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{{出典の明記|date=2015年7月}}
{{馬齢旧}}
{{競走馬
| 名 = ライトカラー
| 英 = {{lang|en|Light Color}}<ref name="jbis"/>
| 画 = no
| 性 = [[牝馬|牝]]<ref name="jbis"/>
| 色 = [[鹿毛]]<ref name="jbis"/>
| 種 = [[サラブレッド]]
| 生 = [[1986年]][[4月11日]]<ref name="jbis"/>
| 死 = [[1993年]][[2月22日]](8歳没)<ref name="shikiho1994sp">[[#関西競馬四季報]] p. 27</ref><br />(7歳没・旧8歳)
| 父 = [[ヤマニンスキー]]<ref name="jbis"/>
| 母 = ユウライコー<ref name="jbis"/>
| 母父 = [[パーソロン]]<ref name="jbis"/>
| 産 = 伊藤照三<ref>{{Cite web |url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?hid=38396995082 |title=ライトカラー(JPN) |access-date=2022-11-15 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20221115063730/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?hid=38396995082 |archive-date=2022-11-15}}</ref>
|産 = 大北牧場<ref name="jbis"/>
| 牧 = 大北牧場<ref name="jbis"/>
| 国 = {{JPN}}([[北海道]][[浦河町]])<ref name="jbis"/>
| 主 = 伊藤照三<ref name="jbis"/>
| 調 = [[清田十一]]([[栗東トレーニングセンター|栗東]])<ref>{{Cite web |title=10R エリザベス女王杯|1989年11月12日(日)5回京都4日 |url=https://www.jbis.or.jp/race/result/19891112/108/10/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-11-15}}</ref><br/>[[柴田光陽]](栗東)<br><ref name="jbis"/>
| 績 = 12戦3勝<ref name="jbis"/>
| 金 = 1億2737万9000円<ref name="jbis"/>
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{{MedalGI|[[優駿牝馬]]|1989年}}
}}
'''ライトカラー'''(欧字名:{{Lang|en|Light Color}}、[[1986年]][[4月11日]] - [[1993年]][[2月22日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000186450/ |title= ライトカラー |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-29}}</ref>は[[日本]]の[[競走馬]]・[[繁殖牝馬]]。[[1989年]]に行われた第50回[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]の優勝馬<ref name="shikiho1994sp"/>。
 
1989年の[[優駿牝馬]](オークス)(GI)を優勝した。
== 戦績 ==
[[1988年]][[8月6日]]、[[函館競馬場]]の[[新馬|新馬戦]]で[[柴田光陽]]を背にデビュー。7頭立ての7番人気と人気はまったく無かったが、2着に4馬身差をつけて勝ち上がると、続くオープン特別のクローバー賞も制し連勝を飾った。[[重賞]]初挑戦となった[[函館2歳ステークス|函館3歳ステークス]]こそ逃げるサザンビーナスにアタマ差及ばなかったものの、[[クラシック (競馬)|クラシック]]候補の大器との評価を得た。レース後放牧に出され、休養に入ることとなった。
 
== 生涯 ==
休み明け初戦となったのは、年が明けての[[シンザン記念]]。[[笠松競馬場|笠松]]から無敗で[[中央競馬|中央]]に転入してきたアオミキャップに次ぐ2番人気に推されたが、直線で伸びを欠き[[ファンドリポポ]]の4着。続くエルフィンステークスも[[シャダイカグラ]]から5馬身差と大きく離された2着に終わり、同世代の牝馬に続けて水をあけられる形となった。この後は、[[トライアル競走|トライアル]]を回避して[[桜花賞]]に直行。鞍上には、柴田の引退に伴い、[[田島良保]]を迎えたが、中団のまま8着といいところなく敗れる。続いてトライアルの[[フローラステークス|4歳牝馬特別]]に出走。距離延長は歓迎材料と見られ2番人気に推されるも、先行して失速。結果は5着と優駿牝馬の優先出走権を獲得するのが精一杯だった。
 
