「Wikipedia:礼儀を忘れない」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
→ウィキペディア内で無礼が起こらないようにするには: 編集戦争→編集合戦 |
訳を全面的に修正(途中まで)。英語版en:Wikipedia:Civility20:40, 23 November 2006 UTC(著者:Stevertigo, Alphachimp, 168..., Michael Snow, Hyacinthほか)より翻訳。 |
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{{Proposed|ていねい|[[WP:CIV]]<br
<!-- {{policy|ていねい| [[WP:CIV]]<br
'''礼儀正しく、丁寧にふるまうこと'''は、
私達の[[Wikipedia:ウィキペディアン|ウィキペディア・コミュニティ]]は、
== 問題 ==
ウィキペディアでは、訪れた人に対して文章をよりよくする作業へ参加することを呼びかけています。しかし、文章に実際に加えられたある変更が「改善」かどうかについては、しばしば意見が割れてしまいます。ところが、利用者が、このある変更が「改善」であるかどうかについて賛成か反対かということばかりについて話していると、状況を客観的にみつめて文章を批判することが難しくなってしまうことがあります。加筆をする利用者は、意見をはっきりさせようとするがあまり、不必要に過激になってしまうことがあります。逆に、加筆をされた側は、過敏になって、自分の編集が「改善」の名のもとに、自分の意見とは真逆の内容になってしまったと感じてしまうことがあります。
沈黙や、ノートページおよび要約欄での顔の見えない発言は、顔を合わせた会話では表現できる微妙な意図を伝えることが出来ません。そして、ちょっとした、冗談のつもりのコメントが誤解されてしまうことになります。たった一言の、礼儀を欠いた発言が簡単に激しい論争に発展し、しかも本題とは無関係のところで議論になってしまうのです。そして、こういう議論のせいで、結局コミュニティのメンバーは記事を改善することに興味を失い、「敵」に「勝つ」ことを目的とするようになってしまうのです。
== 例 ==
礼儀を欠いた状況を作り出してしまう'''ささいな事例'''。
* 不作法な態度
* 要約欄での決めつけ語調(「注意力不足の誤字を修正した」、「とりとめのないたわ言をばっさりカット」など)
* 加筆した人に対して、その語学力や言葉の選択を理由に見くびること
* あれやこれやと不適切であることに言いがかりをつけること
* 「個人攻撃をするつもりはないのですが、...」とはじまるコメント
* 誰かをウソツキ呼ばわりすること、相手が中傷誹謗しているといって非難すること。たとえそれが事実であっても、こうした発言は争いを解決するよりもむしろ悪化させます。
もっと'''深刻な例''':
* あざけること
* [[Wikipedia:個人攻撃はしない|個人攻撃]]
** 人種的、民族的、性的、および宗教的な中傷
** 別の寄稿者へ向けられた[[:en:Profanity|冒涜]]
* 嘘
* 利用者ページへのいたずら書き
* 「ページ移動荒らし行為」によって利用者に軽蔑的な名前を付けること
* 追放や投稿ブロックを要求すること
* みだらな発言
無礼な行為は、例えば、あなたが一人で新しいページを作っている時に、別の利用者があなたに「無意味なページを書くんなら、スペルチェックくらいはしてくれますか?」と言ったりしたときに起きます。<br/>
「おおきなお世話」とあなたが返事する時、事が大きくなります。
ウィキペディアン同士のこんな風なやり取りは、寄稿者を遠ざけ、もっと大事なことから人の気をそらせてしまい、さらには、コミュニティ全体をもろくしてしまうのです。
== いつ、なぜそうなるの? ==
* 編集合戦中に、異なる意見が対立している時に、または、勢力争いがある時に。
* コミュニティが大きくなった時に。各編集者は他のメンバーを全員知っているわけではなく、そのためにプロジェクトには個人ひとりひとりが重要であるということに気付かないことがあります。そして、彼らにとっては存在しない人間関係などを維持することは気にもかけなくなるのです。より小さなコミュニティに比べると、他者からの評価というのは問題になりにくくなります。
