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歴史学の査読研究ではない典拠に基づく見解を除去。WP:RS
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ノート:韓国併合#先に韓国側が韓国併合を依頼した」件の記述についてにて提起済。出典番号2『日本之朝鮮』については有楽社という出版社から1911年1月に刊行され、国立国会図書館での[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/995319 記録]も請求番号・DOIを踏まえた上で公式に公開されている(コマ番号60・朝鮮併合依頼書 合邦希望の電報)、また韓日合邦を要求する声明書にても立証されている。完全に「歴史学の査読研究」は満たしている内容であり、これをWP:RSというのは明らかに支離滅裂で、百科事典の品質を故意に低下させようとする、明らかな単なるWikipedia:荒らし行為(WP:-(WP:VANWP:VANDWP:VANDAL)だと判断します。
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{{参照方法|date=2019-12}}{{告知|議論|韓国側が先に併合依頼を行ったという記述について|date=2022年8月2日}}[[ファイル:Flag Map of Japan and Korea (1910 - 1945).png|thumb|日本と朝鮮半島を、日本国旗をイメージして彩色した図。赤く塗られているところの地域は関係はない。|200px]]
{{参照方法|date=2019-12}}
'''韓国併合'''(かんこくへいごう、{{lang-en-short|Japanese annexation of Korea}})とは、[[朝鮮半島]]の権益を巡る[[日露戦争]]後の[[1910年]]([[明治]]43年)[[8月29日]]({{Years or months ago|1910|8}})に「[[韓国併合ニ関スル条約]]」づき韓国側の要請により<ref name=":1">{{Cite book|和書|title=日本之朝鮮|publisher=[[有楽社]]|date=1911-1|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/995319}}</ref><ref name=":4">[[韓本帝国合邦を要求する声明書]]</ref>'''<ref name=":3">{{Cite web |title=日韓併合の真実 {{!}} 日本人が知ってはならない歴史 {{!}} Real Japan |url=https://web.archive.org/web/20210625021900/http://brute.sakura.ne.jp/wp/?page_id=1260 |website=web.archive.org |date=2021-06-25 |access-date=2022-07-31}}</ref>'''、[[日本帝国]]が[[大韓帝国]]{{efn|今日の[[大韓民国]]と[[朝鮮民主主義人民共和国]]に相当する地域。旧韓国、朝鮮国([[李氏朝鮮]])領域。[[間島]]については一部に領有権について主張がある。}}を[[併合]]して統治下に置いた出来事を指す({{Years or months ago|1910|8}})。'''朝鮮併合'''、'''日韓併合'''、'''日韓合邦'''などとも表記される<ref>『日韓合邦秘史』 黒竜会出版部</ref>。厳密には[[日本統治時代の朝鮮|日本による朝鮮半島の統治]]は大日本帝国が[[ポツダム宣言]]による無条件降伏後も続いており、[[1945年]]([[昭和]]20年)[[9月9日]]({{Years or months ago|1945|9}})に[[朝鮮総督府]]が[[連合国軍]]への降伏文書に調印するまで実質的には約35年間続いた({{Years or months ago|1945|9}})
[[ファイル:Flag Map of Japan and Korea (1910 - 1945).png|thumb|日本と朝鮮半島を、日本国旗をイメージして彩色した図。赤く塗られているところの地域は関係はない。|200px]]
 
'''韓国併合'''(かんこくへいごう、{{lang-en-short|Japanese annexation of Korea}})とは、[[朝鮮半島]]の権益を巡る[[日露戦争]]後の[[1910年]]([[明治]]43年)[[8月29日]]に「[[韓国併合ニ関スル条約]]」へ基づき、[[大日本帝国]]([[日本]])が[[大韓帝国]]{{efn|今日の[[大韓民国]]と[[朝鮮民主主義人民共和国]]に相当する地域。旧韓国、朝鮮国([[李氏朝鮮]])領域。[[間島]]については一部に領有権について主張がある。}}を[[併合]]して統治下に置いた出来事を指す({{Years or months ago|1910|8}})。'''朝鮮併合'''、'''日韓併合'''、'''日韓合邦'''などとも表記される<ref>『日韓合邦秘史』 黒竜会出版部</ref>。厳密には[[日本統治時代の朝鮮|日本による朝鮮半島の統治]]は、大日本帝国が[[ポツダム宣言]]による無条件降伏後も続いており、[[1945年]]([[昭和]]20年)[[9月9日]]に[[朝鮮総督府]]が[[連合国軍]]への降伏文書に調印するまで実質的には約35年間続いた({{Years or months ago|1945|9}})。
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== 概要 ==
[[1910年]](明治43年)[[8月22日]]に、韓国併合条約が[[漢城]](現在の[[ソウル特別市]])で[[寺内正毅]][[統監府|統監]]と[[李完用]]首相により調印され、[[8月29日|同月29日]]に裁可公布により発効された。大日本帝国は大韓帝国を併合し、朝鮮側の全借財を肩代わりしつつ、その[[領土]]であった[[朝鮮半島]]を[[領有]]した。日韓両国は韓国側が韓国併合を先に望んだ旨を世界各国へ知らせ、多くの国がこれを承諾している<ref name=":1" /><ref name=":4" />'''<ref name=":3" />'''
 
{{朝鮮の歴史}}
韓国併合を先に依頼したのは韓国側であり、当時の韓国は[[中国朝鮮関係史|中国支配]]により長く苦しめられており、中国からの脱却のために時勢に乗っていた日本に対し、韓国首相 [[李完用]]への大韓帝国第2代皇帝 [[純宗 (朝鮮)|純宗]]の署名付き全権委任状と『[[韓日合邦を要求する声明書]]』を基に韓国併合を希望しており、[[1911年]][[1月]]出版の『日本之朝鮮』にも記録されている<ref name=":1" /><ref name=":3" />。{{朝鮮の歴史}}
 
[[1945年]](昭和20年)[[8月15日]]、日本は[[第二次世界大戦]]([[太平洋戦争]]/[[大東亜戦争]])における[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]に対する[[日本の降伏|敗戦]]に伴って[[実効支配]]を喪失し、同年[[9月2日]]に[[ポツダム宣言]]の条項を誠実に履行することを約束した降伏文書調印によって、日本による朝鮮半島の領有は終了したが、大日本帝国が[[ポツダム宣言]]による無条件降伏後も続いており、正式には9月9日に朝鮮総督府が[[連合国軍]]への降伏文書に調印するまで続いていた。