=== デビューまで ===
4歳となってからのレースぶりや、桜花賞から直線で右側にヨレるという悪癖も見せていたことから、本番の優駿牝馬では、桜花賞優勝馬シャダイカグラが一本かぶりの人気を集めるなか、10番人気という評価。関係者さえ勝利は期待していなかった。レースは、最初の1,000[[メートル]]の通過タイムが60秒2と淀みの無い流れで展開。ライトカラーはシャダイカグラをマークする形で中団に位置し、距離のロスの無い内々をキープした。直線では右にヨレてもいいように大外に持ち出したが、「信じられないくらいまっすぐに走った」と鞍上の田島が語ったように大一番での集中力を発揮し、粘るシャダイカグラとの追い比べをクビ差制した。田島は優駿牝馬初制覇、清田は騎手時代の[[1959年]]に[[オーカン]]で制して以来、騎手・[[調教師]]双方での優駿牝馬制覇となった。
ユウライコーは、[[北海道]][[新冠町]]の[[シンボリ牧場|日高シンボリ牧場]]で生産された牝馬である<ref name="優駿-1989-7-139">『優駿』1989年7月号 139頁</ref>。主に[[障害競走]]で活躍し、1982年の[[阪神障害ステークス]]で3着、1983年の[[京都大障害]]で4着となるなど、[[平地競走|平地]]と併せて57戦4勝という成績を残して引退した<ref name="優駿-1989-7-139" />。引退後は、北海道[[浦河町]]の大北牧場で繁殖牝馬となった<ref name="JAIRS-ユウライコー">{{Cite web |url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?hid=38361373710 |title=ユウライコー(JPN) |access-date=2022-11-15 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20221115064135/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?hid=38361373710 |archive-date=2022-11-15}}</ref>。
 
初年度となる1984年、[[イエローゴッド]]と交配。そして1985年に初仔となる牝馬を生産していた<ref name="優駿-1989-7-139" />。2年目は、[[ヤマニンスキー]]と交配していた<ref name="優駿-1989-7-139" />。ヤマニンスキーは、優れた競走成績こそ残せなかったが、1976年から1977年にかけて8戦8勝の[[マルゼンスキー]]と同じ「父[[ニジンスキー (競走馬)|ニジンスキー]]、母父:[[バックパサー]]」であることが買われて、[[種牡馬]]となっていた<ref>『優駿』1988年6月号 111頁</ref>。受胎し翌1986年4月11日、北海道浦河町の大北牧場にて、2番仔となる[[鹿毛]]の牝馬(後のライトカラー)が誕生する<ref name="優駿-1989-7-139" />。
秋は、優駿牝馬での大駆けで燃え尽きたかのようなレースが続いた。始動戦となった[[サファイヤステークス]]は、リリーズブーケの5着。1戦使っての上積みが期待された[[ローズステークス]]もシャダイカグラの8着と、2戦続けて追い込みが不発で、勝ち馬から大きく離されての敗戦を喫した。[[三冠 (競馬)#3歳|牝馬三冠]]最終戦の[[エリザベス女王杯]]は、優駿牝馬を制していながら7番人気に甘んじたが、またも追い込み不発に終わり[[サンドピアリス]]の8着と、低評価を覆すことはできなかった。
 
2番仔は、生後1か月半経過した頃、右前肢のつけ根の[[リンパ腺]]が腫れる病気に見舞われた<ref name="優駿-1989-7-136" />。40度近い高熱も伴い、注射治療をしても治らず、手術を敢行。しかし術後が芳しくなかった<ref name="優駿-1989-7-136" />。洗面器ほどの[[膿]]が身体から放出され、膿が空になった部分が元に戻らなかった<ref name="優駿-1989-7-136" />。凹んだ状態、背骨が曲がっているようになっていた<ref name="優駿-1989-8-13">『優駿』1989年8月号 13頁</ref>。おまけに牧場では、目立たない存在だった<ref name="優駿-1989-8-13" />。
この後脚部不安を発症し、長期休養を余儀なくされた。復帰戦となったのは翌[[1990年]]の[[スワンステークス]]。約1年ぶりのレースで12着という結果に終わると、そのまま引退することとなった。
 
競走馬デビューが危ぶまれたが<ref name="優駿-1989-7-136" />、ユウライコーを所有した伊藤照三の所有馬となる<ref name="優駿-1989-7-139" /><ref name="JAIRS-ユウライコー" />。「'''ライトカラー'''」という競走馬名が与えられ、[[栗東トレーニングセンター]]の[[清田十一]]厩舎に入厩した<ref name="優駿-1989-7-139" />。
== 競走成績 ==
以下の内容は、netkeiba.com<ref name="netrcd">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/result/1986100540/ |title= ライトカラーの競走成績|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2019-08-29}}</ref>およびJBISサーチ<ref name="jbisrcd">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000186450/record/ |title= ライトカラー 競走成績|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-29}}</ref>に基づく。
 
