オーストラリア、カナダ、ポーランド、イギリス、パキスタンでは放送されていない)。
 
[[木村純一]]プロデューサー(1998年当時)によると、東南アジアでのテレビアニメの放送は視聴率が70パーセントを超えることもあるという<ref>「テレビ秋の陣 地上波の模索(下) アニメバブル 長持ちソフト期待」『[[朝日新聞]]』1998年10月2日夕刊、11面。</ref>。東南アジア諸国では、[[野比玉子|ママ]]がドラえもんの道具でやり込められると子供が大喜びする<ref name="doracarte" /> という特徴も見られる。
 
アメリカ合衆国では、1985年に[[CNN]]の[[テッド・ターナー]]が50話分の放映権契約を結んだものの長らく放映が実現しなかったが<ref>[[横山泰行]]『ドラえもん学』(PHP研究所、2005年)120頁</ref>、2014年より[[ディズニー]]の子供向けチャンネル[[ディズニーXD]]で放送が始まった<ref>[http://www.doraemon.com/ 米国版公式サイト]</ref>。このアメリカ放送版は、単なる吹き替え版ではなく現地の文化や生活習慣に合わせて様々な変更を加えられた[[ローカライゼーション|ローカライズ版]]であり、舞台をアメリカの架空の街に移し登場人物名も英語名風にするなどアメリカの視聴者になじみやすいように設定に改変を加え、フィクション作品の中でも健康的な食生活を推進するという規則に従ってのび太が食べるおやつがフルーツになるなど、アメリカの子供番組の放映基準に合わせた細かな画像の加工や差し替えも行われている。日本では2014年7月から8月にかけて行われたイベント『テレビ朝日・六本木ヒルズ夏祭り SUMMER STATION』にて日本語字幕版として初公開上映<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2040257/full/ アメリカ版『ドラえもん』日本初上映 六本木で8・1から10日連続] - ORICON STYLE 2014年7月26日</ref> を経て、2016年2月1日から[[ディズニー・チャンネル]]にて『Doraemon』のタイトルで日本語吹き替え版の放送を開始した。
 
スペインでは、上述の漫画版のように複数の言語で放送されて高い人気を得ている。2014年の9月から12月には94年の放映開始から20周年を記念して、視聴者参加型のアトラクション番組「[[:es:Doraemon Land|Doraemon Land]]」がシリーズで放映された<ref>[http://www.doraemonland.com/ 『Doraemon Land』公式サイト]</ref>。
 
=== 逸話 ===
[[台湾]]の[[歌手]][[周杰倫]]の[[アルバム]]『魔杰座』の[[シングル]][[ミュージック・ビデオ|PV]]「時光機」<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=nCfrfCzaB2A 时光机(周杰伦演唱的歌曲)]</ref> や、[[マレーシア]]の歌手四葉草のシングル「伸出圓手」<ref>[http://www.buzzhand.com/post_170396.html]{{リンク切れ|date=2017年9月|bot=InternetArchiveBot}}</ref> は、『ドラえもん』を題材にしている。
 
[[中国]]各地で2014年に開催された「ドラえもんの秘密道具展示会」は大盛況となり関連グッズも売れたが、[[産経新聞]]は9月末から10月始めにかけて複数の中国紙が「われわれの傷みをドラえもんでごまかされるな」などドラえもん批判を行ったとして、「掲載のタイミングが一致しておりいずれもメディアを管理する[[中国共産党|共産党]]宣伝部の指示を受けて執筆したものとみられる」「反日姿勢を強める共産党当局の逆鱗に触れたとみられる」と報じ、成都市共産党委員会機関紙でドラえもんが日本の文化大使や[[2020年東京オリンピック構想|2020年東京五輪招致]]の際の招致スペシャルアンバサダー(特別大使)を務めた(2013年4月5日 - 9月7日<ref>[https://tokyo2020.jp/jp/news/bid/20130405-01.html "ドラえもん" 東京2020オリンピック・パラリンピック招致スペシャルアンバサダーに就任] 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 2013年4月5日</ref>)ことなどに触れて「ドラえもんは国家としての価値観を輸出し、日本の文化戦略で重要な役割を果たす」「ドラえもんが善良な人たちの目に映る日本を象徴しているとすれば、侵略の歴史を隠し、国際的な緊張状態を招く安倍晋三政権もまた日本の真の姿だ」などの批判がされたというが、中国でもドラえもんの人気は高く、この官製メディアのドラえもん利用批判に対しても一般市民の反応は「「ドラえもんVS共産党宣伝部」というのをアニメでみたい」など冷やかだとした<ref>[http://www.sankei.com/premium/news/141113/prm1411130004-n1.html 【矢板明夫の目】中国共産党が『ドラえもん』を敵視する理由] 産経新聞 2014年11月13日</ref>。2015年5月、読売新聞によれば2012年の「[[ウルトラマン]]」シリーズ以来(同年には[[尖閣諸島]]国有化を巡って日中関係が悪化していた)、中国の一般映画館で上映される日本映画の新作としては3年ぶりに『[[STAND BY ME ドラえもん]]』が上映された<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/world/20150528-OYT1T50094.html 中国で「ドラえもん」3年ぶり日本映画新作上映 読売新聞web]</ref>。同年9月23日には中国[[淘宝網]]で『拜托了!小叮当』のタイトルで実写版が公開された<ref>[http://www.thenewslens.com/post/222981/ 真貓出演中國版《多啦A夢》 出品人「J.Ma」版權成疑] TNL香港編輯 2015年9月23日</ref>。また2016年9月より[[日本航空]]が中国路線を中心に[[ドラえもんジェット#JAL ドラえもんJET|JALドラえもんJET]]を運航している。
 
