「グランマ・プリスブリーのボトルヴィレッジ」の版間の差分

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| locmapin = California#USA
| area =
| architect = トレ・「グランマ」・プリスブリー
| architecture =
| added = 1996年10月25日<ref name="nris">{{NRISref|2008a}}</ref>
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}}
 
'''プリスブリーおばあちゃんのボトルヴィレッジ'''({{Lang-en|Grandma Prisbrey's Bottle Village}})は[[カリフォルニア州]][[シミバレー]]にある、ボトル(瓶)などの廃棄物を利用した[[環境アート|環境芸術]]である。単にボトルヴィレッジと言われることもある。1950年代から1970年代頃にかけて、「グランマ」ことトレッサ・プリスブリー(1896-1988)によって製作された。トレッサ・プリスブリーは地元のごみ処理場から出た廃棄物やリサイクル品を利用して、聖堂などの建物やそれをつなぐ歩道、さまざまな立体造形からなる「村」をつくりあげたのであるこの建築物群は、[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]に指定されている。
 
== 建造物 ==
この建築物群は、0.13ヘクタールほどの場所にトレッサ・「グランマ」・プリスブリーが、打ち捨てられた[[瓶]](ボトル)をはじめとする様々な不要品などを用いてひとり一人で創り上げた建造物群ものあり、聖堂や願掛けの井戸、歩道、噴水、さまざまな家などからなっている<ref name=":2" />。ハート、ダイヤモンド、スペードの[[飛石]]は、トレッサが[[ネバダ州]][[ラスベガス]]を訪れた時のことを象徴している。トレッサは[[セメント]]で形を作り、その中に[[ハサミ]]などを手当たり次第に再利用して詰め込んだ。[[ドールハウス]]はトレッサが所蔵していた600体もの人形のコレクションを収めるために建てられた。トレッサは毎日この家に行き、人形の着せ替えをしていたという<ref>{{cite web |last=Light & Saraf |title=Grandma's Bottle Village: The Art of Tressa Prisbrey |url=https://www.youtube.com/watch?v=inOvmkF1fLA |work=Film |access-date=25 February 2012 |publisher=American Visionary Art Museum}}</ref>。
 
老朽化により1984年にはツアーによる一般向け公開が終了した<ref name=":0" />。さらに1994年の[[ノースリッジ地震]]で大きな被害をうけたものの、修復に必要な資金が集まらず、以降も放置された状態にある<ref name=":0" />。
 
==トレッサ・プリスブリー==
トレッサ・プリスブリー・ルエラ・シェーファーは1896年に[[ミネソタ州]][[イーストン (ペンシルベニア州)|イーストン]]で生まれた。トレッサは12歳まで学校に通い、ノースダコタ州で主に政治を勉強した。15歳の時にはトレッサは姉の前夫で37歳年上のセオドア・グリノルズ(52歳)と結婚した。セオドアとの結婚生活は14年しか続かなかったが、その間に7人の子供をもうけた。72歳でセオドアが亡くなった後、トレッサは7人の子供たちと[[シアトル]]に移住し、無職の男性と結婚したが、その結婚生活はとても短いうちに終わった。トレッサは生前、7人の子供のうち6人(男4人、女2人の計6人はトレッサ存命中に亡くなるのを目の当たりにってまった<ref>{{cite news|last=Cooper|first=Arnie|title=Grandma Prisbrey Built a Village Made of Bottles|url=https://www.wsj.com/articles/SB122454634669052175|accessdate=25 February 2012|newspaper=Wall Street Journal|year=2008}}</ref>。
 
1956年、トレッサはアル・プリスブリーと出会って結婚した。この頃、60歳でボトルヴィレッジの建設を始めた<ref name=":2">{{Cite web |title=Grandma Prisbrey's Bottle Village - History |url=http://www.bottlevillage.com/about/bvhistory.htm |website=www.bottlevillage.com |access-date=2022-05-12}}</ref>。1961年には村はおおむね出来上がっていたが、トレッサは1980年代まで構造物を追加したり、手を加えたりしていた。トレッサは1972年に引っ越したが、その後、村のそばのトレーラーに戻って暮らし、彫刻や花のプランターを付け加え続けた<ref>{{cite web|title=Grandma Prisbrey's Bottle Village|url=http://www.agilitynut.com/h/prisbrey.html|accessdate=February 27, 2012|archive-url=https://web.archive.org/web/20120309235814/http://www.agilitynut.com/h/prisbrey.html|archive-date=March 9, 2012|url-status=dead}}</ref>。
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1982年、体調を崩したトレッサはシミバレーを離れ、[[サンフランシスコ]]にいる娘と義理の息子と共に暮らすようになった<ref name=obit/>。そして1986年7月、この土地はボトルヴィレッジ保全委員会に[[贈与]]された。1988年10月、トレッサは脳卒中の合併症により、[[サンフランシスコ]]の療養病院で死去した<ref name=obit>{{cite news|title=Builder of Bottle Village dies: 'Grandma's' Simi Valley landmark remains|newspaper=The Ventura County Star-Free Press|date=October 7, 1988|page=B7|via=The Museum of Ventura County (clippings file on "Bottle Village")}}</ref>。
 