=== 競走馬時代 ===
{| style="font-size: 90%; text-align: center; border-collapse: collapse;"
 
|-
1988年8月6日、[[函館競馬場]]の[[新馬|新馬戦]](芝1000メートル)にてデビューを果たす。[[柴田光陽]]が騎乗し7番人気という支持だったが、エレクトロアートに4馬身差をつけて勝利、デビュー戦勝利を果たした。その後も函館で連戦し、8月28日の[[クローバー賞]](OP)では、ハイペースで逃げるサザンビーナスを直線で捕らえて連勝を果たした<ref name="優駿-1988-11-146">『優駿』1988年11月号 146頁</ref>。続いて9月25日、[[函館3歳ステークス]](GIII)で[[重賞]]初挑戦。サザンビーナスとの再戦となったが、節度のあるペースで逃げたサザンビーナスをアタマ差捕らえることができず2着、返り討ちにされた<ref name="優駿-1988-11-146" /><ref>『優駿』1988年11月号 147頁</ref>。この後は、身体の成長を促すために放牧に出された<ref name="優駿-1989-7-136">『優駿』1989年7月号 136頁</ref>。ところが帰厩しても、清田の理想とはかけ離れていた<ref name="優駿-1989-7-136" />。3歳は、9月の函館3歳ステークスを最後に出走しなかった<ref name="優駿-1989-7-136" />。
!年月日!!競馬場!!競走名!!格!!距離(馬場)!!頭<br />数!!枠<br />番!!馬<br />番!!オッズ(人気)!!着順!!タイム<br />(上り3F/''4F'')!!着差!!騎手!!斤量<br />(kg)!!勝ち馬/(2着馬)
 
年をまたいで4歳、1989年1月の[[シンザン記念]](GIII)で始動する。2番人気で出走したが、ファンドリポポなどに敵わず4着だった<ref>『優駿』1989年3月号 143頁</ref>。それから2月の[[エルフィンステークス]](OP)では、[[単枠指定制度|単枠指定]]の重賞2着馬[[シャダイカグラ]]と対していた<ref name="優駿-1993-7-66">『優駿』1993年7月号 66頁</ref>。2番手を追走するシャダイカグラを追いかけたが、直線で突き放された<ref name="優駿-1993-7-66" />。シャダイカグラに5馬身後れを取る2着だった<ref name="優駿-1993-7-66" />。続いて[[田島良保]]に乗り替わり5月21日、牝馬[[クラシック (競馬)|クラシック]]第一弾の[[桜花賞]](GI)に臨む。しかし直前に[[発熱|熱発]]に見舞われており<ref name="優駿-1989-7-136" />、「惨敗を覚悟<ref name="優駿-1989-7-136" />」(清田)する状態での出走だった。不利とされる大外枠から出遅れたシャダイカグラに敵わなかった。直線、右に右にもたれながら、8着に敗退する<ref>『優駿』1989年6月号 130頁</ref><ref>『優駿』1989年6月号 132頁</ref>。
 
目標を牝馬クラシック第二弾の[[優駿牝馬]](オークス)に据え、4月30日、その[[トライアル競走]]である[[サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別]](GII)に臨む。大本命の目されていたメジロマリアの骨折離脱、桜花賞上位馬が挙って出走しない手薄なメンバーだった<ref name="優駿-1989-6-150" />。そんな中、[[メジロモントレー]]に次ぐ2番人気に支持された<ref name="優駿-1989-6-150">『優駿』1989年6月号 150頁</ref>。1枠2番からスタートして先行し、内側の好位を追走していた。直線では内から進出を試みたが、右に右にもたれる癖を再び見せていた<ref>『優駿』1989年7月号 82頁</ref>。追い上げたものの、ファンドリポポや[[アイドルマリー]]に敵わなかった。それでも5着を確保、ぎりぎりで優駿牝馬の優先出走権を獲得した<ref>『優駿』1989年6月号 151頁</ref>。
 