一般に、『ドラえもん』はアジア圏・南米圏で高い人気を得る一方で、欧米諸国では人気が奮わない場合が多い。このような傾向に関して漫画評論家の[[米澤嘉博]]は、「単に生活や風習の違いだけでは解釈することのできない、メンタルな部分がそこにはある」と述べている<ref>『藤子不二雄論』河出書房新社 P5</ref>。
 
== 著名人の評価・ファン ==
 
=== 著名人や世間からの評価 ===
漫画家の[[小林よしのり]]は、『ドラえもん』は子供たちにとっての基礎であり、『コロコロ』にはずっと載っていなければならない漫画だと語っている<ref>『リラックス』2003年4月号</ref>。
 
作家の[[瀬名秀明]]はエッセイ『おとぎの国の科学』において、「私は物語の基礎を『ドラえもん』と『コロコロコミック』から学んだ」と述べ、自らの小説『八月の博物館』は「藤子・F・不二雄先生を真似ることで自分のルーツを探ろうと思って書いた」と述べている。
 
また、[[辻村深月]]は『ドラえもん』を「私のオールタイムベストテン」の筆頭に挙げており<ref>『本の雑誌』2009年8月特大号</ref>、『ドラえもん』をテーマの1つにした小説『凍りのくじら』を発表している。『ドラえもん』に関するコラムも雑誌などに執筆している<ref>『Quick Japan』vol.64など</ref>。
 
作品論としては、『ドラえもん』と童話の関連性を指摘したものがある<ref>南博編(1981年)渋谷重光による論評</ref>。[[島田裕巳]]は、「特殊な能力を与えられた人間がそれを乱用し、最後にそのむくいを受けるというパターンは世界の伝統的なおとぎ話のパターンであり、それを取り入れることで長い間人気を保ってきた」と分析している<ref>島田「漂流する現代の宗教―ドラえもんという神は若者を救うのか」『エコノミスト』1992年3月31日号、p91</ref>。
 
漫画評論家の[[米澤嘉博]]は、「ひみつ道具」を主軸にして作られる『ドラえもん』の作劇を「マンガにおける一つの発明」と評価している。「スイッチを入れればちょっと不思議な困った出来事、あるいは楽しい出来事が起こり、都合のいい形で停止させれば、日常はまた戻ってくる。「道具」というアイデア、システムによってパターン的な語り口が開発されたのである。事件が起こるのを待つことはないし、誰か訪ねたり、どこかに行ったりする必要なく、日常は途端にワンダーランドに変わる」と述べ、ショートストーリーの作劇にとって「ひみつ道具」というモチーフほど便利なものはないと分析している<ref>『藤子不二雄論』河出書房新社 P174</ref>。
 