==地震による被害==
[[ファイル:Grandma Prisbrey's Bottle Village (Plaques).jpg|左|サムネイル|ボトルヴィレッジ入り口のプラーク]]
この建築物群が1994年に[[ノースリッジ地震]]で大きな被害を受けたため、ボトルヴィレッジ保存委員会は[[アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁]] (FEMA) の基金を申請してより50万ドル程度の資金を受け取った。1997年、FEMA地震の後の村の補修のために45万5千ドルの補助金を出そうとしたが、この補助金は前議員サンディ・ウェブと[[シミ・ヴァレー]]選出[[アメリカ合衆国下院]]議員([[共和党 (アメリカ)|共和党]])のエルトン・ギャレグリーが反対して出ないこ立ち消えなった。ギャレグリーはこの補助金を税金の無駄遣いだと述べている<ref name=":0">{{Cite web |title=Simi Valley's Bottle Village is in decay with no fund to restore it |url=http://www.vcstar.com/news/simi-valleys-bottle-village-is-in-decay-with-no-fund-to-restore-it-ep-373395802-352509221.html |website=www.vcstar.com |access-date=2022-07-17 |language=en |author=Anna Bakalis |date=2008-07-25 |publisher=VC Star}}</ref>。さらにFEMA長官の{{仮リンク|ジェイムズ・リー・ウィット|en|James Lee Witt}}は、建築物は1984年から一般公開されていないのでため該当地FEMAは連邦災害救援金の受給資格が無いとFEMAが決定判断したと述べた<ref>{{cite news|last=McKinley|first=Jesse|title=A Village of Bottles Loses Federal Help|url=https://www.nytimes.com/1997/03/20/garden/a-village-of-bottles-loses-federal-help.html|work=The New York Times|date=20 March 1997|access-date=29 February 2012}}</ref>。
 
1994年の[[ノースリッジ地震]]以降、ボトルヴィレッジは支援と資金が必要な状態で放置されていた<ref name=":0" />。芸術家で保存委員長をつとめたこともあるジョアン・ジョンソンは、「れてくボトルヴィレッジは皮肉な逆説でにもパラドックスを抱えています。捨てられたもので作られ、今は捨てられているのですから」と述べている<ref>{{cite news|last=Harvey|first=Steve|title=A treasure trove of trash withers in Simi Valley|url=https://www.nytimes.com/1997/03/20/garden/a-village-of-bottles-loses-federal-help.html|work=Los Angeles Times|date=20 March 1997|access-date=29 February 2012}}</ref>。保存委員会は私的機関からの支援金を募っている<ref>{{cite web|last=Garcia|first=Ross|title=Grandma Prisbrey's Bottle Village|url=http://home.roadrunner.com/~echomatic/bv/history.html|publisher=Preserve Bottle Village Committee|access-date=29 February 2012|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120318030445/http://home.roadrunner.com/~echomatic/bv/history.html|archivedate=18 March 2012}}</ref>。
 
== 評価 ==
美術史家や[[民俗学者]]は、ボトルヴィレッジにはクリエイターである老婦人トレッサにとって複雑な意味があったと見なし思っている<ref name=":1">{{cite web |title=National Register of Historic Places Continuation Sheet |url=https://s3.amazonaws.com/NARAprodstorage/lz/electronic-records/rg-079/NPS_CA/96001076.pdf |accessdate=2022-07-18 |page=2 (Additional Comments). |author=National Park Service}}</ref>。[[アメリカ合衆国国立公園局]]の文書によると、ボトルヴィレッジはトレッサが大切にしていた自らのコレクションを保全するという目的があったのはもちろん、家族や友人、人生の中で重要な出来事を記念したいという気持ちや、家族を失ったことを悼む気持ち、訪れた人を楽しませようという気持ち、自らの非常に個人的な考えや熱意、発想の証を残したいという気持ちなどが組み合わされた結果として出てきた作品であると評価されている<ref name=":1" />。1950年代後半から1960年代前半にかけて、アメリカ人の日常生活で大量に排出された廃棄物から作られた珍しい作品でもある<ref name=":3">{{cite web |title=National Register of Historic Places Continuation Sheet |url=https://s3.amazonaws.com/NARAprodstorage/lz/electronic-records/rg-079/NPS_CA/96001076.pdf |accessdate=2022-07-18 |page=n.p. |author=National Park Service}}</ref>。
 
ボトルヴィレッジは、[[ベンチュラ郡]]、[[シミバレー]]及びカリフォルニア州から歴史的建造物として指定されている(カリフォルニア歴史的建造物第939号)<ref>{{Cite web |title=Grandma Prisbrey's Bottle Village Home |url=http://www.bottlevillage.com/ |website=www.bottlevillage.com |access-date=2022-07-18}}</ref>。また、1996年には[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]に指定された<ref name=":3" />。