「キリンビール広島工場」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎キリンビアパーク広島時代: 知的能力がないバ力が撮った映りが悪い低質な写真を除去
41行目:
工場開設当初の製造能力は、1万3500kLで、閉鎖時の製造能力は15万kL。開業時の従業員数は215人で、最終時の従業員数は約250人。
 
== 専用線以前は、[[日本国有鉄道|国鉄]]への[[専用鉄道|専用線]]があった。 ==
== 専用線 ==
以前は、[[日本国有鉄道|国鉄]]への[[専用鉄道|専用線]]があった。
 
工場新設にあわせて、[[1936年]](昭和11年)8月17日の認可後に敷設<ref>『キリンビール広島工場50年史』27ページ</ref>。当初は、工場建設資材を運び込むために使われた。工場から矢賀町で芸備鉄道(現在の[[芸備線]]、[[1937年]](昭和12年)7月1日に国有化。[[広島車両所]]が出来たのは[[1940年]](昭和15年))に接続。当時の'''東広島駅'''(現在の[[広島貨物ターミナル駅]])を介して、消費地への[[有蓋車|有蓋貨車]]による製品出荷や、[[湊川駅 (国鉄)|湊川駅]]([[1985年]](昭和60年)3月14日以降は[[神戸港駅]])から[[麦芽]]輸送の[[貨物列車]]が運行されていた。
 
51 ⟶ 49行目:
 
現在、当時の国鉄線分岐以降は、ソレイユへのアクセス道(写真A)や、[[日産プリンス広島販売|日産プリンス広島]]矢賀店の施設等に転用された土地もあるが(写真B)、一部はキリン関連会社が管理する空き地(写真C・D)として残っている。
 
<gallery>
ファイル:KIRIN_BEER_PARK_HIROSHIMA_SENYOSEN_ATO_01.JPG|A.施設周辺はアクセス道になった
ファイル:KIRIN_BEER_PARK_HIROSHIMA_SENYOSEN_ATO_02.JPG|B.日産の施設となった場所。溝蓋部より左側が廃線跡
ファイル:KIRIN_BEER_PARK_HIROSHIMA_SENYOSEN_ATO_03.JPG|C.芸備線近くは空き地で残る
ファイル:KIRIN_BEER_PARK_HIROSHIMA_SENYOSEN_ATO_04.JPG|D.廃線跡。工場側
</gallery>
 
== 交通アクセス ==