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やがて紀元前1世紀頃に入ると、各地のケルト人は他民族の支配下に入るようになる。[[ゲルマン人]]の圧迫を受けたケルト人は、西の[[フランス]]や[[スペイン]]に移動し、紀元前1世紀にはローマの[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]らによって征服される。カエサルの『[[ガリア戦記]]』はガリア(ゴール)のケルト社会に関する貴重な文献である。やがて500年にわたって[[ローマ帝国]]の支配を受けた[[ガリア]]のケルト人(フランス語ではゴール人)は、被支配層として[[俗ラテン語]]を話すようになり、ローマ文化に従い、中世にはゲルマン系の[[フランク人]]に吸収されフランス人に変質していく。
 
== ブリテン諸のケルト ==
ケルト人がいつ[[ブリテン諸島]]に渡来したかははっきりせず、以前は鉄製武器をもつケルト戦士集団によって征服されたとされていたが、[[遺伝子]]などの研究から[[新石器時代]]の先住民(ケルト以前の[[巨石記念物|巨石文化]]の担い手)が大陸の文化的影響によって変質したとする説もある。いずれにしても[[ローマ帝国]]に征服される以前の[[ブリテン島]]には戦車に乗り、鉄製武器をもつ部族社会が展開していたがこれらはケルト人とはいえない。