* たまに、とりわけ無作法な利用者がプロジェクトに参加します。これがまた悪いことに、他の編集者達自身を無作法にしてしまいます。
たいていの場合、争いが長引いて盛り上がってきた時に、侮辱発言がなされてしまいます。こういう発言は、基本的には議論を終わらようとしての行為です。そして、よくあることですが、侮辱発言をしたその人はあとになってそんな言葉をつかったことを後悔します。後悔している、ということは、こういった不愉快な言葉を後から取り除く(もしくは、[[Wikipedia:議論が終わったらまとめておく|まとめ直す]])ことの充分な理由となります。
ですが、わざと無礼な行為をする人もいます。その目的は「敵」を本題から気をそらさせるとか、あるいはもっと単純に、相手を記事や時にはプロジェクトそのものから追いやろうとか、または、相手に自分より無礼な行為を犯させて、追放されるように挑発するというようなことです。このような事例では、その無礼者が後悔したり謝罪したりなんてことは到底ありそうにありません。
編集者の中には、自分自身ではうまく過ちを犯さないように見せかけて、相手が礼儀を失うまで意図的に追い詰める者もいます。これは荒らしの一種とみなされうることであり、もちろん礼儀をもった対話とは言えません。
==
* なぜなら人を不機嫌にし、落胆と離脱を招くから。
* なぜなら人を怒らせ、非建設的な、あるいは更なる無礼な行為を招き、そしてどんどん無礼を増長させてしまうから。
* なぜなら人をむきにさせ、他人の考えに心を閉ざし、[[Wikipedia:合意形成|コンセンサス]]の形成を妨げることになるから。
* なぜなら善意が失われ、今起きている争い—そしてその次の争い—の解決を難しくするだけだから。
== 礼儀を守るためのヒント ==
=== ウィキペディア内で無礼が起こらないようにするには ===
* 編集合戦や個人間での争いを避ける。(これらの行為には編集制限が設定されています--それがコミュニティの回答です。)
* 返事をわざと遅らせて、編集者が冷静を取り戻し回復できるよう時間を与え、争いのさらなる激化を避ける。(争いの場合にはページ保護や編集者の一時ブロック。)
* 建設的な反応をする。(無礼に無礼を以って反応しない人をほめる。)
* 仲間集団圧力を掛ける。(不作法や無礼が起こる度に不快を表明する。)
* 無礼者と他方の編集者またはコミュニティ間の争いの根本を解決する--または、妥協を見出す。
* 悲観的な反応をする(争いの巻き添えになっている編集者に争いから立ち去る様に、もしくは一時的にウィキペディア内の全ての論争を避ける様に提案する)。争いの両側に対してこのような提案をしてみるのも効果があるかもしれません。
* 特定の編集者に対して無礼が起こりがちな特定ページの編集からブロックする。
* 新しいルールを作成して施行する--ルールは、特定の禁止語の使用について、一定回数以上その言葉を使った編集者を一時ブロックまたは編集禁止しても良い、とする。
* 無礼者の送るメールや、あるキーワードにメール・フィルタを掛けて、これらのメールはウィキペディア・メーリング・リストから拒絶する。
* 無礼や下品はこのようなプロジェクトでは完全には回避できないということを受け入れ、自分は同じ様には対応しない。
===
* なだめるような、もしくは建設的なコメントを与えることによってそれぞれの無礼なコメントを帳消しにする。
* 不快なコメントには返事をしない。それらのコメントは忘れる。その編集者を許す。争いを激化させない。(個人的なアプローチ)
* 無礼を無視する。無礼者が存在しないかのようにやりすごす。無礼者とコミュニティの間に「壁」をつくる。
* 編集要欄での不快な言葉のインパクトを減らす為に、透明のヴェール(&bot=1)で編集を戻す。
* 立ち去る。ウィキペディアはとても大きな場です。しばらくどこか他の場所で編集して、雰囲気が直ったころに戻ってきましょう。
* 「お願いします「「ありがとう」「ごめんなさい」「どういたしまして」。仲間の編集者を、大きなプロジェクトに教導で携わっている尊敬し、敬愛する同僚として扱いましょう。
* 相手もプロジェクトのためにがんばっているのだ、ということを評価するためには、別にその人物を人間的に好きになる必要はありません。相手のことを好きになれないな、と思っても、その気持ちを自分のうちにとどめておくようにしましょう。