=== 著名なファン ===
*[[木村拓哉]]
**「[[ドラえもん のび太の新恐竜]]」にゲスト声優として出演する際、子供の頃からドラえもんが好きだったことをインタビューで明かしている<ref>{{Cite web |url= https://dora-world.com/2020movie_kimura/cont001_1|title= ドラえもん のび太の新恐竜 木村拓哉スペシャルインタビュー 前編|publisher= ドラえもんチャンネル|accessdate=2021-4-11}}</ref><ref>{{Cite web |url= https://dora-world.com/2020movie_kimura/cont002_1|title= ドラえもん のび太の新恐竜 木村拓哉スペシャルインタビュー 後編|publisher= ドラえもんチャンネル|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[渡辺直美]]
**「[[ドラえもん のび太の新恐竜]]」にゲスト声優として出演する際、子供の頃からドラえもんが好きだったことをインタビューで明かしている<ref>{{Cite web |url= https://dora-world.com/2020movie_watanabe/cont002_1|title= ドラえもん のび太の新恐竜 渡辺直美スペシャルインタビュー 後編|publisher= ドラえもんチャンネル|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[桜井和寿]] ([[Mr.Children]])
**「[[ドラえもん のび太の新恐竜]]」の主題歌にMr.Childrenの楽曲がW主題歌として起用された時、ドラえもん愛溢れるコメントを発表し<ref>{{Cite web |url= https://doraeiga.com/2020/song/|title= ドラえもん のび太の新恐竜 主題歌|publisher= |accessdate=2021-4-11}}</ref>、小さい頃からのドラえもんファンであることを公言している。
*[[安住紳一郎]]([[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー)
**「ドラえもんのことなら誰にも負けない」と語る。
*[[常田真太郎]](ミュージシャン、「[[スキマスイッチ]]」コーラス&キーボーディスト)
**子供のころからのファンで、自身の音楽ユニット「スキマスイッチ」で「[[ドラえもん のび太の恐竜2006]]」の主題歌「[[ボクノート]]」を担当した際は喜んだという。
*[[BUMP OF CHICKEN]](オルタナティヴ・ロックバンド)
**メンバー全員が大ファンで、「[[ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜]]」の主題歌「[[友達の唄 (BUMP OF CHICKENの曲)|友達の唄]]」のオファーを受ける前年のクリスマス・パーティで、メンバー全員揃って「[[ドラえもん のび太と鉄人兵団|鉄人兵団]]」を鑑賞し、改めてその内容の素晴らしさを語り合ったという。
*[[星野源]]([[音楽家]]、[[俳優]])
**ドラえもんの大ファンと自認。「[[ドラえもん のび太の宝島]]」の主題歌として書き下ろした楽曲の名も「[[ドラえもん (星野源の曲)|ドラえもん]]」であり、この楽曲には作者の言葉や登場人物を彷彿とさせる歌詞、さらには「[[ぼくドラえもん]]」のメロディーが盛り込まれている。2019年にテレビアニメの主題歌に採用された。
*[[千原兄弟]]([[お笑い芸人]])
**2人とも『ドラえもん』について造詣が深く、雑誌の『ぼく、ドラえもん』で思い入れを語ったり、『[[雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!|アメトーーク]]』などドラえもんが特集されたテレビ番組に出演している<ref name="ametalk2007"/>。また、メンバーの[[千原ジュニア]]は、[[藤子・F・不二雄大全集]]の3巻で解説を書いている。
*[[柴田理恵]](女優、タレント)
**「あれほど素晴らしいアニメはない」と絶賛するほどのファンで『アメトーーク』などドラえもん芸人の回に出演している<ref name="ametalk2007">{{Cite web |url= https://wws.tv-asahi.co.jp/ametalk/backnumber/0217/|title= アメトーーク ドラえもん芸人|publisher= tv asahi|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[浅野温子]](女優)
**声優を一新した際にドラえもんが好きすぎて、ドラえもん役のオーディションに参加したほどのファン<ref>{{Cite web |url= https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20130713_76057/|title= 浅野温子、ドラえもん声優オーディションの最終選考に残っていた。|publisher= エキサイトニュース|date=2013-07-13|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[織田信成 (フィギュアスケート選手)|織田信成]](元フィギュアスケーター)
**子供のころからドラえもんのファンで、家族と毎週楽しんでみているという。テレビアニメの2016年12月9日放送回には本人役で登場し<ref>{{Cite web |url= https://www.oricon.co.jp/news/2082719/|title= 織田信成、『ドラえもん』に本人役で登場&ダンスも披露|publisher= ORICON NEWS|date=2016-12-08|accessdate=2021-4-11}}</ref>、2017年公開の[[ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険]]ではゲスト声優として出演した<ref>{{Cite web |url= https://natalie.mu/eiga/news/207186|title= 「映画ドラえもん」最新作に織田信成と浅田舞がゲスト出演、パオパオに息吹き込む|publisher= 映画ナタリー|date=2016-10-28|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
*[[HIKAKIN]]([[YouTuber]]、[[ヒューマンビートボックス|ヒューマンビートボクサー]])
**大ファンであることを自身の動画内で公言している。「[[ドラえもん のび太の宇宙英雄記|のび太の宇宙英雄記]]」公開時には正式なタイアップ動画が製作された。
*[[高橋茂雄]]([[芸人]]、[[タレント]])
**アニメ内で(スネ夫としげお<ref>{{Cite web |url= https://www.tv-asahi.co.jp/doraemon/news/0364/|title= 今日から新コーナー『スネ夫としげお』がスタート!|publisher= tv asahi|date=2019-10-05|accessdate=2021-4-11}}</ref>)というコーナーが組まれるほどの大ファン。番組のコーナーで行われたドラえもんクイズに全問正解するほどの実力を持っている。
*[[バカリズム]](お笑い芸人)
**[[テレビ朝日]]の番組『[[雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!|アメトーーク!]]』のドラえもん芸人に出演している<ref>{{Cite web |url= https://www.tv-asahi.co.jp/ametalk/backnumber/0684/|title= アメトーーク ドラえもん芸人|publisher= tv asahi|accessdate=2021-4-11}}</ref>。
 
== 藤子・F・不二雄以外の執筆したドラえもん ==