5月21日、優駿牝馬(オークス)(GI)に臨む。桜花賞で不利を覆したシャダイカグラと、20歳の[[武豊]]というコンビが人気を集めていた<ref name="優駿-1989-7-136" />。桜花賞と異なり、好枠を得たシャダイカグラの人気は加速。単勝支持率は、1986年の三冠牝馬[[メジロラモーヌ]]に並び、過去30年で最高となる43パーセントだった<ref name="優駿-1989-7-136" />。対して前哨戦敗退のライトカラーと、41歳のベテラン田島のコンビは、地味に映り、人気がなかった。単勝オッズ34.8倍の10番人気だった<ref name="優駿-1989-7-136" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=jsYGhtGd9sA&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 1989年 優駿牝馬(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}2枠4番からスタート、先行するシャダイカグラの背後を確保し、マークする形で追走<ref name="優駿-1989-7-137">『優駿』1989年7月号 137頁</ref>。第3コーナーから位置を上げたシャダイカグラに追従した<ref name="優駿-1989-7-137" />。シャダイカグラは、直線にて馬場の中央に持ち出し、前を行くヤンゲストシチーなどに外から接近する。対してライトカラーは、そのさらに外、大外に持ち出してから後れて追い上げた<ref name="優駿-1989-7-13">『優駿』1989年7月号 13頁</ref>。シャダイカグラがヤンゲストシチーに並びかけた頃、ライトカラーは、シャダイカグラの外にまで並びかけていた<ref name="優駿-1993-7-67">『優駿』1993年7月号 67頁</ref>。末脚を発揮して、シャダイカグラとヤンゲストシチーを差し切っていた。シャダイカグラには抵抗されて、横一線並んだ状態でゴール板に到達する<ref name="優駿-1989-7-13" />。ライトカラーが、クビ差だけ決勝線に到達していた<ref name="優駿-1993-7-67" /><ref>『優駿』1989年7月号 138頁</ref>。
 
優駿牝馬戴冠を果たした。単勝3480円は、1985年[[ノアノハコブネ]]の6270円に次いで優駿牝馬史上2番目に高い配当だった<ref name="優駿-1989-7-136" />。直線で外に持ち出してから追い上げたのは、右にもたれる悪癖を披露して、他の馬に迷惑をかけないようにするためだった<ref name="優駿-1989-7-83">『優駿』1989年7月号 83頁</ref>。しかし追い上げると、どういうわけかまっすぐ走り、シャダイカグラの差し切りに至っている<ref name="優駿-1989-7-83" />。
 
夏は、湖東牧場で放牧された後、栗東に帰厩<ref name="優駿-1989-9-99">『優駿』1989年9月号 99頁</ref>。秋の目標を牝馬三冠の最終戦である[[エリザベス女王杯]]としていた<ref name="優駿-1989-9-99" />。10月1日、[[サファイヤステークス]](GIII)で始動。大幅に距離を短縮して[[マイル]]挑戦、休み明けが評価されず3番人気に支持される<ref name="優駿-1989-12-130">『優駿』1989年12月号 130頁</ref>。後方を追走し、追い上げた。直線では悪癖見せず、まっすぐ走ったが、リリーズブーケなどには敵わず5着だった<ref name="優駿-1989-12-130" />。続く10月22日、[[トライアル競走]]の[[ローズステークス]](GII)では、シャダイカグラとの再戦となったが8着<ref>『優駿』1989年12月号 140頁</ref>。本番のエリザベス女王杯(GI)は、[[サンドピアリス]]に敗れて、再び8着だった<ref>『優駿』1990年1月号 132頁</ref>。この年のJRA賞では、最優秀父内国産馬部門にて全172票中1票を得るに留まり、受賞には至らなかった<ref>『優駿』1990年2月号 55頁</ref>。
 
その後は1年間戦線を離脱、1990年10月の[[スワンステークス]](GII)で復帰を果たすが、二桁着順に終わり、このレースを最後に競走馬を引退した<ref name="優駿-1993-4-58">『優駿』1993年4月号 58頁</ref>。
 
=== 繁殖牝馬時代 ===
引退後は、1991年から大北牧場で繁殖牝馬となる。初年度は、[[サクラユタカオー]]と交配し、1992年に初仔となる牡馬を産んでいる<ref name="優駿-1993-4-58" />。2年目は、[[ミスターシービー]]と交配していた。ところが出産を間近に控えた2月22日に、右大腿部を骨折。[[予後不良]]で安楽死となる<ref name="shikiho1994sp" /><ref name="優駿-1993-4-58" />。遺された唯一の産駒、初仔のライトレターは、中央競馬でデビューしたが、2着が精一杯で勝ち上がることができなかった。通算成績14戦未勝利<ref name="JBIS-ライトレター">{{Cite web |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000253756/ |title=ライトレター |publisher=JBISサーチ |accessdate=2019-08-29}}</ref>。
 
== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref name="netrcd">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/result/1986100540/ |title= ライトカラーの競走成績|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2019-08-29}}</ref>およびJBISサーチ<ref name="jbisrcd">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000186450/record/ |title= ライトカラー 競走成績|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-29}}</ref>に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 65%; text-align: center; white-space: nowrap;"
!競走日
! nowrap="" |競馬場
!競走名
!格
!距離<br/>(馬場)
!頭<br/>数
!枠<br/>番
!馬<br/>番
!オッズ<br/>(人気)
!着順
!タイム<br />(上り3F/''4F'')
!着差
!騎手
!斤量<br/>[kg]
!1着馬<br/>(2着馬)
!馬体重<br/>[kg]
|-
|[[1988年|1988]].{{0}}[[8月6日|8.{{0}}6]]
|[[函館競馬場|函館]]
|3歳新馬
|
| nowrap="" |芝1000m(良)
|7
|1
|1
| nowrap="" |36.0(70{{0}}(7人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
| nowrap="" |{{0|0:}}58.4 (34.7)
| nowrap="" | -0.7
|[[柴田光陽]]
|53
|(エレクトロアート)
|444
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[8月28日|8.28]]
|函館
|[[クローバー賞]]
|OP
|芝1200m(稍)
66 ⟶ 100行目:
|2
|2
|{{0}}2.7(27{{0}}(2人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|1:11.3 (37.3)
| -0.2
73 ⟶ 107行目:
|53
|(ハイタワー)
|436
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[9月25日|9.25]]
|函館
|[[函館3歳ステークス|函館3歳S]]
82 ⟶ 117行目:
|2
|2
|{{0}}4.5(25{{0}}(2人)
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|1:11.2 (36.9)
|{{0|-}}0.0
89 ⟶ 124行目:
|53
|サザンビーナス
|434
|-
|[[1989年|1989]].{{0}}[[1月15日|1.15]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[シンザン記念]]
98 ⟶ 134行目:
|3
|6
|{{0}}4.5(25{{0}}(2人)
|{{0}}4着
|1:37.6 (''48.5'')
|{{0|-}}0.2
|柴田光陽
|53
|[[ファンドリポポ]]
|440
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月5日|2.{{0}}5]]
|京都
|エルフィンS
114 ⟶ 151行目:
|8
|8
|{{0}}3.6(26{{0}}(2人)
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|1:37.0 (''49.0'')
|{{0|-}}0.8
121 ⟶ 158行目:
|54
|[[シャダイカグラ]]
|432
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月9日|4.{{0}}9]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[桜花賞]]
130 ⟶ 168行目:
|4
|8
|11.0(70{{0}}(7人)
|{{0}}8着
|1:39.1 (''51.4'')
|{{0|-}}1.6
137 ⟶ 175行目:
|55
|シャダイカグラ
|432
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月30日|4.30]]
|[[東京競馬場|東京]]
|{{Small|[[サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別|サンスポ賞4歳牝馬特別]]}}
|GII
|芝2000m(良)
146 ⟶ 185行目:
|1
|2
|{{0}}6.7(27{{0}}(2人)
|{{0}}5着
|2:03.0 (''49.9'')
|{{0|-}}0.5
153 ⟶ 192行目:
|54
|ファンドリポポ
|434
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月21日|5.21]]
|東京
|[[優駿牝馬]]
163 ⟶ 203行目:
|4
|34.8(10人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:29.0 (''49.4'')
|{{0|-}}0.0
169 ⟶ 209行目:
|54
|(シャダイカグラ)
|432
|-
|{{0|0000.}}[[10月1日|10.{{0}}1]]
|阪神
|[[サファイヤステークス|サファイヤS]]
178 ⟶ 219行目:
|2
|2
|{{0}}6.0(40{{0}}(4人)
|{{0}}5着
|1:36.1 (''48.4'')
|{{0|-}}1.6
185 ⟶ 226行目:
|56
|リリーズブーケ
|438
|-
|{{0|0000.}}[[10月22日|10.22]]
|京都
|[[ローズステークス|ローズS]]
194 ⟶ 236行目:
|3
|3
|{{0}}7.8(48{{0}}(4人)
|{{0}}8着
|2:02.9 (''47.9'')
|{{0|-}}1.4
201 ⟶ 243行目:
|55
|シャダイカグラ
|440
|-
|{{0|0000.}}[[11月12日|11.12]]
|京都
|[[エリザベス女王杯]]
210 ⟶ 253行目:
|3
|7
|23.2(72{{0}}(7人)
|{{0}}8着
|2:29.9 (''50.0'')
|{{0|-}}1.1
217 ⟶ 260行目:
|55
|[[サンドピアリス]]
|438
|-
|[[1990年|1990]].[[10月28日|10.28]]
|京都
|[[スワンステークス|スワンS]]
233 ⟶ 277行目:
|55
|ナルシスノワール
|456
|}
 
