「李舜臣」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
124.49.113.160 (会話) による ID:90967592 の版を取り消し「普及」(補給の意か)、「補給船」(補給線の意か)をはじめ、日本語として意味が通らない部分を多く含む文章で出典付き記述を置き換える編集であり、当然に記事の価値が低下するものであるためリバート。直接には関係しない事実ですが、当該編集を行ったのは海外ipのようです。
タグ: 取り消し
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
57行目:
朝鮮側は将軍の戦死や損害過多で統制を欠き、作戦行動の継続が不可能となり、小西軍の救援に駆けつけた島津軍は、殿軍を務めて無事にこれを撤退させ当初の予定通り救援任務を完遂した。
 
==== 最期について ====
韓国では、李舜臣は[[露梁海戦]]において「大敗した日本軍を追撃中に」「流れ弾に当たって」戦死したと一般に信じられており、日本の一部書籍においても、そのまま引用しているものが見受けられるが「流れ弾」については文献の裏づけはない{{Efn|「流れ弾」について『韓国通史』P.285(乙酉文化社史2003年改訂版18刷)では「露梁海上で日本軍の退路を塞いで殲滅しようとした李舜臣は不幸にも流れ弾に当たって戦死してしまった」とする<ref>孫承喆「中・近世の韓日関係史に関する認識の共通点と相違点」([[日韓歴史共同研究]]第一回報告書第2分科、中近世)[http://www.historyfoundation.or.kr/data/report/1gi/02_1/16.pdf]PDF-P.12</ref>。}}。
「追撃」については朝鮮側の史料である[[柳成龍]]『[[懲毖録]]』によるもので、李舜臣の死のことを「李舜臣は日本軍を大いに撃破し、これを追撃している最中に鉄砲の弾丸で戦死した」と記している{{Efn|{{Quotation|