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三番瀬海域においては、船橋市の漁業協同組合もあるが、同漁協はすでに埋め立てを前提に総額で200億円近い漁業補償を受け取り、漁業権を放棄済みであり、漁業権という観点からは、市川市の漁業関係者に比して、恒久的な漁業権を有していない点で、ラムサール条約登録についての利害関係の程度は落ちる。ちなみに、船橋市の漁業協同組合は、三番瀬海域においては、現在は恒久的な漁業権を有していないものの暫定的に漁業を継続しており、ラムサール条約登録に伴い、恒久的に将来に渡り漁業を継続する場合(すなわち、再度、恒久的な漁業権を得る場合)、当該漁業補償金の返還の問題等の解決が必要となる(船橋市の漁業協同組合は、三番瀬海域外でも漁業を行っており、魚類は、ほとんどが三番瀬外の海域で捕獲されたものである){{要出典|date=2015年12月}}。
 
== 三番瀬再生事業 ==
{{独自研究|section=1|date=2015年12月}}
=== 千葉県三番瀬再生計画 ===
千葉県三番瀬再生計画は、堂本知事が公約として掲げた「三番瀬の再生」を目指すための計画である。[[2005年]][[8月]]に、その県の基本計画案が公表され、2006年12月に基本計画が、2007年2月に事業計画が策定された<ref>[http://www.pref.chiba.jp/syozoku/b_soukei/sanbanze/public/170801/pubcome.html 「千葉県三番瀬再生計画(基本計画)(案)」についての意見募集]</ref>。
 
この計画策定は[[2002年]][[1月]]、「三番瀬再生計画検討会(円卓会議)」(会長:[[岡島成行]])の設置によって検討が始まった。千葉県、漁業関係者、自然保護団体、地元住民などの多様な主体のもと議論が始まったが、当初あった埋立案を白紙撤回した後での開催であり、様々な思惑、利害が錯綜した結果、議論は難航を極めた。しかし、2002年[[12月]]に「中間とりまとめ」を公表し、[[2004年]][[1月]]には千葉県への提言として、両論併記的な記述を含む、「三番瀬再生計画案」が提出された<ref>[http://www.pref.chiba.jp/syozoku/b_soukei/sanbanze/keikakuan/contents.html 三番瀬再生計画案]</ref>。この計画案は、あくまでも県に対する提案として取りまとめられたものであり、なんらの法的拘束力・公定力を持つものではないが、一部環境保護団体の関係者は、両論併記部分の一方の見解のみを引用の上、あたかも公定的な見解であるかのような言動を行っており、これらの言動が、議論の蒸し返しであるとの批判を受けている{{要出典|date=2015年12月}}。
 
「三番瀬再生計画検討会(円卓会議)」は計画案の提出により役目を終えたが、2004年12月に、千葉県が策定する三番瀬再生計画についての知事の諮問機関として、「三番瀬再生会議」が発足している。そして、[[2006年]]12月に千葉県が千葉県三番瀬再生計画(基本計画)を策定し、翌2007年2月に同(事業計画)を策定し、千葉県三番瀬再生計画が完成<ref>[http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_soukei/sanbanze/kenkeikaku/info/061221info.html 千葉県三番瀬再生計画(基本計画)の策定について]</ref>。
 
以下に再生計画の要旨をまとめる。
* 再生の5つの目標
** 生物多様性の回復 - [[藻場]]、州、泥干潟、汽水域等 の多様な環境を再生する。
** 海と陸との連続性の回復 - 三番瀬への河川等からの淡水や土砂の供給、後背湿地や地下水脈を通じた淡水の供給等の回復。
** 環境の持続性及び回復力の確保 - 青潮(貧酸素水塊)発生の抑制、流入河川等の水質改善。
** 漁場の生産力の回復 - 1960年代の豊かな漁場環境の改善や持続的な漁業の振興。
** 人と自然とのふれあいの確保 - 親水性及び[[パブリック・アクセス]]の向上、環境学習・教育の推進等、ふれあいを進める仕組みづくり。
* 再生に当たっての進め方
** 科学的な知見及び漁業者の経験的な知見の活用
** 予防的態度及び順応的管理
** 賢明な利用
** 協働による取組
 
;三番瀬再生会議
{{独自研究|section=1|date=2015年12月}}
堂本暁子(2001年 - 2009年、千葉県知事)は、三番瀬への取り組みにあたり住民参加と情報公開により進めることとし、住民参加の具体化として三番瀬再生計画検討会議(円卓会議)、その後に三番瀬再生会議を設置しているが、その現状が問題視されている。円卓会議の初期においては、一般の参加者として、現在に比して多様な、数的にも多くの参加者があり議事録からもその様子が見て取れるが、現在は極めて少数・同種の主張を持った者の参加があるに過ぎない状況が議事録から覗われ、堂本が想定していた住民参加からは程遠い状況にある。更に公募委員については、応募者が極めて少ない状況にあり、有識者についても円卓会議から継続して委員を続けている者も多く、いずれも固定化傾向にある。また、議論については、円卓会議における主張を繰り返すこと等による議論の「むしかえし」、「発言者に話が長すぎて何が言いたいか分からない人が結構いる」等との批判があり、更には、その前段の問題として、自己主張や私見の開陳に過ぎず、議論に至らない点が議事録から覗える。加えて、徹底した情報公開として、あらゆる会議録や資料が公開されているが、両論併記的な事項で結論を見ていない事項について、恣意的に特定部分を引用し、あたかも結論を見ているかのように装う言動や、誹謗中傷の材料に使われる、更には、県のHPで議事録が公開されることを利用して、一部の学識経験者を含め、自己主張の宣伝の場として三番瀬再生会議を利用するがごとく、同様の発言を繰り返す等、情報公開の価値を毀損する言動も見受けられる。今後は、これらの現状をいかに克服するかが、三番瀬の再生を住民参加で進めるにあたり、大きな課題であるが、長年、構成や運営方法が固定的であったことから、課題解決は大きな難問である。
 
2009年の知事選挙で、森田健作が当選したが、選挙で争った堂本後継候補(吉田平)への再生会議会長を含む有識者による出馬要請(2009年2月5日付け毎日新聞(千葉県版)による)、三番瀬保全を掲げての、2007年の習志野市議会議員選挙への竹川未喜男委員の立候補(最下位で落選)等、委員による政治的な動きも散見される。また、環境保護団体も、政治的な勢力と連携して活動をする例が見受けられる。三番瀬関連の環境保護団体は、さまざまな名称の団体があるが、活動内容毎に団体名を変えて設立するケースが多く、複数の団体に参加している個人がほとんどであり、団体数に比して、実活動個人が極めて少数である。加えて、これらの団体の幹部には、これまでの三番瀬を巡る複雑な経緯に起因する、感情的言動、独善的言動を弄する者が相当数見受けられる。このような状況を踏まえ、千葉県は、三番瀬再生会議の見直しが必要であることを、10年9月の県議会と三番瀬再生会議で公にし、2010年12月をもって三番瀬再生会議は組織として終了した。
 
=== 三番瀬再生事業 ===
[[2007年]][[2月]]には、千葉県三番瀬再生計画(基本計画)に引き続き、三番瀬再生計画(事業計画)が策定された<ref>[http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_soukei/sanbanze/kenkeikaku/info/070219info.html 千葉県三番瀬再生計画(事業計画)の策定について]</ref>。この事業計画の計画期間は、2006年度から2011年度の5ヶ年であり、事業計画は5年毎に見直すことが予定されている。