== 引退後繁殖成績 ==
{| class="wikitable" border="1" style="font-size: 65%;"
引退後は、大北牧場で繁殖牝馬となったが、1993年2月22日に右大腿部を骨折し、[[予後不良 (競馬)|予後不良]]と診断され安楽死処分がとられた<ref name="shikiho1994sp"/>。[[ミスターシービー]][[産駒]]の出産を間近に控えての事故だった。唯一の産駒であるライトレター([[牡馬|牡]]:父[[サクラユタカオー]])<ref name="shikiho1994sp"/>は、14戦未勝利に終わっている。
!誕生年
 
!
{| class="wikitable" border="1" style="font-size: 90%"
!馬名
|-
!性
!||生年||馬名||性||毛色||父||馬主||管理調教師||戦績||主な勝利競走||供用||出典
!毛色
|-
!父
|初仔||[[1992年]]||ライトレター||牡||鹿毛||サクラユタカオー||伊藤照三||栗東・柴田光陽||14戦0勝||||||<ref>{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000253756/ |title=ライトレター |publisher=JBISサーチ|accessdate=2019-08-29}}</ref>
!厩舎
!馬主
!戦績
!勝ち鞍
!供用
!出典
|-
|[[1992年]]
|初仔
|ライトレター
|牡
|鹿毛
|サクラユタカオー
|栗東・柴田光陽
|伊藤照三
|14戦0勝
|
|抹消
|<ref name="JBIS-ライトレター" />
|}
 
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|ref4 = <ref name="netpe">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/ped/1986100540/ |title= ライトカラーの5代血統表|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2019-08-29}}</ref>
|}}
*祖母ユウコウの産駒に[[中山大障害]]馬のシノンシンボリ、ひ孫に種牡馬の[[ミツアキサイレンス]]がいる<ref name="netpe"/>。
 
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
<references group="注釈" />
=== 出典 ===
{{reflist}}
 
==参考文献==
*{{Cite journal |和書|author= |authorlink= |title= 関西競馬四季報 1994春季号|date= |publisher= ケイバブック |journal= 競馬ブック |volume= 15|issue= 1 |naid= |pages= |ref= 関西競馬四季報}}
*『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
**1988年6月号
***「【日本の種牡馬】ヤマニンスキー」
**1988年11月号
***島野昭(報知新聞)「【今月の記録室】第20回函館3歳ステークス(GIII)サザンビーナス」
**1989年3月号
***原宜巳(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第23回日刊スポーツ賞 シンザン記念(GIII)」
**1989年6月号
***用貝成子(関西新聞)「【今月の記録室】第49回桜花賞(GI)シャダイカグラ」
***西島大和(サンケイスポーツ)「【今月の記録室】第24回サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別〈オークス・トライアル〉(GII)ファンドリポポ」
**1989年7月号
***「【第50回オークス】ユタカ&カグラ、ギャルの悲鳴を打ち砕き ライトカラー」
***「【杉本清の競馬談義(52)】田島良保騎手」
***天野保彦(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第50回オークス(GI)ライトカラー」
**1989年8月号
***吉川良「【'89春のGI競走勝ち馬の故郷紀行】雲をつかんだ人たち」
**1989年9月号
***「【秋をめざす有力馬たち】4歳牝馬有力馬の近況 シャダイカグラ、ライトカラーともに順調」
**1989年12月号
***大野良郎(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第7回サファイヤステークス(GIII)リリーズブーケ」
***山本浩之(関西テレビ)「【今月の記録室】第7回関西テレビ放送賞 ローズステークス(GII)〈エリザベス女王杯トライアル〉シャダイカグラ」
**1990年1月号
***永井晴二(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第14回エリザベス女王杯(GI)サンドピアリス」
**1990年2月号
***「【1989年度JRA賞】年度代表馬はGI3勝のイナリワン」
**1993年4月号
***「【今月のトピックス】シービーの仔とともに、非運の死… 第50代オークス馬、ライトカラー死亡」
**1993年7月号
***横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝(86)】桜下に舞う シャダイカグラ」
 
== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=1986100540|yahoo=1986100540|jbis=0000186450|racingpost=}}
 
{{優駿牝馬勝ち馬}}