==
* ノートページでは、不快な言葉に取消線を引く、または、より穏やかなものと置き換える(''こういった編集は、他人の言葉をいじるので、よくないとする人も少なくありません'')
* 会話ページの暴言を消す(''ページ履歴に残るので、誰でもまた見れるしあとで参照できます'')
* &bot=1 で編集を戻すと、無礼者がした編集は「最近変更したページ」では非表示になる(''IPユーザーはもともと非表示になりますが、ログインユーザーについては技術的操作が必要'')
* 無礼者がした編集を(完全かつ永久に)削除する(''技術的操作が必要'')
* メーリング・リストでの暴言を永久に削除する(''技術的操作が必要'')
* 編集要欄のコメントを別の穏当なコメントで置き換える(''技術的操作が必要'')
== 仲裁プロセスにおける無礼のマネージメント ==
関係者たちは時々、一方の関係者が交渉の準備が整っていないのに、合意を取り付けようとします。例えば、対立の源がある記事の特定の箇所にあるとすると、討議が両関係者間の無礼なやり取りのせいで混乱したままだと、[[Wikipedia:論争の解決|論争解決]]は見込めないかもしれません。
=== 無礼を説明せよ ===
自分に向けられた無礼な言葉にひどく動揺して対立の源にしっかりと焦点が合っていない編集者がいます。そんな場合は、何故不快な言葉が使われたのかを教えてあげて、無礼はいけないことだけれども、そのコメントの背後にある考え方は妥当かも、と気付かせてあげると、良いかもしれません。
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人の気持ちを害することを目的として行われた時でも、非礼を指摘することは有益です、そうすることで論争者に問題を捉えなおしてもらえるかもしれないからです(''議論好き'')。
=== 論争者コメントの言い回しを変える ===
[[:en:Mediation|仲裁]]プロセスにおいては、中立な第三者が両方の論争者と連絡をとり、両者間の意思の疎通を確保します。仲裁者の役割は、二人の論争者間での良識ある話し合いを促進することです。それ故に、利用者
: 例えば、ある仲裁者を通じて利用者
=== 仲裁中またはそれ以前に公開で交わされた白熱戦の言い回しを変える ===
仲裁プロセスの最後には、仲裁者はこう提案しても良いでしょう;論争者は共に、会話ページに残されたままになっている無礼なコメントを取り除くことに合意しましょう、と。編集者達は、こんな合意をするかもしれません;互いの侮辱や白熱戦の為だけに作成されたページを削除すること、記事議論に無関係な白熱戦の内容を削除すること、さらに、議論の見直しをすること。これで、論争者達が互いのわだかまりをより早く水に流そうとするかもしれません。同じく、論争者達は互いに謝ることに合意するかもしれません。
=== 謝ることを提案せよ ===
[[:en:Mediation|仲裁]]は、定常的に、関係者の一方が他方に傷付けられているという口論を伴います。謝罪は、問題解決と交渉に関わりの無い行為であり、また調停に関するものでもありません。むしろ、それは関係両者の儀式的交流のひとつの形態です、そこではこんな言葉が述べられます;和解を許したまへ。[[:en:Transformative mediation|進化論的調停]]では、謝罪は、関係を一変させてしまうような感謝の為の機会、を意味します。
人によっては、自分に被害を与えてきた人達から謝罪を受けることは必要不可欠であるかもしれません。この故に、心からの謝罪はしばしば争議解決への鍵となります:謝罪は寛大さの象徴です。ある人の気になる無礼が別の人の感情を損なわせている時は、謝罪が大変お勧めです。
== 関連項目 ==
* [[Wikipedia:ウィキケット]]
* [[M:incivility | User:Anthere's original article on this topic at meta.wikimedia.org]] (''原題 "uncivility";)''
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